この儚き幻想の地で為すべき事は。   作:マイマイ

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幻想郷の日々は過ぎていく。
大変な毎日ではあるけれど、今日はどんな日になるのかワクワクもする。
さあ、今日は何が待っているのかな?


1月24日① ~妖怪の山~

 ごちそうさま、と全員で手を合わせ朝食の時間を終える。

 さて、今日も1日永遠亭にて仕事を励むとしよう、と思った矢先。

 

「――今日は、あったかーいお鍋が食べたいわねえ」

 

 ポンポンとお腹を擦りながらそんな事を言うのは、蓬莱山輝夜さん。

 艶やかな黒髪と愛らしい笑顔が特徴的な、この永遠亭で八意先生と同等かそれ以上の権限を持つ女の人だ。

 でも本人は至って温厚で心優しい、時折誰も逆らえない笑顔でとんでもなく無茶な要求を放つ事もあるけれど、それはご愛嬌。

 

「……姫様、朝ごはんを食べたばかりなのに」

「ふふっ、実は昨日から思っていたのよ。今日は特に寒いから絶対夕ごはんはお鍋がいいなー」

「食い意地が張った姫様だこと……」

「まあまあ、それじゃあ色々買い物しないと」

 

 食材の備蓄も残り少なくなってきたし、今回の事が無くても買出しには行かないと。

 だとすると今日は人里に行かなくてはいけないだろう、そういえば……人里に行くのは、今回が初めてだな。

 

「――ウドンゲ、てゐ。里への薬売りと買い物はあなた達2人でしなさい」

「あ、はい……了解しました」

「はいはいー」

 

「あ、僕も」

「ナナシ、あなたは私の手伝いをして頂戴」

「えっ、でも備蓄も少ないから買い物の量も多くなりそうですし……」

「いいのよ。2人に任せなさい」

 

 有無を言わさぬその物言いに圧され、何も言えなくなってしまう。

 けど、なんだか八意先生達が僕を人里に行かせないようにしているように思えた。

 

「ナナシさん、こちらの事は気にしないで師匠をお手伝いをお願いします」

「そーそー、みんな鈴仙がなんとかするから」

「アンタも来るのっ!!」

 

 鈍い打撃音が、てゐさんの頭から響き渡る。

 鈴仙さんの拳骨を受け、ぐったりとしたまま動かなくなったてゐさんの首根っこを掴み、鈴仙さんは行ってしまった。

 ……大丈夫かな、割とシャレにならない音だったけど。

 

「さあナナシ、今日もお手伝いよろしくね?」

「はい、わかりました」

「あ、ちょっと待って永琳」

 

 八意先生と共に研究室へと行こうとした僕達を、輝夜さんが呼び止めた。

 

「どうしたの?」

「今日は何か急ぎの用は入っているのかしら?」

「いいえ、今日は新薬の実験だけの予定だけど……」

「なら今日一日、ナナシを貸してくれないかしら?」

 

 にっこりと微笑みながらそんな事を言ってくる輝夜さんに、僕も八意先生もキョトンとしてしまった。

 というか貸してくれって、僕はレンタル用品ですか?

 

「……それは構わないけど、この子に何をさせるつもりなの?」

「やーね永琳ってば、ナナシに対して随分過保護になってない?」

「質問に答えてほしいのだけれど?」

「あらこわい、別に危険な事はさせないわよ。ただちょっと彼を連れて出掛けたいだけ」

 

 とは言うものの、では何処に行くのかと問いかけても輝夜さんは答えようとはしない。

 危険な事はさせない、とは言うものの何とも煮え切らない彼女の態度に僕はもちろん八意先生も難色を示した。

 でもわざわざそんな事を言うのだ、もしかしたら大切な用事なのかもしれない。

 

「八意先生、もし先生がよろしければ今日は輝夜さんについて行ってもいいですか?」

 

 そう思ったので、助け舟ではないが八意先生にそう進言してみた。

 

