そこに居る妖怪魚を捕まえようとしたんだけど、その想像以上の大きさに大苦戦。
一度逃げる事にしたけど……どうすればいいんだ?
「いいですよー、もっと緊迫感のある表情をお願いしまーす」
「射命丸様、気が散るんで黙っててください!!」
椛さんの怒り心頭といった声が響き渡る。
だがまあ仕方ない、現在僕達は川を下るように逃げており、後ろからは当然妖怪魚が泳ぎながら追いかけてきている。
そんな状況だというのに、僕達の前を飛びながら器用にカメラのシャッターを押しまくっている射命丸さんを見れば、怒鳴りたくなるものだ。
「でもこのままだと麓まで行っちゃいますね、どうするんですか?」
「…………」
確かに、このまま逃げ続けても事態は好転しない。
そればかりか、あんな危険な妖怪魚を麓まで……つまり、霧の湖付近まで連れて行ってしまう事になる。
だがどうすればいい? 現状ではあの妖怪魚に決定打を与える手段が見つからない。
椛さんは武器を折られてしまったし、僕や鈴仙の攻撃もまともに通じなかった。
唯一、妖夢の斬撃は通ったけど致命傷には程遠い、何か良い手はないのか……?
「……皆さん、少しでいいのでアレを相手をお願いできませんか?」
意を決したような妖夢の言葉に、全員の視線が彼女に集中する。
「あの妖怪魚の装甲はかなりのものです、ですが冥想斬の一撃は通用しました。
ならば、私の全霊力を込めた一撃ならば仕留められるかもしれません。生半可な攻撃が通じない以上、これに賭けたいと思うのですが」
「ほ、本当に通用するの妖夢?」
「わかりません、ですがこのままヤツをこの山から出す訳にもいきませんし、何よりも私にはあれを幽々子様の元へ持っていく必要があります」
このような状況だというのに、妖夢はあくまでも主の願いを優先している。
……その心が届いたのか、まず最初に椛さんが止まり僕達に向かって背を向けた。
「いいでしょう。此方としてもあのような危険な生物を山から出す事もこのままにしておく事もできません、ですが……必ず仕留められるようにしてくださいね?」
「は、はい。任せてください!!」
「えぇー……ホ、ホントにまたアレの相手をしないといけないの?」
「恐いのなら、隅っこで震えていても結構ですよ?」
「バ、バカにしないでよ!!」
鈴仙、声が震えてる……。
無理をしないでと言っても、「大丈夫ですから!!」と引き下がらないのは彼女らしいというべきか。
だけど光明は見えた、僕達は妖夢が力を溜めている間、どうにかアレを引付けておかないと……。
〈盛り上がってる所悪いが、あの嬢ちゃんだけの力じゃ無理だぞ?〉
(えっ……!?)
打開策を見つけたと思った矢先に、八咫烏から空気を読めない言葉が飛び出す。
〈空気が読めないって……まあそれはともかくとしてだ、あの怪物魚の皮膚はとんでもない堅さだ。
嬢ちゃんの剣技や霊力が悪いってわけじゃないが、それでも今一歩届かないだろうなあ〉
(そんな……じゃあどうすればいいのさ!?)
〈それは知らん。元はといえばお前が首を突っ込んだ案件だ、責任を持ってお前達だけで解決しろ〉
なんて無責任な!?
……だけど、八咫烏の言葉は決して間違ってはいない、乱暴ではあるけど。
でも、もし今の言葉が本当だとしたら打つ手がなくなってしまう。
妖夢は次の一撃に自分の力を全部使うつもりだ、それで倒せなかったら彼女抜きで戦う事になる。
既に椛さんと鈴仙は、妖怪魚の気を引くために囮役を実行している。
このまま何もしないわけにはいかず、かといって先程の八咫烏の言葉が僕の行動を鈍らせる。
〈ったく……しょうがねえなあ、じゃあヒントをやるよ〉
(えっ?)
〈あの嬢ちゃんだけの一撃で届かねえのなら、単純に足し算をすれば良い〉
それだけを言って、八咫烏は今度こそ引っ込んでしまった。
足し算……つまり妖夢の斬撃に、別の力を与えればいいという事なのか?
