この儚き幻想の地で為すべき事は。   作:マイマイ

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見知らぬ土地に辿り着き、妖怪と呼ばれる少女ルーミアに襲われたけれど、どういうわけかその少女に助けられてここが「幻想郷」と呼ばれる世界である事を知った。

ただ正直、ここが妖怪が居る世界という事よりも……自分の事が何も判らない方が。
自分自身が記憶喪失に陥ってしまっているという事のほうが、驚愕の事実だった。


1月10日② ~ナナシ~

「――はい。こんなものかしらね」

「ありがとうございます。八意先生」

 

 『永遠亭』という診療所に辿り着いた僕は、八意永琳(やごころ えいりん)さんという女医さんに治療してもらい、漸く一息つくことができた。

 とはいえ傷口は塞がっているので、足りなくなった血を体内で生成する『増血薬』という薬を飲まされただけで治療は終わったのだが。

 

「ルーミアから聞いたけど記憶喪失なんですってね?」

「はい。それで八意先生、記憶喪失を治す方法って……あるんですか?」

「ないわね」

 

 ばっさりと問いかけを両断され思わず閉口してしまった僕に、八意先生はあくまで口調を乱さず説明してくれた。

 

「人間の脳は複雑なのよ。勿論方法が無いわけではないけど……廃人になってしまっては意味が無いでしょう?」

「…………」

 

 どうやら、これ以上訊かない方がいいみたいだ。

 少しだけ背筋が寒くなった僕を見て、八意先生は何が面白いのかくすくすと笑い出した。

 ……この人、凄い美人だけどちょっと変わってるな。

 

「それより驚いたわ。どうやってルーミアの封印を解いたの?」

「……僕にもわからないんです。そもそも僕は自分が何者なのかもわからないし」

「そうだったわね、ごめんなさい」

 

 軽率な発言をしたと思ったのか、八意先生は僕に向かって頭を下げた。

 

「気にしないでください。それより……その、実はお金が……」

「いいわよ別に。あなたの事情は聞いているし、面白い身体を診れたから」

「…………はい?」

 

 なんだか、聞き捨てならない言葉を聞いたような気がしてつい八意先生を凝視してしまった。

 けれど八意先生は何も言わず意味深な笑みを見せるだけなので、きっと気にしてはいけないのだと無理矢理自分に言い聞かせる事にした。

 

「ところであなた、これからどうするの?」

「…………」

「外来人のようだけれど自分の事は名前も含めてわからない、これじゃあ外の世界に戻っても行くあてがないでしょう?」

「ええ。……外来人が幻想郷で生きるとすれば、やっぱり人里に行くのが一番なんでしょうか?」

「…………」

「? 八意先生?」

 

 急に黙ってしまった八意先生に、首を傾げる。

 

「……とにかく今はゆっくり休みなさい、それだけを考えればいいわ」

「え、あ、はい……」

 

 それだけ言って、八意先生は部屋を後にした。

 途端に部屋に漂う静寂感、もの悲しさに襲われ布団に潜り込んだ。

 

 それにしても、八意先生はどうして急に黙ってしまったのだろうか。

 ほんの少し違和感を覚えたものの、今は休むべきだと思い目蓋を閉じた。

 

「おーい、入るぞー」

「ちょっとてゐ、ノックしなさいよ!!」

 

 眠ろうとした矢先、突然部屋の扉が開かれ2人の女の子が入ってくる。

 1人は紫の髪にブレザー姿の女の子、もう1人は桃色の半袖ワンピースを着た黒髪の小さな女の子。

 2人とも八意先生やルーミアに負けないくらい可愛らしい容姿だけど、頭にはそれぞれ兎の耳のようなものが生えている。

 きっとこの子達も妖怪なのだろう、コスプレみたいだと思ったのはここだけの話だ。

 

「ふーん……へー、ほー」

「あの……何か?」

 

 てゐ、と呼ばれた女の子がこちらをじろじろと見つめてくる。

 その視線は品定めをしているようで、少々居心地が悪い。

 

「こら、てゐ!!」

「あだあっ!?」

 

 ブレザー姿の女の子が、怒鳴り声を上げながらてゐさんに拳骨を落とした。

 とても良い音がしたのでものすごく痛いのだろう、うずくまったままプルプルと震えるその姿にそっと同情を送った。

 

