Life Will Change   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 @空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄で明智の保護者その1。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
 @獅童(しどう) 智明(ともあき)⇒獅童の息子であり明智の異母兄弟だが、何かおかしい。獅童の懐刀的存在で『廃人化』専門のヒットマンと推測される。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。
 ジョーカー(TS):有栖川(ありすがわ) (れい)⇒御影町にある旧家の跡取り娘。旧家制度は形骸化しているが、地元の名士として有名。身長163cm。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒明智の保護者2で、南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野舞耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。
・「2罰ボスの外見を見た人間の反応」に関するねつ造設定がある。
・普遍的無意識とP5ラスボスの間にねつ造設定がある。
・敵陣営に登場人物が増える。誰かは本編で。


一難去っても倍になってくる

 金城の『改心』が終わるまで、僕たちはそれぞれ“普通の学生生活”を送っていた。

 

 竜司は鷹司くんや城戸さんと話し込んだり、陸上部のゴタゴタで黎と共に駆けまわっていた。何でも、陸上部の顧問に指名された教師は色々と問題があるらしい。

 杏はモデルの仕事をこなしながら、黎と親交を深めている。この前は偶然桐島英理子さんと一緒に仕事をしたらしく、ペルソナ使いとして色々語り合ったそうだ。

 祐介は脱スランプを目指して黎に協力を依頼していた。たまに僕も巻き込まれたが、“カップルが乗ると破局する”ボートに乗せられそうになったときは流石に焦った。

 真は金城パレス攻略が縁となり、周防兄弟や真田さん、千枝さんと連絡を取るようになったそうだ。黎曰く、「真の夢は警察官」だという。成程なと思った。

 

 一番日常生活が充実しているのは黎だと断言できる。最近は女流棋士や占い師、ミリタリーショップの店主とも交流を始めたようだ。特にミリタリーショップの店員との一件は、裏社会を間近に感じられてヒヤヒヤした。紙袋を開けたら改造銃が出てくるとか、完全にパオフゥさん案件ではないか。

 鞄の中で現場を見ていたらしいモルガナは「黎は店主に躊躇いなく銃の用途を尋ねた」と顔真っ青で呟いていた。その隣で、ビックバンバーガーをペロッと平らげた黎は自慢げに胸を張っていた。おかげで僕の語彙力がテンタラフーになった。僕の好きな人は凄い。

 

 

「吾郎は大宅さんの記事見た?」

 

「ああ、少年Mの独占証言ってヤツか」

 

「大宅さん喜んでたよ。だから、ちょっと取引をしたんだ」

 

 

 黎は大宅さんと協力関係を結んだという。怪盗団のネタを彼女に提供する代わりに、怪盗団が有利になる記事を書いてもらうという取引だった。僕の方にもツテはあるが、彼らにだって“やらなければならないこと”はある。僕のメディア露出をサポートしてもらっている上におっ被さるのも気が引けた。

 

 メメントスを用いた怪盗団の活躍も絶好調だ。三島から持ち込まれる依頼だけでなく、黎に手を貸している大人たちから持ち込まれる依頼も増えた。川上先生の元生徒保護者夫婦を『改心』させたり、女医を再び陥れようとした医局長を『改心』させたりした。

 亡くなった生徒の保護者による謝罪金の催促を止めてもらった川上先生は、全面的に黎の味方になってくれたようだ。亡くなったと思っていた患者が生きているという真実を知った女医も奮起し、新薬の開発を進めることにしたらしい。そのお礼として、提供される薬品類を値引きしてくれるようになったという。

 他にも、占い師に持ち込まれた相談内容を掻っ攫うような形でDV彼氏を『改心』させた結果、占い師の女性に興味を持たれたらしい。運命は変えられないと断言した彼女は、それを覆した黎に強い興味を示した様子だった。以後はちょくちょく占ってもらっているらしい。

 

 

「『もっと占う』と言ってたから、早速占ってもらった」

 

「何を?」

 

「吾郎との未来を」

 

 

 飲み物を飲んでいた僕は、危うく噴き出すところだった。液体が気管に入って咳き込む僕を尻目に、黎は静かな面持ちで告げる。

 

 

「死神の正位置、塔の正位置、運命の逆位置、審判の逆位置……このまま行くと、“私か吾郎のどちらかか、あるいは両方が死ぬ”んだってさ」

 

「はぁ!?」

 

「御船さんは『諦めろ』って言うけど、私の心意気と吾郎との馴れ初めを語ったら複雑な顔してたな。『それでも運命は変わらないんですよ。……私個人としては、変わってほしいとは思いますけど』って言ってくれた」

 

 

 黎の話曰く、占い師の御船とやらは相当な実力の持ち主で、占いの的中率は百発百中だという。

 「パワーストーンと銘打った岩塩を10万円で売りつけさえしなければ、充分信頼できる相手である」とも。

 占いを利用した詐欺行為をしている時点で大問題なのだが、黎は御船とやらを告発する気はなさそうだった。

 

 不安を煽るような結果であるにも関わらず、黎は満面の笑みを浮かべている。

 彼女の双瞼は晴れやかで、一切の不安も恐怖も抱いていない様子だった。

 

 

