Life Will Change   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・フィレモンのポンコツ具合とゲス具合に拍車がかかる。


訣別の刻来たれり ―八咫烏は飛び立った―

『今までアイツらが、なんで体張って来たと思ってんだ!? いい加減、目を覚ませよ! いつまで逃げてるつもりなんだよ!』

 

 

 異質なものを見るような眼差しにも負けることなく、三島が大衆に訴えかける。だが、大衆たちは沈黙したままだ。三島に向けて、冷たい眼差しが突き刺さる。

 

 大衆の無反応を目の当たりにした彼の心は折れる寸前だった。

 怪盗団の応援団長が悔しそうに、悲しそうに俯いた刹那――

 

 

『行け、怪盗団! 俺たちがついてる! 理不尽な罪と罰を、『神』の企んだ滅びの未来を打ち砕け!』

 

『怪盗団のみんな、レッツ・ポジティブシンキング! あの悪神から、私たちの“夢を叶える権利”を取り戻して頂戴!』

 

『怪盗団、頑張れー! 限りある命を全力で生きる世界を、あんな奴に渡してたまるもんかー! 思いっきりぶん殴れー!』

 

『負けるな怪盗団! 世界の誰もがお前たちを見捨てたとしても、俺たちは真実を知ってる! お前たちが成した正義を知ってる! お前たちは1人じゃないぞ!』

 

『お前たち任せにしかできない不甲斐ない大人だが、俺たちはお前たちを信じている! 声が枯れようと、この命が燃え尽きようと諦めない! だから立ってくれ、怪盗団!』

 

 

 響いた声に振り返った三島は目を見張った。怪盗団に声援を送る人間たち――達哉さん、舞耶さん、命さん、真実さん、航さんを筆頭とした歴代のペルソナ使いたちだ――の存在に希望を見出したのだろう。三島の表情が明るくなった。

 

 文字通り、声を枯らさんと、魂を燃やし尽くさんばかりに怪盗団へエールを送るペルソナ使いたちの様子に感化されたのか、大衆たちが次々と怪盗団に声援を送り始めた。

 石が投げ込まれた水面の波紋がどんどん広がって行くように、大衆たちの応援もどんどん広がっていく。それに呼応するかのように、1羽、また1羽と、周囲に黄金の蝶が現れた。

 新たに現れた黄金の蝶が見せたのは、怪盗お願いチャンネルに設置されていた怪盗団の支持率だ。大衆の応援と比例するようにして、0%だった支持率が勢いよく上昇し始める。

 

 

『怪盗団、聞こえるかー!?』

 

「――うん。ばっちり、聞こえたよ……!」

 

 

 三島を筆頭とした救世の声に応えるが如く、ジョーカーが体を起こした。満身創痍だと言うのに、口元には笑みが浮かんでいる。

 だが、エールはこれだけでは終わらなかった。新たに現れた金色の蝶が、人々の姿を映し出す。

 

 

『ここまで来て、負けるとかナシ。最後までやり遂げて!』

 

『これでも期待してんだぜ。絶対勝てよ!』

 

『応援すれば勝つ? ならいくらだって応援するし!』

 

 

 武見さんが、岩井さんが、川上先生が。

 

 

『こんだけ人の心を掴んでんのよ。負けたら承知しない!』

 

『私にはわかります。貴女たちならどんな運命にも抗える!』

 

『キミたちはまさに変革を起こしている! 行けぇー!』

 

 

 大宅さんが、御船さんが、吉田議員が。

 

 

『前を向いて戦い続けるの! ……私もそう教わったからっ!』

 

『ずっと応援してきたんだ! 今までも、これからも!』

 

『貴女たちこそ、最後の希望……! どうか……!』

 

 

 一二三さんが、織田が、ラヴェンツァが。

 

 

『お前らのせいで俺まで諦めが悪くなっちまったよ……。――立て、負けんじゃねえ!』

 

『誰が何と言おうと、オレはお前らを信じる! 行っけー、怪盗団!』

 

『頼んだわよ、怪盗団。最後まで私はキミたちを信じる!』

 

 

 佐倉さんが、三島が、冴さんが声を上げる。

 怪盗団の味方として、世界の滅びを否定する者として。

 

 声を上げたのは東京にいる人間たちだけじゃない。

 

 

『怪盗団、頑張れー! 菜々子、ずーっと応援してるから! これからも応援するから、絶対に負けちゃダメ!』

 

『警官としてあるまじき発言だってことは分かってる。……分かってるが、言わせてくれ。――世界はお前らに懸かってる。負けんじゃねえぞ、怪盗団!』

 

『人の子よ。世界が貴女たちを見捨てても、私はいつだってあなたの傍にいます。だからくじけないで。絶望しないで。――お願い、立って!』

 

『そんなところで這いつくばってどうすんだよ。――ほら、さっさと立て! お前らは俺とは違うんだろ?』

 

 

 八十稲羽にいる堂島親子が、マリーさんが、足立徹が。

 

 

『男には逃げちゃいけねえときがある。それが今この瞬間だ。――気張れ、怪盗団! このミッシェルさまがついてるぜ、Baby!』

 

『キミたちの頑張り、ずっと見てきた。ずっとずっと、応援してきた。――あんな奴の好き放題を、許して堪るもんですかッ!』

 

 

 珠閒瑠にいる栄吉さんが、リサさんが。

 同じようにして僕たちにエールを贈ってくれる。

 

 誰1人として、統制神ヤルダバオトの支配など望んでいない。人類は滅びを否定する。――今ここに響く声が、それを証明した。

 

 

「これが、オマエの馬鹿にした人間たちの声だ! オマエの支配なんて誰も望んじゃいない!」

 

「ヤルダバオト。これが、貴様が捻じ曲げてまで否定しようとした、人間の真なる望みだ。――いい加減、受け入れろ」

 

 

 モナが不適に微笑む。至さんも静かな面持ちで頷いた。人々の声を聞いていると、身体の奥から力が湧いてくる。「頑張れ、負けるな、応援している」――それらの声が、僕たちの背中を押してくれた。

 今の今まで、散々怪盗団を詰っていたくせに。怪盗団の成した正義をすっかり忘れていたくせに。腹立たしさや憤りが消えたわけではないけれど、でも、誰かから存在を肯定されるのも、応援されるのも嬉しい。

 1人、また1人と仲間たちが立ち上がる。誰もが双瞼に闘志を燃やし、ヤルダバオトへ抗うために得物を構えた。僕も、身体の痛みを振り払うようにして立ち上がる。満身創痍でも構うものか。それに呼応するようにして“明智吾郎”も立ち上がった。

 

 

「馬鹿な……! フィレモン、貴様――」

 

「――残念ながら、彼は私ではない」

 

 

 大衆たちの声を耳にしたヤルダバオトが至さんに視線を向け、戦いたような声を出す。だが、その言葉を否定する声が響いた。振り返った先にいたのは、茶髪の髪をポニーテールに束ね、目元を蝶モチーフの仮面で覆い、黒いタイツに身を包んだ男性――普遍的無意識の集合体たる善神フィレモンだ。

 奴の輪郭はやや霞がかっているものの、全盛期の一歩手前くらいには視認できるレベルとなっていた。しかも質量もあるらしい。しゃがんだフィレモンが労るような手つきでモナの頭を撫でていたためである。モナは直立不動の姿勢を保ちながらも、複雑そうな顔をしつつ喉を鳴らしていた。

 

 いきなり現れたフィレモンに驚いたのはヤルダバオトだけではない。俺も目を見張る。――どうして今、奴はこの場に現れたのだろう。

 確かに至さんがペルソナたちを合体させて、普遍的無意識の権化たるフィレモンを顕現させた。だが、光が晴れたときあの場にいたのは至さんただ1人である。

 モナやヤルダバオトは至さんのことをフィレモン呼ばわりしたが、直後、本物のフィレモンがこの場に顕現した。

 

