――鈴仙と2人、人里の大通りを歩く。
目的は今日の夕食の材料探しではあるが……献立が思いつかない。
「ねえ鈴仙、何かリクエストとか聞いてる?」
「そうですねえ……姫様と師匠はなんでもいいって言っていますし、てゐは「肉が食べたいと申しておる!!」とか言ってましたけど……」
「……てゐさんの言い方はともかくとして、肉かあ」
昨日も一昨日も肉だったから、今日はメインを魚にした方が良いと思うんだけどなあ。
輝夜さんも八意先生もなんでもいいって言っているのなら、今回はてゐさんのリクエストは却下しよう。
「鈴仙、今日のメインは魚にしようか?」
「そうですね。じゃあ魚屋さんに行きましょうか」
行動を決め、僕達は魚屋へと赴く。
それにしても……幻想郷には海が無いのに、どうして魚を確保できるのだろうか。
川魚だけというのならまだ判るけど、明らかに海に生息する魚も売られているし……謎だ。
「あら? あれは……」
「?」
鈴仙の視線が、魚屋の店主さんと会話している刀を背負った女の子へと向けられている。
銀の髪を短く揃え、長刀と短刀の二刀を背負った小柄な女の子。
その子の近くには白い団子のような物体がふわふわと浮かんでおり、少々困り顔で店主さんと会話している。
「悪いね妖夢ちゃん、そんなにデカイのは取り扱ってないんだよ」
「そう、ですか……わかりました、ご無理を言ってすみませんでした」
店主さんにぺこりと頭を下げ、魚屋を離れ始める女の子。
「妖夢、どうしたの?」
「えっ? あ……鈴仙さん」
「鈴仙、知り合いなの?」
「はい。彼女は私の友達の
「あ、お初にお目に掛かります。魂魄妖夢と申します」
丁寧なお辞儀をしてくれる魂魄さん、慌ててこちらもぺこりと頭を下げた。
それにしても冥界って、確か罪の無い死者が成仏するか転生するまで過ごす場所……だったか。
とある異変を経て、一部の生きている者も気軽に行けるようになったという話だが、それがなんだか矛盾しているように思えるのは僕だけだろうか?
「僕はナナシです。よろしく魂魄さん」
「妖夢で結構ですよナナシさん、ところでお二人は……逢引ですか?」
「あっ……!? ち、違う違う違う!!」
「ううん、違うよ。夕食の買い物をしている途中なんだ、妖夢もそうなの?」
「ええ……そうなんですけどね……」
そこまで言って、妖夢は先程のように困り顔を浮かべる。
「……もしかして、またそっちの主人が無茶振りをしてきたの?」
「え、あ、あはは……」
鈴仙の言葉に、渇いた笑みを浮かべる妖夢。
……どうやら、彼女が仕えているであろう主人も輝夜さんや八意先生のような人のようだ。
「幽々子様……あ、冥界の幽霊管理をしている私の主人なのですが。その人が「食べ切れないくらいの大きな魚が食べたい」と仰られて……」
「うわあ……」
「それは、また……」
鈴仙と2人、妖夢に同情を込めた視線を向ける。
本当に無茶振りだ、成る程さっきの魚屋でのやりとりはそういうわけだったのか。
食べきれないくらいの大きな魚なんて、それこそ外の世界のクジラとかじゃないと該当しない。
「鈴仙さん、大きな魚に心当たりはありませんか? もうこうなったら自力で捕まえるしかないので」
「そう言われてもね……」
なかなかに無理な話である、海がない幻想郷ではそんな大きな魚なんて……。
「あ」
「? ナナシさん、どうしました?」
「……心当たり、あるかも」
「ほ、本当ですか!?」
「う、うん……だけど、捕まえられるかな……?」
「それならご安心を。この
素早く抜刀し、何やらむんっと力を入れる妖夢。
危ないから里の真ん中で抜刀しないでください、辻斬りですかあなたは。
それに彼女は勘違いをしている、そういう意味で捕まえられるのかと思ったわけではないのだ。
「じゃあ……ダメ元で行ってみる?」
「お願いします!!」
「ナナシさん、心当たりって何処なんですか?」
「えっと……妖怪の山」
「……えぇっ?」
■
「――申し訳ありませんが、お引取りください」
「そ、そんな!?」
妖怪の山の麓にて、妖夢の悲鳴じみた声が響く。
彼女が所望する巨大魚の事なのだが、この妖怪の山に生息していると前に椛さんから聞いたことがあった。
時折天狗や河童が食用として捕まえているというし、それならばと思ったのだけど。
やはりというべきか、僕達の前に姿を現した椛さんは上記の言葉を放ち、山へと入る事を認めてはくれなかった。
妖怪の山の住人は余所者に対する風当たりが強い、予想はしていたけど……無理か?
