Life Will Change   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @デミウルゴス⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟とされた獅童(しどう)智明(ともあき)を演じていた『神』の化身。姿は真メガテン4FINALの邪神:デミウルゴス参照。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。獅童パレスの崩壊に飲まれ、完全に消滅した模様。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・『改心』と『廃人化』に関するねつ造設定がある。
・春の婚約者に関するねつ造設定と魔改造がある。因みに、拙作の彼はいい人で、春と両想い。
・魔改造明智にオリジナルペルソナが解禁。
・R-15
・1~4までにおける『回復手段に料金が発生する』理由を、本編から拾い上げた上で捏造している。


訣別の刻来たれり ―『白い烏』の本懐―

 黒服たちによって派手に荒らされた喫茶店内の片づけが終わったのは、夜の11時半を過ぎた頃だった。

 

 佐倉さんは黒服に拉致された後、どこかに閉じ込められていたという。だが、黒服どもが慌てだし――実際は捨て置かれたような形で――、解放されるに至ったようだ。獅童のパレスが『オタカラ』入手前に崩壊したことを考えると、黒服たちに『獅童が自殺未遂をした』という話題が伝わったのだろう。

 この調子だと、怪盗団検挙の指揮を執っていた冴さんや作戦に関わる羽目になったペルソナ使いたちも解放されたはずだ。実際、各組織関係者や長に『黒服たちが慌てた様子で撤退していった』という情報が入っている。獅童の『改心』が成功すれば、黒服は怪盗団を潰す暇と機会を失うはずだ。

 怪盗団を裁く側にいた連中は、軒並み司法に裁かれる側の人間になるだろう。獅童と絡んで甘い蜜を吸っていた連中はごまんといる。その中には、メメントスやパレス内で『改心』させた秀尽学園高校の校長や特捜部長もいた。前者は意識不明のままだが、後者も『改心』待ちの人間だった。

 

 特捜部長だけではなく、獅童のパレス内部にいたVIPたち――同業者の中でも有力な政治家である大江、長い歴史によって培われたパイプの提供役だった旧華族の名士、世論操作を行っていたTV社長、認知訶学の研究データを暗号化して保管していたIT社長、金銭的な繋がりしかないトラブル処理役のヤクザも『改心』待ちだ。

 おそらく、彼らの『改心』も獅童の『改心』と同時期に発生することだろう。組織の長が罪を公表した場合、下の人間たちがどこまでそれを隠蔽できるだろうか。目下の懸念は“上司の巻き添えを喰らいたくない部下の行動”だが、権力持ちが雁首揃って罪を認めるのだから、遅かれ早かれ破滅するのは目に見えていた。

 

 小細工をしたとしても、致命傷は免れない。最後は獅童正義という箱舟共々沈むはずだ。

 僕がそんなことを考えていたとき、スマホのSNSに着信が入った。送り主は――三島。

 

 

三島:吾郎先輩が追いかけていた巨悪って、獅童正義のことだったんですね!

 

吾郎:ああ。ようやく決着がついたよ。

 

三島:長かったですよね。吾郎先輩が探偵として敵陣に潜り込むっていう連絡くれたのが6月だから、もう半年経過したんだなぁ……。

 

吾郎:あとは奴が『改心』して、黎の冤罪を証言して証拠を差し出してくれさえすれば、すべてが終わる。再審請求も通るはずだ。

 

三島:そっか……。黎の冤罪、晴れるんだ……。本当に良かったです! これで憂いなく結婚式ができますね!

 

吾郎:気が早いよなお前!

 

三島:式には是非とも呼んでくださいね! それじゃ、黎とごゆっくり!!

 

 

 それだけ残し、三島のメッセージは終わった。ベッドに腰かけていた僕が深々とため息をつく向かい側で、黎がくすくすと微笑んでいる。

 彼女は当たり前のようにベッド――僕の隣――に腰かけた、僕らを見守っていたモルガナは欠伸をひとつすると、自力で窓を開けてどこかへと去っていった。

 

 数時間前の激闘――もとい、獅童との決戦は、もう昨日のことだ。時刻はもう、1時を過ぎている。

 

 

「一番の山場は越えたね」

 

「そうだね。……俺も、黎も、ちゃんと生きてる」

 

 

 黎の言葉に同意して、俺は彼女を抱きしめる。さっぱりとした柑橘系の香りが鼻をくすぐった。つい30分程前、僕たちはルブラン近隣の銭湯で体を休めていた。25時頃まで営業しているおかげで、ゆっくり風呂に漬かることができたのだ。

 僕も黎も、銭湯に備え付けられていた石鹸ではなく、自分が愛用しているものを持ち込んで体を洗っている。黎は爽やかな柑橘系の香りを好んでおり、僕は素朴な石鹸の香りを好んでいた。そのときの残り香が漂っているのだろう。

 血行が良いためか、彼女の体温が非常に心地よい。隙間風が入ってきてもあまり寒く感じないのは、お互いの体温が()()()()()()()()()()()()()()ことの尊さを噛みしめているからに他ならなかった。

 

 11月末から12月半ばに待ち受ける“明智吾郎”最大の破滅を、僕は乗り越えることができた。獅童パレスの機関室から出て、獅童を『改心』させ、訪れるであろう12月18日を迎えようとしている。

 

 選挙当日まで生きていた経験がないためか、“明智吾郎”は少し落ち着きがない様子だった。そんな“彼”を、“ジョーカー”も優しく――けれど力強く抱擁している。猫のようにすり寄って来る“ジョーカー”の様子に安堵したのか、“彼”も“彼女”の背中に腕を回して抱きしめた。微笑ましい限りだ。

 獅童をどうにかできたとしても、問題は山積みだ。『神』の化身としての本性を発揮した智明――デミウルゴスの動きが不透明と言うのもある。獅童の選挙戦後に何が待ち構えているのかは未知数だ。大きな懸念材料を抱えているというのは事実である。でも、“未来を手にした”のは本当のことだった。

 

 

(奴の出方については棚上げしておくとして、問題は……)

 

 

 僕はちらりと黎の表情を窺った。彼女は幸せそうに口元を緩めながら、僕の胸元にすり寄って来る。その体が微かに震えたように見えたのは気のせいではない。

 

 獅童との戦いで、彼女はまたアイツに手籠めにされそうになった。人生で2度も同じ人間から、同じ欲望と悪意を向けられたのだ。怖くないはずがない。

 本来なら、奴の血が流れている僕のことだって、恐怖や拒絶の対象となってもおかしくないのだ。最悪の場合、隣にいることすら不可能になるだろう。

 そうなっても仕方がないと理解しているし、――多分耐えられないと思うけど――覚悟だってしていた。でも、黎はこうして僕の腕の中にいてくれる。

 

 

(……無理、してるんじゃないかな)

 

 

 僕と黎、奴を愛した俺の母までもを侮辱した獅童の醜悪な顔が脳裏をよぎる。

 

 ()()()()()()()()という共通点から、奴は僕のことを初めて“息子”だと認めた。同じなのだと嗤った。――奴の言葉が、僕の心にこびりついて離れない。

 そんな形で認められたくはなかった。思い知らされたくなかった。結局自分は汚い存在なのだと、悍ましい血筋を継いでいるのだと突き付けられた心地になる。

 

 確かに訣別はした。もう二度と振り返らないと決めた。でも、それとこれとは別問題である。有栖川黎を傷つけるすべてのものを、明智吾郎は許すことができない。もしも自分がそんなものに成り下がるくらいなら、今この場で死んでしまえばいいと思う程に。

 僕が黎と一緒に一線を超えたのは、獅童が僕の母に手を出した理由――自分の欲望のために、相手を無責任に弄んだ――と同じだからじゃない。12年前に彼女と出会ってから一目惚れして、彼女のことがずっと好きだった。恋人同士になって、いずれは共に生きる未来を夢見た。

