Life Will Change   作:白鷺 葵

45 / 57
【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・オリジナルイベント発生。
・ラヴェンツァを始めとした『力司る者』たちの多大なキャラ崩壊。
・ラヴェンツァの姉兄の呼び方が「姉さま」と「兄さま」。テオドア⇒テオ兄さま、エリザベス⇒ベス姉さま、マーガレット⇒メグ姉さま


リア充のすゝめ

「――時間だ。全員ペンを置け」

 

 

 試験官役の教師に従い、僕はシャープペンを机の上に置き直した。程なくして、列の最後尾に腰かけていた生徒が僕の解答用紙を回収していく。生徒たちから解答用紙を受け取った教師は期末試験の終了を告げ、試験を乗り越えたことに対する労いの言葉を残して教室から去っていった。

 途端に、生徒たちは大きく息を吐いて脱力した。やり遂げたと言わんばかりにいい表情を浮かべる者、頭を抱えて突っ伏す者、仲の良い面々の元へ向かって談笑する者等様々だ。僕は1番最初のグループに属する人間であり、試験に手ごたえを感じていた。試験後はフリーのため、さっさと片付ける。

 待ちに待った放課後だ。本日は2月10日のため、明日明後日は休日である。日付の関係か、学校内はバレンタインの話で盛り上がっていた。今年も下駄箱や机の中にチョコレートが入っているのだろう。仕方のないことだが、メディア出演以来、僕の下駄箱や机が大変なことになっていた。

 

 表舞台から姿を消しつつあると言えど、女子からそれなりの人気を得ている身である。今年も下駄箱や机の中は大惨事になりそうな気がした。

 

 最も、獅童正義の不正を暴くという目的は達しているため、外面を気にする必要はなくなった。そのため、人の好い性格を演じて受け取る必要もない。

 以前ならば受け取っていたチョコレート類は、「申し訳ない」と断りを入れて全て送り主へ返すことに決めた。宛先不明のモノは警察に任せるつもりでいる。

 

 

(竜司に話したら発狂しそうな気がするから黙っておこう。アイツ、ナンパにご執心だったし……)

 

 

 『イケメンとリア充はみんな爆発してしまえ!』という竜司の叫び声――勿論、想像上のものだ――をはっきり聞いてしまった気がして、僕はひっそり苦笑した。多分、後ろで三島も『そうだそうだー!』とヤジを飛ばしていそうだ。

 

 正直な話、僕の場合は“本命である有栖川黎からチョコを貰えればそれでいい”し、“本命である有栖川黎へのプレゼントを渡せればそれでいい”タイプだ。

 メディアに出ていい子ちゃんのふりをしていたときはファンからの贈り物をきちんと受け取っていたが、ぶっちゃけた話、かなり苦痛だったりする。

 

 

(お前の場合はどうだった?)

 

―― 『ゴミが増えた』とばかり思ってた ――

 

 

 僕の問いに対し、“明智吾郎”はしかめっ面で吐き捨てた。あの様子だと、既製品以外の貰い物は可燃ごみ扱いしていた可能性がある。“赤の他人”の手作りなんて、“彼”の性分上、言語道断なのだろう。中々にゲスい奴だ。

 他者が作った手作り料理をごみ扱いしていた一方で、“ジョーカー”のカレーやコーヒーは味わっていたように思う。最初は演技で食べていたのが、いつの間にか本気でそう思えるようになってしまったらしい。世間はそれを餌付けと呼ぶ。

 

 ……真実さんに構い倒されていた足立透もまた、似たようなタイプだったか。

 

 最初の頃、足立は真実さんから貰った料理を容赦なくシンクへ投下していたらしい。最終的には、真実さんが料理を差し入れに持ってくると文句を言いつつ綺麗さっぱり食べた上で「次は○○(〇の中には料理名が入る)が食べたい」と図々しくリクエストするまでになっていた。

 八十稲羽に帰省する度、真実さんは嫌な顔せず足立へ差し入れを持っていくようだ。足立の方も、真実さんの八十稲羽訪問を楽しみにしている節がある。そのことを茶化す手紙を書いたら、便せん一枚を埋め尽くす程の大きな文字で『黙れクソガキ』と返事を貰った。大人げない奴め。

 僕が足立のことを思い出している気配を察知した途端、“明智吾郎”は嫌そうに顔をしかめる。同族嫌悪もここまでくれば筋金入りだ。僕も足立とは永遠に相いれることはないが、足立のような人間が世界に存在していることくらいは認められるようになっていた。閑話休題。

 

 僕は早速スマホのSNSを使い、黎にメッセージを送る。

 

 

吾郎:今日の放課後、ルブランに行っていいかな?

 

黎:いいよ。――ところで吾郎、明日明後日は土日で休みだよね。何か予定とか入ってる?

 

吾郎:ううん、フリーだよ。――丁度いいね。明日明後日は一緒に過ごそうか。

 

黎:分かった。泊まるの?

 

吾郎:キミが良いなら。

 

黎:嬉しい。準備して待ってる。

 

吾郎:こっちも準備してくる。それじゃあ、ルブランで会おうね。

 

 

 チャットを終えた僕は、迷わず学校を飛び出した。航さんに『今日明日はルブランに泊まります』とメッセージを送り、自宅で外泊用の荷支度をする。後は愛用のバイクに跨って安全運転しながらルブランに辿り着いた。

 外泊用の荷支度に力を入れ過ぎたこと――既に一線を超えている恋人同士が部屋でお泊りである。察してほしい――が祟ったのか、ルブランに到着したのは、空が藍墨色に覆いつくされた頃であった。……流石に遅くなり過ぎたか。

 

 時間は午後6時代の後半。ルブランの営業時間ギリギリだが、佐倉さんの裁量によっては閉店している可能性もある。今日は後者らしく、看板にはClosedの文字が躍っていた。

 だが、店内の灯りはまだ消えていない。耳をすませば、人の話し声――いや、相当音量の泣き声――らしきガヤが聞こえてきた。……声の主は、少女だろうか。

 心なしか、少女の声には聞き覚えがあるように感じた。記憶の糸を手繰り寄せる。確か、青い部屋でも似たような声を聞いたような気がした。

 

 

「――うわああああああああああああああんっ! 姉さまたちの鬼畜ーッ! 兄さまのリア充ーっ! いっそみんなメギドラオンで爆発してしまえーッ!!」

 

 

 ……但し、ここまで感情を発露させてはいなかったが。

 

 僕がルブランに足を踏み入れると、服の端々を黒く焦がした青い部屋の住人――ラヴェンツァがカウンター席に腰かけ、えらい勢いで大泣きしながらコーヒーカップを煽っていた。僕の目が間違っていなければ、少女の頬が僅かに赤みを帯びているように思う。

 彼女の隣の席に座っていたモルガナはおろおろしており、黎は「ああやっちまった」と言いたいのを堪えながら苦笑していた。図らずも、彼女はラヴェンツァがここまで荒れる原因を担ってしまったらしい。僕はおずおずと黎たちに問いかけた。

 

 

「……ねえ。これ、何事?」

 

「佐倉さんが帰った直後にラヴェンツァが遊びに来たの。『私の作ったアレンジコーヒーが飲みたい』ってリクエストを貰ったから作ることにしたんだけど……」

 