「……いいわ。じゃあナナシは今日輝夜の面倒を見てくれるかしら?」

「は、はい!」

「面倒を見るって……まあいいか、それじゃあ準備してくるからナナシも動きやすい恰好に着替えてね?」

 

 そう言って自分の部屋に戻っていく輝夜さん、動きやすい恰好に着替えてと言われたので、僕も一度自室に戻る事にした。

 

「ごめんなさいねナナシ、あの子って時々強引になる所があるから」

「いえ、でも何処に行くつもりなんでしょうね?」

「あなたが一緒だから危険な場所に行くとは思えないけど……気をつけてね?」

 

 わかりましたと返しつつ、自室に向かう。

 ……正直、どこへ連れて行かれるのか少々不安な気持ちはある。

 けれど八意先生の言ったように、危険な場所ではないだろう、多分。

 

 ■

 

 危険な場所ではないだろう。

 そう楽観視していた少し前の自分を、鼻で笑いつつ怒ってやりたくなった。

 

「どうしたの?」

「……輝夜さん、ここが何処だか判ります?」

 

 問いかけに対し、輝夜さんは前方に広がる険しい“山”を見てから、キョトンとした顔を僕に向けてきた。

 そう、山である。そして幻想郷で一般的に“山”と呼ばれる場所は一箇所しかない。

 

「妖怪の山でしょ?」

「判っているなら、僕の言いたい事はわかりますよね?」

「思っていたより大きいわよね、驚いちゃった」

「違う、そうじゃない」

 

 まるで危機感を持たない輝夜さんに、おもわず強いツッコミを返してしまった。

 僕達の目の前に広がる山の名は“妖怪の山”といい、幻想郷でも比較的危険度が高い山だ。

 ここには妖怪の中でも有名な“天狗”が存在しており、他にも“河童”などの多種多様な妖怪が住まう山だと前にルーミアから教えてもらったからこそ、強い危機感を覚えていた。

 しかも今の季節は冬、山道には当然雪が残っている状態なのでこのまま登るのはかなり危ない。

 

「帰りましょう、今すぐに」

「どうして? 大丈夫よ、妖怪が来ても私が守ってあげるから」

「いや、そういう問題じゃなくてですね……」

「大丈夫大丈夫、ほらいきましょ?」

「ちょ、ちょっと輝夜さん!?」

 

 手を引っ張られ、柔らかな感触にどきりとする。

 しかしすぐに我に返り抵抗しようとするが、ズルズルと引っ張られるだけでまったく意味をなさない。

 

 綺麗で可愛らしい女の子に引っ張られるという傍から見たら珍妙な光景を繰り広げつつ、僕達は山の中へと入ってしまう。

 緩やかな傾斜のある山道を僕の手を握ったまま迷い無く進んでいく輝夜さんと、必死に無意味な抵抗を繰り返しつつ帰りましょうと訴える僕。

 

「ナナシは心配性なのよ、そこらの妖怪なんて私からしたら赤子同然なのに」

「そういう問題じゃないんですよ、ルーミアから聞いたんですけど山に住む天狗達は余所者に厳しいって話なんですから、勝手に入ったらどんな目に遭わされるか……」

「大丈夫、私が守ってあげるから」

 

 そう言ってむんと胸を張る輝夜さん、頼もしいけど女の人に守ってもらうというのは情けない事この上ない話ではないか。

 まあ、確かに僕は戦う力なんて無いからそういう状況になるのは目に見えているけど、それとこれとは話が別なわけで……。

 

「そもそも、どうしてこの山に行こうと思ったんですか?」

「ここには秋の神様が居るって話なの、その神様は姉妹なんだけど凄く美味しい野菜を栽培してる事でも有名なのよ。この季節だと……そうね、大根にちょっと早いけどさつまいもとか?」

「……もしかして、今夜の鍋の材料を確保しに?」

「ご名答。だってイナバ達にだけ負担を掛けるなんて申し訳ないじゃない?」

 