 ……そんな日々を積み重ねて、幾多の朝と夜を超えてきたから、愛し合った。まかり間違っても、都合のいい女だったから抱いたのではないのだ。獅童正義と僕は違う生き物だと主張しても、僕の中に流れる奴の血筋が不気味に嗤う。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 

 

「……ねえ、吾郎。今、何考えてた?」

 

「……今までのことと、これからのこと」

 

 

 黎がじっと僕を見上げる。僕は苦笑し、左手で彼女の頬を撫でた。

 なるべく怖がらせないようにと配慮していたとき、黎は僕の手に両手を添える。

 

 

「デミウルゴスのことは、一端棚に上げてるって顔してるよね」

 

「…………」

 

「獅童のことでしょう」

 

「…………なんで、分かったの」

 

「分かるよ。――だって、ずっと見てたから」

 

 

 彼女は誇らしげに笑った。益々居たたまれない気持ちになり、僕は俯く。

 

 

「――怖いんだ。俺はアイツの血を引いているから、いつかアイツと同じような存在に成り下がるんじゃないか、って」

 

「そんなことない。吾郎は吾郎だ。それに、吾郎は獅童なんかと違って、私を大事にしてくれているじゃないか。――今この瞬間みたいに」

 

 

 黎はムッとした顔で僕を睨む。……中々の口説き文句だ。

 

 

「時々意地悪だったり、ずるかったり、怯えてたりするけど、私のこと大好きだって凄く伝わってくるよ。……ちゃんと、分かるよ」

 

 

 彼女は知らないのだろう。真摯に紡がれるその言葉が、僕を抱きしめて離そうとしないその態度が、僕にとってどれ程救いになっているか。どれ程の幸福なのか。

 愛しさに任せて口づけを送れば、黎は花が咲いたように表情を綻ばせる。彼女も同じようにして僕に応えてくれた。啄むようなキスは、どんどん深くなっていく。

 黎が苦しそうに眉をひそめたことを察し、少々名残惜しいけれど解放する。灰銀の瞳は蕩けており、ほんの僅かだが涙が滲む、けど、幸せだと言わんばかりに細められていた。

 

 

「……ね、吾郎」

 

「何?」

 

「教えるよ。私にとって吾郎は、この世で一番至高の『オタカラ』なんだって」

 

 

 まるで懇願するかのように黎はこちらを見上げる。

 けれど、灰銀の瞳は挑戦的に煌めく。

 

 

「……だから、吾郎も教えてよ。吾郎にとっての私も、この世で一番至高の『オタカラ』なんだって」

 

 

 「全部晒け出すから暴いてよ」と、黎は笑った。

 「それはこっちの台詞だよ」と、僕も笑う。

 

 

「仰せのままに。僕の怪盗」

 

「ありがとう。私の探偵」

 

 

 僕は黎の額に触れるだけの口づけを贈った後、そのまま唇にキスをした。お互いが愛おしいのだと伝えるように、これから愛し合うのだと合図を送るように。――僕の身体も、黎の身体も、それを感じ取ったのだろう。身体の奥底から、更なる熱が燻るような感覚に見舞われた。

 

 互いの手を絡める。僕の方が軽く力を入れれば、全てを許して受け入れるが如く、黎の身体はベッドに沈み込む。黒髪がシーツの波間に漂った。

 有栖川黎が愛おしくて、彼女が僕を愛おしいと思ってくれるのが嬉しくて、こうやって愛し合えることが幸せで、なんだか泣きそうになってしまう。

 おそらくこれは、『僕と彼女の間に横たわっていた“滅びの運命”を乗り越えた』という達成感と喜びがあったからだ。その奇跡を噛みしめたからだ。

 

 

「――愛してる、黎」

 

「――私も。愛してる、吾郎」

 

 

 互いの熱と鼓動を感じながら、愛し合う。

 今まで積み重ねてきた日々を、目の前の伴侶を慈しむように。

 

 戦いと運命の区切りを迎えた自分たちを労るように――これから先に待ち受けているであろう最終決戦から、少し目を逸らすようにして。

 

 

 

 

 

 

 思い返せば、僕と黎が一線を越えたのは冴さんのパレス攻略が始まった直後――10月の半ばだった。僕が“明智吾郎”の存在を受け入れ、“彼”が犯した罪や抱いた後悔――および祈りを背負って往くと決めた日の夜のこと。忘れられない、人生初めての幸せな夜。

 今まで一線を超えられなかったのは、黎のことが大切である以上に、獅童のような悍ましい存在と同じものになりたくないという気持ちの方が強かったからだ。本能よりも理性の方が遥かに強くて、自分を律しなくてはならないと思っていたから。

 その思いは今だって変わらない。変わらないけれど、有栖川黎という1人の女性を――愛する人を()()()()()()素直に求められるようになったのは、清廉でありたかった僕とそう在れなかったことに葛藤していた“彼”が合わさり、清濁併せ持つ存在になれたからだと思う。

 

 「欲望は願いである」という話題が脳裏によぎる。思い出したのは、それを体現した八十稲羽のペルソナ使い・足立透の後ろ姿だった。

 清廉潔白にも悪党にもなりきれなかった――それ故に、自分の清濁をきちんと把握していた、良くも悪くも等身大の人間。

 

 今なら、奴の在り方に頷ける気がする。同意できるかどうかは別として、そんな生き方もあるのだなと認めることはできる。

 

 自分がこんなに強欲な人間だったとは思わなかった。有栖川黎という少女に焦がれて、愛されたいと願って、愛したいと願っていた。12年前は手を繋ぐことができればそれだけでよかったのに、今では彼女の華奢な身体を幾ら穿っても足りないとさえ感じてしまう。抱き潰して気絶させても飽き足らない。

 それでも黎は愛想を尽かすことなく、逃げることなく、拒絶することなく、気を失うことすら概算度外視してでも僕に応えようとしてくれる。自分だって同じなのだと訴えて、明智吾郎という1人の男をひたむきに――或いは貪欲に――愛してくれる。受け入れてくれる。その事実が嬉しくて、幸せだった。

 

 

「……黎、大丈夫?」

 

「……うん、平気……」

 

 

 色白の肌を薔薇色に上気させ、灰銀の瞳を艶やかに潤ませた黎が頷く。動くのも、返事をするのも億劫だろうに、彼女は柔らかに微笑んでいた。

 

 

「……吾郎は、いつも、気遣ってくれるよね」

 

「気遣えてる、のかな……? 毎回、キミに無理させてばっかりだと思うけど……」

 

「変わらないよ。初めての頃から、ずっと」

 

 

 繋いだ手。絡められた指に力が込められる。それは微々たるもののはずなのに、今まで以上に強い結びつきを感じ取ることができた。

 欲しい。欲しい。もっと欲しい――飢えた獣のような衝動が止まらない。優しくしたいのに、大切にしたいのに、それができない自分に苦笑する。

 多分、黎は感じ取ったのだろう。僕がそんな衝動に突き動かされかかっていることを。彼女は鼻にかかるような甘い声を漏らし、蕩けた眼差しを向けた。

 

 ――それだけで、俺の理性は呆気なく瓦解する。ぞくぞくと、背筋を駆け抜ける衝動。

 

 

「……悪ィ。もう、気遣ってやれないかも」

 

「……ん」

 

 

 どうにか謝罪の言葉を述べて、頭を撫でて、乞うように手の甲へ口付ける。黎も微笑み、頷き返してくれた。

 繋いでいない方の手を俺の背中に回し、頬に掠めるキスを1つ。ぶちり、と、何かが切れたような感覚。

 

