そこで出会った星熊勇儀さんという鬼の女性の頼みで、覚妖怪である古明地さとりさんという方と友達になろうと思ったのだが、いきなり辛辣な態度を向けられてしまう。
そんな中、地底のある一角である異常が発生している事に、僕達はまだ気づいておらず……。
「……冷たいねえさとり、心を読めるお前さんならこの子が嘘を吐いてないってわかっているだろうに」
お帰りください、そう冷たく言い放った古明地さんを責めるように勇儀さんは言い放つ。
対する古明地さんは非難する勇儀さんの言葉に一切気にした様子も見せず、再度僕を拒絶した。
「いつまで呆けているんですか? ここにはもう用はない筈です、早々に地上へ戻りなさい」
睨み付けるようにこちらを見つめながら、強い口調でそう言ってくる古明地さんに、反応を返せない。
冷たい態度を向けられているのがショックというのもあったけど、なんというか……違和感を覚えたのだ。
「気のせいですよナナシさん」
「あ……」
「私はあまり他人の心を読みたくないのです、汚い本心を見る度に……不快な思いをしなければなりませんから」
確かな怒りと悲しみの感情を込めて、古明地さんは上記の言葉を吐き捨てた。
勇儀さんの言った通り、彼女は今まで沢山の嫌な心を読んできたのだろう、今の言葉でそれがよく判った。
「判った気になられるのも不快です」
「す、すみません……」
「謝られるのでしたら、早くここから居なくなってくださいませんか?」
と、取り付く島もない……。
これ以上ここに居てもお互いの為によくない、そう判断した僕は今回は諦めようとこの場を離れようとするのだが。
「――さとり、随分と物言いがキツイじゃないか。まるでこの子を自分から遠ざけようとしているように見えるよ?」
勇儀さんが一歩前に出て、古明地さんと対峙した。
「ええ、人の心は醜いもの……それを遠ざけたいと思うのは当然ではありませんか?」
「そりゃそうだ。けどあたしにはそれが理由でナナシを遠ざけようとしているとは思えないんだよ」
「えっ?」
それは、一体どういう事なのか。
古明地さんに視線を向ける、けれど彼女は表情1つ変えずに反論を返した。
「何を根拠にそう言っているのですか?」
「鬼は嘘を吐かない生物だ。だからかね、他人が嘘を吐いているのか吐いていないのかが何となくわかるんだよ」
「……根拠は何ですか、と訊いているのですが」
「心を読めるアンタなら気づいている筈だよ、この子の心が澄んでいる事ぐらい。だからこそあたしも萃香もこの子が気に入ったんだ。
――さとり、アンタはナナシの心を読んで嫌な思いをしてほしくないと思っているから、わざと今みたいな態度で遠ざけようとしたんじゃないのかい?」
再度問いかける勇儀さんに、今度は何も答えようとしない古明地さん。
肯定はしていない、でも彼女が見せた態度は否定もしていなかった。
……もし彼女の本意が勇儀さんの言った通りだとするなら。
「古明地さん」
「勇儀さんの推測はあくまで推測、私の本心ではありませんよナナシさん」
「それは、本当に?」
「本当です。……本当に呆れたものですね、これだけ冷たくされてもまだあなたは私と友人になりたいと思っているのですか?」
当たり前だ、だって拒絶の意志が偽りである可能性があるのなら、こちらが諦める道理はない。
「何故そこまで拘るのですか? あなたには他に友人がいらっしゃるではありませんか、私のような覚妖怪に固執する意味など……」
「僕自身が古明地さんと友達になりたいと思ったからです、それだけじゃいけませんか?」
「…………」
「最初は勇儀さんに連れてこられただけですけど、古明地さんと友人になりたいと思ったのは僕自身の意志です」
はっきりと、嘘偽りもなく本心を話す。
理由などただそれだけでいい筈だ、人間とか妖怪とかそんなものに縛られるつもりなんて毛頭ない。
古明地さんの僕を見る目が驚きと困惑の色に変わる。
それはそうだ、僕だって人間と妖怪の関係性がどんなものなのかは知っているし、それならばこんな考えなど抱かないというのが当たり前の認識だ。
