Life Will Change   作:白鷺 葵

17 / 57
【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・一色若葉の死の真相を筆頭としたオリジナル展開がある。
・至の使用ペルソナ=オリジナルペルソナが出てくる。詳しくは中で。


“ノモラカタノママ”は素敵な呪文

 頭が痛い。頭が痛い。頭が痛い。

 

 

“貴女が邪魔したせいで、私の研究はダメになってしまった!”

 

“あんたさえいなければ!!”

 

 

 いつもの佐倉双葉であったら、頭を押さえて呻いていたかもしれない。身体を丸めて、母の幻影から紡がれる罵詈雑言に怯え続けたのかもしれない。双葉は大きく息を吐きながら、先程、部屋に入って来た怪盗団の一味から受け取った予告状を見直した。

 怪盗団に『心を盗んでほしい』と依頼したのは、“このまま引きこもっていてはいけない”と――“このまま死ぬのは嫌だ”と、心のどこかで思っていたためだ。立ち上がりたいと思ったから、双葉は怪盗団に賭けたのである。

 彼らが齎してくれた情報のおかげで、双葉は若葉の死と向き合うきっかけを得た。インターネットのチャットで知り合った友達との会話で、母と過ごした日々を思い出しつつある。体は怠くて呼吸は荒いけど、双葉は顔を上げた。

 

 思い出せ、思い出せ――双葉は自分自身に問いかける。母はどんな顔をしていた? 母はあのとき何を言った?

 双葉を邪魔する母の声に身を竦ませながらも、過去の日々を思い浮かべる。忙しい母と、我儘な子どもだった双葉が暮らした時間を。

 

 

「うぉう!?」

 

「ひぃっ!?」

 

 

 双葉がキーボードに手を伸ばしたときだった。背後から突然、ドスンと何かが落ちる音が響いた。間髪入れず、男性の呻き声が聞こえたのである。何事かと振り返れば、白衣を身に纏った男性が、双葉のベッドからひっくり返るように転がり落ちていたところだった。

 ひっくり返った男性と双葉の目線が合う。双葉は悲鳴を上げて押し入れの中に立てこもった。他人と顔を見合わせるなんて何年ぶりだろう。しかも20代後半から30代前半くらいのイケメンだ。三次元のイケメンを真正面から見つめるメンタルなど双葉は持ち合わせていない。

 

 闇の中でかすかに響く衣擦れの音。

 

 

「……ピラミッドの次は、誰かの部屋、か? 夢の中を探索するなんて、麻希のとき以来だぞ」

 

 

 この低い声は、先程目の当たりにしたイケメンの声だろう。

 

 

「……しかし暗いな」

 

 

 男性はそれだけ呟くと、どこかへ向かって足を進める。間髪入れず、押し入れの向こう側から電気の光が入り込んできた。勝手に電気をつけたらしい。

 乙女の部屋に入って好き勝手するとはなんて奴だ。双葉は憤慨し、侵入者を咎めようと声を出す。――噛みすぎてまともに発音できなかった。

 「おおお、乙女のへへへ、っやを、好き勝手するたァ、なにごとだッ!?」――佐倉惣治郎以外の成人男性と話したことなんてないのだから仕方がない。

 

 珍妙な侵入者は押入れに双葉がいることに気づいたようだ。一歩、一歩と押し入れに歩み寄って来る。彼の気配は扉の前でぴたりと止まった。――長い、沈黙。

 

 次の瞬間、何のためらいもなく押入れのふすまが()()()

 もう一度言う。()()()のだ。開いたのではない。()()()のだ。綺麗に。

 

 

「よいしょお!」

 

「うわああああああああああああああああッ!?」

 

 

 イケメンは何のためらいもなく、押し入れのふすまを外してベッド近辺に立てかけた。双葉の聖域にして鉄壁の盾を、とんでもない力技で開け放ったのである。双葉が呆気に取られている間にも、イケメンはもう片方のふすまを外した。それもベッド近辺に立てかける。

 

 双葉を守るものは何もない。隠れられる場所がないのだ。反射で被り物を抱えた双葉を、白衣を着て右耳にピアスをしたイケメンは仁王立ちで見下ろす。あまりの威圧感に、双葉は身を丸くした。()()()()()()()()()()()――もう1人の自分も顔を顰めて首を振る。不思議系イケメンはずっとこちらガン見していて、双葉は猫に睨まれた鼠のように体を震わせることしかできなかった。

 そういえば、「引きこもりやニートを更生させる」と謳う厚生施設では、嫌がる該当者を勝手に拉致して暴力を振るったり、家族にとんでもない額を請求する事例が流行っているという。被害者の話を聞く限り、明らかに拉致監禁と暴行罪にクリティカルヒットだ。契約料金もべらぼうに高い。だが、施設の運営者が元警察関係者等で社会的身分が高いため、刑事訴訟に持ち込まずに済む手段も熟知しているし、被害者家族は騙されやすいという。閑話休題。

 

 

「……もしかして、女王の双葉ちゃんが言ってた“現実の私”って、キミのことか?」

 

「――へ?」

 

 

 “もうひとりの双葉”――怪盗団の面々が言っていた、認知の世界のに存在する“もうひとりの佐倉双葉”のことだろう。

 このイケメンも怪盗団の面々と同じように認知世界へ赴き、“もうひとりの双葉”から何かを言われたのだ。

 自分の心に存在する“もうひとりの双葉”からの伝言を伝えに来たのかもしれない。双葉は恐る恐るイケメンに視線を向け、こっくりと頷いた。

 

 途端に、イケメンの仏頂面が緩んだ。彼は泣き笑いに近しい顔をして、「そうか」と呟く。

 イケメンは懐から一通の封筒を取り出した。『双葉へ』――そう書かれた文字は、母の筆跡と同じもの。

 

 

「この字、おかあさんの……! ってことは、オジサンは……」

 

「すまない。これを届けるのに、随分時間がかかってしまった」

 

 

 申し訳なさそうにイケメンは頭を下げる。綺麗な90度、最上級の謝罪の意を示す動作だ。

 双葉はブンブン首を振った後、母が最期に残した手紙の封を切った。

 

 黒服の男に遺書を読み上げられたときの光景が、双葉の脳裏にフラッシュバックする。読み上げられたのは、母が双葉に対して抱いていた不平不満。

 それが偽物だと分かっていても、不安になるのだ。もし、この手紙にも同じ内容が書かれていたら――なんて、考えるだけでゾッとする。双葉は恐る恐る手紙に目を通した。

 

 

「“この手紙が貴女に届くとき、私はもうこの世にいないでしょう”……」

 

 

 自分の死を予期する冒頭から、母のメッセージは始まった。

 

 双葉の母は“自分の研究を悪用し、犯罪に使おうとしている連中”に気づいていたという。奴らからは何度も接触があった。協力すればその見返りに莫大な金を出すと、断れば認知訶学という研究分野そのものを闇に葬り去ると――娘である双葉の命を亡き者にするとまで脅されたのだ。

 母は悩みながら奴らと交渉したのだろう。……いや、獅童が提示した条件は交渉と言えるようなものではない。双葉の母にとっては“百害あって一利なし”としか思えない条件だった。そのうち、要求はどんどん悪化し、最終的には双葉の命と認知訶学の研究研究成果という二択を迫られたのだという。

 一色若葉が最期に選んだのは、人生を賭けて心血注いだ認知訶学研究ではなく、最愛の娘である一色双葉の命と未来だった。『認知科学研究を完成させた暁には、成果を獅童に献上する。その代わりに、娘の双葉を助けてほしい』――母は獅童に頼んだ。獅童はそれを了承したという。