 後は野となれ山となれ。うわ言のように愛を囁きながら、俺は愛おしい女性(ひと)に溺れていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 幸せそうな黎の寝顔を飽きずに見つめながらも、僕の意識はうとうとと微睡んでいた。あれからまだ、そんなに時間が経過していないのだろう。部屋の中は薄暗い。

 愛おしい少女を腕に抱いて、頭を撫でて、背中を撫でる。黎が小さく身じろぎしたが、目を覚ます気配はなかった。僕もゆっくりと瞼を閉じる。幸せだ、と思った。

 

 そのときふと――何の脈絡もないが――どうしてか、僕は“明智吾郎”が静かなのが気になった。

 

 探してみると、“彼”の姿はあっさり見つかった。獅童の箱舟――防壁によって遮られた機関室で18歳のまま時を止めた“明智吾郎”は、甲冑を模した仮面の隙間からあどけない寝顔を晒していた。口元は幸せそうに緩んでいる。

 “彼”に寄り添いながら、無防備な寝顔を飽きずに見つめていたのは“ジョーカー”だった。灰銀の瞳は“明智吾郎”へ向けた惜しみない愛情と、“明智吾郎”が幸せであってほしいという祈りに満ちていた。

 甲冑仮面とそこから覗く頬を撫でる手つきは優しくて、繊細で、慈しみが込められている。“明智吾郎”が穏やかに眠れることが当たり前であってほしいと、幸せを感じることが当たり前であってほしいと言わんばかりにだ。

 

 

(……大丈夫だよ、“ジョーカー”。キミの想いは、ちゃんと“彼”に伝わってる……)

 

 

 でなければ、“明智吾郎”があんな風に笑うことはない。“彼”の影響を受けている僕が、こんなにも温かな気持ちになるはずもない。

 

 僕は闇の中に溶けてしまいそうになる意識を少しだけ奮い立たせる。瞼を開ければ、柔らかに微笑む黎の寝顔があった。

 それを確認した後、僕は抵抗をやめて瞼を閉じる。僕の意識は、あっという間に心地よい闇の中へと沈んでいった。

 

 

◇◇◇

 

 

 世間は選挙ムード真っ只中。怪盗団が出した予告状――公共放送の電波ジャックに関する話題は()()()()()()()。人間だけの手ではこんなことあり得ない。おそらく、認知を自在に操る『神』と、その化身たるデミウルゴスが手を回した結果だろう。

 これも、奴らの企てに関連する布石に違いない。御影町から八十稲羽に至るまでの経験則から分析できることはそれくらいで、奴ら本人の動きを予想することは不可能だ。一応仲間たちにも伝えておいたが、現時点で取れる有効打は無に等しかった。

 

 総選挙の日取りは着々と近づく。相変らず獅童正義が優勢のままだ。

 

 怪チャンは相変らず罵詈雑言の荒しにあっていたが、三島が対応しているおかげで沈静化しつつある。そんな状態でも、細々と依頼の書き込みが相次いでいた。

 獅童を『改心』させた直後、三島から直接の依頼が入ったことをきっかけに、溜まった依頼をメメントスでこなすことにしたのである。

 

 

『あ、実家からだ』

 

 

 有栖川の本家から荷物が届いたのは、丁度、メメントスに潜ろうとした日のことである。段ボールを開けると、そこには何故か七姉妹学園高校の制服が入っていた。

 しかも、荷物を一瞥したモルガナが目を剥いて『この服からは不思議な力を感じる……! 怪盗衣装と同じようなモノだ!』と叫んだからさあ大変。

 仲間たちを招集して事の次第を説明した結果、『是非とも七姉妹学園高校の制服を着てみよう』という意見に落ち着いてしまったのである。

 

 お披露目会場はメメントス。怪盗服と同じ力を宿した制服は、何故か完全オーダーメイドで全員分用意されていた。しかも、一度身に纏えば、反逆の証として効果を発揮するというとんでもない性能を有して。

 

 有栖川本家は別に、ペルソナや悪魔絡みの事象とは無関係のはずだ。

 それ故に、これが届いた理由がよく分からなかった。閑話休題。

 

 

『これが、黎の通ってた前の学校(トコ)の制服かぁ……。確か、愛称が“セブンス”なんだろ? なんか格好いいな!』

 

『おー。意外とシャレオツだなー』

 

 

 七姉妹学園高校の制服に袖を通したスカルとナビが目を輝かせる。他の面々も興味深そうに着替えていた。

 

 秀尽学園高校はハイネックインナーにブレザー、サスペンダー着用が義務付けられている。洸星高校は白い学ランだ。

 それ故、七姉妹学園高校のブレザーにワイシャツ、男子はネクタイで女子はリボンの組み合わせは新鮮に感じるらしい。

 

 

『なんだか、ジョーカーが前通っていた学校の生徒になった気分!』

 

『それに、みんなと同じ格好ってのがなんだか嬉しいよね』

 

『不思議よね。こういう格好していると、私たち、随分と昔からお互いのことを知っていたような気になるのよ』

 

 

 パンサー、ノワール、クイーンが楽しそうに話してる。ジョーカーも嬉しそうに笑っていた。ジョーカーなんて、冤罪で退学処分を降される以前と同じ格好である。

 にもかかわらず、彼女の格好を新鮮に感じてしまったのは、長らく『秀尽学園高校の制服を身に纏った黎の姿を身近に感じていたため』だろう。

 そんなことを考える僕の背後では、七姉妹学園高校――以前黎が通っていた学校――の制服を目の当たりにした“明智吾郎”がのたうち回りながら転がっていた。何してんだ。

 

 

『ワガハイの服だけおかしいぞ! なんで女装なんだ!?』

 

『あっ。御影町のボッタクリ妖精』

 

『コイツ、珠閒瑠にもいたんだよなぁ……』

 

 

 不満そうに声を上げたのはモナである。彼は嘗て御影町や珠閒瑠市で回復の泉を使ってボッタクリを働いていたピンクの妖精――トリッシュの格好をしていた。勿論、反逆の徒が大人しくボラレるはずがない。ブチ切れた至さんと他の人々によって折檻され、適正価格まで引き下げさせた。半額や無料にしなかったのは慈悲である。

 後に、トリッシュはタルタロスの時計に潜んだり、八十稲羽の神社再興を目指す狐に取引を持ち掛ける形で金を荒稼ぎしようと企んだ。だが、面白いことに、彼女の行く先々には悉く最大の天敵――至さんが現れたのだ。勿論、トリッシュの企みは泡沫の夢と化し、適正価格まで引き下げさせた。

 

 因みに八十稲羽のときは、トリッシュが狐からピンハネした分を払わせ、以後は狐の望む金額設定にさせた。狐は大いに喜び、トリッシュより遥かにマシな価格で治療を引き受けてくれた。閑話休題。

 

 背後で仲間たちがワイワイ盛り上がる中、僕は必死に探していた。僕の採寸ピッタリにオーダーメイドされているはずの、七姉妹学園高校の男性制服を。

 だが、いくらひっくり返しても出てこない。段ボール箱に1着残っているのは、上下水色の学ランのみ。七姉妹学園高校の制服とは全く違うものだった。

 この制服には見覚えがある。栄吉さんと淳さんが通っていた春日山高校の男子制服だ。僕はそれを手に取った後、スカルやフォックスの制服を凝視する。

 

 

『………………』

 

『どうしたクロウ。何があった? ――あ』

 

『えっ? ――あっ……!』

 

 

 僕の眼差しに気づいたフォックスが、バツが悪そうに視線を彷徨わせる。それに気づいたスカルも、漏れなく顔を真っ青にした。

 

 なんで僕だけ制服が違うのだろう。他のみんなはジョーカーが前に通っていた七姉妹学園高校の制服を着ているのに、どうして僕だけ春日山高校の制服なんだろう。

 栄吉さんや淳さんの通っていた学校――不良が多いと有名だった――を誹謗中傷するわけではないのだが、これは完全に仲間外れではないのか。

 