 その言葉を聞いて、僕は帰りましょうとは言えなくなってしまった。

 仕えるべき部下とも呼べるべき人達にも、上辺ではない優しさを向けられる輝夜さんの気持ちを知れば、さっきのように帰ろうなどとは言えなかった。

 

「そうならそうと最初からそう言ってくれればよかったのに」

「だってナナシの反応が面白いんですもの、さっきの態度だって予想通りだったし」

「…………」

「でもその様子だと、私の気持ちを察してくれたみたいね」

 

 そう告げる輝夜さんは、嬉しそうに微笑んでいた。

 その笑みは、綺麗とか可憐とか、そういった表現では足りない程の魅力が備わっており。

 間近でそれを見た瞬間、思考はあっさりと漂白した。

 

「? ナナシ、どうしたの?」

 

 小首を傾げながら訊いてくる輝夜さんの言葉も、どこか遠くから聞こえてくる。

 まるで前にレミリアさんに向けられた魔眼の如し威力を見せる彼女の笑みは、さすが帝すら魅了したかぐや姫だと余計な事を考えてしまうくらいに凄かった。

 呼吸が上手くできない、だというのにおもわずごくりと喉が動いた。

 心臓の音は早鐘のようにうるさく喚いているし、それなのに視線は彼女から背ける事ができなかった。

 

「……あららら、ナナシってば本当に純粋なのね。悪い事しちゃったわ」

「っ」

 

 その声で、どうにかこうにか我に返る事ができた。

 落ち着け、落ち着くんだ。

 まずは視線を逸らせ、いつまでも相手をじっと見ているなんて失礼なんだから。

 

「……は、あ」

 

 深呼吸をして、止めていた呼吸を再開させる。

 視線を逸らせたからか、鳴り響いていた心臓は少しずつ落ち着きを取り戻していき、真っ白だった思考も元に戻ってくれた。

 

「ごめんね?」

「あ、いえ……輝夜さんが謝る事なんてないですよ。僕の方こそじっと見たりしてすみません」

 

 改めて視線を戻し、謝罪しながら頭を下げる。

 

「ううん、ナナシが謝る必要なんか無いの。寧ろ緊張してくれて嬉しかったわ」

「えっ?」

 

 おかしな事を言い出す輝夜さんに、首を傾げた。

 

「だって私の事を意識してくれたってことでしょ? 殿方にそういったものを向けられるなんて久しくなかったから、嬉しくなったのよ」

「っっっ」

 

 意識している、などと言われて再び緊張が全身に走った。

 そんな僕に輝夜さんは楽しそうに、嬉しそうにくすくすと笑うばかり。

 くそう、完全にからかわれてしまっているではないか。

 だが反撃などできない、顔が赤くなっているであろう状態でそんな事をしてもこちらが火傷するのは目に見えているのだから。

 

「ナナシを連れてきてよかった、男の人と一緒に居て楽しいと思えるのなんて初めてだもの」

「それは、楽しい玩具的な意味でですか?」

 

 ささやかな反抗とばかりに悪態を吐く僕に、輝夜さんは変わらない笑みのまま首を横に振って否定する。

 その動作一つ一つが一々意識させてくるものだから、せっかく落ち着いてきた心臓がまた速まっていった。

 

「都で暮らしていた頃は、みんな私の美しさだけを見ていたけど、ナナシは私の心をちゃんと見てくれてる。

 もちろん永琳やイナバも私の内面を見てくれているけど、男の人でそうしてくれたのはナナシが初めてなのよ?」

 

 だから嬉しいと、言葉を裏付けるような優しい笑みを浮かべ輝夜さんは言った。

 優しい返答に悪態を吐いた自分が恥ずかしくなった、別の意味で顔を赤くさせる僕の頭を輝夜さんはあやすように撫で始める。

 突然の行動に驚いたものの、気恥ずかしさよりも心地良さが増したのでおとなしく撫でられる事にした。

 

