それは戦闘ではなく、一方的な“殲滅”であった。
駆け抜ける風となった霊夢が、大妖怪であるルカを一方的に攻め立てている。
「くっ……!?」
ありえないと、今の自分の状況を認めたくないかのように、表情を歪ませるルカ。
だが、その気持ちは僕や魔理沙にもよく理解できた。
それほどまでに……今の霊夢は、異質な強さを見せ付けているのだから。
如何なる奇跡か、幾度となく瞬間移動を繰り返し、絶え間なくルカの死角を突いていく。
そして放たれる札や封魔針の威力は、明らかに先程よりも上がっていた。
「チィッ!!」
ルカが不利と悟り、一度彼女と距離を離そうとしても。
「ガッ……!?」
その時には、霊夢は既にヤツの背後に移動しており、無防備となった背中にとんでもなく気合いの入った踵落としを叩き込んでいた。
周囲の地面が揺れるほどの衝撃を放ちながら、地面に叩きつけられるルカ。
そこに降り注ぐ破魔札の雨、しかも着弾すると同時にダイナマイトのように爆発するのだから、こちらにまで被害が及ぶ。
「霊夢のヤツ、人には周囲に被害を出すなって言ったくせに……」
ぶつくさと文句を言いつつも、魔理沙はその場から動けない僕の為に防御魔法を展開してくれていた。
……それにしても、本当に霊夢はどうしたのだろうか。
彼女が強いというのは知っている、けどこれは僕の想像を遥かに越えた強さだ。
破魔札で大穴が開いた地面から飛び出すルカの身体には、決して無視できない傷が刻まれている。
闇の槍が霊夢に迫る、計十五にもなるそれを見ながらも彼女の表情は変わらない。
無表情のまま、瞬間移動を駆使してその全てを回避する。
「……アイツ、なんか、恐いな」
ぽつりと零した魔理沙の呟きに、僕は無意識に頷いていた。
そう、今の彼女は……なんだか恐ろしいものに変貌したように見えてしまう。
能面のように表情を変えず、確実にルカの肉体を破壊していくその姿は、延々と同じ作業を繰り返す機械のように映る。
先程彼女が見せてくれた優しい笑顔が頭の中に残っているからこそ、より恐ろしさが増していた。
けれど、それが嫌というわけではなかった。
だって今の彼女の攻め方は確かに恐ろしいものに見えるけど、相手を怒りこそすれ憎しみを抱いて戦っているようには見えなかったから。
何か自分にとって譲れないものの為に、その為に戦っているように見えるから、さっきとは別の意味で目を奪われた。
「ガァァァァッ!!」
ルカの聞くに堪えない叫び声と共に、周囲の闇が何かを形作っていく。
それらはすぐに先程のような槍状の物体になったが、その数は倍以上にまで増えている。
「いい加減に、しろおおおぉぉぉっ!!」
怒りの声に呼応して、闇の槍が一斉に霊夢へと襲い掛かる。
百近いそれは秒を待たずに彼女の身体を容赦なく針千本にするだろう。
だが、霊夢はあくまで視界をルカに向けながら両手を自身の胸の前でパンッ、と合わせ博麗の巫女の秘術を発動させ追撃を仕掛けた。
「夢想封印・瞬」
ほぼ同時、文字通り一瞬で彼女の周りに八つの虹色に輝く光球が生み出される。
主の命を待たずに光球は迫る闇の槍へと向かっていき――その全てを相殺した。
「なっ!?」
驚愕するルカ、それも当然だ。
あれだけの範囲の攻撃を、ただの一瞬で相殺させるなど予想できるわけがない。
動きを一瞬止め、僅かな隙を見せるルカに霊夢は肉薄し。
「がふっ!?」
まずは右の拳をルカの腹部に叩き込み。
「ごあっ!?」
続いて左の拳で強力なアッパーカットをお見舞いしてから。
「ぎゅっ!!」
ぐるん、と勢いをつけた後ろ回し蹴りを、容赦なく首へと突き刺した……!
