Life Will Change   作:白鷺 葵

15 / 57
【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・敵陣営に登場人物追加。
 @神取鷹久⇒女神異聞録ペルソナ、ペルソナ2罰に登場した敵ペルソナ使い。御影町で発生した“セベク・スキャンダル”で航たちに敗北して死亡後、珠閒瑠市で生き返り、須藤竜蔵の部下として舞耶たちと敵対するが敗北。崩壊する海底洞窟に残り、死亡した。ニャラルトホテプの『駒』として魅入られているため眼球がない。この作品では獅童正義および獅童智明陣営として参戦。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・双葉が盗聴器を仕掛けた場所が“ルブラン店内”だけでない。
・R-15相当の話題あり。全体的に砂糖過多。
・冴がヤバイことになっている。


Heartful Cry
今年はアツい夏になりそうだ


 誰かの声が聞こえる。声の主は女性と男性のようだ。何かを言い争っているらしい。そんなことを考えていたら、誰かの来店を告げるドアベルの音が響いた。

 サイフォンから香るコーヒーと同じ――けれど、それとは違う方面で心地よさを感じる香りが僕の鼻をくすぐる。重い瞼を無理矢理こじ開ければ、3人の人影が見えた。

 

 

「余計なことしてくれたな。若葉のことなら話す気はない。どうしてもって言うなら、若葉を自殺に追い込むきっかけを作った研究者にでも訊いてみたらどうだ」

 

 

 ――ああ、これは、佐倉さんの声だ。佐倉さんは、非常に機嫌が悪いらしい。

 

 若葉、という名前に引っかかりを覚える。

 そういえば、一色さんの下の名前は“若葉”だった。

 

 

「まあ、それなら、『親権停止もやむなし』ということでよろしいでしょうか? お宅の家庭事情に娘さんの状態。有利なものは何一つとしてありませんよ」

 

 

 ――ああ、これは、冴さんの声か。冴さんは、被疑者を追いつめるときみたいな調子で喋っている。……何だろう。普段より刺々しい気がした。

 

 

「認知訶学が精神暴走事件と関わっている可能性がある以上――」

 

 

 ……認知訶学? 確か、一色さんが研究していた分野と同じ名前だ。僕の頭は鈍いながらにも回転を始める。

 『自分の研究とペルソナ関連の研究が結びついているかもしれない』と語った一色さんは、航さんと研究の話で盛り上がっていたっけ。

 若葉という人物の名前と、認知訶学という研究の名前――導き出される答えは1つ。佐倉さんと冴さんは、一色さんの話をしているのだ。

 

 起き上がろうとしたが、身体が動かない。指先が、かすかに身じろぎしただけだ。

 そんな中、薄ぼんやりした視界の奥に見知った“黒”を見つける。秀尽学園高校の夏服を身に纏った有栖川黎その人の姿だ。

 

 怠かった身体に力が入る。体は重いままだったけれど、僕はのろのろと体を起こした。

 

 

「あ……おかえり、黎」

 

「――ただいま、吾郎」

 

 

 黎はふわりと僕に微笑み返してくれた。――ただそれだけなのに、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。泣きたくて、愛おしくて堪らない。

 ルブランに帰って来た彼女を迎えたときに「おかえり」と声をかけたのは、今回が初めてのはずだ。なのに、なのにどうして、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 「おかえり」と「ただいま」――何気ない会話だ。けれど、その尊さを僕は知っている。()()()()()()()()。嘘と罪に塗れた明智吾郎が持つ、数少ない“真実(ホンモノ)”の1つ。

 

 それを噛みしめていたとき、どこからか咳払いの声が響く。何だろうと思って視線を動かせば、佐倉さんと冴さんが渋い顔をしていた。

 僕は首を傾げつつ、注文していたコーヒーを啜る。随分時間が経過したのだろう。ぬるいどころか、もう冷めきってしまっていた。

 佐倉さんと冴さんは僕と黎から視線を逸らすと、何事もなかったかのようにやり取りを再開した。降参した佐倉さんを見て満足げに笑った冴さんが頷く。

 

 

「今度は美味しいコーヒーを飲みに来ます。……それと明智くん」

 

「……なんですか? 冴さん」

 

「新婚生活の練習は、もう少し別なところでやった方がいいと思うわ。お節介だけどね」

 

 

 そう言った冴さんは真顔だった。園村さんと桐島さんが至さんを見つめるときの顔と一緒である。「航さんを射止めるために協力しろ」と至さんに迫るときの顔だ。

 

 僕はどうしてそんな眼差しで睨まれなくてはならないのだろう。訳が分からず、僕は黎へ視線を向けた。黎も小首をかしげている。

 冴さんは額を抑えてため息をついた後、雑念を振り払うようにして首を振った。そのまま、颯爽とした様子でルブランから立ち去った。

 

 

「ええい、塩撒け塩!」

 

 

 佐倉さんは怒りと不快感を容赦なく露わにしながら、冴さんが去っていった扉を睨みつけた。黎は頷き、佐倉さんの言葉通りに塩を撒く。律儀だな、と、僕はそんなことを考えながら一連の光景を見守っていた。

 機嫌が悪い佐倉さんは黎に向き直る。黎は口を開いた。「双葉って、惣治郎さんの娘さんなの?」――脳裏に浮かぶのは、一色若葉の娘さんの名前だ。一色さんが亡くなった後、娘である双葉さんの行方は掴めていない。

 一色さんと交友があった航さんは、今でも一色双葉さんの行方を捜している。但し、一色さんの親戚たちは航さんを敵視しており、航さんが聞き込みをしようとすると暴力的な手段込みで邪魔してきた。

 

 終いには、瓜二つの顔つきをしている至さんが航さんの代わりに殺されかけたこともあったか。

 “2階のベランダから至さん目がけて鉢植えが降って来た”とか、本当に笑えない。閑話休題。

 

 佐倉さんは「いい加減にしろ」と黎を一喝した。一色さんや双葉という名前の少女について、佐倉さんは何も言いたくないらしい。僕は険悪な空気を醸し出す2人を、ただただぼんやりと見つめていた。

 

 

「追い出されたくねえなら、大人しく学校だけ行ってろ。分かったな?」

 

「――あァ?」

 

 

 今、佐倉さんはとんでもないことを言わなかったか。僕は即座に佐倉さんに視線を向ける。途端に佐倉さんは「あ」と零して顔を青くした。

 

 

「佐倉さんは、“ピー(どぎついR-18)”したり“ピー(どぎついR-18)”したり“ピー(どぎついR-18)”したりしてくる連中が跋扈する中に、着の身着のままの黎を放り出すつもりなんですか?」

 

「い、いや、その……こ、言葉の綾ってヤツだ! コイツの面倒は責任もって見るし、第一、そういうヤツらがいる場所になんて行かせないぞ!?」

 

「僕、言いましたよね。彼女の親戚どもが『保護観察』を出汁にして“ピー(どぎついR-18)”や“ピー(どぎついR-18)”や“ピー(どぎついR-18)”とかを計画してて、僕は『実際に、そいつ等が黎に手を出そうとしていた現場に居合わせたこともある』って。『そいつらを法的手段および物理的手段で潰すのが大変だった』って」

 