「……まあ、私があなたの事を気に入ったのは……そうならざるをえなかったからというのもあるでしょうけどね」

「えっ?」

「なんでもないわ」

 

 輝夜さんの手が、頭から離れる。

 名残惜しいと思ってしまい、開きかけた口を慌てて閉じた。

 

「ふふっ、もっと撫でてほしかった?」

「っ、そんな事ないですよ」

 

 すぐさま否定するが、輝夜さんは僕の心中などお見通しとばかりにくすくすと笑うばかり。

 くっ、人生経験の差があるとはいえこうまで一方的だとやはり悔しい。

 

 見てろ、いつかは反撃してやるからなーと、口には出せないので心の中で反論を返す。

 しかし再び手を握られ、そんな決意など綺麗さっぱり消えてしまった。

 ……駄目だ、これは当分どころか永遠に勝てそうにないと勝手に敗北感を味わっていると。

 

「っ」

 

 風が吹いた。

 それなりに強かったから、おもわず空いている手で顔を覆い視界を遮ってしまう。

 風自体はすぐに止んでくれたので、僕は視界を遮る手を退かして。

 

「え――――」

 

 僕達を囲むように立っている、複数の存在に気がついた。

 

「あら、白狼天狗じゃないの」

「白狼天狗……!」

 

 輝夜さんの呟きを聞いて、おもわず身構えた。

 白い獣の耳と尻尾を持つ、天狗という種族の中では下っ端に分類するのが白狼天狗だ。

 主に山の哨戒を任としており、妖怪としての力は天狗にしては弱い部類だとルーミアは言っていた。

 

 だが、僕のような人間にとっては脅威以外の何者でもなく、しかも五人という人数で囲まれてしまえば完全に詰み状態だ。

 おまけに相手側の視線には、僕達に対する警戒と敵対心が露わになるほどに込められている、歓迎などされていないのは明白だった。

 

「――この山に何の用だ?」

 

 その中のリーダー格なのか、大柄の男性天狗が威圧感を込めてこちらに問いかけてきた。

 ……声を聞くだけで身体が僅かに震える、けれど輝夜さんは微塵も動じずに僕を守るように一歩前に出て問いかけに答えを返した。

 

「この山で暮らしている秋の神様に会おうと思っているの、あなた達の邪魔はなんてするつもりはないから通してくれる?」

 

 こちらに敵意はないと友好的な意志を込めて輝夜さんはそう返すが、周りの白狼天狗達の険しい表情と雰囲気は変わらない。

 

「早々に立ち去れ。今なら見なかった事にしてやる」

「山を穢す事もしないし資源を奪いに来たわけでもないのよ?」

「最後の忠告だ。これ以上進むのならば、相応の覚悟をしてもらう事になる」

 

 聞く耳持たずとは、この事か。

 こちらの意見など完全に無視し、あくまでも去るように促すその姿は、正直不快な気分にさせるものだった。

 余所者には厳しいとルーミアは言っていたけど、想像以上だ。

 

 けれどここで事を荒げるのは得策ではない、現に白狼天狗達の敵意は殺気に変わりつつある。

 本当にこれ以上山の奥に進もうとすれば、彼等は容赦なくその手に持つ太刀で僕達を斬り捨てるだろう。

 

「輝夜さん、帰りましょう」

 

 震える足を動かして彼女に近づき、上記の言葉を告げるが。

 

「そうね、私もそう思ったけど……彼等の態度が気に入らないから気が変わっちゃった」

 

 怒っているような強い口調で、真っ向から彼等と敵対する言葉を言い放った。

 

 瞬間、白狼天狗達の纏う空気が一変する。

 変わりつつあった敵意は完全に此方に対する殺気に変わり、全員が手に持っている太刀を構え始めてしまった。

 っ、拙い……! このままじゃ怪我程度で済まない事態に発展するぞ……!