 

 母がこの手紙を書いている時点で、“研究は完成。獅童に認知訶学研究の資料を引き渡した。抵抗として資料の一部を抜き取ったが、効果は薄いだろう”と書かれていた。

 不本意な形で研究成果を葬られてしまった母だけれど、“貴女が生きていてくれるだけで充分だ”と、“私の一番の宝物は双葉”と、自分の想いを綴っていた。

 

 

「“でも、お母さんは嫌な予感が拭えなかった。研究成果を献上しただけで、獅童が私を見逃してくれるとは思えない。きっと、何らかの手段で私の口を封じようとするでしょう”……。“だから、私は筆を執りました。双葉に本当のことを伝えるために”」

 

 

 この手紙は、母が亡くなる直前に書かれたものだ。いずれ葬り去られて死にゆく自分が、双葉のために遺そうと必死になった最期の言葉。

 黒服の連中が造り上げた謂れなき中傷ではなく、愛する母が命を燃やしながら紡いだ言葉だ。どこまでも優しくて、温かな祈り。

 

 

「……“『“ノモラカタノママ”は素敵な呪文』――以前、お母さんが勤めていたセベクという企業で出会った元・上司がこんな話をしていました。この言葉を逆から読むと『ママの宝物』になるんだそうです。キーワードに使うには些か安直すぎる気がしましたが、今ならそう設定した彼女の気持ちが痛い程よく分かります”」

 

 

 双葉の頭の中で、何かが繋がった。

 

 “ノモラカタノママ”――そういえば、“MAIAKI”も、以前チャットで似たようなことを言ってはいなかったか。

 何かの呪文かと問うた双葉に対し、“MAIAKI”は『母と私の絆である“素敵な呪文”』だと語っていた気がする。

 

 

「“こんな状況になるまで貴女を選ぶことができなかった、ダメなお母さんを許してください。そうして、『貴女と遊びに行く』という約束までもを破ってしまうこと、許してください。……本当は、もっともっと、ずっと貴女と一緒にいたかった”」

 

 

 中学校を卒業する双葉が見たかった。高校生になった双葉が見たかった。大学生になった双葉が見たかった。双葉の成人式を祝ってあげたかった。一緒にお酒を飲みたかった。恋の話や研究の話をしたかった。双葉が将来どんな分野に進むのかを見たかった。双葉の彼氏にも挨拶したかった。双葉の結婚式が見たかった。孫が生まれる姿を見たかった。孫にプレゼントを送ってあげたかった――母がしたかったことすべてが、母が夢見た未来が、獅童正義によって無残にも踏みにじられた明日が記されていた。

 

 

「“双葉、お母さんは貴女を愛しています。貴女は私の”……ッ、“お母さんの、一番のタカラモノです”……!」

 

 

 母が遺した手紙を読み終えた双葉の涙腺は決壊した。自分は母から嫌われていたのではない。母は、双葉のことを大事にしてくれたのだ。

 刹那、双葉はハッキリと思い出す。母が亡くなる前にした最期の大喧嘩。双葉が我儘を言って、それを諌めた母はどんな顔をしていたのかを。

 

 

『もうすぐ、研究は終わる。終わったら、双葉の好きなところに連れて行くわ』

 

『双葉、ずっとひとりにさせてごめんね。でも、本当に大事な研究だから、分かって』

 

『命を懸けて、研究を完成させなければいけないの』

 

 

 若葉は笑っていた。優しく微笑んでいてくれた。母は、双葉を嫌ってなんかいなかった。双葉を愛してくれたのだ。

 

 

(確かに、お母さんは私が我儘言うと怒ったよ。でも、それ以外のときは優しかった! 私のこと嫌いだったなんて、一言も言わなかった!!)

 

 

 ――では。

 

 双葉が虐待されていたと思いこまされた理由は何だ。――黒服たちが持って来た遺書のせいだ。

 双葉に見せられたあの遺書は何だ。――獅童正義の部下たちがでっち上げた、真っ赤なニセモノだ。

 双葉が『人殺し』と責められなければならなかった理由は何だ。――でっちあげによる、謂れなき罪だ。

 

 自分の周囲を覆いつくしていた霧が晴れたような心地になったのは、きっと双葉の気のせいではない。

 今なら、ありとあらゆる嘘やまやかし、幻想や謎に惑わされることはないだろう。

 

 双葉の叡智は文字通り、“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”――!!

 

 

“あんたなんて死んでしまえばいいのよ!”

 

「煩いっ!」

 

 

 呪詛のような咆哮を上げる母のいる方へ振り返る。醜悪に歪んだ顔が目に入った。今なら――そこにいる母は偽りによって造り上げられた幻なのだと、はっきり見通せた。

 偽物なんかに怯む理由はない。怯える理由なんかない。双葉は躊躇うことなく、母の幻影を睨みつけた。まさか反撃されるとは思ってなかったようで、幻影はびくりと身を竦ませる。

 

 

「あんたは私のお母さんじゃない。ただの偽物だ!」

 

“この機に及んで開き直るなんて……! やっぱりあんたなんか産まなきゃよかっ――”

 

「――黙れ」

 

 

 紙をぶち抜くような音と一緒に、冷ややかな声が響いた。声の出所は、双葉に母の遺書を手渡してくれたイケメンである。

 イケメンは何を思ったのか、双葉の押し入れから外したふすまの片割れに大穴を開けていた。狂犬もかくやと言わんばかりの形相だ。

 彼の足元から、青白い光がゆらゆらと漂いはじめる。――今度こそ、幻影は「ひっ」と引きつった声を上げて後ずさった。

 

 ……あのイケメンには、双葉が見ている母の幻影を認識できるらしい。

 今までそんなことなかったので、双葉は目を丸くする。

 

 

「お前が……お前のような奴が、一色さんを騙るなぁぁぁッ!」

 

 

 イケメンの咆哮を皮切りに、部屋中に凄まじい風が吹き荒れた。それは内側からロックをかけているはずの双葉の部屋の扉を吹き飛ばし、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビを入れ、床に散らばった紙や本類を巻き上げ、ゴミ袋の山を雪崩させた。心なしか、佐倉家の骨組みが悲鳴を上げたかもしれない。

 

 呆気に取られて尻もちをつく双葉なんて眼中にないようで、イケメンは構えを取る。青白い光が一際激しく輝き、何かが姿を現した。「ヴィシュヌ、捻り潰せ!!」――情け容赦のない指示に従い、ヴィシュヌと呼ばれた異形は、母の幻影に攻撃を仕掛ける。

 吹き荒れる力は幻影を消し去った。残されたのは、母の幻影を被っていた人影である。有名進学校の学生服――ブレザーとスラックスを身に纏ったその人物は、年恰好からして双葉と同年代の男子生徒だろう。だが、異様なことに、双葉は奴の顔を()()()()()()()()()()()

 

 奴は小さく舌打ちし、するりと消え去った。頭の中でわんわんと母の声――呪詛が響くが、それはもう双葉の足を止めるに値しない。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、自分の中にいる“何か”が訴える。()()()()()()()()()()()()()()()()()と。

 ならば、こんな所で籠っている訳にはいかない。行かなくては。今すぐ、双葉の心の世界へと向かい、自分の心を取り戻さなくてはならない。

 

 

『怒れ! クズみたいな大人を許すな! 私の心で好き勝手する奴を許すな!!』

 

「そうだ……! わたしはもう、歪んだ上っ面には騙されない。他人の声にも惑わされない。自分の目と心を信じて、真実を見抜く! わたし自身を取り戻すんだ! ――ふぎゃあッ!?」

