Life Will Change   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。


Life Will Change
最終決戦、始動


()()()()()()、とは、よく言ったものだね。キミの場合、後天性の大器晩成型みたいだったようだが』

 

 

 黄金の蝶が飛ぶ中で、男の声が静かに響く。だが、声の主はまともな形で顕現することはできない。奴と対を成す悪神の企みによって、声の主は弱体化を余儀なくされたのだ。

 飄々とした様子で語る声の主を、じっと見返す青年がいた。左耳にイヤリングをし、背中にはライフルの入ったカバンを背負っている。眼差しはどこまでも冷ややかだった。

 

 

『彼女や彼らは悪神が造り上げた試練を、そうと自覚した上で乗り越えてきた。次は悪神との直接対決になるだろう』

 

「お嬢やその仲間たち――次世代のペルソナ使いたちは、自分の使命をよく知ってるからな。奴らが動き次第、それを止めるために決戦へ赴くはずだ」

 

『だが、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。奴はそのことも計算に入れた上で、トリックスターたる少女を滅ぼそうとするだろう。……私が全盛期同様の力を行使できたらよかったのだがね』

 

 

 男の声は申し訳なさそうな響きを宿していた。

 

 だが、青年はよく知っている。申し訳なさそうな声で話しているだけで、声の主は笑顔のままなのだと。悪びれている様子なんて一切ないのだと気づいていた。ただ、当たり前のことを当たり前に述べているだけに過ぎない。

 悪神と対を成し、奴らに対抗する存在――人はそれらのことを善神と呼んだ。だが、善神と銘打たれていても、それが人間にとっての善神か、世界を運営する機構としての善神か、『神』にとっての善神かで、方向性は様変わりする。

 男の基本方針は“人間の協力者”だ。悪神の企みを察すると、素質ある人間に力を与え、彼ら自身の手で事件を解決してもらうことを望む。自らは積極的に介入することはなく、人間たちをじっと見守ることに徹していた。

 

 但し、奴は純粋な意味での“人間の協力者”ではない。コイツにだって目的はあるし、そのためなら力を与えた人間に対して概算度外視の試練――理不尽を強いることもある。

 男にとって青年は“自分が見出して力を与えた人間”とは別な括りの存在だ。ハッキリ言うなら、“自分の目的の為なら好きに使い潰してもいい存在”でしかない。

 

 ――そうでなければ、奴は自分にこんなこと言わない。こんな提案を持ってくることすらない。

 

 青年に対して取引――青年が一方的に不利になるだけのものだ。『慈悲深く、破格な条件』での取引だと思っているのは男の方だけである――を持ち掛けてきたりしないし、対価を払わせたりしない。

 しかも腹立たしいことに、男は青年の弱点を知っている。青年が無力であることを知っている。青年には、なくなってほしくないものが――笑顔でいてほしい人たちがいることを、奴はよく知っている。

 

 『対価を差し出さなければ、代わりに彼らが皺寄せを被る』と笑顔で言われたときの腹立たしさといったら!

 反射的に奴の顔面をグーで殴ったことに関して、青年は反省も後悔もしていない。むしろ誇らしくて堪らなかった。

 

 

『9年前のあの日、キミが無力だったが故に変えられなかった結末があった。救うことができなかった背中があった。……それが、キミの旅路の要所要所で、キミが“そう”選択する理由となった』

 

「その片棒を担いだ張本人が、取引を迫って来た張本人が、何を感慨深く語ってるんだか」

 

 

 ああ、反吐が出る――青年は男の声に対し、眉間の皺を深くして蝶の群れを睨みつけた。

 男は悪びれる様子もなければ、青年の憤りを歯牙にかけることもなかった。

 

 

『それでもキミは選んだ。“己を概算度外視してでも、未来あるペルソナ使いの若者たちの笑顔を守る”ことを。それを曇らせるであろう、数多の理不尽に反逆することを』

 

「…………」

 

『だから私は、キミを見守ってきた。あのとき、キミの更なる成長を確信したからこそ、その旅路が充実するようにと力を与えた。導きを与えた。――結果、キミはここに至った。人間以上に人間らしく、命以上に命にふさわしい存在に。(ソラ)(モト)へと(イタ)る者に』

 

 

 男はしみじみとした様子で言葉を紡ぐ。

 

 

『祝福しよう、“こたえを得た者”。旅路の終着点を定め、成すべきことを成すであろう命よ。嘗て“生まれたこと自体が間違いだった”存在が、私にここまで言わしめる程、命にふさわしい存在へと至ったことを』

 

「そんな祝福なんざ興味ねーよ。『俺は理不尽を許せなかった。許すことができなかった』――ただそれだけだ」

 

 

 青年は吐き捨てるように言い残し、踵を返した。

 だが、それを引き留めるようにして黄金の蝶が肩に停まる。

 

 

『――野球のルールは、()()()()()()()()()()だったね』

 

 

 何の脈絡もない言葉だった。『神』が使う例えにしては、あまりにも俗っぽい内容だった。だが、その言葉は、青年の足を止めるのに絶大な効果を発揮する。

 

 青年は野球に詳しくはないし、球場に足を運んだりTVに齧りついたりしてまで応援する人種ではない。ならばなぜ立ち止まったのか。――野球のルールである()()()()()()()()()()という単語が、男と青年の間には重要な意味を持っていたためだ。

 3回という数字は、古来からよく出てくる。『3枚のお札』で小僧が身を守るために使った御札も、『アラジンと魔法のランプ』でランプの魔神が願いを叶える回数も、『3つの願い』で坊主が自分をもてなしてくれた家の人間に渡した願いが叶う玉の数も、そして――男と青年の間にある“対価”に関する数字も、3回だった。

 

 

()()1()()だ。――分かっているね?』

 

「……言われなくとも」

 

『それと』

 

「……何?」

 

『キミには感謝しているよ。悪神の元からイゴールを助け出してくれて』

 

 

 男の言葉に、青年はゆっくりと振り返った。

 この空間には蝶が飛んでいるだけで、男の姿はない。

 けど、どんな顔をして言っているのか、青年にはわかっていた。

 

 

「……アンタの為じゃない。イゴールには世話になったからな。助けるのは当然だろう」

 

 

 悪神に囚われていたイゴールは既に助け出した。後は、ベルベットルームを乗っ取って『ワイルド』使いの監視を行っている悪神を、あの青い部屋から追い出すだけである。青年にとって馴染み深い人々のことをゲームの『駒』にし、人生を滅茶苦茶にしてくれた張本人の姿を思い浮かべた。

 正直思いっきりぶん殴ってやりたいが、その仕事は青年のモノではない。イゴールが見出した『ワイルド』使いと、『ワイルド』使いの元に集ったペルソナ使いたちが果たすべき使命である。青年の役目はあくまでも“彼女たちを手助けする”ことであり、“正義の味方に絶対的な勝利を得てもらうための布石を打つ”ことと同義だ。

 

 イゴールの部下たる『力司る者』たちは、それぞれがそれぞれ動き回っている。特に、中間管理職状態と化した唯一の男子は悲惨なことになっていた。悲惨すぎて、自分が担当したお客様の手料理を食べないと発狂するレベルには追い詰められていた。姉たちはそんな弟の状態など気にも留めず、ガンガン激務を置いていく。――思い出すだけで涙が出そうだ。

 

