謎の妖怪の手から生き延びた僕は、そう強く願った。
自分にできる事をする為に、八咫烏の力を使いこなせるようになるために。
そして何よりも、簡単に他者の命を奪おうとするアイツを止める為にも、強くならないと……。
強くなる、そう決めた。
だから八咫烏の力を自由に使えるようにする……と、決めたのはいいものの。
〈お前、基本的な事がまるでなってないから。まずはその身体と心構えを鍛えないと話にならん〉
いきなり出鼻を挫かれてしまった、それはもうバッサリと。
基本的な事がなっていない、それは即ち……僕自身がまるで鍛えられていないという事だ。
常日頃から鍛えていないのだから、身体が作られてないのは確かである。
それだけじゃない、何よりも僕には命の奪い合いという環境に慣れていない。
そういった空気に触れ、その中でもきちんと己を保てるようにならなければ、話にならないと八咫烏は言った。
〈まあ、その辺はもう少し経験すれば大丈夫だろうけどな〉
何度も襲われた甲斐があったじゃねえか、さらりと酷い事を言ってくる八咫烏に文句を言いながら、大の字になっていた身体を起こす。
……身体の節々が痛い、腕や足を動かそうとすると鈍い痛みが押し寄せてくる。
「だ、大丈夫ですか……?」
「うん、大丈夫。鈴仙が気にすることなんかないよ」
少し焦った様子の鈴仙にそう言いながら、立ち上がる。
身体作りと“戦闘”という環境に慣れる為に、永遠亭の中にある小さな道場で鈴仙に鍛えてもらうように頼み込み、早速とばかりに組み手をしてみたのだが。
まあ、予想通りというか、まったく敵わず逆にボコボコにされてしまった。
言い訳のしようがない惨敗である、わかっていた事だけどちょっと悔しい。
「でも鈴仙は凄いね。月の玉兎の中でエリート中のエリートって言われてただけはあるよ」
「あ、あはは……そんなたいしたものじゃないですよ」
謙遜する鈴仙だけど、素人目から見ても本当に無駄なんて微塵も無い動きだった。
彼女は月に居た頃、他の玉兎……妖怪兎達の中では抜きん出た戦闘の才能の持ち主だったらしい。
だからこそ当時の上司に可愛がられ、その才覚を伸ばそうと厳しい鍛錬を積んできたそうだ。
前々からその話は聞いていたけれど、今日初めて鍛錬をしてもらい……その言葉の意味を真に理解した。
空気が一瞬で変わったのだ、初めて見せる“戦士”としての鈴仙に、僕はすぐさま格の違いを思い知らされた。
後はまあ、攻め込んでは返り討ちにされ、失神を繰り返し、どうにかこうにか目で追えるくらいになったと思ったら、彼女が少し加減を無くすと同時に振り出しに戻る。
それを何度も何度も行なって、気がつけばもう二時間以上が経過していた。
結果としてはこっちは大の字になってぜーぜー言っているのに対して、鈴仙は息を乱すどころか汗1つ流していない。
人間と妖怪という種族の差はあるけれど、これもまた経験の差というのものなのだろう。
「どうぞ」
「あ……すみません、椛さん」
竹で作られた水筒を手渡してくる椛さんに、感謝しつつそれを受け取る。
「……あのさ、いつまで居るの? 確かあなたの傷はもう治っている筈なんだけど」
「滞在の許可は貰っている、ああだこうだと言われる筋合いは無いと思うが?」
「そりゃあないけど……」
不満げな表情を浮かべながらも、鈴仙はそれ以上何も言わず押し黙る。
彼女の言う通り、椛さんの傷はもう治っていた。
だというのに彼女は山に帰らず、そればかりか。
「もしそちらがよろしければ、暫くここへ滞在させてはもらえないでしょうか?」
などと言い出し、意外にも八意先生と輝夜さんがあっさりとOKを出し、今に至る。
あの2人が許可した際に何やら厭な笑みを浮かべていた辺り、何か含みがあるんだろうけど。