 

 

 自分の前に立つ女王――“もうひとりの双葉”が怒りをあらわにする。双葉もまた、それに同調した。立ち上がろうとした双葉だが、自分が籠っていた場所がどこなのかを忘れていたため、しこたま頭を強打する。

 のたうち回った勢いによって、双葉は押入れの外へと這い出した。その拍子に、手に持っていた双葉のスマホが床に落ちる。画面に映し出されていたのは、インストールした覚えのない謎のアプリだ。名前は、“イセカイナビ”。

 

 

「これって……怪盗団が言ってた、“認知世界へ行けるアプリ”……?」

 

「確か、吾郎が言っていたな。『“イセカイナビ”でパレスに行くには、キーワードを音声入力しなければならない』と。対象者の名前、対象者のいる場所、対象者がパレスを何と認識しているかが必要だと聞いたが……――む?」

 

 

 次の瞬間、イケメンのスマホに連絡が入った。連絡ツールはSNSらしい。双葉は彼のスマホ画面を覗き込む。

 イケメンと瓜二つの顔をした男の写真――イケメンとの違いは、左耳にイヤリングをしているという部分だった――が映し出され、チャットが展開していた。

 

 

“佐倉双葉”

 

“佐倉家、佐倉双葉の部屋”

 

死者の復活装置(ピラミッド)

 

 

“――“風ちゃん”と“MAIAKI”と一緒に、待ってる”

 

 

“あ、風花と麻希のことな”

 

 

 イケメンのコピペみたいな奴は、双葉のネット友達である“風ちゃん”や“MAIAKI”とリア友らしい。

 

 世界の狭さに双葉が「ほええ」と声を漏らしていたときだった。

 数秒遅れで、SNSのチャットに新たなメッセージが追加される。

 

 

“言っとくけどな、航”

 

“お前が通ってきたピラミッドも、双葉ちゃんとのやり取りも、全部まごうこと無き現実だからな”

 

“そろそろ目が覚めた頃だろう”

 

“おはよう。今日は7月×日、☆曜日の午前N時M分だ”

 

 

 イケメン――航にとって、チャット相手の指摘は図星だったのだろう。「渡せたとしても、『これ夢なんだよな』と思ってた」と呟き、バツが悪そうに頭を掻いた。その拍子に、彼の襟首に引っかかっていた社員証が胸元に現れる。

 南条コンツェルン特別研究部門主任、空本航。南条コンツェルンの特別研究部門といえば、桐条グループ内に存在するシャドウワーカーなる組織と繋がりがあると言われる、なかなかにオカルティックな部門だ。

 立ち上げは“セベク・スキャンダル”の直後から。当時は非公認だったが、現在では暗黙の公認となっているそうだ。何も知らぬ部署からは「陸の孤島」だの「“優秀過ぎる”落ちこぼれどもの集い」だのと呼ばれているという。閑話休題。

 

 双葉はちらりと航に視線を投げた。航は真顔で頷き返す。それを確認し、双葉はスマホに向けてキーワードを入力した。

 わずかな待機時間が終わった後、『ヒットしました』と音声が案内を告げる。程なくして、世界は一気に姿を変えた。

 

 古代のピラミッドを彷彿とさせるような石造りの内装に、双葉がPC画面でよく見る英単語やプログラミングの羅列がホログラムで浮かんでいる。

 

 

「これが、わたしの、心の世界……」

 

 

 母が提唱していた認知訶学の一端に触れて、双葉は感嘆した。

 自分の心の世界を、こんな形で見ることになるとは思わなかった。きょろきょろと周囲を見渡す。

 

 

「「“葉っぱ”さん!」」

 

 

 声がした方に振り返る。そこにいたのは、イケメンのコピペと見ず知らずの女性2人。

 

 1人はショートボブの黒髪と口元のほくろが印象的で快活な女性で、もう1人が空色の髪を三つ編みに束ねた清楚な女性だった。

 彼女たちは何故かフリップボードを手に持っていた。前者が“MAIAKI”と書かれたものを、後者が“風ちゃん”と書かれたものを持っている。

 HNの下には本名が書いてあった。“MAIAKI”の本名が園村麻希、“風ちゃん”の本名が山岸風花というらしい。双葉は目を丸くした。

 

 まさか、こんなときにオフ会が開かれるなんて思いもしなかった。予期せぬ事態にあわあわしていた双葉だが、麻希や風花はこちらが落ち着くまで待ってくれた。双葉の知ってるクズみたいな大人とは違うし、チャットで自分を待っていてくれた“MAIAKI”と“風ちゃん”と変わらない。それがとても安心する。

 落ち着いて話ができるようになった頃、双葉はふと視線を巡らせた。自分たちとは離れた場所で――麻希さん曰く一卵性双生児の兄弟――何かを話し合っていた航と、航の兄である至の姿が目に入った。俯いたまま頷き続ける弟の頭を、兄が苦笑しながら撫でている。その眼差しは愛情で満ち溢れていた。

 

 次の瞬間、凄まじい地鳴りが発生した。どこからか、呪詛交じりの咆哮が聞こえてくる。双葉の心で好き放題していた奴がいたという事実を鑑みると、早急に何とかしなければなるまい。双葉が足を進めようとしたとき、“もうひとりの双葉”が姿を現した。彼女はにっこりと微笑む。

 

 

「さあ、行こう。【契約】……我は汝、汝は我――!」

 

 

 “もうひとりの双葉”――ピラミッドの主たる若き女王は光に包まれ、その姿を顕現させる。

 一言で言い表すならば、悪魔の像を頭に乗せたUFOだ。下部から這い出た触手が双葉を掴んで引き上げる。

 

 

「えええっ!? 双葉ちゃんが、双葉ちゃんがUFOにキャトルシュミレーションされたっ!?」

 

「おい至、UFOが人間をキャトる現場なんて初めて見たぞ! カメラないか?」

 

「ペルソナの覚醒だわ! “反逆の意志”が、正しい形で目覚めたのね」

 

 

 風花、航、麻希の声がどこか遠い。真っ暗だった世界に光が灯る。

 

 ありとあらゆるプログラムの羅列がホログラムとして映し出されたこの部屋は、いついかなる謎や幻をも解き明かす禁断の叡智そのものだ。今、双葉が何をすべきなのか、双葉が打ち倒すべき相手が何なのか、“もう1人の自分”は――ペルソナであるネクロノミコンは、すべてを見通す。

 ホログラムに映し出されたのは、腐った大人たちによって作り出された母の偽物。スフィンクスを象ったバケモノは、悠々と空を飛び回っている。仮面を身に纏った男女が応戦しているが、空を飛び回る相手に対し決定打を持っていないため押されていた。

 あれが、怪盗団。認知世界を股に駆け、腐った大人を次々と『改心』させる“反逆の徒”――ペルソナ使い。彼らは小奇麗な偽りを暴き、真実を奪い取る義憤の徒だ。腐った大人に傷つけられたが故に、弱気を救おうと戦う者たち。……正義の味方。

 

 双葉を乗せたネクロノミコンは急上昇し、一気にピラミッドの屋上へと到達する。バケモノによって破壊されたためか、砂漠の景色が一望できた。

 バケモノと戦っていたらUFOが出てきた――とんでもない状況に陥った怪盗団の面々が、あんぐりと口を開けてこちらを見上げる。

 

 

「な、なにあれ!? UFO!?」

 

「シャドウか!?」

 

「違う。アレもペルソナだ!」

 

 

