「こんにちは、チルノ、大ちゃん」
「おっ? ナナシじゃない!」
「こんにちは、ナナシさん」
霧の湖にて、遊んでいるチルノと大ちゃんを見つけ、挨拶を交わす。
傍には2人の知り合いだろうか、見慣れぬ女の子が2人が居た。
「リグル、みすちー、コイツが前に言ったナナシだよ」
「はじめまして、リグル・ナイトバグです」
ボーイッシュな恰好をした女の子が、ぺこりと頭を下げる。
リグル・ナイトバグ、幻想郷縁起に書かれていた蛍の妖怪だ。
ということは、こっちの鳥のような羽根を生やした女の子は……夜雀の妖怪、ミスティア・ローレライか。
「はじめましてナイトバグさん、それとローレライさん」
「リグルでいいですよ」
「私も、ミスティアで結構ですから」
「わかったよリグル、ミスティア」
互いの自己紹介を終えてから、湖へと視線を向ける。
……わかさぎ姫さんは、湖の中かな?
「ナナシ、どうしたの?」
「わかさぎ姫さんに用があったんだ。けど居ないみたいだから……まずは別の用を済ませるよ」
言いながら、僕は八意先生に借りた大きめの鞄を開く。
中から出すのは……昨日地霊殿で作った、お菓子の入った袋。
「おーっ、菓子だー!!」
「はい、みんなで分けてくれるかな?」
「えっ?」
「いいんですか?」
「うん、今日はホワイトデーでしょ? だからチョコレートを貰った人にお返しをしているんだ。それと同時に、せっかくだから知り合った人達にもお菓子を配ろうと思って」
「あ、ありがとうございます!!」
「これ……ホワイトチョコクッキーだね」
どうやら気に入ってくれたようだ、嬉しそうに受け取り食べ始めた4人を見てほっとする。
さて、わかさぎ姫さんが居ない以上、まずは紅魔館に……。
「ナナシ様ーー!!」
「おわあっ!?」
巨大な水飛沫が上がり、湖からわかさぎ姫さんが飛び出してきた。
そのまま彼女は僕の身体に抱きつき、衝撃に耐え切れず2人して地面に倒れこんでしまう。
「はぁはぁ……お久しぶりですナナシ様、はぁはぁ……」
「ちょ、なんで息荒いの!? それに服が濡れるから離れてくださいお願いします!!」
しかもなんかぬめぬめする、生暖かい吐息を耳に吹きかけないでーっ!!
「……わぁ」
「す、凄い……」
「おー……」
「み、見ちゃ駄目だよ皆……」
ちょっとー、助けてくれませんかねー!?
あと大ちゃん、みんなに見るなとか言いつつ一番ガン見してるんですけど!?
「最近会えませんでしたから、ここでナナシ様分を補給しないと……」
「なんですかそれ!? とりあえず離れてください、渡すものもありますから!!」
「えっ、渡すもの?」
決死の叫びが届いてくれたのか、わかさぎ姫さんが僕から離れる。
うおぉ……全身びしょ濡れになってしまった、わかさぎ姫さんってこんなにアグレッシブだったか?
まあとりあえず今は何も言うまい、というか早くしないとまた押し倒されそうだ。
「わかさぎ姫さん、これ……どうぞ」
「……これは?」
「ホワイトデーのお返しです。中身はチョコマシュマロとキャンディーですが……」
気に入ってくれると嬉しいのだが、内心ちょっとドキドキしながら彼女の反応を待っていると。
「――不束者ですが、宜しくお願い致します」
「何が!?」
何故か返ってきた反応は、理解不能な言葉だった。
いや、言葉の意味は判るけどそういう考えに至った経緯が意味不明なのだ。
「えっ、わざわざ手作りのお返しをしてくださったという事は……私を貰ってくれるという意味じゃないんですか?」
「あ、いや、そういうわけじゃ……」
ま、まさかここまで重く受け止められるとは……。
「……ナナシー、男らしくないぞー」
「えぇー……?」
まさかの外野からの言葉である、ちょっと待った僕が悪いの?