それから椛さんは永遠亭にて雑用を手伝いつつ、今のように僕の世話を甲斐甲斐しくしてくれている。
曰く、「一度ならず二度までも命を救ってくださったのですから、これぐらい当然です」との事だけど、そこまでしなくてもなあ。
「そういえば椛さん」
「はい、なんですか?」
「率直に訊きたいんですけど、僕って戦いの才能とかってあります?」
アイツを止める、そう決めた以上は戦わない道は選べない。
だからこそ今はこうして鍛えてもらっているのだ、とはいえ強くなろうとしている手前、やっぱりそういうのは気になる。
椛さんなら剣士として凄腕だしさっきの鍛錬を見ていたから、きっとわかるだろうと問いかけてみたのだが。
「あー……えっと、その……」
返ってきたのは、なんとも返答に困るといった様子であった。
……うん、いいよ、今のでわかったから。
どうやら僕にそういった才は存在しないらしい、半ば予想していたけど……悲しい。
「で、でも動きに早くも無駄がなくなってきていますし、成長はしてますって!!」
「そ、そうですよ!!」
うん、必死にフォローされると余計にヘコむのでやめてくださいお願いします。
なんだか泣きそうになってきた、そんな中。
「――邪魔するわよ?」
道場の扉が開かれ、紅白の巫女服に身を包んだ少女。
博麗の巫女である、博麗霊夢が入ってきた。
「霊夢?」
「……変わった面子ね、なんで天狗がここに居るの?」
「そちらには関係ないと思うのですが?」
わざわざ面倒そうに、辛辣な言葉を言い放つ椛さん。
しかし霊夢は微塵も気にした様子もなく、僕へと視線を向けた。
「それもそうね、こっちも興味ないし用があるのはナナシだから。
それでナナシに訊きたい事があるんだけど……あんた最近、ルーミアと会ってる?」
「ルーミアと? いや……実はここ二週間近く会えてないんだ」
最後に会ったのは、バレンタインの日だったか。
その後はドタバタと忙しかったし、地底に行ったりもしていたから。
「そう……ならいいわ。邪魔したわね」
「ちょっと待って、ルーミアがどうかしたの?」
「…………」
「霊夢……?」
沈黙する霊夢に、なんだか嫌な予感がした。
ルーミアを捜しているであろう彼女の目が、僕にはひどく恐ろしいものに映っている。
話を聞かないわけにはいかない、さりげなく彼女に歩み寄り安易に帰らせないようにした。
「霊夢、答えてくれるかな?」
「……人里で、ちょっとした事件が起きたのよ」
「それにルーミアが関係してるって事?」
頷く霊夢。
「ルーミアのによく似た妖力の残滓が見つかったのよ、なら話を聞いてみようと思うでしょ?」
彼女を捜す理由は話すものの、霊夢はそれ以上の詳細を話そうとはしない。
里に入れなかった時があったけど、そういう事だったのか……。
「里で何があったの?」
「…………」
「おいそれとは話せないような事件が、起きてしまったのか?」
霊夢は答えない、その態度で嫌な予感が増した。
……頑なに部外者は入れようとはしない里の態度、そして霊夢が見せている沈黙。
その2つで、否が応でも事の重大さを認識できそして。
「――人が消えているのよ、人里から」
彼女の口から、放たれてはならない言葉が紡がれた。
「消えている……」
「神隠し、とでも言えばいいのかしらね。
最初は2人の男性、証言によると飲みに行った帰りにそのまま行方不明。そして一昨日には、一気に十数人の人間が消えているわ」
「それをルーミアがやっているっていうのか?」
「それはわからない、けれど居なくなった被害者の家屋からはアイツに似たの妖力の残滓を感じられる。無関係とは思えないでしょ?」
確かに、それは彼女の言う通りだ。