 僕は余程ひどい顔をしていたらしい。ジョーカーが心配そうに『大丈夫?』と声をかけてくれた。何とか取り繕った僕は、春日山高校の制服に袖を通した。完全にぴったりだった。

 黎宛に荷物を送ってきた有栖川の本家を誹謗中傷するつもりは微塵もない。微塵もないが、流石にこれは酷くないだろうか。一線引かれたような心地になるのは何故だろう。

 僕の通う進学校は、ブレザーにワイシャツ、ストライプ柄のネクタイ着用を義務付けられている。僕の学ラン姿が珍しかったのか、ジョーカーはまじまじと僕を見つめていた。

 

 

『七姉妹学園高校と春日山高校って、学校同士の距離が近いんだよね。学区も同じで、基本は中学校から二分化することが多いから、生徒同士の交流だって頻繁に行われてる』

 

 

 何を思ったのか、ジョーカーはそう言って微笑んだ。

 僕の手を取って、恋人繋ぎになるよう手を絡めて。

 

 

『だから、珠閒瑠市では、この服装の学生カップルは珍しくないんだよ』

 

『ジョーカー……』

 

『えへへ。なんか、嬉しいな。――特別、みたいで』

 

 

 照れ臭そうにはにかんだジョーカーが、密やかに耳打ちする。

 

 もうだめだった。色々と込み上げてくる感情に任せて、僕はそのままジョーカーを抱きすくめる。

 ジョーカーも嬉しそうに微笑んで、僕の背中に手を回してくれた。なんだか泣けてきた。

 周囲から色々な叫び声が聞こえてきたけど、なんかもう何もかもがどうでもよくなってくるレベルだった。

 

 その日は1日中この格好で依頼の片付けに勤しんだ。いつも以上に調子がよかったし、メメントスの攻略が楽しくて楽しくて仕方がなかった。ストックしていた依頼もあっという間に片付いたし、折角だからと行ける場所まで行ってみた。

 未だにメメントスのすべてを踏破したわけではないようで、やっぱり最奥にも扉があった。この扉を開くには、まだ何か足りないものがあるらしい。獅童を撃破した後に出て来そうなものは『神』くらいなので、扉の鍵は『神』絡みであることは予想がついた。

 

 

『これはきっと、『神』との決戦が近いってことね。……この先に、どんな理不尽が待ち受けているのかしら』

 

『頭が爆発する系の理不尽、だっけ? でも、負けるつもりは一切ないわ。絶対勝ちましょう』

 

 

 クイーンが渋い顔をして扉を見つめた。ノワールも固く閉ざされた扉を見上げる。他の面々も同じようにして、メメントスの扉を見つめていた。

 この先に何が広がっているのか、未知数だ。獅童のパレスで脱落した“明智吾郎”にとっても同条件らしく、警戒するようにして扉を見上げる。

 扉が開かれるとき、何が待っているのだろう。デミウルゴスと奴の上司たる『神』が待ち構えていることは確定しているが、どんな力を有しているのかまでは分からない。

 

 

『この奥に、獅童智明としてお母さんを殺した犯人――デミウルゴスがいるんだ……!』

 

 

 ナビはギリギリと歯噛みした。彼女の双瞼は、デミウルゴスへの怒りが滲み出ている。

 人間の黒幕である獅童への敵討ちは終わった。次は真の黒幕たる『神』が相手だ。闘志は充分である。

 

 

『鴨志田を『改心』させたときのこと思い出すなぁ。覚悟はしてたつもりだったけど、あの頃はゆかりさんの言葉がこんなに重いものだとは思わなかった。勿論、ここまで来て逃げるなんて真似はしないけど』

 

『ホント、色々あったよな。大変だったけど、スッゲー楽しかった。人生で一番充実してた。……それも、『神』と戦うためなんだよな……!』

 

 

 パンサーとスカルも真顔で頷く。

 

 この2人とモナは、僕と黎を含んだ怪盗団の最古参だ。モナや僕の話を聞いて呆気に取られてばかりいた彼や彼女も、歴代のペルソナ使い同様、いい顔をするようになったと思う。迷って傷ついて躓いて、それでも歩いてきた大切な仲間だった。

 スカルは憧れの大人たちと出会い、彼らから沢山のことを教わったようだ。猪突猛進気味であることは弱点のままだけど、理不尽に憤る気持ちは忘れてない。自分自身の外見や周囲に流され気味だったパンサーも、迷いを振り切って自分の道を歩き始めている。

 

 

『思えば、随分と遠くまで来たものだ。この先には、どんな理不尽と欲望、そして希望が広がっているのだろうな……』

 

 

 フォックスは静かな面持ちで扉を見つめていた。静かに細められた眼差しは、『理不尽に苦しむ人を助けながら、絵の題材を探し求める』と語ったときと変わらない。

 彼ならば、この先に広がる光景を描くことができるだろう。そうしてこれからも、欲望や希望の行く末を描き続けるに違いない。そう信じることができた。

 フォックスが描く絵はいずれ、誰かにとっての救いや希望になる日がやって来るはずだ。嘗てのフォックス自身が、亡き母の残した『サユリ』に救われたときのように。

 

 

『ついに来た、って感じだな。元々ワガハイがジョーカーと取引したのは、“メメントスの奥地に行きたかったから”だ』

 

『自分自身の記憶を取り戻したかったからだよね?』

 

『ああ。……そんなことを忘れちまいそうになるくらい、オマエらと過ごした時間が楽しかったんだ』

 

『モナ……』

 

『クロウの言ってた通りだったな。ワガハイ、“戻ってこない記憶なんざどうでもいい。今まで、こうやって積み重ねてきた記憶があればいい”って……これからもずっと、こんな時間が続いていくんだと信じてたんだ。――信じられるようになってた』

 

 

 モナはそう言って、感慨深そうに苦笑した。彼の目的が何だったのかを忘れてしまうくらい、僕たちもモナと馴染んでいたように思う。

 上から目線だったモナの態度が軟化したのはいつからだろう。ジョーカーの相棒として、怪盗団の一員として、対等な関係になったのは。

 

 でも、モナはそんな自分自身の考えに甘んじることはできない様子だった。眦を釣り上げ、きりりとした面持ちになる。アイスブルーの瞳は、扉から逸らされることはない。

 

 

『この奥に、ワガハイの記憶に関わる何かがある。とても大事なことだったんだ。絶対、思い出さなきゃいけないことなんだ』

 

 

 モナの眼差しが、己の正体が出来損ないの『神』の化身だと知ったときの至さんに重なったのは何故だろう。

 彼の瞳に宿る悲壮感が、モナドマンダラで見送った達哉さんとよく似てると感じたのは何故だろう。

 彼が奮い立たせた決意が、獅童のパレスで炎に飲まれ消えて逝った神取とダブッたように思ったのは何故だろう。

 

 成し得ねばならないことがあるのだと語ったモナが、4月から一緒にいたはずの怪盗団の仲間が、あまりにも遠い。

 

 ざわめく予感の答えを見つけることができないままの僕など、モナはまったく気にしていない様子だった。『それじゃ、そろそろ帰るのか?』と、彼はジョーカーに問いかける。ジョーカーは頷き、ショートカットを使って入り口へ戻って来た。

 次にメメントスへ赴くときは、きっと『神』との決戦のときだろう。そのときには、この奥の扉も開かれているに違いない。僕に対して強い敵意を抱くデミウルゴスの姿がちらつく。決戦の刻が近いことを感じながら、僕たちはメメントスから現実世界へと帰還した。

 

 

『おかえり、吾郎』

 

『……ただいま、黎』

 

 