「いやいやいやいや、待て待て待て待て。前聞いた話よりもエグくなってないか!?」

 

「惣治郎さん、吾郎の話は実話です。……吾郎がいなければ、今頃私はそいつらによって文字通りの奴隷にされていたと思います」

 

 

 僕の話を肯定した黎の声は、僕のすぐ後ろから聞こえて来た。いつの間に、彼女は僕の後ろに立っていたんだろう。思わず目を丸くする。

 視界の端にいた佐倉さんはもの凄く困惑したように視線を彷徨わせた。何かをブツブツ言っていたが、僕にはよく聞き取れない。

 ルブラン店主をぼんやり眺めていた僕だが、不意に名前を呼ばれて振り返る。黎の顔が一気に近づいて、額にこつんと小さな衝撃が走った。

 

 僕と黎の瞳がかち合う。――ああ、近いな、と思った。綺麗だと思った。額から伝わる体温は、黎の方が少し冷たく感じる。……気持ちいい。僕はゆるりと目を細める。

 

 惹き寄せられるように手を伸ばした。僕の行動から何かに気づいたのか、黎も手を取って指先を絡めてくれた。

 幸せだな、と、ロクに働かない頭で考える。酷く熱に浮かされたような心地になった。

 

 ――なんだろう。クラクラしてきた。

 

 

「じゃあ俺は帰るから、店閉めとけ。……あと、お前も遅くならないうちに帰りな」

 

「――ダメです、惣治郎さん」

 

「は!?」

 

「吾郎、熱出てるみたいなんで」

 

 

 熱? 何の話だろう。黎にそれを問おうと立ち上がったとき、俺の体がぐらりと傾く。

 何が起きたのかよく分からなかった。床の冷たさが心地よい。

 

 黎と佐倉さんの悲鳴を最後に、俺の意識はぶっつりと途切れた。

 

 

***

 

 

 泥に沈むような微睡みの中、心地の良い冷たさを感じ取る。

 俺はゆっくり瞼を開けた。心なしか、黎を迎えたときよりも幾分か楽に瞼を上げることができた。

 

 

「ああ、目が覚めたんだね」

 

 

 視界一杯に映し出されたのは、安心したように微笑む黎の顔だった。彼女は俺の額から何かを取ると、大きなボウルの中に浸けた。氷同士がぶつかる音と、水を絞る音が聞こえる

 黎が俺の額から取ったのはタオルだったようだ。それを黎は再び俺の額に乗せる。……冷たくて気持ちいい。俺は小さく息を吐いて、タオルが齎す心地よさを甘受していた。

 身体を蝕むような熱も、首元を真綿で絞められるような息苦しさも、黎の顔を見ただけで楽になる。症状が和らいだような気がするのだ。何もかもが大丈夫だと、そう信じられる。

 

 このまま眠ってしまおうか――そう思った途端、俺の頭が急速にクリアになっていった。

 

 今俺がいる場所は、黎が下宿しているルブランの屋根裏部屋だ。俺が使っている枕の中身は氷と水で、身じろぎする度に、がらんと音を響かせる。黎を見れば、彼女はリンゴを剝いているところだった。

 状況を理解した直後、一歩遅れて俺は思い出す。ルブランで黎と佐倉さんと話していた後から今に至るまでの記憶が定かではない。最後に見たのは、黎と佐倉さんが慌てた様子で僕に手を伸ばしていたところだった。

 

 

「あ……ッ!」

 

「吾郎、無理しちゃダメだよ」

 

 

 跳ね起きようとした俺を制して、黎はリンゴを差し出す。俺は目を丸くしたが、静かに微笑む黎の姿に促されるような形で体を起こし、リンゴを咀嚼した。

 噛みしめる度に、酸味と甘みが俺の身体に沁み込んでいく。――心なしか、いつもより美味しい。俺は素直に味の感想を告げた。

 

 「食欲が出て来たなら安心だね」と黎は微笑む。リンゴを俺の口に運びながら、彼女は俺が倒れた後の話を聞かせてくれた。

 

 俺が倒れた後、黎は薬を融通してもらっている女医に連絡したそうだ。意識のない俺はルブランの屋根裏部屋に運び込まれ、駆けつけた女医によってテキパキと処置をして貰ったらしい。女医の指示の下、黎はずっと俺の看病をしていてくれたのだと言う。

 病名は風邪。但し、一歩間違えると肺炎になっていた危険性があるらしい。原因は肉体疲労と精神的な疲労。女医の薬のおかげで、俺はどうにかここまで持ち直したそうだ。「武見先生の薬は本当にすごいなあ」と黎は感心していた。……いや、その前に。

 

 

「待って。俺、薬を飲まされた記憶がないんだけど……?」

 

「意識朦朧だったからじゃないかな」

 

「……ちなみに、方法は?」

 

「口移し」

 

「うわあああああああああああ……!」

 

 

 俺は悲鳴を上げて顔を覆った。風邪による発熱とは違う熱が顔に集まる。

 

 そこで俺は気づいた。倒れる前と今起きたときの自分の服装が全く別物に変わっていたことを。

 有名進学校の夏服――ワイシャツ、ネクタイ、スラックス――ではなく、薄手のパジャマに変わっている。

 しかも、発汗による不快感は一切ない。……まさか、と思い、俺は恐る恐る黎に問いかける。

 

 

「……なあ、黎。その……着替えは……?」

 

「至さんが持ってきてくれた」

 

「いや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて……」

 

「着替えも汗を拭いたのも私だよ」

 

 

 「……意外と、鍛えてるんだね。吾郎は」と、黎は顔を赤らめながら目を逸らした。耳が真っ赤である。

 普段は超弩級の漢気を見せる彼女の恥じらいに、俺も頭が爆発しそうになった。ああ、彼女も女の子なんだよな、と。

 

 寝たきり状態の人間の汗を処理する場合、服を脱がせる必要が出てくる。――つまり、黎は見たのだ。一糸纏わぬ状態の、俺の上半身を。

 

 

(――こんな形で見られる羽目になるだなんて誰が予想できるかってんだ!!)

 

 

 俺は絶叫した。心の中で七転八倒して悲鳴を上げていた。同時に、自分の欲望や浅ましさが悍ましくて泣きたくなる。……そりゃあ、俺だって健全な高校生だから、性欲がないわけじゃない。いつか、黎と一緒に大人の階段を登れたらいいなあなんて考えたことは何度もあった。

 正直な話、頭の中で不埒な妄想をしたことだってある。その度自分が恐ろしくなって、逆に萎えることも多かった。俺の不埒な妄想に、母を弄ぶだけ弄んで捨てた獅童正義の影がちらついて――時には重なってしまうから、それが悍ましくて頭を抱える羽目になる。

 これでも以前よりはマシになってきた方なのだ。折り合いをつけて、おっかなびっくりだけど、ちゃんと黎に触れられるようになった。手を繋いで、触れ合って、触れ合う程度のキスをして、抱きしめ合うところまではできるようになった。けど、やっぱり、“そういう”行為に対する恐怖と嫌悪はこびりついたままでいる。

 

 裸を見せ合うのはおろか、俺の裸を見られるだけでもダメージがデカい。恐怖と嫌悪と恥ずかしさがごちゃ混ぜになってしまい、思考回路がまともに機能しなくなってしまう。

 奇妙な沈黙の末、俺は視線を彷徨わせながらため息をついた。半ば怯えるような心地で黎に視線を向ければ、黎も何とも言い難そうな顔をして僕を見返している。

 