 あのとき、至さんは言った。『ここが自分の旅路(じんせい)終着点(おわり)だ』と。

 ヤルダバオトは言っていた。『フィレモンを憎んだ至さんが、そんな選択を選ぶなんておかしい』と。

 

 

(まさか――)

 

 

 それが何を意味しているのかを考えたとき、俺の背中に悪寒が走った。俺の予感を肯定するが如く、フィレモンは言葉を紡ぎ続ける。

 

 

「空本至は規格外だった。本来なら私に統合されて消滅するはずだったのだが、私とは別存在として独立したようなんだ。新たなる善神・セエレとしてね」

 

「セエレ、って……」

 

―― 俺に『()()()()()()()()』って持ち掛けてきたアイツか!? ――

 

「最も、彼の意識はいずれ“別世界にいるセエレ”に統合されるだろうがね。空本至の意識が強靭だったが故に起きたことだ。流石の私も予想外だったよ。私との契約を果たしつつ、ある意味では破棄したも同然なのだから」

 

 

 驚く俺たちを尻目に、フィレモンは訥々と説明する。奴と至さんの間に結ばれた契約――『至さんに3回力を貸す代わりに、自分が3回目の願いを叶え次第即座に“力を失った善神が失われた力を補てんし、新しく顕現し直すための器”となる』ことを。

 フィレモンの器になるということは即ち、人間としての死を迎えることと同義だった。生贄になることと同義だった。本来ならばそのままフィレモンに統合されるはずだったのだが、至さんの自我や意識が強すぎたために、フィレモンに力を与えながらも別存在の『神』へと至ってしまったらしい。

 俺は思わず至さんを見た。至さんは小さくため息をつくと、自分の仮面を外して俺たちを見返した。菫色の双瞼は優しく細められていた。ここに居る人物は、空本至以外の誰だというのだろう。しかし、彼が纏う気配は完全にヒトの括りから逸れてしまっていた。

 

 人間としての死を迎えるというのは、こういうことだ――俺は漠然と理解する。

 気づいたら、自分でも情けないと思ってしまう程に、憔悴した声が漏れた。

 

 

「至さん、どうして……!?」

 

「なんでそんな顔するんだよ。悲しむことなんて何もないだろ」

 

 

 至さんは困ったように苦笑する。

 

 

「宝物ができた」

 

「宝物?」

 

「理想を語り合い、歩幅すら共にした友達。温もりに触れ合い、心を通わせた家族。暗闇の中で、星のように瞬く希望。……前に進む理由は、それだけで充分だろう」

 

 

 至さんの言葉に呼応するかのように、黄金の蝶が姿を現し始める。最初は俺たちの視界の端にちらついていただけの蝶は、いつの間にかこの場一帯を覆いつくさんばかりの群れを成していた。

 

 フィレモンが感嘆の息を零す。「全盛期の私に匹敵する……否、もしかしたら……」――そう紡いだ声が、どこか嬉しそうに聞こえたのは気のせいだろうか。

 奴の言葉が間違いではないと証明するかのように、黄金の蝶は数多の祈りを乗せてこの場を舞う。救世の声を怪盗団へ届け、それを力へと変換していく。

 どこかで生まれ落ちたセエレが、“ジョーカー”と“明智吾郎”の後悔や未練、祈りや願いを蝶に乗せて飛ばし、この世界を創り上げたのと同じように。

 

 

「さて、善神セエレとしての最初の仕事。そうして最初の契約だ、怪盗団。大衆の望みたる“救世の祈り”を、私がキミたちへ届けよう。――その代わり、人間の可能性を……あの統制神を完膚なきまでに叩きのめし、完璧な勝利を見せてくれ。……できるな?」

 

 

 ずるい、と思う。人間ではなくなって、いずれはどこかにいる自分と統合されて消えてしまうというのに、至さんはいつも通りに笑っているのだ。

 菫色の瞳を満たすのは、俺たちへの深い信頼だった。“自分の申し出に頷いてくれる”という確証を抱いて、彼は俺たちの返事を待っている。

 

 

「――わかった。至さん、貴方に敬意を」

 

「――ありがとう」

 

 

 俺たちを代表して、ジョーカーが頷き返した。至さんは満面の笑みで俺たちを見送る。俺たちは頷き返した後、ヤルダバオトに向き直った。

 掌を返したように自分を否定する民衆たちに対し、ヤルダバオトは苛立たし気に怒鳴り散らしている。

 「創造主たる己に従え」――それが、ヤルダバオトの偽らざる本音だった。

 

 

「神様よぉ、愚かな人間が祈ってるぜ? 『この世界に、テメェの居場所なんかねぇ』ってな!」

 

「悪神に最後通告してやれ、レイ!」

 

 

 スカルがヤルダバオトを否定する人々を代弁し、モナがジョーカーに向き直って促す。ジョーカーは頷き返した後、統制神に向かって啖呵を切った。

 

 

「相手が悪かったね、ヤルダバオト。――貴様から、世界を頂戴する!」

 

 

 

◇◆◆◆

 

 

 空本至には、忘れられないことがある。

 空本至には、忘れたくないことがある。

 

 

***

 

 

 ――Voice。

 

 

『我が化身の失敗作。人間に対し、災厄をばら撒くだけの欠陥品よ。――キミは、生まれ落ちたこと自体が間違いだったんだ』

 

 

 我が親愛なる創造主――善神フィレモンは、幼子に語り掛けるように告げてきた。仮面の奥から覗く双瞼には、『当たり前のことを当たり前に告げただけだ』と言わんばかりに澄み切っている。この言葉を筆頭としたフィレモンの警告は、人類を思うが故――つまりは善意由来のものだった。

 

 12年前、自分はまだ17歳の高校生。両親と死別し肉親は双子の弟だけ、来年小学生になる遠縁の親戚である少年の保護者を始めたばかり。個性的な友人がいて、毎日が充実した日々を送っていた人間だった。――否、()()()()()()()()()

 藪から棒に告げられた真実に、頭を鈍器で殴られたような衝撃に見舞われた。『キミのせいで、既に2つの災厄がばら撒かれている』とまで言われた。おまけに、災厄の1つに関しては、17歳の時点でハッキリとした心当たりがある。

 学校に伝わる七不思議の1つ――演劇部に代々伝わるスノーマスク――は、担任であった冴子先生の身体を乗っ取って聖エルミン学園高校を氷漬けにした。そのいわくつきのマスクを発見し、冴子先生に見せびらかしたのは、他ならぬ空本至自身。

 

 数多の災厄を撒き散らすだけの存在だと詰られて、実際本当のことだったから何も言い返せなくて、反論できない程完璧な正論によって叩きのめされた。

 普通に生きていただけだった。でも、『それすらも許されないことなのだ』と笑顔で詰られた。いや、相手には詰っているつもりなど微塵もないからタチが悪い。

 

 

『俺が生きようとすることは、そんなに悪いことなのか?』

 

 

 このときの空本至は、“どこにでもいる一介の高校生”。普通の17歳が、いきなり『お前は生きていること自体が間違いだ』なんて言われて、平静でいられるはずがなかった。

 どうしたらいいのか分からなくなって、途方にくれた。誰かを傷つけるつもりもなければ、仲間や大事な人を災厄に巻き込むつもりだって微塵もなかった。

 でも、自分が生きている限り、みんなが巻き込まれる。空本至が存在し続ける限り、沢山迷惑をかける。――それでも、死にたくなんかなかった。生きていたかった。

 

 やりたいことがたくさんあった。友達と一緒に笑っていたかった。被保護者や、恩人の孫娘の成長も見守っていたかった。けど、自分のせいで友達や被保護者たちが災厄に巻き込まれるなんて考えたくなかった。そんなこと、耐えられなかった。こんな自分は、消えるべきだと思った。