 怪盗団のリーダーとして捕まり死んだ/御影町で探偵業をしていることになっていた僕は、相変わらずルブランの屋根裏部屋で潜伏生活を送っていた。勿論、学校から出された措置用課題は既に片付けており、テストに備えた勉強もしている。

 僕が通う学校のテスト期間は、いつも秀尽学園高校のテスト期間と被っている。獅童の『改心』が成功し次第、仲間たちでゆっくり勉強会をしようという話も進行中だ。おそらく、勉強をそこそこにしてゆっくり語り合うことになりそうだが。

 因みに――言っていなかったが――、大学受験は法律関係の所を指定校推薦で受験済み。獅童を『改心』した日の3日後に、至さん経由で結果が届いた。勿論文句なしの合格である。合格者用の課題も既に終わっていた。

 

 怪盗団の中で一番最初に進路が決まったということで、ルブランでちょっとしたお祝いをした。それが、総選挙が行われる前日――12月17日のことだった。

 

 料理班はルブランのマスターである佐倉さんと、俺の保護者である至さんだ。

 航さんは食べ専としての参戦である。間違っても航さんを厨房に立たせてはいけない。

 

 

『しかしお前さん、妙に手際がいいねェ。飲食店で店長でもやってたのか?』

 

『高校時代にバイトしてたんです。2年半くらいですね。いつも不在だったり理由付けてとんぼ返りしたりする店長の代わりに、店全体を回してました。1人で全部対応するのが一番大変だったっけ』

 

『……ちょっと待て。お前さん、それは……』

 

『そういや航。南条くんが航に連れられて店に来てから1ヶ月くらいだっけ? その店長クビになって新しい人が来たよな!』

 

『だな。自分の店がどこの会社に属してて、誰が何なのかを知らなかった末路だ。本当に馬鹿な奴だったよな、至』

 

『受験のために辞めたけど、できればもうちょっとだけ、新店長と仕事したかったなー』

 

 

 至さんは能天気に笑いながら、次々と本格的な料理を作り上げていく。航さんは意味深な笑みを浮かべてうんうん頷いた。妙にかみ合わない2人の会話と温度差――特に航さんから薄ら寒いものを感じたのか、佐倉さんは『お、おう』とだけ述べて視線を逸らし、料理に集中していた。

 

 

『じゃあ、みんなは進路をどうするか決めてる?』

 

 

 程なくして料理が出来上がり、談笑しながら食べ進める。

 その際、折角なので、僕はみんなに質問してみた。

 

 モルガナは何か思うところがあるようでしどろもどろだったが、人間の姿になりたいという夢は諦めていないらしい。『八十稲羽のクマみたいな奴が成れたのだから、紳士であるワガハイに成れない訳がない!』という対抗心と謎理論を駆使し、果て無き夢を追い続けるという。……成功したら杏にプロポーズするのだろうか。

 竜司は体育の先生になると言い出した。鷹司くんとのふれあいを得て、『運動が嫌いで辛い思いをしている子どもにも運動の楽しさを知ってもらいたい』と思ったことがきっかけだという。後は鷹司くんが『竜司にいちゃんみたいな先生がいてくれたら、僕は運動嫌いにならなかったはず』と漏らしたことも理由らしい。

 杏はトップモデルを目指すそうだ。栄養や体重管理を徹底し、新しい大仕事のために備えているのだという。最近は記者から取材の申し込みがあったようで、快く引き受けたそうだ。友人である鈴井志帆とも関係は良好であり、彼女は鴨志田の一件から心の傷を癒すセラピストを目指し始めたそうだ。場所は違うが、互いに切磋琢磨しているという。

 祐介は画家一本で生計を立てるため、奨学金で美大に進学するという。今のところ、彼は誰の援助も受けていない。暫くしたら金欠で悩むことになるだろうが、彼の才能を見出した人々が支えてくれることだろう。現に、美術展の会場で出会った画家が『何かあったら頼りなさい』と、祐介を快く送り出していたのだから。

 

 真は警察官のキャリアを目指すという。真田さんからペルソナ関連の部署への推薦もあり、それも受けるつもりのようだ。彼女が目指す大学も法律系で、一般受験で勝負を挑むつもりらしい。『秀尽学園高校(ウチ)の校長が持ちかけてきた推薦の融通を切り捨てたことが、実力勝負である一般受験を決意させたの』とは真の談である。

 双葉は高校に通うことを選んだそうだ。コンピューター、および理数系の高校を受験するつもりらしく、編入試験は1月半ばに行われるそうだ。彼女の頭脳なら簡単に合格できることだろう。下手すれば、試験問題に対してダメ出ししてしまう危険性もあった。学校の制服について語る彼女からは、元・引きこもりだとは思えない。

 春はコーヒーショップを経営するための勉強を始めた。婚約者の千秋も応援してくれており、彼も春のサポートをするため、野菜作りや経営に関する勉強に打ち込んでいるという。他にも、完二さんに小物の作り方を教えてもらっているようだ。現在はコーヒー染めに挑戦中で、近々試作品が出来上がる予定とのこと。みんなに配ると語っていた。

 

 一通り語り終えた仲間たちは、じっと黎を見つめる。

 黎は以前と変わらず、弁護士を目指すと宣言した。

 

 

『目標は“吾郎を私のパラリーガルとして迎える”ことだね』

 

 

 それを聞いて、真っ先に解脱したのは佐倉さんと真だった。元官僚の佐倉さんと法律系大学へ進学希望の真は、怪盗団の中でいち早く“パラリーガルが弁護士秘書の上位互換である”ことを看破したらしい。『ああ……そう……』とだけ言って天を仰ぐ。

 パラリーガルという聞き覚えのない単語に首を傾げた仲間たちも、真からの注釈を聞いた途端、大半が一瞬で解脱してしまった。不思議なことに、祐介や春、空本兄弟以外が力なく笑っている。一体どうしたのだろう?

 祐介は手で枠を作り、春はうっとりと目を細め、至さんは『だよなあ。そうなるよなあ』と納得したように頷き、航さんは『いい夢じゃないか。ところでどうしてみんな、そんなに疲れ切った顔をするんだ?』と首を傾げた。

 

 

『支え合うって素敵よね』

 

『そりゃあ、人生の伴侶(パートナー)だからね』

 

『わかる』

 

 

 春と僕たちは通じ合い、満面の笑みを浮かべて頷き合った。

 他の面々は生温かい目をして僕たちを見つめていた。

 

 

『それにしても、怪盗団で色々学んだっつーのに、まだまだ勉強しなきゃいけないことってあるんだよなぁ……。受験とか、大学とか、試験とか、いつまで勉強し続けなきゃいけねーんだろ』

 

 

 この空気を変えようとしたのか、竜司が飲み物を煽りながら零した。体育教師になるという夢を抱いた彼だからこそ、新たな課題にぶち当たっているようだ。

 

 教師になるには大学を出るのが必須だ。そうなれば、まずは大学を受験して受かるレベルの学力や成績が必要となる。入学後は体育の実技や体の仕組みに関する知識を学び、大学のカリキュラムをこなすレベルの学力、成績、自己管理能力も求められる。

 いくら実技系である体育教師とは言えど、実技の成績だけがよければいいわけじゃない。体に関する知識や、教師としての一般常識だって必要だ。特に、自分より弱い存在――赴任してきた直後や職歴の浅い教師、生徒たち――を食い物にするだなんて言語道断である。

 経歴と外面、および学校の隠蔽体質を利用して好き放題していた悪い教師の一例――鴨志田卓を知っているからこそ、坂本竜司は『勉学を疎かにする』という選択肢が存在しないのだ。奥村社長のパレスにあったアームの選択肢に、休憩や減速が存在していないのと同じように。

 

 