 ……ほんのりと色づいた頬と耳は相変らずだったけど。

 

 

「ねえ、黎」

 

「何?」

 

「触れてもいい?」

 

「……ん。いいよ」

 

 

 俺はおずおずと手を伸ばし、黎の頬に触れる。黎は表情を緩ませると、俺の手にすり寄って来た。猫みたいで可愛い。

 ああ好きだなぁ、なんて思う。俺が何を考えているのかを察したのか、黎は頬を薔薇色に染めながら目を細めてくれた。

 

 嬉しい、と思う。同時に、悔しいとも思う。

 

 黎が傍にいてくれるから俺は大丈夫だった。頑張れるのは本当だし、救われているのも本当だし、幸せなのも本当のことだ。今だって、ちょっと体は重いけど、立ち上がれない程ではない。獅童親子の仲睦まじい光景を見せつけられようが、探偵業が多忙になろうが、メディアに引っ張りだこにされても平気だって思える。

 でも、俺が倒れたのを間近に見た黎は、ずっと俺のことを心配している。自分のせいだと思っているのかもしれない。果たして俺の予想通り――よく見ていないと分からないレベルで――ほんの少し、黎の表情が陰る。彼女は申し訳なさそうに目を伏せた。彼女の口が謝罪と自責の言葉を紡ぐのを制して、俺は苦笑した。

 

 

「そんな顔しないでよ。好きな人(キミ)のためなら、俺はどんな無理や無茶だって平気なんだ」

 

「吾郎」

 

「本当だよ。ホントにホント。今回は倒れちゃったけど、いつもはそんなことないんだよ」

 

 

 彼女がいてくれるならば、僕は平気だった。

 何も怖いことなんてないし、苦しいことなんてない。

 あるとするならそれは、幸せすぎることくらいだろうか。

 

 黎と出会ったときから、大人たちの悪意に晒されても平気だった。傷つかなかった訳じゃないけど、痛くなかった訳じゃないけど、その度に救われてきたのだ。

 多分、黎には「そのつもりがなかった」ことの方が多かったのかもしれない。俺の様子がちょっと気になって、何気なく声をかけただけだったのかもしれない。

 

 ……それでも俺にとっては、みんながいてくれたことが救いだった。今も、昔も、これからも、きっとそれは変わらないのだと思う。

 

 

「心配してくれてありがとう。今度はこんなことにならないよう、もっときちんとする。早く復帰できるよう頑張るから……黎?」

 

 

 俺の言葉は最後まで紡がれることはない。黎が突如何かと一緒にペットボトルの水を口に含み、勢いそのまま俺の口を物理的に塞いだためである。

 訳も分からず混乱する俺は、彼女が口から流し込んできたもの――結構な量の水と、僅かな異物――を成す術なく飲み込んでしまう。

 気管に詰まって咳き込まなかっただけマシかもしれない。呆気にとられる俺を半ば抱き寄せるような形にして、彼女は俺の額に自分の額を触れ合わせた。

 

 

「キミが頑張っていること、知ってる。ちゃんと知ってるよ」

 

 

 優しい言葉が、降ってくる。ゆっくりと、それは俺の心に降り積もっていく。

 背中に手が回された。黎は俺の肩口に顔を埋める。

 

 

「吾郎は偉いよ。……でも、たまには弱音吐いて甘えたっていい。私の前でまで“いい子”にならなくていいんだ」

 

 

 温かい。温かい。湧き水が滾々と溢れるように、胸の奥からじわじわと込み上げてくるのは歓喜だった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

「大丈夫だよ。大丈夫だから、ちょっと休もう。誰も怒らないし、責めないし、嫌いになったりなんかしないから」

 

 

 彼女の声が、僅かながら震えていた。俺の視界では黎のうなじを捉えるので手一杯だから、今、彼女がどんな顔をしているのかは分からない。肩口が僅かに湿った感じがする――ああ、黎は今、泣いているのか。俺のせいで。俺なんかのために。

 俺はやや強引に、黎の顔を自分の方に向け直させる。彼女は抵抗するようにかぶりを振ったが、乞うようにして黎の名前を呼べば、おずおずとこちらを向いてくれた。灰銀の瞳には薄い涙の幕が張っている。動いた拍子に、それは溢れて流れ落ちた。

 溢れた涙を掬い上げれば、黎は恥ずかしそうに視線を彷徨わせる。けど、俺を振り払わずに受け入れてくれていた。暫し俺に為されるがままだった黎だったが、何かを決心したように俺を見返す。灰銀の双瞼は、しっかりとこちらを捉えていた。

 

 

「好き。好きだよ、吾郎。――愛してる」

 

 

 祈るように、黎は言葉を紡ぐ。彼女の手は迷うことなく俺の手に重ねられ、指を絡まれた。そのまま、触れるだけのキスを1つ。

 

 全身全霊を持ってして伝えられる想いを、俺は真正面から受け止める。途端に、俺はそのまま溺れてしまった。返さなくてはと思う度に、黎に応える術が見当たらない。

 自分が持っているものはあまりにも少なくて――それでは黎に返すには全然足りなくて、俺は内心途方に暮れる。それでもいいと言うように、黎は静かに微笑んだ。

 

 今の俺に出来ることはたった1つだけだ。俺は黎の背中に手を回して、細くて華奢な身体を掻き抱いた。

 彼女の体躯はすっぽりと俺の腕の中に納まる。黎の身長は163cmで、丁度抱きしめやすい。

 少々癖がある柔らかな髪を梳きながら、俺も黎に応える。全身全霊を持ってして、だ。

 

 

「俺も、好きだ。――愛してる、黎」

 

 

 触れ合うように、啄むように、角度を変えては徐々に深く深く口づけを交わす。互いの息遣いが荒くて、時折衣擦れの音が響いて、溺れるんじゃあないかと錯覚してしまいそうになった。――ふと、薄ら目を開けてみると、黎は少し苦しそうに震えている。

 正直、足りない。でも、邪な欲望が顔を出そうとするのは実父を連想してしまって恐ろしいし、これ以上黎に無理をさせたくはない。名残惜しいのを堪えて、俺は唇を離した。互いを繋いでいた銀糸がプツリと切れる。

 ……思えば、深いキスをしたのは今回が初めてではないだろうか。甘い吐息を漏らしながら、黎は俺にもたれかかってくる。解放されて気が抜けたせいか、彼女の身体からも力が抜けていた。俺の服を握り締めながら呼吸を整えようとする黎の身体を支えながら、労りを込めて頭を撫でた。

 

 

「……ごめん。大丈夫?」

 

「うん……平気」

 

 

 少しづつ呼吸を整えながら、黎は力なく頷いた。頬を淡く染めて、花が綻ぶような笑みを浮かべて、俺にすり寄ってくる。

 

 好きな人に受け入れてもらえた――その事実が、泣きたくなるくらい嬉しい。

 ……ああもう。どうして彼女はいつも俺を幸せにしてくれるんだろう。

 

 

(――あれ?)