「待って。その占いのどこに笑みを浮かべる理由があるの!? というか、その占い師のやってる商法、詐欺なんじゃ……」

 

「『運命なんて変わらない』と断言していた人が、私たちのことに関しては『運命が変わるものであってほしい』って言ってくれたんだもの。それで詐欺行為はチャラにしようかと思って。10万円なんてシャドウからカツアゲすればすぐ貯まるし」

 

「……時々、キミの器が大きすぎて悲しくなるときがあるよ」

 

 

 僕は深々とため息をつき、飲み物を煽った。黎は再びメニューを開くと、また別のハンバーガー(普通サイズ)を注文する。細い体ではあるが、黎は意外と食べるタイプだった。

 料理を美味しそうに食べ進める姿はとても幸せそうで、見ている僕の口元も緩んでくる。今なら、ご飯を食べる命さんを見守っていた荒垣さんの気持ちが分かりそうだ。

 月光館学園高校の寮生が荒垣さん作の料理を自慢していたことを思い出す。今頃、命さんも荒垣さんの作ったご飯を、幸せそうな笑みを浮かべて食べ進めているのだろうか。

 

 ビックバンバーガーをペロリと平らげる黎にとって、普通サイズのハンバーガーなど大したこと無いのだろう。

 彼女は普通サイズのハンバーガーをあっさりと食べ終えた。備え付けられていたナプキンで口を拭い、包み紙と一緒に畳む。

 

 流し込むようにしてシェイクを飲み干した黎は、真っ直ぐ僕を見つめた。気遣うように、労るように、灰銀の瞳は僕を映し出している。

 

 

「ところで、吾郎は? 金城の『改心』のせいで怪盗団が有名になったから、メディアの出演依頼も増えてるんでしょう?」

 

「……そうだね。あっちこっちからひっきりなしに声がかかってる。獅童たちも僕を担ぎ上げ、『駒』の隠れ蓑にしようとしているみたいだ」

 

 

 黎の問いに対し、僕は苦笑した。

 

 金城は改心し、奴は僕らの写真を消去。そうして、ペルソナ使いの刑事たちに付き添われて出頭したのである。奴の部下が写真を転載して僕らを脅しにかかるかと思ったのだが、パオフゥさんやうららさんが手を回してくれたおかげで、奴らは烏合の衆と化した。周防兄弟や真田さんは命令違反云々のペナルティを喰らうことになったものの――大人の世界で言う“すったもんだ”の末に――首の皮一枚で繋がったそうだ。

 この一件のおかげで、怪盗団に対してライバル宣言をした“探偵王子の弟子・明智吾郎”は瞬く間に有名になった。学校は僕に全面協力してくれるとは言っていたが、やはり学業と探偵および密偵業の両立は厳しい。捜査兼潜入、あるいはテレビの収録のせいで多忙状態となり、午前中または午後の授業すべてをキャンセルする羽目に陥ることもあった。勿論、怪盗団や黎を守るためなら、これくらいの無茶を張り倒せなくてどうする。

 

 

「ちゃんと眠れてないんだね。顔色悪いよ」

 

「そう? ……ダメだな。一応探偵で密偵なんだから、他者に弱みを握られないよう気を付けなきゃいけないんだけど……」

 

「それは困る。吾郎が弱みを見せてくれるって言うのは、私のことを信頼してくれてるってことだ。頼ってくれてることだ。……だから、これからも弱みを見せてくれると嬉しい」

 

 

 黎は僕の手を取って、じっとこちらを見つめていた。彼女の手のぬくもりがじんわりと沁みてきて、俺はどうしてか、泣きたい心地になった。

 完璧でありたかった。黎の前では、密偵として獅童親子と対峙するときの自分みたいに、弱みを見せない完全無欠な人間でありたかった。

 不完全で欠陥だらけの俺が、有栖川黎の傍に在る為の条件なのだと思っていた。そうすれば、彼女と()()()()()()()()()()のだと、どこかで信じていたのだ。

 

 そうじゃなくてもいいと、黎は言ってくれる。言葉で、態度で示してくれる。俺が不安になって立ちすくむ度に、俺の手を引いてくれる。――そんな彼女の在り方に、どれ程救われてきただろう。今このときだって、俺は彼女に救われている。支えられている。悔しいことに、だ。

 

 俺が彼女を守れるようになる日は来るのだろうか。俺が彼女を救えるようになる日が来るのだろうか。俺が彼女を支えられるようになる日が来るのだろうか。

 冤罪の汚名を雪いであげることも、これから迫り来るであろう獅童たちの悪意から彼女を守ってあげられることも、今の俺にはとても難しいことのように思える。

 

 

「本当、黎には敵わないや」

 

 

 俺は苦笑しつつ、彼女の手を握り返した。

 この温もりが、今もまだ俺の傍にあるだなんて夢みたいだ。

 だからこそ、この温もりが失われないでほしいと、強く願う。

 

 

(俺に出来ることって、大したこと無いんだよな……)

 

 

 できることの少なさに嘆くことより、できることすべてをフルに使う――そんな風に割り切れる強さは、俺には無い。多分、その戦法を駆使して立ちまわっている至さんも、すべてを割り切れたわけではないのだと思う。むしろ、あの人は割り切れないからこそ走り回っているようなタイプだった。