 ボディスーツを身に纏った女豹が呆気にとられ、髑髏の仮面をつけた海賊が身構え、ぬいぐるみみたいな黒猫が首を振って否定する。

 「怪盗団!」――彼らに呼びかければ、面々は“ペルソナの中に双葉が乗っている”ことに気づいたのだろう。次々と驚きの声を上げた。

 

 

「双葉ちゃん! って、黎ちゃんと吾郎くん!?」

 

「園村さん!? それに、風花さんも……」

 

「ちょ、ちょっと待って。どうしちゃったの2人とも!? その恰好……」

 

「違います風花さん! これは不可抗力で――」

 

「お嬢!? それに吾郎まで……」

 

「嘘だろ!? なんで航さんが――」

 

「お待たせ怪盗団! 手を貸しに来た!」

 

「「至さん!?」」

 

 

 それだけではない。少し遅れて、石室に置いてけぼりにしてしまった大人たちが駆けつけた。双葉を今まで支えてくれたネットの友人である麻希と風花、若葉の遺志を守り伝えてくれた航、彼の双子の兄で認知世界へ行くためのキーワードを教えてくれた至。

 しかもこの大人たちは、怪盗団のリーダーである少女――有栖川黎と副将――明智吾郎とは旧知の仲であり、空本兄弟に至っては黎の親戚で吾郎の保護者である。やっぱり、双葉が思っている以上に世界は狭かった。

 愉快なざわめきをホログラム越しから一瞥した双葉は、浮かび上がる別枠を叩いた。そこには、呪詛を込めた呻き声を上げるバケモノ――偽物の母、イッシキワカバが空を飛び回りながらこちらを伺っている。……まるで、双葉の覚醒を警戒しているみたいに。

 

 ならば見せてやろう。ここは双葉の心の城。

 双葉の得意分野はハッキングだ。

 

 禁断の叡智は開かれた。最早、ありとあらゆる謎も幻も、双葉を止めることなど適わない――!!

 

 

「みんな、手伝って! ――あいつ、やっつける!」

 

 

 双葉の宣言を聞いた面々が、顔を見合わせて頷いた。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 双葉さんのパレスを陣取っていた獅子女は、一色若葉さんと同じ顔をしていた。但し、僕が知っている一色さんとは違い、醜悪に顔を歪ませている。奴は双葉さんへ呪詛のような罵詈雑言をまき散らしながら、僕たちに襲い掛かって来た。

 空を悠々と飛び続ける獅子女に対し、僕たちの攻撃は届かない。仕方がないので、僕たちはペルソナ特有の属性攻撃や銃による遠距離攻撃を使ってバケモノに応戦した。だが、距離が離れすぎているためか、なかなか決定打を与えられなかったのだ。

 有効打がないことに焦る僕たちを嘲笑うかのように、獅子女は急降下して僕たちに攻撃を仕掛ける。僕は咄嗟にジョーカーを庇ったけど、結局は揃って床に叩き付けられた。――いや、僕とジョーカーだけじゃない。他の仲間たちも地に倒れ伏していた。

 

 よろよろと体を起こしたジョーカーとモナが仲間たちに回復魔法をかける。スカルが、パンサーが、フォックスが、クイーンが、呻きながらも立ち上がった。それでもジリ貧なのは変わりない。どうしようかと考えあぐねていたとき、僕らの前にUFO――ペルソナに乗った双葉さんが現れたのである。

 それだけではない。セラピストである園村さん、シャドウワーカー所属の専属ナビである風花さん、南条コンツェルンの研究室に缶詰め状態になっているとばかり思っていた俺の保護者――航さんと、スマホ画面を指示す俺の保護者――至さんまでもが馳せ参じたのだ。

 

 前者2名が“イセカイナビ サタン限定版”によってパレスに足を踏み入れたのに対し、航さんは「半分寝ぼけていたのでよく覚えてない」と返し、至さんは「ピンチヒッターとして権限を貸し与えられたので、貸してくれた奴の言われた通りに行動しただけ」とだけ言って沈黙した。閑話休題。

 

 

「ここはわたしの心の世界だ。自分の心くらいハックできる!」

 

 

 双葉さんの宣言通り、ピラミッドに突如バリスタが出現した。あれで一色若葉さんを模したバケモノ――イッシキワカバを打ち落とせば、攻撃が通るようになるかもしれない。バリスタの扱いをパンサーへ任せ、僕たちはイッシキワカバへと向き直った。

 間髪入れず、ガラスが砕けるような音が響く。見れば、風花さんがユノを召喚し、バックアップサポートを行う準備を整えてくれたらしい。元々風花さんのペルソナも、双葉さんのネクロノミコン同様ナビゲート特化型だったか。

 

 双葉さんがハッキングで持ち込んだバリスタは、発射するまでに時間がかかるタイプだった。その間、僕たちは空を飛び回るイッシキワカバを相手取らなければなるまい。

 

 

「回復と援護は私たちが何とかするから、みんなは攻撃に専念して!」

 

 

 園村さんはそう言うなり、スクルドを召喚する。圧倒的な力が、僕たちを癒すために振るわれた。

 傷はあっという間に治り、痛みも完全に引く。これなら何の苦もなく戦えそうだ。

 

 

「それじゃあ、やろうか。――天を駆けろ、ナイトゴーンド」

 

 

 至さんは指で銃を形作って撃つ動作をした。それが、彼がペルソナを降臨させるための構えである。鮮やかな青白い光が舞い上がり、彼のペルソナの1体――ナイトゴーンドが姿を現した。クトゥルフ神話で“夜鬼”という別名を有する奉仕種族だ。

 ナイトゴーンドはイッシキワカバの元へ飛んでゆくと、彼女に纏わりついた。途端に、悠々と空を飛んでいたはずのイッシキワカバがゆらりと傾く。獅子女は体に纏わりつくナイトゴーンドを叩き潰そうとしている様子だった。だが、ナイトゴーンドは大振りの一撃を軽々と躱す。

 擽りにより、獅子女の強靭な身体から力が抜けたようだ。そのおかげか、ペルソナのスキル攻撃が先程より通るようになった。ナイトゴーンドの擽りは、他のンダ系スキルとは別枠で能力を下げるらしい。ランダマイザと似たような効果だろうか。

 

 彼がこのペルソナを用いるようになったのは、月光館学園高校で発生した影時間の戦いが終わった後からだ。それ以前はヤタガラスを召喚していたのに、あの戦いが終わって以後、一切召喚しなくなったような気がする。

 そういえば、至さんの召喚するペルソナが変わったのは巌戸台の戦いからだけではない。八十稲羽が終わった後、彼は召喚していたウロボロスを呼びださなくなった。代わりに召喚するようになったのは――

 

 

「うし、もう一丁! ――顕現せよ、ノーデンス!」

 

 

 青白い光と共に現れたのは、ナイトゴーンドを従えるクトゥルフ神話の外なる神が一柱――深淵の大帝ノーデンス。外なる神の中で、一番“人類に対して友好的な神”である。……「友好的なだけであって、人類にとって完全な味方には成り得ない」のだが。そしてコイツもまた、善神フィレモンの化身の1体だ。

 

 ノーデンスは僕たちの方を一瞥すると、僕ら全員に絶大な加護を与えた。刹那、イッシキワカバが僕らに向かって急降下してくる。

 獅子女の腕が僕らに振るわれたが、その攻撃はすべて反射された。ノーデンスの加護は、物理反射の効果があるバリアだったようだ。

 

 

「よーし、行けー!」

 

「――せーのぉッ!!」

 

 