 

 

 暫し、黎の頭を撫でたり髪を梳いたりしていたとき、何の前触れもなく睡魔が忍び寄ってきたことに気づいた。抵抗する間もなく、うつらうつらと意識が漂い始める。

 黎は俺の異変に気づいたようで、体を起こした。「薬が効いてきたんだね」と彼女が零す。――もしかして、先程の口移しで飲み込まされた異物は解熱剤だったのだろうか。

 ……確か、解熱剤だけでなく、薬の類には“服用すると眠気を誘発する”副作用を持つタイプがある。欠伸をかみ殺す程度であるのが常だが、今回の薬は眠気の誘発性が強い。

 

 真っ直ぐ背を伸ばしていられなくなって、俺の身体がずるずると崩れ落ちていく。介護をしようとする黎を制した俺は、どうにかしてベッドの上に体を横たえた。黎は静かに微笑みながら、夏用の布団をかけてくれた。氷枕がガランと音を響かせる。氷水で冷やしたタオルが、また俺の額の上に乗せられた。

 

 布団の中から手を這い出した俺を見て、黎は多分察してくれたのだろう。指を絡めて、俺の手を握り返してくれた。

 ()()()()()。漠然と、俺はそんなことを思った。心地よい睡魔に身を委ねで瞼を閉じる。

 

 程なくして、俺の意識は闇の中へと溶けていった。

 

 

◇◆◆◆

 

 

 佐倉双葉は電子機器の扱いに長けたハッカー/クラッカーである。双葉の手にかかれば、ルブラン全体に盗聴器を設置したり、怪盗団と思しき人物のスマホにアクセスしたり、証拠を残すことなくSNSのアカウントを操作したりするのはお茶の子さいさいであった。

 

 

『待って。俺、薬を飲まされた記憶がないんだけど……?』

 

『意識朦朧だったからじゃないかな』

 

『……ちなみに、方法は?』

 

『口移し』

 

『うわあああああああああああ……!』

 

「うわあああああああああああ……!!」

 

 

 自分は調子に乗りすぎたのだ――養父である惣治郎が淹れてくれた特別苦いコーヒーを啜りながら、双葉は盗聴した音声データを聞いていた。後悔しながら聞いていた。

 おかしい。双葉は惣治郎特性の特別苦いコーヒーを飲んでいたはずだ。決して、某有名チェーン店の甘い甘いフラペチーノを飲んでいたわけではないはずだ。

 甘い。甘い。甘すぎる。胸やけしてしまうくらい甘い。暴力的なまでもの甘さに泡を吹きそうになりながら、双葉はパソコン画面から目を離せなかった。

 

 

(……画像や映像データがあったら、間違いなく死んでいた……!)

 

 

 引きこもり生活丸数年。外に出ず籠り続けて対人関係が壊滅を通り越して焦土と化している双葉には、リア充のラブシーンは厳しすぎた。もうどうしたらいいのか分からなくなるレベルでパニックになっていた。

 現実世界で双葉を助けてくれそうな相手は、自分を引き取ってくれた養父である佐倉惣治郎だけだ。だが、双葉のやっていることがやっていることのため、惣治郎に助けを求めるのは気が引ける。多分説教モノだろう。

 

 では、ネットではどうか。……ダメだ。双葉の語彙力では、この状況を「双葉が不利になることなく」説明する方法が見つからない。

 馬鹿正直に「盗聴したらラブシーン拾った」と述べれば友人たちは軒並み離れていきそうだし、それ以外にうまい言葉が見つからなかった。

 二次元のイチャイチャシーンはガッツポーズを取れるのだが、三次元のラブシーンには一切耐性がない。発狂不可避だ。

 

 人間、パニックになるとまともな判断を下すことが不可能になると言う。今の双葉も、まともな判断を下すだけの理性も余裕も残っちゃいなかった。すべてにおいて未経験である佐倉双葉にとって、ルブラン屋根裏部屋に住まう住人とその彼氏の破壊力は凄まじすぎた。

 

 

『……なあ、黎。その……着替えは……?』

 

『至さんが持ってきてくれた』

 

『いや、俺が言いたいのはそっちじゃなくて……』

 

『着替えも汗を拭いたのも私だよ。……意外と、鍛えてるんだね。吾郎は』

 

「ぐふぅッ!?」

 

 

 見事に弱点にヒット。

 

 

『ねえ、黎』

 

『何?』

 

『触れてもいい?』

 

『……ん。いいよ』

 

「ぬぐぅ!!」

 

 

 派手な追撃が入った。

 

 

『そんな顔しないでよ。好きな人(キミ)のためなら、俺はどんな無理や無茶だって平気なんだ』

 

『吾郎』

 

『本当だよ。ホントにホント。今回は倒れちゃったけど、いつもはそんなことないんだよ』

 

「ほええ……!」

 

 

 誰か助けてくれ。体力がピンチだ。

 音声以外入ってこない情報に、双葉がめくるめく想像をして頭を爆発させかけていたときだった。

 

 

『好き。好きだよ、吾郎。――愛してる』

 

『俺も、好きだ。――愛してる、黎』

 

「――――――!!!」

 

 

 絶え間なく響く荒い息遣いが、微かに響く水音とリップ音が、時折紛れ込むようにして響く衣擦れの音が、双葉の聴覚を完全に乗っ取った。最早声すら出てこない。口を押え、身を震わせるのだけで手一杯だ。

 程なくして、リア充たちの戯れには終わりが訪れた。彼氏のほうが薬の副作用で眠ってしまったためである。双葉の残りHPは1。喰いしばりが発生した結果だ。このスキルがなければ、今頃双葉は失神していただろう。

 ぜえぜえしながらコーヒーを煽る。ようやく惣治郎のコーヒーから甘みが抜けたようで、胃のむかつきに苦しむ双葉の救世主となり得た。双葉が大きく息を吐いた刹那、盗聴器が屋根裏部屋の住人の声を拾い上げる。

 

 

『……優しくしてくれるのは、嬉しいんだ』

 

 

 それは、ぽつりと零れた呟きだった。焦がれるような熱と切なさを孕んだ、少女の声。

 

 

『私のこと大切にしようって頑張ってるの、ちゃんと伝わってるよ。……本当に、本当に嬉しいんだ』

 

 

 彼氏の寝息に紛れて、熱っぽい吐息を盗聴器が拾い上げる。

 

 

『……でもね、求めているのは貴方だけじゃないんだよ。吾郎……』

 

 

 ちゅ、と、音がした。屋根裏部屋の住人が、眠っている彼氏にキスをしたのだ――双葉の頭脳が叩きだす。

 啜っていたコーヒーが突然フラペチーノに変わった気がして、双葉は口を歪める。喰いしばりはもう発動しない。

 

 双葉はそのままテーブルの上に突っ伏した。――もう暫く、動けそうになかった。

 

 

***

 

 

 佐倉双葉には、チャットでよく合う友達がいる。1人は桐条財閥関連企業で働いているというHN“(かぜ)ちゃん”、もう1人はつい最近独立したばかりのセラピストであるHN“MAIAKI”だ。前者はPCカスタマイズという共通の趣味が合って仲良くなり、後者は“風ちゃん”から紹介された“風ちゃん”の友達である。

 “風ちゃん”から“MAIAKI”を紹介されたときは職業的に身構えたものの、“MAIAKI”は無理に双葉を外に出そうとはしなかった。双葉の意見をきちんと聞いてくれて、『無理しなくてもいいよ。いつか、貴女が自分で立ち上がろうと思える日が来るから』と言って見守るスタンスを取ってくれた。惣治郎と同じで、そこは感謝してもしきれない。

 今、双葉は吐き出したいことがあって堪らなかった。これを吐き出さないと、引きこもりライフすらまともに送れないレベルで精神が追いつめられていた。もう誰に何を言われてもいい。何でもいいから助けてほしい。双葉は自分の精神と体に鞭打って、キーボードを叩いた。

 

 

葉っぱ:盗聴したら濃厚ラブシーン拾った。刺激が強すぎて死にそう。どうしたらいい?