「ラヴェンツァさま、何を思ったのか、『お酒を使ったコーヒー』をご所望でな。どこから調達したのか分からない酒類を持ち込んできたんだ。ワガハイとレイは『やめろ』と進言したんだが、『どうしても飲みたい』という要望に押し切られて、アイリッシュコーヒーを淹れたんだよ。ラヴェンツァさまが持って来たアイリッシュウィスキーを使ってな」

 

「アイリッシュコーヒーを飲ませた後、『アレンジに使ったアイリッシュウィスキーの度数が40度だった』ことに気づいたときにはもう、こんな有様で……」

 

「彼女未成年だよね!?」

 

 

 黎とモルガナから経緯を聞いて、僕は真っ先にラヴェンツァの外見に注目した。

 ラヴェンツァの外見年齢は、どこからどう見ても15歳未満。酒が飲める年齢ではない。

 僕の言葉を聞いたラヴェンツァが、キッとこちらを睨みつけて吼える。

 

 

「子ども扱いしないで! 『力司る者』には明確な年齢は存在してないんですー! だからアルコールを摂取しても、未成年の飲酒にはならないんでーす!」

 

「……でも、『ラヴェンツァさまには金輪際アルコールを飲ませちゃいけねぇ』ってことだけはハッキリしたぜ……」

 

 

 駄々っ子のように振る舞う上司を目の当たりにして、部下のモルガナは非常に複雑そうな顔をしていた。

 まるで、フィレモンによる血も涙も希望もない(しかも笑顔)発言に苦虫を噛みしめる至さんみたいな図式である。

 

 『力司る者』は人間社会における一般常識に疎い一面があった。特に、命さんと交流していたテオドアは――最初の頃は特に――外見年齢と違って子どもみたいに目を輝かせていたらしい。

 

 ポロニアンモールを案内しただけでも、噴水を水飲み場や手洗い場と勘違いしたり、交番に張り出されている指名手配犯を見て『討伐して体の破片を持ち帰る』という危険極まりない発想をしたり、クラブに入れなくて涙目になっていたり、カタカナを片っ端から和訳(むしろ誤訳)して首を傾げたり、噴水に手を突っ込んで水温を計ったりしたそうだ。

 巌戸台~八十稲羽世代が活躍した時期において『力司る者』の末っ子だと思われていたテオドア――命さんと出会った初期――でさえこんな感じなのだ。現実世界に出かけた経験が皆無で、且つ、現時点での暫定末っ子であるラヴェンツァが、初期のテオドア並みに吹っ飛んでいないわけがない。偏見ではなく、僕は真面目にそう考えている。

 ……まあ、長姉であるマーガレットも中々にエキセントリックだったが。真実さんとマリーさんの惚気話と、マリーさんからの『貴女にはいい人いないの?』発言を聞いて、満面の笑みを浮かべたまま去っていったらしい。以後数か月間、八十稲羽では『宙に浮く青コート女(独身喪女)』の怪談が流行っていたという。

 

 

「でも何で、アルコールに走ろうと思ったの?」

 

「人間は、嫌なことがあったら、お酒を飲むって聞いたんですぅ。そうすれば、『嫌なことはぜーんぶ忘れられる』ってェ、主がぁ」

 

 

 顔を赤らめていたラヴェンツァは、蕩けるような笑みを浮かべた。『力司る者』たちは人外じみた美貌の持ち主のため、その美しさに一瞬息を飲む。

 

 

「でも、主は『ラヴェンツァはまだ飲んではいけませんな』って言うんですぅー。ベス姉さまとテオ兄さまは普通に飲んでるのにぃ……」

 

 

 元の性格がそうなのか、アルコールによって理性の箍が吹き飛んだ状態故か、ラヴェンツァはころころと表情を変えた。先程までは蕩けるような笑みを浮かべていたのに、今では拗ねたように頬を膨らませている。まるで我儘な子どもみたいだった。

 彼女の有様を目の当たりにした僕は、内心「そりゃあそうだろうよ」と思った。しかし、敢えてそれを口に出すことはしない。彼女は絶対、(テオドア)と同じ絡み酒気質だからだ。残念ながら僕は、“テオドアの醜態を受け入れる命さん”のような度量など持ち合わせちゃいないのである。

 

 しかし、どうしてこんなことになったのか。助けを求めるように黎とモルガナへ視線を向ければ、1人と1匹は大きく息を吐いて経緯を説明してくれた。

 

 悪神ヤルダバオトに利用されていたラヴェンツァが、マーガレットとエリザベスによって鍛え直されることが決まったことは分かっていた。

 僕らの署名活動に協力する傍ら、しごきが行われていたことは本人の口から聞いていた。僕らの釈放後は毎日8時間、戦闘訓練に明け暮れる日々を過ごしていたことも。

 だが、姉たちはそれだけでは満足しなかった。姉たちは己にとっても毒であるテオドアを投入。ラヴェンツァの1日の終わりには、テオドアのリア充話を聞かせたという。

 

 

「ラヴェンツァさまは悪神の計略によって2つに分かたれた後、レイとはまともな意味での交流を結んでいなかった。それ故、ミコトと一緒に色々な所へお出かけしたテオドアさまの話は精神を抉られるみたいで……」

 

「それなんて諸刃の剣……」

 

「ああ。自爆したエリザベスさまやマーガレットさまは浴びるように酒を飲んで、巻き添えを喰らった我が主も酒を煽っていたから、あんなことに繋がったんだと思う」

 

 

 最早滅茶苦茶である。青い部屋の住人たちは、日々ストレスと戦っているらしい。本当に何をしているんだろう。

 

 そもそも、世界が平和になって悪神の脅威が去った後、青い部屋の住人たちはどのように過ごしているのだろうか。次の脅威に備えるとしても、彼等の役目はペルソナ使いを導くことであり、自分たちが異変を解決するために力をつけるということはしない。

 『力司る者』の戦闘能力がとんでもないのは、彼らが『戦いによって、人間たちの魂を輝かせる』ことを至上としているためだ。脅威に備え戦うのはあくまでも人間がすべきことであり、彼女たちは『サポートとして、人間に対し稽古をつける』ための存在である。

 

 個としての自我がやや乏しい状態から生まれた彼や彼女たちは、お客様との交流によって自我を形成していく。テオドアが自らの意志――『自分もまた、香月命が救った世界を守る力添えがしたい』――でベルベットルームから去ったのがその証だと聞いた。

 後に、エリザベスは『愚弟だけでは心配なのと、いつか自分が出会うであろう“お客様”に備えるため』に、マーガレットは『人間という存在を愛したから』という理由で青い部屋を去ったそうだ。形はどうであれ、姉弟はみな『人間に惚れている』。

 そんな姉兄たちの影響を、末妹であるラヴェンツァが受けないはずがない。本来ならば、姉や兄のように真っ当な形で人間――担当者である黎――と交流を重ねたはずだったのだろう。もしかしたら、テオドアと同じように“一緒にお出かけ”する可能性だってあったのかもしれない。

 

 

「私だって……私だって! マイトリックスターと一緒にお出かけしてみたかった! 遊園地とか、スカイタワーとか行ってみたかった! 寿司や高級ビュッフェを食べてみたかった! トリックスターの作ったカレーを食べて、淹れてもらったコーヒーを飲みたかった!!」

 