けれど腑に落ちない点が1つある、彼女の妖力に“よく似た”というのはどういう意味なのか。
「妖力っていうのは私達人間が持つ霊力と同じで各々違うものなのよ、まったく同じ妖力を持つ別個体の妖怪というのは存在しないわ」
「じゃあ、よく似ているっていうのはどういう事なの?」
「考えられるとするなら……親子みたいな血縁者ね。ルーミアに家族が居るなんて聞いた事はないけど」
「消えているって言ったけど、その……えっと……」
「死体はないわ。ただ忽然と、初めから存在していなかったかのように消えてしまったの。身体の一部が見つかったという報告もないわ」
言いづらい事をはっきりと告げる霊夢。
でも、だとすると本当に神隠しのように消えてしまったのか。
……とにかく、このままにはしておけない事態になっている事だけは確かだ。
「霊夢、僕も手伝うよ」
「はあ? ……その気持ちは嬉しいけど、勝手な事をされても困るのよ。里の中はピリピリしてるし、里の住人じゃないアンタにうろうろされたら余計な問題に発展する可能性も……」
「それだけじゃない、僕には追わないといけない妖怪が居るんだ」
「? 何の話なの?」
霊夢に一昨日あった事を話す、すると物凄い剣幕で怒られた。
妖怪と真っ向から対峙して戦ったのが拙かったのだろう、手に持っていたお祓い棒で容赦なく叩かれ妖怪の危険性をこれでもかと力説される。
心配してくれているのは判るけど、叩く力にもう少し加減が欲しかった……。
「まったく……いい? 言っておくけど、その妖怪とやらを追いかけるのは絶対に許さないからね?」
「……そういうわけにはいかないよ。アイツの闇は……放ってはおけないものなんだから」
「…………闇?」
霊夢の表情が変わる、何かに至ったような……思案に暮れる顔。
彼女は暫し何かを考え込み、顔を上げると同時に僕に里に来るよう言ってきた。
「でも、里に入るなって……」
「事情が変わったわ、それに協力する気はあるんでしょ? ああ、それとそっちの2人は来ないでよ? 今の里に妖怪が入ると面倒だからね」
霊夢の言葉に反論しようとする鈴仙と椛さんだが、里の事情を考慮してか口には出さなかった。
反対していた彼女が突然協力を申し込んできた理由は判らないが、できる事をしなければ。
すぐさま八意先生に事情を説明して、許可を貰ってから僕は霊夢と共に里へと向かったのだった。
■
身体が、ぶるりと震える。
目の前に広がるのは、一軒の家屋。
一昨日被害に遭い、今も行方知れずとなっている家族が住んでいた家屋らしいが……。
「……アンタも感じられるみたいね、この家の異常さに」
「霊夢、ここ……本当に人が住んでいた場所なの?」
そう言いたくなるほどに、この家はおかしかった。
ここまで別の世界からやってきたような、昼間の中に夜があるような、矛盾した空間。
里へとやってきて、霊夢に真っ直ぐここへ連れてこられたけど……来た事をおもわず後悔したくなるほどに、恐ろしい地獄の入口を目の当たりにしていた。
「ここだけじゃない。里の点々にこういった場所があるのよ」
「……この家の、人達は」
「今も見つかってない、手掛かりだってないけど……」
そこまで言って、霊夢は押し黙ってしまった。
……その先は、言わなくても判る。
判るから、それ以上彼女が口にしない事に感謝しつつ、中へと入った。
「…………ぁ」
中は、何の変哲もない光景が広がっていた。
3人分の布団、その内の1つは小さかったからきっと子供のものだ。
他に目立ったものはない、ただここに暮らしていたであろう人間がいないだけで、静寂に包まれている普通の家だった。
ただその静寂は、酷く歪で吐き気を催す程に恐ろしく……認めたくない現実を思い知らせてくる。
「消えてる……本当に、この家は
