Life Will Change   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅堂(しどう) 智明(ともあき)⇒獅堂の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅堂の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・真と三島が可哀想なことになっている。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。


Reach Out To The Truth
どこもかしこも不穏じゃねえか!


 喜多川祐介の日課はデッサンである。モデルを求めて三千里、景色を探して今日も火の中水の中草の中森の中コンクリートジャングルの中あの子のスカートの中――とまではいかずとも、その気概と情熱のままに、東京の街並みを巡り歩いていた。

 

 手で枠を作って景色を切り取る。絵の題材になりそうなものはないかとアンテナを張り巡らせていたとき、祐介はある一点に目を留めた。

 公園のベンチに座っている女性が、スケッチブックに何かを描いている。時折考えるような仕草をしては、柔らかな笑みを浮かべて思いを馳せていた。

 園内にある大きな噴水を描いているにしては、彼女の眼差しは慈愛に満ちているように思う。ここにある景色の他に、もっと別なものを見ている。

 

 

(――ああ、美しい)

 

 

 女性の格好――白を基調にしたゴシックドレス風のワンピース――も相まって、何とも神々しさを感じる。彼女の佇まいは、祐介の中にある創作意欲を強く揺さぶった。

 差し込む陽の光、木漏れ日の中でベンチに座る白いワンピースの女性……完成形を思い描いた祐介はいてもたってもいられなくなって、女性に声をかけた。

 

 

「是非、俺の絵のモデルになってください!」

 

「えぇ……!?」

 

 

 開口一番、祐介にそんなことを言われた女性は表情を引きつらせた。彼女の双瞼には、困惑の色がありありと浮かんでいる。

 

 女性は周囲に助けを求めるようにして視線を彷徨わせる。祐介の耳が正しければ、彼女は「助けて順平」と呟いたような気がした。女性はスケッチブックを膝の上に置き、祐介から逃げようと身じろぎする。その拍子に、スケッチブックに描かれたデッサン画が祐介の視界に飛び込んできた。

 描かれていたのは園内にある大きな噴水だった。だが、噴水はあくまでも添え物。絵の中心となっているのは鳥と戯れる男性だ。この場に彼らしき男性は見当たらないことから、この人物は女性が頭の中で思い描いた人物なのだろう。

 だというのに、絵の中にいる男性は、今祐介の目の前にいると思える程の躍動感があった。絵を見ているだけで、祐介には彼の声が聞こえてくるような心地になる。眩しいばかりの笑顔を浮かべた男性は、描き手である女性への信頼を惜しみなく滲みださせていた。

 

 スケッチからにじみ出るのは、モデルから描き手への信頼だけではない。描き手からモデルへの信頼にも溢れている。

 頭の中でモデルのことを思い浮かべられる程、この女性はモデルである男性を想っている――ただただ、素晴らしいと思った。

 

 

「……見たいの?」

 

「是非」

 

「分かった。いいよ」

 

 

 モデルに関しては引き気味だった女性だが、自分の描いた絵を見せることには抵抗が少ないらしい。彼女の表情は、先程よりも幾分か柔らかいものとなっていた。

 描き手本人からの許可を得て、祐介はスケッチブックに描かれているデッサン画を見せて貰う。元から絵を描き慣れているようで、絵の技術は申し分ない。

 スケッチブックには様々な人物と風景が描かれていた。特に、最初に見た絵に描かれている男性の笑顔が頻繁に登場している。寧ろ、埋め尽くされてると言った方が正しいか。

 

 

「貴女は、彼のことを愛していらっしゃるんですね」

 

 

 ――それが、祐介が女性の絵を見た率直な感想だった。

 

 祐介の言葉を聞いた女性は目を丸くする。幾何かの間の後で、女性はふんわりと微笑んだ。花が咲き誇るような、可憐で幸せそうな笑み。

 柔らかな微笑から、モデルにした男性への惜しみない愛情が溢れだす。それは、いつか見た恩師の絵――『サユリ』を彷彿とさせた。

 

 

「――うん、大好き」

 

 

 その眩しさに魅せられる。女性自身の奥底から湧きだす愛情――件の男性を想う心は、彼女の中だけで留まるようなものではない。それはあっという間に決壊し、赤の他人であるはずの祐介にも流れ込んできた。

 描きたい、と思う。描かねば、と思う。気づけば反射的に、祐介は手で枠を作っていた。枠内に収めなければならないという誓約すら重石になるけれど、それでも収めずにはいられなかった。収めたいと願ったのだ。

 色はどう塗ろう。女性を連想して思い浮かぶのは赤系――どちらかというとピンク系と分類されるものだ。薄桜、乙女色、中紅花、薔薇色、紅唐、紅の八塩――祐介は、自分の頭の中に絵の具を展開させていく。

 

 ならば尚更、女性にはモデルの話を受けてもらわなくてはなるまい。

 祐介が真剣な眼差しで口を開こうとしたときだった。

 

 

「チドリー!」

 

「順平!」

 

 

 遠くの方から響いてきた声を聞くや否や、女性――チドリはその表情をさらに輝かせて立ち上がった。祐介も声が聞こえた方向へ視線を向ける。

 

 そこにいたのは、青を基調にした少年野球団ユニフォームに身を包んだ男性だった。チドリに順平と呼ばれた彼こそが、チドリのスケッチブックに描かれていたモデルの人物だろう。彼もまた、チドリに対しての愛情を惜しみなく滲ませている。

 祐介は再び、手で枠を作っていた。チドリだけのときよりも、チドリと順平が並んでいるときの方が良いと直感したためである。祐介のそれは間違いではなかったようで、先程より一回りも二回りも輝いているように思えた。

 

 チドリの色は決まってる。では、順平の色はどう塗ろうか。彼を見た祐介が連想したのは青系のものだ。花浅葱、紺青色、湊鼠、藍鼠、深縹、花紺青――チドリの色合いとは正反対のものだった。