 ベルベットルームを支配する悪神を追い出した暁には、当代の『力司る者』――3姉弟にとっては末妹に当たる――も本来の力と役目を取り戻すだろう。

 因みに、『力司る者』の仕事内容には『ワイルド』使いであるお客様との交流も含まれているが、それを知った/思い出したら末妹はどうするのだろうか。

 カレーを食べるイベントも、街を見て回るイベントも、交流を深めるイベントもない。やったことと言ったら、指定したペルソナを持って来いと命令したくらいだ。

 

 

(末妹の精神年齢がどうだかは知らないが、状況によっちゃあ、唯一の苦労人に飛び火しそうだよなぁ……)

 

 

 『力司る者』の中で唯一の男性は、家族運はどん底だったが仕事運は最高だった。彼が担当したお客様は(当時)明朗快活な少女で、スーパー超人みたいなスキルを持っていた。料理は上手いし優しいし、頭脳明晰なだけじゃなく度胸と度量もあるし、美しき悪魔と呼ばれる程の魅力持ちだ。

 姉の理不尽な仕打ちに振り回されていた男性にとって、お客様のような女性は目から鱗が出るレベルの存在だった。差し入れで手作りお菓子やコンビニスイーツを持ってきてくれたり、凹んでいるところを励ましてくれたり、姉への愚痴を嫌な顔せず聞いてくれる女性は、神聖なものに見えたらしい。

 

 青年が気づいたときにはもう、男性は何かを拗らせた挙句、『お客様が私のおねえさまだったらよかったのに!!』と語るようになっていた。

 ダメ押しとばかりにお客様本人も許可を出し、『貴方のような弟ができるの? それはとっても素敵なことだね!』と微笑んだため、男性は血涙流しながらガッツポーズを取った。

 結果、男性は『力司る者』の中でも屈指のリア充と化した。お客様の家へ遊びに行けば満面の笑みと美味しい料理で歓待され、実の姉弟よろしく仲良しになったためである。

 

 

『姉上、見てください! お客様が私のために、手編みのマフラーを作ってくださったのです!』

 

 

『姉上、お客様が手作りのお菓子を差し入れてくださったんです! とても美味しいんですよ!』

 

 

『姉上、暫くお暇をいただけませんか? お客様が私に『是非とも結婚式に出席してほしい』と招待状を送ってくださいまして……私、どうしても出席したいんです!!』

 

 

 実姉からの理不尽が悪化するのに、そんなに時間はかからなかった。上2人の姉でさえ厳しいと言うのに、末妹が増え、更に彼女は『悪神のせいでお客様とまともな交流ができなかった』となれば――……おめでとう。末妹すら敵に回った。彼の孤軍奮闘は確実である。

 

 苦労性で理不尽が当たり前となってしまった彼のことは、どうしてか放置しておくことができなかった。

 彼の一部を、青年は自分自身と重ねて見ていたためかもしれない。

 

 

(いけね、思考回路が脱線した。……成すべきことを、成しにいかなきゃ)

 

 

 青年は苦笑し、蝶の舞う空間を後にする。

 ――旅の終わりは、もうすぐだ。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 翌日、獅童の会見を聞いた人々は困惑していた。あの惨状を目の当たりにすれば誰だってああなる。僕ですら呆気にとられたレベルなのだから当然だろう。

 獅童の関係者は火消しに走り回っているようだが、そうは問屋が降ろさない。冴さんや他の関係者が本格的に動き始めていた。

 この調子ならばと思っていたが、19日から日付が過ぎれば過ぎる程、僕たちは人々の反応の異常性を思い知ることとなる。

 

 ――ひとたび『改心』が発生すれば、多くの人々が反応を示したものだ。街は怪盗団の噂で溢れ、『改心』されたターゲットへの罵詈雑言などが飛んでいたくらいに。

 

 だが、獅童の会見を目の当たりにしたはずなのに、民衆たちの反応が鈍い。今まで記者会見が発生するタイミングで『改心』が発生したのに、正真正銘怪盗団の手口だというのに、あの衝撃映像を本物だと信じていないのだ。半信半疑、といったところだろう。

 人々の中には『獅童のあれは本物なのだろうか』と首をひねる者や、『獅童さんは悪くない!』と奴を擁護する者もいる。終いには『国の舵取りを任せられるのは獅童さんだけだ。彼には早く復帰して貰わないと』と言う者まで現れる始末だ。

 

 この違和感に眉を潜めたくなるものの、今の僕たちには違和感の理由を掴めるような情報は何一つ持っていない。

 同時に、僕たちはテスト期間中だ。そちらを疎かにするわけにはいかないので、僕もそちらに集中する。

 

 

『獅童智明? うちの学校にはそんな生徒は在籍していないけど……』

 

『明智くん。今回も学年1位、期待してるからな。キミの学力は我が校内でも右に出る者がいないレベルでぶっちぎりだから――』

 

 

 獅童を改心させた結果、うちの学校から獅童智明という生徒が消えた。厳密には()()()()()()()()()()()()()

 

 デミウルゴスは、人々から獅童智明という人間の情報一切を消し去ったようだ。同時に、智明の母方に関する情報も。認知の歪みを正したと言えばそれまでであろう。情報収集に精を出しつつ、試験に打ち込むことも忘れない。

 そうして12月22日になり、期末試験が終わった。試験の手ごたえはバッチリだから、今回も学年首位は不動のままだろう。おそらく、秀尽学園高校の学年1位はいつもの2名――3年生が真、2年生が黎――のはずだ。

 電車内でそんなことを考えていたとき、仲間たちからメッセージが届いた。祝日と試験の辛さを忘れるために、明日はみんなと一緒に街へ繰り出すことが決まった。試験終わりの疲れを癒すためにも、丁度いいはずだ。

 

 丁度明日は、獅童の罪が立件される日である。人々の目も覚め、獅童の人気も終わるだろう。

 『廃人化』や精神暴走の一件も明らかにされ、黎の傷害事件も見直される。冤罪だって晴れるはずだ。

 

 

「ただいま」

 

「おう。おかえり、吾郎」

 

「んむー……? ……ごろー、おかえりー……」

 

 

 僕の帰還を空本兄弟が迎える。自分が死んだ――あるいは御影町に行っていたことになっていた期間、僕はずっとルブランの屋根裏部屋で潜伏生活を行っていた。久々に帰宅した自宅は、以前よりもピカピカになっているように感じた。

 いいや、実際にピカピカにされたのだ。獅童の手下たちが前後不覚になって起こした乱交パーティ会場と化した自宅は、それはそれは酷い有様になっていたらしい。奴らの弁償によって家具は新品に、壁も床も綺麗になった。

 

 夕食を作る至さんの姿を見るのは久々だ。徹夜明けでむにゃむにゃ言いながら、至さんの腰に引っ付く航さんの姿を見るのも久しぶりである。

 

 目の前に並んだ日本食料理は至ってシンプル。湯気を漂わせる鳥そぼろご飯、ほんのり甘く香るかぼちゃの煮つけ、具材がごろごろ入った豚汁、ぶつ切りになったマグロに山芋とオクラをかけた和え物だ。どれも美味しそうである。

 至さんが作ったご飯を食べるのも久しぶりだ。僕は「いただきます」と挨拶して食べ始めた。どの料理も相変らず美味しい。至さんは寝ぼけた航さんの介護に追われている。以前と変わらない光景に安堵した。