「ラヴェンツァ……」

 

「ずるいずるいずるい! テオ兄さまばっかり、テオ兄さまばっかりィィィ!!」

 

 

 酔いが回っているせいだろう。物静かだが聡明な青い部屋の住人は、どこにでもいる年相応の――けど、少しだけ我儘な――女の子と化している。

 ラヴェンツァ自身も、姉や兄と同じような交流を望んでいたはずだ。でなければ、姉主導による精神攻撃がここまで重篤に作用することはなかった。

 

 僕と黎は無言で顔を見合わせる。

 

 この状態のラヴェンツァを放置し、2人で楽しい時間を過ごす気にはなれなかった。

 黎は他者のために正義を貫くトリックスターだし、僕はトリックスターの伴侶である。

 ……だから、楽しいお泊り会のアレコレを中断することを選んだのは当然のことだった。

 

 

「ねえラヴェンツァ。明日、私たちと一緒に遊びに行かない?」

 

「――えっ」

 

 

 荒れ狂っていたラヴェンツァが、ぴたりと動きを止めた。金色の瞳は大きく見開かれ、黎へ向けられる。

 

 

「……いいん、ですか? お2人とも、デートなんじゃ……」

 

「うん」

 

「僕も構わないけど」

 

 

 黎と僕の言葉を聞いたラヴェンツァの動きが止まる。彼女は暫し目を瞬かせ、ぱああと表情を輝かせた。金色の瞳はキラキラと瞬き、破顔する。彼女のこんな表情、初めて見た。

 テオドアと並ぶリア充イベントの到来を察知したラヴェンツァは、一気に上機嫌になったらしい。「約束ですよ!? 約束ですからね!」と何度も確認していた。喜色満面である。

 「明日の準備をしなくちゃ」と立ち上がった少女であったが、彼女はそのまま足をもつれさせて盛大に転んでしまう。残念なことに、ラヴェンツァの酔いは醒めていなかった。

 

 へべれけ状態になった外見年齢中学生を、このまま見送るわけにはいかない。

 人間社会的な問題からも、僕らの良心的な問題からも、だ。

 

 

「ラヴェンツァさま、明らかに大丈夫じゃないですよね」

 

「大丈夫ですよモルガナー。ちゃーんと立って、歩いて帰りますからァ。『力司る者』はヤワじゃないんですよー?」

 

「ヤワだとかヤワじゃない云々の問題ではありません! 今日はもう、ルブランにお泊りになられた方がよろしいのでは?」

 

 

 いいよな? と、モルガナは言外に僕らに問いかけてきた。彼が提案しなければ、僕と黎がラヴェンツァに提案していたであろう。迷うことなく僕と黎は頷き返した。まさかそんな申し出がされるとは思っていなかったラヴェンツァが目を丸くする。彼女は満面の笑みを浮かべて頷いた。

 

 

***

 

 

 酔っ払った状態のラヴェンツァをどう扱うかで四苦八苦したものの、どうにかして“あとはこのまま眠るだけ”の状態へ持ち込んだ。彼女はあの一張羅(青い服)以外の洋服は持っていないようなので、黎からTシャツを借りている。

 サイズは丁度、ラヴェンツァが着るとポンチョ系ワンピース風になる程の丈があった。自分の愛するマイトリックスターの洋服を着ていることに有頂天になったためか、先程から彼女はずっと破顔しっぱなしだ。モルガナすら微笑ましく見守るレベルである。

 

 

「じゃあ、寝る場所どうしようか? ベッドはラヴェンツァに使ってもらうとして――」

 

「――私、トリックスターたちと川の字で寝たいです!」

 

 

 小学生宜しく、ラヴェンツァは右手を挙げて宣言した。予備の布団を敷く準備態勢に入っていた僕と黎が動きを止める。提案者はキラキラした眼差しでこちらを見上げていた。

 屋根裏部屋のベッドは、詰めれば辛うじて3人で寝れそうな大きさである。お泊りして一緒のベッドで過ごした際、サイズは把握していたから分かっていた。詳しくは語らない。

 無邪気な眼差しでこちらを見つめていたラヴェンツァだったが、僕と黎が凍り付いてしまったことを拒否と判断したのだろう。あっという間にしょぼくれてしまった。

 

 

「いいよ。一緒に寝よう」

 

 

 黎が即座に頷けば、ラヴェンツァは本当に嬉しそうな顔をして、いの1番にベッドへと飛び込んだ。ニコニコしながら布団に包まる図は、遠足前日にはしゃぐ子どもみたいだった。……明日の予定的な意味では何も間違っていないのだが。

 

 僕はベッドの右側に、黎がベッドの左側に、ラヴェンツァを挟むような位置について布団に潜り込む。モルガナはベッドの端の方で体を丸めていた。へべれけ状態で限界だったのだろう。黎が何気なく子守歌を口ずさみ初めて暫くした後、ラヴェンツァはうとうとと微睡み始め、そのまますやすやと眠ってしまった。

 あどけない表情を晒して眠るラヴェンツァを見守る黎の微笑は、文字通りの慈母神であった。普段よりも神々しさが増して、なんだか拝みたくなってしまうレベルだ。ラヴェンツァとモルガナがいなければ、僕は無心で黎を拝み倒していたであろう。恥ずかしいからやらないけど。

 

 程なくしてモルガナも寝入ったようだ。体を丸めた猫と、幸せそうに微笑む少女の寝息が屋根裏部屋に響き渡る。

 時折寝返りを打って布団を押しやってしまうラヴェンツァに対し、黎は甲斐甲斐しく布団をかけ直していた。

 ぐずるように顔をしかめて唸る少女はどんな夢を見ているのだろうか。僕はそんなことを考えながら、少女の頭を撫でてみた。

 

 途端に、しかめっ面のラヴェンツァが表情を綻ばせた。あどけない寝顔を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになってくるのだ。

 

 今は亡き母、遠くへ去ってしまった至さんや絶賛療養中の航さんの手つきを思い返しながらおっかなびっくりでやったのだが、意外とうまくできるらしい。僕はひっそり安堵した。

 夢の世界へ旅立ったラヴェンツァは、僕の掌をどのようなものと認識しているのだろうか。表情を綻ばせているあたり、悪いものとは思っていないことは確かだった。

 

 

「ふふ」

 

「……何? どうしたんだい?」

 

「吾郎、ちゃんと“父親”やってるなぁって思って」

 

 

 灰銀の瞳に深い慈愛を滲ませて、黎が微笑んだ。蕩けるような笑みを真正面から見たことと、黎の言葉によって目が覚めたような心地になった僕は、思わず息を飲む。

 明智吾郎の人生には、父親に関する記憶がない。物心付いたときから母子家庭で育ったし、大きくなる中で『父親の不在が異常である』ことを知っても気にしなかった。

 子どもだった頃の僕にとって、母さえいてくれればそれだけでよかった。「父親がいてくれたら」なんて考えたことなど一度もなかったし、父親を欲したこともなかったから。

 

 黎と一緒に生きるということは、彼女の夫になるということだ。彼女の夫として生きていくうちに、僕もいずれは父親になる日が来るのだろう。

 

 父というものをよく知らない僕が、立派にその役目を遂げることができるだろうか。嘗て息子()を“要らないもの”と断じた獅童のように、僕も子どものことを捨てようと思ってしまうのだろうか。

