この儚き幻想の地で為すべき事は。   作:マイマイ

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4月13日 ~仕組まれた生き方~

 …………熱い。

 身体が、内側から焼けているかのようだ。

 じくじく、じくじく、そんな音が聞こえてくるような気さえした。

 

「……うっ、く……」

 

 熱は少しずつ、確実に広がっていく。

 身体だけでなく、心も溶かすかのような熱に、思考が茹だる。

 それから逃れたくて、振り払うように手を振ろうとして……感覚が無い事にようやく気がついた。

 

「は、ぁ……うぅ……」

 

 手の感覚がない。

 足の感覚がない。

 全身の感覚が、ない。

 

 この身を溶かす熱が、全てを消し去ろうとしている。

 逃れる術はない、そもそもこの熱は人間如きがどうこうできるものではないのだ。

 

 そう、人間のままではこの熱は。

 この力は、扱いきれるものではない――

 

〈おい〉

「っ、あ……っ!!」

 

 八咫烏の声で、現実に引き戻される。

 永遠亭の自室で、僕は布団の中に寝かされていた。

 ……感覚は、あるな。

 さっきのは夢だったのか、五感どころか身体の全ての感覚が消え去ってしまったような気がしたけど……。

 

「……あっつ……」

 

 身体が、燃えるように熱い。

 それに全身の節々がひどく痛む、筋肉痛とはまた違う刺すような痛みだ。

 

〈オレの熱がお前の身体に残っているんだ。力を使い過ぎた反動だな〉

「…………」

 

 痛みと熱は、明確な不快感を与えてくる。

 それを無視して、何が起こったのか思い出そうとする。

 

〈あの2人は無事だ、今はそれぞれの場所に帰ってる。怪我らしい怪我も負ってない〉

(……そっか、でも一体誰があの状況で助けてくれたんだ?)

〈…………八雲紫だ〉

(八雲さんが?)

 

 意外な人物の名前が出て、驚いた。

 どうしてあの人が僕達を助けてくれたのか、何故襲われている事に気がついたのか。

 浮かぶ疑問も、それ以上に気になる事があるせいか、僕はすぐに忘れて八咫烏に次の問いかけを放った。

 

(あの男は?)

〈逃げた。というよりいきなり消えた、どういうわけかは判らんがな。それからもう丸一日お前は眠っていたんだ〉

(そう……)

 

 とにかく、あの2人が無事でよかった。

 八雲さんにもお礼を言わないといけないし、その前に……八咫烏には謝らないと。

 

(ごめんね八咫烏、また無茶な事をして心配掛けて……)

〈……いや、いい〉

 

 てっきり怒られ、嫌味の1つや2つは覚悟していたのだが、帰ってきた言葉は呆気ないものだった。

 

〈謝らなきゃいけないのは、オレの方だ〉

(えっ?)

 

 謝るとは、どういう事なのか。

 思い返しても、僕が謝る事はあっても彼が謝る事などなかった筈だ。

 疑問に思っていると、八咫烏は僅かに間を開けてから。

 

〈――ナナシ、お前の過去を観てしまった事を許してほしい〉

 

 そう言って、八咫烏は謝罪の言葉を口にした。

 

(僕の、過去……?)

〈正確にはお前の今までの記憶だ、お前がオレの依代となり互いの繋がりも深くなってきた。だがそれは同時にお前の魂との繋がりが深くなった事を意味する〉

(……どういう、意味?)

〈魂とはその者の全ての軌跡が記録されている媒体のようなものだ、つまりお前自身が忘れ去ってしまった記憶も全てそこに記録されている。

 先の戦いでお前がオレの力を更に引き出せるようになったと同時に繋がりがまた深くなった、……お前が眠っている間に、オレはお前の今までの記憶を観てしまったんだ〉

 

 だから八咫烏は僕に謝った、でも彼は決して故意に観たわけではなく半ば強制的に観てしまったらしい。

 でも、僕は別に気にしていない、というか気にする必要なんかなかった。

 だって観られた所で困る記憶なんて持ち合わせていないだろうし、何よりも……記憶喪失である自分からしてみれば、その記憶は他人の物のようなものなのだから。

 

(いいよ謝らなくて。別段興味があるわけじゃないし)

〈……興味がない? 自分の記憶なのにか?〉

(うーん……まあ、確かにまったく気にならないといえば嘘になるけど、だからってどうしても知りたいとも思わないし……)

 

 今の僕はナナシ、永遠亭で八意先生達の手伝いをしながら幻想郷で生きている人間だ。

 だから記憶を失う前の自分に、そこまでの執着はなく、しかし。

 

〈…………そういう事かよ。あの女ぁ〉

 

 そんな考えに至る事自体が間違いであり異常である事を。

 僕は、八咫烏の言葉で思い知る事になる。

 

〈ナナシ、お前は外の世界に戻れ。今すぐにだ〉

(は……?)