だけど、それでも僕にとってそんなものなど関係ない。
「……さとり、ここまで言われてもアンタは自分の心を偽るのかい? 心を読める覚妖怪としてはあまりに情けないと思うんだけどねえ」
「…………後悔する事になります。私は否が応でもあなたの心を読んでしまう、見られたくない事だってあるでしょう?」
「それは、まあ……だけど仕方ないじゃないですか。覚妖怪ってそういうものなんでしょう?」
僕達が呼吸をしなければ生きていけないように、覚妖怪にとってはその行為は呼吸をするに等しいものなのだろう。
生きているのならばそうせざるをえない、それをどうして否定する事ができるというのか。
心を読まれたくないのは本音だ、僕は心を読まれても構わないなんて言えるほど器の大きい人間じゃない。
でも心を読まれるリスクがあるとしても、友人になりたいと思った心は偽れなかった。
沢山の繋がりを持ちたいと思う自らの心を、否定する事なんかできなかったのだ。
「……本当に、呆れてしまいますね。あなたのような人間は初めて見ました。
私のような覚妖怪を否定せず、かといって全てを肯定する事もせず友人になろうとする……本当に、おかしな人」
そう告げる古明地さんの表情は、言葉とは裏腹に笑顔であった。
それも先程のような他者を拒絶するようなものではなく、見た目相応の可憐で綺麗な笑みだった。
「あ、あの……可憐とか、綺麗だなんて思わないでください。さすがに……照れてしまいますから」
「あ……はい……」
古明地さん、その態度も可愛らしいですよ。
思わずそんな考えを巡らせると、古明地さんは顔を赤くしてこちらを睨んできた。
……すみません古明地さん、でも仕方ないんですよ可愛いと思ってしまったんですから。
「っ、で、ですからそんな事考えないでください……!」
ますます顔を赤らめていく古明地さん、可愛い……。
って、これじゃあ堂々巡りじゃないか、いったん落ち着こう。
勇儀さんは勇儀さんで古明地さんの姿を見てからからと笑っているし、なんとも奇妙な空気が流れている。
まあ、この様子なら古明地さんと友人になっても別に問題は……。
――どさり、という何か重いものが高い場所から落ちてきたような音が響く。
「――――えっ?」
呆けた声を上げる古明地さん。
けれど僕も勇儀さんも、“それ”を見て同じ反応をせざるをえなかった。
……誰かが、倒れている。
1人は黒髪の大きな漆黒の翼を生やした女の子、もう1人は赤髪の一部を三つ編みにして猫耳を生やした女の子。
2人とも妖怪だというのは理解できたが、正直そんな事はどうでもよかった。
どうして、何故――倒れている2人は、数メートル離れたここからでもわかる程の血を流し、微塵も動こうとしないのか。
「お、空……お燐……」
両手で口元を押さえ、信じられないものを見るかのような表情のまま、古明地さんは身体を震わせている。
その様子からして知り合いなのだろう、それも単なる知り合いや友人ではないもっと深い関係の。
「お空、お燐!!」
弾かれたように地を蹴って、一直線に倒れている2人に駆け寄っていく古明地さん。
数瞬遅れて勇儀さんが動き、その後に僕も駆け寄ろうとして。
古明地さんに迫る、巨大な銀光を見た。
「――、ぁ」
それは、見知らぬ男が放つ大剣による一撃であった。
風を切り裂きながら放たれたそれは、真っ直ぐ古明地さんの首を狙っている。
――避けられない。
古明地さんも自分に迫る死の一撃に気づいたが、もう遅い。
回避する事も防御する事も間に合わず、一秒後には彼女の首は胴と離れる。
勇儀さんが向かっているけれど、それでも間に合わないのは明白であった。
……駄目だ。
こんな唐突に、何の慈悲もなく命が奪われようとしているのに、何もしないなんて許されない。
最後の瞬間まで足掻くんだ、間に合わないというのなら……
急げ。
動け、わかっているのか。
このまま何もしなかったら、目の前で古明地さんが……!