 

「最近運動不足だったから丁度良いわ、相手してあげる。

 ――けど、ナナシに手を出したら五体満足で居られなくなるから、注意なさいな?」

 

 ああ、もう、どうしてそうも喧嘩を売るんですか輝夜さんはっ。

 とにかく逃げなくては、握ったままの手に力を込めてその場から全力で駆け出そうと足に力を込め。

 

――大きな揺れが、山全体に響き渡った。

 

「っ、チィ……こんな麓の方まで降りてきたのか……!」

 

 白狼天狗の1人が、苛立ちと焦りを含んだ悪態を放つ。

 大きな揺れはすぐに収まったが、すぐに小さな揺れを感じ取りそれがだんだんと大きくなっている。

 地震ではない、これは何か大きな物体が猛スピードで移動を続けているような揺れだ。

 

 先程とは別の緊張感に襲われる。

 小さな揺れがだんだんと大きくなっているという事は、その正体がこちらに近づいているという事に他ならない。

 しかも白狼天狗達の様子を見るに、この山に住まう者達にとっても脅威だという事だ……!

 

「輝夜さん!!」

 

 すぐにこの場から離れようと、彼女に声を掛ける。

 だが遅い、揺れの大きさは最高潮に達し。

 

――異形の生物が、複数の大木を薙ぎ払いながら僕達の前に姿を現した。

 

「なっ、ん……!?」

 

 現れたソレを見て、言葉を失った。

 まるで小さな山のような大きさを誇るソレは――百足の妖怪であった。

 赤黒い身体に百は優に超える数の足、百足をそのまま巨大化させたようなソレは、ビリビリと空気を震わせるような奇声を放っている。

 

 ある意味で正しく妖怪らしいその姿は恐ろしくも醜悪で、おもわず顔を背けたくなった。

 だが逸らせない、そんな事をすればたちまちあの妖怪は奇声を放つ口を大きく開き僕を容易く丸呑みにするだろう。

 漠然と理解できた、あれは傍にあるものならばなんでも喰らい尽くす怪物だ。

 人ではない存在と出会い知り合えたからか、異形の存在を比較的冷静に観る事ができていた。

 

「隊長、どうしますか……!?」

「とにかくあれを止めるぞ!!」

「この者達は」

「今は放っておけ!! アレを止めるのが先だ!!」

 

 白狼天狗達の意識が完全にこちらからあの妖怪へと向けられる。

 こちらとしても好都合な展開だ、今の隙に輝夜さんを連れて山を降りる事が――

 

「…………」

 

 山を降りる? このまま、アレを放っておくというのか?

 そんな考えが脳裏に浮かび、動かそうとした足が止まった。

 あの怪物を放っておけば、沢山の犠牲が出る可能性が出てくる。

 

 いや、もう既に犠牲者は出ているのかもしれない。

 だってあの妖怪の身体の至る所に、体液であろう緑色の液体だけでなく。

 他の生物のであろう、赤い液体が付着しているのだから。

 

「――――っ」

 

 それを視界に入れた瞬間、どうしようもなく腹が立った。

 あの妖怪の所業が許せなくて、逃げる事なんて忘れてしまった。

 

 生きる為の食事ならば誰も非難する権利はない、人間だって他者の命を奪って糧にする。

 けどアレは違う、空腹でなくとも見えるもの感じるもの全てを喰らい、蹂躙し、命を奪う存在だ。

 そんなものを野放しにはしておけない、しておけないが……。

 

「くっ……!」

 

 僕には戦う力などない、妖怪に出会ったら喰われるだけの非力な人間だ。

 咲夜さんから譲ってもらったナイフがあるが、それで太刀打ちできる相手ではない。

 何もできない、僕に出来ることなど何もない。

 悔しくて唇を噛み締める、手は握り拳を作り憎々しげに妖怪を睨み付けた。

 

「あっ、ぐ……うあぁぁっ!!」

「っ!?」

 