 夕飯を食べ終えてテレビを見る。ニュースのアンケートは相変らず『総理大臣として人気なのはぶっちぎりで獅童正義』であると伝えていた。明らかに人間業ではない。デミウルゴスや奴の上司たる『神』が工作した結果だろう。それが何のための布石かまでは分からないが。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、至さんが台所でPCを開いた。普段仕事をするときは自室に籠り切りになるタイプなのに、珍しいものだ。

 言葉にはしないけれど『仕事で使う資料ではないから、誰かから覗かれても/僕が覗いても大丈夫だ』という証である。彼の態度に甘えて、僕はPC画面を覗き込んだ。

 

 

「……これ、料理のレシピ?」

 

「うん。時間を見つけては、ちょくちょく纏めてたんだ」

 

 

 至さんは照れ臭そうに笑う。そのタイミングで、ソファの方から呻き声が聞こえた。

 見れば、寝ぼけた航さんがソファの背を物欲し竿に見立て、自分が洗濯物として干されるような態勢で眠っている。

 航さんの寝相がとんでもないのはいつものことだ。僕と至さんは顔を見合わせると、苦笑するので留めておいた。

 

 

「でも、どうして突然? ウチの料理番は至さんだろ?」

 

「いやー、近々料理の管理と料理番ができなくなりそうだからさ。俺がいなくなっても大丈夫なように纏めておこうと思って」

 

 

 至さんは綺麗な笑みを浮かべて答えた。彼の違和感に引っかかりを覚える。

 

 至さんからは南条さんや桐条側から仕事が舞い込んできたという話は聞いていないし、長期の出張関連なら南条さんからも連絡が届くようになっている。桐条側から何かを頼まれた場合は美鶴さんが連絡をくれるのだ。そういう話題は、僕の方に一切回ってこない。

 しかも、至さんが纏めたレシピの量は膨大だ。紙媒体にすると分厚くなるから、PDFファイルとして保存したのだろう。「あともう少しで纏め終わるから」と至さんは語り、カレンダーに視線を向けた。僕の見間違いでなければ、彼の視線は12月24日を見ていたように思う。

 

 

「至さん。12月24日って何かあるの?」

 

「決まってる、クリスマスだ! 何作ろうかなー。吾郎は何か食べたいものとか、欲しいものとかある?」

 

「……いや、クリスマスを楽しみにしてるような人の顔じゃないから気になって」

 

 

 素直に所見を述べると、一瞬だけ、至さんの動きが止まった。僅かな沈黙の後、僕の保護者は綺麗に笑う。

 

 

「考えてただけだよ。クリスマスに向けて、どんな料理作ろうかなあって」

 

 

 何度問いかけても、至さんは同じ答えを返し続けた。頑なに、クリスマスの献立の話ばかり振って来た。――ああなると、彼はもう何も語ってくれない。

 至さんの口を割らせるには、それなりの証拠を集めて突き付ける必要がある。……まあ、24日まであと2日な訳だから、至さんの方から話してくれるはずだ。

 

 

「分かった。24日、楽しみにしてる」

 

「おう。任せておけ」

 

 

 ここでようやく、至さんは普段通りのにかっとした笑みを浮かべた。人懐っこい笑顔に、僕も安堵する。

 ウキウキ顔で「クリスマス何食べたい?」と訊ねてくる彼に「ローストチキン」と元気に返せば、任せろと言わんばかりに親指を立てた。

 少し気が早い――明らかに違和感はあるけれど、楽しそうにクリスマスディナーを思案する至さんの横顔を見ていると何も言えなくなってしまった。

 

 行事の季節や料理のことになると張り切る至さんと、あくまでもマイペースを崩さない航さん。そんな2人を、生暖かな目で見守る僕がいる。

 

 なんてことはない、いつもと同じ光景だった。人間不信になりかかった明智吾郎が、もう1度人を信じてみようと思えた理由だった。ここで生きる明智吾郎を作り上げた、欠かせない要素だった。

 家を出れば黎がいて、怪盗団の仲間たちがいて、頼りになる大人たちがいる。明智吾郎にとって何よりも大切な、小さくてささやかな世界だ。これが壊れてしまったら――考えたくもない。

 

 最後に待ち構える『神』を倒せば、この戦いも終わるだろう。

 それがいつになるかは分からないが、決着がついたらみんなで打ち上げをしたいものだ。

 

 

「ねえ、至さん」

 

「何?」

 

「クリスマスもだけど、『神』を倒した後の打ち上げ会でも、至さんが料理作ってよ」

 

 

 至さんの動きがぴたりと止まった。彼は暫し沈黙した後、とびっきり綺麗な笑顔を浮かべて頷いた。

 

 

「――うん。任せとけ! とびっきり美味しい料理、作るからな!!」

 

 

◇◇◇

 

 

 僕たちは今、ルブランにいた。街の散策を切り上げざるを得ない大問題が発生したためである。後から合流した冴さんや佐倉さんも、厳しい顔をしていた。

 

 選挙で大勝した獅童が率いる新党は、党首である獅童正義の体調不良を発表した。

 特別国会の招集は延期され、それに伴って奴の総理就任も延期になるという。

 

 てっきり辞職するとばかり思っていたのだが、奴はクビになるどころか、暫く後に総理就任が確定していた。冴さんが教えてくれた取り調べ状況と、ニュースに流れる情報が全く違う。取り巻きたちが必死になって獅童を庇っているためだろう。

 今この瞬間でさえ権力者たちが続々と罪を告白していると言うのに、綺麗さっぱりもみ消されている。それだけではなく、民衆たちも獅童の体調不良――もとい、獅童正義という人間を信じ込んでいた。あれだけの大号泣会見が流れたというのにだ。

 一連の事件を指示したという告白も、一色若葉さんら犠牲者への謝罪も、欲望赴くままに弄んで捨てた僕の母への謝罪も、母ごと捨てた挙句邪魔者認定して葬ろうとした僕への謝罪も、理不尽な理由で冤罪を着せた有栖川黎への謝罪さえも、体調不良による精神疾患にされたのだ。

 

 人々はみな「獅童正義の総理就任」を望んでいた。それ以外の意見など存在しないと言わんばかりに、周りの人々の意見は統制されている。

 

 おまけに、怪盗団の存在自体が()()()()()()にされたのだ。『一連の『改心』事件には繋がりはなく、偶然の精神疾患が続いたもの。怪盗団はそれに上手く乗じた風評被害に過ぎない』――なんとまあ、おざなりでふざけた内容である。

 なんてことはない。獅童のシンパどもがでっちあげた、ハリボテだらけの嘘だ。しかし、こんな嘘を民衆にあっさり信じさせるあたり、『神』の力は強大らしい。現実世界の人間たち――民衆という概念が持つ認知すら歪ませてしまうのだから。

 

 

「ネットも炎上してる。『怪盗団は断罪されるべき』、『残党はみんな処刑しろ』、『獅童さん、どうか奴らを根絶やしにしてくれ!』……ひどいもんだ」

 

「シドーというデカい巨悪を『改心』させても尚、ワガハイたちは大悪党のままってことか……! 『神』の奴、随分とナメた真似してくれるぜ!」

 

「『獅童の罪が明かされて困る人間は、思った以上に多かった』ってことだな。悪党どもめ」

 

 

 双葉がスマホを眺めながら歯噛みし、モルガナが毛を逆立たせる。双方共に怒りを滲ませていた。モルガナの声が聞こえていない佐倉さんは、双葉の意見に同意する。

 

 だが、それだけでは終わらない。

 泣きっ面に蜂と言わんばかりに、冴さんが俯いた。

 