別の力、だけどただ単純に他の人の霊力や妖力を与えたところでたいした意味は……。
「…………あ」
そうか、そういう事か。
八咫烏の言葉を理解した僕は、囮役……ではなく、長刀を構えたまま力を溜めている妖夢の元へ向かう。
「ナナシさん……?」
「妖夢、この刀は自分以外の力を付与する事はできるの?」
「えっ? ええ、おそらくは可能かと思われますが……」
「なら妖夢はそのまま力を溜めることに集中して!!」
言うと同時に、精神を集中させて内側へと意識を潜り込ませる。
両手を翳し、そこに八咫烏の炎を展開して……それを、少しずつ妖夢の刀へと送り込んでいく。
「ちょ、ナナシさん!?」
「大丈夫。これは八咫烏の炎だ、今からこの力を妖夢の刀に付与する。そうすれば斬撃の破壊力が更に増す筈だ!!」
そう、これがきっと八咫烏が言いたかった答えだと僕は思う。
ダメージこそ殆ど与えられなかったものの、先程の僕の攻撃は相手の皮膚を傷つける事ができた。
つまり威力が高ければきちんと通じるという意味であり、一番大きなダメージを与えられた妖夢の斬撃と合わせれば、決定打となりえる筈だ。
「こんな事しかできないけど、後は頼むよ妖夢」
「ナナシさん…………もちろんです、あなたの力は決して無駄にはしません!!」
妖夢の剣に、青白い光が宿る。
八咫烏の炎と彼女自身の霊力が混ざり合い、際限なく大きく輝きを増していく。
空気がビリビリと震え、近くに居るだけで刀身に込められた力の大きさを理解できた。
「――参ります」
凄まじい力の奔流とは対照的に、妖夢の放った言葉はただ静かだった。
ゆっくりと刀を右上段に構え、鋭い瞳は暴れ回る妖怪魚だけを捉えている。
「お膳立ては、してあげますよ」
そう言って、傍観者だった射命丸さんは懐から紅葉の形をした扇子を取り出し、横振りに振るった。
瞬間、椛さんと鈴仙を後方に吹き飛ばしながら、妖怪魚の巨体を丸々包み込むような竜巻が発生する。
「す、凄い……」
「まがりなりにも鴉天狗ですからね、じゃあ後は宜しくお願いします」
「…………」
空気が変わる。
相手は自身を包む竜巻で動けず、寸前にまで迫っている死の一撃にようやく気づいたようだが、もう遅い。
「断迷剣――」
紡ぐ言葉自体は、先程の冥想斬とまったく同じ。
だが放たれる一撃は先程の比にあらず、全身全霊を込めた彼女の必殺剣は主の命により解放された。
「――
そのままシンプルに、振り下ろされる蒼い光の刃。
何の捻りもないただの斬撃だが、その破壊力はまさに“必殺”の領域だ。
射命丸さんが放った竜巻を文字通り斬り裂き霧散させ、少しの威力の衰えを見せぬまま妖怪魚の身体を斬り裂いた。
鮮血は炎によって一瞬で蒸発し、僅か一秒にも満たぬ時間で彼女の剣は妖怪魚の身体を二つに分けその命を奪い去る。
「…………」
振り下ろしたままの体勢で、妖夢は口元に笑みを作る。
勝利を確信し、同時に主の願いに応えることのできた喜びを現すかのようなその笑みは。
僕にはとても眩しく、美しいものに映ったのだった……。
■
「……これはまた、凄いものね」
霊達が住まう世界、冥界にある屋敷“白玉楼”にて、八雲紫は呆れとも驚きともとれる言葉を呟く。
いつものように暇を持て余していた彼女は、友人である西行寺幽々子の所へと遊びに行き、時間も時間なので夕食を頂こうというセコい真似をしようと企んだ。
彼女の予想通り、ちょうど夕食の時間だったのだが……テーブルに用意されていた料理の数に愕然とする。
「紫様、いらっしゃいませ」
「こんばんは妖夢、ところで……これは何かしら?」
テーブルを指差す紫、そこに広がるのは十や二十ではきかない魚料理の山であった。
量にして数十人分である、まあ量に限っては“いつもの事”なので別段驚くことは無いが……これだけの魚を、海も無い幻想郷でどうやって用意したというのか。
「聞いてよ紫、妖夢ってば私の無茶振りに応える為にわざわざ妖怪の山に行ってくれたのよ~」
「……ああ成る程、また貴女の奔放さに巻き込まれたって訳ね」
やれやれと首を振りながら、紫はそっと渇いた笑みを浮かべている妖夢に同情を送る。
……ただ、1つだけ彼女に訊かなければならない事があった。
「妖夢、妖怪の山に行ったようだけど……よく天狗達が通してくれたわね」
「いえ、実は私だけでは通してはもらえませんでした」
「……どういう事なの?」
紫の問いに、妖夢は事の経緯を説明した。
「そう……ナナシがね」
「紫様は、彼の事を知っているのですか?」
「知っているも何も、紫が今熱中している男の子よね~」
からかうような幽々子の言葉に、けれど紫は否定の意を示さない。
彼女の態度に妖夢は驚き、言葉の意味をどう解釈したのか頬を朱色に染めさせた。
「ゆ、紫様……それはつまり、その……ナナシさんの事をですね」
「ふふっ、紫にもようやく春が来たのね~」
「…………ええ、そうかもしれないわね」
ああそうだ、紫はナナシの事を心底惚れている。
尤も、それは男女間における甘酸っぱいような意味ではないのだが。
「し、正直驚きました……」
「私もよ妖夢、最初に紫から訊いた時は笑い転げちゃったもの」
「……良い性格をしているわね、幽々子は」
ジト目で親友を睨みつつも、紫はあくまで“本心”は語らない。
紫にとって必要なのは彼自身ではない、彼が持つ八咫烏とは違う能力だ。
正直な話、それ以外に興味など無いし湧きもしない。
「でもナナシさんって人間なのに凄いですよ、まさか桜観剣に八咫烏の炎を纏わせるなんて……」
「あら、そんな芸当ができるようになったの?」
「えっ、あ、はい。そのおかげでこの妖怪魚を倒す事ができましたし」
「……ふふっ、そうなの」
それは重畳、彼は確実に成長を続けているようだ。
そうでなくては、わざわざ外の世界の記憶を消して真っ白な状態で幻想郷に連れてきた意味は無い。
当初は期待外れならすぐに殺し、彼の内にある能力を別の人間に引き継がせようと思ったが……この分ならば問題はないだろう。
「紫」
「なにかしら?」
「あなた、一体何を企んでいるのかしら?」
「何の事かしら?」
綻びは、既に出始めている。
急いだところで結果は得られないが、かといって今更代わりを見つける余裕はない。
故に彼には更なる成長を遂げてもらわねば困る、それも自らの意志で。
「……まあ、いいわ。ところで夕食がまだなら、一緒に食べる?」
「ええ、頂こうかしら」
「じゃあ妖夢、おかわりとお酒、お願いね?」
「はい、了解しました」
期待とほんの少しの不安を心に残しつつも、紫はあくまで賢者の顔を崩さない。
だが、聡明な彼女でも気づかない事はある。
大きくなりつつある綻びが、彼女の一番大切な存在すら呑み込もうとしている事に……。