 

 ――でも。

 

 

『至さんがいなくなるのは嫌だ』

 

 

 そう言ってくれた人がいた。――恩人の孫娘、有栖川黎だった。

 

 

『至さんのことを『生まれてきたことが間違いだった』なんて言う奴は、俺がぶん殴ってやる!』

 

 

 そう言ってくれた人がいた。――半年前に迎え入れた被保護者、明智吾郎だった。

 

 

『なあ。俺が人間じゃなくても、お前らを厄介事に巻き込むような存在でも、友達でいてくれるか? ……仲間で、いさせてくれるか?』

 

『――馬鹿だな。お前は俺の、双子の兄だろうが』

 

 

 至の問いに、不敵に笑って答えてくれた人がいた。――双子の片割れ、空本航だった。

 

 聖エルミン学園高校の仲間たちも、空本至を笑って受け入れてくれた。否定しないで、迎え入れてくれた。

 『生きようとすることは悪いことではないのだ』と、『人間は迷惑をかけあう生き物だろう』と、そう言って。

 

 彼等のおかげで、空本至は救われた。彼等がいたから、立ち直ることができた。誰に何を言われようとも、生きていこうと思ったのだ。前を向くことができた。

 同時に、空本至は決意した。これから先、『神』による気まぐれな『遊び』という名の理不尽を課されてしまう人間が出てくるだろう。そんな人を、理不尽から守りたいと。

 空本至は決心した。理不尽な試練を背負わされ、傷つき、途方に暮れる人を助けようと。そんな人を支え、共に歩み、導けるような人間になるのだと。――そう、誓ったのだ。

 

 

***

 

 

 ――change your way。

 

 

『そんなに大事なものだったら、鍵をかけてしまっておけばいいんだよ。そうすれば、どこにも行かないよ?』

 

 

 滅びの夢の先にある、大いなる罰。引き金を引いたのは、滅びの夢にいた幼い空本至だった。

 『この世界は一度滅んでいた』という事実だけでも一杯一杯だったところに、大本の原因が提示された。

 

 仲の良い“おねえちゃん”の引っ越しを嘆く4人の子どもたちは、遊び場である神社で悲しみに暮れていた。そこに通りかかった少年は、支離滅裂気味な子どもたちの話を聞いて、『『大事な“もの”がなくなってしまう』ことに嘆いている』と解釈し、子どもたちに告げたのだ。『なくしたくないなら、鍵をかけて閉まっておけばいい』と。

 それからしばらくして、『親戚である天野舞耶が大やけどを負って入院した』という話題を聞いた。何でも、『何者かの手によって神社に閉じ込められてしまったところに放火魔がやって来て、そいつが神社に火を放った』らしい。本人もショックが強く、当時のことはよく覚えていなかったそうだ。だから、少年も詳しく追及しようとは思わなかったらしい。

 

 少年が事件の真相を知ったのは、彼が20歳になったときだった。

 

 子どもたちは嘗ての少年――青年が言った言葉を、忠実に実行した。大好きな“おねえちゃん”と離れたくない一心で、彼女を神社に閉じ込めたのだ。だが、そこへ放火魔がやって来て、“おねえちゃん”が閉じ込められている神社に火を放った。結果、“おねえちゃん”を庇った子どもは背中を刺され、“おねえちゃん”は火傷を負った。

 あまりにもショッキングな光景だったために、子どもたちの防衛本能が働いたのだろう。記憶に蓋をし、あるいは改竄し、表面上は平和な生活を送っていた。だが、その平穏は、子どもたちが高校生になって壊されることとなる。子どものうち1人が、悪神ニャルラトホテプに利用されて行動を起こしたためだ。瞬く間に、世界は崩壊へと転がり始めた。

 

 

『お前が『鍵をかけて閉まっておけばいい』なんて提案しなければ、一連の悲劇が始まることはなかっただろうにな!』

 

 

 数多の危機を乗り越えて対峙した悪神ニャルラトホテプは、当時少年だった青年――滅びの世界にいた空本至に告げた。

 滅びの世界にいた自分だけではなく、今ここで生きている空本至に対しても同じことを告げて嗤った。心底愉快そうに。

 

 

『我が化身の失敗作。人間に対し、災厄をばら撒くだけの欠陥品よ。――キミは、キミ自身の罪を償わなくてはならない』

 

 

 自身の目的から高校生たちに力を貸していた善神フィレモンは、滅びの世界にいた空本至に告げた。

 その果てに、滅びの世界の空本至は、高校生たちと被保護者である明智吾郎を守って死んでいった。

 しかし、その死も結局無駄となった。最終的に、高校生たちはニャルラトホテプの計略に負けたのだ。

 

 自分たちの絆と記憶。それらを引き換えにして、彼等は世界をリセットした。滅びを『なかったこと』にしたのだ。

 

 嘗ての母校で教頭をしていた半谷の死に関わったことで、この世界の空本至は“滅びの世界”で発生した事件の真相を知る羽目になった。

 仲良し4人組がその決断を下すために、どれ程の葛藤があったのか。考えるだけでも胸が締め付けられる。

 それこそ、誰かが土壇場で『忘れるのは嫌だ』と叫んだっておかしくなかった。そう望んでしまうことを咎めることはできないだろう。

 

 4人の中の1人――周防達哉が『忘れるのは嫌だ』と叫んだ結果が、今回の一件に――世界の滅びに繋がっていた。

 

 

『虫のいい話だな? 辛いことは仲間に押し付け、『自分だけ記憶を持ったままでいたい』などと、許しがたい大罪だ』

 

『罪には罰を下さねばならん。だから、その女と再び出会う機会を与えてやった。仲間たちと巡り合う運命を紡いでやったのだ』

 

 

 ニャルラトホテプは愉快そうに嗤っていた。周防達哉が抱いた“何も忘れたくなかった”というささやかな願いを、『人類が滅びを望んだと同義』であり『許しがたい大罪である』と断じた。『自分はただ、罪に見合う罰を下しただけに過ぎない』とも。

 あまりにも理不尽な罪状であり、あまりにも理不尽な罰だった。そのために繰り広げられた数多の謀略や悲劇と、周防達哉が抱いた願いとは全く釣り合わない。悪神に一方的に詰られていた周防達哉は、嘗てフィレモンに詰られた空本至とよく似ている。

 

 空本至は、周防達哉を助けたかった。嘗ての自分と同じく、『神』の理不尽によって苦しむ彼を助けてやりたかった。周防達哉の頑張りが報われてほしいと、心から願った。

 

 

『――俺、『向こう側』へ帰るよ』

 

『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』

 

 

 伸ばした手は届かない。数多の理不尽を差し向けられても、必死になって頑張っていた彼の頑張りは報われることはなかった。

 “何も忘れたくなかった”という大罪。周防達哉はそれを償うために、“愛する人と永遠に会えない”という罰を受けたのだ。

 寂しそうに、悲しそうに、苦しそうに目を伏せた少年の横顔を、空本至は忘れられなかった。――忘れることができなかった。

 

 

***

 

 

 ――キミの記憶。

 

 

『“調和する2つは、完璧な1つより勝る”んだろ?』

 

 

 『南条コンツェルンで行われていた黄昏の羽の研究を、同規模の分家である桐条グループと共同で行うべきである』――南条圭にそう提案したのは、他ならぬ空本至だった。

 

 それからすぐ後、巌戸台のムーンライトブリッジで事故が発生した。親戚の香月命の両親も、その事故に巻き込まれて亡くなった。命は親戚を転々とすることとなり、高校2年生になった際に巌戸台へと帰還することとなる。――それが新たな悲劇(しれん)の幕開けになるだなんて、誰が予想しただろう。