『お前さんの言うとおり、かけがえのない体験というのも大事だ。だが、それと同じくらい一般常識も重要だぞ。常識のない大人たちのタチの悪さ、お前たちが一番知ってるだろ?』

 

 

 佐倉さんもうんうん頷く。彼の言葉は、僕たちにとっては非常に重い。鴨志田、班目、金城、奥村社長、(精神暴走を施されていたと言えども)冴さん、獅童――。

 今まで『改心』させてきた獲物たちの姿が、脳裏に浮かんでは消えていく。誰も彼も、人としての良識や一般常識と引き換えに才能を得たような人物たちだった。

 

 

『そのうち高校卒業して社会人になって、更に結婚なんてことになったら、尚更求められるのは常識だからな』

 

『結婚か……。随分先のことだと思っていたから考えたこともなかったが、考えていそうな人物に心当たりはあるな』

 

 

 佐倉さんの言葉を聞いた祐介が、僕と黎に視線を向けた。最も、祐介はすぐに『俺は明日の飲み食いをどうするかを考えるので手一杯だが』と付け加える。

 暗い表情を鑑みるに、彼の財布事情は――顔を合わせると毎度のことだが――あまりよろしくないらしい。しかも、割と切羽詰っている様子だ。

 仲間たちは祐介の言葉に苦笑していたが、みんな、示し合わせたようにして僕と黎に視線を投げてよこす。まるで、答えが分かり切っていても聞きたいと言わんばかりに。

 

 僕は思わず黎を見つめる。黎も僕を見返した。

 

 髪の毛を耳にかけるような動作をした彼女は、顔を真っ赤にして俯いてしまう。

 それにつられて、僕も顔を真っ赤にして視線を逸らした。……なんだろう、どうしてか直視できない。

 

 照れ臭そうにする僕らを見つめて、みんなはニコニコと笑っていた。微笑ましそうに、愛おしそうに笑っていた。その眼差しの温かさを、きっと僕は忘れることはできないだろう。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――そうして迎えた12月18日。総選挙の日だ。

 

 僕らや航さんが予想した通り、獅童の『改心』はこの日まで発生しなかった。選挙前に『改心』が発生すれば楽だったのだが、起きると確定していてくれる方がまだ優しい。これが発生しなければ、怪盗団は獅童によって制裁を受けるだろう。おそらく、確実に命まで持っていかれる。

 選挙の予想は文字通りの一強。獅童率いる新党がぶっちぎりである。勿論、獅童正義の当選は確実だった。但し、僕らが獅童を『改心』させた日から、獅童は遊説を一切行っていない。『改心』による何らかの影響が発生しており、獅童の部下たちが隠蔽工作に走り回っているのは確かだ。

 冴さんの情報曰く、上司である特捜部長も挙動不審になっているらしい。随分と落ち込んだ様子だったという。特捜部長の方は“獅童智明がまだ動き出す前だったのと、智明がデミウルゴスとしての役目にシフトした”おかげで、事故等に巻き込まれずに済んでいた。ラッキーである。

 

 

「開票が行われるのは夜だよね。当然、当選したときの記者会見が行われるのも」

 

「『改心』が行われるとするなら、そのときだよな」

 

 

 ストーブに当たりながら、僕と黎は顔を見合わせた。暖を取っていたモルガナも頷き返す。

 

 

「今回、フタバのときとは違う方面でのイレギュラーが発生してる。自殺を企ててパレスを崩すとは恐れ入ったぜ。……だが、ワガハイたちはきちんと『オタカラ』を手に入れたからな。『改心』が起きるのは確実のハズだ」

 

 

 モルガナは力強く笑って見せた。今までの経験からして、『オタカラ』を奪って現実世界へ持ってきてしまえば、確実に『改心』が発生することは分かり切っている。

 獅童の敗因は、ギリギリまで自分が勝つと慢心していたからだ。僕たち怪盗団がフタバ砲を放った直後に仮死状態になっていれば、奴の勝ちは確定していただろう。

 

 パレスに侵入できなければ『改心』は行えない。奴が予告状直後に自殺を企てたとしたら、生還してパレスが再建される頃にはもう、予告状の効力はなくなってしまっていただろう。予告状は出してすぐ――1~2日前後――に動かなければ、効力を失ってしまうためだ。

 

 奴は自分が一時的に死ぬ恐怖よりも、僕たち怪盗団を殺せる手段に賭けた。僕たちがあの箱舟から脱出できたのは神取の協力があったからだが、“明智吾郎”は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と語っていた。()()()()()()()()()()()()とも。

 冴さんのパレスでも、“彼”は同じことを思っていたらしい。“明智吾郎”は“自分”が気に入られるためのパフォーマンスは行ったけれど、“ジョーカー”本人の運に任せる部分は一切手出しをしていなかった。5千枚のコインを5万枚にしたあの光景は、文字通り“ジョーカー”の実力だ。

 

 僕がそんなことを考えていたとき、スマホのSNSにメッセージが入った。送り主は空本兄弟である。

 

 

至:19日の夜には部屋に入れる状況になるって。

 

航:汚れた家具類の廃棄も終わり、新しい家具と総入れ替えしたそうだ。

 

至:大半は黒服たちに引き取らせたがな!

 

吾郎:……まあ、他人のアレで汚れた家具なんざ、使いたくはねぇな。

 

至:奴らが使い切ったものの補充も済んだし、厄落としがてら神社の神主さんにお清めしてもらったから大丈夫! ……のはず。

 

吾郎:あれ? 宗教はあまり信じないんじゃなかったの?

 

至:当てにしてるのは神主さん個人の浄化パワーなんでノーカン。

 

航:効果あるのか? それ。

 

 

航:しかし、マリンカリンであんな惨状になるとは……。

 

吾郎:混乱と忘却で止めてればよかったと思う。もしくは睡眠。

 

至:一般人に魅了使ってロクなことになった試しないよな。

 

吾郎:一番マシだったのってどれだろ?

 

至:……戦闘不能?

 

吾郎:それこそ問題じゃないの!?

 

 

吾郎:今のところ、獅童が『改心』する気配はないな。

 

航:やはり、記者会見が行われないと始まらないのか……? 今まで発生した『改心』は、人前で何かを発表するタイミングだったからな。

 

至:今日1日どうするんだ?

 

吾郎:ルブランで大人しく潜伏してる。黎も一緒だから、きっと大丈夫。

 

至:了解。無理するなよ。お嬢によろしく。

 

航:了解。お嬢によろしく。無理するなよ。

 

 

 保護者からのSNSはここで途切れた。

 出来ることはすべてやったので、あとは待つのみである。

 

 読書をしたり、黎と一緒にゲームをしたり、黎と一緒にDVDを見たり、ルブランのカレーやコーヒーをご馳走になったりして時間を潰す。今日は華の日曜日なので、丸一日黎と一緒に過ごしていた。

 お部屋デートに少々浮つきながらも、選挙の結果――敵の動きが気になるのは怪盗団としての性だ。それは黎も同じようで、時折ニュースやラジオに耳を傾ける。相変わらず、ニュースは『獅童の当選確実』を伝えていた。

 時間の流れが非常に緩やかに感じる。外がようやく暗くなり、夕飯として黎の手料理に舌鼓を打っていたときだった。選挙結果の速報が流れ始める。僕と黎は夕飯を食べる手を止めて、テレビの動向に注視した。

 

 果たして僕たちの予想通り、獅童正義が2位以下と圧倒的な差で当選した。奴のシンパたちが万歳三唱する。久しぶりに見た獅童は、相変わらず威風堂々とした佇まいだった。

 

 

(……『改心』、成功したんだよな? 全然変わったようには見えないぞ……?)