 だが、不思議だ。全く正反対の色合いを持つ2人だと言うのに、彼と彼女が並ぶと調和が発生する。彼の隣には彼女がいて、彼女の隣には彼がいる――それが真理なのだと、祐介の中にいる“何か”が訴えてくるのだ。

 

 

「そうだ。これだ」

 

 

 祐介は確信した。ベンチから立ち上がり、談笑するチドリと順平の元へ歩みだす。順平がこちらに気づいて振り返った。祐介は真剣な面持ちで、2人へ頭を下げた。

 

 

「2人とも! 是非、俺の絵のモデルになってください!」

 

「待て待て待て待て! お前はいきなり何を言い出すんだ!?」

 

 

 後に、喜多川の友人(本人たちは揃って首を傾げる)となった2名、趣味がスケッチな白ゴスロリ――吉野チドリとお手上げ野球侍――伊織順平のカップルは語る。

 『喜多川祐介は自分の情熱に愚直すぎるが故に、一般常識云々が吹っ飛んでいるだけで、正義感の強い画家である』と。

 

 

***

 

 

 喜多川祐介には年の離れた友人(本人たちは揃って首を傾げる)がいる。片方はデッサン画――本来は洋服などのデザインを本業としている社会人だ――という繋がりを持つ吉野チドリと、彼女の恋人である伊織順平だ。

 

 今日はチドリが描いたデッサン画を見せてもらう約束をしていた。待ち合わせ時間ぴったりにやって来たチドリから、幾つかのスケッチブックを手渡される。祐介はそれを開いた。

 案の定、彼女のスケッチブックを埋め尽くしていたのは順平だった。チドリは順平を愛しているし、順平もチドリを愛している――その事実が尊いもののように思えた。

 そのため、時折混じる他者の絵は本当に珍しい。順平とは違うベクトルだけれど、チドリは彼/彼女らのことも大切に想っている様子だ。祐介は感嘆の息を吐く。

 

 

(――ん?)

 

 

 他者が描かれた作品の中でも、一際祐介の目を惹いたのは、少年と少女の絵だった。ベンチに腰かけて寄り添う2人の手はしっかりと繋がれている。

 少年の足元には白い烏が、少女の足元には黒猫が描かれており、1羽と1匹は幸せそうにじゃれ合う。そんな彼と彼女らを、雪の妖精たちが祝福していた。

 

 初々しさの中に滲むのは、祈りにも似た深い愛情。比翼連理という四字熟語を連想したのは気のせいではない。

 

 

「……この2人を描いたのはいつですか?」

 

「4、5年くらい前。今年で貴方と同年代ね」

 

「そうですか……」

 

 

 祐介は、どうしてかこの絵から目が離せなかった。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 鴨志田卓を『改心』させた僕たちは、怪盗団の次なる獲物を探すことになった。だが、“悪い大人”と言っても、具体的な名前がなければ手を出せない。

 出したい相手がいないわけではない――正直、今すぐにでも獅童を『改心』させたい――が、パレスを特定するキーワードが分からないので一旦保留となっている。

 暗礁に乗り上げた僕たちが休憩用ベンチスペースに腰かけ唸っていたときだった。『有栖川さん』と黎を呼び、息を切らせて秀尽学園高校の男子生徒が駆け寄って来る。

 

 彼の名前は三島由輝。部活はバレー部で、鴨志田によって退学させられそうになっていた人物だ。三島も鴨志田からの暴力によって苦しめられており、自己保身のために奴の使いっ走りになっていたという。黎の暴力事件(冤罪)についての噂を流したのもコイツだった。そのことに関する罪悪感があったのだろう。奴は俺を見るなり開口一番、『俺が悪かったですごめんなさい! 許してください! お詫びに何でもしますから!』と悲壮感満載の顔して頭を下げた。

 以前三島に“しっかりと言い聞かせた”張本人の竜司も顔を真っ青にしていた辺り、『黎は彼氏持ちだからやめろ』というメッセージの後ろには『彼氏によってヤバい目に合わされるぞ』という続きがあったらしい。一応誤解は解いたし許したけれど、三島は俺に対して終始ビクビクしっぱなしだった。黎と話すときは妙に張り切っていたのに不思議なものである。閑話休題。

 

 

『キミたちが怪盗団なんだろう?』

 

『――あまり変なことを言うと法的措置に出るけど。脅迫罪だっけ?』

 

『ヒィッ!? だだだ大丈夫です! 怪盗団のこと、悪用するつもりなんてありませんから! 寧ろ俺は、怪盗団の手助けがしたいんです!!』

 

 

 俺に睨まれた三島は顔を真っ青にしながらスマホを示した。彼のスマホを覗き込むと、そこには『怪盗お願いチャンネル』というネットの掲示板が映し出されていた。

 

 スクロールされた先には匿名アンケート投票があり、『貴方は怪盗団が実在すると思いますか?』という問いと、『YES』と書かれた棒グラフが置かれている。

 『YES』が怪盗団の支持者だと考えると、鴨志田を『改心』させた時点での怪盗団の支持率は6%弱。盛り上がっているのは秀尽学園高校内部だけと言えそうだ。

 

 三島は怪盗団に助けられた人間の1人として、怪盗団の手助けをしたいと思い立ったらしい。彼の善意の結晶が『怪盗お願いチャンネル』という掲示板であった。出来立てのサイトには、「『改心』させてほしい」という書き込みがちょくちょく入っている。

 書き込みの大半が匿名、内容も玉石金剛飛び交うものだ。それでも、情報が集めやすくなったという点では充分貢献している。同時に、三島は怪盗団の活躍に期待しているらしい。『いつか、このサイトの支持率を100%にしたい』と意気込みを語ってくれた。

 支持率云々は怪盗団の指針になり得るだろうが、大衆の考えはあっという間に流されてしまいがちだ。これを見ていると普遍的無意識を連想してしまうのは、俺が体験した珠閒瑠市の一件が原因だろう。

 

 

『大衆の力、か……』

 

 