 桐条グループが何かを隠していることを察知し、空本至は明智吾郎と共に巌戸台へ足を踏み入れた。放課後課外活動部という名の“巨大シャドウ討伐”に参加することとなり、香月命とその仲間たちと一緒に戦った。……だが、2人の人間の悪意によって、月光館学園の面々は“世界滅亡の引き金”を引かされてしまった。

 

 元々、シャドウの研究は桐条鴻悦によって行われた。自分の死期を悟った鴻悦は、不老不死になるための研究実験を行ったのだ。南条コンツェルンから特殊物質――黄昏の羽の共同研究が持ちかけられたのも丁度その頃だったという。その特殊物質は、奴ともう1人――幾月修司の狂気を加速させることとなった。

 クソみたいな大人たちの悪意は、ムーンライトブリッジで発生した大事故へと繋がる。桐条の研究施設を破壊したシャドウ・デスがムーンライトブリッジへ逃走し、それを追いかけた対シャドウ兵器であるアイギスが激しい戦いを繰り広げた。香月命の両親はその戦いに巻き込まれて命を落とし、命自身も重傷を負う。

 アイギスとの戦いで傷ついたデスは眠りにつき、デスとの戦いで満身創痍となったアイギスには止めを刺す力は残されていなかった。辛うじて、どこかに封印することはできた。そこで、アイギスは目を付けたのだ。――()()()()()()()()()()()()()の香月命に。

 

 後に、香月命は巌戸台へ向かうこととなり、彼女の中に封じられていたデスが活性化。本体に呼応するような形で、大型シャドウの群れが現れた。

 それを利用して、世界の王に君臨しようとしたのが幾月修司である。奴は岳羽ゆかりの父が残した警告を改竄し、香月命たちを踏み台にしようとしたのだ。

 

 それだけだったらまだマシだった。だが、幾月修司は何も知らなかったのだ。彼が推し進めたソレは、世界滅亡を加速させるだけだったことを。

 

 

『僕は“宣告者”……。僕は、存在そのものが“滅びの確約”なんだ』

 

 

 秋頃に巌戸台へやって来た少年――望月綾時は悲しそうに告げた。彼は桐条鴻悦の研究と幾月修司の悪意、そして望月命の心によって生まれ落ちた特別なシャドウ。

 死の権化たるニュクスを顕現させるための中核となる存在たる望月綾時であったが、彼は香月命から心を得た。結果、死の宣告者でありながら死を望まぬ稀有な存在となった。

 

 

『ニュクスの降臨を止めることも、ニュクスを斃すこともできない。死から逃れることなんて不可能なんだ』

 

『でも、僕はみんなと同じように人の形を持っている。喜んだり、悲しんだりする心がある。短い間だったけど、みんなと一緒に楽しい時間を過ごした。……だから、みんなの苦しむ顔を見たくない。避けられぬ死なら、どうか何も知らないまま、安らかであって欲しいんだ』

 

 

 死の宣告者から齎された選択肢に、仲間たちは大いに頭を悩ませることとなる。

 

 

『命さえ巌戸台に帰ってこなければ、こんなことにならなかったんだ! お前、特別なんだろ!? お前のせいでこうなったんだから、お前が何とかしろよ!!』

 

『至サン。大本はアンタだ! アンタが『黄昏の羽』の共同研究なんて持ち掛けなければ、桐条センパイのじいさんがこんな研究することだってなかった! アンタも責任とれ!!』

 

 

 空本至の善意が悲劇の引き金を引いたことに関しては正論だ。伊織順平に反論できないのは当然のことである。

 でも、香月命が月光館学園高校に転入してきたのは偶然だった。だから、そうやって責められる謂れはない。

 因みに、次の瞬間、伊織順平は勢いよく跳躍した明智吾郎に蹴りを叩きこまれてひっくり返った。閑話休題。

 

 後に、香月命は滅びに抗う選択をし、ニュクスを封印してみせた。

 その際に現れたフィレモンは、空本至に耳打ちした。

 

 

『このままだと、香月命は死ぬ』

 

『ニュクスが降臨するきっかけとなったのは、“死に触れたい”と望む人々の欲望があったからだ。ニュクスが扉の向こうに封印されても、その扉に手を伸ばす存在があり続ける限り、それを退けるための“扉の番人”が必要となる』

 

『香月命は、その封印のために命を差し出すか否かを迫られている』

 

 

 フィレモンは笑っていた。当たり前のことを当たり前に告げているだけだから、そこに罪悪感も悲壮感も憐れみもない。淡々と告げる創造主に反感を抱いたのは当然のことだった。

 

 今回の一件で、空本至は香月命の旅路を見ていた。両親を失い、死の権化を無許可で封印され、その上で親戚中をたらい回しにされた。帰って来た巌戸台で、『特別な力を持っているから』という理由で戦いへと身を投じることになっても、明るさや素直さを失わず、数多の困難に立ち向かってきた女の子だった。

 痛いことも苦しいこともあっただろう。泣き出したいのを我慢して、必死に頑張っていた女の子。そんな彼女は、死の気配と影を纏った荒垣真次郎に恋をした。荒垣真次郎もまた、彼女に押されるような形ではあったが、香月命の想いに応えた。――まさかその直後に、彼がストレガのタカヤに狙撃されて意識不明になるなんて思わなかった。

 恋人が生死の境を彷徨っている中で、仲良くなった同級生の望月綾時。彼から告げられた死の宣告と、仲間たちから与えられた選択権および全責任。終いには――理性を失う程憔悴していたとはいえ――仲間からの『お前のせいで世界が滅びかけている。責任を取れ』発言だ。誰も知らない場所で1人、泣いていたことを知っている。

 

 救世主たる香月命には、頑張ったご褒美があってしかるべきだろう。

 自分が救った世界で生きて、幸せにならなきゃおかしいではないか。

 

 

『私に()()()()()があれば、彼女の運命を変えることができるだろう。だが、力を行使するためには、キミには一時的に私の器になって貰う必要がある』

 

『取引をしよう。キミがいずれ“失われた私の力を補てんし、新しく顕現し直すための器”になってくれるならば、私はキミの願いを3つ叶えよう』

 

『3回目を叶えた時点で、キミは私の器となる。そうなった暁には、キミの肉体と自我は消滅するだろう。普遍的無意識集合体として私の意識に統合され、人間としての死を迎え、『神』となるんだ』

 

『たとえキミが消滅したとしても、キミが守ろうとした人々はこの世界で生きていく未来を得る。それは長く長く続いていくことだろう。――キミはどうする?』

 

 

 フィレモンの言っていることは、なんてことはない。空本至に対し、『全盛期の自分を取り戻すための生贄となれ』と言っているのだ。

 しかも、至が何度も自分に助けを求めることも想定していた。それを続ければ、空本至がフィレモンを顕現させるための依代になって死ぬことも想定していた。

 

 『キミがそうしなければ、香月命は死ぬだろう』と、フィレモンは粛々と言葉を続ける。

 まるで脅迫だ。香月命の未来か、空本至自身に迫る“緩やかな破滅”か――天秤は傾く。

 

 

『――俺、『向こう側』へ帰るよ』

 

『淳は約束を守った。……今度は、俺の番だ』

 

 

 空本至の脳裏に浮かんだのは、『向こう側』へと消えた周防達哉の姿。

 

 伸ばした手は届かない。数多の理不尽を差し向けられても、必死になって頑張っていた彼の頑張りは報われることはなかった。

 “何も忘れたくなかった”という大罪。周防達哉はそれを償うために、“愛する人と永遠に会えない”という罰を受けたのだ。

 寂しそうに、悲しそうに、苦しそうに目を伏せた少年の横顔を、空本至は忘れられなかった。――忘れることができなかった。

 

 

***

 

 

 ――Never More。

 

 