 

『今回の当選は、国民の皆様のお力添えの賜物と、身に染みる思いでございます!』

 

 

 テレビで会見を行う獅童は、東京中で遊説を行っていたときと全く変わっていなかった。俺以上に面の皮が厚い獅童の顔は、名は体を表すと言わんばかりの有様である。

 正義に燃える政治家の仮面を被った男は、自信満々な様を崩さない。僕が眉間の眉をひそめたのと、獅童の表情が曇ったのはほぼ同時であった。

 

 

『……それだけに……』

 

「?」

 

『それだけに私は、自分が許せないのです!』

 

 

 その言葉を皮切りに、獅童正義は声を震わせて男泣きし始めた。

 

 シンパも講演会も報道陣も呆気にとられる中、獅童は泣きながら己の罪を告白する。『奥村氏を葬ろうとしたのも、『廃人化』や精神暴走事件を引き起こしたのも、私がやったことなのです』――彼の姿を、僕はじっと見つめていた。おそらくは、“明智吾郎”も。

 獅童の罪は、本人の口から次々と明かされた。怪盗団に罪を着せるために情報操作を行ったのも、自分を裏切って警察に自首しようとした秀尽学園高校の校長を殺すためだけにバスジャック事故を起こしたのも、つい最近は特捜部長を始めとした面々を殺そうと計画していたことも、一色若葉という研究者から研究成果と命を奪ったことも。

 慌てた部下たちが獅童を止めようとしたが、獅童は彼らを振り払って言葉を続けた。『すべては出世のため、私利私欲のために様々なものを踏みにじって来た』のだと彼は語る。国家という船を我が物にしようとする野心のために、人の命すら踏み躙ってきたのだと。

 

 脳裏に浮かんだのは、崩壊した獅童のパレス。爆炎に飲まれて沈んだ箱舟。獅童正義という名の箱舟は、今この瞬間、数多の配下たちと共に沈み始めたのだ。

 こんな衝撃告白をやってのけたのだから、獅童の政治生命は絶たれただろう。国民の信頼を裏切った稀代の政治家として、第2の須藤竜蔵として語り継がれるに違いない。

 

 

『それだけではありません。私は未来ある若者に冤罪を着せました。私の間違いを正そうとした少女に対して腹を立て、無理矢理組み敷こうとしました。それが出来ないとなった途端、権力に物言わせ、少女の未来を滅茶苦茶にしたのです!』

 

「――!」

 

 

 さめざめと泣き晴らした獅童が、黎のことを話し出した。まさか自分の話題が出てくると思わなかったのか、黎が目を丸くする。

 

 事のあらましはこうだ。御影町で行われた会合に出席した獅童は、そこで大量の酒を飲んでいた。宿泊施設に戻る直前、奴は見知った女を見つけて手籠めにしようとしたという。だが、そこに偶然黎――名前は出さず、少女で統一されていたが――が通りかかり、それを咎めた。

 その少女の見目が麗しかったので、獅童はそちらにターゲットを変えて手籠めにしようとしたが失敗。酔っぱらっていたため、自爆して転んだのだ。その際、自分を見た黎の様子に腹を立て、傷害事件をでっちあげた。……奴の話は、黎の証言と全く同じだ。この映像も立派な証拠になるだろう。

 

 『その証拠も保管してあります』と獅童は言い、更に声を張り上げる。

 

 

『私には息子がいます。愛人との間に設けた子どもでしたが、政治的スキャンダルを恐れた私は彼を認知しなかった。母親である愛人ごと息子を捨てたのです』

 

―― ……!! ――

 

『息子がどこにいようと、何をしていようと無関心を貫きました。あまつさえ、どこかで野垂れ死んでいればいいとさえ考えていた……!』

 

 

 “明智吾郎”が息を飲む。まさか、『改心』による告白が()()()に飛び火するとは思わなかったのだろう。

 報道陣が騒めき始めた。“獅童正義に愛人がいて、認知していない息子がいた”――これだけでも充分なスクープだ。

 

 

『運命の巡り合わせというものは不思議なものです。……息子は、私が冤罪を着せた少女と懇意にしていました。将来を誓い合い、いずれは結婚するであろう仲でした。少女が冤罪を着せされても、その関係は変わっていません。今でも息子と少女は懇意のまま、私の暴挙によって齎された理不尽にも負けず、将来を誓い合っています』

 

 

 獅童の熱弁はヒートアップする。止めようとしたシンパが転び、頭をぶつけて目を回してしまった。

 最早、自壊していく獅童正義――箱舟を止めることは不可能。燃え盛る船の末路は、沈没だ。

 主を失い崩れていくパレス、爆発しながら沈んでいく箱舟。あれと全く同じ光景が広がっている。

 

 

『息子は私に会いに来ました。私によって少女につけられた前科者という汚名を雪ぐためです。私は息子の存在に気づいていました。ですが私は、息子を邪魔者だと判断した。彼の母親と同じように切り捨ててやろうと考えました。私の過去を知る息子を、亡き者にしようと企てたのです! ――父親としても、政治家としても失格だ!!』

 

―― ……無様だな。本当に、無様だ……! ……っはは。ざまあみろ……!! ――

 

 

 “明智吾郎”は笑っていた。仮面から覗く目元を手で押さえて、断末魔みたいなかすれた声で、獅童正義の破滅を嗤っていた。

 泣きたいのか笑いたいのか、どうしたいのか分からない様子だ。“明智吾郎”本人がどうなのかは知らないのだから、僕が分かるわけがない。

 僕と、僕の母と、黎の話をし終えた獅童が『申し訳なかった!』と叫んで土下座する。そうして、奴は『自分は破滅する身だから何も言わない』と宣言した。

 

 『それが、人間失格である私ができる、父親として唯一のことなんです』――男泣きしながら叫んだ獅童を、僕は冷ややかな目で見つめていた。

 

 母と僕を捨て、自分の手を汚すことなく人々を殺し、黎に冤罪を着せ、怪盗団に『廃人化』と精神暴走の罪を着せて破滅させようとして、僕を殺そうと企てた悪魔のような男。擁護不能、超弩級のド外道だ。――そんな男はもう、どこにもいない。

 テレビに映し出された獅童正義は、おいおい泣きながら己の罪を告白し続ける。奴の懐に飛び込んだときは、奴がこんな無様な顔を晒して泣き叫ぶとは思えなかった。目的は達したはずなのに、達成感も充実感もない。得体の知れぬ虚無感だけが広がった。

 

 

(……これで、終わったんだ……)

 

 

 呆けたようにテレビを見つめながら、僕はぼんやりと、獅童正義の記者会見を見守る。

 

 獅童が警察へ向かおうとするのを、シンパの連中が抑えつける。獅童が子飼いにしていた医者が『獅童先生は心神耗弱で』等と叫んでいたが、獅童本人から『馬鹿にするな! 私は正常だ!!』と一喝されていた。『改心』する前の獅童の言伝通りにしようとした医者にとって、これ程理不尽な仕打ちはあるまい。

 他の議員も同じようにして獅童の会見を終わらせようとしたが、会見を邪魔された獅童は怒り狂ってシンパたちの罪まで暴露し始めた。泣きながら怒り、シンパの罪を次々と明かしていく獅童の姿はどこか滑稽だ。奇妙な二律背反が滲むのは、僕も同じようなものを抱えていたからだろうか。

 

 名指しされた連中は顔を真っ青にしながら首を振った。彼らが獅童を庇うのは、一蓮托生で破滅したくないからだろう。

 本心から獅童を心配する者はいない。元々利権が絡んだ関係なのだから、利権がなくなれば縁が切れるのは当然のことである。

 獅童の会見を必死になって妨害する連中は、沈む箱舟からどうやって脱出しようかと必死になっていた認知存在たちと変わらない。

 

