終わらせる事ができた、けれど力を使った僕はその反動で倒れてしまい……。
――光が、見える。
漆黒の世界を照らす小さな光。
今にも消えそうな程に儚いものだけれど、網膜に焼き付くほどの輝きを見せている。
その光に触れてみたくて、同時に消してはならないと思ったから必死に手を伸ばした。
五感が朧気のまま手を伸ばし……やっと触れられたと思った瞬間。
「ぁ……」
光が大きくなっていき、あっという間に僕の身体を包み込んでいった。
視界は奪われ、同時に暖かなものが身体に流れ込んでいく感覚が訪れる。
恐怖はない、寧ろこのままこの光に身を委ねてしまおうと思い始めていた。
――――お前が居るべき場所は、ここではない。
誰かが、遠い声でそう言った。
光に包まれ、まどろむ自分を戒めるように。
――――成すべき事を果たせ、それがお前の役目なのだから。
それは、どういう意味ですか?
問いかけは声に出ず、やがて意識はこことは違う場所に引っ張られていく。
……声はもう、聞こえなかった。
■
「…………」
見知らぬ洋風の天井が、視界に広がっている。
上半身を起こし、周囲を見回すとそこに広がるのはやはり見知らぬ部屋だった。
ふかふかのベッドに丸テーブル、小さめのシャンデリアといった洋風の部屋。
「……えっと」
頭が上手く働かない、身体も鉛のように重くなっていた。
ゆっくりゆっくり何があったのか思い返していき……数分かけて、自分が何をしたのかを思い出すと同時に。
「あ……」
部屋の中央付近に置かれた机に突っ伏しながら眠っている、フランドールさんの存在に漸く気がついた。
肩を上下させながら、小さな寝息を放つフランドールさん。
……とりあえず、あのまま寝かせると身体に悪いし起こした方がいいか。
「っ、あ、れ……?」
ベッドから降りて立ち上がろうとするが、力が入らず前のめりに倒れそうになる。
どうにか両手を突き出して顔面からの直撃を免れたものの、その体勢のまま動く事ができない。
「う、く……」
顔をしかめながら、どうにかこうにかベッドまで戻った。
参った、一体どれだけ衰弱しているんだ……?
自分が弱っていると自覚できたからか、強い空腹感を覚え小さく腹が鳴った。
「……ん、にゅ……」
と、フランドールさんに動きが見られた。
身体を揺らし、ゆっくりと彼女は目を開き……ベッドに座っている僕と、視線を合わせる。
「…………ナナシ?」
「あ、えっと……おはよう、ございます?」
どんな反応を返せばいいのか判らず、とりあえずと朝の挨拶をしてみた。
対するフランドールさんは何も反応を示さず、気まずい空気が流れ始めたと思ったら。
「……ぐすっ」
「えっ……!?」
突然、フランドールさんの瞳から涙が零れ始め、思考が固まってしまった。
ポロポロと涙を流す彼女に、僕は何もできず狼狽するばかり。
すすり泣く音が暫し部屋に流れ、やがて泣き止んだ彼女は乱暴に涙を拭ってから。
「――ごめんなさい。お兄ちゃん」
僕に向かって、深々と頭を下げながら謝罪の言葉を口にした。
「…………」
ああ、成る程。
彼女が何故僕を見て泣き出し、そして謝ったのか理解する。
僕を傷つけた事を後悔し、申し訳なく思い、勇気を出して謝ってくれた。
それが判っただけで、あの時の痛みも無意味ではないと思えて……嬉しくなる。
「フランドールさん、僕は今みたいに反省して謝ってくれただけで充分です」
「…………」
「でも約束してほしい。理由もなく誰かをその力で傷つけるような事は……もうしないでくださいね?」
「っ、うん……約束するよ。絶対にその約束は守るから……」
その言葉と涙を見せながら浮かべる笑みだけで、充分だ。
「じゃあもうこの話はおしまいにしましょう、どうせなら仲良くなりたいですから」
「うん!! 私も同じ気持ちだよナナシ、だからそんな敬語なんてやめて私の事は“フラン”って呼んでね?」
「え、あ……はい、じゃあフラン……で、いいのかな?」