 

 八咫烏が何を言っているのか判らず、間の抜けた反応を返してしまった。

 そんな僕には構わず、彼は尚も言葉を続ける。

 

〈お前はここに居ない方がいい。少なくともあの女……八雲紫が居るこの幻想郷には〉

(……八咫烏、急にどうしたの? 八雲さんが何をしたっていうんだ?)

〈あの女はお前の恩人なんかじゃない、そればかりか今のお前を作り出した元凶なんだ〉

(げ、元凶……?)

 

 切羽詰ったその声で、八咫烏が決して冗談の類を言っているわけではないというのは理解した。

 ただ、それでも言葉の意味を素直に受け入れる事はできず、困惑してしまう。

 

〈お前は外の世界では高校生と呼ばれる学生だった。

 親は共働きであまり家に居なかったが、学校ではそれなりに友人に囲まれていた。部活はバレー部に所属、今まで大きな怪我を負った事や事件に巻き込まれた事もない、至って普通で平和な日々を過ごしていた〉

(……それが、記憶を失う前の外の世界で暮らしていた僕なの?)

〈そうだ、そしてそんな平和な世界で生きてきたお前をこの幻想郷に連れてきたのが……あの八雲紫だ〉

 

(八雲さんが……)

〈それだけじゃない、あの女はお前をここに連れてくる前にお前を殺しかけた。いやあの様子じゃお前が死んだ所で構わないといった様子だった〉

 

 忌々しげに、八咫烏は吐き捨てる。

 ……信じられない、八雲さんが僕を幻想郷に連れてきた張本人だという事も勿論だけど、殺しかけたという事実が信じられない。

 だが八咫烏の声に込められた八雲さんに対する明確な怒りと憎悪の感情が、その言葉に嘘偽りなどないと告げていた。

 

〈オレが観たのは学校の帰り道、突然八雲紫がお前を襲い命を奪おうとした光景だけだ。あの時どういった会話を交わしたのかは判らないが……アレがお前を殺そうとしたのは紛れもない事実だ〉

(で、でもどうしてあの人が僕を殺そうとする必要があるんだ? 僕はただの人間だったんだろう?)

〈これは推測だが、限りなく“死”に近づけることによってお前の中に在った力を強引に引き出そうとしたんだろう。結果としてお前は自らの力を引き出し一命を取り留めたが手段としてはあまりにもお粗末で強引だ〉

 

 ……そういえば、初めて幻想郷で目覚めた時、怪我をしていたっけ。

 でもその傷は殆ど塞ぎかかっていて、思えばあれは八雲さんによって負わされた傷だったのかもしれない。

 

〈人は死に近い経験を経て己の力に目覚めるケースがある、お前のように幼年期から特に修行もせずに日々を過ごしていた者の力を目覚めさせるには、確かにそれが一番手っ取り早いだろうさ〉

(……あの人が、それをする理由は?)

〈知らんし、知りたくもないな。だが判るのはあの女がお前の中に在った力を自らの為に利用しようとしているという事だけだ、そしてその為にお前の生き方すら捻じ曲げた。

 ナナシ、お前は友人と認める者は勿論顔も知らぬ誰かの為に自らを犠牲にしようとする自己犠牲の塊のような考えを持っている。だがな……その考えは、八雲紫によって植え付けられたものなんだよ〉

 

(それは、どういう)

〈記憶を失う前のお前は確かに御人好しで穏やかで、一見すると今のお前と大差はなかった。それでもあそこまでの自己犠牲の精神は持ち合わせていなかったんだ。

 あの女はお前の記憶を奪う際にお前の考え方すら作り変えた、ご丁寧に前の記憶に対する執着心まで薄れさせてな〉

 

(…………)

 

 なんだよ、それ。

 じゃあ僕が自分の記憶に無頓着なのも、誰かの為に戦おうと思ったのも、みんな八雲さんの思惑だっていうのか?

 

〈今まで普通の人間として生きてきたヤツが、いきなり妖怪やら何やらと戦えるか? そんな事は不可能だ、できるとすれば元々ソイツが人間として欠陥した部分があるか……お前のように、外的要因がなければ辻褄が合わん〉

(でも、そんな事をする意味は何?)

〈普通の人間だったお前に幻想郷の恐ろしさを体験させ、何度も“死”に近い経験を積ませる事によってその力を伸ばすのが目的なんだろうさ、元凶でありながら信頼関係を結ぼうとする……反吐が出やがる〉

 

 ……まだ、八咫烏の言葉を完全に信じられてない自分がいる。

 当たり前だ、信頼していた相手が今の自分の状況を作った元凶で、しかも勝手に考え方すら捻じ曲げたなんて言われて誰が信じられるのか。

 でも、僕の中で確実に八雲さんに抱いている感情は変わってしまった。

 八咫烏の言葉や予測が真実だとしても、彼女の目的やそれを行なった理由などは予測さえもできない。

 

〈ナナシ、すぐに外の世界に戻るべきだ。紅白の巫女さんに頼めばすぐに戻してくれる。不安になるかもしれんがオレもこのままついていく、少なくともこの地に留まるよりかはマシだろう〉

(…………)