 不安に思わなかった訳じゃない。思っていても、口に出してしまえば、黎に余計な気苦労を負わせてしまいそうな気がして黙っていた。自分は獅童みたいな人間になりたくはない。でも、いくらそう願っていても、どうなるのか分からないのだ。

 

 世間一般には“虐待の連鎖”というものがある。『幼少期に虐待を受けると、大人になって親になった際、子どもを虐待してしまう』という話だ。いくら本人が親を反面教師にしても、無意識でそういう行動に出てしまうことだってあり得る。

 本人の意思と関係なく虐待親と同じ行動を取る場合、その連鎖を断ち切って真っ当な親になるために、己自身や己の中に巣食うトラウマと向き合う必要が出てくるのだ。一筋縄ではいかないことは、想像するに難くない。

 もしかしたら僕も、己自身や過去と戦い続けなければ、真っ当な親になれないのかもしれない。万が一、どう足掻いても真っ当な親になれなかったら、僕は己の息の根を止めることもやぶさかではなかった。

 

 

「――そっか」

 

 

 ――だから僕は、黎の言葉に安堵した。

 

 ――父を知らない僕でも、ちゃんと父親になれるのだと。

 

 

「俺は、ちゃんと“父親”をやれるんだな」

 

 

 噛みしめるように呟いた僕を見て、黎は柔らかに微笑みながら頷き返す。

 彼女の姿もまるで母親のようだ。亡くなった母の面影が薄らと浮かんだのは気のせいではない。

 

 

「黎も、ちゃんと“母親”やれてるよ」

 

「……そうかな? 本当なら、凄く嬉しい」

 

 

 僕の言葉を聞いた黎は、照れくさそうにはにかんだ。そんな彼女が愛おしくて、僕もひっそりと目を細める。

 

 明日明後日はラヴェンツァと遊びに行くのだ。予定はきちんと立てておかなくてはなるまい。幸い、僕たちが東京から御影町へ帰るまでの日付はある。明日明後日だけでなく、時間が合えば彼女と一緒に色んな所へ出掛けるのも楽しいだろう。

 黎も最初からそのつもりのようで、「まずは明日、ラヴェンツァをどこへ連れて行ってあげようか?」と提案してきた。長期的な計画を立てることを視野に入れ、まずは目下の目標を立てておく。

 厳正なる話し合いの結果、明日は『竹の子通りで買い物をした後、ホテルのビュッフェで夕食を食べる』ことと相成った。他にも、黎は放課後の時間を使ってラヴェンツァと一緒に出掛けることにしたようだ。

 

 僕も可能な限り同行したいが、予定が合うかは分からない。卒業式絡みの準備があるためだ。

 そこは臨機応変に対応するということで話し合いを終わらせ、僕たちは明日に備えて眠ることにした。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そうして迎えた土曜日の朝。

 

 

「申し訳ございません! 昨晩はあのような醜態を晒してしまい……!」

 

「と、とにかく落ち着いて。朝食の準備ができたから」

 

 

 正気に戻ったラヴェンツァが発狂して土下座するのをどうにか抑えた僕たちは、早速朝食を食べることにした。メニューは黎手作りのルブランカレーと日替わりと気分替わりのアレンジコーヒー――ホイップクリームがたっぷり乗った甘めのウインナー・コーヒーだ。

 カレーは初心者であるラヴェンツァ用に、ハチミツと果物多め――普段よりも甘め――の味付けにしてあるそうだ。それを聞いたラヴェンツァは拗ねたように「次食べるときは普通の味付けでお願いします」と言ったが、目の輝きは抑えられなかったらしい。

 

 少女はややぎこちない動作で、スプーンにご飯とルゥを乗せて口に運ぶ。

 はふはふと息を吐きながら、ラヴェンツァは人生初のカレーを味わっていた。

 僕、黎、モルガナは、彼女の反応をじっと見守った。

 

 

「どう? おいしい?」

 

「はい、絶品ですっ!」

 

 

 黎の問いに、ラヴェンツァは間髪入れずに答えた。それを皮切りにして、彼女はカレーを食べ進める。蕩けるような笑みを浮かべたラヴェンツァの表情は幸せそうだ。

 

 僕たちも席についてカレーを食べる。黎の申告通り、普段食べているカレーと比較して味付けが甘めになっていた。極端に辛い物を好むわけではないため、僕としては充分許容範囲である。好きな人が作ってくれた美味しい料理に文句をつける理由などあろうか。

 「ワガハイもカレー食べる」と身を乗り出したモルガナであったが、モルガナを普通の猫と同等に扱う佐倉さんがそれを許すはずがない。「コラ、だーめーだ。猫にカレーは体に悪い。特に玉ねぎが云々」と語った佐倉さんによって、急遽猫缶を食べさせられていた。

 モルガナはぶーぶー文句を言っていたけれど、器の影響を多分に受けたのだろう。突如目を輝かせ、猫缶にがっつき始めた。猫の鳴き声に重なるようにして「意外と美味いぞコレ!」という歓喜の声が聞こえてきたのは気のせいではない。

 

 ……これで本当に、彼は人間になれるのだろうか? むしろ猫として生きていく以外に選択肢がなさそうに思うのだが。

 

 因みに、ラヴェンツァの設定をどうするかで悩んだが、『以前有栖川家にホームステイしていた外国人留学生の妹で、黎と交流があった女の子』という設定で落ち着いた。

 彼女がルブランに泊まることになった本当の理由――泥酔して前後不覚に陥った――は、佐倉さんには話していない。むしろ話してはいけないヤツである。閑話休題。

 

 

「ラヴェンツァさま。口元にカレーついてますよ」

 

「えっ!?」

 

「ちょっと待ってて。今拭いてあげるから」

 

 

 狂ったように猫缶を食べていたモルガナが、突然顔を上げてラヴェンツァに指摘する。彼の頬にも魚の切れ端がくっついているが、自分のことは棚に上げた様子だった。

 突然の指摘に狼狽えるラヴェンツァを制して、僕はナプキンで彼女の口元を拭いてあげた。ラヴェンツァは礼儀正しく「ありがとうございます」と頭を下げ、食事を再開する。

 食べ進めるうちに慣れてきたのか、スプーンを動かす手つきも様になってきたように思う。僕と黎、モルガナは生暖かな笑みを浮かべてラヴェンツァの食事を見守っていた。

 

 僕たちが結婚して、子どもができて、その子どもの成長を見守っている――そんな未来図が鮮明に浮かび、自然と口元が綻んだ。

 

 

「……お前さんたちならきっと、いい家庭を築くことができるだろうな」

 

「え?」

 

「今のお前さんたちを見てると、文字通り『家族』みたいだ」

 

 

 僕らを見守っていた佐倉さんが、静かに目を細めて呟いた。「いつか双葉も、誰かとこんな風に家庭を築く日が来るんだろうなァ」と佐倉さんはぼやく。彼もまた、一児の娘を持つ父親だからだ。嫁へ送り出すのか婿を迎えるのか、どんな結末が待っていても、彼は父親をやり遂げるだろう。

 黎特製のルブランカレー甘口を食べていたラヴェンツァが手を止める。彼女は佐倉さんの言っていた『家族みたい』という言葉の意味を深く考えている様子だった。上機嫌になって食事を再開したあたり、彼女にとって悪いものではなかったらしい。

