「ナナシ」
「なんですか? てゐさん」
「結婚して」
「っ、げほっ、ごほっ」
突然の発言に、おもわず飲んでいたお茶を噴き出しそうになってしまった。
「な、何を言っているんですか!?」
「わたしは本気だよ? 実はね、ずっと前からナナシのこと……」
潤んだ瞳を向けながら、ゆっくりと僕の所へと近づいてくるてゐさん。
その視線から逸らす事ができず、かといって逃げる事もできず……気が付いたら、ちょうど彼女が馬乗りになるような体勢になってしまっていた。
頬を赤らめ、もじもじとする彼女の姿はとても可愛らしく、こっちの顔も熱くなっていく。
「ナナシ……」
「ま、待ってくださいてゐさん。いきなりそんな事言われても僕は……」
そう言っても彼女は止まってくれず、吐息がかかるぐらいまで迫られて……。
「てぇゐっ!!」
「あだっ!?」
おもいっきり、頭突きをお見舞いされた。
突然の事態と痛みで思考は停止し、悶絶しながら混乱していると。
「あはははっ、ひっかかったひっかかった!! ナナシ、今日はエイプリルフールだよ?」
「う、ぐ……エ、エイプリルフール?」
ズキズキと痛む頭を押さえながら、カレンダーを見やる。
確かに今日の日付は4月1日、エイプリルフールの日だった。
……ちょっと待て、じゃあ僕はからかわれたというのか?
「いやー、初々しい反応が見れて満足満足」
「…………」
「そう睨まないでよナナシ、今日は嘘を付いても許されるんだよ? それに、アンタだって満更でもなかったでしょ?」
「な、何を言っているんですか!!」
ちくしょう、明確に否定できない自分が情けない。
ひとしきり笑って満足したのか、てゐさんは最後に小馬鹿にしたような笑みを浮かべて部屋を出て行った。
くっ、あのう詐欺さんめ……毎度毎度引っ掛かる僕も僕だけど。
「どうしたの?」
「あ、輝夜さん……」
「おでこが赤くなってるわね、ちょっと見せて」
輝夜さんの細い指が、ゆっくりと僕に近づいてくる。
避けるのは失礼かと思いじっとしていると、まるで壊れ物を扱うかのような優しい手触りで、輝夜さんは僕の額を撫でてくれた。
「っ」
「あら? 今度は顔が真っ赤になったわね」
さっきとは違う緊張が走り、そんな僕を不思議がりながら輝夜さんは両の手を僕の額に添える。
それだけでは止まらず、もたれ掛かるかのように輝夜さんは身体を僕へと預けてきてしまった。
柔らかくて、軽い感触が否応もなく緊張を増幅させ、呼吸も上手くできない。
「ますます赤くなった、大丈夫?」
眼前にはきょとんとした輝夜さんの顔、永遠の美しさを放つ美貌を前にして思考が停止する。
ま、拙い……これ以上この甘美な時間を満喫してしまったら、色々と拙い。
口で説明するのは憚られる事態に発展しかねない、けれど跳ね除けるなんて僕にはとても……。
「…………んふふ」
「んがっ……」
いきなり鼻を摘まれ、変な声が出た。
それも結構強めだったから、放された後は結構痛かった。
「本当に可愛らしい反応ね、おもわずもっと悪戯したくなっちゃった」
「か、輝夜さん……?」
「ナナシ、愛してるわ」
「っ」
今度こそ、呼吸が止まった。
「好き好き、アイラブユー!!」
「あ、あの……その……」
「本当に愛しているわ、ナナシ」
耳元で囁かれる。
ぞわりと身体が震え、止まっていた呼吸が動き出した。
――顔が迫る。
てゐさんと同じように、互いの吐息が掛かる距離まで輝夜さんの顔が近づいてきている。
このままだと唇が触れ合ってしまう、それなのに拒めず振り払うことすらできない。
二十センチ、十センチ、五センチ……そして、二センチほどまで狭まった瞬間。
「えいっ」
「わっ」
額に軽い衝撃が走る。
……デコピンをされた、唖然とする僕を見て輝夜さんはそれはもう楽しげに笑っていた。
「……もしかしなくとも、からかいました?」
「ご名答。あなたをからかうのって楽しいんだもの」
「おかしいと思ったんですよ、いきなり好きだの愛してるだの言うんですから……」
平静を装いながらも、僕の鼓動は早鐘を打っていた。
女性に耐性がない僕にとって、今の嘘はなかなかに心臓に悪いものだ。
まあ、それを知っているからこそてゐさんも輝夜さんもからかうんだろうけど。
「輝夜さん、いくらエイプリルフールだからって今みたいな嘘はやりすぎだと思いますよ」
別にそこまで気にしていなかったが、せめてものお返しにと反論してみた。
「ふふっ、ごめんなさい。でもナナシ、愛してるは言い過ぎかもしれないけど……大好きなのは本当よ?」
「っ」
「これはウソじゃないから、ね?」
そう言って、部屋を後にする輝夜さん。
……ダメだ、やっぱりあの人には一生勝てそうにない。
顔、熱いな……暫くジッとしていよう。
■
「ナナシさんナナシさん」
「鈴仙、どうしたの?」
顔の熱を冷ましてから部屋を出ると、何やらいつもと違う様子の鈴仙に声を掛けられた。
そのいかにも「これから悪戯します」と言った様子は、とてもわかりやすく彼女らしい態度だ。
「実は私って……生物じゃないんですよ」
「えっ?」
「私は月の叡智が生み出した、サイボーグなんです!!」
何故かドヤ顔を決めつつ、そんな事を言ってくる鈴仙。
いや、サイボーグって……嘘をつくなら、もう少し信じられる嘘をつけばいいのに。
これもまた鈴仙らしいといえばらしいけど、あまりにも自信満々に言ってくるものだから反応に困る。
「――あらウドンゲ、あなたもようやく気がついたのね」
「…………えっ?」
八意先生の言葉に、僕も鈴仙も固まってしまった。
えっ、ようやく気がついたって……えっ?