地面を削りながら吹き飛んでいくルカに向かって、霊夢は両手で持った破魔札を投げ放つ。
彼女の手から離れた札はまるでミサイルのように飛んでいき、ルカの身体に触れると同時に先程以上の大爆発を引き起こした。
「…………」
痛みも忘れるほどに、目の前の光景に目を奪われる。
魔理沙も同様に茫然としており、完全に蚊帳の外状態だ。
「……が、ぎぃぃぃ」
もうもうと立ち昇る煙の中から、這い出るようにルカが姿を現す。
その姿は悲惨なもので、全身から血を流し右腕に至っては半分以上消失していた。
「な、なんで……こんな、ガキにボクが……」
「そんなボロボロの状態でも減らず口が叩けるのね、そうやって他者を見下さないと己を維持する事ができないのかしら?」
「ふざけるなあっ!! お前みたいな未熟な巫女如きが、どうしてボクの身体をこうも一方的に」
「――
ルカの言葉を遮って、霊夢は上記の問いを口にする。
……アメノホアカリといえば、太陽の火や熱を神格化した神だったか。
「闇に生きる妖怪は、太陽の光は武器になるって事を思い出してね」
「ま、まさかお前……“神降ろしの秘術”が扱えるっていうのか!?」
狼狽し始めるルカに、霊夢はしてやったりと凄まじい邪悪な笑みを浮かべる。
もはやどっちが悪者かわからない光景である、しかし神降ろしというのは一体何なのだろうか。
〈神霊の力を借りる事ができる上級の秘術の1つだ、あの若さでソレを使えるとはたいした嬢ちゃんだな〉
八咫烏が説明してくれた、というか今の今まで反応がなかったのはどういう事なのか。
問い質してやりたかったものの、今は霊夢達の方に意識を向けるのが先決だ。
とはいえ、もう勝負は決まったと言えるだろう。
神降ろしの秘術の恩恵か、今の霊夢の攻撃全てにルカにとって致命的となる太陽の力が込められている。
だからこそあれだけのダメージを与えられたのだし、更にその恩恵がまだ続いているというのなら、ヤツに打開策はない。
それに何より、今の霊夢からは誰にも負けない程の凄まじい気迫と闘志が吹き荒れんばかりに溢れ出している。
何が彼女をそうさせたのかはわからないけれど、今の彼女に勝てる存在なんかいないんじゃないかと本気で思える程に頼もしい。
「さて……じゃあ、そろそろ覚悟を決めてもらおうかしら?」
「覚悟? 覚悟だと!?」
ルカの瞳に、先程以上の怒りが宿る。
……ここまで一方的にやられても、まだ他者を見下せるのか。
自分よりも下位の存在だと認識しているからこそ、ルカは今の状況を認めず自分を追い込む霊夢を憎んでいる。
彼女の言う通り、他者を見下さなければ己を維持する事すらできないのかもしれない。
「大妖怪であるこのボクを、お前みたいな未熟なガキ巫女が、本気で倒せると思っているのか!?」
「倒すわよ。だってそれが私の仕事であり存在意義だもの」
「あそこに居る屑に庇ってもらわなければ、さっきの攻撃で死んでいた雑魚の癖に、生意気を……!」
「…………屑、ですって?」
瞬間、重苦しかった周囲の空気が、更に重くなった。
それと同時に、霊夢のルカに向ける瞳には直視できない程の殺意と敵意が宿っていた。
「……確かにナナシは馬鹿かもしれないわ、だってああも簡単に自分の身を投げ出して私を庇うんだもの。
そればかりか、死ぬと判っていても自分で誓った約束を果たそうとして……本当に、馬鹿よ」
遠慮なく人を批難しながらも、そう告げる霊夢の口調は優しいものであった。
愚かではある、でもその生き方は決して間違ったものではない。
そう言ってくれているような気がして、なんだか嬉しくなった。
「でもね、アンタや私みたいな自分の事しか考えられないようなヤツが、アイツを馬鹿にする権利なんかない。人として尊い生き方を貫こうとしているアイツを、アンタみたいな愚者があーだこーだと口を出す事は許さないわ!!」
「っ、ボクが……愚者だと!?」