 

 『力司る者』に関して僕が知っていることは多くはない。“イゴールとは上司と部下の関係である”こと、“並大抵の人間はおろか、ペルソナ使いでも太刀打ちできない程の強さを持っている”こと、“人間社会に対して強い興味を持っていること”くらいだ。

 『力司る者』の家族構成は――僕が把握している限りでは――長女・マーガレット、双子の次女・エリザベスと長兄・テオドア、末妹・ラヴェンツァである。彼女たちにとっての家族は兄弟姉妹だけであり、父親や母親に関する情報は一切ない。恐らく、本人たちもよく分かってなさそうだった。

 彼女/彼等にとっての親代わりはイゴールかフィレモンあたりだろう。彼女/彼らにとっての先輩たちが、盲目のピアニスト・ナナシ、耳が聞こえない歌手・ベラドンナ、悪魔の絵を専門に描く風変わりな画家・悪魔絵師だろうか。テオドアの扱いがアレなだけで、新旧住人たちの仲は悪くないらしい。

 

 食事を終えた僕たちは、佐倉さんに見送られ、東京の街へと繰り出した。

 

 

***

 

 

 満員電車程ではなかったが、電車内は込み合っている。乗客の噂は政治経済に絡む話題が多く、新総理の誕生に湧いていた。年末年始の総理大臣不在が大きかったためだろう。

 世間を賑わせた怪盗団『ザ・ファントム』の話題は、時折ぽつぽつ出てくる程度だ。怪盗団が世界を救ってからまだ2か月というのに、世の中の移ろいは速いものだ。

 

 ヤルダバオトとの最終決戦――メメントスと同化してしまった世界の惨状など忘れたかのように歩き回る大衆たち。12月24日の時点でも夢オチ扱いして普段通りに過ごす人間の方が多かったのだ。時間が経過すれば、普段の日常が戻ってくるのは当然と言えよう。

 ただ、モルガナ曰く『人間には世界を変える力がある。本人たちがそれを忘れてしまっているだけ』とのことらしいので、僕らが成した奇跡を見ても何も変わらないのだと悲観する必要はないし、変わらないままの世界に対して呪詛を撒き散らす必要はない。

 僕たちは知っている。変わらないように見える世界の中で、牢獄から解放されたことを実感して踏み出した人々がいたことを。彼や彼女等のおかげで、僕たちはこうして物理的な自由を得たのだ。少年院から出られたのも、その人たちが手を貸してくれたからこそである。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、車内アナウンスが鳴り響いた。多くの人々が降車するために動き始める。

 僕たちは席に座っていないため、人ごみに流されて電車から吐き出される危険性があった。

 

 

「ラヴェンツァ、逸れないように手を繋ごう。人の波にさらわれてしまうと迷子になってしまうから」

 

「ありがとうございます、マイトリックスター」

 

 

 黎と手を繋いだラヴェンツァの笑顔は、普段よりも数段階輝いているように見えた。僕も黎と手を繋ぎ、もう片方はつり革を掴む。多少でも、人に流されないようにするためだ。満員電車と言わずとも、人の出入りが激しいためだ。

 電車から降りる人だけでなく、乗り込んできた人々によって人の波に飲み込まれそうになる。敵シャドウなら容赦なく吹き飛ばせるだろうが、相手は無辜の大衆たち。当たり前であるが、暴力厳禁である。

 ラヴェンツァは人波に揉まれるのが初めてらしい。ついでに、物理手段でどうもできないという事態に直面したのも初めてだ。人波に飲み込まれまいと踏ん張っているようで、時折苦悶の声が聞こえてきた。

 

 そんな奮闘を繰り返した後、ようやく目的地の駅に到着した。どやどやと流れてゆく人の波に乗って電車を降りる。この時点ですでに、ラヴェンツァは半ば茫然とした様子で疲れ切っていた。

 

 

「こ、これが噂の満員電車……! この身で体験できるとは思いませんでした……」

 

「ラヴェンツァさま。残念ながら、今日は結構空いてます。本物の満員電車はもっとパンパンです」

 

「えっ」

 

 

 モルガナからの悲報を聞いたラヴェンツァの表情がこわばる。幾何かの間を置いて、彼女はそのままベンチへ崩れ落ちるように座り込んでしまった。

 今回乗った電車よりもっと狭い車内を想像して気が滅入ってしまったのだろう。立ち上がる気力すら尽き、ぐったりしたラヴェンツァを休ませることにした。

 

 彼女の隣に腰かけ、落ち着くまで待ってやる。モルガナも心配そうにラヴェンツァを見守っていた。

 黎はラヴェンツァに飲み物を差し入れるためにこの場を離れた。近くの自販機かコンビニに寄るのだろう。

 程なくして黎が戻って来た。彼女の手には数種類の飲み物が握られている。どれがラヴェンツァの好みなのか分からなかったためだろう。

 

 ラヴェンツァはペットボトル飲料を見る――飲むのが初めてらしく、目をキラキラさせながら銘柄を眺めた。どれを飲むかを吟味しているらしい。暫し悩んだ後、ラヴェンツァが手に取ったのはいちごオレだった。彼女はおっかなびっくり気味に蓋を開け、舐めるように一口。

 

 

「――甘くておいしいです」

 

 

 どうやら、末妹は甘いものが好きらしい。ラヴェンツァはいちごオレを飲み進めた。

 いちごオレを飲み進めるスピードが速い。飲み物が気管に入ってむせる危険性を度外視している。

 姉2名に何をされたのかは知らないが、ラヴェンツァは他者にいちごオレを奪われまいとしているように感じた。

 

 

「……誰も取らないから、ゆっくり飲んでいいよ?」

 

「!」

 

 

 僕の指摘は正解だったらしい。ラヴェンツァはびくっと肩をすくませた後、恥ずかしそうに身を縮ませた。今度はしっかり味わうようにしていちごオレを飲み進める。

 黎と僕は顔を見合わせた後、ラヴェンツァを間に挟むようにしてベンチに腰かけた。僕はお茶、黎が炭酸飲料を手に取って喉を潤す。唯一飲み物を飲めないモルガナが不満そうに鳴いた。

 

 暫しのインターバルを挟んで、僕たちは原宿の竹の子通りへと辿り着いた。若者向けのファッションやグルメが立ち並ぶこの界隈は、休日だろうが平日だろうが人々でごった返している。

 

 ベルベットルームに引きこもっていた――本人が聞いたら頬を膨らませて拗ねてしまいそうなので黙っておく――ラヴェンツァにとって、休日の繁華街は物珍しさの塊なのだろう。あちこちに目をやっては感嘆の声を漏らす姿は、どこからどう見ても『おのぼりさん』の挙動だった。

 外見年齢に見合わず知的で落ち着いた少女は今、年甲斐もなくはしゃいでいる。そんなラヴェンツァを見守る黎の姿は、慈母神という称号が相応しかった。2人が手を繋いでいる姿は、どこからどう見ても母親と娘だ。……年齢的には、姉と妹と表現すべきなのかもしれないが。

 

 

「マイトリックスター! くれぇぷって何ですか!? 美味しいんですか!?」

 

「甘くておいしいよ。よし、一緒に並ぼうか」

 

「はい!」

 

 