 

「……この調子だと、獅童の立件自体が危ういかもしれないの」

 

「どうして!? あんだけ派手な会見して、大泣きしながら自白したのに!」

 

「獅童のシンパたちが捜査を妨害し始めたのよ。医者は精神鑑定を持ちだし、特捜部長代理が立件を邪魔してきた。世論が『獅童の罪を追求』することを望めばまだ何とかなったかもしれないけど、それすらメディア操作によって潰されてしまったわ」

 

 

 真の叫びを聞いた冴さんが眉間に皺を寄せて呟く。彼女の様子からして、獅童が抱え込んでいた検察関係者は特捜部長だけじゃなかったのだ。おそらく、現在の特捜部長代理も獅童の部下なのだろう。特捜部長が『改心』したというのに、奴らの自白内容が世論に反映されていないことがその証拠だ。

 そう考えると、獅童のパレスでVIPをしていた連中以外にも、権力者を仲間に引き入れていた可能性が高い。TV社長やIT社長が出頭してもメディアに影響が出ないこともその証拠だ。奴ら以外にも子飼いにしていたメディア関係者――しかも、相当な地位持ちどもだ――がいることは明らかである。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいた“明智吾郎”が、愕然とした表情でテレビ画面を見つめている。それは僕も同じだった。

 

 去年の暮れから、黎に着せられた冤罪を晴らそうと戦ってきた。獅童正義の罪を終わらせるために、危険な橋を渡って来た。――その頑張りが、やっと実を結んだと思ったのに。

 握り締めた拳に爪が食い込む。震えが止まらない。叫びだしたいのを抑え込もうとし、僕は歯を食いしばった。口の中でギリギリと軋んだ音が響く。

 

 

「それじゃあ、黎の冤罪はどうなんだよ!? 黎がずっと耐えてきたことも、吾郎があんだけ頑張ったことも、全部無意味にされちまうってのか!? そんなのおかしいじゃねえか!!」

 

「竜司……」

 

「納得できるはずがないだろう! 俺たちはずっと見てきたんだ。2人が必死に戦ってきた背中を、見てきたんだ……!!」

 

「祐介……」

 

 

 竜司が泣きそうな顔をして僕たちを見た。祐介も端正な顔を歪ませて怒りを吐露する。僕らのことを案じているが故に、彼等は憤ってくれているのだ。

 

 いいや、竜司と祐介だけじゃない。モルガナも、杏も、真も、双葉も、春も、僕たちのことを心配してくれた。僕たちのために怒ってくれていた。『自分たちだって僕と黎の姿をずっと見てきたのだ』と、『その背中を見守って来たのだ』と言わんばかりに。

 佐倉さんも、冴さんも、この結果に納得なんかしていなかった。理不尽を享受するつもりはなかった。ここに集うのは反逆の徒。ペルソナ使いであろうとそうでなかろうと、理不尽を赦すことができないから立ち上がることを選んだ人間たちだった。――それが、とても心強い。

 

 

「このままじゃ、獅童の無罪だけじゃない。悪い方向にどこまでも転がり落ちるわ」

 

 

 冴さんの言葉通りだ。ここでいくら憤怒を煮えたぎらせても意味がない。周りの人々を説き伏せようとしても、僕らの言葉は妄言で片付けられてしまうだろう。

 怪盗団が民衆の支持を得たのは、()()()()()彼らが自分で考えようとする意志があったからだ。自らの目と耳で得た情報を分析する意識があったからだ。

 民衆たちがそれを放棄するようになったのは、『メジエド』事件から奥村社長の件だったように思う。丁度、怪盗団への支持率が8割強を超えた次期だった。

 

 

「……正直、拘束は時間の問題よ。たった今踏み込まれてもおかしくはない。私たちの力では、もう、どうにも……」

 

 

 普段は強気で頼れる姉御肌エリート検事である冴さんまで、弱音を吐いている――この時点で、怪盗団の旗色がどれ程悪いのかが嫌でも理解できてしまう。人の手では操作不能の異常事態とは、まさしく『神』の所業と言えるだろう。

 

 

「『人間は導き手を欲する生き物だ。怠惰こそが人間の本質。統一する者がいてこそ、人間の願いは叶う』」

 

「吾郎?」

 

「……智明――デミウルゴスの言っていたことは、これだったのか」

 

 

 獅童智明――デミウルゴスや奴の上司たる『神』は、始めからこうするつもりでいたのだろう。獅童正義をのし上がらせることで悪役としての役割を与え、関係者たちの認知を歪ませパレスを作り、パレスの主や反逆の徒としての兆候がある者たちを結びつけ、下準備しておいた。

 後に、有栖川黎を見出した『神』たちは獅童を差し向けて奴と因縁を結ばせ、彼女たちに怪盗団を結成させ、獅童の元に辿り着くよう誘導していたのだろう。僕が予想した通りだった。黎の人生を狂わせたのは、奴らにとって『単なる副産物でしかない』のが腹立たしい。

 

 至さんと同じフィレモン関係者で、至さんが信用するイゴールとやらと関係が深いモルガナは明らかに善神側だ。

 

 彼も僕らを導いていたが、デミウルゴスらの誘導に加担したわけではない。

 「理由は違うが目的地が一緒」というヤツだろう。便乗とは厄介なタイプだ。

 

 

「導き手、か……」

 

 

 僕の言葉を聞いて、黎は考え込む。

 

 

「一時期、『怪盗団に全部任せておけばいい』って風潮になったことがあったよね。今起きている『獅童に全部任せればいい』って風潮も、本質は同じものだ」

 

 

 彼女が思い出しているのは、『メジエド』事件から奥村社長の件までの期間だろう。あの頃、怪盗団の支持率は8割強。9割突破間近だと思われており、三島が大喜びしながらも『なんだか不気味だ』と零していた期間だった。

 

 怪盗団への期待と熱狂が異常な程に上昇し、その後権威が一瞬で地に落ちたのも、獅童の情報操作だけではなかったのだ。

 『神』もまた、あの支持率を叩きだすために手を加えていた。人間業だけでは、民衆から持ち上げられるのも見放されるのも早すぎる。

 ……最も、『神』にとっては、自分の策に惑わされない人間が一握りいたという事実は誤差範囲内でも腹立たしいことかもしれないが。

 

 

「獅童の支持率がああなのは、お父様の一件を利用して怪盗団の支持率を丸々奪った結果だものね。『神』の力は、その風潮を保つために使われていると見て良さそう」

 

「……だとすると、解せないことがある」

 

 

 憤る春に対し、真は厳しい顔をして疑問点を述べる。

 

 

「民衆たちを獅童の指示者に仕立て上げるなら、どうしてデミウルゴスは獅童を『いらない』と言ったのかしら? 現に奴は民衆の認知を歪ませ、獅童の人気を利用してこんな世界を作り出してる。獅童が『いらない』存在なら、奴の名前を社会から抹殺したっていいはずでしょう?」

 

「獅童本人は『いらない』けど、獅童の人気は欲しい……もしかして、デミウルゴスがホントの意味で必用としているのは“民衆”なの?」

 

「アン殿、それだ!」

 

 

 真の疑問点を聞いた杏は、顎に手を当てながら首を傾げる。

 彼女が零した疑問から、確証を手にしたのはモルガナだった。

 

 