 

風ちゃん:まずは盗聴をやめよう。話はそれからだよ。

 

MAIAKI:まずは盗聴をやめよう。話はそれからだよ。

 

葉っぱ:だよな……。まずは盗聴器の電源切ろう。

 

 

 もう二度と、屋根裏部屋を盗聴することはやめよう。

 見捨てないでくれた友人たちからのアドバイスを参考にして、双葉は盗聴器の電源を切った。

 

 

◆◇◇◇

 

 

 翌日の夜には、僕の熱はすっかり下がっていた。黎と協力関係を結んでいる女医の薬は副作用――強い眠気を誘発する――は強めだが、効果も申し分ない代物だったらしい。僕が眠っている間に診察を済ませた女医曰く、『明日からは普通に日常生活が送れるだろう』とのこと。『何かあったらまた連絡するように』とも言い残したそうだ。

 僕が薬の副作用でぐっすり眠っている間に、“メジエド”に喧嘩を売られた怪盗団の状況も変化したようだ。『自分なら“メジエド”を止められる。取引をしろ』と名乗りを挙げてきたハッカー/クラッカーである“アリババ”が、突然、一方的に取引関係を打ち切って来たという。関係を破棄するついでに、怪盗団の情報も向うが処理しておいてくれるらしい。

 怪盗団に喧嘩を売って以来、“メジエド”には一切動きはない。犯罪集団が怪盗団に戦いたとは思い難いが、双方の動きが完全に沈黙してしまってはもうどうしようもない。若干の不安は残っているが、“メジエド”の一件以来延び延びになっていた金城『改心』記念戦勝会をすることにした。真の歓迎会は、花火大会中止の代わりに行ったお好み焼きパーティで代用した形である。

 

 金城の『オタカラ』は15万円。悪趣味な金色のスーツケースに入っていた万札の総額である。大きさと中身が一致しなかったのは、スーツケースの構造が上げ底状だったためだ。金城の見栄が形になった『オタカラ』だとは真の意見だったりする。

 

 元々金城は貧乏な出らしいので、この15万円には見栄以外にも大事な意味があったのかもしれない。けど、その意味を思い出したとしても、金城はもう二度と、そのときと同じ気持ちで15万円を手にすることはできないのだろう。鴨志田にとっての『オタカラ』――金メダルと同じように。

 15万円を使って打ち上げをすることになった怪盗団の面々は浮かれた。『それだけあればパァッと打ち上げができる』と大喜びした面々は、打ち上げ先として寿司屋を候補にしていた。『全会一致の原則だから、あとは吾郎が賛成するか否かだ』という竜司のメッセージに、僕は躊躇うことなく『寿司がいい』と返答した。

 

 

吾郎:明日は検察庁で仕事の手伝いすることになってるんだ。僕が合流できるのは午後からになるけど、大丈夫?

 

竜司:おう!

 

祐介:了解した。

 

杏:オッケー!

 

真:了解。お姉ちゃん対策は手はず通りにね。

 

吾郎:こちらこそ了解。冴さんも獅童の方も、そろそろ怪盗団の新情報を欲しがっているだろうし。上手くやるよ。

 

 

真:そういえば、獅童から『怪盗団に精神暴走事件の濡れ衣を着せろ』って言われてるのよね?

 

祐介:この時点で布石を打つということか? 厄介だな。

 

竜司:確か、獅童が得意な戦術が“上げて落とす”なんだっけ? もしかして、“メジエド”が獅童と繋がってるってことか!?

 

杏:そっか! 金城を『改心』させて人気が出てきたけど、“メジエド”を『改心』できなきゃ怪盗団の威信は地に落ちるってことだよね?

 

吾郎:タイミングがちょっと早すぎる気はするけど、その可能性はある。

 

竜司:タイミングが早すぎる? なんで?

 

杏:獅童は怪盗団を潰したいんでしょ? だったら早い方がいいんじゃないの?

 

真:確かに吾郎の言う通り、タイミングが微妙ね。人気絶頂のタイミングを狙って威信を失墜させる方が効果的よ。

 

黎:芸能人のスキャンダルが発生すると炎上するでしょう? それと同じ原理だよ。

 

祐介:成程。俺たち怪盗団は民衆からの支持を受けている。権威が失墜するということは、周りが手のひらを返して敵に回ることと同義だ。

 

吾郎:そうして怪盗団を悪に仕立て上げた後、奴は堂々と正義を主張して、怪盗団を打つ英雄になるわけだ。だから、奴は徹頭徹尾怪盗団を批判している。最後の最後で自分が勝者になるために。

 

竜司:ゲェ……! なんて悪趣味な奴だ。正義って字面を背負って立つ人間とは思えねーよ。

 

杏:獅童の下の名前って正義なんだよね。名前改名して悪党にしてもらった方が良さそう。

 

黎:残念だ、杏。悪は人名漢字として使用不可能なんだよ。実際、役所に『悪魔』で出生届を出して止められている事例があるからね。

 

竜司:いや、自分の子どもに『悪魔』ってつけようとする親もどうかと思う。

 

 

吾郎:“メジエド”が獅童と繋がっているかはともかく、今は戦勝会のことを考えよう。

 

黎:みんなもそれでいいね?

 

竜司:ああ、それでいいぜ。

 

杏:私も。

 

祐介:俺も構わない。

 

真:そうね、そうしましょう。……なんだかごめんね。みんなに変な心配かけちゃって。

 

黎:いや、真の心配も最もだよ。指摘してくれてありがとう。心構えがないのとあるのとでは随分違うから。

 

吾郎:明日は寿司を食べながらゆっくりして、明後日以降から考えればいいと思うよ。

 

真:ありがとう、2人とも。それじゃあみんな、また明日ね。

 

 

『お世話になったね。それじゃあ、また明日』

 

『うん。また明日、銀座でね』

 

 

 仲間たちのチャットを終えた僕は、黎に見送られてルブランを後にした。

 

 そうして翌日、検察庁。冴さんは朝からピリピリしていて、以前までの姉御肌的な部分は完全に成りを潜めていた。横顔も完全に鬼気迫っているように見える。

 いくら精神暴走事件や怪盗団関連の事件、そして獅童関連の事件がうまい具合に進まないからといって、無意味に荒れている姿を見たのは初めてのことだった。

 

 

『怪盗団が金城を自白させたせいでこっちの面子は丸潰れ、精神暴走事件と思しき不審死を遂げた遺族や、被害者が研究していた認知訶学は突破口を切り開く鍵になり得ない……! 本当にもう、どれだけ引っ掻き回せば気が済むのかしら』