 白狼天狗の1人が、相手の身体に巻き付かれ拘束された。

 ギシギシという音がここまで聞こえるほどに強く締め付けられており、苦しげな声を上げながら血を吐き出している。

 他の白狼天狗達はすぐに仲間を助けようとするが、まるで触手のように蠢く足に襲われそれも叶わない。

 

 ……殺される、あのままではあの天狗は間違いなく殺される。

 助けようと、助けなければならないと当たり前のように思い、駆け寄ろうとする僕を。

 

「待った。ナナシじゃ助けられないわよ?」

 

 輝夜さんが、掴んだままの僕の手に力を込めて引き寄せてしまった。

 

「輝夜さん、放してください」

「正気? ナナシだって死にたいわけじゃないのに、どうしてそんな自殺行為に等しい事をしようとするの?」

「あのままじゃ死んでしまいます、助けないと!!」

「さっきまで自分を殺そうとしていた相手を助けるの?」

 

 本気で理解できないと、輝夜さんは視線で訴えてくる。

 わかっている、彼女の言っている事は正しいし理解できないのも当然だ。

 あの妖怪がこの場に出てこなければ、あのまま僕は白狼天狗達に襲われていた。

 それなのにそんな相手を助けようとする、その行動はあまりにも馬鹿馬鹿しく理解できないものに映るのは当然と言えよう。 

 

 でも、それでも。

 目の前で命が失われようとしているのを見て、何もしないなんて選択は選べなかった。

 

「……理屈じゃないのね。助けたいというあなたの想いは」

 

 そう言って、輝夜さんは何か眩いものを見るような視線を僕に向け、懐から何かを取り出した。

 それは、宝玉のような七色の実が取り付けられた、枝だった。

 身の一つ一つがこの世のものとは思えぬ美しさを放ち、どんな芸術品すらこの枝の前では霞んでしまうだろう。

 けれどそれ以上に、枝から溢れ出しそうになっている凄まじい力の波に言葉を失った。

 

「大事な家族の願いは、できる限り叶えてあげないとね」

 

 僕から手を放し、一歩前に出て枝を構える輝夜さん。

 瞬間、七色の実が輝きを見せ始めうねりを上げていく。

 狙うは前方で暴れまわっている百足の妖怪一点のみ、そして実の輝きが臨界に達すると同時に。

 

「――蓬莱の玉の枝、夢色の郷」

 

 力ある言葉を解き放ち、神宝を横一文字に振るい放った。

 刹那、虹色の光が実から撃ち放たれる。

 

「うわっ!?」

 

 吹き荒れる風に、両足に力を込める事で吹き飛ばされるのを防いだ。

 その間にも光は真っ直ぐ百足の妖怪へと向かっていき、途中で虹の光弾へと姿を変える。

 

「…………」

 

 極光の輝きを見せるそれを見て、心底見惚れてしまった。

 目を奪われるとはまさにこの事か、息苦しさすら感じる風の中でその輝きだけを視界に収める。

 時間にして数秒もなかっただろう、けれど僕にとってこの瞬間は無限にも感じられた。

 

 虹の極光が着弾する。

 それと同時に一気に光が爆発するように広がり、全てを白一色に染め上げた。

 それで終わり、輝夜さんが放ったあの光は触れる物全てを例外なく消し飛ばす光だ。

 その直撃を受けてしまえば、どんな強固な装甲を纏おうが紙切れのように吹き飛ばす。

 

 そうして、光の世界が消え去った時には。

 静寂が訪れ、百足の妖怪は初めから居なかったかのように跡形もなく消滅していた。

 

「…………凄い」

 

 自然と、そんな呟きが零れた。

 混乱してしまっているのか、その場に立ち尽くす事しかできず、それはあの光に巻き込まれても傷1つなかった白狼天狗達も同じであった。

 

「うっ、うぅ……」

「っ」

 

 苦しげな声で、我に返った。

 そうだ、脅威となるあの妖怪が消えたとしても怪我人が居る。

 既に仲間の白狼天狗達が駆け寄っているが、全員が表情を凍り付かせていた。

 嫌な予感が頭によぎる、そしてそれは。

 