『あーあ。どこかに居ないものかねェ。人間のことを考えてくれる、人間にとっての、本当の意味での『善神(カミサマ)』が』

 

 

 ちょっかいをかけてきたフィレモンとニャルラトホテプを追い払った後、被保護者である明智吾郎との夕食の席でそんなことを言ったのは、他ならぬ空本至だった。

 ニャルラトホテプの嫌がらせによってテレビの中に突き落とされたのは、この話をしてから3か月後――2012年の4月半ばのことだった。

 

 空本至が零したぼやきを、フィレモンとニャルラトホテプはしっかりと耳にしていたらしい。丁度その頃、『人間の望みを叶えたいが、人間が真の意味で望んでいることが分からない』と悩む『神』を発見したそうだ。彼女の話を聞いた普遍的無意識集合体は空本至の発言を引用し、賭けを始めることにしたという。

 フィレモンは『神』である彼女を善神側に引き入れ、人間たちの手助けをする存在にしようと考えた。ニャルラトホテプは『神』である彼女を悪神側に引き入れ、人間に破滅を齎す存在にしようと考えた。件の『神』に色々と吹聴し、“『神』がどちら側に立つか”を当てるものだった。

 善神は言った。『人間は真実を求める生き物である』と。悪神は言った。『人間は自分にとって都合のいいものしか見ようとしない』と。同時にそんなことを言われた『神』は酷く困惑したが、『どちらの意見が正しいかを確認するため、人間に力を与えて様子を伺ってみる』ことにしたそうだ。

 

 その際、彼女は『どの人間に力を与えればいいのか分からない』と、双方に対して助力を求めた。

 

 善神は、出雲真実を指名した。ついでに、その賭けの顛末が自分側に傾くよう工作してもらうために、空本至を巻き込むことにした。

 悪神は、足立透を指名した。ついでに、その賭けの顛末が自分側に傾いていく様を見せつけるために、空本至を巻き込むことにした。

 

 意見が一致した普遍的無意識どもは、空本至と一緒に行動していることの多い明智吾郎も巻き込むことにした。――結果、ニャルラトホテプは空本至と明智吾郎をテレビの中に突き落とし、フィレモンはニャルラトホテプの行動を黙認した。そうして2人は、八十稲羽連続殺人事件に首を突っ込む羽目になる。

 

 

『ねぇ。至ってさ、いい年してるのにどうして結婚しないの? 相手もいないとかヘンだよ』

 

『ちょ、マリー!? そういうことは不用意に訊いちゃいけない!!』

 

 

 藪から棒に、そんなことを問われた。質問者は、この街で出会った少女。彼女は自分の名前すら思い出せない程の記憶喪失らしく、出雲真実から“マリー”と呼ばれていた。

 出雲真実はしょっちゅうマリーと一緒に過ごしていた。八十稲羽を見て回るだけでなく、ベルベットルームでも顔を会わせているらしい。本人たちが無自覚なのは微笑ましかった。

 

 

『俺は、人間に理不尽を強いる『神』から生み出された『駒』だからな。迂闊に作れないんだ』

 

『こんな奴と一緒にいるせいで、伴侶や恋人が『神』の標的にされるのは嫌なんだよ。ただでさえ、家族やクラスメート、親戚が巻き込まれてるんだ。これ以上、被害を増やしてどうするんだ』

 

『……それに、俺なんかみたいな奴のために超弩級の理不尽に向かい合わされるなんざ、相手が可哀想だろ。恋人や配偶者がいたら、“若くして未亡人”か“若くして死亡”なんてなりかねん。何もできないまま死ぬとか、何もしてやれないまま死ぬとか、お互いに不幸になるだけだ』

 

 

 マリーの質問に対し、空本至はそう答えた。

 そのとき、マリーは難しそうな顔をして首をかしげていたように思う。

 空本至は何も知らなかった。()()()()()()()()も、何も知らなかった。

 

 出雲真実とマリーが恋人同士になり、八十稲羽中で仲睦まじく笑い合う2人を見かけるようになったのは、それから暫く後のことだった。季節は流れ、時間は進み、模倣犯だ善意の空回りだ何だが交錯し、殺人事件の真の実行犯である足立透と決戦を繰り広げて奴を自首させた。

 田舎の冬休みが終わり、バレンタインデーに浮足立つ人々が増えてきた頃。空本至は、彼等とは対照的な顔をしたマリーを見かけた。彼女は憔悴しきった様子でフラフラと街を歩いており、その横顔はどこか悲壮感に満ち溢れていた。どこか、泣き笑いに近い顔をしていたように思う。

 

 

『私は彼から、沢山の“記憶”を貰ったんだ。沢山の“大好き”を貰ったんだ。――だから今度は、私が彼を守る番』

 

『……大丈夫。私は大丈夫。辛くなんかない、怖くなんかない。……でも、もう少しだけ……真実と一緒にいたかったなぁ』

 

 

 至がマリーに声をかけようとしたとき、彼女の姿は霧の中へと消えてしまった。――そうしてその日、“マリー”という少女は八十稲羽から姿を消し、人々の記憶からも消え去った。この異常事態に気づいていたのは、空本至だけだったのだ。

 

 ……勿論、そうは問屋が降ろさない。陳腐な表現ではあるが、愛の力は強固だった。出雲真実は自力でマリーのことを思い出し、“八十稲羽の人々がマリーを忘れた”という異常事態に気づいたのである。彼は空本至の元へ駆け込み、『仲間たちにマリーの記憶を取り戻させるために力を貸してほしい』と頭を下げてきたのである。

 すったもんだの末にマリーを思い出した一同は、新たに出現したダンジョン“虚ろの森”へと足を踏み入れる。特別捜査隊の面々はそこでマリーを発見し、『一緒に帰ろう』と声をかけた。マリーは泣きそうな声で悪態をつき、振り返る。白い神衣に身を包んだ少女の右目は、いつぞや対峙した“サギリ”どもと同じ光彩を宿していた。

 マリーの正体は“クスミノオオカミ”。アメノサギリ、クニノサギリたち同様、霧をばら撒き八十稲羽を覆いつくした『神』の化身だ。クスミノオオカミの役目を一言で述べるなら“スパイ”と言うのが相応しい。人間の中に溶け込み、人間と触れ合うことで、人間たちの望みをサギリどもに伝える目――それが、マリーの役目だった。

 

 それだけではない。クスミノオオカミにはもう1つ――役目、および特性があった。“八十稲羽を覆いつくす霧を自身に集め、消滅する”――霧を晴らし、真実へ到達する人間が現れた場合における、『神』の“果たすべき責任”。文字通りの生贄、あるいは人柱だ。

 記憶をなくしていた彼女は、真実と共に新しい記憶を積み上げてきた。使命を思い出した彼女は、同業者たる空本至の発言がどれ程の重みをもっていたのかを理解したのだろう。空本至は“自分のせいで大事な人が不幸になるのが嫌で、伴侶を得ることを選ばなかった”存在だ。

 

 残念ながら、クスミノオオカミ/マリーには愛する男性(ヒト)がいた。愛する男性(ヒト)()()()()()()()

 彼に関連する人々のことも、大切に思った。彼に関連する人々のことまでも、大切に()()()()()()()()()

 

 ――そうして、ダメ押しとばかりに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

『キミたちの幸せ傷ついたら、私、何のために死ぬのか分かんないよッ!』

 

『至。貴方なら、私の気持ち分かるよねッ!? 『自分と一緒になった恋人や伴侶が可哀想だから、そういう相手を作れない』って言った貴方なら、私の気持ち、分かるよねッ!?』

 

 