 あのとき世界が滅ばなかったのは――良く言うならば――“大衆が世界の滅びを認めなかった”からだ。多くの人々が滅びを否定したからだ。

 『ワイルド』使いとその仲間たちが滅びを否定し、真実を掴もうと戦った巌戸台や八十稲羽とは正反対のケースだと言えよう。

 

 滅びの未来を否定した大衆の力を俺は知っている。小さなコミュニティで育まれた絆が世界を救うこともあり得ることを俺は知っている。だから、『何とも言い難い』と言うのが俺の考えだった。

 

 ……最も、それを三島に対して告げるつもりはないが。

 俺には、善意の協力者を傷つけるという悪辣な趣味はないのだ。

 

 

『ありがとう、三島くん』

 

『う、うん! 何かあったらいつでも行ってくれよ? 俺、キミたちのこと応援してるから!!』

 

 

 黎から感謝の言葉を貰った三島は、今にも昇天しそうな程いい笑顔を浮かべていた。

 スキップしながら帰ろうとした彼は、そのまま階段を踏み外して盛大に転ぶ。

 それでも即座に立ち上がってスキップしながら去っていったので大丈夫だろう。多分。

 

 三島という協力者を得たことで、張り切って次の獲物を探そうとした俺たちは早速サイトを覗いてみた。玉石金剛の書き込みを覗く中で、杏が興味深い書き込みを発見する。

 

 

『何々? “元カレがストーカー化して困っています。名前は中野原夏彦”……区役所の窓口員だって』

 

『役所の職員が何してるんだよ……』

 

『うむ、手頃だな。ゴローは“メメントス”のことを知ってるだろ? 行き方をレイにレクチャーしてやってくれ』

 

『了解』

 

 

 呆れる竜司を視界の端に収めつつ、俺は黎に“メメントス”への行き方をレクチャーする。俺の教えたとおりに黎がナビを起動した途端、世界はあっという間に迷宮――メメントスへと姿を変えた。

 

 広大な広さを持つ共用住宅系のパレスだ。シャドウはうようよ跋扈しており、徒歩だけで該当者を探すのは至難の業である。最初の頃――護衛有ありでのメメントス探索――は移動手段が徒歩だったため、大変だったことを思い出す。

 俺がここを単独で探索するときはバイクで探索していた。バイクは桐条美鶴さんから譲り受けたもので、電子機器の一切が停止する影時間でも普通に動く特別性だ。探偵業(偽)を迅速にこなすためには欠かせない移動手段だと言えよう。閑話休題。

 

 大人数の移動手段がないというのに、この人数でメメントスを探索する――とても難しそうだ。誰もが同じことを考えたとき、モナが助け船を出してくれた。

 なんと、モナはメメントスに入ると車に変身できるらしい。馬鹿みたいな話だが事実である。ますます人間から遠ざかっているように思ったが、黙っておくことにした。

 しかもこの車はキーレスであり、手動運転形式だった。高校生で車の運転免許を持っている人間なんて僅かだろう。俺だって二輪車しか持ってない。あとはみんな無免許だ。

 

 『運転手がいないと動かないぞ!』と主張するモナに従うような形で、ジョーカーが運転することに決まった。この中で一番器用なのは彼女だからである。

 そうして俺たちはメメントスの探索へと向かったのだ。だだっ広い迷宮内を車で走り回って、ようやく俺たちは中野原のシャドウと遭遇した。啖呵を切ったのは杏である。

 

 

『アンタがストーカー男ね。相手の気持ち、考えたことあんの!?』

 

『あの女は俺の物なんだよ! 俺の物をどう扱おうと、俺の勝手だろ!? 俺だって物扱いされたんだ。同じことをやって何が悪い!』

 

 

 中野原のシャドウとコンタクトを取ったとき、奴が開口一番に叫んだ言葉がそれだった。あまりにも身勝手な発言は、どことなく獅童の考え方を彷彿とさせる。

 獅童の場合は容赦なく捨てる方だが、中野原の場合は絶対に手放さない方らしい。行動は正反対なのだが、本質にあるモノはどちらも一緒だ。

 元交際相手に対する異常な執着は、『誰かに奪われることのない心の拠り所』が失われたことがトリガーだったのだろう。

 

 恐ろしいことだが、俺は中野原の気持ちが分かってしまう。俺にとっての心の拠り所はジョーカー/有栖川黎だ。彼女がいなければ、俺の人生は成り立たないだろう。もし、彼女の手を離さなければならないときが来たら――考えてはいるけれど、やぱりゾッとする。

 この執着が中野原のように顕現しないのは、ジョーカー/黎が俺を拒絶せず手を取ってくれるからだ。大切なものがこの手の中にあるか否か――それが、俺と中野原の明暗を分けた。小さいけれど、大きな理由。埋めようのない溝のような差。

 

 

『……“手放したくない”という気持ちは分からなくはない。けど、同意はできないかな』

 

『何だと!?』

 

『同意してしまったら、俺の嫌いな奴と同じになってしまう。母さんを物のように扱って、“俺を身籠った”という理由で母さんを捨てて行ったアイツみたいになりたくない』

 

『お前……捨てられたのか……? 俺と同じで――……でも、だったら!』

 

『今のあんた、方向性は違うけど、ソイツと同じ目をしてるぞ』

 

 

 俺の言葉を聞いたスカルとジョーカーも、畳みかけるようにして言葉を重ねる。

 

 

『自分がやられたからって、他人を物扱いすんな! ふざけやがって……』

 

『貴方は自分が物扱いされたとき、辛かったでしょう? 苦しかったでしょう? その痛みをよく知っているのは、他ならぬ貴方じゃなかったの?』

 

『うるさい! 俺よりも悪い奴らは沢山いるじゃないか! マダラメみたいに!! なのに、どうしてマダラメは許されるんだよ!?』

 

 

 『俺の人生は、マダラメのせいで滅茶苦茶にされたんだ!』と、中野原は叫んだ。刹那、奴のシャドウは異形へと変わる。

 残念ながら、スカルとジョーカーの言葉は届かない。異形はけたたましく叫びながら、俺たちへと襲い掛かって来た。

 