「違うんですか……?」
「うぐっ………………すみません、感謝の気持ちは勿論ありますけど、そういった事じゃないです」
心苦しいが、はっきり言わないと余計な誤解を招くだけなので、正直に返した。
するとわかさぎ姫さんは少しだけ寂しそうに笑ったものの、すぐに無理をしていない自然の笑みを浮かべ。
「ありがとうございますナナシ様、大切に食べさせてもらいますね」
最大限の感謝を込めて、お礼の言葉を言ってくれた。
……想いに答える事ができないのが申し訳ないと思うのは、やっぱり身勝手なのだろうか。
でも判らないのだ、誰かを異性として好きになるという感情が。
少なくともそれが判る時が来るまでは、安易な返答はできない。
「わかちゃんのも美味しそうー……」
「じゃあ、みんなで一緒に食べましょうか? ナナシ様、よろしいですか?」
「えっ……あ、それは勿論」
立ち上がる、次は……紅魔館に行かないと。
「あれ? 何処行くの?」
「紅魔館に行ってくるよ。咲夜さんからもチョコレートを貰っているから」
「…………咲夜さんって、あのメイドの人間ですか?」
「ええ、わざわざ作ってくれたのでそのお返しをと」
「そうですか……ナナシ様は、律儀ですね」
ぷぅ、と頬を膨らませるわかさぎ姫さん、口調も心なしか少し棘がある。
「わかちゃん、ヤキモチ?」
「……だってだって、他の女の子がナナシ様に近づくのが嫌なんだもの!」
「あ、あはは……」
すみません、わかさぎ姫さん。
曖昧な事しかできなくてすみません、必ず答えは返しますから……。
■
「…………えぇ?」
わかさぎ姫さん達と別れ、紅魔館へと来た僕は、門前で間の抜けた声を出してしまった。
いつもなら門の前で美鈴さんが立っていて。
「あ、こんにちはナナシさん」
と、友好的な笑顔を見せてくれるのだけれど。
「あが、あががが……」
その彼女が、門の前で血塗れのまま倒れていた。
倒れた美鈴さんの傍には、指にナイフを挟んだまま仁王立ちしている咲夜さんの姿が。
一体何があったのか、聞いてみたいが咲夜さんの背中からでも感じられる凄まじいプレッシャーに、声を出す事すら憚られる。
「…………ナナシ様、ですか?」
「ひぃっ!?」
くるりとこちらに振り返った咲夜さんを見て、おもわず悲鳴を上げてしまう。
だってしょうがないではないか、今の咲夜さん……返り血で赤く染まっているのだから。
猟奇殺人も真っ青な光景に、開いた口が塞がらない。
「ナナシ様? ……ああ、ご安心ください。美鈴にはお仕置きをしていただけですから」
「お、お仕置き……?」
「はい。今日は暖かな陽気に恵まれているとはいえ、美鈴ったら居眠りをしていましたから……」
「あ、あの……お仕置きってレベルをとっくに超えているような気がするんですけど……」
美鈴さんの身体には、咲夜さんが放った銀のナイフがこれでもかと突き刺さっている。
まるで針千本だ、ピクピクと痙攣を繰り返しているし……生きてる、よね?
「ご安心を。いつもの事ですから」
「何がいつもの事ですか!!」
「うわあっ!?」
い、生きてた!?