 やっぱり母と娘だ。僕は自分の感性を信じることにした。

 

 

「なあゴロー。お前、食べ歩きしてたんだろ。あそこのクレープ店の評判どうだ?」

 

「評判いいみたいだよ。ただ、移動式の販売形態だからどこに出現するか分からない上に、不定期営業だからなかなかお目にかかれないみたいだけど」

 

 

 黎の後に続いて列に並んだ際、彼女の鞄の中に入っていたモルガナがひょっこり身を乗り出して僕に訪ねてきた。僕は素直に答えれば、モルガナはラヴェンツァに声をかける。

 美味しいクレープに心を躍らせる少女と猫を見ていると、なんだか微笑ましい気持ちになって来た。それは黎も同じようで、慈しむように目を細めている。なんて平和なのだろう。

 暫し雑談に興じ、僕たちの番になった。ラヴェンツァは暫し悩んだ後、いちごとチョコを使ったクレープを注文した。チョコクリームにスプレーチョコがかかったものだ。

 

 黎は塩キャラメルを注文した。ついでに、モルガナの分としてフルーツたっぷりのものを注文する。僕はカスタードチョコクリームを注文した。

 程なくして、全員分のクレープが出来上がった。御代を支払い、僕たちは近くのベンチスペースで戦利品にかぶりついた。評判通りの美味しさである。

 

 ラヴェンツァは先程から美味しいを連呼していた。蕩けるような笑顔を大盤振る舞いしながら、もっきゅもっきゅとクレープを食べ進める。どうやら、クレープは彼女のお眼鏡に叶ったようだ。幸せそうな姿を見ていると、こっちまで心がほっこりしてきた。

 

 

「ベルベットルームに戻ったら、主に『クレープ店を部屋に置いてほしい』と進言しなくては……!」

 

「いや、流石にそれは無茶じゃないかな!?」

 

 

 頬に生クリームをつけたラヴェンツァは、決意に満ち溢れた目をしていた。僕は思わず突っ込みを入れる。どう考えても、ベルベットルーム――独房が点在する牢獄に、クレープ店の店舗が入るスペースがあるようには思えなかった。

 僕の突っ込みを聞いたラヴェンツァは「テオ兄さまの噴水よりマシなはずです!」と頓珍漢な主張を振り上げる。確かに、命さんから『テオドアがベルベットルームに噴水の設置を求めて叱られた』という話は聞いていたが、そういう問題ではない。

 

 

「ちょっと違うけど、チョコファウンテンとかどうかな? それだったら、サイズ的に問題ないと思うよ」

 

 

 助け舟なのか否か、判断のつかない横やりを入れてきたのは黎だった。黎の指摘に、ラヴェンツァは小首を傾げて鸚鵡返しに言葉を呟く。

 

 

「ちょこふぁうんてん?」

 

「小さい噴水みたいな奴で、水の代わりに液体のチョコレートを使うんだ。チョコの噴水に果物やクッキー、パンを付けて食べるんだよ」

 

 

 それを皮切りに、2人の会話はスイーツ談義にシフトチェンジした。ベルベットルームが大変なことにならなくてよかったと安堵しつつ――けれど、一抹の不安が拭えないままだった――、僕は2人の会話を見守っていた。

 

 クレープを食べ終え、竹の子通りの散策を始める。若者向けの店が立ち並ぶこの区域は、ラヴェンツァにとっては未知が詰まった宝箱らしい。きゃあきゃあ声を上げては、黎の手を引いて店へと突撃していた。黎の持つ鞄を根城にするモルガナは嫌が応にも巻き込まれて悲鳴を上げ、僕はそんな彼女たちを見守りながらついていく。

 女性向けのアクセサリー専門店では、蝶をモチーフにしたブレスレットを購入していた。黎とラヴェンツァ、お揃いのアクセサリーとのことだ。「お客様とお揃い」と大喜びするラヴェンツァの姿に、兄テオドアの面影を色濃く受け継いでいることを察する。今なら、命さんがテオドアを見守る気持ちが理解できそうだった。

 ファンシーグッズ売り場では、黎がラベンダーの香りがする羊の抱き枕を購入してラヴェンツァにプレゼントしていた。黎曰く「お姉さんたちの特訓で疲れたとき、心身ともに癒されてほしい」という配慮からだった。それを聞いたラヴェンツァが感極まり、以後はずっとその抱き枕を抱えたままだった。余程嬉しかったのだろう。

 

 他にも様々な戦利品を獲た。いつの間にか、ラヴェンツァの腕には沢山の紙袋がぶら下がっている。利き手側の小脇には、黎から貰った羊の抱き枕が抱えられていた。

 空は既に藍墨色に染まり、それに比例して街を彩る光が眩しさを増してきた。あと1時間程すれば、星の見えない夜がくるのだろう。僕らは竹の子通りを後にした。

 

 

「次はどこへ行くんですか?」

 

「渋谷の帝都ホテルだよ。高級ホテルで食べ放題だ」

 

 

 黎の言葉を聞いたラヴェンツァが破顔した。

 

 次の目的地は渋谷の帝国ホテル。

 鴨志田を『改心』させた際、戦勝会――打ち上げを行った会場である。

 

 バスを使ってホテルへと向かう。この時間帯は帰宅ラッシュの一歩手前のため、車内は比較的空いていた。ラヴェンツァがあからさまに安堵する。満員の車内は怖いとインプットされてしまったらしい。程なくして、僕たちは目的地に到着した。

 ビュッフェ1時間半食べ放題を利用するための手続き――料金前払い――を済ませ、早速料理を取りに行く。以前南条さんと一緒にいたところを目撃されたためか、従業員は冷や汗を流しながら対応してくれた。邪険にされるよりマシな扱いである。

 もし、あのとき僕らが南条さんと一緒にいなければ、まともな接客対応をしてもらえなかっただろう。このホテルを利用していた客たちが『ここは子どものたまり場じゃない』と、僕らに冷ややかな眼差しを向けてきたことを思い出した。

 

 ……最も、僕の思考回路は、料理に釘付けになったラヴェンツァの笑顔によってかき消された。

 数多の食べ物がずらりと並ぶ図を見たのが初めてだった少女は、それはそれはうっとりと呟く。

 

 

「料理がこんなに……! これが食べ放題……」

 

「好きなものを好きなだけ、皿に盛りつけて食べるんだ。90分以内だったら、いくら食べても大丈夫だよ」

 

「はい! どれも美味しそうで目移りしちゃいますね!」

 

 

 感極まったように声を漏らすラヴェンツァを見守りながら、僕たちも思い思いの料理を皿に盛りつける。黎はモルガナの分も取ったため、かなりの量を皿に乗せていた。

 ひとしきり食べたいものの確保を終えて、席に着く。「いただきます」と挨拶をして、早速料理へフォーク/スプーンを伸ばした。やはり高級ホテル、味はお墨付きである。

 利用者の何名かが怪訝そうに僕たちを見ていたが、5月の時と違って、不快感を口に出す者は誰もいなかった。……彼や彼女たちの傲慢も、多少は矯正できたのだろうか。

 

 メメントスの崩落後、大衆たちの認知も少しは変わったのかもしれない。神の統制を否定して牢獄から抜け出した僕たちには、無限の自由が広がっている。どこへでも行けるようになったのだ。

 