 スカルのペルソナが放った雷に怯んだところから、中野原は雷が苦手らしい。スカルのペルソナやジョーカーの所持ペルソナが用いる雷属性の攻撃を繰り出して中野原を怯ませ、その隙に総攻撃を叩きこむ。

 

 勝敗はあっさりとつき、中野原は正気に戻った。中野原は己の行為を反省し、元交際相手に付きまとうことをやめると約束した。中野原の執着心がおかしくなってしまったのは、彼の“先生”に当たる人物から使い捨てにされたためらしい。

 件の“先生”――マダラメなる人物に捨てられてしまったときのような恐怖や痛みを二度と味わいたくないと、中野原は必死になって足掻いた。足掻いて足掻いて足掻き続けた結果が、ストーカー行為という歪んだ形で表れてしまったのだと彼は語った。

 虐待された人間は自分の子どもを虐待するという話を耳にするが、その心理を目の前で体感することになるとは思わなかった。歪みを取り払われた中野原は、自分が味わってきた痛みや悲しみを思い出したのだろう。深々と頭を下げ――ハッとしたように顔を上げる。

 

 

『なあ、お前らは『改心』できるんだろ? なら、マダラメを『改心』させてくれ! これ以上、俺のような被害者を増やさないためにも――』

 

 

 そう言い残し、中野原のシャドウは消滅した。残されたのは『オタカラ』の芽と呼ばれるモノだ。報酬がてら、ジョーカーが回収する。

 

 ――以前、メメントスでヤクザのシャドウを倒したとき、俺はバッジを拾っている。その後、周防刑事から『ヤクザが出頭してきた』という話を耳にした。

 ……どうやら俺は、無自覚で『改心』を成し遂げてしまったらしい。結果オーライとは言えど、正直迂闊だったとしか言えなかった。閑話休題。

 

 その後は腕試しがてらに迷宮探索とシャドウ狩りに勤しんだ。元からの器用さも相まって、ジョーカーの運転はしっかりしている。

 

 

『ジョーカー、運転には慣れた?』

 

『まあね。……本当は、きちんと免許を持ってる人が運転した方がいいんだろうけど……』

 

 

 パンサーに訊ねられたジョーカーは苦笑した。怪盗団として活動していても、根が品行方正であるジョーカーにとっては後ろめたく感じるのだろう。

 探索を続けていくうちに、メメントス内部の扉に阻まれているエリアに辿り着いた。固く閉ざされた扉は開く気配がない。

 モナ曰く、『民衆がワガハイたちを認めれば先に進めるようになるはず』とのことだ。今の俺たちでは完全に手詰まりである。

 

 大衆の力を使わなければならないと考えると、鍵は三島の『怪盗お願いチャンネル』にある支持率だろう。やはり、俺は珠閒瑠の一件を連想した。

 普遍的無意識の権化たち(フィレモンとニャルラトホテプ)がいい笑顔で親指を立てる姿が浮かんで、俺は思わずかぶりを振った。もう二度とあいつらはこりごりだ。

 

 ――そうして、俺たちは現実世界へと帰還した。空は茜色に染まっており、遠くが暗く滲んでいる。

 

 

「それじゃあ、次のターゲット候補はマダラメなる人物だね。他の候補が出てくるまでは、彼に関する情報を優先的に集めるということでいい?」

 

「構わない」

 

「おう、いいぜ!」

 

「アタシも賛成」

 

「ワガハイも異論はないな」

 

 

 怪盗団、全会一致である。俺も、竜司も、杏も、モルガナも、不敵に笑って頷いた。

 解散して家路につこうという話になりかかったとき、黎が「そういえば」と声を上げる。

 

 

「秀尽の定期テストって、もうすぐだよね?」

 

 

 黎の言葉を聞いた竜司と杏の動きがピタリと止まった。2人の顔色が著しく悪い。平然としているのは俺たちだけのようだ。

 

 ここにきて大きな障害発生。

 学生最大の敵、定期テストである。

 

 俺の場合、特待生奨学金――定期テストで上位10位以内に入り続けないと打ち切りになるものだ――を利用していた。入学してから学年成績1位を死守してきたとは言えど、油断はできない。出席日数と勉学に時間を費やす日々が続きそうだった。

 黎の場合、七姉妹学園高校在学時は全テストで学年首位を守り続けた優等生だ。秀尽学園高校に転校してもその頭脳は健在で、授業中に指名されれば全問正解を叩きだしている(杏と竜司談)という。ついでに、チョークが飛んでくれば華麗に避けるらしい。

 彼女のことだ、東京の中堅進学校である秀尽でも学年首位を掻っ攫うであろう。実際、黎の成績や器用さを目の当たりにした教師や生徒たちが、「思ったよりも怖くないかもしれない」「実は優秀な生徒なのでは」等と噂し始めたそうだ。

 

 

「ぜ、全然勉強してねぇ……」

 

「英語なら得意なんだけど、それ以外がちょっと……」

 

 

 杏と竜司が頭を抱えた。余程、勉強に自信がないように見える。両名は縋るような眼差しで黎と俺を見つめてきた。

 求められることは嫌いではない俺と、困っている人を見過ごせない黎。……答えはもう、決まったようなものだ。

 

 

「それじゃあ、やろうか? 勉強会」

 

「俺の場合、他校の人間で良ければだけど」

 

 

 「明日から」という慈母神の言葉に、杏と竜司は即座に頷き返した。

 

 

◇◇◇

 

 

「こんにちわ。貴女たちも試験勉強?」

 

「はい、そうですけど」

 

 

 ファミレスで勉強会を開いていたら、誰かと面影が似ている女子生徒に話しかけられた。にこやかに話しかけてきた彼女に応えるように、黎も静かに微笑みながら対応する。

 

 黒髪ショートボブに切れ長の眉、朗らかで温和なように見えて実は鋭い瞳の持ち主は、黎たちと同じ秀尽学園高校の制服を身に纏っている。

 第一印象は“品行方正という言葉が服を着て歩いている”と称しても過言ではない“お堅い女”であろう。その癖、頭が切れそうなタイプだ。

 明らかに『敵に回したくない』系列の相手である。いい笑顔の奥からは――僅かではあるものの――僕たちへの不信感が滲んでいた。

 

 

「奇遇ね、私もなの。同じ学校の制服を着ている生徒を見たから、つい話しかけちゃった」

 

 

 ――()()()! ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()!!