「ナナシさんでしたら大丈夫ですけど……」
「え、どうしてですか?」
「前に私達の治療をしてくださったじゃありませんか、その件が天狗達の間に広まっていますから」
「……じゃあ、僕に免じて今回は特別に……とかは、ダメですか?」
そう言うと、椛さんはあからさまに困ったような表情を見せてきた。
やはりダメか、まあ我ながら無茶苦茶な要求だというのはわかっていたけど……。
「――大丈夫ですよ椛、通しちゃっても」
強い風が吹き、それと同時に僕達の前に1人の女性が降り立ってきた。
お空ちゃんよりも小さいものの、黒く大きな翼を生やした黒髪の女性は右手にペンを、左手にノートのようなものを持ち、僕へと近寄ってくる。
浮かべる表情は友好的な笑みに見えたものの、なんとなくではあるがこの女性に対して警戒心が芽生えてしまう。
「はじめましてナナシさん、わたしは鴉天狗の
「い、いえ……」
「どうやら山に入りたいようでしたので、わたしの方から上司である大天狗様には許可を貰いましたので、どうぞお入りください」
「えっ、いいんですか?」
思いがけない言葉に繰り返し問うと、射命丸さんはにっこりと微笑み肯定の意を込めた頷きを見せる。
しかし、喜ぶ僕とは対照的に他の皆の表情は訝しげなものであり、椛さんに至っては射命丸さんに対して明確な敵意のようなものを向けていた。
何やら場が険悪な空気に包まれ始めている、その中でも射命丸さんはニコニコ顔を引っ込めようとしない。
「おやおや、わざわざ山に入る許可を貰ってきたというのに、その態度はあんまりではありませんか?」
「……そうですね。どうもすみませんでした」
射命丸さんに頭を下げながら謝罪する妖夢だが、その言葉には固さが残っていた。
あきらかに妖夢は射命丸さんに対して良い感情を抱いていない、というよりもこの場に居る全員が射命丸さんを警戒していた。
それでもニコニコと友好的な笑みを浮かべ続ける辺り、射命丸さんも良い性格をしている。
「椛、案内をしてあげてね? 大天狗様の指示よ」
「……一体、何を企んでいるのです?」
「わたしは大天狗様の指示だと言った筈だけど? 一体何を勘ぐっているのかしらねえ」
「…………皆さん、こちらです」
これ以上の問答は無意味だと思ったのか、何も言わず案内を始める椛さん。
僕達もそれについていき、少し遅れて射命丸さんがついてきている。
「ナナシさん、無視してください」
「あ、はい……」
椛さんに強い口調で言われ、おもわず頷く。
とりあえずこっちの用件を済ませるとしよう。
■
椛さんに案内されたのは、大きな
周りをゴツゴツとした岩肌に囲まれ、下を流れる川は轟音を響かせている。
……空を飛んでいるとはいえ、こんな場所に居るというのはちょっと恐いな。
「この辺りに生息しているヤツなら大きさも味も充分でしょう。少し待っていてください、誘き出しますので」
そう言って、椛さんは自身の服を脱ぎ出し……って、ちょっと待った!!
「な、なんで脱ぐんですか!?」
「なんでって、これからあの川の中に入るんですから、服を脱がないと……」
「いや、あの……」
「大丈夫です。下はサラシに褌ですから」
そういう問題ではないと思うのは、僕だけでしょうか?
とりあえず目を瞑って視線を逸らし、椛さんを見ないようにする。
「では……飛び出したらお願いします。妖怪魚は獰猛なものが多いですから」
物騒な事を言ってから、椛さんは躊躇い無く川へと飛び込んでいった。
普通の人間ならすぐに流されてお陀仏だけど、妖怪である彼女にとっては小川のようなものなのだろう。
〈何やってんだ、戦闘の準備をしろ。嬢ちゃん達はもう身構えてるぞ〉
(わ、わかってるよ……)
獰猛な妖怪魚を捕まえるのだ、油断してれば僕なんてきっとひと呑みにされる。
「ところで、鈴仙さんとナナシさんもここまで付き合ってくださってよろしかったのですか?」
「私としては、ナナシさんは安全な場所に居てほしかったんだけど……」
「提案したのにそんな事できるわけないだろ? そんな事より……僕としては、射命丸さんの事が気になるんだけど」
ちらりと、視線を上空へと向ける。
そこに居るのはこちらに向かってカメラを構えている射命丸さん、椛さん曰く妖怪魚との戦いをカメラに収めてそれを自身が発行している新聞のネタにしようとしているらしい。
天狗は自作で新聞を作るという話は聞いていたけど、まさかネタにされるとは……。
〈ナナシ、来るぞっ!!〉
「っ」
八咫烏の叫びを聞いた瞬間。
川の中から凄まじい水柱が上がり、そこから僅かに顔をしかめた椛さんと。
「で、でかっ!?」
全長八メートルはあろうまさしく巨大魚と呼ぶべき怪物が、飛び出してきた。
身体の形は鯛のようなものだけど、とにかくその大きさは規格外だ。
「これだけ大きければきっと幽々子様も満足してくれる筈……参ります!!」
背中に背負っていた刀を抜き取り、妖怪魚に向かっていく妖夢。
一息で相手との間合いを詰め、そのまま両断する勢いで右の刀を横一文字に振るい。
「っ!?」
刹那、両断された筈の妖怪魚の姿が妖夢の前から消え去った。
剣戟は空を切り、完全に無防備となった妖夢。
そこに、上空から彼女を呑み込もうと大きく口を開いた妖怪魚が迫る……!