 

 俺はきっと、至さんと同じ戦法で立ち回ることができても、100%あの人を再現できるわけではないのだ。他のペルソナ使いと連携を取れるのも、至さんの七光りの影響が大きい。

 現に俺では活かしきれないコネクションだってある。名前を挙げるのは控えておくが、使いどころを考えないと相手に多大な迷惑をかけてしまう可能性があった。閑話休題。

 

 

「それから、検察庁の上層部が獅童と繋がってた。獅童とそのヒットマンも俺たちを敵視してる。実際、『駒』の奴が怪盗団を“自分たちに都合のよい形で潰す”ための算段を相談してきた」

 

「……予測はしていたけど、相手が何を仕掛けてくるか分からないから心配だね」

 

「獅童は“上げて落とす”ってのが得意だからな。民衆の心を操作する力は計り知れない。怪盗団の知名度と支持率が格段に上がった今こそ、気を引き締めないと」

 

「話を聞く限り、シドーって奴は超弩級の大悪党なんだな……。できることならソイツを今すぐ『改心』させてやりたいが、いかんぜん情報が足りなさすぎる」

 

 

 鞄の中に潜んでいたモルガナが僕らの間に割って入った。渋い顔をした黒猫は、黎のスマホを指示す。獅童正義の名前はヒットしているが、場所は全然表示されない。

 獅童正義のパレスが存在していることはイセカイナビが証明してくれたが、パレスに案内されるための手段――獅童がパレスを何と認識しているか――までは掴めていなかった。

 民衆を「愚民」を見下している獅童のことだから、自分だけ上に位置していると思っているのだろう。金城のパレスのように“空に浮かんで”いてもおかしくなさそうだ。

 

 ……問題は、“獅童智明以外の『駒』の情報が、金城のシャドウが齎した情報以外に入ってこない”という点である。金城の齎した情報にやたらと既視感を覚えたのは、御影町と珠閒瑠市でよく似た特徴の男を見かけたことがあったためだ。

 

 僕はスマホを操作する。検索したのは、12年前に御影町で発生した事件だ。僕がペルソナ使いたちの戦いを目の当たりにした――至さんの人生を決定づけた“すべての始まり”と言える戦い。事件名は“セベク・スキャンダル”。当時のセベク代表取締役の名前を検索して、候補の一番上に表示された名前をタップする。

 待機画面の後に、404:Not Foundの文字が踊った。その検索結果に僕は違和感を覚える。以前は普通に閲覧できたのに、今回に限って出てこない。何度も同じ名前で検索して記事をタップするのだが、まるで呪われてるみたいに『奴』の情報は一切表示されなかった。

 

 無情にも404:Not Foundの文字が主張する。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”と。僕は思わず眉間に皺を寄せる。

 

 

(地方と言えど、12年前の大事件だ。なのにどうして、『奴』に関する情報の一切が出てこない……?)

 

 

 『そいつ』は“敵”だった。けれど“悪”ではなかった。

 『奴』の生き様は、今でも俺の中に焼き付いていて消えない。

 

 アイツの問いが、明智吾郎の指針を定めた。アイツの生き様を、明智吾郎は笑い飛ばすことも蔑むこともできなかった。得体の知れぬ羨望と哀れみ、もしくは強い共感を抱いた瞬間を、俺は忘れられずにいる。

 自分が闇を往く立場でありながらも、自身の破滅と引き換えに、『奴』は正義を貫いた。自分が正しいと信じる道を突き進んで、光を往く者たちを導いた。……本当は、自分自身が光の道を往きたかったはずなのに。

 何度も検索して記事をタップした。でも、『奴』のいた証――『奴』に関する情報を詳細に纏めた記事――は出てこない。『奴』は確かに、この世界に存在していたのに。『神』の玩具にされて破滅させられた男。死した後でさえ玩具にされた男。

 

 唯一『奴』の名前があるのは“セベク・スキャンダル”の概要記事のみ。しかも、首謀者のはずだった『奴』に関する詳細は“12年前に死んだ”という事実だけを残して根こそぎ削除されていた。

 

 

(……嫌な予感しかしないな……)

 

 

 獅童智明の存在や彼の系譜である五口家の情報が突如湧いて出てきたように、『奴』のいた証が突如()()()()()扱いを受けている。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ならば、その逆の現象――“()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ことだって起こり得るわけだ。

 常識や物理法則を捻じ曲げるような所業、『神』と呼ばれる類でなければ成し得ない。フィレモンやニャルラトホテプ、ニュクスやイザナミノミコトの姿が頭をよぎる。現時点では推論でしかないが、怪盗団の活躍する世界の仕組みを考えると、今回の『神』は『認識を駆使する』存在なのではなかろうか。

 

 

「吾郎」

 

「何?」

 

「テストがひと段落したら、息抜きがてらどこかへ出かけようか? 2人でも、みんなでも」

 

 

 最近は多忙だったから、と、黎が切り出す。どこかおずおずとした表情は、僕のスケジュールが大変なことになっていると理解した上での提案だからだろうか。

 

 金城の『改心』が終わった僕たちに待っていたのは、第2回目の定期テストである。普通の学生として生活するためにも、定期テストを蔑ろにするわけにはいかない。テストで悪い点数を取れば悪目立ちの原因になる。