いや、だって今のは鈴仙の冗談じゃないのか?
「いつ気がつくのかと思ったけど、思ったより早かったわね」
「え、や、し、師匠……?」
「自覚できたようで嬉しいわ、もしかしたら一生気づかないのかと心配したのよ?」
「えっ……えっ?」
身体を震わせ、ダラダラと冷や汗を流す鈴仙。
一方の八意先生は、狼狽している彼女を前にしても、真剣な表情を崩そうとは……。
「……んん?」
いや、よく見ると口元が僅かに吊り上っている。
鈴仙はすっかり混乱している為に気づかないようだけど……これは、あれだな。
「八意先生、それ嘘ですよね?」
「あら、どうしてそう思うのかしら?」
「隠すのなら、その笑みも隠してくださいよ」
しかもこれ見よがしに、わざとらしく笑みを深める辺りタチが悪い。
「今日はエイプリルフールだから、便乗してみたわ」
「……鈴仙、本気で信じちゃってますよ」
ちらりと、八意先生と共に鈴仙へと視線を向ける。
先程の八意先生の言葉をすっかり信じてしまっている今の彼女は、全身を震わせ、目は虚ろ、ブツブツと何かを呟き続けている。
批難するように八意先生へと視線を戻すと、「てへぺろ」とどっかで見たようなポーズを見せ付けてきた。
「どうしましょうか?」
「それはこっちの台詞なんですけど」
「そうねえ……このままだと流石に可哀想だし。鈴仙ー、正気に戻りなさいな」
「ブツブツ……」
「あ、ダメねこれは」
「簡単に諦めないでくださいよ!!」
なんでこんなにやる気がないんだこの人は。
僕も呼びかけてみるが応答なし、マジでどうしよう……。
「……うん、こうなったら最終手段ね」
「えっ――うわあっ!?」
後ろから突き飛ばされ、身構えていなかった僕はそのまま鈴仙も巻き込んで地面に倒れ込んでしまう。
「いてて……ごめん、鈴仙……」
「…………」
膝打った……地味に痛い。
何をするんですかと八意先生に文句を言おうと立ち上がろうとして……僕はそれに気づく。
眼前には顔を赤らめた鈴仙、対する僕は彼女を押し倒すような恰好のままで……。
「わああっ!! ごめん鈴仙!!」
慌てて飛びのくように鈴仙から離れる、せっかく冷ました顔の熱はすっかり熱くなってしまっていた。
や、やばい……女の子を押し倒すなんて、完全に拙い事態だ。
怒られる、そう思い身構える僕だったが。
「…………」
対する鈴仙は何も言わず、黙って僕を見つめていた。
その視線も非難めいたものではなく、なんだか熱っぽくて何か期待するようなものに見える。
……期待って何だ? それよりどうして鈴仙は怒らないのだろうか。
「あ、あの……鈴仙?」
「……っ、あ、ぅ……ごめんなさい!!」
何故か謝罪の言葉を叫ぶように放ちながら、猛ダッシュで走り去っていく鈴仙。
そのあまりの素早さと態度に、僕はその後ろ姿を黙って見つめる事しかできなかった。
「あらら……これは予想以上の反応ね」
「……八意先生、鈴仙はどうしたんでしょうか?」
「あらあら、こっちも予想以上の酷さね」
呆れたような視線を向けられてしまった、何故?
「というか八意先生、いきなり突き飛ばすなんて酷いじゃないですか」
「ごめんなさいね、でも鈴仙も正気に戻ったしよしとしましょう」
「あれを正気に戻ったというのでしょうか……?」
「大丈夫よ。その内いつもの鈴仙に戻るから」
だから心配しないでと先生に言われ、釈然としないながらも納得する事にした。
それにしても疲れた……エイプリルフールって、こんなに疲れる日だったか?
僕もついでだから何か嘘でもついてみようかと当初は思ったが、もうそんな元気はない。
この調子だと外に出たら他の人にもからかわれそうだから、今日は永遠亭から出ないようにしよう。
そう思い、この日はおとなしく永遠亭でのんびり過ごす事にしたのだった。
余談だが、暫く鈴仙には避けられるようになってしまった。
ぐぬぅ……元凶は八意先生だが僕にも少なからず責任があるから仕方ないかもしれないけど、友達に避けられるというのは地味に精神的ダメージがあるな。