「デミウルゴスが必要としていたのは、ワガハイたちと戦わせるために見出した人間たちだ。今まで『改心』させてきた人間たちは、ヤツの戦力――いわば『駒』。先鋒のカモシダ、次鋒のマダラメ、中堅のカネシロ、便乗ついでに利用したフタバとニージマに、副将のオクムラ、大将のシドー。……そして、現状から推測するに、悪神が最後に持ちだしてきた総大将が民衆――もとい、“大衆という概念に属する人々”なんだろう」

 

 

 「だから、奴はシドーを『必要ない』と切り捨てたんだ」――モルガナは険しい顔でそう締めくくった。

 

 彼の声が聞こえない佐倉さんと冴さんが首を傾げるので通訳すれば、2人は額を抑えて唸っていた。双方共に『ざっくりとは分かったけれども理解できない』と言いたげだが、一般人なら『ざっくり分かった』レベルまで行けば充分である。

 僕らの話から宗教やカルト的な気配を感じ取った冴さんと佐倉さんだが、怪盗団という存在自体がオカルト的なものだという観点から納得してくれていた。ただ、一般常識を重んじる年代のためそう易々と受け入れられる話題ではないらしく、暫く唸っていた。閑話休題。

 

 脳裏に浮かんだのは、獅童のパレスで正体を現したデミウルゴスだ。奴は黎に視線を向け、『もうじきお前の旅路も終焉(おわり)を迎える』と言ったのだ。

 それが『神』が本格的に動き出すという合図だった。奴らが動いた結果、『嘗て怪盗団を応援していた“大衆そのもの”が最大の敵』という形で牙を剥いたのだろう。

 具体的な名前がないものを『改心』することは不可能だ。何せ、今度の相手は1個人ではない。大衆という概念そのものが相手だ――そこまで考えて、僕はふと気づいた。

 

 

「なあ、モルガナ。お前言ってたよな。『普段、人々のシャドウはメメントスにいる。メメントスで収まりきらない欲望の歪みがパレスを作り出すんだ』って!」

 

「『メメントスはみんなのパレス』だったね。もしメメントスにも『オタカラ』が存在していれば、大衆を一挙纏めて『改心』できるかもしれない!」

 

「ああ! 大衆という概念に対応するパレスへの入り口は、最初から用意されていた……! そしておそらく、あの扉の先が、『オタカラ』のある場所へ繋がっている!」

 

 

 僕と黎の言葉を聞いたモルガナが我が意を得たりと頷き返した。

 封印されていた扉の先、モルガナの記憶に関係する場所――これですべてが結びついた。

 

 

「メメントスが崩壊すれば、大衆みんなに影響が及ぶはずだ。世の中の情勢だって変わるだろう。みんなの心が『シドーを許さない』となりゃあ、良い方向に動き出すに違いない」

 

「まだ逆転のチャンスはあるんだね!」

 

 

 杏を皮切りに、怪盗団一同や佐倉さんと冴さんが湧きたつ。暗中模索同然だった僕らの前に、一筋の光明が差し込んできたのだ。「但し」と、モルガナは付け加える。

 

 彼の見解では、“人間の認知が異世界として存在しているのか”――その真実が、メメントスの奥に眠っているらしい。だが、メメントスから『オタカラ』を盗み出すということは、パレス同様崩壊が発生し、消えてしまうということだ。

 パレスが生まれるのは『メメントスにいるシャドウが欲望を抱き、欲望が歪みによって肥大した結果』だ。故に――理論上の話だが――メメントスが崩壊してしまえば、もう二度とパレスが発生することはなくなる。

 新世代のペルソナ使い――もとい、僕たち怪盗団は認知世界でのみペルソナ能力を行使することができるのだ。異世界が消えてしまえば、僕たちはもうペルソナを召喚することができなくなる。それは即ち――

 

 

「もう悪党がいても、力づくで『改心』させることはできない。怪盗団としての力も失われることになる。……怪盗団は、店じまいってコトだ」

 

 

 モルガナの言葉を聞いた仲間たちが表情を曇らせた。多分、僕も同じ顔をしていたと思う。自分たちが今まで、この力を駆使して成し遂げてきたことを思い返しているのだろう。

 変態教師鴨志田卓の『改心』を皮切りにして、怪盗団は世直しを行ってきた。長い戦いの果てに獅童正義を『改心』させ、最後は民衆を『改心』させようとしている。

 

 

(……民衆を『改心』させれば、もう二度と、怪盗団として戦うことができなくなる……)

 

 

 怪盗団をやめなきゃいけないというのは、凄く辛い。だって、この力があったから、僕らは出会うことができた。あんなにも充実した日々を過ごすことができた。多分、これまで生きてきた中で一番楽しかった時間だと思う。

 これからも、僕たちは怪盗団として駆け抜けていくものだと思っていた。高校生と怪盗という二重生活を送り続けると信じていた。非日常が日常として定着していた。今までの日常を失うのは――この力を失うのは、惜しいことだ。

 

 

『本当なら、怪盗団は不必要な方がいいと思うんだ。でも、理不尽に苦しむ誰かの助けになれるなら、存在する意味はある』

 

 

 怪盗団を立ち上げたとき、黎が話していたことが脳裏をよぎる。

 5月2日、帝都ホテルのビュッフエ。ザ・ファントムは、あそこから始まった。

 たった4人の高校生と、摩訶不思議な喋る黒猫1匹。アジトは僕の自宅であるマンション。

 

 いつの間にか、仲間はどんどん増えてった。気づけば8人の高校生と摩訶不思議なしゃべる黒猫1匹の大所帯である。

 

 思えば遠くまで来たものだ――ペルソナ絡みの戦いになる度に、僕はいつも、そんなことを考えながら旅路を振り返る。スノーマスクやセベク・スキャンダル、珠閒瑠市浮上事件、巌戸台の影時間消滅作戦、八十稲羽のマヨナカテレビ連続殺人事件……どれもこれも頭の痛くなる事件だった。

 沢山の出会いがあり、別れがあり、戦いがあった。諍いが発生することもあれば、厄介事に首を突っ込んで酷い目に合うこともあった。知らず知らずに結ばれた因縁が紐解かれていくのを目の当たりにした。人々の生き様を、在り方を見てきた。――そうして、長い旅路にも、終わりがあることを知ったのだ。

 

 

『いつか、私たちが必要なくなるその日まで、そうなるように力を尽くしたい。人々の意識が少しでも変わっていけるならば、私たちの歩いた軌跡は決して無駄じゃないんだから』

 

 

 ――ああ、そうだ。そうだとも。

 

 僕たちは最初から、終わりに向かって歩いていた。怪盗団を始めたあの日から、『最後は怪盗団が解散することも厭わない』と決めていた。その終わりが今、目の前にある。ただそれだけのことだった。

 あの日の決意はここにある。旅路で積み重ねたかけがえのない日々も、旅路で得た大切な仲間も、旅路を往く中で抱いた答えもここに在る。怪盗団じゃなくなったからといって、何もかも失われるわけじゃない。

 理不尽に打ちのめされた始まりの日を思い返した。あのとき自分が何を思ったのか、僕は今でも覚えている。何のために立ち上がったのか、僕は今でも忘れていない。正義は今もこの胸の中にある。

 

 

「『正しいことを正しいって言うために、間違いを間違いだと言って正すために、私みたいな理不尽な目にあう人を助けるために――そんな人が1人でも減るように』」

 

「リーダー……」

 

「そう思ったから、私は怪盗団を始めたんだ」

 

 