 双葉さんの指示に従い、パンサーがバリスタを射出した。放たれた矢はブレることなく、双葉の意志を宿すが如く、イッシキワカバに突き刺さる。

 体勢を崩した獅子女が落下した。ピラミッドにしがみつく様な倒れ方をしたイッシキワカバを取り囲む。奴は醜悪な呪詛を吐き出した。

 

 

「親に逆らう子どもは、みんな死ねェェェェ!」

 

「お前なんか親じゃない! 私の弱さが生み出したバケモノだ! 遠慮することはない。みんな、ドンドンやっちまえーっ!」

 

「それじゃあ、お言葉に甘えよう!」

 

 

 双葉さんの要望に従い、ジョーカーが指示を出す。僕らは躊躇うことなくイッシキワカバに攻撃を仕掛けた。一斉攻撃を喰らったイッシキワカバだが、まだ消えるには至らない。

 しかし、バリスタで撃たれたダメージから回復できていないようで、獅子女はピラミッドにしがみついたままだった。――これなら、物理攻撃が充分通用するはずだ。

 ジョーカーがペルソナを、フォックスがゴエモンを顕現して攻撃を仕掛ける。前者の攻撃と後者の斬撃が、イッシキワカバに容赦なく襲い掛かった。

 

 

「やっぱり、近距離から攻撃した方が効くみたいだ……!」

 

「この調子でガンガン叩き込むぜ、キャプテンキッド!」

 

「フルスロットルで行くわよ、ヨハンナ!」

 

「おいで、カルメン!」

 

「我が意を示せ、ゾロ!」

 

「もう一度だ、ゴエモン!」

 

「射殺せ、ロビンフッド!」

 

 

 獅子女は呻くだけで攻撃してこない。バリスタで叩き落とされたダメージが尾を引いているのだろう。それぞれがペルソナを顕現し、得意な攻撃を叩きこむ。僕もロビンフッドを召喚し、祝福属性の攻撃を叩きこんだ。……心なしか、属性攻撃よりも物理攻撃の方が効く気がした。

 

 数多の攻撃の雨あられを喰らったイッシキワカバであったが、奴はまた体を起こして空に舞い上がった。

 双葉さんへの憎悪を象ったバケモノは、いつの間にか“親の言うとおりに動かない子ども”に対する憎悪へと変わっていた。

 

 

「逆らう子どもは、要らない……! ――要らない子どもは、殺ォォォォォォォォすッ!!」

 

 

 イッシキワカバは盛大に吼えた。次の瞬間、奴の方向に従う形で大量のシャドウが姿を現す。それを確認した至さんと航さん、麻希さんが躍り出た。自分に任せろと言わんばかりの背中に、僕らも頷き返してイッシキワカバへ向き直った。

 風花さんはユノでみんなの能力を強化した。それを皮切りに、至さんは躊躇うことなくノーデンスを顕現してメギドラオンを打ち放つし、航さんはヴィシュヌを顕現して天驚地爆断を放つし、ついに園村さんも攻撃に参加――スクルドを顕現して不滅の黒を打ち放った。

 面白い勢いでシャドウが消し飛んでいく。風花さんのアシストも的確だし、あそこで戦う空本兄弟は聖エルミン学園高校で発生した“スノーマスク事件”、麻希さんは至さんたちと共に御影町の“セベク・スキャンダル”を解決した張本人だ。心配はいらない。

 

 そう思っていたときだった。イッシキワカバは盛大に咆哮する。耳をつんざくような呪詛の叫びが、僕の母の呪詛に変わったように感じたのは何故だろう。

 

 お前が生まれてこなければよかったのに――ぞくりと体が跳ねた。一色さんと双葉さんの関係とは違い、僕と母の関係は“そういうもの”だからだ。

 僕は望まれた子ではなかった。要らない子だった。母が僕を育てたのは、成長した僕が獅童に似ている可能性……獅童に認知してもらえる可能性に賭けていたから――

 

 

「アイツはまだ遠いよ。でも、急接近してきそうだから、今のうちに態勢を整えて!」

 

「クロウ、しっかり! クイーンお願い!」

 

「任せてジョーカー!」

 

 

 不意に、心を支配していた絶望が晴れた。振り返れば、クイーンのヨハンナが状態異常の回復術を行使したところであった。

 双葉さんが「よし! ナイスリカバリ!」と笑う声が聞こえる。どうやら僕の他にも絶望に陥っていた面子がいたようで、面々も即座に立ち直って身構えた。

 

 程なくして、双葉さんが察知した通りにイッシキワカバが急降下してくる。今回は防御が間に合い、損害は軽微。即座に僕らは遠距離攻撃や属性攻撃で反撃した。

 そうしてついに、イッシキワカバが羽ばたく力を失って落下した。バリスタで撃ち落とされたわけでもないのに、奴はピラミッドにしがみついている。

 完全に隙を見せた獅子女を取り囲み、武器を突きつける。「ぐうううぅ……双葉ぁ……」――獅子女は憎悪の目をぎらつかせたが、虫の息なのだろう。弱々しく呻いた。

 

 

「お前なんて、産まなければ……っ」

 

「何を言われたって、わたしは生きる! ――ジョーカー、撃ってぇぇぇぇーッ!!」

 

 

 双葉さんの咆哮に従うようにして、ジョーカーは銃の引き金を引いた。それは見事に奴の心臓を穿つ。

 

 双葉さんの心の弱さが生み出したバケモノは、断末魔の悲鳴を上げながらピラミッドから転がり落ち、地面に叩き付けられて動かなくなった。

 イッシキワカバを倒した影響か、至さんたちが相手取っていたシャドウたちも勝手に消滅する。文字通りの完全勝利だ。僕らが勝利に湧いたときである。

 空を縦横無尽に飛び回っていたネクロノミコンがフラフラと蛇行し始めた。程なくしてネクロノミコンが空に溶けるように消えて、双葉さんが上空から降って来たのだ。

 

 

「双葉さんッ!」

 

「っ、ヴィシュヌ!」

 

 

 勝利に湧きたっていた僕たちの中で、真っ先に動いたのはジョーカーと航さんだった。前者が双葉さんの元に駆け寄り、航さんがペルソナを顕現し風を起こす。ヴィシュヌの風は双葉さんの落下速度を抑えつつ、彼女がジョーカーの腕の中へ落ちるように調節する。ジョーカーは双葉の身体をしっかりと受け止めた。

 ナビゲーター特化のペルソナ使いは数少ないし、ペルソナ使いとしても希少な存在だ。彼女の特殊能力に湧きたつ一同の中で、双葉さんは自分の怪盗団衣装――潜入工作員が着るような特殊スーツに対して「ピッチピチだな!」と感想を述べていた。……彼女は割と、航さんのようなマイペースタイプみたいだ。

 

 そんなとき、背後から光が差してきた。慌てて振り返れば、先程倒した筈のイッシキワカバと瓜二つの顔をした女性が佇んでいる。

 但し、イッシキワカバとは違い、彼女は慈愛に満ちた瞳で双葉さんを見つめて微笑んでいた。――ああ、彼女が一色若葉さんだ。僕は直感した。

 双葉さんもそれに気づいたのだろう。「おかあさん」と、驚いたような声で呟いた。仲間たちは驚きつつも、じっと経過を見守る。

 

 

「双葉。本当の私のこと、思い出してくれてありがとう」

 

「……お母さん。我儘一杯言って、ごめんなさい……」

 

「――こっちに来てはダメ」

 

 

 ふらふらと母親の元に歩み寄ろうとした双葉さんを制して、一色さんは「貴女の居場所はここじゃない」と首を振る。

 