少し躊躇いがちに名前を呼ぶと、フランドールさん……フランは、嬉しそうに表情を綻ばせた。
そこまで喜ぶ事なのかとも思ったけれど、実際に嬉しそうにしているから良しとしよう。
■
「――すまなかった」
フランと友達になったのは喜ばしい事なのだが、強い空腹感を思い出し朝食を用意してもらう事にした。
咲夜さんお手製の朝食を、フランと……同席したスカーレットさんの3人でいただく事になったのだが。
その前にと、スカーレットさんは僕に向かって上記の言葉を口にしながら深々と頭を下げてきた。
「お、お姉様……?」
「お前に対して謝罪だけでは許されない事をしてしまった、レミリア・スカーレットの名に懸けてこの非を詫びる事を誓う」
「…………」
突然の言葉に、反応できない。
彼女の言葉の意味が理解できないわけではない、ただ僕にとって今回の件は既に“過去の話”でしかなかったから驚いたのだ。
それなのにこのような厳格な姿勢を見せられれば驚くというものである、というかお腹空いたから正直後にしてほしい。
しかし雰囲気的にそんな事は言えないので、僕も改めて佇まいを正してから自らの気持ちをスカーレットさんに返した。
「僕としては、これ以上今回の件について言及するつもりはありませんので、スカーレットさんも気にしないでくださると助かるのですが……」
「……それ、本気で言っているのか?」
信じられないようなものを見るような視線を向けられた、解せぬ。
と思ったらフランまで同じような視線を……いや、まあその気持ちは判らなくもないけど。
「フランは今回の事を反省して、無意味に力を使って誰かを傷つける事はしないと約束してくれました。
そして僕は生きているし、こうして食事や寝床も用意してくださっていますから、それで充分です」
「しかしだな……」
「なら……1つだけ。フランの事を怒らないであげてくれませんか?」
「むっ……」
僅かに眉を潜めるスカーレットさんを見て、予測が当たった事を確信した。
スカーレットさんはこの紅魔館の主、吸血鬼としてのプライドや責務を重んじる性格だというのは短い付き合いでもなんとなく理解できていた。
だからこそ今回のフランのやった事を容易に許すことはできないと考えているだろう、けれどそのせいでこの姉妹の仲が悪くなってしまう事を僕は望んでいない。
なかった事にはできない、それぐらいは僕にだって判る。
だから反省するように願った、そして彼女の態度を見ればきっと大丈夫だと認識できたからこそこの話をこれ以上蒸し返す気にはならないのだ。
「ふむ……正直な話、お前の甘さというよりも能天気さには呆れよりも恐怖を覚えるよ」
「うっ……」
「だが他ならぬお前がそれでいいというのならそうしよう……と言いたいが、そういうわけにはいかない」
歴史あるスカーレット家として、今回の件を不問にする事などはできないとレミリアさんは言う。
たとえ被害者である僕が望まなくとも、こちらの非をなにかしらの方法で償わなければ吸血鬼としての誇りとスカーレット家の家としての沽券にかかわる。
大袈裟な……正直そう思ったものの、レミリアさんの考えもわかったので納得する事にした。
「とはいえどうするか……金品などは望まないだろうし、ナナシは何かないか?」
「ないですよ。そもそも僕はもういいって言っているんですから……」
「……ではこうしよう、とりあえず今は保留にするとして……ナナシが力を欲した時に、喜んで協力する。それならばお前も気にする必要はあるまい?」
「まあ、それなら……」
ようするに“貸し”を作っておくという事なのだろう、もうなんでもいいやと思ったのですぐに承諾する事にした。
無碍にするのは失礼だと思ったし、何よりここで余計な一言を返せば……冷め始めている咲夜さんの朝食が食べられない。
「……ではそろそろ朝食にしようか」
僕の心中を察したのか、スカーレットさんがそう言ってくれたので。
