少しでも暇潰しになってくだされば幸いです。
プロローグ ~“贄”の幻想入り~
それは、突然の出会いであった。
「もし、そこの学生さん」
「えっ?」
いつもと変わらない日常、学校へ行って授業を受けて、今日は部活が休みだから友達と遊ぶ約束をして。
そんな一般の学生が経験しているであろう日常の中で現れたその出会いは、あってはならないものであった。
「……僕、ですか?」
家と学校を繋ぐいつもの通学路には、僕以外の学生は見受けないので僕は声を掛けてきた人物に話しかけた。
そこで初めて相手の顔を見て……凄い美人である事がわかり、内心驚いてしまう。
長い金の髪の先端に小さなリボンを取り付け、まだまだ寒い冬の季節だというのに胸元が開いているドレス姿の女性は、優雅に日傘を差しこちらを微笑みながら見つめていた。
何処かのお嬢様なのかと錯覚してしまう程の綺麗な容姿に、おもわず見惚れそうになってしまいそうになる。
呆けた顔をしていたのか、女の人が僕を見てくすくすと笑ってきたものだから、僕は恥ずかしくなりながらも我に返った。
「どうしたのかしら?」
「い、いえ……そ、それより僕に何か用ですか?」
緊張からか、上擦った声を返してしまう。
この周辺では、少なくとも僕が今まで生きてきた中では出会う事などなかった程の美人を前にしては、緊張するなというのが無理な話だ。
そもそもモデル顔負けの容姿を持つ女の人が、ただの学生である僕に声を掛けるなど一体どういうわけなのか。
……まさか、怪しい勧誘の一種か何かか? そんな危惧を思い浮かべていると、女の人は再びにっこりと僕に向かって微笑みを浮かべる。
「貴方に、会いに来たの」
「えっ」
「貴方に、会いに来たのよ」
そう言って、女性はますますその笑みを深めていった。
「…………」
何故、だろうか。
世の男が聞いたら喜びそうな台詞を、とても綺麗な女の人に言われたというのに。
僕が最初に感じたものは、
決して、まだ一月の中旬前の空気の冷たさから来るものではない。
普通に生きているのなら決して経験しない筈の悪寒を、当たり前のように理解し当たり前のように感じ取っていた。
「……えっと、よくわかりませんが急ぎの用事があるので」
一刻もここを離れなければ、そんな強迫観念のようなものに圧され、早口でそう言いながら僕は踵を返す。
だけど、その行動に移るには少しばかり遅かったようで。
「――困りますわ。せっかくいい“
「え……」
踵を返し、女の人に背を向けたはずだというのに。
僕の目の前には、先程と変わらぬ女の人の笑顔があり。
「一撃で、死なないでくださいましね?」
あくまでも笑みを崩さぬまま、女の人は右手で持っていた日傘で、僕の心臓がある部分を貫いた。
「えっ……えっ?」
……避ける事など、できるわけがなかった。
今まで普通の学生として生きてきて、護身術とかそんなものを習っていない僕に避けられる道理などなかったのだ。
「あ……」
不思議と、痛みはそれほどではなかった。
けれど酷い喪失感が全身を駆け巡り、指先から少しずつ感覚が失われていく。
身体が重い、立っていられなくなって前のめりに倒れ込んだ。
「……あら、このまま死んでしまうのかしら?」
視界はもう機能していない中、女の人の声だけが聞こえてくる。
ほんの少しの驚きと呆れ、そして失望の色を乗せたその声は、かろうじて僕を繋ぎ止めてくれていた。
だがそれも数秒、そもそも心臓を貫かれてどうしてまだ意識があるのか。
普通ならとっくに死んでいる筈なのに、どうして尚も僕は意識を失わずにいるのかが不気味だった。
いや、本当はとっくに死んでいてそれを認識できていないだけなのか。
……ああ、でも眠くなってきた。
「期待外れね、生への執着心が薄い……せっかく面白い能力が眠っているのに」
もう、よく聞き取れ、ない。
だけど、見下されているという事だけは理解できて……心底腹が立った。
どうしてこんな目に遭わないといけないのか、それを知らないままここで殺されるなどまっぴら御免だ。
「さようなら人間、無意味な人生でしたわね」
ふざけるな。
いきなり人の心臓を刺し貫いて、勝手に失望して消えるなんて許さない。
血はさっきからずっと流れ続けているし、視界は真っ暗で人としての機能なんか殆ど死んでいる。
けれど、ここで死んでたまるかと歯を食いしばった。
死にたくないと思ったのが何よりの理由だけど、同時にこんな目に遭わせた目の前の相手に一言文句を言ってやりたかった。
感覚はなくなっているけれど、精一杯全身に力を込める。
「――そう、それでいいのよ」
何を、言っているのか。
立ち去ろうとしていた女性が立ち止まり、再び僕の元へと戻ってきたと思ったらおかしな事を言い出した。
「生きたいのでしょう? 死にたくないのでしょう? ならこの理不尽から自力で脱してみせなさい。――貴方には、その力がある」
うるさい。
話しかけるな。
こっちは今にも死にそうなんだ、そんな挑発めいた声なんか聞いている余裕なんてない。
心の中で悪態を吐いていると、それが生きる活力になったのか消えかけていた感覚が戻り始める。
同時に燃え上がるような熱が全身を駆け巡り、思考を茹だらせていった。
その熱は不快感をこちらに与えるものの、そのおかげか眠気は吹き飛び意識が覚醒していく。
「そう、自らを解放して内側にある力を引き出すの。
死に直面した今なら腑抜けたこの世界で生きている貴方でもそれがわかる筈、いいえ……死にたくないのなら、私が憎いと思ったのならそれこそ死に物狂いで身体に覚えさせなさい」
「っ、うる、さい…………!」
いい加減頭に来て、喉元までせり上がっている嘔吐感を無視して叫んだ。
……それが、“引き金”となったのか。
「え……?」
「…………ふふふ」
どくんと、鼓動が爆発したかのように高鳴った。
何が、起きたというのか。
混乱する自身の思考など知らぬと、内側から何かが
正体不明のこの感覚は一瞬でこちらの思考を真白に染め、意識を断裂させていった。
今度は耐えられない、既に九割以上の意識は消え、一秒後には完全に消えようとする中で。
「――合格よ。私の……いいえ、私達の世界の可愛い可愛い生贄さん」
最後まで腹の立つ物言いを放つ、女性の声が聞こえたような気がした……。