 凪いだ水面に石を投げ入れるように、この場の静寂を破ったのは有栖川黎――我らが怪盗団のリーダー、ジョーカー――だった。

 灰銀の瞳には静かな決意が宿っている。始まりの日に、彼女が抱いた正義は今でも失われていない。初志貫徹の意を掲げ、彼女は微笑む。

 

 

「私の答えは変わらない。『いつか、私たちが必要なくなるその日まで、そうなるように力を尽くしたい。人々の意識が少しでも変わっていけるならば、私たちの歩いた軌跡は決して無駄じゃないんだから』」

 

「レイ……お前……」

 

「今こそ、それを果たすべきときなんだ。誰に何を言われても、私は私の正義を貫く。反対者が出ても、私は絶対止まらないから」

 

 

 リーダーである黎の言葉を聞いた仲間たちの瞳から、迷いや躊躇いの色が消え去った。

 

 思い出したのだろう。自分たちが怪盗団を始めた理由を。最初に抱いていた正義を。

 そうして、今こそ自分たちが抱いた正義を完遂するときなのだと。

 

 

「そうだよ。やろう! 私たちは『世直し怪盗団』なんだから!」

 

「ああ! これが俺たち怪盗団の、最後の仕事だ!」

 

 

 杏と竜司の言葉を皮切りに、仲間たちは顔を見合わせる。

 『神』との最終決戦が間近に迫っていることを感じながら、小さく頷き返した。

 状況についていけない佐倉さんと冴さんが顔を見合わせ首を傾げる。

 

 

「最後の仕事……?」

 

「異世界を消すんです」

 

「それが、どうして最後の仕事と繋がるの?」

 

「異世界の存在があったから、僕たちは怪盗団として『改心』の力を行使することができました。ですが、異世界が消滅してしまえば、もうその力を行使することはできません。『廃人化』や精神暴走事件が起きなくなる代わりに、どうしようもない悪党を力づくで『改心』させることもできなくなるでしょう」

 

 

 冴さんの問いかけに答えた黎の返事を、僕が補足する。

 冴さんは納得したらしい。キリリとした面持ちで目を細めた。

 

 

「成程。だから、最後の仕事なのね……」

 

「私たちが役目を果たした後は、罪を正した『大人』に世の中をお願いします。それが、仕事を引き受ける条件です」

 

「……『取引』ってわけね。なんて重い条件なのかしら。――でもいいわ、受けましょう」

 

 

 春が持ちかけた取引に苦笑しながらも、冴さんは静かに微笑んで頷いた。「獅童正義を、必ず裁きの場に立たせてみせる」と語る冴さんならば、きっとやり遂げてくれるだろう。

 それに、冴さん本人の気質的に『借りは返さなきゃ気が済まない』タイプだ。獅童や『神』に弄ばれた分を熨斗つけて返したいと考えているに違いない。ぎらつく双瞼がその証拠。

 ……いいや、冴さんだけじゃない。この場にはいないけれど、僕がよく知る頼れる大人たち――歴戦のペルソナ使いたちも、きっと力を貸してくれる。罪を正してくれるはずだ。

 

 僕らが戦う覚悟を決めたのを悟った佐倉さんがニヤリと微笑む。

 みんなで顔を見合わせて頷き合った後、僕たちは黎へ視線を向けた。

 

 音頭を取ってほしいという僕らの心を察したのか、黎は不敵に微笑んだ。

 

 

「――この国を頂戴する!」

 

「それ前も言ったけどな!」

 

「いいじゃない。今度こそ正真正銘なんだから」

 

 

 茶化すように笑った双葉に、春はにっこりと笑って頷いた。

 そうと決まれば時間が惜しい。満場一致で、決行日は明日と相成った。

 

 

「しかし、クリスマスが最終決戦日か……。聖夜に国を、ひいては民衆の心を頂戴するとは」

 

「そういや、吾郎ってペルソナ使いの戦いを見てきたんだろ? 決戦日とかどうだったんだよ?」

 

 

 しみじみと語った祐介に触発された竜司が僕に問いかけてきた。僕は当時のことを思い返しながら答える。

 

 

「スノーマスクやセベク・スキャンダルのときは、日付なんてあってなかったようなものだったな。現実世界の時間は文化祭の前日で止まってたわけだし。珠閒瑠のときはモナドマンダラだから、やっぱり現実世界の日時じゃ該当しない。地球暦すら意味ないんじゃないかな? どちらも精神世界だったから」

 

「なんつートコで決戦してんだよ……」

 

 

 僕の話を聞いた竜司は、『地球暦が通じない精神世界』というパワーワードに辟易しているようだ。

 これから向かうメメントスも、一歩間違えれば時間の概念が吹き飛ぶ可能性がある。

 決戦から帰って来たら時間経過がとんでもないことになっていた――そんなこともあり得そうだった。

 

 僕はそのまま言葉を続ける。

 

 

「ニュクスっていう死の概念を相手取ったのが1月31日、八十稲羽の土地神である伊邪那美命を相手取ったのが3月20日だった」

 

「待って。死の概念って……」

 

「下手したら世界滅亡してたかもしれないよ」

 

「うわ、マジかよ超怖ェ! 巌戸台世代の人がいなきゃ、俺らみんな死んでたってことか!?」

 

 

 僕の話を聞いた竜司はゾッとしたようで、顔を青くしていた。

 まさか変な所から恐ろしい真実を知るとは思わなかったようで、他の面々も凍り付く。

 

 

「だったら尚更、負けるわけにはいかないな。先輩たちから受け継いできた人類の未来を、俺たちで絶やすわけにはいかんだろう」

 

「人類の未来というより、ワガハイたちは自分の正義を貫くための戦いだがな。……まあ、負けたら未来がお先真っ暗という意味では、絶やしてはならないってコトになるだろうが」

 

 

 祐介とモルガナが納得したように頷く。それを横目にしつつ、僕は竜司から降られた話題を締めくくるために口を開いた。

 

 

「前者は元々予告されていた日付だし、後者は真実さんが東京へ帰省する日だったから、特にこれと言って珍しかったわけじゃないんだよね」

 

 

 むしろ、ペルソナ使いたちの決戦日で一番センセーショナルなのは僕たちの世代ではなかろうか。なんてったってクリスマスである。

 本来ならばサンタがプレゼントを届けにやって来る日だ。そんな日に、よりにもよって怪盗団が民衆の『オタカラ』を盗みにやって来るのだ。

 

 あれは6月――秀尽学園高校の2年生が社会見学に来た日――のことだったか。探偵王子の弟子として本格的にメディア露出をしたとき、僕はサンタの話を持ち出したことがある。

 

 サンタクロースを信じる年齢はとっくに過ぎてしまったけれど、今でも僕はサンタクロースはいると確信している。正体が誰であろうとも、自分のために何かを贈ってくれる人がいるという事実が大事なのだと僕は思っていた。

 『但し、“僕の知らない”サンタクロースが家に入ってきた場合は不法侵入で警察に連絡する』なんて適当なジョークを述べたら、やたらとウケたような記憶がある。あの頃は、まさか決戦日が12月24日になるとは予測していなかった。

 竜司は納得したのかしないのか、微妙な顔をしていた。だが、自分たちの日付のセンセーショナルさにちょっと浮かれたのだろう。悪戯小僧みたいな屈託のない笑みを浮かべた後、僕の肩を思いっきり叩いてきた。筋肉馬鹿故か、かなり痛い。

 

 

「痛ェよ馬鹿!」

 

「いや、お前の鍛え方が足りないだけだろ!」

 