「い、いただきます」
「いただきまーす!!」
両手を合わせ、朝食を食べ始めた。
クロワッサンにベーコンエッグにサラダ、目玉焼きはトロリと半熟具合。
永遠亭では和食だけだったから、洋食は久しぶり……かもしれない。
「あ」
「? ナナシ、どうしたの?」
「……八意先生達に、連絡しないと」
きっと心配しているだろう、特に八意先生と鈴仙さんは僕が頼りないせいか特に心配しているかもしれない。
「それならば心配するな、既に竹林の連中には使い魔を送って連絡しておいた」
「あ、ありがとうございます」
「迎えが来るまで好きなように寛ぐがいいさ、遠慮をしなくてもいいよ」
「そうだよお兄ちゃん、フランが紅魔館を色々案内してあげようか!?」
身を乗り出す勢いでそんな事を言ってくるフラン。
そういえば、色々ゴタゴタしてたから紅魔館をゆっくり見ることなんてなかったな。
ならお願いしようかな、そう思い口を開いた瞬間……視界が揺れた。
「っ……」
左手で額を押さえる、視界は先程と変わらず揺れていた。
朝食を食べて少しはマシになったと思ったけれど、僕の身体はまだ本調子には程遠いようだ。
「ナナシ?」
「……ごめん、少し休ませてもらえるかな」
「そうだな。顔色も悪いし案内は次の機会にした方がいい」
「えー……」
不満げに唇を尖らせるフランだが、僕の顔を見てそれ以上は何も言ってこなかった。
……あまり、人に見せて良い顔色ではないようだ。
幸いにも食欲はあったので朝食は全て平らげ、スカーレットさんはフランを連れて……。
「ああ、そうだ」
「?」
「ナナシ、これからはわたしの事はレミリアでいいし敬語も要らないよ」
お前は、わたしの友人になったのだからな。
そう言って、びっくりするくらい妖艶な笑みを見せられたものだから。
そんな不意打ちに対応できるわけがなく、僕は顔を赤らめレミリアさんから視線を逸らす事しかできなかった。
■
ベッドに身体を預けながら、ぼーっとする事暫し。
気がつけば時刻は午前十時を回っていた、朝食を食べたのが確か七時半ぐらいだったから……二時間以上ぼけーっとしていたのか。
でもその甲斐あって体調は先程よりずっと良くなっていた、この分なら今日一日休めば元に戻ってくれる筈だ。
「――ナナシ様、咲夜です。入っても宜しいでしょうか?」
「咲夜さん? はい、どうぞ」
失礼します、そう言いながら部屋に入ってきた咲夜さんの手にはモップ等の掃除用具が握られていた。
もしかして部屋の掃除をするつもりなのだろうか、もしそうならここから出ておかないと……。
「部屋の掃除に来たわけではありませんよナナシ様、ゆっくり休んでいてください。その代わりというわけではありませんが……少し、お話をしませんか?」
「えっ、それはいいですけど……」
僕の返答にありがとうございますと返しながら、部屋の隅に持っていた掃除用具を立て掛ける咲夜さん。
そして僕が居るベッドへと歩み寄ってから。
「――ありがとうございました、ナナシ様」
これ以上ないくらいの感謝の念を込めて、彼女は僕に向かって深々と頭を下げてきた。
「はい?」
「お嬢様と妹様の戦いを止めてくださった事、そしてお嬢様に妹様を叱らぬように仰ってくださった事、本当に感謝しております」
「いえ、そんな……感謝されるような事は……」
あの願いはあくまで僕の自己満足、今回の件で2人の間にわだかまりが残ってしまうのが嫌だっただけだ。
「……お嬢様も妹様も、お互いにお互いとどう接していいのかまだ完全に見極めていないご様子なので、ナナシ様の寛大な御心には感謝しかないのです」
「? 咲夜さん、それは一体どういう意味なんですか?」
レミリアさんもフランも、お互いにお互いとどう接していいのか判らない。
実の姉妹だというのに、それはおかしいのではないかと思い問いかける。
「妹様は495年以上、地下で幽閉されていたのです。当然その間、お嬢様と共に過ごすという事は叶いませんでした」