 

『……認知訶学? それって、一色若葉さんの研究ですよね?』

 

『あら、明智くん。被害者のことを知ってるの?』

 

『ええ。保護者である航さんとの繋がりがあって、何度か顔を合わせたことがあります』

 

 

 まさかこんなときに、一色さんの娘の行方を知ることができるだなんて思わなかった。このチャンスを逃してはならぬと思った僕は、冴さんに問いかける。

 

 

『……そういえば、一色若葉さんには娘さんがいるって聞いたんです。航さんがその子に会いたがってるんですけど、関係者からは教えてもらえなくて』

 

『明智くん、灯台下暗しよ。被害者の娘を引き取ったのは、貴方が愛してやまない有栖川さんが住まう喫茶店ルブランの店主、佐倉惣治郎さんなの』

 

 

 今まで以上に刺々しい冴さんに内心辟易しつつも、僕は割と真面目に驚いていた。航さんが殺意マシマシの一色家関係者の元へ赴いて頭を下げていたことが無意味だったのではないかと心配になるくらい、一色さんの娘さん――双葉さんは身近にいたのである。

 先日、ルブランで佐倉さんと冴さんが言い争っていたのにはこんな理由があったようだ。冴さんは無理矢理佐倉さんや双葉さんから話を聞き出そうとして失敗したようで、『何の役にも立たない』等と詰っていた。虐待をでっちあげて親権停止をちらつかせるなんて、おっかない。

 ……目の前で親の死を目の当たりにした子どもへの対応として、冴さんの言動は明らかに異常だ。傷つき苦しむ人間に対して、冴さんは鞭を打っている。それも、“自分の手柄を得て、結果的に勝利を勝ち取るため”にだ。人道的に考えて無茶苦茶である。

 

 新島冴という女性は、こんな女性だっただろうか? か弱い相手を嬲って踏み躙ってでも、勝利を手にしようとする人間だっただろうか? 『勝つためだったら何をしてもいい』と、ハッキリ言いきってしまうような人間だっただろうか?

 

 以前から嵯峨薫氏が『冴さんが勝利に執着するようになったから心配』だと聞いていたけど、冴さんとコネクションを結んだ当初はここまで酷くなかったはずだ。

 何でもかんでも黒にして、検挙数を挙げて、それを出世の道具にするような人ではなかった。真の自慢話を数時間耐久で仕掛けてくるレベルで、妹を大切にしていた人だった。

 

 

『精神暴走事件が有名になったのも、怪盗団が活動し始めたのもほぼ同じタイミングよね。飛躍しすぎているとは思うけど、もしかしたら“怪盗団が精神暴走事件の黒幕”なのかしら?』

 

『……その推理は、冴さん独自の判断ですか?』

 

『そうだけど』

 

 

 しれっと語る冴さんに、僕は若干の不安を覚えた。なぜならそれは、僕が獅童親子から指示された『推理内容』だからだ。冴さんの注意を怪盗団に向けさせるための誘導に使う推理。――だというのに、僕が提案するより先に、冴さんが自らその推理を展開したのである。

 

 ()()()()()()()と思ったのは何故だろう。()()()()()()と、僕の中にいる“何か”が警笛を鳴らす。ざわつく心を仮面の下に隠しながら、僕は笑みを浮かべた。『丁度良かった。僕も冴さんと同じことを考えていたんですよ』と嘯く。冴さんは疑うことなく僕の言葉を受け入れた。

 冴さんは嬉しそうに目を細めると、即座に周囲を見渡した。そうして僕に耳打ちしながら問う。『警察関係者にその話を漏らしたか』という質問に対し、僕は『勿論、(信頼できるペルソナ使いの警察官たち以外には『嘘だってことも含めて』)言ってませんよ』と答えた。括弧内を口に出していないだけなので、嘘偽りは述べていない。

 『警察組織は駒だ』と悪びれること無く言い切った冴さんに、僕は何とも言えない寒気を感じていた。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()――僕の中にいる“何か”が怯えながら弁明する。……多分、それは、僕や“何か”にとっても『本当のこと』だ。

 

 でも、僕らの『本当のこと』に込めた想いや願いを無視するように、冴さんは狂気的な眼差しでプロファイリングを進める。

 ――いいや、()()()()()()()()()と“何か”は分析した。“何か”が酷く困惑しているように感じたのは、僕の気のせいではない。

 

 勝利のためにと決意を新たにした冴さんに、僕はわざと話題を振ってみる。冴さんが大好きな真の話題だ。

 

 

『そういえば、黎がまこ……冴さんの妹さんと一緒に雑貨屋を見て回ってたんですよ。冴さんの気に入りそうな――』

 

『――明智くん。それ、捜査に関係あること?』

 

『えっ? あ、いや……』

 

『ないんでしょう? なら、そんな話はどうでもいいわ。時間の無駄よ』

 

『で、でも冴さん、妹さんの話――』

 

()()()()()()()()()()()()()って言ってるのが分からないの? 私の人生を食い潰すだけの足手まといの話なんて不要だわ』

 

 

 なんだこれは。

 なんだこれは。

 なんだこれは!?

 

 颯爽と立ち去っていく背中に呆けた僕だったが、冴さんは即座に立ち止まって怪訝そうに僕を見つめてきた。さっさと来いとのお達しらしい。

 僕は愕然としながらも、それを押し込めて冴さんの後を追いかけた。……空は晴天にもかかわらず、暗雲が立ち込めてきたように思ったのは気のせいではなかった。

 

 

“色々大きな動きはあった。ただ、これは戦勝会が終わった後で話したい。みんな、夜の予定は大丈夫?”

 

 

 仲間たちに問いかけたら、全員から“大丈夫”と返信があった。怪盗団のみんなは僕が話をするまで待ってくれるらしい。そのことに感謝しつつ、僕は帰る準備を始めた。

 

 冴さんは鋭い眼差しで僕を見つめている。手伝え、ということらしい。元から今日は午前だけのはずだろうにと言外に訴えると、射殺さんばかりの眼差しで僕を睨んできた。

 今回は意地でも定時で検察庁を出たが、次からは労働基準や学生であることを無視して強行軍に投入されるだろう。獅童の敵同士で結びついていた僕と冴さんの関係が崩れそうだ。

 司法関係者の情報は欲しいし、獅童の情報だってほしい。……けど、今の冴さんは信用ならないのだ。本人は自覚していないようだが、明らかに何かおかしくなっている。

 

 

『じゃあ、お先に失礼します。……ところで、冴さん』

 

『何? 今、“メジエド”の宣戦布告で忙しいんだけど?』

 

『精神暴走事件には『廃人化』だけじゃなく、“性格が別人みたいに変わる”という症状もあるらしいですよ?』

 

『それが何か? ……何が言いたいの? 無駄話をしている暇はないの。帰るならさっさと帰って頂戴』

 

 

 刺々しい空気を纏った冴さんは、冷ややかな口調で言い放った。普段の冴さんなら僕の言葉の意図を察してくれる聡明さがあるはずなのに、それは一切感じ取れない。

 『貴女自身が精神暴走事件の被害者になりそうです。気をつけて、踏み止まってください』と回りくどく投げかけてみたものの、冴さんは気づいてくれなかった。

 