 

「……せっかく、会えたのに?」

 

「また我儘?」

 

 

 泣き出しそうな声の双葉さんを、一色さんは諌める。彼女の眼差しは、どこまでもどこまでも優しい。

 言いたいことは沢山あったのだろう。でも、何を言えばいいのか分からないのか、双葉さんは暫く口をつぐんでいた。

 

 

「……あの、わたし、お母さん、大好き……」

 

「私もよ、双葉」

 

 

 娘からの言葉を聞いて、母親は幸せそうに微笑んだ。そうして、一色さんは航さんに向き直る。

 

 

「空本さんも、ありがとう。私の言葉を、この子に伝えてくれて」

 

「……いいえ。自分は、貴女の言葉を伝えるのに、長い時間をかけてしまいました。そのせいで娘さんにも辛い思いを――」

 

「――そんなことない。そんなことないよ」

 

 

 沈痛そうな面持ちで俯いた航さんの言葉を、双葉さんは否定した。“航さんが一色さんの遺した手紙を持ってこなければ、自分はきっと何も知らないままだった”と。

 それを聞いた航さんは大きく目を見開くと、苦笑しながら「ありがとう」と呟く。一色さんは僕たちに「双葉をお願い」と言って頭を下げた。僕らが頷くのを見て、一色さんは頷く。

 

 「ほら、もういきなさい」――一色さんが言いたかった言葉は「行きなさい」であり、「生きなさい」なのだ。双葉さんの人生が幸せであることを願っている。僕はそう思いながら、一色さんを見つめた。一色さんの姿は光に包まれ、消滅する。

 

 それを見届けた双葉さんは、回れ右してすたすたと歩き始めた。彼女は「ナビの使い方を覚えたから帰る」と言い残し、本当に現実世界へ帰還してしまったのである。

 呆気にとられた僕たちを横目に、航さんも慌てた様子でスマホを操作した。彼の着信履歴には『南条圭』の名前がびっしりと並んでいる。

 航さんは、“南条さんによる怒涛の着信ラッシュ=一大事である”と察したのだろう。「やべ、帰らなきゃ」と言い残して駆け出した。至さんは苦笑しながら後に続く。

 

 残されたのは怪盗団と、園村さんと風花さんだけだ。僕らは顔を見合わせる。――そうだ、このパレスの『オタカラ』はどうなったのだろう?

 

 

「なんだこれ!? 空っぽじゃねーか!」

 

 

 石棺を開けたスカルが大声を上げた。彼の言葉通り、『オタカラ』が入っていると思った石棺は空っぽだったのである。モナに視線を向けると、彼がその理由を説明してくれた。

 この城の『オタカラ』は、佐倉双葉本人だ。彼女が外に出てしまったら、何もなくなるのは当然のこと――モナの解説はここで止まる。彼は「ヤバイ」と呟きながら周囲を見回した。

 

 

「何がヤバいんだ?」

 

「本人がパレスに乗り込んできた挙句、ペルソナを覚醒したんだ! いつ崩壊してもおかしくないぞ、これ!」

 

 

 フォックスが首を傾げれば、モナが慌てた様子で答えた。パレスが消えるなら目標は達成できるのだから、もうここに留まり続ける必要はない。

 僕らは急いで双葉のパレスから脱出を始めた。園村さんも風花さんも、崩れてゆくピラミッドを見てすべてを察したらしい。悲鳴を上げながら駆け出した。

 上部が吹き飛ぶようにして崩れていく。パンサーはモナの身体を掴み空へと放り投げる。誰よりも地面に早く落ちたモナは、車に変身した。

 

 直後、ついに僕たちはピラミッドの崩壊に巻き込まれて吹き飛ばされる。吹っ飛んだ僕らを、モナがクッションで受け止めつつ車の中に収納した。

 

 次の瞬間、僕の身体は中央部のシートを不自然な形で跨ぐという難体勢となっていた。

 振り返れば、半ばひっくり返るような体勢で、ジョーカーが僕の背中に寄りかかっている。

 

 

「ジョ、ジョーカー大丈夫!?」

 

「う、うん……!」

 

「って、うわあ!?」

 

 

 急に車体が傾いた。見れば、クイーンが見事なハンドルさばきでモルガナカーを運転しているではないか。ガラスが割れるような音が響き、青い光が舞う。見れば、風花さんがユノを顕現し、降り注ぐ落石地点を予測しながら安全なルートを見つけ出していた。

 

 風花さんからルートを指示されたクイーンがアクセルを全開にした。車体が激しく揺れる。僕は咄嗟に体を反転させ、ジョーカーを受け止めながら倒れこんだ。

 車のアクセルが派手に駆動する音が響く。ハリウッド映画もびっくりする勢いに、車内の全員が身体をぶつけて悲鳴を上げていた。

 黄金に輝いていたピラミッドも、がらんどうなオアシス街も、果て無く広がっていたはずの砂漠も、何もかもが崩れて消えていく――そんな光景を最後に、世界は暗転した。

 

 

***

 

 

 ――程なくして、僕たちは現実へと帰還する。

 

 出てきた場所はルブラン前。仲間たちが立ち上がる中、杏は引っ付いたままの祐介に一撃叩き込んでいた。それを眺めて笑っていた僕と黎を見た面々が渋い顔をした/苦い笑みを零す。

 僕と黎が頭に疑問符を浮かべたとき、佐倉さんがひょっこり顔を出す。――次の瞬間、佐倉さんの目は一瞬で死んでしまった。彼は暫し唸った後、しかめっ面と絞り出すような声で苦言を呈す。

 

 

「お前ら、その……抱き合うならもうちょっと別なところで、だな……」

 

「「あ」」

 

 

 モルガナカーで揺れていた中、ずっと黎を庇っていた。僕は慌てて黎から離れる。黎はほんのりと顔を染めながら、おろおろと視線を彷徨わせていた。……照れる、うん。

 仲間たちも、解脱した菩薩みたいな顔をしながら僕らを見ていたけど、すぐに何事もなかったかのように動き始める。但し全員、その眼差しは解脱した菩薩のままであった。

 真が機転を利かせたのだろう。自ら主導し、「折角だからみんなでお茶を」と提案する。それを察した杏が、率先して竜司と祐介を引っ張った。前者は本能で察し、後者は首を傾げる。

 

 余計なことを言おうとした祐介は、真から世紀末覇者の片鱗を叩きこまれて沈黙した。

 そのまま、祐介はすごすごと杏と竜司に従う。真は満足げに微笑み喫茶店に体を向け――止まった。

 

 

「ああいけない。私、用事を思い出したの」

 

 

 それを確認した真は、わざとらしく手を叩いた。これで、真がルブランに寄らないことに対して不自然はなくなった。真の言い訳を聞いた園村さんや風花さんも、「現実の双葉ちゃんに会おうと思って東京に来たんです」等、ちゃっかりと便乗する。

 

 真は更に、「悪いんだけど、吾郎と黎にも付き合ってもらっていいかしら? ……本当に悪いんだけど」と、僕と黎がルブランに寄らない理由まで作ってくれた。……但し、それを提案した真の目は完全に死んでいた。断る理由がないので、僕と黎は無言のまま首を縦に振る。

 佐倉さんは“魔王に挑む勇者を崇める村人”みたいな目で真を見ていた。喫茶店のオーナーと居候の友人という人間関係が、気持ちを共有する同士に変わった瞬間である。どこからかデッデデッデと効果音――あるいは音楽が流れてきそうな雰囲気だ。