 目の前で金切り声を上げる少女は、『神』の『駒』ではない。どこにでもいる女の子だ。大好きな人のために命を賭けた女の子だ。

 『神』が用意した理不尽の尻拭いをさせられそうになっている人柱であり、空本至と同じ“『神』の被害者”だった。

 マリーは今まさに、『神』の理不尽によって命を刈り取られようとしている。――同じ痛みを抱えるものとして、放っておけるはずがない。

 

 特別捜査隊の頑張りのおかげで、ひとまずはマリーの自己犠牲を止めることができた。彼女を犠牲にしなくとも、霧を晴らすことに成功したのである。

 雪合戦に興じながら帰っていく真実と吾郎たちの背中を見送った至は、どこからともなく現れたフィレモンによって呼び止められた。

 

 

『マリーという少女の正体は、『神』の欠片だ。4つに分かたれたうちの最後の1体を出雲真実が降したとき、彼女は真の在り方を取り戻す』

 

『そうなれば、少女の“マリー”は真の在り方を取り戻した『神』の意識と統合され、完全に消滅するだろう。――私の力を3度借りたキミの末路と同じように』

 

 

 ――その言葉を聞いて、空本至の身体から一気に体温が引いた。

 

 愛する人を救えたと喜ぶ出雲真実の横顔が、愛する人に何も言わぬまま最期まで寄り添うことを選んだマリーの横顔が脳裏にちらつく。前者は運命など何も知らぬまま、きっと終わりまで駆け抜けるだろう。後者は切なさを押し殺して、自らの定めに殉じようとしている。

 おかしいじゃないか。マリーはただ、恋をしただけだ。真実もただ、恋をしただけだ。2人はただ一緒に生きていきたいだけなのに、それすらも『神』の理不尽――おそらく、『神』自身もそうなるとは想定していなかった――によって踏み躙られてしまうのか。

 

 “向こう側”に消えた周防達哉だって、ニュクスを封印するためにユニヴァースを発動させた香月命だって、数多の理不尽を味あわされても頑張っていた。

 前者は報われることなく消えるしかなくて、後者だって危うく人柱になりかかった。特に後者は、空本至がフィレモンと契約しなければどうなったか分からない。

 愛する人のために八十稲羽中の霧を抱き、虚ろの森ごと消滅しようとしたマリー。彼女は悲壮な決意を抱きながらも、最後は真実と共に絶望を乗り越えた。

 

 マリーと真実の未来はこれからだ。頑張ったご褒美があってしかるべきだろう。

 試練を乗り越えて勝ち取った世界で、幸せにならなきゃおかしいではないか。

 

 

『……フィレモン』

 

『何だい?』

 

『力を貸せ。――そういう契約だろう』

 

 

 善神はにっこりと微笑む。

 空本至には、一切の躊躇いはなかった。

 

 

***

 

 

 ――星と僕らと。

 

 

()()1()()だ。――分かっているね?』

 

『……言われなくとも』

 

 

 そうして、空本至の人生(たびじ)終幕(おわり)を迎える。

 

 

◆◆◆

 

 

「吾郎」

 

 

 有栖川黎から名前を呼ばれるとは思わなかったのか、明智吾郎が目を丸くする。

 黎は静かに微笑みながら、吾郎に向かって手を差し出した。

 

 

「……うん」

 

 

 吾郎は少しだけ照れくさそうに微笑み、黎の手を握り返す。そうして、統制神ヤルダバオトへと向き直った。

 

 空本至が見出した、新たなる希望。イゴールが見出したトリックスターと、どこかのセエレが救おうとした『神』の被害者。その2人は手を取り合って、ヤルダバオトと対峙する。2人の仮面が青い光を纏い、掻き消えた。顕現するのは2体のペルソナ――アルセーヌとロビンフッドだ。

 “ジョーカー”と“明智吾郎”もまた、黎と吾郎と共にヤルダバオトを睨みつける。“彼女”と“彼”の足元から青い光が舞い上がり、ペルソナたちと重なった。2人の姿は溶けるようにして消え去った。黎と吾郎はペルソナを縛り付けている鎖を握り締めると、躊躇うことなく引きちぎった。

 この場を震わす程の声を上げて、2体のペルソナが白い光に包まれる。統制神へ反逆することを選んだ大衆の祈りが一点に集束した。炸裂した光は流星となって、黄昏の空を流れていく。怪盗団の面々も、大衆たちも、呆気にとられた表情でそれを見つめていた。

 

 

「クク、力を扱い損ねたか」

 

 

 砕け散っていく白い光を見つめたヤルダバオトが嘲笑う。身の程知らずなのはどちらかを知らぬが故に。

 奴の身の程知らなさを、ひっそりと嘲笑う。――だって、あまりにも哀れなのだから。

 

 

「愚かな大衆の祈りなど、いくら集まったところで――」

 

 

 奴の言葉は最後まで続くことはない。自分を覆う黒い影の存在に気づいたためだ。

 

 

「な、なに!?」

 

「超強大なエネルギー反応!? ヤルダバオト……いや、それ以上か!?」

 

 

 高巻杏が空を見上げて息を飲んだ。

 佐倉双葉も引きつったような声を上げ、天を見上げる。

 

 稲光する黒雲から降り立った()()()は、巨大な羽を広げて統制神を見下ろす。6枚羽を有する大魔王と、4枚羽を有するその配下――サタナエルとアガリアレプトは憤怒の表情を浮かべていた。

 前者はサタンやルシファーと同一視されることもある最も偉大で美しい悪魔の王であり、神によって美しい姿を奪われ追放された反逆の徒だ。書物によってはルシファーの配下であるサタナキアと同一視するものもあるらしい。

 後者は悪魔の王ルシファーに仕える配下にして悪魔の将軍。機密を明らかにし、どんなに崇高な謎でも解明してしまう力を持つとされていた。サタナキアとは同じ君主に仕えており、ある意味では同僚関係にあるとも言えただろう。

 

 俗に言うならニコイチのような関係だろうか。悪魔の王が並ぶ壮観を眺めながら、そんなことを考える。

 

 

「あれは……」

 

「つーか、デカッ!?」

 

「こんな、巨大な力……まさか、ペルソナなのか!?」

 

 

 喜多川祐介が呆気にとられ、坂本竜司があまりの大きさに絶句する。モルガナは我が目を疑うようにして、サタナエルとアガリアレプトを見上げていた。

 ヤルダバオトと対峙するサタナエルとアガリアレプトの姿は、下にいる大衆たちにもはっきりと認識できたらしい。怪盗団を応援する声に更なる熱が宿った。

 熱気に湧く大衆たちの祈りや願いが光となって降り注ぎ、満身創痍となっていた怪盗団の傷を癒していく。それを見た少年少女は驚きの声を上げた。

 

 

「傷が消えてく……」

 

「それだけじゃない。力も湧いてくるよ!」

 

 

 新島真が掌を見つめて驚く。奥村春も花が咲いたような笑みを浮かべ、愛用の斧を構えてヤルダバオトに向き直った。

 

 ヤルダバオトは忌々し気に怪盗団と大衆を見下した後、一気にエネルギーを収束させた。数刻前に怪盗団を壊滅へと追いやった、ヤルダバオトの最強攻撃たる黒い光――統制の光芒が怪盗団目がけて降り注ぐ。圧倒的な破壊の力が、怪盗団の立つ足場を揺らがせた。

 だが、ヤルダバオトの攻撃を真正面から喰らっても尚、怪盗団は健在である。『神』の打倒を求める人々の祈りが、反逆の徒――サタナエルとアガリアレプトに無尽蔵の力を与えているためだ。統制神の攻撃に傷1つ付かない悪魔たちの姿に感化され、大衆が更に声を上げた。

 

 人々を騙し、怠惰の檻に閉じ込めることで破滅を誘った悪神。

 それを討つのは、『神』にすべてを奪われ陥れられた悪魔の王。

 この図からすべてを悟ったモルガナが「成程」と頷く。

 

 