■
「えっ……!?」
「……何だと?」
古明地さんと、彼女に大剣を振り下ろした男の驚愕に満ちた声を、どこか遠くから聞いたような気がした。
自らの両腕の中には、茫然とこちらを見つめる古明地さんの姿が。
何が起きたのか僕自身も理解できず、古明地さんを抱きかかえたまま茫然としてしまう。
「ナナシ!!」
「っ」
勇儀さんの叫び声を耳に入れると同時に、頭上から迫る死の一撃に気がついた。
回避は間に合わない、だから――無我夢中で、
「…………」
地面を砕き、石塊を撒き散らせる男の一撃が少し離れた場所から見える。
……今度は理解した、どういう原理かはわからないけれど。
僕は今、何の予備動作もなく一瞬で離れた場所へと瞬間移動したのだ。
さっき古明地さんを助ける事ができたのも、この力が発動したからに他ならない。
「チッ……何だよ、何の力もない人間の坊主かと思ったら、こんな芸当ができるとはな」
鬱陶しそうに、けれど何故か少しだけ愉しげに男が呟く。
瞬間移動、ジャンプ能力と呼ぶべきこの力に対する考察は後だ。
今は未だこっちに絶殺の意志を向けてくる男から、どう逃げるか考えなくては。
幸いにもジャンプ能力は、治癒の力と同じく自由意思で扱える。
初めて発動させた筈なのに、この身体が使用方法や効果、有効範囲などを理解していた。
現状では一度のジャンプでおよそ五メートル程度しか移動できない、遠くまで離れるには何度もジャンプを繰り返すしかないだろう。
だけどそれができない理由が、古明地さんの視線の先に存在している。
「お空、お燐……」
彼女の視線の先に倒れている、お空とお燐と呼ばれた妖怪少女2人を見捨てるわけにはいかない。
傷だって酷いし意識も失っている、一刻も早く治療をしなければ危ない可能性も存在していた。
しかし、安易に2人に向かってジャンプしても大剣によって斬り捨てられる。
迷っている暇はない、ここは一か八か2人に向かって移動を――
「――よくやったよナナシ、後は任せな」
それは地の底から響くような、力強く身体が震え上がるような声だった。
同時に僕を褒めるその言葉には確かな優しさと暖かさが込められており、視線を声の主である勇儀さんへと向けると同時に。
圧倒的な力の奔流が、この場を、否、地底世界を支配した。
「――――」
男に向かって、勇儀さんはゆっくりと身構え自らの力を解放する。
行なった行為はただそれだけ、ただそれだけでここにいる全員の身体と思考が凍りついた。
なんだ、あれは。
なんなのだ、この力は。
デタラメ、などという表現ではあまりに陳腐な程の強大な力。
それが勇儀さんただ1人の身体から、ジェット噴射のように放出されている。
今にも噴火する活火山のようだ、人の常識では到底計れない力そのものを見せ付けられれば、ちっぽけな思考など彼方に吹き飛ぶのは当然であった。
「こりゃ凄ぇ、さすが鬼といったところか?」
その力を一身に向けられているというのに、男は口元を吊り上げ軽口を叩く。
鬼という強大な妖怪、その中でも特に力の強い勇儀さんを前にしても、男の調子は変わっていなかった。
この男もまた、勇儀さんと同じく人の常識では計れぬ領域に手を伸ばしている存在なのかもしれない。
「……コイツは無理だな、今の俺じゃ敵わねえか」
ぽつりと男は呟き、全身に纏っていた殺気を霧散させる。
「降参するっていうのかい? アンタとは楽しい喧嘩ができそうだと思ったんだけどねえ」
「そりゃあできるだろうさ、けどそこのお嬢ちゃんがなかなか強くてな、結構消耗してんのよ。だからそっちの覚の嬢ちゃんを殺したらすぐに離脱しようと思ったんだが……いや、世の中上手い具合には動いてくれないもんだ」
肩を竦める男からは完全に戦意を感じられず、かといって降参する様子も見られない。
逃げるつもりか、勇儀さんも同じ事を思ったのか男に向ける視線を鋭くさせる。
対する男は、そんな勇儀さんには目もくれず。
「おい坊主、お前の名前はなんていうんだ?」
世間話をするかのような気軽さで、こちらの名前を訊いてきた。
「……ナナシ」
「ナナシ? こりゃまたおかしな名前だが……覚えておくか」