 ――僕が冴さんの執務室から出て扉を閉める直前、黒いドレスを身に纏い、灰色基調の派手なメイクをした女の姿がちらついたのは気のせいだっただろうか。

 

 

***

 

 

 金城『改心』記念の銀座高級寿司は美味しかった。

 

 このときだけは、“メジエド”や冴さんの暴挙等の不穏な気配を忘れて楽しむことができた。竜司が上杉さん並みの食レポを披露したり、祐介が挙動不審に値段表を探していたり、モルガナがマグロ(しかも大トロ)の虜になったりと、見ていて微笑ましい光景が広がっていた。

 黎はサーモンとイクラ系を好んで食べていたし、杏と真も幸せそうな顔をして高級寿司に舌鼓を打つ。僕は栄吉さんの店――がってん寿司で美味しい寿司を食べたことはあるけど、銀座の高級店に足を運んだのは今回が初めてだった。実際美味しかったし、文句はない。

 寿司を食べている最中に、『珠閒瑠のがってん寿司が懐かしい』ってぼやいている客――なんだかどこかで見たことがあるようなサラリーマンだった。エルミンメンバーから『トロ』の愛称で呼ばれていた人によく似ている――を見かけたが、その人はお勘定を済ませて店から出て行ってしまった。閑話休題。

 

 高級寿司を食べ終えて四軒茶屋に帰って来た僕たちは、ルブランで作戦会議を開いた。検察庁で僕が手にした情報――“メジエド”からの宣戦布告、認知訶学を研究していた一色若葉さんのこと、その娘である一色双葉さんのこと、冴さんが虐待をでっちあげてまで佐倉さんと双葉さんから情報を引き出そうとしていたことを説明する。

 誰もが沈痛な面持ちとなった。特に真の落ち込みようが酷い。その気持ちは想像するに余りある。“母親が目の前で自殺した”と思い込んでいる被害者遺族の傷を抉ることも厭わず、しかもその理由が『自分の手柄にして出世するため』。人の心を踏み躙ってまでのし上がろうとする冴さんの姿は、怪盗団が『改心』させてきた大人たちと変わらないのだから。

 

 

「お姉ちゃん、どうしてそうなっちゃったんだろう……。昔は全然そんなことなかったのに……」

 

「精神暴走事件には『廃人化』だけじゃなく、“性格が別人みたいに変わる”という症状もあるんだ。……もしかしたら、冴さんは自分の自覚なしに、精神暴走事件の被害者になっているのかも」

 

「それって、獅童の『駒』が真の姉さんを人質にとったってことか!?」

 

 

 僕の話を聞いた竜司が、動物的な勘を働かせて持論を展開する。精神暴走が『廃人化』と関わっている、『廃人化』専門のヒットマンは獅童の『駒』であるという点から独自に発展したそれは、ある意味で、獅童の悪辣な手腕を浮き彫りにさせるに至った。

 獅童の『駒』――智明は冴さんを怪盗団の敵へと変貌させた。つまり、良い方は悪いが“冴さんを手中に収めた”と言っても間違いではない。精神暴走状態に陥った冴さんを『廃人化』させて息の根を止めるなんて芸当、智明ならできそうだからだ。

 

 

「でも、僕の正体がばれてないと、竜司のような発想で冴さんを精神暴走させることはないはずだ。別の意図で動いた結果、こうなっただけなんじゃ……」

 

「……いや、竜司の意見も一理あるよ。獅童たちは何も言わないだけで、吾郎を牽制しているのかもしれない」

 

 

 黎の言葉に、ぞくりと背中が震えた。まさかと笑い飛ばすことができない。僕の中にいる“何か”が、鬼気迫ったように焦り、怯えているように感じる。

 

 ()()()()()()()()()()――問答無用で、それがすとんと落ちてきた。()()()()()()()()()()()()()()()()()――そこで、“何か”は言葉と感情を閉ざしてしまう。嫌な汗がじわりと滲んだ。

 底なしの深淵を覗き込んだような心地になり、僕は生唾を飲み干す。闇の底で、獅童親子が僕を蔑むようにして見つめていた。嘲笑うような瞳と底なしの悪意に身じろぎし――けれど僕は、敢えて不敵に笑い返す。

 虎穴に入らずんば虎子を得ず。汚い大人との駆け引きは何度も繰り返してきた。頼れる大人たちが戦っている背中を思い浮かべる。大切な人を守れるようになりたい――いずれ僕が辿り着きたい理想が、死地へ赴く僕の背を押す。

 

 心配そうにこちらを見つめる怪盗団の仲間たちに対し、僕は笑い返す。

 震えそうになる身体を抑え込み、不敵に、挑戦的に。――それが、『白い烏』の矜持だ。

 

 

「だったら尚更、引き下がるわけにはいかないね。こういうときこそ、普段通り、太々しく振る舞わなきゃ」

 

「吾郎、声震えてる」

 

「吾郎、口元引きつってる」

 

「冷や汗凄いぞ、ゴロー」

 

「おい吾郎。血の気が引いてないか?」

 

「なあ吾郎。お前の手、震えてねぇ?」

 

「……少しくらい格好つけさせてくれよお前らァ!!」

 

 

 僕の強がりを、杏、真、モルガナ、祐介、竜司が看破した上で指摘した。彼らは黎と違って、“俺の強がりを見逃してくれる”という優しさは備わっていないらしい。助けを求めて黎に視線を向ければ、慈母神のような優しい眼差しを向けてきた。

 仲間たちの心配を受け取っておけ、と、綺麗な灰銀が促す。僕は観念してため息をついた後、怪盗団一同からのありがたいお言葉を聞くことにした。みんな俺のことを気遣い、心配し、案じてくれている。照れくさいが、正直嬉しい。悪態をつきながらも自然と口が緩んでしまう。

 暫し雑談に興じた後、僕たちは再び作戦会議に戻ることにした。僕の密偵業は続行。“メジエド”を『改心』させる鍵を手に入れるため、“アリババ”――佐倉双葉さんに接触を試みることで全会一致した。モルガナ曰く、ルブランには盗聴器が仕掛けられているようなので、この話も双葉さんに筒抜けかもしれない。

 

 ……そういえば、僕が熱を出して倒れたときも、双葉さんはルブラン店内を盗聴していたのだろうか。

 

 僕はSNSを起動し、航さんにメッセージを送った。南条コンツェルンの研究機関に缶詰めになっている航さんがこのメッセージにいつ気づくかは分からないが、どうしても知ってほしい内容だった。

 航さんはずっと、若葉さんからのメッセージを守りながら双葉さんを探している。それが報われてほしいと願うのは当たり前のことだ。既読のランプがつくことを願いつつ、僕はスマホを仕舞う。杏が顎に手を当てながら呟く。

 

 

「“メジエド”が獅童側と繋がっているとしたら、“アリババ”がマスターの娘さんである双葉って子なら納得がいきそうだよね。その子、『お母さんの死因をどこかで知ったから、その仇討ちをしようとしてる』ってことになるもの」

 

「だとしたら、双葉さんは誰から、あるいはどのルートで、一色若葉さんのことを知ったんだろう?」

 

 

 僕は顎に手を当てて考えた。

 