人が居た形跡など感じられず、完全に気配が途絶えた空間と化している。
それだけで判る、判ってしまう。
もう、この家には、否、ここと同じ様になっている家に居た者達は、全員……。
「……家を出ましょう。酷い顔になっているわ」
真っ青になっているであろう僕を、霊夢は気遣ってくれた。
けれど僕は首を横に振ってその提案を拒否する。
まだ何もしていない、協力すると決めたのにただ事件現場に入って気分を悪くするだけなんて許されない。
(八咫烏、この空気……)
〈ああ、ひでえモンだ……完全に喰われたな。ここに居る住人達は〉
怒りを言葉に乗せながら、八咫烏は言った。
傍から見れば、建物に何の損傷もないこの現場は綺麗なものだ。
だが中身は凄惨で、直視できない闇が広がっている。
残っているものは気分を害する妖力の残滓と、無情な現実に対する憤りだけ。
「アンタも判る? ルーミアに似た妖力の残滓があるって」
「うん、だけどこれは……」
確かにルーミアの妖力に似ている、でもよくよく意識を集中させると別物だ。
今までの体験と八咫烏を受け入れた恩恵で、こういった芸当もできるようになっている僕だからこそなのか、漂う妖力の残滓が彼女のものとは違うと明確に認識していた。
というよりもだ、僕はこの妖力の持ち主が誰なのかを理解しているような気さえした。
「っ」
でも思い出すのが恐くて、頭に浮かぼうとした光景を振り払おうとする自分が居た。
「駄目だ、そんな事じゃ……」
情けない自分を叱咤する。
お前は何のためにここに来た? 自分にもできる事があるかもしれないと思ったから、協力すると言ったのだろう?
思い出せ、お前はこの妖力が何なのかを知っている。
つい最近ソレを目の当たりにして、尚も立ち向かったではないか。
「……そうだ、これは」
「? ナナシ、どうしたの?」
沸き上がる恐怖を怒りと使命感で蓋をして、僕は改めて現場を見た。
漂う空気を肌で感じ取り、何度も何度も己の中で確認してから。
「霊夢、この妖力は……ルーミアのものじゃない。これは……僕と椛さんが一昨日戦った妖怪のものだ」
確信を込めた声で、霊夢にそう言った。
「……そう、やっぱりね」
「え、やっぱりって?」
「アンタがさっき話した妖怪の話を聞いてね、もしかしたら犯人はそいつなんじゃないかって思ったのよ。
一昨日の戦いで負傷したソイツは、自らの身体を修復する為に里の人間を襲った。アンタの話と今の発言で確証が持てたわ」
「……ちょっと待って、じゃあ」
僕が、あの時アイツを倒せなかったから、今回の被害者が……。
「言っておくけど、アンタに非なんてこれっぽっちもない事を忘れないで。自分のせいで……なんて口にしたらしばくわよ」
本気の口調で釘を刺し、僕の考えを否定する霊夢。
その気持ちは嬉しい、だけどそう考えてしまう。
自惚れているのはわかっている、過ぎた事を考えても仕方のない事も理解している。
〈ナナシ、今は自分を責めてる状態じゃねえだろ。自分にできる事をすると決めたのなら迷わず前に進め〉
無意味な事をするなと、八咫烏にも釘を刺された。
……そうだ、今はそんな事を考えている場合じゃない。
より一層アイツを早く見つけなくてはならなくなった、これ以上犠牲を増やすわけにはいかない。
「とにかく家を出ましょう。アンタのおかげで犯人は判ったし……まずはルーミアを見つけるわよ」
霊夢の声に無意識に反応し、一緒に家を出る。
精神的に酷く疲れてしまったのか、足を動かすのが億劫だ。
まるで鉛になってしまった感覚に戸惑いながら、これからの事を彼女と話そうとして。
「よ、妖怪だ!!」
通行人の、悲鳴に近い叫び声を耳に入れながら。
僕達の前に降り立った、ルーミアへと視線を向けた。