「神が悪さするんなら、悪魔の王で退治してやるって訳か……! トリックスターに相応しい、最高の始末だ!」

 

 

 嬉しそうに頷いたモルガナは、黎と吾郎に向き直る。反逆の徒全員の力と、人々の希望――そのすべてを、2人に託した。

 力を託された黎と吾郎は仲間たちへ微笑み返し、ちらりとこちらを振り返る。灰銀の瞳も紅蓮の瞳も、キラキラと輝いていた。

 

 

「――奪え、サタナエル」

「――暴け、アガリアレプト」

 

 

 主の動きに呼応するかのように、サタナエルとアガリアレプトがゆっくりと動いた。悪魔たちの銃口が、ヤルダバオトの顔面を捉える。

 

 

「失せろ」

「消えろ」

 

 

 黎と吾郎の声が綺麗に重なる。

 それを見たヤルダバオトが声を上げた。

 

 

「ばかな!? 人々の願いを奪うのか!?」

 

 

 ヤルダバオトの見苦しい命乞いはそれ以上紡がれることはない。サタナエルとアガリアレプトが打ち放った銃弾――大罪の徹甲弾が、奴の頭を撃ち抜いたためだ。ヤルダバオトが沈黙するのと入れ違いに、空を覆いつくしていた暗闇が晴れていく。

 

 朝焼けを思わせるような太陽の光。人類の反逆が成功し、怠惰の牢獄から踏み出す新たな一歩を祝福するかのような光だった。

 しかし、時間帯的には黄昏と言った方が正しい。夕焼けの空は、人々に理不尽を味合わせてきた『神』の落日を告げる。

 悪神の企みはここに潰えた。これからは、人々が己の手で未来を作っていく――不安定だけれど可能性に溢れた世界が広がっている。

 

 どこからか、鐘の音色が聞こえてきた。統制神が持つ得物の1つが――本人の許可を得たか否かは知らないが――弱々しく鳴り響いている。

 機械仕掛けの神は、4つの腕を力なく垂らした。軋んだ音を立てて、奴の首は虚空へと向けられる。

 

 

「なんという力……。この我を、すべての大衆の願いより生まれた『神』を、超えるか……」

 

 

 奴の視線の先には――いつの間に浮かび上がっていたのか――フィレモンの姿があった。フィレモンは相変らず涼しい顔をしてヤルダバオトを見下ろしている。

 普遍的無意識を司る善神の双瞼に宿るのは、失敗作と詰った嘗ての化身への憐れみか、悲しみか、それとも感傷か。それを判別することは不可能だった。

 

 

「……これが、真の『トリックスター』の力……。人間が持ちうる可能性――フィレモンとセエレが善神として人類に与し、我の統制を否定した理由……」

 

 

 ヤルダバオトは己の過ちと敗因に気づいたらしく、「はは」と、弱々しい苦笑を漏らした。

 悲しそうに、寂しそうに、けれど満足げに――どこか安堵さえ滲ませて。

 

 

「イゴールめ……戯言などでは、なかったか……」

 

 

 始まりは善意だった。でも、それが独善の中でも最も度し難いレベルにあることを、統制神は認めなかった。

 人を幸せにするためには、『人間にとって都合のいい箱庭に閉じ込めておくことだ』と信じて疑わなかった。

 自分を否定した存在の声に心を病んだ統制神は、自分が間違っていないことを証明するために人類を巻き込み、牙を剥いた。

 

 ――そうして、奴は、自身が踏み躙って来た人間たちによって、叩き潰される。

 

 因果応報という言葉が相応しい始末。自分を望む大衆を作り上げることで統率者になろうとした悪神は、自分が巻き込んだ『駒』を筆頭にした人間や、自分が利用しようとした大衆から否定された。

 難攻不落を誇った白銀の体躯は、黄昏の空へと溶けて消えてゆく。やがて、ヤルダバオトは光の粒子となって、この世界から消滅した。主を失ったことで、大衆の牢獄に眠っていた『オタカラ』が姿を現す。

 

 

「見て!」

 

「あれ、『オタカラ』じゃね!? なあ、モナ!」

 

 

 杏と竜司の指摘に、仲間たちはヤルダバオトがいた空を見上げる。現れたのは、黄金の杯――聖杯だった。

 ヤルダバオトのような装飾は一切施されていない、シンプルな器。怠惰の牢獄に相応しい、人々の願望機の象徴。

 

 

「……世話になったな」

 

「モナちゃん?」

 

 

 彼女たちの指摘を肯定もせず、否定もせず、モルガナは飛び跳ねるようにして聖杯へと近づいた。違和感を感じた春が首をかしげるが、モルガナはそれに答えず訥々と言葉を紡ぐ。

 

 

「人間には、世界を変える力がある。今は、ほんの少し忘れてしまっているだけ……」

 

 

 普段と違うモルガナの様子に気づいた怪盗団の面々が、彼の元へと歩み寄る。モルガナは笑顔のまま振り返り、「オマエたちのおかげで使命を果たせた」と礼を述べた。

 仲間たちも彼に対し、「ありがとう」と口々に礼を述べる。モルガナは誇らしげに胸を張った。聖杯の姿はどんどん希薄になっていく。いずれ、メメントス共々消え去るだろう。

 

 

「ここも、もうすぐ消える。……帰るとするか」

 

 

 その表情を、自分はどこかで目にしたことがあった。――向う側の周防達哉が最後に見せた、寂しそうな横顔だった。

 その表情を、自分はどこかで目にしたことがあった。――ユニヴァースの封印を執行したときに見た、香月命の双瞼に宿る決意だった。

 その表情を、自分はどこかで目にしたことがあった。――己に課せられた使命と背負った運命に殉じることを選んだ、マリーの泣き笑い顔だった。

 

 頑張った人が報われないのは間違っている。『神』の理不尽に苦しむ人を放っておくことはできない。嘗て自分を救ってくれた人々のように、今度は自分が人を助けたかった。――それが、己の成り立ち。空本至が生まれ、歩んできた旅路の果てに出した“命のこたえ”。

 歩んできた旅路とそこで得た宝物のルーツを改めて認識したのと、誰かの気配を感じたのはほぼ同時だった。振り返った先にいたのは、青い外套を纏いクラシカルな装いをした仮面の男――自分と瓜2つの男だ。ああ、と、理解する。彼――セエレは、自分を統合するために現れた。

 

 だが、彼は迷うことなくモルガナと聖杯の前に立った。いきなり現れたセエレの本体に、黎たちは驚きの声を上げる。セエレはそれに応えることなく、モルガナをねぎらう。彼は後輩を撫でながら呟いた。

 

 

「頑張った子にはご褒美がないと、割に合わないだろ。――世界を救った英雄だなんて、大層な肩書なんざ無意味なんだ。そんなモン無価値なんだ。だってみんなは、どこにでもいる男の子と女の子なんだから」

 

 

 セエレはこちらに向き直る。菫色の双瞼は、こちらに対して「そう思うだろう?」と言外に問いかけていた。

 「ああ」と、自分も頷き返した。怪盗団の面々が呆然とこちらを見つめる中、セエレの元へと歩み寄る。

 

 

「目の前にいる人を助けたかった。理不尽に苦しむ人の助けになりたかった。頑張った人には、幸せになってほしかった。頑張りが報われてほしかった。――自分の幸せを祈ってくれた人のように、自分もまた、誰かの幸せを祈れるような存在になりたかった」

 

「――そう。それが、空本至が出した“人生(たびじ)終着点(こたえ)”」

 

 

 セエレは静かに微笑んだ。

 

 

「最果ての景色は、どうだった? キミが見たかった景色は見えたかな?」

 

「ああ、見れたよ。満足してる。――お前のおかげで、フィレモンの養分にされなくて済むし」

 

 