「竜司、その意見は間違ってる。吾郎は着やせするタイプなだけで、ちゃんと筋肉ついてるよ」

 

 

 僕と竜司が――僕は不本意なのだが――漫才を披露し始めたとき、ムッとした表情で黎が意見を述べる。竜司は疑わし気に黎を見返し――ハッとした面持ちで目を見開いた。

 

 途端に、竜司の顔から血の気が引いた。戦慄いた口が「おまえら、まさか」と動いたように見えたのは気のせいではない。彼は暫し口を開いては閉じてを繰り返したが、そそくさと視線を逸らして完全沈黙した。知らぬ存ぜぬを貫くつもりらしい。何名かが目を剥いたが、最終的には黙ることにしたようだ。

 雑談も程々にして、仲間たちは帰宅していく。誰もが明日の最終決戦に意気込んでいるようだ。竜司が、杏が、祐介が、真が、双葉が、春が、「また明日」と言ってルブランを去っていく。冴さんも真と共に家路につき、佐倉さんも店じまいをして去っていく。案の定、佐倉さんは「節度は守れよ」と言い残して帰っていった。

 

 残っているのは僕と黎、あとはモルガナ。モルガナは咎めるような目で僕を見上げた。……今日は別に泊まらないのに。

 「今日は帰るよ」と言えば、彼はあからさまにホッとしたようだ。そうして意味深に笑った後、足早に2階へと去っていった。

 この場に残されたのは僕と黎の2人だけである。顔を見合わせれば、お互いに「もう少し話がしたい」と思っていることはすぐに分かった。

 

 いつもの定位置となったカウンター席に座る。黎も微笑み、隣に腰かけた。

 

 

「まさか、クリスマスが最終決戦になるとは思わなかったよ」

 

「その通りだね。聖夜に『オタカラ』を頂戴するだなんて、なかなかにセンセーショナルじゃないか」

 

 

 とりとめのない話題から始めた雑談は、あまり長くは続かない。

 明日が最終決戦ということもあってか、自然と口数が減っていく。

 

 

「思い返せば、沢山のことがあったね」

 

「そうだね。……本当に、怒涛と言う言葉がよく似合う毎日だった」

 

 

 黎がぽつりと零した言葉に、僕は微笑み頷き返す。

 

 僕のスマホに宿った『イセカイナビ』から『メメントス』に迷い込み、獅童親子が行っていた完全犯罪の存在を知ってから、もう2年。大人たちの助けを得ながら獅童を追い詰めようと奮闘していたら、奴によって黎が冤罪を着せられた。――それが、怪盗団が結成されるための始まりで。

 鴨志田卓の『改心』を皮切りに、僕たちは『神』の作為通りに獅童へ導かれた。そうして、『神』の用意した『駒』の総大将である獅童正義を『改心』させることに成功したのだ。この8か月、怒涛の展開ばかりだったように思う。あっという間にここまで辿り着いたように思う。

 楽しい時間も、もうすぐ終わり。民衆のパレスたるメメントスが消滅すれば、僕たちは怪盗団ではいられなくなる。ペルソナ能力を駆使して戦うことも不可能になるだろう。何の力もない、無力な一介の高校生へと戻り、“本来あるべきはずの日常”へと還っていく。

 

 『改心』が成功したときの爽快感を、人から持ち上げられることの歓びを、人に嵌められたときの悔しさを、不思議な力を行使できる特別感を、僕たちは知ってしまった。

 人の悪意の深さを、欲望の悍ましさを、正義を貫くための心構えを、異形と戦い続ける宿命を知ってしまったみんなが、何も知らなかった頃同様でいられるとは思えない。

 

 

「ペルソナ能力がなくなっても、俺は至さんと同じような道を進む。……いずれ現れるであろう次世代のペルソナ使いたちを手助けしたい」

 

「私も同じだよ。私たちを助けてくれた先輩たちと同じように、後輩たちのことを支えたい」

 

 

 他のみんなも、きっとそうだ。自分の夢を追いながら、自分と同じように戦おうとする後輩たちを手助けすることだろう。嘗て自分を助け、支え、導いてくれた格好いい大人たちのように。――だって彼らは、困っている人たちを助ける世直し怪盗団(ザ・ファントム)の一員。超弩級のお人好したちなのだから。

 体育教師となって生徒たちに運動の楽しさを教える竜司の姿が、トップモデルとして胸を張りステージを歩く杏の姿が、画家として様々な作品を描き出す祐介の姿が、警察官のキャリアとして現場を駆け抜ける真の姿が、白衣を着てPC画面と睨めっこする双葉の姿が、自身が経営する喫茶店で夫と共に客を出迎える春の姿が、鮮明に浮かぶ。

 みんな笑顔だった。彼や彼女の周りにいるであろう人々も笑顔だった。例えペルソナ能力が失われたとしても、仲間たちは誰かの笑顔を守るために戦うことを選ぶだろう。理不尽と真っ向から戦うことを選ぶだろう。自分の無力さを噛みしめる日が来ても、決して諦めたりなんかしない。――それが、容易に想像できた。

 

 忘れられない背中があった。忘れたくない人がいた。その生き様を、僕は覚えている。

 

 仲間たちと共に異変を解決するため、氷の城と大企業を駆け抜けた。噂が跋扈する怪奇都市で見た白昼夢の謎を追いかけ、滅びの夢から齎された罰を覆した。存在しない影時間を消滅させるため、月へ続く塔を登った。都合の良い嘘によって覆われた霧の街で、真実を探すためにテレビの中を走り回った。

 誰も知らない物語。人知れず、けれど確かに世界を救った若者たちがいた。彼らと敵対した人間たちもいた。分かり合えるかもしれないと思いながらも、別れる以外になかったこともある。最後まで分かり合えないまま、すれ違ったまま、認められないまま別れた者たちだっている。

 

 

「出会いも別れも、宝物だよ」

 

「良くも悪くも、衝撃的だったな」

 

 

 黎と僕は顔を見合わせ、頷き合った。

 

 自分の正義を貫くために己の命を差し出した者、自分の命を愛する人の為に与えた者、何も残せないと嘆いたが故に死を求めた者、悪党でありながらも良心を捨て切れない“人間らしさ”を持った者――以前の旅路で別れた人々のことを、思い返す。

 今回の旅路も、今までの旅路と比べ物にならないくらい素晴らしい出会いがあった。強烈な別れがあった。鴨志田卓、班目一流斎、金城潤矢、奥村邦夫、獅童正義、獅童智明――もといデミウルゴス。特に最後の1人とは、明日戦うことになる。

 

 

「勝とうね」

 

「ああ」

 

 

 『神』を倒した後に広がる未来を、一緒に生きていく――その決意を示すように、黎は指輪をチェーンから外して左手薬指に嵌めた。僕も手袋を取り、左手薬指の指輪を示す。

 黎は僕が贈ったブルーオパールの指輪を、僕は黎が贈ったコアウッドの指輪を、きちんと身に着けている。電灯の光を反射して、シルバー部分がキラキラと煌いていた。

 

 時計を見ればもう遅い時間帯。明日の決戦に備え、そろそろ帰らなくては。

 名残惜しいけれど、万全な仕込みがなければ仕事を果たせなくなってしまう。

 僕らは顔を見合わせた後、ふわりと笑みを浮かべ合った。

 

 当たり前の挨拶を交わす。今も昔もこれからも、そう言い合える未来を手にするための戦いへ、僕たちは赴くのだ。

 