そんな呟きを耳に拾ったと思った時には――男の姿は消えていた。
一瞬、瞬きの間に影も形もなくなった事実に驚愕する。
向こうも瞬間移動の類を用いたのか、全員で周囲を見渡すがやはり男の姿は無い。
「ちっ、逃げるなんざ男らしくないねえ……」
吐き捨てるように言いながら、溢れ出していた力を抑え込む勇儀さん。
それで周囲の空気も元に戻っていき、金縛りに遭っていたかのように動かなかった身体が動くようになってくれた。
「お空、お燐!!」
「わっ!?」
僕の身体を突き飛ばす勢いで、古明地さんが2人の元へと駆けていく。
そうだった、まずはあの2人の傷をなんとかしないと。
古明地さんの後を追って、倒れている2人の前に跪く。
「古明地さん、2人の傷を治します」
「えっ、治すって……」
「アンタ、そんな芸当もできるのかい?」
頷きを返しながら、意識を内側へと押しやる。
この感覚にもだいぶ慣れた、すぐに内にある光へと手を伸ばし黄金の光が両手に宿った。
2人の傷は深い、妖怪だからこそ生きてはいるけど一刻も早く楽にしてあげないと可哀想だ。
そう思った僕は光の範囲を広げ、2人同時に治療しようと試みる。
「っ……」
身体が悲鳴を上げ始めた。
治癒の力に加え、先程使ったジャンプ能力は確実に僕の身体を壊している。
だけどこの程度ならば耐えられる、こんなもの痛みのうちに入るわけがなかった。
だってそうだろう、目の前で血を流したまま意識を失っている2人や。
そんな2人を心配して泣いている古明地さんに比べれば、こんな痛みなんて我慢できる筈だ。
「ぁ、っ……」
黄金の光が、2人の傷を修復していく。
そして、目に見える範囲での傷が完全に消え去った時には。
「…………うにゅ?」
「……あ、あれ? あたいはたしか……」
2人は意識を取り戻し、古明地さんや周囲を見渡しながら困惑していた。
目を醒ました2人を見て感情が爆発してしまったのか、古明地さんが飛び込むように2人を抱きしめた。
「ふぅ、良かっ、た……」
安堵して全身から力を抜いた瞬間、ぐらりと視界が揺れる。
慌てて体勢を立て直そうとしたのだが、それも叶わず地面に倒れ込んでしまう。
「っ、ナナシさん!?」
「……大丈夫、です。少し……疲れただけですから……」
瞼が重い、意識が底なしの闇へと落ちてしまいそうだ。
「ナナシ、ゆっくり休みな。何もかも忘れて……今は休むんだ」
「は、い……ありがとう、ござい、ます……」
勇儀さんの言葉に、甘える事にしよう。
すんなりとそれを受け入れると、もう限界だと意識が一気に途切れていき。
助ける事ができたという強い達成感を全身で感じながら、沈むように眠りに就いた。
■
地底世界の遙か上に位置する地上に、ナナシ達の前から姿を消した男が舞い降りる。
周囲を確認して勇儀が居ないのを認識した男は、ほっと安堵の息を零す。
「――生粋の戦士と名高い“ヴェルム”も、鬼の四天王の一角は恐ろしいか」
「あ?」
男――ヴェルムの前に姿を見せるのは、巨人と呼べるほどの長身を持つ男であった。
堀の深い顔立ち、瞳の奥に見えるのは震え上がるほどの闘志。
筋骨隆々なその肉体には数え切れぬ傷が刻まれ、常に戦いの中に身を置いてきた証となっている。
「誰だ?」
「ヴィラ、そう名乗っている者だ」
「そういう事を訊いてるんじゃねえ、オレに何の用だと問いかけている」
大剣の切っ先をヴィラと名乗る男に向けながら、ヴェルムは射抜くような視線を向けつつ問いかける。
常人ならその視線を向けられるだけで意識を失いかねない重圧が込められており、しかしヴィラと名乗った男には塵芥の効果もない。
涼しげに視線を受け流しながら、ヴィラは静かに己が目的を明かす。
「共に、ここを闘争の世界へと変えてみないか?」
「……なんだと?」
「妖怪達の最後の理想郷などと言われているこの世界を、かつてのような争いが絶えぬ世界にしてみないか、と言ったのだ」
その後。
ヴェルムとヴィラの姿が、幻想郷から消えた。
彼等の姿を見た者も会話を聞いた者も居らず、しかし。
この2人の出会いが、少しずつこの世界を蝕み始める事になる……。