 統制神はそれを不幸だと断じるのだろう。“人は『行く当てがなく彷徨い続ける』ことを不幸だと感じる。だから、縋りつく標――自分の統制が必要だ”と主張したのだ。そこに奴個人の承認欲求が混ざっているため、純粋な善意ではないのだが。

 怠惰を好む人間たちを見限ったのも、自分を見限った神が人間に目をかけていたのが腹立たしかったのも、自分を『失敗作』と断じた神への嫌がらせとして人類で遊ぼうと画策したのも、すべては統制神自身の身勝手からだった。

 

 

(ヤルダバオトは、どうなったのだろう)

 

 

 黄昏の空に消えた悪神の行方に想いを馳せる。

 

 達哉さんと舞耶さんたちによって倒されたニャルラトホテプも、命さんによって封印されたニュクスも、真実さんによって倒された伊邪那美命も、その存在が完全に消滅したわけではない。各々の理由で現実世界への干渉から手を引いた面子だ。

 ニャルラトホテプは力を失い、ニュクスは命さんのユニヴァースによって封印され、伊邪那美命は『真実を追い求める人間』を認めたことで、現実に干渉できなくなった/しなくなった。表だった迷惑行為は、暫く行われることはないだろう。

 この論理で言えば、ヤルダバオトも消滅した訳ではなさそうだ。ニャルラトホテプのように『一時的に力を失って身動きが出来なくなった』だけかもしれないし、伊邪那美命のように『人間の可能性を認め、一先ずは見守ることにした』のかもしれない。

 

 前者だろうと後者だろうと、傍迷惑であることは確かだ。できれば永遠に大人しくしてほしいが、悪神ばかりが元凶とは言えないのが悲しいところである。

 黒幕になり得そうな善神の存在を知っている身としては、『試練』という名目で背中を撃たれる可能性だってある。本当にやめてほしい。

 

 

(……そうなると、俺が知る限り一番マシそうな善神はセエレってことになるのか? まあ、元が至さんだから、マシなのは当然なんだろうけど……)

 

 

 僕がそんなことを考えながら料理を口に運んで咀嚼していたときだった。

 ふと、ラヴェンツァに視線を向ける。彼女は料理を食べる手を止めて、無言のまま皿を眺めていた。

 

 

「ラヴェンツァ? どうかしたのかい?」

 

「……お2人は、3月になったら御影町へ帰ると聞きました」

 

 

 静かな面持ちで、ラヴェンツァは僕たちに視線を向けた。僕と黎は顔を見合わせ、彼女に向き直る。少女は訥々と言葉を紡いだ。

 

 

「私の役目は“今代のワイルドである有栖川黎を導き、サポートすること”。貴女たちが悪神を斃した時点で、私の役目も終わりました。……最も、私は悪神によって魂を2つに割かれ、まともなサポートは行えませんでしたが……」

 

「そんなことないよ。貴女のおかげで助かったんだ」

 

「お心遣いありがとうございます、マイトリックスター」

 

 

 黎からねぎらいの言葉を貰ったラヴェンツァは微笑んだ。

 けれど、その微笑はすぐ陰ってしまう。

 

 

「貴女を導く任を受けたのは、悪神ヤルダバオトに魂を引き裂かれる以前のことでした。歴代ワイルドたちとの交流は、テオ兄さまやメグ姉さまから伺っておりましたから……ずっと楽しみにしていたんです。そうして――『テオ兄さまと兄さまのお客様のように、すべてが終わっても一緒に笑い合えるように、仲良くなりたい』とも」

 

 

 ラヴェンツァは悲しそうに苦笑する。

 

 悪神によって引き裂かれ、記憶を失ったラヴェンツァは、カロリーヌとジュスティーヌとして、ヤルダバオトの部下となっていた。黎をぞんざいに扱うヤルダバオトに感化され、カロリーヌとジュスティーヌも同じように接していたという。時には暴力も振るったそうだ。

 兄であるテオドアのように『お客様と良い関係を築きたい』と願っていたラヴェンツァにとって、カロリーヌとジュスティーヌの振る舞いは黒歴史レベルの出来事だったのだろう。自業自得とも思っているのかもしれない。そのため、彼女は完全に凹んでしまっていた。

 

 此度のお出かけも、『酔っぱらったラヴェンツァが我儘を言ったから、仕方なく連れ出してくれた』と思ったのかもしれない。

 『お客様と交流を深めることができると喜んでいたけれど、逆にそれがお客様にとって迷惑だったのではないか』と不安になった。

 ラヴェンツァはすっかり元気を失ってしまった。此度の交流が終われば、もう言葉を交わせないと思い込んでいる。

 

 鞄の中に潜むモルガナは、ハラハラとした様子で黎とラヴェンツァを見つめていた。助けを求めるようにこちらを見上げた黒猫に対し、僕は有効打を持っていない。静観する以外の手はなさそうである。僕もまた、固唾を飲んで2人を見守っていた。

 

 

「ねえ、ラヴェンツァ」

 

「はい」

 

「これから3月になるまで、他にも色んな所へ出かけよう」

 

 

 黎の言葉を聞いたラヴェンツァは、がばりと顔を上げた。

 金色の双瞼は大きく見開かれ、静かに微笑む黎を映し出している。

 ラヴェンツァがこちらを向いたことを認知した黎は、言葉を続けた。

 

 

「次はデスティニーランドにしようか。丸一日、アトラクションで遊び倒すの。それとも、お台場の海浜公園をゆっくり散策しようか? 古書店で本を読むのも楽しいし、中華街にも行ってみようよ。ああそうだ、ルブランに帰ったら一緒に銭湯に行かない? あそこ、とっても気持ちいいんだよ」

 

「トリックスター……」

 

「故郷に戻っても、また遊びに行くよ。――そうだ。折角だから、ラヴェンツァも御影町に遊びに来てくれる? 案内したいんだ。私が生まれ育った町を」

 

「――はい。必ず、必ず遊びに行きます!」

 

 

 黎とラヴェンツァは満面の笑みを浮かべた。諍いもすれ違いもなく終わった修羅場に、僕とモルガナが安堵の息を吐いたのは当然と言えよう。

 自分を取り巻く憂いが無くなったラヴェンツァは、ニコニコ顔で食事を再開した。ビュッフェの食べ放題は時間有限である。食べなければ損だ。

 

 以前食べ過ぎて体調不良に陥った竜司やモルガナと同じ轍を踏まぬよう気を付けつつ、食事を再開する。和やかに談笑しながら、時には夜景を見下ろして、僕たちは交流を楽しんでいた。

 

 

***

 

 

「今日は本当にありがとうございました。次の機会も、よろしくお願いいたします」

 

 

 手荷物――戦利品を大量に抱えたラヴェンツァは、本当に嬉しそうに笑って頭を下げた。『次』という言葉が意味する出来事の素晴らしさを噛みしめているようだった。

 夜の繁華街をラヴェンツァ1人で帰すわけにもいかず、僕たちはベルベットルームの扉がある渋谷交差点まで彼女を送ることにした。少女の姿は扉の奥へと消えていく。

 青い扉はぼんやりと光を放っていた。しかし、扉の存在は希薄になっていて、資格を持つ黎ですら『もう入れない』という認知を覆すことができないらしい。

 

 