 杏は率先して竜司と祐介を喫茶店へ押し込んだ。佐倉さんは喫茶店のマスターなので、客を放置して自宅へ帰るなんて真似はできまい。……最近は、『黎がいて、ラストオーダーの時間帯に僕しかいない』ときは、黎に店を任せて帰るようになったけど。

 

 佐倉さんと杏たちがルブランへ入っていくのを確認した僕たちは、早速双葉さんに会いに行くことにした。パレス攻略の際、佐倉家への行き方は把握している。

 果たして、双葉さんは家にいた。但し、彼女が引きこもっていた自室ではなく、佐倉家の前に。体育座りをして顔をうずめたまま、彼女は沈黙していた。

 

 彼女の傍にはモルガナが控えている。僕らと一緒にいなかったのは、一足先に双葉さんの元へ向かっていたためだろう。

 

 

「ねえ、双葉。大丈夫?」

 

「双葉ちゃん、しっかりして」

 

 

 真や風花さんの呼びかけに対し、双葉さんは一切返事しない。ぴくりとも動かないのだ。俯いたまま反応しない。

 彼女の認知世界で、実質パレスを支配していた存在――イッシキフタバを倒してしまったことが原因だろうか?

 園村さんが様子を確認したが、「自分はあくまでもセラピストなので、医学的な分析には明るくない」と言って首を振る。

 

 

「本職のお医者様でないと、ちゃんとした処置はできないかもしれないわ……」

 

「そういえば、オマエの知り合いに医者がいたよな? ソイツに頼んでみたらいいんじゃないか?」

 

「ああ、武見先生だね。分かった。連絡して――」

 

 

「――おいどうするんだあの惨状! お前、あんな狭い室内で天驚地爆断なんか使ったら大変なことになるって判断できなかったのか!?」

 

「すまん。一色さんを騙られて我慢できなかった」

 

 

 黎がスマホを取り出そうとした丁度そのとき、佐倉家の中から言い争うような声が聞こえてきた。

 まるで1人芝居だと錯覚しそうな程声が似ているが、僕は彼らの違いを一瞬で見抜くことができた。

 

 片方が焦っているような調子であり、もう片方はしおらしくしている。

 

 

「努力は認める。本気でやったら、あの部屋は確実に吹き飛んでたからな。でも、流石にあれはやりすぎだろ!」

 

「……本人と家主には、直接謝りに行くつもりだ。修理費用も全部俺が――」

 

 

 佐倉家の扉が開いた。家から出てきたのは、先に現実へと帰還したはずの空本兄弟である。額に手を当てていたのが至さん、しょんぼりしている様子だったのが航さんだ。

 何故2人がこんなところから出てきたのかは知らないが、航さんの様子からして、双葉さんと共にパレスへ乗り込む際に何かをやらかしたのだろう。大方、器物破損系か。

 至さんと航さんは僕らを見て、次に双葉さんを見た。何かを察したのであろう空本兄弟の顔から血の気が引く。僕は咄嗟に2人を引き留め、黎に目配せした。

 

 黎は即座にスマホを操作し、怪盗団に薬を融通してくれる医者へと連絡を入れた。

 

 

◇◇◇

 

 

 双葉さんを診察した女医曰く、『原因不明の軽い昏迷状態』だそうだ。彼女はその原因を『双葉の体力のなさが引き金となったのではないか?』と分析した。

 

 今回双葉さんが覚醒した状態は、今までとは全く違うケースだった。

 イレギュラーが重なりすぎたことと、元から体力がなかったことが原因で、疲労がたまっていたのだろう。

 

 この状態の双葉さんを隠し通せるとは思えない――そう判断した僕たちは、双葉さんの保護者である佐倉さんに報告することにした。

 それに、園村さんや風花さんの訪問や、航さんが破壊してしまった双葉さんの部屋に関する事例もある。猶更、佐倉さんに言わないわけにはいかなかった。

 勿論、一般人である佐倉さんに対し、怪盗団に関連する話題を表立って話すわけにはいかない。佐倉さんが怪盗団のような存在を肯定するタイプとも限らないからだ。

 

 

『ああ、たまにこうなるんだ』

 

『えぇ!?』

 

『体力を使い果たしたんだろうな。電池切れみたいなもんだ』

 

 

 僕らの予想に反して、佐倉さんはあっさりと言い放った。『一度こうなると、数日間はこのままなんだ』とも。但し、双葉さんの様態に関してはさらっとした反応を見せた佐倉さんだけど、双葉さんの部屋に関する惨状は流石に仰天した。

 そりゃあそうだろう。部屋の扉は蝶番が引きちぎられたために外れ、どういう訳か押入れのふすまは外され、その片割れには大穴が開き、ガラスに蜘蛛の巣状のヒビが入り、床に散らばった紙・本類・ゴミ袋の山を雪崩させていたのだから。

 

 酷い有様と化した部屋については、空本兄弟や園村さんと風花さんが説明した。

 

 『双葉さんに一色さんの遺したメッセージを届けたい』と航さん接触した結果、双葉さんは激しく混乱。以前からの友人である園村さんと風花さんに助けを求めた双葉さんは、2人の勧めで航さんに接触することを決断した。

 そんな双葉さんを心配し、園村さんと風花さんは上京。至さんは航さんの付き添いで、4人は佐倉家に集合した。集合した面々が旧知の間柄であることを喜びつつ双葉さんと接触した4人は双葉さんの部屋に招き入れられた。

 一色さんの残したメッセージを双葉さんに伝えたところ、双葉さんは自分の過去と向き合った。そこで『一色さんが双葉さんを愛していたこと』を知った双葉さんだったが、そこへ刃物を持った強盗が侵入。格闘の末にその強盗を撃退した結果、大きなショックに晒され続けた双葉さんが気を失ってしまった――。

 

 至さんと航さんが用意した言い訳は――かなり無理矢理だったけど、それなりに信憑性があった――ために、佐倉さんは気圧されながらも納得した。『強盗の出所に心当たりがある』とだけ言って、沈痛な面持ちで視線を逸らしたことが功を奏したのだろう。佐倉さんは『これくらいの事件をもみ消せる人間が相手』だと判断し、不快そうに眉を寄せていた。

 

 佐倉さんは双葉を自宅で休ませることにして、店を閉めるために部屋を出て行ってしまった。

 因みに、双葉さんの部屋に関しては、航さんが責任持って弁償することが正式に決まった。閑話休題。

 

 

『……なんつーか、すっげーモヤモヤしねぇ?』

 

『そうだね。双葉ちゃんの『改心』は成功したけど、“メジエド”はどうするんだろう……』

 

『――あ』

 

 

 急きょ作られた双葉さんの仮部屋で、僕たちが顔を見合わせたときだった。双葉さんが突如、目を覚ましたのである。

 

 

『“メジエド”……疲れた。ちょっと、寝る』

 

 

 だが、すぐに眠ってしまった。どうやら双葉さんは、失った体力を回復させるまで、ずっと眠り続けるつもりらしい。こうなってしまうと、僕らはもう何もできないだろう。体力を使い果たしてバテている人間に鞭を打つ真似はできなかった。

 “メジエド”対策の鍵となるのが佐倉双葉さんだというのは分かっていたし、彼女が類稀な才能を有するハッカーだというのも知っている。今から別なハッカーを探すにも――風花さんに協力を依頼したとして、“メジエド”のXデーまでに間に合うか否か。僕らにできることは、双葉さんが回復するのを待つのみである。

 

 

「吾郎くん、どうかしたかい? さっきから難しい顔をしているみたいだけど」

 