「……霊夢」
「へぇ……まさかアイツの口から、あんな言葉が出るとはなあ」
本当に意外だったのか、上記の言葉を呟く魔理沙は本気で驚愕している。
でも、それは僕も正直同じ気持ちであった。
霊夢とはまだ知り合って間もない間柄だけど、彼女はきちんと現実を見据えて動くタイプの女の子だ。
僕のような理想論を語らず、ただ現実を見て行動する。
そんな彼女が僕の考えを「馬鹿」だと正直に告げつつも、決して否定せずあまつさえ「尊い」と言ってくれたのだ。
「ボクを誰だと思っている? かつて大妖怪として多くの人間や妖怪に恐れられた……」
「だから何? 時代遅れのロートルよ、私からすればね」
「ロッ……!?」
ルカの表情が、驚愕のまま固まる。
霊夢の暴言も凄まじいものだけど、ここまで来て尚も変わらないルカの心中も凄まじいものだ。
物凄い力を持っているのは充分に理解できている、そして人間とは比べものにならない程の年月を生きているのもわかる。
だけど、それだけに固執して他者を認めず、受け入れず、見下す事しかできないヤツの姿は……。
「……ふざけるな、ふざけるなふざけるなふざけるなあっ!!」
「…………」
「たかだか人間風情が、このボクを……大妖怪であるボクを見下す事が、許されると思っているのかあっ!!」
激昂するルカの表情には、もはや一片の余裕も見られない。
追い込まれているのだ、それも霊夢の言葉ではなく自分自身の自尊心に、ヤツの心は蝕まれていく。
その姿は、倒すべき相手だというのにひどく可哀想に見えてしまい。
「……もう、やめるんだ」
思わず、そんな言葉を口にしてしまっていた。
「なん、だと……!?」
「もうこれ以上、自分を追い込むな。これ以上続けたら本当に独りになるぞ?」
「っ、何を訳のわからない事を……!」
「そうやって誰も彼も否定して、見下して、一体何が残るっていうんだ?」
残るものなど、得られるものなど何もない。
向かう先はただの孤独、独りぼっちという現実だけだ。
そんなの、あまりにも悲し過ぎる。
勿論、コイツを許すつもりなんかない、罪が消えるわけではない。
だけど、それでも今のヤツの姿はあまりにも……。
「あ、憐れんだな!? ボクを、お前みたいな屑が憐れむのか!!」
「…………」
「ゆ、許さない……お前みたいな何の力もない、八咫烏が居ても足手纏いなゴミが、ボクを憐れむなんて……!」
ルカの殺気が膨れ上がり、その全てが僕に向けられる。
だけど今の僕には恐ろしいと感じず、ただヤツの言う通り……憐れんでいたのかもしれない。
「……ナナシに憐れまれるのも、当たり前じゃないの」
「な、何だと!?」
「まあ、それがわからないからアンタはそうやって自分以外を否定するんでしょうけど」
「だ、黙れええぇぇぇぇぇっ!!」
ヤツの叫びと共に、地面から闇が噴き出してくる。
……勝負を決めるつもりだ、霊夢もそれがわかったのか両手を広げ必殺の一手を用意した。
「霊符――」
「人間如きが……人間如きがああぁぁぁアアァアアアアアアァア!!!!」
吹き荒れる闇が、全てを呑み込もうとうねりを上げる。
ヤツの怒りを具現化したかのようなそれを前にして、僕は右手に力を込め。
「――夢想封印!!」
霊夢は、虹色の極光を放つ博麗の秘術を、一斉に撃ち放った。
八つの光弾は1つとなり、光線となってルカの闇と衝突する。
「わっ!?」
瞬間、周囲にスパークを放ちながら眩い光を放ち、両者の一撃は凌ぎを削り合う。
吹き荒れる突風の中、魔理沙は腕で顔を覆い足に力を入れて吹き飛ぶのをどうにか堪えていた。
……足りない、あれでは届かない。
漆黒の闇は極光すら呑み込もうと肥大化を続け、少しずつではあるが霊夢の夢想封印を文字通り溶かし始めている。
霊夢もそれに気づいているのか、更なる霊力を夢想封印に送り続けているが、それでも届かない。
(力が足りないんだ……だったら!!)