 一色さんの死の真相を知っている人間――航さんは事故現場で一部始終を見ていたし、俺から獅童正義や奴の『駒』の話を聞いていたから真相を看破するに至った。けど、航さんは一色家から毛嫌いされているから今まで双葉さんと接触できずにいる。だから、航さんから話を聞いたとは思えない。

 他に一色さんの死の真相を知っている人間は少ないだろう。一部始終を見ていた航さんがすべてを知ったのは、“ペルソナ使いであったから”というアドバンテージがあった。航さん以外の目撃者――一般人はみな口を揃えて『若葉さんが自殺した』と証言している。

 もしも双葉さんが情報を手に入れたとするならば、ペルソナ使い――あるいはペルソナ使いと強いコネクションを持つ一般人ではないだろうか。事実、僕らが把握できていないだけで、ペルソナ使いは各地に存在している。僕が自分の推理を仲間たちに話していたときだった。

 

 黎のスマホが突然鳴り響いた。黎は即座にスマホを仲間たちに見せる。

 チャットの相手は“アリババ”――協力関係を解除したハッカー/クラッカーが、再び接触してきたのだ。

 

 

「“アリババ”……フタバか!?」

 

「協力関係を解除したのに、一色若葉さんの話題になって連絡してきたってことは……」

 

「やはり、俺たちの会話を聞いていたのか」

 

 

 モルガナが声を上げ、真と祐介は険しい顔で黎のスマホを覗き込む。

 ――これで、“アリババ”が双葉さんである可能性がより一層濃厚となった。

 

 

アリババ:キミたちの話はすべて聞かせてもらった。実は、ルブランに盗聴器を仕掛けていたんだ。

 

 

 その書き込みを皮切りに、“アリババ”が次々と書き込んでいく。黎が書きこむ隙を与えぬと言わんばかりに、だ。

 

 “メジエド”を止めるキーマンである佐倉双葉――つまりは自分のことだ――は、母である一色若葉さんの死因を『双葉さんとの関係がうまくいかなかったことが原因でノイローゼとなり、突発的に自殺した』と思い込んできたという。実際、その証拠を見せつけられ、親戚一同から責められたそうだ。

 だが、僕の話を盗聴したことで、背負い続けてきた罪悪感にわずかながら疑問が生じたらしい。最も、いきなり齎された情報――“一色若葉の死因は自殺ではなく他殺である”という話を飲み込み切れずにいるようだ。おまけに、それを証明できる目撃証人――航さんがいたことも知らないままだったらしい。

 

 

黎:私はキミに会いたいんだ。証人にも会わせてあげたい。外に出て来ないのか?

 

アリババ:外には出ない。出られない。出てはいけない。今まではそう思ってた。

 

黎:今は?

 

アリババ:出る勇気がない。

 

黎:どうして?

 

アリババ:今までずっと、外に出ることなく死んでいくべきだと思ってた。あそこが墓場だって思ってたから。

 

黎:墓場とは穏やかなじゃいね。でも、今は違うんでしょう? どう思ってる?

 

アリババ:どうすればいいのか分からない。今までの苦しみが何だったのか分からない。どうして私はあんな風に責められなければならなかったのか。苦しまなくてはならなかったのか。こんなのおかしいじゃないか。

 

 

 それっきり、チャットはエラーとなった。僕らは顔を見合わせる。チャットに書きこまれた内容からして、“アリババ”=双葉さんは『一色さんの死因を知らないまま、僕らの話を盗聴していた』ということになる。

 僕の推理は斜め上を向いていたらしい。しかも、この推理のせいで双葉さんの心に多大な衝撃を与えたようだ。良くも悪くも、自分が信じてきたことが打ち砕かれるというダメージは凄まじいのだから。

 双葉さんがどうやってこの事実を飲み込むのかは分からない。だが、彼女は自分の心に苦しんでいる。母を失った悲しみ、母の死が自分のせいではないかという罪悪感――今まで背負ってきた苦痛が謂れなき悪意によるものだと知ったためだ。

 

 自分の苦しみは無意味だったのかと、何であれほど苦しまなければならなかったのかと。

 燻った思いと折り合いがつかない限り、双葉さんはきっと前へ進めない。

 

 

「『改心』が認知の歪み――即ち欲望を正すことで心の変化を引き起こすと仮定すれば、双葉さんの心の歪みも顕現しているはずだよね?」

 

「つまり、双葉ってヤツにもパレスがあるってことか?」

 

「多分」

 

 

 黎は即座にスマホを操作する。果たして、イセカイナビは僕らの予想通りの動きをした。人名ヒット、パレスの場所は佐倉家、キーワードは本人の自己申告で『墓』――すべてが一致した。後は、佐倉家に行ってナビを起動させるだけだ。

 

 そこまで話し合った僕たちはふと時計を見る。時間的に、そろそろ家に帰らないと危ない。補導員に目を付けられたら厄介なことになりそうだ。

 そう判断した僕たちは、今日は大人しく解散することにした。今年の夏休みは怒涛の展開になりそうだと考えながら。

 

 




魔改造明智によるバタフライエフェクト発生。双葉パレス攻略までの道筋がガラリと変わりました。真実を知っても双葉が出てこない理由は自分の実体験をベースにしています。どうしても折り合いがつけられない出来事があって、前に進むこともできず、後ろに進むのは論外なので動けず、その場に止まることが精一杯だった時期がありました。
今回は、原作を知っていると魔改造明智の推理が「待て待て待て待て! 深読みしすぎだ!!」ってなる話を目指しました。結果、双葉がこの時点で母親の真実に触れることに。基本は原作沿いですが、双葉パレス編はバタフライエフェクトが強くにじみ出てくる予定。
甘い話を書いていたら、書き手の精神が大変なことになって難産になりました。なんだか、書いていてむず痒くなってしまったんですよね……。被害者となった双葉には可哀そうなことをしたなあ(棒読み)

感想欄にあったコメント――“この作品の魔改造明智はエンディング分岐およびペルソナ20周年記念コミュ”――を読んで、折角なので、魔改造明智のコープアビリティをお遊びで考えてみました。何かあったら変更するかもしれないので、確定とは言いませんが……。

【アルカナ:正義】
<ランク1(初期時点)>
*バトンタッチ:1MORE発生時に、主人公及びバトンタッチを覚えている同士で、行動のチェンジ可能。
*追い打ち:主人公の攻撃でダウンを奪えなかった際に追撃。
*ディティクティヴトーク:敵との会話交渉が決裂した時にフォローが発生し、交渉をやり直せる。
*ハリセンカバー:バッドステータスの仲間を回復することがある。
*かばう:主人公が戦闘不能になる攻撃を受ける際に、間に入ってダメージを肩代わりする。
<ランク2>
*マスカレイド・コミュニティ:パレス攻略時に歴代ペルソナ使いが援護してくれる。他、日常生活でもペルソナ使いと関わることがある。
<ランク5>
*バタフライエフェクト・友との絆:エンディング分岐に関係する。
<ランク8>
*バタフライエフェクト・罪と罰を超えて:エンディング分岐に関係する。他にも効果ありだが詳細不明。
<ランク9>
*マスカレイド・イーチアザー:詳細不明。
<ランク10>
*バタフライエフェクト・未来はここに:詳細不明。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。