 

 俺たちに話しかけてきた女子生徒の返答を聞いて、俺が真っ先に思ったことである。

 勿論、それを口に出すような真似はしない。歯を食いしばって飲み込んだ。

 

 口元が奇妙に引きつってしまったが、女子生徒にはバレていないと思いたい。閑話休題。

 

 

「……なんスか? 会長さん、俺たちに何か用事でも?」

 

「アタシたち、勉強で忙しいんですけど……」

 

 

 竜司と杏も、今回は女子生徒――秀尽学園高校生徒会長の心理を目敏く察知したらしい。そこまでは良かった。

 だが、そのせいで2人は生徒会長を警戒し、この場にはピリピリとした空気が漂い始める。文字通りの睨み合いだ。

 

 

「問題児くんに、噂の彼女、訳アリの転校生、そして――高校在学中に予備といえど司法修習生となった、超有数進学校(他校)の“探偵王子の弟子(有名人)”。変わった組み合わせだなと思って」

 

「……彼らは黎の友人なんだ。黎を介して知り合って、親しくなったんだよ」

 

「そうでしょうね、明智くん。有栖川さんは、貴方が愛してやまない特別な人ですものね。“お姉ちゃん”から苦情(おうわさ)はかねがね伺っているわ」

 

 

 生徒会長の言葉からは、俺に対する刺々しさが宿っている。怒りとか、恨みとか、嫉妬とか、とにかくうまく言い表せないドロドロとしたものが纏わりついているように感じた。

 「司法修習生(予備)」「お姉ちゃん」「苦情(おうわさ)」――彼女が出したワードを拾い上げた俺は、即座に対象者を引き出した。……彼女は、新島冴さんの妹さんだ。

 確か、冴さんから聞いた妹の名前は真だったか。牽制がてら「時折、貴女の自慢話につき合わされることもあるよ」と言えば、新島さんは顔を赤らめてそっぽを向いた。

 

 成程。姉妹揃って相当なシスコンらしい。追い打ちとして“仕事中に聞かせられた冴さんの妹自慢話”を伝えれば、新島さんは視線を彷徨わせた後で咳払いした。「それはどうも」と会釈する新島さんであるが、耳は真っ赤だ。

 あまりの光景に驚いたようで、竜司と杏が顔を見合わせながら新島さんを見比べる。彼女は今、生徒会長という肩書からは想像できない一面を晒していた。彼女もそれを自覚したようで、居心地悪そうにしながらも表情を取り繕う。

 

 新島の笑顔は一瞬で切り替わった。その眼差しは、被疑者を問い詰める冴さんと瓜二つである。やはり彼女は冴さんの妹だ。

 

 

「ところで、そこの3人は鴨志田先生と色々あったみたいだけど? 特に女子生徒2人は、“鴨志田先生から売春を強要されていた”とか」

 

「「――!」」

 

 

 杏の眼差しが鋭くなる。対して、黎は静かな態度を貫いていた。

 新島さんは黎へ視線を向けた。

 

 

「有栖川さん。貴女の前歴を広めたの、鴨志田先生らしいわね。バレー部の生徒を利用して。……貴女、鴨志田先生が憎いとは思わなかった?」

 

「それを訊いてどうするんですか? 鴨志田先生に虐げられ、彼を恨んでいた人は他にも沢山いるはずですよ」

 

 

 黎は動じることなく粛々と答えた。新島さんは満足げに目を細めると、今度は俺に視線を向ける。

 

 

「……ところで明智くん。聞いた話では、“有栖川さんは登校初日に変質者に襲われて、午前中の授業に出れなかった”みたいね」

 

「そうらしい。そのことに関して、黎から相談を受けたよ」

 

「しかも、その噂には続きがあるわ。“有栖川さんを襲ったのは鴨志田先生”で、“前科を盾にとって関係を迫ったのでは?”って」

 

 

 ……いつの間にそんな噂が流れていたのか。あながち間違いではないから何も言えない。

 

 確かに黎は、登校初日は鴨志田に襲われている。但し、黎が襲われた場所は奴のパレスであり、襲おうとしたのは本人ではなくシャドウだ。

 「お姉ちゃんから聞いている話からして、貴方が有栖川さんの危機に黙っているはずがない」と、新島さんは自信満々に締めくくる。

 ならば、と、俺は開き直ることにした。「当たり前だ」――爽やかな好青年の仮面をずらして、僅かに地を示せば、新島さんは反射的に身を竦めた。

 

 そこを突くような形で、俺は言葉を続ける。

 冴さんに知られたら「よくも妹を!」と叱られそうだ。

 

 

「新島さん、キミはどうなんだ? キミは鴨志田先生の暴力や横暴に気づかなかったのかい? ――それとも、日和見派の連中と同じように、()()()()()()()()()()()()()()? ()()()()()()()()

 

「ッ!?」

 

「――ああそうだよ、噂の大部分は本当だ。鴨志田(アイツ)は前科を盾にして黎に関係を迫り、それを断った黎を退学させようとした。……でも、秀尽学園高校のお偉いさんたちは何もしてくれなかった。鴨志田(アイツ)の言い分を信じて、鴨志田(アイツ)の罪の隠蔽工作に加担して、黎のフォローをしようとすらしなかった。誰も彼もが黎の敵や傍観者に回って、彼女の傍にいてくれたのは坂本くんと高巻さんだけだった」

 

 

 俺は新島を真正面から見つめて問いかける。

 嘘と本当を絶妙に織り交ぜながら、静かに激高する青年を演じてみせた。

 ……『若干』熱が入ってしまっているけれど、大丈夫だろう。嘘ではないし。

 

 