 汚い大人たちだ。明智吾郎が目の当たりにし、運よく離れることができた奴ら/“明智吾郎”が目の当たりにし、利用するために近づいた奴ら。それらが纏めて破滅していく。

 楽しくも何ともないのに、()()()の口元は歪んだ弧を描いている。引きつった口の端から声が漏れた。笑い声なのか泣き声なのか、己ですら判断できずにいる。

 

 

「…………え?」

 

 

 ぽつぽつと雫が落ちて、僕の服を濡らした。頬を伝うこれは、一体何なのだろう。

 嬉しいかと聞かれても答えられない。ましてや悲しくもないのに、視界がジワリと滲んだ。

 自分自身が分からない。僕は一体どうなったのか。何を思ってこうしているのか。

 

 

「吾郎」

 

 

 彼女に名前を呼ばれてたことに気づく。いつの間にか、獅童の会見は終わっていた。夜のニュース番組は獅童の会見を一斉放送し、大騒ぎとなっている。

 

 だが、獅童以外にも続々とニュース速報が入ってくる。獅童の関連者が次々と自首し、『自分たちも『廃人化』事件に関わっていた』と証言しているそうだ。名前が挙がった人物の中には、政治家の大江、旧華族の名士、TV社長、IT社長、トラブル処理役のヤクザ、検察庁の特捜部長もあった。

 ダメ押しとばかりに自首した連中たちによって、獅童の悪行っぷりが明かされたのだ。捜査が始まれば、彼らの結びつき諸共白日に晒され、漏れなく全員が罪に問われることになるだろう。今年の4月頃はこの日を目指して頑張っていたのに、感慨深い気持ちにすらなれない。糸の切れた人形のような心地になる。

 

 

「吾郎」

 

 

 気づいたら、テレビ画面が消えていた。ストーブの上に置かれたヤカンがしゅんしゅんと音を立てている。

 食べかけだったはずの夕食の皿は、僕の分も黎の分もピカピカになっていた。

 

 黎は静かに微笑みながら、そこに存在しているだけの置物と化した僕を抱きしめてくれた。

 

 

「終わったんだよ。獅童との戦いは、全部終わったんだ」

 

「…………」

 

「お疲れさま。……本当にありがとう、吾郎」

 

「――…………ッ!!」

 

 

 何かを伝えるために口を開いたのに、何かを言いたくて声を出した筈なのに、それは意味ある言葉にならなかった。

 獣が高らかに咆哮するが如く、鋭く獰猛な叫びだけが空気を震わす。縋りつくように手を伸ばし、半ば強引に、黎の身体を掻き抱いた。

 お気に入りの服を涙と鼻水塗れにされているというのに、黎はそんなこと気にすることなく、根気強く俺をあやし続けた。落ち着くまで待ってくれた。

 

 昂っていた感情がようやく落ち着いてきた頃、やっと俺は黎に言いたかった言葉を見つけた。途中でつっかえながらも、声を震わせながら言葉を紡ぐ。

 

 

「……俺……俺は……っ、お前、……お前のこと……ッ、助け……――っ?」

 

「うん。助けてもらった」

 

「ほ、……本当、……ホントの、意味で……力に……――?」

 

「うん。吾郎のおかげ。吾郎が頑張ってくれたおかげだよ。キミがいてくれて、本当に良かった」

 

 

 ――その言葉が聞きたかった。他の誰でもないキミの口から。

 

 ――それを、生きて成し遂げたかった。キミの隣にいるために。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 どこかの“明智吾郎”が願い、飛ばした蝶の群れがいた。どこかの“ジョーカー”が祈り、飛ばした蝶の群れがいた。数多の蝶、バタフライエフェクト。その瞬きが、この可能性へと集束した。俺たちが生きる世界におけるただ1つの未来となって、これからも続いていくだろう。

 最後に待ち構える『神』を、打ち倒した先にある未来を夢想する。この戦いの先にある、仲間たちや愛する人の笑顔を思い浮かべる。積み重ねてきたかけがえのない日々を、鮮やかな色彩を思い浮かべる。これからも煌めく世界を思い描く。そこは光に満ち溢れていた。

 

 ()()()()()()――俺は唐突に実感した。“明智吾郎”も同じらしい。()()()()()()()()()()()()()()()()という事実を、すとんと受け入れることができた。

 俺が憎んだ男は消えた。残されたのは、俺が恨み、捕らわれる価値など存在しない哀れな男。俺と正反対の道を行き、すべてをなくしたちっぽけな姿だった。

 

 もう二度と、俺は獅童正義の影に飲まれることはないのだろう。万が一脅かされても、道を踏み外しそうになっても、支えてくれる人たちがいる。

 

 ……ああ。

 それはなんて、幸福な――。

 

 

「――生きていてくれて、よかった……!」

 

「う、うう、――うあああああああぁぁ……っ!!」

 

 

 この先に試練が待っていることは、知っている。超弩級の理不尽が手ぐすね引いて、俺に殺意を向けていることも知っている。

 それでも今は、俺の中に絡みついていた因縁が断ち切られたことを――愛する人と共に生きる未来を得たことを、噛みしめていたい。

 数多の“明智吾郎”と“ジョーカー”の願いが叶えられたことを、“彼”や“彼女”たちの分まで、喜びたかった。

 

 それからどれだけ泣き続けたのだろう。無様な格好を晒してしまった。俺が大人しくなったのを確認した黎は、ホットココアを淹れてくれた。ほのかに甘い香りが漂い、激しく渦巻いていた俺の心を落ち着かせてくれる。

 

 

「……なんか、ごめん」

 

「いいよ。大丈夫」

 

「まったく、仕方のない奴だなあゴローは。……ま、ワガハイも気持ちは分かるが――って、熱ぅッ!?」

 

 

 ココアを啜りながら苦笑した俺に対し、黎は柔らかに微笑んで寄り添ってくれた。俺たちから存在を忘れられかけていたモルガナも、満足げに頷きながらホットミルクを舐めて悲鳴を上げていた。猫舌でも寒いのは嫌だと我儘を言った結果だった。

 丁度そのタイミングでカウベルが鳴り響く。階下がカヤカヤ賑わったと思った途端、階段を駆け上る足音が響き渡った。何事かと振り返れば、肩で息を切らせた至さんが屋根裏部屋に足を踏み入れたところだった。

 

 

「お嬢、吾郎!」

 

 

 彼は荒い息を繰り返した後、寄り添いあう俺たちの姿を見て破顔する。

 

 

「――……よく頑張ったな」

 

「――うん」

 

 

 俺たちも、同じようにして笑い返した。

 

 




魔改造明智による獅童パレス攻略、完結です。獅童の『改心』を待っている間に、メメントスに潜って依頼をするついでに七姉妹学園高校の制服を着て同じ学校の生徒ごっこに興じてみたり、進路のことについて語り合ったりして盛り上がった模様。そうして獅童が『改心』し、魔改造明智の初志/“明智吾郎”の願いと祈りに区切りがつきました。
黎が以前通っていた学校とDLCの七姉妹学園高校制服ネタを盛り込めたのと、獅童の『改心』でごちゃごちゃになった自分の心理を本当の意味で整理し終えた魔改造明智の姿を書くことができて非常に満足しています。獅童との因縁に決着がついたおかげで、魔改造明智が更に活き活きとし始めた模様。この調子で、次の標的は打倒『神』!!
次回より、P5ラスボスである統制神との最終決戦が始まります。自分が思った以上に、全章が纏まっていることに驚きを隠しきれません。最終章もこの調子でサクサク纏められるようにする所存です。ダイジェスト方式は非常に書きやすいことに気づきつつあります。最も、この形式は1点特化で、複数の主人公がいる群像劇系列に運用するのは難しそうですが。
魔改造明智と怪盗団の旅路だけでなく、原作にはいなかったデミウルゴスの存在や、魔改造明智の保護者である空本至の辿る結末も見守って頂ければ幸いですね。

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