「――間に合わなかったみたいね。あの白狼天狗……もう永くないわ」

 

 輝夜さんの言葉で、単なる予感ではないと思い知らされてしまった。

 

「…………」

「仕方がないわ。如何に肉体が人間に比べて強固だとしても死なないわけではないもの、寧ろひしゃげずに原型を留めているだけ流石天狗と言うべきかしらね」

 

 あくまでの冷静に、輝夜さんは事実だけを口にする。

 すぐ隣に居る筈の声が、上手く聞き取れない。

 

 ……間に合わない、それを受け入れるわけにはいかなかった。

 認めるわけにはいかない、だって今にも消えてしまいそうな命を前にして、泣いている人達が居る。

 妖怪でも、失われる命を悲しむ心は持っていると知っているから。

 

――だから、何もしないまま諦めるわけにはいかない!!

 

 地を蹴って走り出し、もう虫の息になっている白狼天狗へと駆け寄った。

 掠れた吐息、病的なまでに青白く変色した肌、締め付けられてあらぬ方向に折れ曲がった腕や足。

 もうすぐ命の灯火が消えそうになっている姿は、直視できないほどに痛々しい。

 

「何をするつもりだ、貴様!!」

「黙って!! 集中できない!!」

 

 怒鳴る白狼天狗を一喝しながら、目を閉じ意識を集中させる。

 ――僕の中に眠る力は、“癒し”の力だ。

 フランとの件でそこに辿り着いた今ならば、この力を使えるかもしれない。

 

 否、何が何でも今ここで使えるようにならなければならない。

 それが叶わなければ目の前で苦しげな息を吐くこの子を、白狼天狗の()()を救えない。

 何年何十年生きているかは判らないけれど、見た目はまだ幼さすら残るこの少女を、何としても救いたいと願った。

 

 できる筈だ、一度は使えたこの力を今使えないでいつ使うのか。

 自身の内側に手を伸ばす、己の精神に無我夢中で語りかける。

 

「っ、ぐ……うっ」

 

 鈍器で殴られたような激痛が、脳を痛めつける。

 これは警告だ、これから扱う力はナナシという存在にとって不相応の力、使うのは危険だと訴える警告だった。

 ……その警告を無視し、更に手を伸ばした。

 

「あ、う、ぐ……」

 

 頭痛が酷くなっていく、痛みは際限なく増していきじわじわと全身にまで広がっていくようだ。

 だが耐える、助けたいという一心だけで歯を食いしばって耐え続けて……脳裏に、光が見えた。

 それはあの時と同じ光、身体に刻まれた光だと認識した時には。

 

「な、何だ!?」

「…………」

 

 僕の両手には、黄金の光が浮かび上がっていた。

 ……身体が熱い、全身に焼けた鉄を押し付けられているようだ。

 その熱は強い痛みと不快感を招き、身体を掻き毟ってやりたい衝動に襲われる。

 

「あとは、これを……」

 

 余計な事を考えるな、今はこの光をこの子に与えるんだ。

 両手に宿った光を譲り渡すように、腕を伸ばして白狼天狗の少女の額に乗せる。

 僕の意志に応え、黄金の光は手から離れ少女の身体を包み込んだ。

 光はゆっくりと沈み込むように少女の中へと消え、完全に無くなった時には。

 

「こ、これは……!?」

 

 少女の吐息は穏やかなものになり、身体中に刻まれていた痛々しい傷痕も折れ曲がった部位も全て元に戻ってくれていた。

 成功した、これ以上ないってくらいに上手くいってくれた。

 思わず自分自身の褒めたくなる結果に口元を綻ばせ、ついつい全身の力を抜いてしまい。

 

「っ、いっ、ぎ……!?」

 

 油断した身体に、特大の痛みが一斉に押し寄せ。

 我慢する事などできずに、視界が暗転し意識を失ってしまった……。

 

 

 

 

 


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