「すみません。ウチの馬鹿兎が失礼な事をして……」

「いえ、それでえっと……」

 

「鈴仙です。鈴仙・優曇華院・イナバ、それが私の名前です」

「はじめまして優曇華院さん、僕は……その」

「永琳師匠とルーミアから聞いてます、記憶を失っているようで……」

 

 元気出してくださいねと言ってくれる優曇華院さんにありがとうと返す。

 妖怪だけど、優曇華院さんもルーミアと同じように優しい妖怪さんのようで安心した。

 

「あら……?」

「?」

「あなた、凄く優しい波長ね。見ていて安心感を覚える波長なんて珍しいわ」

「えっと……ど、どうも……?」

 

 正直何を言われているのかよくわからなかったが、とりあえずお礼を言っておいた。

 と、てゐさんが僕と優曇華院さんの間に割って入り、にやにやとした笑みを向けてくる。

 

「……何よ、その顔は」

「いやー、鈴仙にも春が来たなーって思ってさ。男をそんなに褒めるのなんて初めてじゃない?」

「べ、別にそういう意味じゃないし……」

 

 優曇華院さんの顔が僅かに赤らんだ、それを見ててゐさんはますます笑みを深めていく。

 ……ああ成る程、からかわれてしまっているのか。

 優曇華院さんは赤らんだ顔で否定するが、てゐさんのからかいは終わらない。

 

「よかったなお前、鈴仙みたいなエロ兎に好かれて」

「誰がエロ兎だ!!」

「アンタだよアンタ、その無駄に実った脂肪が全てを物語ってるじゃない」

「なんですってえっ!!」

 

 さっきとは違う意味で顔を赤くする鈴仙さんを見て、てゐさんは小さく「やべっ」と呟いたと思ったら、目にも止まらぬ速度で部屋から逃げ出してしまった。

 ……凄い逃げ足だ、でもてゐさん。

 

「アイツ……覚えてなさい」

 

 物凄く怒っている鈴仙さんと2人っきりには、しないでくださいよ……。

 

「――起きたのか、元気そうで安心したよ」

 

 優曇華院さんの迫力に少し怯えていると、ルーミアが安堵の表情をこちらに向けながら部屋へと入ってきた。

 

「原因の一部とはいえ、迷惑を掛けてしまって申し訳なかった。改めて謝らせてくれ」

 

 そう言ってルーミアは僕に向かって深々と頭を下げてくる。

 不意打ちに近いその光景に、咄嗟に言葉が出てこない。

 けれど伝えたい事があったから、どうにか落ち着きを取り戻しつつ僕は彼女に向かって口を開いた。

 

「僕はもうルーミアの事を怒ってない。そりゃあ殺されかけたりしたけど君は最後には僕を助けてこの永遠亭まで連れてきてくれた、だからもう気にしなくていいんだ」

「……感謝する。お前のその優しさを決して裏切らないと誓おう」

「え、あ、いや……」

 

 そんなに大仰な反応をしなくてもよかったのだが、これが本来のルーミアなのかもしれない。

 

「……あなた、本当にルーミア? 見た目は少し成長した程度だけど、雰囲気や立ち振る舞いは別人ね」

「別人のようなものだからな、“封印”の事やこうなった経緯は話しただろう?」

「それは聞いたけど、本当に彼が?」

「嘘を言ってどうなる? こいつには何かしらの力が……っと、いつまでもお前やこいつでは不便だな。まだ名前も思い出せないのか?」

「うん……」

 

 僕としてもお前やこいつでは少し気になる、とはいえ新たに自分の名前を考えるというのは……。

 

「――名前がないんだったら名無しの権兵衛、“ナナシ”でいいんじゃない?」

 

「えっ?」

「ちょっとてゐ、アンタ何言ってんの?」

 

 いつの間にか部屋に戻ってきたてゐさんが言い出した提案を聞き、僕達は視線を彼女へと向ける。

 

「何ってコイツの呼び名だよ」

「そうじゃなくて、そんなふざけた呼び方なんかできるわけないでしょって言ってんの」

 

 先程の悪戯の事があるからか、優曇華院さんのてゐさんに向ける口調は厳しめだ。

 それにしても、名前がわからないからナナシ……正直、安直とは思った、が。

 

「僕は、別にそれでもいいですけど」

「えっ、でも……」

「自分で自分の名前を考えるのは大変ですし、僕は構わないです」

 