「新島さんだって、件の退学騒動を傍観していたんだろう? キミにとって鴨志田先生の一件は対岸の火事みたいなものでしかなかったんだから。――ああ成程。学園の問題児や前歴持ちの生徒なんて、どうなろうと知ったことではないのか。暴行されても泣き寝入りしろって? 今までみたいに尊い犠牲になれと言うんだね。それが生徒会長であるキミの意見なのか」

 

「明智くん! 私はそんなつもりじゃあ……」

 

「――正直、怪盗団が存在してるか否か、彼らが鴨志田先生に対して何をしたのかなんて分からない。彼らの行動が正しかったのか否かも含めてね。特に僕は他校生だから、そっちの話題に詳しいわけじゃないよ。……けど、僕個人としては正直、1つだけ、怪盗団には感謝してるんだ。彼らのおかげで黎は無事だったし、もうこれ以上辛い目に合うこともない。安心して生活できる」

 

 

 俺は言い終えるや否や、テーブルの上に置いてあったお冷を煽る。最早『若干』で済まないレベルの熱を込めてしまったが、やってしまったことはやってしまったことだ。開き直る他ないだろう。どさくさに紛れて仲間たちへアイコンタクトすれば、他の面々もアイコンタクトを返してくれた。

 さて、新島さんは、俺のマシンガントークにどう返答するのだろう。できればこのまま引き下がってくれたら助かるのだが。俺の願いは叶わないようで、新島さんは俺たちに喰らい付かんとしている。それが己の使命なのだと言わんばかりの眼差しで、だ。

 

 ならば、と、動いたのは黎だった。彼女はほんの一瞬俺に目配せした後、口を開く。

 

 

「どうして先輩は()()()()()()、鴨志田先生のことを訊きまわっているんですか? ――もしかして、“()()()()()()()”とか」

 

「……今だからこそ、よ」

 

 

 新島さんは、苦虫を嚙みつぶしたような顔をした。彼女は怪盗団という存在に対し、強い疑念と敵意にも似た感情を抱いているようだ。

 秩序を乱す者に対して容赦しないという点では、やはり冴さんの妹だと言えるだろう。俺たちを見る眼差しは、被疑者を取り調べる冴さんと同じだから。

 

 

「鴨志田先生の一件で秀尽学園(ウチの)高校(学校)は混乱してる。あのイタズラには本当に迷惑しているの」

 

「イタズラ、ね……。それで? 会長さん、そのイタズラ犯を見つけてどうしようっていうんスか?」

 

「先生たちに言いつけて、停学やら退学やらにしてもらうんですか? ()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 自分たちの活動をイタズラと切り捨てられ、竜司と杏は眉間の皺を深めた。だが、感情に任せて全部喋ってしまいそうだと思っていた竜司が堪えて切り返す。杏も追撃した。

 “鴨志田と同じ”を強調してやると、新島さんは困惑したように視線を彷徨わせる。自分が鴨志田のような絶対権力者と思われているのは、新島さんにとって予想外だったらしい。

 新島さんは鴨志田とは違い、正々堂々としたやり方を好みそうだ。だから嘘はつかないだろう。俺の予想通り、彼女は「そんな目的で動いている訳じゃない」と言い切った。

 

 あくまでも、新島さんは“誰かに調査を依頼されて”動いているだけに過ぎないようだ。新島さんは依頼者に関しては一切喋らなかったが、条件を組み合わせれば絞られる。

 

 

(生徒会長を使って調べさせることができる人間は、同校の教師しかいない。しかも、あの様子だと隠密に調べさせている。……学校内で相応の権力を持っていないとできないぞ)

 

 

 ……何故冴さんを除外したのか。冴さんの場合、『妹を危険な目に合わせるくらいなら、私が1人で調べる!』と言って颯爽と前線へ躍り出そうなためである。

 仕事の最中、何度妹自慢を聞かされたことだろう。正直控えてほしいと思うのだが、『明智くんが有栖川さんとの惚気話を減らしてくれるなら』と言われてしまった。

 

 『冴さんは僕に『死ね』と仰っているんですか?』と真面目に問うたら、『これでイーブンよね』と冷ややかな顔で言われてしまったか。閑話休題。

 

 

「つーか、もういい? 俺たち、試験勉強で忙しいんスけど……」

 

「新島先輩も勉強しに来たんですよね? しないんですか? 勉強」

 

「……もしかして新島先輩、勉強するためにここに来たんじゃなくて、私たちのことをつけ回していたんですか?」

 

「そんなことをしていたら、冴さん、新島さんのこと心配するんじゃないかなあ。冴さんはキミのこと、とっても大事にしているんだし」

 

 

 竜司、杏、黎、俺の順番で、新島さんに畳みかける。ダメ押しとばかりに俺が冴さんの話題を引き合いに出せば、新島さんは目に見えて狼狽した。

 ……成程。新島さんは冴さんに、今回のことを話していなかったらしい。大方、冴さんには「生徒会の活動で遅くなる」等と言い訳していたようだ。

 俺たちに対し、真っ先に「勉強をしに来た」と言ったこともあり、新島さんは引くに引けなくなったのだろう。大変渋い顔をして、「そうするわ」と答えた。

 

 新島さんは俺たちの席から離れると、俺たちの席とは斜め向かいにあるカウンター席へと腰かけた。耳を傾ければ、俺たちの声を拾えるギリギリの位置である。俺はそのことをノートに書き、SNSで作戦会議しようと提案した。全会一致で、全員がスマホを取り出す。モルガナは黎に代筆を頼んでいた。

 

 

杏:何あれ。いけ好かない!

 

竜司:マジでムカついた!

 

吾郎:竜司がキレると思ってたから、踏み留まったのには驚いたよ。

 

竜司:いや、吾郎が一番キレてなかったっけ!? あのマシンガントーク、スゲー迫力だったぞ!

 

吾郎:最初は演技のつもりだったんだけど、気づいたら本音が大部分を占めてた。

 

竜司:まさかの『ほぼガチだった』件。

 

杏:でも、吾郎のおかげでどうにかやり過ごせたよ。

 

黎:「目を付けられているから気を付けろ。奴は相当なキレ者だ」って、モルガナが言ってる。

 

竜司:目を付けられてるって……まさか、三島の奴が漏らしたのか!?