〈オレの言葉が信じられないのもわかる、だがあの女がお前に害をなす存在だと判った以上、ここに居るのは危険だとわかるだろう?〉

 

 それは、理解できた。

 でも、すぐにここを離れて外の世界に戻ったところで、自由にあちらへと移動できる八雲さんからは逃げられない。

 それ以前に、僕自身が幻想郷(ここ)を離れたくないと思っているのも……八雲さんによって思考回路を改竄されているからなのか。

 

〈問題なのは八雲紫だけじゃない、どうも最近の幻想郷は揺らいでやがる。地底での一件も今回の事も……まったくの無関係だとは思えねえんだ。

 だとすると十中八九お前は巻き込まれる、今の考え方を刷り込まれたお前は必ず首を突っ込むからだ〉

 

 そういう意味でも、幻想郷を離れろと八咫烏は訴える。

 ……でも、本当にそれでいいのか?

 もちろん僕だって平穏を望む、戦いたいわけじゃない。

 だけど、あんな奴らがまた現れて、関係ない人達が酷い目に遭ったら……。

 

 こういう考えも、八雲さんによって操作されたものなのだろうか?

 自分が本当に考えている事、望んでいる事がわからなくなった。

 

〈……流石に性急すぎたな、悪かった〉

(ううん……)

〈今は休め。だが身体の調子が戻ったのならすぐに外の世界に帰った方がいい、向こうにはお前の家族だっているんだから、記憶喪失のまま戻ってもなんとかなる〉

 

 そうか、そういえば外の世界には僕の両親が居るんだった。

 ……こうまで無頓着なのは、やっぱり異常だな。

 八咫烏の言葉を信じるしかないのかもしれない、そう自覚しながら休もうと布団へと潜る。

 

 疲労が蓄積していたのか、すぐに瞼が重くなった。

 今は何も考えずに眠る事にしよう、あれこれ考えるのは……後回しだ。

 それが問題の先延ばしになるとわかっていても、今は何も考えたくなかった。

 

「…………」

 

 八雲さん、あなたは僕に何を望むんですか?

 あの優しげな笑みの裏では、何もわかっていない僕を嘲笑っていたんですか?

 あなたは、一体何を……。

 

 

 ■

 

 

 竹林を駆け抜ける1人の妖怪兎、因幡てゐは大きく舌打ちを放つ。

 現在、永遠亭には暢気な姫様と眠っているナナシしかいない、師匠である永琳と後輩の鈴仙は所用で出掛けているからだ。

 ああ、そういえばさっき吸血鬼のお子様とその門番が運び込まれたっけか……そんな事を考えながらも、彼女は一向に動かす足の速さを緩めたりはしない。

 

――何かが、永遠亭に向かってきている。

 

 それを察知すると同時に、彼女の部下から上記の報告が入ってきた。

 てゐはすぐさま永遠亭へと戻ろうと全速力で走り出し、その行動に気づいたのかその何か達も同じように速度を速めてきた。

 かなりの速度だ、地上での速さなら誰にも負けないと自負しているてゐですら、いずれ追いつかれると思わせる程に。

 

「……まいったね、コイツは……」

 

 長年生き続けて培われた直感が、彼女に警鐘を鳴らし続ける。

 ここから離れろと、相手にするなと訴える自分自身を無視しながら、彼女は一刻も速く永遠亭に戻ろうと更に速度を上げた。

 限りなく面倒ではあるが、ここで逃げれば後で永琳にどんな仕置きをされるかわかったものではないし、何よりも……てゐ自身が気に入っている永遠亭に手出しされるのは、気に入らない。

 

「っ、とと……っ!?」

 

 地面を削りながら、慌てて立ち止まる。

 同時に、てゐが走り抜けようとした軌道上に黒いナイフが通り過ぎた。

 ……このまま走っていたら、真横から頭部にナイフが突き刺さっていただろう。

 軽く冷や汗をかきながら、てゐはナイフが飛んできたであろう方向へと視線を向け――驚愕した。

 

「な、んだよ、これ……」

 

 ナイフを投げてきたのは、人型の黒い影のような存在であった。

 肌も、目も、何もかもが黒く、人形を思わせる。

 だがそんな事よりも、その影が紅魔館のメイド長である、十六夜咲夜と瓜二つな姿なのはどういうわけなのか。

 

 彼女だけではない、その近くには紅美鈴とレミリア・スカーレットの姿によく似た影も見られ、偽者だと判っていながらも驚愕に値するには充分過ぎる。

 

「やばっ……!」

 

 目の前の光景に暫し茫然としていたてゐであったが、すぐに我に返りその場を駆け出した。

 一瞬遅れて影達も動き出し、レミリアの影は両手から黒い爪を伸ばし臨戦態勢へと入った。

 

(永遠亭には行けないな……どうしよ……)

 

 このまま永遠亭に戻れば、わざわざこの影達を案内する羽目になってしまう。

 それだけはできない、ならば今は全速力で逃げてこれらを撒くしかない。

 

 

 

(まいったね、どうも)

 

 

 

 

 

 

 


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