「……“メジエド”からXデーに関する予告を受けたにもかかわらず、怪盗団からの反応がない理由を考えていたところですよ」

 

 

 獅童智明の問いに、俺は内心親指を下に向けながら――けれど表面上は綺麗な笑みを湛えて答えておいた。

 

 双葉さんが寝たり起きたりを繰り返して数日後の夜、俺は獅童親子の会食に呼び出されたのだ。奴らが俺に求めているのは、俺が懐柔した(と向うは思いこんでいる)怪盗団関係者から引き出した情報だ。

 獅童はガセネタや噂程度の些細な情報でも、根こそぎ欲しがっている。僅かな情報から相手を失脚させる糸口を探し出し、そこからとんとん拍子に“上げて落とす”戦術を練り上げてしまうのだから恐ろしい男だ。

 一応、怪盗団側の情報をどこまで開示するかは仲間たちと相談しているが、相手は各方面に対してコネと権力を有する次期総理大臣候補さまである。現職の国会議員さまである。一分の油断すら許されない。

 

 つい先日出演したテレビ討論で、智明は『怪盗団は成す術がないから動けない』と分析していた。

 番組内では奴に同調していた俺だが、内心は「人事を尽くして天命を待ってるんだけどな」と苦笑していたりする。

 

 

「そういえば、怪盗団の関係者は、怪盗団の動きをどのように判断しているのかな?」

 

「反対派が『動けない』と分析するなら、賛成派は『まだ動いていない』と思っているようです。『これから大きいことをするため、下準備をしているんだ』と」

 

「へぇ。興味深いね」

 

 

 相変わらず、獅童智明の顔は()()()()()()。普通に笑っていることは分かるのだが、それだけだ。腹の探り合いでは、互いにイーブンが続いているように思う。

 

 

「怪盗団のシンパは、何を以てして『怪盗団は下準備をしている』と判断したんだろうね? 気にならない? 父さん」

 

「確かに。一応ではあるが、私も気に留めてはいるな。世論の数割近くが怪盗団に踊らされている……実に嘆かわしいことだ」

 

 

 「これだから民衆は私が導かなくてはならないのだよ」――獅童はそう締めくくりながら、高級和牛のステーキを口に運んだ。コイツに日本を先導させたら、“八十稲羽連続殺人事件の犯人が「これだから世の中クソなんだよォ!」と吼えてマガツイザナギを嗾けそう”な地獄ができあがるだろう。多分、俺も一緒に加勢すると思う。

 僕は笑顔を張り付けてゴマ擂りつつ、ソテーされたフォアグラを口に運ぶ。超高級レストランの料理は文句なしに美味いが、獅童親子と一緒に食事をしているせいか、なんとなく粘つくような濃い味だと感じてしまうのだ。やはり、この親子と一緒にいることはそれ相応のストレスを感じさせるらしい。……決して表には出さないけれど。

 この調子だと、ルブランの閉店時間までに黎の顔を見に行くことは難しそうだ。トイレに立つふりをしてメッセージを入れておこうか。俺は内心悪態をつきながら、マスカットジュースを煽った。普段スーパーで買うものと違い、爽やかな香りと程よい味わいである。所持金に余裕ができたら、黎と一緒に来たいものだ。

 

 俺が獅童親子と適度に談笑していたとき、神取――本人は頑なに神条を名乗っている――がやって来た。

 奴は獅童に何かを耳打ちする。獅童は大仰に頷き、立ち上がった。そうして、智明に申し訳なさそうな顔をする。

 

 

「すまない、急用が入ってしまった。支払いは私がやっておく」

 

「分かった。いってらっしゃい、父さん」

 

「ああ、行ってくる。――明智、智明を頼むぞ」

 

 

 獅童は智明に対しては優しく目を細めるのに、俺に対しては冷ややかな目をするのだ。……俺も智明と同じ、アンタの子どもなのに。

 

 

「神条。お前はここに残れ、いいな?」

 

「畏まりました。仰せの通りに」

 

 

 神取は獅童に一礼した。何の目的があるかは知らないが、奴は神取に俺と智明の様子を見守らせるつもりらしい。過保護なことだ、と、俺は内心舌打ちしていた。やり手の政治家からは想像できない子煩悩ぶりである。

 獅童の背中はあっという間に見えなくなった。神取は相変らずサングラスを外さない――正確にいうと外せない理由がある。奴の目は眼球がないからだ――ので表情変化は分かり辛い。ただ、緩んだ口元と纏う雰囲気からして、神取は笑っているのだと察することができた。

 

 途端に、智明は拗ねるような顔で神取を睨んだ。顔つきは相変らず()()()()()()が、分かる。

 奴の様は“お気に入りの玩具が動作不良を起こして不貞腐れている”ように思えた。

 ……「神取自身がニャルラトホテプの玩具だ」と言ってしまえばそれまでなのだが。

 

 

「神条さん。この前俺が頼んでおいた()()、途中ですっぽかして帰ったよね? なんでなの? 酷くない?」

 

「すっぽかした? 心外だな、智明くん。私は()()()()()()()()()()()よ」

 

 

 奴の口調は妙に子どもっぽい。神取は畏まった態度を崩すことなく、粛々と答える。――奴らの関係性を知っている俺には、2人がパレス内で暴れたことを指し示しているように聞こえた。俺は2人の会話に耳を傾ける。

 

 

「立場的に、神条さんは俺の部下でしょう? 貴方も父さんの部下なんだから」

 

「確かに私の上司は獅童先生だ。だが、いくら獅童先生の息子だからと言えども、獅童先生の部下たち全員がキミの意見に従う訳ではないだろう? それに、キミには()()()()()()()()()()()()()権限は有していないはずだ」

 

「……ああ言えばこう言うんだね。本当に、神条さんは度し難いよ。――()()()()()()()()()()()()()()()()()な」

 

「ふむ、()()()()()()()()()()()

 

 

 2人の会話を聞く限り、『廃人化』実行犯の関係性が掴めてきたように思う。

 

 神取は()()()()()()()()()()()()()というスタンスを崩さないようだった。おそらく、奴を『駒』にしているニャルラトホテプの方針が反映されているのだろう。

 対して、智明は神取を()()()()()()()()()()()()()()様子だ。だから神取は自分の言うことを聞くと思っているし、()()()()()()()()()()と考えている。

 双方の微妙な認識のずれ――神取が道化のような真似事をしている理由には、この会話が関わっているのではないか。そうしてそれが、智明を追いつめる一手に繋がるのでは――僕はそんなことを考えながら、残りの料理にフォークを伸ばした。

 

 




双葉パレスボス戦。魔改造明智が何かするより、魔改造明智の保護者=初代主人公の空本航と双葉のコンビが結びついたり、保護者である空本至に不穏な気配が漂っていたりするシーンが中心となっていたように思います。
魔改造明智は智明と神取の関係性に着目した模様。双方の認識のずれが突破口になりそうだと察した魔改造明智ですが、言葉に秘められた真実を掴むには至っておりません。本当の意味での智明と神取の関係性が明かされるまで、もう少々お待ちください。
正直、祐介と双葉のどちらに“ノモラタカノママ”ネタを絡ませようかなと悩んでいました。直接セベク関係と絡ませられそうなのは若葉さんだったので、“ノモラタカノママ”は双葉パレス編に組み込まれることになったという裏話があります。
双葉のお部屋が大変なことになったようですが、佐倉さんも大変な目にあった模様。おそらく、下手人の関係者から連想すると、もう少し違う方面で大変な目にあいそうです。それは次回以降に組み込む予定です。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。