 

「――それじゃあ、また明日」

 

「――うん。また明日」

 

 

 ――旅の終わりは、もうすぐだ。

 

 

***

 

 

―― 明日メメントスが崩壊すれば、ペルソナは使えなくなるんだな ――

 

 

 ルブランを出た直後、今まで黙りこくっていた“明智吾郎”がおずおずと問いかけてきた。

 

 今まで以上に情けない顔をしている。どうかしたのかと問いかければ、奴は()()()()()()()と噛みつくような声色で応えた。ぶっきらぼうに吐き捨ててそっぽを向いた“彼”の中は、どこか寂しそうである。

 奇妙なことを言いだす奴だ。僕は半ば呆れ果てて――ふと、目を見張る。“明智吾郎”は俺の中に宿るペルソナ――ロキとして力を貸してくれた。ペルソナとしての付き合いはニイジマパレス以降だが、実際はずっと前から俺の傍で見守っていてくれたのだ。

 思考回路を塗り潰されかかった経験から換算するに、恐らく俺と“明智吾郎”の付き合いは12年となるだろう。嘗て“自分”が歩んだ旅路の経験則を活かして、俺が最善を選べるように手を回してくれた功労者だ。彼がいなければ、俺はここまで辿り着けなかった。

 

 けれど、“明智吾郎”はあの機関室より先のことは何も知らない。だから、獅童を『改心』させた後、民衆を『改心』させるためにメメントスから『オタカラ』を盗むことになったのを“彼”が知ったのはつい今しがただ。

 おそらく『メメントスを崩落させたら、もう二度と怪盗行為はできない』ことを知ったのも、『メメントスがなくなればペルソナが使えなくなる』ことを知ったのも、仲間たちとの会議のはず。――“彼”が挙動不審になったのは、この直後だ。

 

 

(……もしかして、自分がどこへ行くのか分からないから心配なのか?)

 

―― ………… ――

 

 

 俺の予想は図星らしい。“明智吾郎”は俯き加減になりながら、そうと分からぬくらいの動きで頷いた。

 自分がどこへ行くのか分からないというのもまた不安だろう。特に、ペルソナが消えるとなれば猶更だ。

 

 暫し躊躇った後、“明智吾郎”は口を開く。

 

 

―― 俺が見れなかったもの、沢山見せてもらった。俺が越えられなかった機関室を超えて、獅童の末路まで見せてもらえた。アイツが涙を流すなんて、絶対見られなかっただろうよ ――

 

(だよな。お前の言う通り傑作だったな!)

 

―― ホントだよホント。ざまーみろってんだ!! ――

 

(空元気を使って話題を逸らそうとするのやめような)

 

―― 敢えて指摘するんじゃねえよ、クソが! ――

 

 

 悪い笑みを浮かべて笑う“彼”がどさくさに紛れて煙に巻こうとしている気配を察知し、俺はそれを真正面から指摘してやる。

 “明智吾郎”は忌々しそうに舌打ちすると、これ以上ないくらい深々とため息をついた。

 

 

―― 未練はねえよ。……ちゃんと、消えることにだって納得してる。納得してるんだ。……まさか、お前相手に“離れがたい”って思うとはな。ホント、予想外だった ――

 

 

 そういう感情は“ジョーカー”に向けるものだとばかり思っていたのに――“明智吾郎”の眼差しは、非難がましそうに揺れていた。足立透と負けず劣らずの理不尽な八つ当たりである。人間らしくなったという意味では、“彼”もこの旅路で得たものがあったのだろうか。

 

 ()()()()()()()()()()――“明智吾郎”は口に出していないけれど、すべての挙動でそう訴えている。

 人間嫌いなくせに寂しがりという二律背反を背負った男だ。面倒くさいのはご愛嬌と言ったところだろう。

 勝手に覚悟を決めて、勝手に去る準備をしているところは、機関室で命を捨てたときと変わっていない。

 

 素直に「ここにいたい」と言えばいいだろう。でも、それが出来ないのはプライドがあるからだ。純然たる事実でもあるからだ。夢を見れるような性格でもないためだ。

 足立と同じような八つ当たりができるなら、もう少し素直になれるはずなのに。俺は手間のかかる子どもの面倒を見るような、生暖かな気持ちを抱いた。

 

 

(ペルソナってな、心の海から生まれいでるらしい)

 

―― は? ――

 

(そして、心の海は元々1つで、みんなと繋がっているんだってさ)

 

―― ……だから何だよ? ――

 

(たとえ知覚できなくても、ちゃんとそこにいるんだ。心の一側面として。……だから、お前は消えない。消えたりしない。いなくなったりしないよ)

 

 

 もしかしたら、他の誰かの所に出張するかもしれないけど――なんて笑えば、“明智吾郎”は素っ頓狂な表情を浮かべた。仮面から覗く瞳と口が、間抜けに開かれている。

 

 脳裏に浮かぶのは、滅びの世界へ帰っていった周防達哉さんの背中だった。あの人は『心の海は繋がっているから、いつでも会える』と語っていた。彼本人とはそれ以来顔を会わせてはいないけれど、こちらにいる達哉さんの片鱗に、滅びの世界の達哉さんの面影があった。

 たとえ他者や本人に近くすることができなくなっても、彼の証はきちんと残されている。達哉さんの言動から、それを感じ取ることができた。おそらく滅びの世界の達哉さんも、そのことを理解していたから『心の海(中略)』と語ったのであろう。彼は本当のことは言わなかったけど、嘘も言っていなかったのだ。

 

 俺が誰の例を挙げて語っているのかを察したらしく、“明智吾郎”は半信半疑に俺を見返してきた。

 自分は達哉さんの例と合致するような存在なのかと言わんばかりに、奴はじっと俺を見つめる。

 迷子になって不安な顔をした子どもを見ているような気分になったのは、きっと気のせいではない。

 

 

(お前のことは俺が連れて行くさ。冴さんのパレスで取引しただろ? だから、絶対置いてったりしない。お前が嫌だって言ってもだ!)

 

―― ……ハッ。やれるもんならやってみりゃあいい。精々楽しませてくれよ? ――

 

 

 憎たらしい笑みを浮かべた“明智吾郎”は、今日はそれっきり何も言わなかった。俺が話題を振っても、悪人面じみた笑みを浮かべ、鼻で笑うだけに留めていた。

 “彼”は“彼”なりに、思うところがあるのだろう。俺は“明智吾郎”をちらりと一瞥した後、同じようにして黙ることにした。――最早自分たちに、言葉など不要だったから。

 

 




魔改造明智によるメメントス最奥後略、導入編。基本は原作本編と同じ流れですが、バタフライエフェクトの直撃によって会話の端々に変化が出ています。同時に、何名かに変なフラグが点灯中。終わりだけでなく、別れの気配も滲んできたようです。
「メメントスが消滅すれば怪盗団としての力を行使できなくなる⇒ペルソナ能力も消滅する?」という疑問が生じた“明智吾郎”は自分の行方が気になったようですが、魔改造明智に諭されて吹っ切れたみたいです。おそらく、このコンビも見納めになるのでしょう。
魔改造明智の旅路ももうすぐ終着点。機関室の向こう側、“明智吾郎”すら知らない最終決戦の舞台へ、かけがえのない仲間たちと共に踏み出していきます。彼らが旅路の果てにどのような景色へ辿り着くのか、もう少しおつき合いして頂ければ幸いです。

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