 

黎:それはない。私たちに辿り着いたのは、純粋に彼女の捜査能力が高いからだよ。将来は刑事か検察官かな?

 

吾郎:やっぱり、姉の冴さん同様『敵に回したくない』タイプだ。

 

黎:そういえば新島先輩って、吾郎の司法修習先の検事さんの妹なんだっけ?

 

杏:目を付けられてるってことは、動きづらくなりそう。どうやってやり過ごす?

 

吾郎:俺限定になるけど、冴さんの話題を出すくらいしか突破口が見当たらない。

 

竜司:ああ……。

 

杏:ああ……。

 

黎:……成程。「シスコンだからなぁ。見りゃあ分かる」って、モルガナも頷いてる。

 

竜司:とりあえず、俺らの場合は普通に学生生活を送るしかないか?

 

黎:折角だから、みんな揃って定期テスト上位に食い込んでみる? 優秀な生徒ということで、疑いを外してくれるかもよ?

 

吾郎:そう言いながら、黎は学年首位を掻っ攫う気満々だよね。キミならできるだろうけど。

 

杏:確かに。

 

竜司:確かに。上位に入るなんて俺には無理だろうけどな。

 

黎:上位に入らなくとも、普段より躍進すればいいんじゃない? 竜司の成績ってどれくらいなの?

 

竜司:下の下の下。赤点常習犯。

 

黎:なら、後は上がるだけだから問題ないね。

 

吾郎:それじゃあ、暫くは勉強会に励むと言うことでいいのかな?

 

杏:賛成。

 

竜司:不本意だけど賛成。

 

黎:「普通の学生を装うには、それが一番だな」ってモルガナが。全会一致だね。

 

吾郎:それじゃあ、勉強会を再開しようか。

 

 

 俺たちはスマホをしまい、勉強会を再開する。普通の生徒を装うためのカモフラージュであるが、実際の定期テスト対策でもあるため、自然と熱が入った。

 外を見ればとっぷりと日が暮れており、そろそろ帰らないといけない時間帯になっていた。俺たちは勉強道具を片付けて店から出る。

 特に寄り道することなく駅に着いた俺たちは、それぞれの家路へとつく。俺は黎を送っていくので、四軒茶屋の方に寄り道だ。

 

 ルブランの扉を開ければ、仏頂面をわずかに緩ませた佐倉さんが「おかえり」と黎を迎えたところだった。黎も当たり前のように「ただいま」と返す。

 

 俺の知らない間に、黎と佐倉さんは打ち解けていたらしい。その事実に安堵しながら、俺は佐倉さんに頭を下げる。黎と「また明日」と挨拶を交わし、俺はルブランを出た。

 黎が冤罪に巻き込まれ、東京にやってきてから早1ヶ月近くが経過した。少しづつではあるけれど、彼女の周囲には志を同じくする仲間や協力者が集まりつつある。

 

 

(黎は、誰からも愛されるようなタイプだからなぁ)

 

 

 “そんな彼女が選んだ人間が俺だった”――その事実を噛みしめながら、その幸福を噛みしめながら、俺は家路についたのだった。

 

 

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と覚悟しながら。

 

 

***

 

 

「ただいまー」

 

「おう、おかえりー。勉強会は楽しかったかー?」

 

「……おかえり、吾郎」

 

 

 自宅の扉を開ければ、保護者2人が俺を迎えてくれた。夕食を作り終えた至さんと、ソファに寝そべったままうつらうつらしている航さんの姿が飛び込んでくる。

 前者は毎日1回は顔を合わせていたけれど、後者を自宅で見かけたのは久しぶりな気がした。南条の研究機関から這い出てきたあたり、研究はひと段落したのだろう。

 

 今日の夕食は中華料理だった。肉と野菜がゴロゴロ入った酢豚、甘辛い香りを放つ鳥のカシューナッツ炒め、辛みが効いていそうなエビチリ、肉や海鮮の餡がたっぷり詰まった餃子、シンプルな卵スープからは湯気が漂う。

 

 

「中華は冷めると壊滅的に不味くなるから、早く食べろよ」

 

「了解。着替えてくる」

 

「ほら、航も食え」

 

「んぅー……」

 

 

 至さんに従い、自室に戻る。制服を脱いで手早く部屋着に着替えた俺は、迷うことなく席に着いた。「いただきます」と挨拶をして、各種中華料理を食べ進める。

 その脇で、至さんはヒイヒイ言いながら航さんの介護をしていた。航さんをどうにか席に座らせ、箸やスプーン、取り皿を並べていく。航さんはぐずる子どものように唸っていた。

 航さんの介護がひと段落した至さんは、席に着きながらテレビをつけた。その筋の有名人や権威、芸能関係者等がコメンテーターとして数多く登場する番組が映し出される。

 

 丁度やっていた番組は、政治経済に関する話題で盛り上がっている。

 そのときカメラに映し出された人物と、下部のテロップを見た俺は息を飲んだ。

 

 獅童(しどう)智明(ともあき)――帝都ホテルのビュッフェで邂逅した獅童の息子だ。獅童の懐刀で、『廃人化』専門のヒットマンと思しき男。得体の知れなさを孕んだ『何か』。相変らず、俺は奴の声と顔を()()()()()()()()。分かるのは、穏やかに笑っていることぐらいだ。

 

 奴の肩書は議員秘書見習い。いずれ来るべき時が来たら、獅童の政治基盤のすべてを譲り受けるであろうと言われている天才高校生。

 つい最近まで海外の進学校で飛び級し、政治経済に関することを学んで来たという。探偵王子の弟子が俺なら、奴は政治家の卵と言えるだろう。

 

 

「……コイツ、十中八九『神』の関係者だろ。しかも、上に悪がつく方の」

 

 