「えっ!? な、なんで……」
「妹様には強大で危険な力が宿っているのです、まあ尤も妹様自身が引き篭もっていたからこそつい最近まで地下から出なかったというのもありますが」
「…………」
成る程、さっきの言葉の意味が今の説明で理解できた。
姉妹でありながら今まで家族として過ごす時間が殆どなかったのなら、お互いにお互いとどう接すればいいのか判らないのは当然だ。
思い返せば、レミリアさんはフランに対して何処か高圧的な物言いで話していたし、フランはレミリアさんに対して見下すようにしながらも強がっているようにも見えた。
「前に起きたとある“異変”を経て妹様も地下以外の場所で過ごすようにはなりましたが、お嬢様との間には僅かな壁を作っているように見えるのです。
500年近くの溝はそう簡単に埋まらないのは私とて理解しています、少しずつでもいいからお互いに歩み寄ってくだされば良いと私は思っているのです」
その意見は、正しいと思った。
すぐに遠慮ない家族としての振舞いなどできるわけがない、故に少しずつでもいいから姉妹としての時間を大切にしてほしい。
紅魔館のメイドとしてではなく、レミリアさんの従者からでもなく、ただ純粋に……あの2人を慕うからこそ願う咲夜さんの想いは尊く正しいものに映った。
だからこそ、今回の件によって2人の溝が深まる事を彼女は危惧し、事を大きくしようとしなかった僕に感謝したのだろう。
……やっぱり、この選択を選んでよかったと改めてそう思える。
あくまで偶然ではあるけれど、目の前で僕に感謝してくれている彼女の危惧を晴らせたのだから。
「咲夜さんは、本当にレミリアさん達の事が大切なんですね」
「はい。生きている限りはずっと一緒に居ると、誓った御方ですから」
自らの誓いを改めて言い聞かせるように、誇らしげな表情を見せながら咲夜さんは言った。
その忠誠心は本当に強く、僕なんかが考えに及ばない程に大きなものなのだろうと認識させられた。
そして同時に、そんな忠誠心を向けられるレミリアさん達と友人になれた自分が、ちょっとだけ誇らしくなった。
「……不思議な方ですね、ナナシ様は」
「?」
「人の身でありながら、お嬢様の事はあくまでも知り合いであり友人と思ってくださっている。命を奪いそうになった妹様の事もそう思っているのですから驚きです」
「それ、は……」
確かに、普通に考えれば僕はおかしい人間なのだろう。
殺されかけた、それも無慈悲に容赦なく蹂躙しようとした相手に対しても、理不尽こそ感じたが憎しみは抱いていない。
それは人として何かが欠落しているようにしか思えない、人間というのは痛みや理不尽を与えてきた相手を憎む事でしか己を保てない生物だ。
全てを赦そうとする菩薩にでもなったつもりなのか、とにかく僕は色々な意味で普通ではないと認識せざるをえない。
――気味の悪い、生物だ。
「…………」
一度そう思ってしまうと、自らに抱く嫌悪感は瞬く間に増していく。
さっきの選択だって、打算と偽善に満ちたものでしかないのではないかと思わずにはいられない。
「ナナシ様」
「っ、咲夜さん……?」
僕の思考を中断させるように、咲夜さんは突然僕の手を自身の両手で包み込むように握り締めてきた。
顔を上げると、咲夜さんは悲しそうに顔を曇らせ僕に視線を向けている。
「すみません、ですが何だかナナシ様がお辛そうでしたので……」
「……いえ、ただ殺されかけた相手に何の憎しみも抱かない自分が気味の悪い存在だと思っただけですから、気にしないで……」
「っ、それの、何が悪いのですか?」
「えっ……」
咲夜さんの視線が鋭くなる。
それがまるで怒っているような気がして、否、明らかに彼女は怒っていた。
「それは優しさというものなのです、争いを好まず、どんな理不尽も受け入れ、相手を赦し、歩み寄ろうとする強さです。それの何処が気味の悪いものだというのですか?