「あの部屋は役割を終えたから、もう二度と開くことはない。……でも、悲しむ必要はないんだ。オマエらが試練を乗り越え、未来を掴んだ証なんだからな」

 

 

 鞄の中に入っていたモルガナが顔を出し、立ち尽くす僕たちに声をかけてきた。善神の化身として、僕らを労ってくれたようだ。

 

 歴代ワイルド使いは、戦いを終えるとベルベットルームに立ち入ることが不可能になるらしい。情報ソースは命さんと真実さんだ。今回の件で、黎もその1人として名前を連ねることになったようだ。

 『試練を乗り越えて答えを見つけたことが関わっているのではないか』とのことだが、実際の所は不明だ。フィレモン全盛期世代のペルソナ使いは今でも普通にベルベットルームに出入りすることができる。それが余計に不明扱いを助長しているのだろう。

 

 おまけに、歴代ベルベットルームは全く繋がっていないという。フィレモン全盛期時代のペルソナ使いは自分たちが出入りするベルベットルームしか知らないし、巌戸台のワイルドである命さんや八十稲羽のワイルドである真実さんも、自分専用のベルベットルームしか知らないそうだ。

 曰く、フィレモン全盛期時代のペルソナ使いは広めのライブハウス、巌戸台のワイルドはエレベーターをモチーフにした個室、八十稲羽のワイルドはリムジンの車内とのことだ。他にも、異空間だったり、ダンスホールモチーフらしきベルベットルームの存在も確認されていたらしい。

 今回の件で、東京のワイルドには牢獄モチーフという情報が追加された。しかも独房である。話を聞く限りでは、世代交代をする度に部屋が狭まっているように感じる。次の世代のペルソナ使いたちは、どんなベルベットルームに招待されることになるのだろう。些か不安であった。

 

 

「でも、どうしよう? 次の予定を話し合うためには、あの扉を開けてラヴェンツァと話ができないと困るんだけどなあ……」

 

「問題ない。ラヴェンツァさまは蝶を飛ばすこともできるからな。いざとなったら、ワガハイが直接言伝してやる」

 

「そっか。モルガナは善神の化身だから、ベルベットルームと現実世界を自由に行き来できるんだっけ」

 

 

 表情を曇らせた黎に対し、モルガナは不敵に笑って胸を張った。そこで僕は、モルガナの特異性に気づいて手を叩く。

 青い部屋と現実世界を行き来するモルガナがいるなら、ラヴェンツァと遊ぶ約束をするにあたって、余計なすれ違いが発生しなくて済みそうだ。

 

 

「ただ……」

 

「ただ?」

 

「……できれば、『暫くはあの部屋に近づきたくない』ってのがワガハイの本音なんだ」

 

 

 晴れた空を連想させるような双瞼を遠くに向けて、モルガナは深々とため息をついた。

 

 彼の様子からして、あの扉の向こうで何が起きているかの想像がついているらしい。モルガナの不安を助長するように、二度と開かない扉の向こうから爆発音が響いた気がした。

 明智吾郎の耳が異常でなければ、ラヴェンツァとマーガレットが言い争っている声が聞こえたように思う。時折、テオドアの悲鳴と爆発音が二重奏を響かせるのだ。

 

 嫌な予感しかしない。十中八九、扉の向こうでは死闘が繰り広げられている。リア充に殿堂入りしたテオドアとラヴェンツァが、姉たちと熾烈な戦いをしているのだ。

 今回はラヴェンツァがテオドアを盾代わりにしているのだろう。テオドアの断末魔やイゴールの怒声が聞こえてきたと思った刹那、一瞬にして音が消え去った。

 瞬きする間の時間、扉の放っていた青い光が消えた気がする。だが、すぐに再点灯したので、大した問題ではなかったのだろう。……そうだと信じたい。

 

 

「モルガナ、帰ろう」

 

「そうだな。今日は帰ったら寝ようぜ。……そういえば、ゴローは今日も泊まるのか?」

 

「そのつもりだけど?」

 

「じゃあ、ワガハイは散歩してくる。ごゆっくりー」

 

 

 僕の答えを聞いた途端、モルガナは黎の鞄から飛び出して夜の街中へと消えていった。野良猫ライフ(十中八九上に『不本意』が付きそうだ)を満喫しつつ、明日の朝に戻ってくるのだろう。空気の読める賢い奴だ。

 モルガナの背中を見送った後、僕と黎は顔を見合わせた。久方ぶりの2人きりである。途端になんだか居心地の悪さを感じて、僕は視線を彷徨わせた。意識しすぎだと言われればそうだろうが、仕方がないじゃないか。

 

 散々唸った後、僕は黎に視線を向ける。黎も困惑したように視線を彷徨わせていた。彼女の頬や耳は、ネオンの光でも誤魔化しきれない程に赤く染まっている。

 どうやら僕たちは同じ気持ちらしい。気恥ずかしさは溶けるように消えて、残ったのは嬉しさと照れくささだ。おずおずと手を伸ばし、指を絡める。――なんだか酷く満たされた。

 左手同士で指を絡めれば、桃色系統のサファイアがあしらわれた揃いの指輪が示される。同じ未来を生きてゆく――その事実の尊さを噛みしめながら、僕たちは家路についた。

 

 




魔改造明智による3学期、ラヴェンツァと一緒編。書き手もびっくりするほど苦戦しました。考えても考えても全然進まなくてぐるぐるしていましたが、ようやく形に出来ました。こうしてみると大したことないのに、どうしてスランプにぶち当たっていたのか不思議なくらいです。
リアルが忙しいというのもあったかもしれませんが、自分でも「こんなに進まないのは何故だ?」と首を傾げるレベルで筆が進まなかったんです。終わってみると「こんなに時間をかける必要はなかったのでは?」と思ってしまうのですが、不思議と『無意味なスランプだった』とは思わないんですよね。
しょっぱなからラヴェンツァのキャラがぶっ壊れています。姉や兄のエキセントリックさを下地にし、色々捏造したりバタフライエフェクトを混ぜ込んでみた結果がこんな有様になりました。多方面に喧嘩を売るような真似をしてしまった感が否めませんね。不快な思いをさせてしまったら申し訳ありません。
そして、ラヴェンツァはリア充の仲間入りを果たしました。今後は何かある度、テオドアとタッグを組んで姉たちに挑みかかることでしょう。いつの日か、御影町へ行く許可を勝ち取ったラヴェンツァが、はじめてのおつかいよろしく1人で公共交通機関を乗り継いでやって来るのも近いかもしれませんね。

拙作では『ラヴェンツァが『力司る者』としての使命を知ったのは、ヤルダバオトに真っ二つにされる以前。その際、姉や兄から話を聞いていた』という設定です。『自分もいつかは兄のようなリア充になりたいと夢を見ていたところ、悪神のせいでとんでもないことになってしまった』というオチ。
内心、『仲良くなりたかった相手に鞭でビシバシやったり、冷徹な目で見下したりした』⇒『自分は嫌われてしまったのではないか? 世界の危機だったから文句を言わなかっただけで、本当は怒っているのではないか?』と不安に思っていたようです。尚、杞憂だった模様。良かったねラヴェンツァ!

次回はバレンタイン。作品の方向性上、15日の修羅場イベントは発生しません。だってどちらも一途ですから。確実にげろ甘いことになると思われます。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。