 僕は上位を狙わないと奨学金が打ち切られるから本気で取り組むし、いつも通り学年1位を取るつもりでいる。真と黎は実力で学年首位を取るだろうし、祐介も奨学金利用者だから成績を良くしようとするだろう。

 杏と竜司は平均以上を目指すと言う。だが、双方共に前回のテストで躍進しているため、成績が下がれば逆に怪しまれるだろう。それを聞いた竜司が「現状維持も楽じゃねえ」と零していた。閑話休題。

 

 思えば、探偵業を始めた頃から娯楽とはほぼ無縁の生活を送ってきたような気がする。怪盗団と密偵という二足の草鞋を履いてからはそれが顕著だった。怪盗団内部はおろか、同年代と一緒に遊びに言った経験は皆無であった。

 怪盗団という仲間はいるが、彼らとは作戦立案で会話したり、勉強会を行うことくらいしかやっていない。純粋な意味で怪盗団の面々と遊んだ経験はなかったように思う。黎の交流に巻き込まれてなら過ごしたことはあるが、僕的にも相手的にもノーカンだろう。多分。

 

 

「そうだね。スパイ活動やテレビ出演は確かに忙しいけど、みんなと過ごす時間や黎と一緒に過ごす時間も大事だし。……そういうの、やってみたかったんだ」

 

 

 僕が目を細めると、黎も嬉しそうに微笑んで頷き返した。定期テストが終われば夏休みが待っている。パレス攻略にも乗り出すのだろうが、みんなと一緒に遊ぶのも楽しそうだ。

 怪盗団と出会う以前、ペルソナ使い以外ではない同年代の友人はいなかった。上辺の付き合いさえできれば充分だと思っていたし、()()()()()という行為に抵抗があった。

 うまくは説明できないけれど、友人を作ることに対して強い罪悪感があったのだ。だが、黎と出会って、怪盗団が結成されて、仲間たちができて以後、その罪悪感は薄れつつある。

 

 ……それでも、怪盗団以外――ペルソナ使い以外の同年代の友人は壊滅的であったが。

 

 “怪盗団のみんなと遊びに行く”――考えるだけで心が躍るのは何故だろう。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 以前竜司と三島によって巻き込まれたメイドルッキングパーティーみたいな厄介事は――楽しくないことはなかったけど――御免被るが。但し、ああいうノリに憧れがなかったかと言えば嘘になる。……ああ、認めよう。みんなで一緒にバカ騒ぎするのも悪くない。

 

 

「折角だし、みんなに提案してみようか」

 

「だね。テスト終わりの楽しい話をするってのも、モチベーション保つのにうってつけだし」

 

 

 早速僕はSNSを起動し、仲間たちに声をかけてみる。竜司が勢いよく食いつき、杏も楽しそうに同意し、祐介は同意しながらも「金欠だから食べ物を恵んでくれ」とたかり、真も乗り気だ。ただし、真はきちんと仲間たちを窘めていたが。

 

 騒がしくも温かい――おそらくこれからは熱い季節になるだろうが――日々を思い浮かべる。

 同年代の仲間たちと過ごす夏は、きっと楽しくなりそうだ。

 

 

***

 

 

「吾郎ー。お前が注文してた染物の浴衣、届いたぞー」

 

「なんで中身知ってんだよ!?」

 

「いや、結構大きい声で喋ってたじゃん……」

 

 

 家に帰って早々、至さんから声をかけられた。頼んだ荷物の中身を言い当てられた俺は動揺したが、中身がバレた理由は俺自身の自爆だったらしい。恥ずかしくなった俺はそそくさと箱を抱えて退散した。

 段ボールには大きく『巽屋』のロゴが描かれている。八十稲羽の商店街にあった歴史ある染物屋で、八十稲羽連続殺人事件を追いかけた特別捜査隊メンバー・巽完二さんの実家だ。彼は現在、跡取りとして服飾関連の勉強しているという。

 これ幸いと、俺は完二さんに連絡を取った。『花火大会で着る浴衣が欲しい』とだけ言ったつもりだったが、完二さんは俺の話しぶりからすべてを悟ったらしい。すぐに『そうか』と零した彼の口調は、すっごく生温かい優しさに溢れていた。

 

 『待ってろよ。漢の晴れ舞台に相応しいものを用意してやる』と言い残し、完二さんはまず商品カタログを送ってくれた。どれも“巽屋の染物浴衣で男性人気の高い品物”だという。俺はその中から、白基調の生地で柳と燕が青で描かれたものを選んだのだ。

 箱を開けてみると、果たしてそこには、カタログに掲載されていた通り浴衣が入っていた。八十稲羽滞在時に完二さんから教わった通り、手早く浴衣を着つけてみる。採寸はぴったりで、上手い具合に着こなせていた。その事実に、俺はひっそり安堵する。

 

 

「……これなら、黎と一緒に歩いても問題ないかな」

 

 

 有栖川の関係者は、夏の催し物に参加する際、浴衣を着てくる者が多い。だが、幼い頃に両親を亡くして親戚から虐待されていた至さんや航さんは浴衣なんて持っていないし、母子家庭暮らしから母を亡くして空本兄弟に引き取られた俺も浴衣を持っていなかった。そのことを引き合いに出して俺たちを馬鹿にしていた奴らだっていた。