 セエレの問いに、迷うことなく答えた。フィレモンの養分と聞いたところで、彼も小さく噴き出した。元が同一存在なのだから、フィレモンへ反発するのも当然である。

 話題に出したものの、今この場にはフィレモンの姿はない。おそらく、自分の居場所である普遍的無意識の迷宮へと還っていったのだろう。すべてを見届けたのだから当たり前か。

 「至さん」と名前を呼んだのは、怪盗団の誰だったのか。振り返った先には、ひたひたと近付く別れの予感に不安そうな顔をした8人と1匹の姿があった。

 

 特にモルガナは、自分が“去る側”だとばかり思っていたのだ。自分が“見送る側”になるだなんて、予想だにしなかったはずである。

 セエレは合図するように指を動かす。金色の蝶がモルガナの鼻先に停まった。直立不動のまま間の抜けた声を上げるモルガナの姿は実に滑稽だった。

 

 自分も同じように微笑み、怪盗団の面々に――自分が守り抜き、導き抜いた若きペルソナ使いたちを見返す。彼等を見守り続けるという希望より、彼らの生きる世界を守るために逝くことを選んだ。迷わずそれを選べてしまうくらい、大事な存在たちだった。

 

 

「人は滅びを否定した。生きる理由を探すために人生という旅路を往き、夢を叶える権利を持つ。誰もが限りある命を精一杯生きて、嘘偽りに惑わされずに真実を求めた。そうして――目先の欲望ではなく、確固たる正義を貫き、自分自身の足で歩いて往くことを選んだ。――おめでとう、反逆の徒よ。キミたちは真の意味で自由になった。己の力で勝ち取ったこの世界を、大切な人たちと一緒に、思うがままに駆け抜けて行け」

 

「至さん……」

 

 

 泣きそうな顔をした吾郎と黎の顔が飛び込んできた。この中にいる面々の中で、特に泣いてほしくない人たちだった。人間である空本至なら、彼等の涙を拭ってやることができたのかもしれない。

 でも、自分は、その力を捨てた。代わりに、自分が見守ってきたペルソナ使いの1人を、本人がよく把握していない状態のままに後継者へと指名した。盛大な後出しに怒りを漏らす吾郎の姿を幻視し、苦笑する。

 

 

「なあ吾郎。お前にヤタガラスを――カウを譲渡したときの話、覚えてるか?」

 

「え?」

 

「言わなかったことがあったんだ。――()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 “自分と同じように、後から現れるであろう後輩たちを、『神』が齎す理不尽から守ってやってほしい”――その願いを聞いた吾郎は大きく目を見開いた。泣く一歩手前の表情で踏み止まった吾郎は、口元を真一文字に結んで頷き返した。

 彼の隣には黎が寄り添う。まるで、吾郎に背負わされた役目を一緒に引き継ぐと言わんばかりに。他の面々にも同じことを頼もうと視線を向ければ、全員がこちらを見返して頷いた。瞳に宿る決意には、一切の迷いがない。

 モルガナも、竜司も、杏も、祐介も、真も、双葉も、春も、「任せろ」という言葉の代わりに訴える。――ああ、この子たちがいるならば、あとは大丈夫。きっと大丈夫。そう、素直に信じることができた。自分はセエレへ向き直る。セエレも頷き返した。

 

 

「さあ、還りなさい。――世界がキミたちを待っている」

 

 

 セエレの言葉に呼応して、メメントスの『オタカラ』である聖杯が輝いた。美しい光がこの場一帯を包み込んでいく。

 

 空は晴れ渡り、赤黒い水たまりや骨のアーチも消えていく。最も、消滅するのはヤルダバオトが作り出した怠惰の檻として機能していた“欲望を司る異世界”だ。影時間が消えても八十稲羽のテレビ世界やモナドマンダラ等が残っていたように、他の異世界を巻き込んで消えるようなことはない。

 メメントスやパレスが完全に消滅したって、異世界そのものはこれからも残り続ける。それに、普遍的無意識を司るフィレモンが全盛期同然の力を取り戻したのだから、どの世代のペルソナ使いであっても、現実世界でペルソナ能力を振るうことができるようになるはずだ。今度は御影町や珠閒瑠世代方式に戦いが激化していくことだろう。

 

 彼等の旅立ちを思い浮かべる。きっと、みんな笑顔で歩いて行くだろう。

 仲間たちの姿を思い浮かべる。至がいなくなっても、きっと大丈夫だ。

 これから現れるであろう後輩の姿を思い浮かべる。あの子たちが、後輩たちを導いてくれる。

 

 想いも、意志も、確かに受け継がれた。受け継いでくれる人たちがいた。自分の旅路はここで終わりだけれど、自分が出した“命のこたえ”は、途切れることなく続いてゆく。――ああ。なんて――それはなんて、幸せなことだろうか!

 

 自分がそれを噛みしめていたとき、ふと気づく。自分の体全体が希薄になっていることに。――成程。どうやら時間切れらしい。

 金色の蝶が群れを成して飛び回る中で、嘗て空本至だったモノ――いずれセエレに統合されるモノは、すべてを受け入れるようにして目を閉じた。

 

 

◆◇◆◇

 

 

 青光する海の中で、2羽の烏が向かい合っていた。

 

 片や、首元に勾玉を下げた3本足の黒い烏――八咫烏(ヤタガラス)

 片や、背中に太陽が入った籠を背負った3本足の白い烏――火烏(カウ)

 

 八咫烏は慈しむように火烏にすり寄っていた。これが最後と言わんばかりに、ぐりぐりと頭を寄せる。もうすぐ自分は飛び立たねばならないから。

 火烏も同じようにして、八咫烏にすり寄っていた。八咫烏が飛び立たなければいいと願いながらも、それが叶わないことを知っていた。

 ひとしきり触れ合った後、八咫烏は火烏に背を向ける。けれど振り返り、一度だけ鳴いた。火烏も小さく頷き、一度だけ鳴いた。

 

 

“後を頼む”

 

“わかった。任せろ”

 

 

 八咫烏は嬉しそうに頷いて、振り返らずに飛び立った。黒い羽を残して、その背中はどんどん遠くなっていく。――あっという間に見えなくなった。

 残された火烏は、八咫烏が去っていった方角を見つめていた。――いつまでも、いつまでも、八咫烏が去っていった空を見つめていた。

 

 




魔改造明智と怪盗団によるVS統制神終了。魔改造明智の保護者が文字通り“とんでもない”ことになりました。保護者の末路は最初から決めており、八咫烏と火烏の関係性や空本家の『おしるし』は、その際に絡めようと思い至った設定です。やたら烏を強調していたのはこの瞬間のためでした。
正直な話、感想で至の顛末を言い当てられたときはちょっと焦りました。保護者が出した“命のこたえ”を魔改造明智や怪盗団の仲間たちが受け継ぎ、次世代へと繋げていく決意を示す――そんなシーンを書きたくて仕方がなかったんです。原作明智とは違う方面で、魔改造明智は大役を任された模様。
保護者を見送った魔改造明智。彼の過ごすクリスマスと3学期は、どんな出来事が待っているのでしょうか。次回はクリスマスから始まります。上手くいけば統制神編が次回で完結するかもしれません。最悪の場合でも、あと2話くらいで終わると思われます。

おまけのお遊びとして、魔改造明智コミュの効果を載せておきます。

魔改造明智コミュ
<ランク10・デミウルゴス撃破後、自動でランクアップ>
*バタフライエフェクト・未来はここに:エンディング演出に関係する。ヤルダバオト撃破後、魔改造明智の使用ペルソナにアガリアレプトが解禁。
<アガリアレプトの詳細>
アガリアレプト
アルカナ:星
耐性:全属性半減

魔改造明智にとってのアガリアレプトは、ジョーカーにとってのサタナエル扱いと見ていただければ幸いです。

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