 考えなければならない事は他にもある、特にこだわりがないので本当の名前がわかるまで僕の呼び名は『ナナシ』で決定だ。

 

「んじゃ、宜しくねナナシー」

「はい、よろしくてゐさん」

 

 早速その呼び名で呼ばれたが、特に違和感も不快感もない。

 お前やこいつ呼ばわりと比べてマシだからか、すんなりと受け入れられた。

 

「ではナナシと、そう呼ばせてもらうぞ?」

「うん、よろしくねルーミア」

 

 握手を求められたので、それに応じて彼女と握手を交わす。

 

「……ナナシさん、でいいんですね? 私の事を鈴仙でいいですから」

「わかりました、鈴仙さん」

 

 改めて名前を呼ぶと、鈴仙さんはにっこりと微笑みを返してきた。

 僅かに動悸が早まった、女の子の笑顔は別の意味で破壊力があると誰かが言っていた気がしたけど、それは誰だったか。

 

「ウドンゲ、てゐ、あまり彼と話して負担を掛けては駄目よ」

「あ、師匠」

「何か用?」

 

 てゐさんの問いには答えず、部屋に入ってきた八意先生は僕が居るベッドへと近づいてきて。

 

「ねえ、もしあなたがよければ暫くこの永遠亭で働く気はないかしら?」

 

 そんな事を、言ってきた。

 

「えっ」

「し、師匠?」

「…………」

 

 僕、鈴仙さん、てゐさんの順番で上記の反応を八意先生に見せる中。

 

「……どういうつもりだ?」

 

 ルーミアだけが、驚きながらも厳しい視線を八意先生へと向けていた。

 その瞳には確かな疑惑の色が込められており、納得する答えを言わなければ許さないと告げている。

 

「彼は記憶を失っているし身体も万全な状態ではない、それに何より身寄りの無いというのなら医者として放っておくわけにはいかないわ」

「わたしは建前を聞いているんじゃない。本音を話せと言っているんだ」

「これが本音よ。男手も欲しいと思っていたし……それで、どうかしら?」

 

 八意先生の視線が、僕に向けられる。

 正直、その提案はこの幻想郷で頼れる人もお金もない僕にとって願ったり叶ったりなものだけど……本当に良いのだろうか?

 

「もちろんすぐに決める必要はないわ、あなたの身体はもう少し療養が必要だから。

 でも悪い話ではない筈よ? 働くといっても内容は雑用が殆どだから大変ではないだろうし、ウドンゲもフォローしてくれるでしょうから」

「…………いいんですか?」

「私の方から提案しているのだから、良いに決まっているでしょう?」

 

 ……なら、その言葉に甘えさせてもらおう。

 そう思った僕は、その提案に頷きを返そうとして。

 

「やめておけナナシ、体の良い実験台にされるだけだ」

 

 厳しい口調でそう言い放つルーミアが、間に割って入ってきた。

 

「そこまでマッドサイエンティストになったつもりはないわよ、というかそのナナシって彼の呼び名?」

「話を逸らすな。……お前達にとってナナシはいきなり現れた患者に過ぎない筈だ、そこまでする義理はないと思うが?」

「あなたこそ随分彼に入れ込むわね、もしかして惚れた弱みというヤツかしら?」

 

 冗談めかした口調で八意先生がそんな言葉を口にして。

 瞬間、部屋の空気が一変した。

 

「っ……」

 

 最初に全身を駆け巡ったのは、あの時以上の恐怖と重圧だった。

 部屋全体が地獄の釜の中に変化したかのような、言い様のない熱気が漂い始める。

 八意先生とてゐさんは涼しい顔をしているが、事態を敏感に感じ取っているのか、鈴仙さんの表情が険しくなっていく。 

 

「……冗談よ。そんなに怒らないで頂戴」

 

「わたしはこの幻想郷の理を知らないナナシの命を奪おうとした、だが彼はそんなわたしを赦してくれた。妖怪がどんなものかも知らぬ世界で生きてきたであろう筈なのに、ましてや自分自身の事もわからず不安に駆られている筈だというのにだ。

 だからこそ彼が1人で生きていけるまで守りたいと誓っただけだ、俗世にまみれた下賎な言葉で片付けられては困る」

 