 

 有栖川家のみんなや黎は「そんなこと気にしなくていい」といつも言って俺を庇ってくれたけど、心のどこかではずっと引っかかっていたのだ。

 今回、浴衣の購入に踏み切ったのは、祐介の「花火大会は浴衣と相場が決まっている」という発言が切っ掛けだった。なんだか負けられないと思ってしまった、つまらない意地。

 

 

「と言うか、貧乏学生の祐介が浴衣を持ってるだなんて思わなかった。もやし生活の合間にそんなものを手にする余裕があったなんて……いや、班目に師事していた頃に手に入れたものか?」

 

 

 最近は公園で“食べられる野草探し”をしているあたり、奴の財布事情、および食生活は底辺の極みを突っ切っているようだ。

 つい先日も俺たちの家に転がり込み、夕飯を食べて行ったばかりである。奴は航さんみたいな生活廃人タイプを地で行くらしい。

 誰かが後ろについていないと餓死してしまうのではないかという危機感が募って仕方がない。……本当に大丈夫だろうか、祐介は。

 

 

「おい吾郎」

 

「うわああ!?」

 

 

 何の前兆もなくドアが開いた。振り返った先には航さんが立っていた。聞き耳だけで部屋内部の状況を把握して、ノック無しに乗り込むのは本当に勘弁してほしい。

 

 

「お前、巽屋で浴衣買ったのか」

 

「……だから何だって言うんだよ? テレビ出演で稼いだ金だから、2人に迷惑は――」

 

「――今年、お嬢の浴衣を新調するって話が出てな。買ったんだよ。巽屋で」

 

「……へ?」

 

「お前が注文を入れる3日前の話だ。……よかったな吾郎、お揃いじゃないか」

 

 

 表情を緩ませた航さんは扉を閉める。俺は暫し無言のまま凍り付いていたが、言葉の意味を理解して、ベッドの上へ倒れこんだ。

 航さんが放り投げてきた“お揃い”という言葉が、俺の頭の中を高速で駆け回っている。口元を抑えて戦慄くので精一杯だ。

 

 照れる。なんかすごく照れる。語彙力が死んだ。いや、それ以前に。

 

 

(完二さん、全部わかってて用意してくれたのか……!?)

 

 

 思い返せば、巽屋で何かを買うと、いつも照れ臭い目に合う。初めて巽屋で買い物したのは、完二さん作の“白い犬のぬいぐるみ”だった。

 店内で一目見て、思ったのだ。『黎にあげたら喜びそうだ』と。丁度彼女の誕生日も近かったので、貯金箱片手に巽屋へ乗り込んだのである。

 当時の完二さんは金髪オールバックという“如何にもな不良”だったので、店内で彼と鉢合わせしたときはニャルラトホテプと対峙しているような心地になったものだ。

 

 完二さんの眼前で貯金箱を叩き割って『あのぬいぐるみを買うには、これで足りますか?』と問いかけたら、彼はおろおろした顔で対応してくれた。“白い犬のぬいぐるみ”を『売り物じゃないんだ』という完二さんの言葉を聞いた俺は、思わず自爆したのだ。

 『俺の一番大切な人にこれを贈りたいんです。大事な女の子なんです。誕生日、彼女に喜んでほしくて……』――完二さんは俺の言葉を聞くと神妙な顔で頷き、“白い犬のぬいぐるみ”を譲ってくれた。しかも、可愛らしいラッピングと簡素なバースデーカードも付けて。

 

 現在、そのぬいぐるみは、ルブラン屋根裏部屋のベッドの上にちょこんと座っている。黎はぬいぐるみを丁寧に扱っているようで、数年経過した今でも綺麗なままだ。時たま、モルガナの枕になったりしているらしい。閑話休題。

 

 

「吾郎。夜食どうするー?」

 

 

 控えめなノック音と一緒に、至さんの声が聞こえてきた。俺は「試験勉強はそんなにかからないから、簡単なものでいいよ」と答える。

 了承の返事をした至さんの声と足音が遠のく音を聞きながら、俺は浴衣から部屋着に着替え、勉強の準備に戻ったのであった。

 

 

 

 

 

 

 

 テストの結果? 勿論、全員が大健闘した。

 

 真と黎は学年トップを揺るぎないものにし、奨学金利用者の祐介は好成績で、杏や竜司も前回並みの点数をキープ。

 俺は相変らず、獅童智明との同率で学年首位だった。出席番号的に俺が一番上に出てくるので、実際は1位だろう。うん。

 

 

 

 

 

 ()()()()()()()()()()姿()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 テスト日に学校にいないのに、奴は平然と“学年トップ”の成績で張り出されている。

 ……俺の学校の校長も、秀尽学園高校の校長と同じように、獅童の息の根がかかっているんだろうか?