御自分で御自分を貶める事などありません、少なくとも私は……ナナシ様のその考えは正しいものだと思っていますから」
真っ直ぐに、強い口調で咲夜さんは言う。
その真剣な目と表情を見て、彼女は本気でそう思っているのが判り、自分自身に対する嫌悪感が少しだけ薄れていくのを感じた。
「ぁ……も、申し訳ありません。いきなりこんな……」
慌てて僕の手を放し素早い動きで離れる咲夜さん。
羞恥心からか僅かに頬を赤らめるその姿に、おもわず頬を綻ばせた。
……それがお気に召さなかったのか、彼女の視線に冷たさが宿り背筋に悪寒が走った。
「どうやら、お辛そうに見えたのは私の気のせいだったようですね」
「あ、その、咲夜さん……?」
「人の恥ずかしがる姿を見て笑うなんて、ナナシ様は見た目とは違ってとても意地悪な殿方だとよーーーく理解しました」
「ちょ、それは誤解ですって!!」
弁明しようとするが、咲夜さんは僕に向かってにっこりと、それこそ何も話せなくなるくらいに恐ろしい笑みを見せてきた。
その迫力に圧されて縮こまる僕にも、咲夜さんは笑みを浮かべるだけで何も言ってこない。
笑ったわけではないというのに、この態度はあんまりではないか。
口には出さず心の中で悪態を吐く、だって口に出したら数倍にも返ってきそうだから言えるわけがない。
このまま針の筵状態が続くのだろうか……そう思った矢先。
「――ちょっとナナシ、一体何をしてるのよ」
「そーだそーだ、結構良い雰囲気だったのに……お兄ちゃんってば乙女心をわかっていないわよねー」
ノックもせずに部屋へと入ってきてそんな事を言い出す、スカーレット姉妹が現れた。
2人とも不満げに唇を尖らし、僕を責め立てるような視線を向けてきている。
……もしかして2人とも、今までのやりとりを覗いてたんですか?
「当たり前だ、咲夜が男と2人っきりになるなんて初めてだからな。ここは主としてお節介をしたくなるだろう?」
「本当にお節介ですね、それ」
「お、お嬢様……ナナシ様とは別に、そういった関係では……」
「そんな事は知っているさ。だが咲夜、はっきり言ってお前には全然男の気配がない。このままでは行き遅れるのは目に見えている」
「余計なお世話です!!」
本当に余計なお世話である、というか多分本音はそんなものじゃない。
この2人はただ僕達をからかう材料が欲しいだけだ、咲夜さんもそれが判っているから怒っているのだろう。
「そもそも、ナナシ様をそんな事に巻き込むなんて迷惑だと思わないのですか?」
「思わん」
「言い切ったよ」
それも踏ん反り返りながら、「一体何が悪い?」と言わんばかりの態度で。
これには咲夜さんも絶句し、呆れたように溜め息を吐きながら頭を抱え始めてしまう。
「お互いにお互いでは不満なのか? こう言ってはなんだが、それなりにお似合いだと思うけどね」
「な、何言っているんですか……」
顔が熱くなる、くそっ、からかわれているのは判っているのに。
「咲夜もナナシの事を気に入ったんでしょ? そうじゃなかったらさっきみたいにお前が何の警戒もなく他者の手を握り締めるなんて真似をするとは思えないし」
「…………」
咲夜さんは無言を貫く、けれどその顔は赤く染まっていた。
「見ろナナシ、咲夜がこんな風に羞恥心を露わにするのは珍しいんだ。つまり脈ありという何よりの証拠であってだな――」
「っっっ」
瞬間、視界が赤く染め上げられた。