〈よせナナシ、そんな身体でオレの力を使うな!!〉
八咫烏の叫びは、完全に無視した。
ここで何もしないわけにはいかない、身体に走る痛みも無視して立ち上がる。
「っ、ぐっ……!?」
ああ、本当に痛い。
痛くて痛くて泣きそうで、どうしてこんな辛い思いをしなきゃいけないんだと叫びたくなる。
……だけど、そんな弱音なんて吐けない。
霊夢があんなに頑張っているのに、僕達や里を守ろうとしているのに。
「――負けるわけには、いかないっ!!」
右腕に宿る黄金の光。
その手を掲げ――光の帯は、天高く伸びていく。
出し惜しみも、加減もいらない。
今の僕ができる最大の力で、アイツを倒す……!
「うっ……」
ぐらりと、視界が揺れた。
拙い、本当に意識が途切れそうに……。
「しっかりしろって、ナナシ!!」
「……魔理沙」
後ろに倒れそうになる僕の身体を、魔理沙が支えてくれる。
これなら……いける筈だ!!
「いけナナシ、ぶった切ってやれ!!」
「う――おおおおぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
極限まで伸びた光の剣を、叫びと共に振り下ろす。
放たれた光の剣は闇に呑まれかけた夢想封印と混ざり合い、虹色の剣へと生まれ変わった。
「な、にぃぃぃぃぃっ!?」
「通れええええええええっ!!」
闇が、消えていく。
虹の極光の前に、ヤツの闇が霧散していく。
そして、完全に消え去った闇の守護を失ったヤツは、その目に憎悪と驚愕を宿したまま……。
■
どうやら終わったようだ、里を覆い尽くそうとしていた闇が少しずつ晴れていく光景を目にして、紫はそう確信した。
それにルーミアが展開した結界を解くと同時に飛び出していったのだ、心配する事はないだろう。
「紫様、どうでしたか?」
「大丈夫よ藍、全部終わったわ。まあ結末は私の望んだものとちょっと違ったものになってしまったけど」
「では……ルカを倒したのは、あの子ではないと?」
「正確には霊夢と協力してだったけど……正直、今回の件は彼に始末してもらいたかったわ」
残念ですわー、さして残念でもなさそうに言う主を見て、藍は首を傾げる。
……今回の件を、彼女は博麗の巫女である霊夢ではなくナナシに解決してもらおうと思っていた。
それが藍には理解できない、幻想郷での異変を解決するのは巫女の役目だというのに……。
「あの子には、成長してもらわないといけないのよ」
「成長、ですか……?」
「もちろん霊夢もだけど、あの子はあくまで幻想郷の秩序を守る博麗の巫女であってくれればいい」
「……紫様は、彼に一体何を望むのです?」
ただの一般人で、外の世界で生きてきた彼を紫は強引に幻想郷へと連れてきた。
だというのに今の今まで接触はせず、自由に行動させ……幾度となく命の危険に晒されても尚、助けようとしなかった。
あまりにも不可解だ、元々あまり考えの読めない主ではあるが、今回のは余計に理解できない。
「藍、あなたはどうして今回の件が起きたと思う?」
「えっ?」
「……ルカの封印は絶対に解けない筈だった、なのに今回の事態が起こったという事は、幻想郷の地そのものに異変が起き始めていると考えていいわ」
「では、何者かが暗躍していると?」
「それもあるでしょうけど、何より……この大地が磨耗してしまっているという事よ。だからこそあの子には成長してもらわないと困るの」
「しかし紫様、彼は確かに不可思議な力を持っているようですがただの人間です。その身に八咫烏を宿しているからといっても……」
「違うわよ藍、八咫烏の力はどうだっていいの」
そう、紫が望んでいるナナシの力は八咫烏のものではない。
死への恐怖と体験によって目覚めに至った力、他者を“癒す”力にこそ着目しているのだ。
今はまだ他者の傷を癒す程度の領域ではあるが、あの力が成長すればいずれは……。
「ふふっ……早くその時が訪れてくれればいいのだけれど」
「…………」
「そろそろ帰りましょう、私達の出番は終わったわ」
「御意に」
スキマを開き、紫は藍を連れてその場から消え去ろうとする。
その前に、彼女はもう一度視線を人里に……正確には、ルーミア達に支えられているナナシへと向けながら。
「頑張りなさいな、貴方はいずれ……この地の“贄”になるのですから……」
口元に邪悪な笑みを浮かべながら、ぽつりと不気味な言葉を呟き。
今度こそ、境界の彼方へと消えていった……。