 酢豚を皿によそっていた至さんの表情が剣呑なものになる。彼は智明を睨みつけたままでいた。

 そのタイミングを待っていたと言わんばかりに、MCが智明の経歴を説明し始める。

 

 父親は獅童正義、母親は五口(いつつぐち)愛歌(あいか)という資産家の1人娘。だが、愛歌と交際当時の獅童は五口側から結婚を認めてもらえず引き裂かれたという。引き裂かれた時点で、愛歌は既に智明を身籠っていたらしい。周囲の反対を押し切って智明を生んだ愛歌だが、産後の経過が悪く、そのまま亡くなってしまった。そのため、彼も五口家の跡取りとして回収されたと言う。

 だが、生まれた経緯故、智明は五口家で冷遇されたそうだ。ある日、五口一族は智明を1人日本に残して海外旅行へ出かけ、そこで発生したテロに巻き込まれて全員が亡くなった。彼らから冷遇されていたことが逆に幸いし、智明だけが生き残ったのである。智明には莫大な遺産が残され、父親である獅童――当時は都議会議員の選挙に挑んでいる真っ最中――の元へ引き取られた。そこで苗字が五口から獅童へ変わった。

 その後は獅童の援助を受けて海外に遊学し、つい最近帰って来たという。奴は俺が通う高校への編入試験を文句なしの好成績でパスし、大手を振って編入した。『親族が僕を『生まれてこなければよかったのに』と詰る中、『愛歌の忘れ形見であるお前が生きていてくれてよかった』と言って僕を支えてくれた父の存在が、僕にとっては救いでした』――穏やかな微笑を湛えて語る智明の様子に、俺は何とも言えない気持ちになる。

 

 

(獅童は五口愛歌を愛したが引き裂かれる。その後、五口家の親族が全員亡くなった際、奪われた智明を取り戻した……)

 

 

 俺の母を捨てた獅童からは想像できない行動だ。()()()()()()()()()()()()()()()()()と、俺の中にある“何か”が悲鳴を上げている。

 

 

(……最初から、アイツは母さんと結婚するつもりなんかなかったんだな。母さんは、獅堂と結婚するために俺を身籠ったのに)

 

 

 母の努力は最初から無意味であった。獅童と結ばれるために生まれ落ちたはずの俺も、また無意味だった。『生まれてこなければよかったのだ』と突き付けられたような心地になり、俺は歯噛みする。スプーンが皿に当たり、小さく音を立てた。

 至さんも俺の異変に気づいたのだろう。心配そうに俺を見つめる。俺は努めて笑みを浮かべると、至さんが狙っていたであろう餃子を掻っ攫った。それを見た至さんが「あ!」と声を上げる。騒がしさはあっという間に戻って来た。

 

 航さんは相変らずうつらうつらしていたが、何を思ったのか、ぽつりと呟く。

 

 

「……五口なんて資産家、聞いたことも見たこともないんだ」

 

「航さん?」

 

「ある日突然、ウチのグループの連中たちが五口家について話題にするようになってな。調べてみたら、“南条コンツェルンに勝るとも劣らない資産家”だってあった。でも、俺と圭は、そんな資産家なんて()()()()()()()()()()()()()()()()。……なのにみんな、言うんだ。『社交界で何度か顔を合わせていたじゃないか』って」

 

 

 ――彼の言葉に、思い至ることがあった。

 

 ビュッフェで智明と出会った後、俺は高校生活を送りながら奴の情報を探っていた。今までは「我が校の有名人は?」と尋ねれば「明智吾郎」一択だったのに、今では「獅童智明と明智吾郎」という返事が返ってくるようになっている。

 しかも、今まで俺が不動の学年首位だったはずなのに、いつの間にか「学年首位は獅童智明と明智吾郎が同率1位であり、首位争いを繰り広げている」なんて話になっている。ダメ押しとばかりに、「獅童智明は俺と同級生で別のクラス」となっていたのだ。

 『存在しなかった』はずのものが『存在していると“認知”されている』――この違和感を何と説明すればいいのだろう。おかしいのは俺か、それとも周囲か。多数決の原理が採用される昨今では、「おかしいのは俺である」と切り捨てられるのがオチだった。

 

 テレビの中にいる獅童智明は、穏やかな口調のままコメントを述べる。未だに奴の特徴を()()()()()()けれど、人のいい笑みを浮かべていた。

 こいつが『廃人化』専門のヒットマンかもしれないなんて、誰も予想できやしないだろう。俺だって、あの現場に居合わせなければ想像できなかった。

 

 

「……一色さんの認知訶学研究にも、似たような記述があった、ような……?」

 

「わああ!? 航、零してる零してる!!」

 

 

 うつらうつらと呟いた航さんだが、彼の持っているスプーンは下に傾きすぎており、卵スープがボタボタと零れている。それに気づいた至さんが慌ててふきんを持ってきた。

 一色さんの名前と彼女の研究――認知訶学の名を聞いたのは久しぶりだ。守れなかった人の後ろ姿を想いながら、俺はリモコンを手に取ってテレビを消した。

 

 

(これからは、獅童の『駒』とかなり近い距離で接することになる。用心しないと)

 

 

 夕食を食べ終えた俺は部屋へ戻る。軽く自学自習した後はSNSで黎と談笑し、明日の用意をしてベッドに横になった。

 

 いつもと同じように目を閉じて意識を落とす。

 微睡む中で、誰かの不気味な嗤い声が聞こえてきたような気がした。

 

 




今回は新章導入部であり、キリのいいところまで。さらっと色々な情報を盛り込ませつつ、愉快な日常(?)を過ごしています。今回は獅童智明/旧姓:五口智明の経歴が明かされましたが、得体の知れない異質性も滲み出ている模様。期せずして最前線で戦うこととなった『白い烏』、魔改造明智の明日はどっちだ!?
今回登場した祐介は本編開始前の出来事です。そんな祐介には、P3Pの順平&チドリとの縁が結ばれました。チドリの作品によって、何やら変なフラグも立ったようです。他にも今回の章では歴代シリーズゲストが登場・参戦する予定となっていますのでお楽しみに。

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