 

 

◇◇◇

 

 

 花火大会当日。

 

 テレビ局での収録を終えた僕は即座に浴衣へ着替えて街へ繰り出していた。

 仲間たちには「番組収録が入ったから遅れる」と連絡しておいたため、現地集合の運びとなっていた。

 

 だが、収録中に出てきた話題がとんでもないものだった。『“メジエド”と名乗るネット犯罪組織が、怪盗団に対して宣戦布告をしてきた』という内容だったためである。「怪盗団事件に影響された模倣犯だろう」とは言っておいたものの、僕の内心は穏やかではない。

 仲間たちにそれを連絡したいと思えば思う程、収録が長引いたり、共演者である獅童智明から「作戦立案について話があるんだ」なんて持ちかけられたりして拘束されてしまったのだ。早く終われと祈りながら、表面上はにこやかにあしらってきた。

 移動しながら連絡しようとスマホに手をかけた途端、画面に水滴が落ちてくる。車やテレビジョンの音に紛れて、ゴロゴロと雷の音が響いてくる。嫌な予感を感じた刹那、突如雨が降り出してきた。

 

 

「なんで雨なんだよクソが……!」

 

 

 ついうっかり地が出てしまったが、仕方ないだろう。折りたたみ傘を引っ張り出したが、焼け石に水程度の効果しかなかった。

 走る度にバシャバシャと水飛沫が跳ねる。その度に、自分の体温を奪われていくような心地になった。

 どこか雨宿りできる場所を見つけて一息ついたら連絡しようと思い、適当な場所を探す。だが、花火大会が中止になった人々が考えることはみな同じだ。

 

 何も考えず駆け込んだ近くのコンビニは、人の群れでごった返していた。どう考えても、ここで落ち着いて話せるとは思えない。

 どうやって合流しようかと悩んでいたとき、俺のスマホが鳴り響いた。SNSに着信が入っている。

 

 

“雨宿りしようとしたら至さんと会った”

 

“今、吾郎の家にいる。お好み焼きパーティの下準備してるんだ”

 

“航さんが吾郎を迎えに出かけたから、現在地の連絡頼むって”

 

 

 相手は黎だった。どうやら、怪盗団の面々は花火大会が中止になった直後に至さんと合流し、俺の家へ移動したようだ。

 雨天中止と相成った花火大会は一転し、俺の家で雨宿り兼ねたお好み焼きパーティが開催されるらしい。俺は即座にチャットに返信した。

 

 

“分かった。航さんと合流したらすぐ帰るから”

 

 

 航さんが俺の送迎役に選ばれたのは、家事の腕が壊滅的だったからだろう。料理に対して挑戦する意欲はあるが、必ずキッチンを爆発させるために“メギドラオン/ヒエロスグリュペインクッキング”と揶揄されている。“ムドオンクッキング”とはベクトルの違う方面で壊滅的だった。

 今頃、至さんは八十稲羽で目撃したムドオンカレーの話をしているのだろうか? 口元を抑えて戦慄く真実さんや陽介さん、出来上がったものに困惑しつつもお茶目に笑って流そうとする雪子さんらの姿が浮かんでは消えていく。……俺? 逃げたよ。死にたくなかったから。最終的には捕まって食べさせられたけどな!!

 真実さんたちは林間学校でムドオンカレーを初実食したらしいが、俺と至さんは別件で食べさせられる羽目になったのが初実食だった。以後も時たま登場し、八十稲羽に黎を案内したときも出てきた際には泣きたくなった。勿論、黎の分は俺が食べた。目が覚めたら黎が大泣きしててぎょっとしたことは昨日のことのように思い出せる。

 

 

『いやだ、吾郎、吾郎……! お願い、死なないで! ()()()()()()()()()()()()!』

 

 

 あのときの黎は、とても鬼気迫る顔をしていた。血の気を無くし、俺を喪失する事に対する恐怖で取り乱す黎の姿を見たのは初めてのことだった。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。誰かが背を預けたシャッターの向こう側、誰かの名前を呼び続ける“あの子”。

 意識が途切れるその寸前まで、シャッターを叩く音と誰かの名前を叫び続ける“あの子”の声が響いていた。その中で、誰かは“あの子”のことを想っていた。

 

 本当は一緒にいたかったと、仲間になりたかったと、――いいコンビになりたかったと。

 叶わない夢を――あるいは手の届くことのない星を見つめながら、『それでも』と願った誰か。

 だから選んだ。“あの子”の道を切り開くために、他ならぬ自分の意志で。

 

 

『……ごめんね、黎。心配かけて』

 

『吾郎……』

 

『大丈夫だよ。()()()()()()()()()

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と、当時の俺は漠然と理解した。だからもう二度と、黎を悲しませるような真似はしたくないと思ったのだ。それがどれ程難しいのか、矛盾を孕んでいるのかを知りながら。

 実際、俺が今やっていること――獅童正義の追及と怪盗団の密偵としての活動――は、一歩間違えれば黎を悲しませる結果になるだろう。それでも足を止めたくない。彼女のために、そうして俺自身のケジメのために、成し遂げなければならないことなのだ。

 

 ……そういえば、初めてムドオンカレーを食べて失神したとき、夢の中で『奴』と邂逅したことがある。ペルソナ使いは心の海で繋がっているという話を持ちだしてきた『奴』は、俺のことをとても気にしていた。『奴』は俺の近況を根掘り葉掘り聞き出すと、どこか安心したように笑って――

 

 

「――畏まりました、獅童先生。今すぐ戻ります」

 

(――え?)