いや、失礼だけど、そう思えてしまうぐらいの惨状なんだから仕方がない。
というか美鈴さん……まずは止血と身体中に刺さっているナイフを抜かないと……。
「酷いですよ咲夜さん!!」
「居眠りしていた美鈴が悪いのでしょう?」
「うっ……で、でもナイフ百連発はやり過ぎですって!!」
確かに。
しかし咲夜さんは涼しい顔で美鈴さんの抗議を受け流す、見た限りこのやりとり……割と頻繁に行なわれているようだ。
「あのー……」
「申し訳ありませんナナシ様、美鈴のせいで」
「私のせいですか!?」
「美鈴黙って。それでナナシ様、今回のご用件は一体何でしょうか?」
「……無視されたあ」
しくしくと泣き出す美鈴さん、あの……血がダラダラ出てますけど。
いや、やめよう。きっとこのスプラッタな光景は気にするだけ無駄なのだ。
無理矢理自分にそう言い聞かせ、僕はさっさと用件を済ませる事にした。
「咲夜さん、これを受け取ってもらえますか?」
「……これは?」
「今日はホワイトデーなので、そのお返しです」
「えっ……」
僕の言葉を聞いて、咲夜さんは目を見開いてキョトンとした表情を向けてきた。
きっと意外だったのだろう、ただ何故そのままの表情で固まったまま動かなくなってしまったのか。
美鈴さんも咲夜さんの姿に違和感を覚えたらしく、しっかりとナイフを抜き取ってから僕と一緒に咲夜さんを眺めていると。
「……っ」
一瞬で、顔を真紅より赤くしてしまった。
まるで林檎のようだ、それに心なしか身体が小刻みに震えているような……。
美鈴さんと顔を向け合い、首を傾げ合う。
「…………し、失礼致します!!」
「えっ、ちょ、咲夜さん!?」
叫ぶように言って、咲夜さんは踵を返し紅魔館へと走り去っていく。
あ、転んだ……でもすぐに立ち上がって館の中へと行ってしまう。
……本当にどうしたんだろうか、もう一度美鈴さんと顔を見合わせる。
「ナナシさん、咲夜さん……どうしたと思います?」
「わかりません……僕、何かしたんでしょうか?」
「うーん……」
とりあえず、考えてもわからないので……戻るとしよう。
「あ、美鈴さん。これをレミリアさん達に渡してもらえませんか?」
言いながら、レミリアさん達への分のお菓子を美鈴さんに手渡す。
本当なら直接渡すのが礼儀なんだけど、まだ行かないといけない場所はあるし、あまり時間を掛けて遅くなってしまったら心配を掛けてしまう。
任せてください、そう言ってお菓子を受け取った美鈴さんに一礼をしてから、僕は紅魔館を後にしたのだった。
■
「咲夜」
「っ、お、お嬢様……」
紅魔館の中を爆走する咲夜は足を止め、こちらに生暖かい視線を送ってくるレミリアを見た。
……嫌な予感が脳裏に走る、おそらく次に放たれる主の言葉は自分にとって非常にめんどくさいものだと予感し。
「可愛かったな、お前」
案の定、めんどくさいものだった。
しかしレミリアのその言葉は、今の咲夜には充分に効くものだったらしく、彼女の頬がまた赤くなった。
「まさかナナシにお返しを、しかもその包装を見る限り手作りを貰えるとは思わなかったから、思考が停止したのだろう?」
「……お嬢様、わかっているのならそっとしておいてください」
「嬉しかったのなら素直にそう言って、キスのひとつでもかましてやればよかったのに」
「…………お嬢様、そっとしておいてください」
咲夜の声が震えている、これ以上からかうと羞恥心で何をしでかすか予測できない。
そう思ったレミリアは呆れたように肩を竦めつつも、それ以上は何も言わなかった。
その隙に横を通り抜けようとする咲夜に、レミリアは最後の一言だけ告げた。
「よかったな」
「……はい」
去っていく咲夜の後ろ姿を見つめつつ、レミリアは口元に嬉しそうな笑みを浮かべる。
なんとも初々しくもささやかな喜びだろうか、他者からすれば本当に瑣末なものだが……咲夜にとっては、極上の喜びとなったのだろう。
それがレミリアには嬉しかった、大事な従者の幸せは自分の幸せなのだから。
(ナナシ、感謝するよ。これからもできれば咲夜に小さな幸せを与えてやってくれ)
ホワイトデー……? ホワイトデーです、はい。