「下賎、ね。男と女ならば恋に落ちてもおかしくはないでしょうに」

「彼は人間だ。妖怪であるわたしに……自身の命を奪おうとした化物に、仮にそんな感情を向けられても困るだろう」

 

 空気が、身体を押し潰そうとする重圧が霧散していく。

 おもわず肺から空気を押し出すように吐き出す、思っていた以上に身体に掛かっていた負担は大きかったようだ。

 

「……すまない。やはりまだ“封印”が完全に解かれていないようだ、だからこんな子供のような真似をしてしまった」

「私は別に気にしていないわ。それでナナシ……でいいのよね? 彼女はこう言っているけど……あなたも私を信用できない?」

「いえ、そんな事はありません。――御迷惑を掛けますが、宜しくお願いします」

 

 そう言って頭を下げる。

 

「自分の家だと思っていいわ。宜しくねナナシ」

「まあ色々とこき使ってあげるわよ」

「この悪戯兎の事は基本無視して良いですからね? ナナシさん」

 

 3人の優しい言葉に、おもわず口元の笑みが隠しきれなかった。

 ……いや、正確には3人じゃなく八意先生と鈴仙さんだけだけど。  

 

「明日から手伝おうと考えているかもしれないけど、今はゆっくりと身体を休める事だけを考えなさいね?」

「はい、わかりました」

「それももし独りが物寂しくなったら、私達の誰かに添い寝をお願いしてもいいわよ?」

「な、何言ってるんですか……」

 

 もちろん冗談だと理解しているが、おもわず上擦った返事を返してしまった。

 

「ウドンゲでもいいしてゐでもいいし、もちろん私でも……ね?」

「っ」

 

 悪戯っぽい笑みに妖艶さが加わり、逃れるように視線を逸らす。

 こういうからかいには免疫が無いようで、顔がどんどん熱くなっていくのが何となく悔しかった。

 

「師匠……」

「あらいいじゃない。ウドンゲも彼の事は結構好きになってるでしょ?」

「な、何言っているんですか!! そ、そりゃあナナシさんは良い人なのは確かですけどそういうのはもっとこう、時間を掛けてですね……」

 

「……意外と、乙女なのね」

「どういう意味ですか!!」

 

 がーっ、と怒る鈴仙さんの怒声を適当に受け流しつつ、八意先生は今度こそ部屋からいなくなった。

 それを怒りながら追いかける鈴仙さん、そんな彼女を見て肩を竦めるてゐさんも部屋から居なくなり……残ったのは、僕とルーミアだけとなった。

 

「…………」

「…………」

 

 なんとなく声を掛ける事が憚られ、そのまま無言の時間を過ごしていると……彼女は、少し思案するような表情を見せてから。

 

「…………添い寝、しようか?」

「い、いいです!!」

 

 つい全力で返答してしまった。

 ルーミアのような美少女に添い寝などされたら、女の子に免疫などない僕の精神が保たない。

 気恥ずかしさからの全力返答を聞いて、ルーミアは僅かに眉を寄せ、近くの席に座り込んだ。

 

「悪いがこの部屋には居させてもらうぞ、お前を守ると誓ったからな」

「あ、うん……」

 

 ……とにかく今はゆっくりと休もう、怪我はすっかり無くなったとはいえ身体は消耗しているのだから。

 ベッドに潜り込み目を閉じるとやはり疲れがあったのか、すぐに眠気は訪れ僕はそれに逆らう事なく眠りの世界へと堕ちていく。

 

「ゆっくり休めナナシ、今は……ただ休む事だけを考えればいい」

 

 優しい声色で、僕にそう告げるルーミアの声を耳に入れると同時に。

 僕の意識は、そこで途切れ暗闇の中へと潜っていった……。

 

 

 ■

 

 

「――それで、一体何の意味があってアイツをここに置いておく気になったのさ」

 

 記憶喪失の少年、ナナシの部屋を後にして各々の部屋へと戻ろうとする前に、てゐは前を歩く永琳に問いを放った。

 先程の提案に疑問を抱いたのは、ルーミアやナナシだけではない。

 てゐもまた師匠である永琳に疑問を抱き、鈴仙もまた己の師匠に対し怪訝な表情を向け同じ考えを巡らせていた。

 

「さっきも言った通りよ。男手が欲しかったし彼もここでは身寄りが無いのだから、お互いにプラスになる提案を与えただけ」

 