 

 

 俺とすれ違った人影がコンビニから出ていく。黒いスーツを着て、目元に大きな傷があり、サングラスをかけたガタイのいい男。

 『奴』の口から聞こえてきたのは獅童の名前だった。『奴』を知っていれば、彼の人の口から獅童の名前が出てくるようなことは()()()()()

 

 反射的に振り返った俺は、思わずコンビニから飛び出した。人混みの海をかき分け、『奴』の背中を探す。その背中はすぐに見つかった。

 黒塗りの車に乗り込もうとする男の腕を引き留める。男は怪訝そうな顔をして俺を見返した。その顔は、完全に『奴』以外の何物でもない。

 ほんの一瞬、奴の表情がこわばる。サングラスに映った俺の顔も、驚愕に彩られていた。俺は勢いそのまま口を開く。

 

 

「……神取、鷹久……!!」

 

 

 12年前に御影町で発生した“セベク・スキャンダル”の仕掛け人にして、9年前に発生した珠閒瑠市の“JOKER呪い”で暗躍していた男。12年前の事件で命を落としながらも、3年後に“『神』の玩具”として復活させられ、使われた男――それが、目の前にいる男性の正体だ。

 

 名前は神取鷹久。城戸玲司さんの異母兄で、自身のペルソナとして宿っていたニャルラトホテプ――実際は『神』本人――の暴走によって異形“ゴッド神取”と化し、至さんや航さんたち聖エルミン学園高校の生徒たちと激闘を繰り広げた果てに命を落とした。

 3年後、悪神ニャルラトホテプが自らの手で世界を滅ぼそうと動き出した際、奴が須藤竜蔵の部下として送り込んだ玩具が神取だった。神条久鷹と名乗った神取は、前回並みの暗躍を披露し、再び俺たち――および達哉さんと舞耶さんの前に立ちはだかった。

 

 その果てに、神取は同志であるワンロン千鶴と共に、崩れゆく海底洞窟に沈んだ。――それが、俺が神取鷹久を見た最後だった。

 スーツのデザインは現代のモノだったが、彼の姿は最後に見たときのまま、寸分の変りもない。

 「何故、アンタが……!?」――絞り出すようにして、俺は問うた。男――神取は暫し黙っていたが、ふっと笑う。

 

 

「キミは、誰かと私を間違えているようだな」

 

「っ……!?」

 

「私は神取鷹久という名前ではないよ。彼は確か、“佐伯エレクトロニクス&バイオロジカル&エネルギー・コーポレーション”、通称“セベク”の元社長で、12年前に亡くなったはずだ。()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

 

「……アンタ……」

 

「……そういえば、一時期は珠閒瑠市に“件の()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()かな? ()()()()()()()()()()()。“()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 神取は楽しそうに笑う。何の悪意も企みもなく、ムドオンカレーを食べて初めて失神したときに見た夢で出会ったときと同じように、穏やかな――けれど少しだけ、寂しそうな笑みを浮かべていた。

 相変わらず、神取は『悪神』によって“定められた役割”に殉じながらも、光に与するペルソナ使いたちを導こうとしているらしい。僕にだけ分かるように、奴は難解な表現を使ってヒントを与えてくる。

 

 

「そうだな、これも()()()()だ。機会があったら、ゆっくり話そうじゃないか」

 

 

 神取はそう言って、懐から名刺を差し出す。防水加工がきちんとされている名刺らしく、濡れても文字が滲んだりすることはない。下には夜鷹モチーフのエンブレムが描かれている。

 手渡された名刺を受け取り、俺はまじまじと確認した。名刺に書かれた名前は“神条久鷹”――奴が須藤竜蔵の部下であった頃に名乗っていた偽名そのままだ。

 俺に対して、神取は何も隠すつもりはないようだ。「何も知らない第3者が意味を理解できるわけがないのだから、これくらい明け透けでも良い」と考えているのだろう。

 

 肩書は、獅童正義の私設議員秘書。名刺に描かれた夜鷹のデザインからして、コイツが獅童の『駒』2号なのであろう。獅童にはニャルラトホテプが一枚噛んでいるようだ。眉間に皺を寄せた俺を見て、神取は静かに頷き返す。無言の問いに対する肯定であった。

 

 ちゃんと伝わったと目で合図をした俺は、「人違いでした。申し訳ありません」と引き下がった。運転手は怪訝そうな顔で俺と神取のやり取りを見つめていたが、神取が車に乗って合図すると、それに従って車を走らせた。黒塗りの車は遠くへと消えていった。

 そのタイミングで俺のスマホが鳴り響く。見れば、航さんからの連絡である。“待ち合わせ場所に来たが見つからない。どこにいる?”――反射で神取を追いかけた弊害だろう。俺はSNSにメッセージを返信し、待ち合わせ場所へと戻ったのだった。

 

 

***

 

 

「おかえり、吾郎」

 

「……た、ただいま」

 

 

 玄関先で、黎が僕を迎えてくれた。花火大会が中止になった直後に至さんと出会ったため、普通の服に着替えず家に上がったらしい。

 