一体何が起きたのか、すぐに理解はできない。
先程まで居た筈の咲夜さんの姿は、影も形もなくなっており。
先程まで愉しげな笑みを浮かべていたレミリアさんは、自らの身体から流れる血の海に沈んでいた。
一瞬にも満たぬ刹那の間に作り上げられたこの惨劇に、僕もフランも言葉を失う中。
「……あー痛い、アイツめ……いくらからかいが過ぎたとしても脳天を銀のナイフでめった刺しにする事ないでしょうに」
レミリアさんはむくりと起き上がり、頭部に刺さった十数本のナイフをブツブツと文句を言いながら抜いていった。
またしても言葉を失い、目の前に広がるスプラッターな光景から視線を逸らす事しかできない。
……なんだか気分が悪くなってきた、吐きそう。
「心配するなナナシ、銀のナイフは吸血鬼に対して弱点ではあるが、流石に死ぬほどの事ではないから」
「わ、わかりました……わかりましたから、頭から血をドバドバ出しながら平然とした顔で近寄ってこないでください……」
暫く、この光景は夢に出てくるかもしれない。
押し寄せる吐き気と戦いながら、僕は必死にレミリアさんを見ないように視線を逸らし続けた。
■
「――大丈夫?」
「え、ええ……大丈夫です……」
迎えに来てくれた八意先生の心配そうな問いに、渇いた笑みしか返せなかった。
紅魔館の正門前には、レミリアさん達がわざわざ見送りに来てくれたのだが……咲夜さんはやはりというか少し気まずそうだ。
「ナナシ、いつでも紅魔館に遊びに来るといい。歓迎するよ」
「今度は色々と案内してあげるね、お兄ちゃん!!」
「あ、ありがとう……」
「随分と仲良くなったのね、ナナシ」
「ええ、まあ……」
視線を咲夜さんに向ける。
……やっぱり、気まずいまま別れるのは本意じゃない。
「咲夜さん」
「あ、はい……なんでしょうか?」
「えっと、その……」
声を掛けたはいいものの、何を言えばいいのかわからなくなる。
そんな僕にどこかワクワクしたような視線を向けるレミリアさん達、気が散るんでやめてください。
向けられる視線を無視しながら、暫し思考を巡らせて……言いそびれていた事を思い出し、口を開いた。
「さっきは、ありがとうございました」
「……はい?」
「僕の事を優しいと言ってくれて、凄く嬉しかったです」
さっきは言えなかった感謝の言葉を、はっきりと彼女の顔を見て告げた。
最初は何を言われているのか判らなかったのか、キョトンとする咲夜さんだったが。
「――私はただ、自分の正直な気持ちを口にしただけですよ」
穏やかな表情と声で、そう言葉を返してくれた。
気まずさは消え、僕達はお互いに笑みを浮かべ合う。
和やかな雰囲気に包まれ、自然と気持ちも晴れやかなものになっていく。
ああ、今日は良い一日になりそうだ……。
「そこだナナシ、男らしく咲夜を抱き寄せて唇を奪うのよ!」
「お姉様、それはちょっといきなり過ぎると思うの。ここはまだ知り合ったばかりだしハグ程度で抑えておかないと」
「ナナシにはその程度でも難問ね。何せ輝夜のからかいに毎回たじろいでいるもの」
「…………」
お三方、うるさいです。
それと八意先生までレミリアさん達と悪ノリしないでください。
「……それじゃあ、また」
「はい、ナナシ様」
「あっさりしてるわねー、もっとこう……ないの?」
「そうそう。ナナシもそうだけど咲夜も淡白よねー」
吸血鬼姉妹、うるさいですよ。