 返ってきた答えは、先程と変わらぬものであった。

 当然てゐも鈴仙もその答えで納得する事などできない、しかし彼女達の師はそれ以上の答えはないと背を向け歩を進めていく。

 

「それにさっきの態度もよくわかんないんだよね、お師匠様にしては随分と俗世にまみれた態度だったんじゃない?」

「彼の反応が面白かったんですもの、幻想郷の住人とは違う態度は新鮮に思えてついやり過ぎちゃったわ」

 

 苦笑する永琳に、てゐは目を細める。

 元々彼女に真意を問い質すのは無理だと思っていたのでさして気にする事もなかったが、問いかけずにはいられなかった。

 彼は確かに幻想郷の住人に比べて温和というか、底抜けの御人好しで平和主義者なのだろう、ルーミアとのやりとりを見ればすぐにわかる。

 からかい甲斐があるのも認めるし、性格自体も決して悪くはない。友人になるには中々の好条件を持った少年だ。

 

 だがそれだけだ、かといってこの永遠亭に住まわせる道理には繋がらないのは明白であった。

 永琳にはそれなりに他者に対する情はある、しかし永い年月を生きている聡明さが、“情”よりも“益”を優先する。

 つまり彼女にとってあのナナシという少年が自らの益と判断したからこそ、手元に置いておこうと考えているのは明白であった。

 

「あのルーミアの封印を解いた力に、興味が湧いたの?」

「さあ、どうかしらね?」

 

 振り向く事なく、永琳は答える。

 てゐの問いかけに否定も肯定もせず、けれどわざとらしく嘘だとわかる答えを返され因幡の白兎は眉を潜めた。

 

 彼は“優しい”人間だ、だが得体の知れなさは底が見えない程に深い。

 ルーミアの封印を解いた事も、彼女から受けた傷を短時間で治したあの治癒能力も、永く生き続けている彼女から見ても異常の一言に尽きる。

 そんな人間など聞いた事も見た事もない、この幻想郷には人間でありながら人間の領域を超えた存在が居るものの……異端具合で言えば、彼の方が勝っていた。

 

「てゐ、ナナシさんは暫くここに居た方が良いと思うわ」

「あれー? 鈴仙ってば、もしかして本当にアイツに惚れた?」

「……人里の外来人に対する認識を、知らないわけじゃないでしょ?」

「…………」

 

 その言葉で、てゐはからかおうとした口を閉じる。

 

「とにかく2人とも、ナナシがここに住むとしたらできる限り助けになってあげてね?」

「はい……わかりました」

「…………気が向いたらね」

 

 それで会話は終わり、3人は各々の部屋へと戻っていく。

 その前に、てゐは鈴仙へと声を掛けた。

 

「ねえ鈴仙、どう思う?」

「どう思うって言われても……とりあえず、師匠の言う通り彼がここで働くのならできる限りフォローするつもりよ」

「やれやれ、鈴仙はもう少し自分で考えるって事を覚えた方がいいよ」

「うるさいわね、てゐこそそんな過剰な反応をしなくてもいいじゃない」

「……わかってないね」

 

 見た目は幼い少女の姿ではあるが、因幡てゐは並の妖怪とは比べものにならない年月を生きてきた。

 だからこそわかるのだ、彼に心の底から信頼を寄せてはいけないと。

 たとえ彼自身に害は無くても、彼の内面に巣くうナニカを受け入れることはできない。

 

「彼だって自分自身がわからなくて不安なんだから、変な事しないでよ?」

「はいはい、わかってますよ」

「本当にわかってるのかしら……」

 

 どっちが、心の中でそう言いながらてゐは自室へと戻る。

 厄介なものを招き入れてしまったかもしれない、そう思いながらも彼女の口元には愉しげな笑みが浮かんでいた。

 

 今の幻想郷は少々刺激が少なくなっている、なら少しばかり“毒”が流れ込んでもそれはそれで面白いだろう。

 そもそも自分はこのようにあれこれ考える性質ではない、長生きはしたがだからこそ刹那的な愉しみを求める時もある。

 だから今はナナシという少年の事で気を揉むのはやめておこう、寧ろ逆に愉しませてもらわなければ。

 

 因幡の白兎は静かに笑う、少女の身とは思えぬ黒い笑みで。

 まるで、これから少年に試練や災厄が訪れる事を願うように……。

 

 

 

 

 


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