「妖夢!!」
銃声が響く。
鈴仙が指から放った妖力弾が妖怪魚の身体に直撃し、僅かに軌道がずれる。
その隙に妖夢はどうにか離脱し、妖怪魚はそのまま川へと飛び込んでいった。
「妖夢、大丈夫!?」
「は、はい……鈴仙さん、ありがとうございます」
「……今、ありえない挙動をしましたね。あの魚」
そう、妖夢が斬撃を繰り出した瞬間、妖怪魚は落下していた自らの身体を上空へと飛ばして彼女の一撃を回避したのだ。
飛行能力まで持っているなんて……魚という概念が音を立てて崩れてしまいそうだ。
「何をやっているんですか、もっと頑張ってくださいよー」
「遠巻きに見ているだけなのに、偉そうな事言わないでくださいよ!!」
「射命丸様は黙っていてください!!」
大ブーイングを受ける射命丸さんだが、それでもカメラを構えている辺り相当だ。
出会ったばかりだけどなんとなくわかった、この人は周りから嫌われるタイプだと。
「次で決めます!!」
左の刀を鞘に収め、両手で長刀を構える妖夢。
刀身に彼女の霊力が集まっていき、淡いエメラルドの光が纏い始める。
「断命剣――」
妖怪魚が、再び水の中から飛び出し、大きく口を開けながらこちらに向かってくる。
それを見据えながら、妖夢は長刀を大上段に構えながら吶喊し。
「――冥想斬!!」
自身の必殺剣を、真っ向から妖怪魚の身体へと叩き込んだ……!
舞い散る鮮血、彼女の一撃は確かに妖怪魚の身体を鋭く斬り裂いた。
しかし致命傷には至らないのか、妖怪魚は僅かにくぐもった声を上げるだけでその進行は止まらない。
本当に頑丈なヤツだ、そう思いながら僕は右手を前に翳し、灼熱の光を撃ち出しつるべ打ちにする。
黄金の光は妖怪魚の身体に命中し、高熱でその身を焦がしていくがそれでも止まらない。
「こいつ……!?」
「下がって!! ――インビジブルフルムーン!!」
鈴仙の瞳が赤く輝き、そこから極大の砲撃が放たれる。
赤い砲撃は妖怪魚の巨体を弾き、動きを止めた隙に椛さんが動いた。
「おおおおっ!!」
裂帛の気合と共に、放たれる斬撃。
威力、勢い共に完成されたその一撃は、妖怪魚の身体に直撃し。
「っ、なっ!?」
甲高い音を響かせつつ、椛さんが持っていた太刀の刀身がへし折れてしまった。
……なんだ、あの怪物は。
あきらかに妖怪魚というカテゴリーを逸脱している、こんなものを時折椛さん達は捕まえているっていうのか?
「……なんだコイツは、こんなヤツは今までこの山に居なかった筈なのに」
「えっ、それってどういう事よ!?」
「おかしいんです、確かに山に居る妖怪魚は巨大で丈夫な個体が多いのは確かですが……これだけの頑強さを持つヤツなんて、初めて見ます!!」
「って事は……もしかして、ひじょーに拙いってこと……?」
冷や汗が、頬を伝う。
正直、そこまで深刻に考えていなかった。
だが今の状況は拙い、このままだと下手をすればここに居る全員があの怪物の胃の中に……。
「うーん、なんとも雲行きが怪しくなってきましたねー」
「射命丸さん……」
いつの間に移動してきたのか、射命丸さんが僕の隣移動し思案顔を浮かべていた。
「椛の言う通り、あそこまで強力な力を持っている妖怪魚なんて確認されていなかったんですけどねー……これはスクープですよスクープ!!」
「言ってる場合ですか!!」
ダメだこの鴉天狗は、彼女にとってこの危機的状況よりもスクープの方が大事なのか。
そうこうしている内に、妖怪魚は完全に空を飛んでおり、まるで上質な餌を見つけたかのようにダラダラと涎を……。
……食おうとしていますね、完全に。
「て、撤退ーっ!!」
「了解!!」
鈴仙の声に、全員が満場一致で逃げ出した。
当然追いかけくる妖怪魚、何処に逃げればいいのか見当も付かないが、とにかく今は全速力で逃げなくては。
「いいですよその必死な顔、あ、顔こっちに向けてください」
「黙れパパラッチ!!」
「人が必死こいて逃げてるのに、なんでアンタは写真撮ってるのよ!!」
「喧嘩してる場合か!!」
あーもぅ、どうすればいいんだこの状況っ。