 黎の浴衣は黒基調の生地に、青系の色で描かれた牡丹の花と蝶が描かれていた。普段身に着けている野暮ったい黒眼鏡を外し、長い黒髪をサイドアップに結んでいた。但し、すべてを束ねている訳ではないらしい。流れるような癖毛が、今回は艶やかさを演出している。

 僕は平静を保つので手一杯であった。東京に来てからは当たり前になりつつあった黎の格好とは全然違う色気がある。ぞくりと体が震えたのは気のせいではない。“雨に降られて濡れ鼠になった”ことだけが原因ではないはずだ。……心なしか、ぼうっとする。僕が呆けていると、黎が感嘆の息を零した。

 

 

「吾郎、色っぽいね」

 

「それは褒め言葉なの?」

 

「うん。……いつもと違って、格好いい」

 

「ん゛ん゛ん゛ッ!」

 

 

 どこか熱っぽさを孕んだ吐息に、ムッとしていた僕の気持ちは一瞬で拡散した。この家に僕と黎の2人だけだったら、衝動のままに彼女を抱きしめていたかもしれない。激しく咳払いしながら平静を装う僕の気持ちを知ってか知らずか、黎は「タオル取って来るね」と言い残してぱたぱたと廊下の向こうへ消えていく。

 その脇を、航さんが首を傾げながら通り過ぎていく。どうやらあの人は、僕と黎のやり取りが終わるのを律儀に待っていたらしい。あの人の背中が部屋へ消えたのとほぼ同時に、黎がタオルを抱えて僕の元へ駆け寄って来た。甲斐甲斐しく僕の頭を拭いてくれる黎の為すがままになりながら、僕は部屋に足を踏み入れた。

 怪盗団の面々は既にお好み焼きを食べていたらしい。「遅いぞ吾郎」「ごめんね。先に食べてたんだ」「ほう。吾郎も浴衣を着たのか」等々と声をかけてくる。それらに適当に答えた後、僕は濡れた浴衣を着替えるために脱衣所へ足を進めた。出来れば浴衣姿の黎と並びたかったが、濡れ鼠状態では黎を困らせてしまうだろう。

 

 「黎と吾郎が浴衣姿のまま並んでいる姿をデッサンしたい」と主張する祐介を無視し、僕は脱衣所で部屋着に着替える。

 髪を乾かし、黒の運動ジャージ姿で戻ってきた僕を見た仲間たちが一斉に絶句していた。

 

 

「吾郎、家ではそんなラフな格好してんだ……」

 

「テレビのインタビューでは『白と青が好きだ』って言ってたのに、意外だわ」

 

「テレビのヤツは営業用だよ。黒幕の望む“爽やか系探偵”のイメージ作りのためだ。外行き用の服もそんな感じで纏めてる」

 

 

 杏と真の言葉に、僕はあっけらかんとした口調で答える。そうして、焼き上がったばかりのお好み焼きに箸を伸ばした。至さん作の料理は何でも美味しいから期待できる。

 

 

「徹底してるな。……まあ、黒幕が総理大臣候補っつー巨悪だから、それと渡り合うために必要っちゃあ必要なんだけどさ」

 

「“他者の望む、あるいは他者に自分をよく見せるための仮面を幾重にも使い分ける”というのも立派な才能だ。吾郎だからこそ成し得る力とも言えるだろう」

 

「俺を褒めながら、俺が取ろうとしていたお好み焼きを掻っ攫う真似ができるお前も凄いよ。祐介」

 

 

 竜司が頷く横で、俺の箸は空を掴んだ。お好み焼きは祐介の箸に掻っ攫われ、奴の口の中へと消える。竜司より食べるスピードはやや遅いが、祐介は竜司以上にお好み焼きを食らっている。普段がもやし生活な分、奢ってもらえるときにたくさん食べようと言う寸法だろうか。

 俺の声がどこか刺々しいと察したためか、ニコニコした至さんが「焼き終わったヤツのストックあるからそっち食べなさい」と言って、既に焼き上がっていたお好み焼きを差し出した。それを受け取った俺を横目に、至さんは新しいお好み焼きを焼き始める。

 

 少し冷えたお好み焼きを口に運ぶ。具に使った素材の味とソースが利いて、充分美味しい。

 そんなことを考えていたら、俺の前に湯気が立つ飲み物が置かれた。見上げれば、至さんが微笑む。

 「濡れ鼠で体を冷やしたら体調崩すだろ」と、彼はホットドリンクを勧めてきた。逆らうことなく受け入れ、飲み物を啜る。

 

 

「……豆乳と甘酒?」

 

「正解。温まるだろ」

 

「ホントだ。美味しい」

 

 

 僕の感想を聞いた至さんは、本当に嬉しそうに微笑んだ。その勢いのままサトミタダシ薬局店の歌を口ずさみつつ、お好み焼き作りに戻る。モルガナが頭を抱えて呻いていたが、至さんは気にする様子を見せなかった。

 

 和やかなパーティをしながらも、僕たちは次のターゲットに関する作戦会議にも余念がない。僕はテレビの収録で出てきた一件――“メジエド”と名乗る集団から、怪盗団への宣戦布告を報告した。丁度今の時間に放送されるはずなので、テレビのチャンネルを回す。テレビの中の僕は散々怪盗団をこき下ろしていた。

 なんだか居たたまれない気持ちになって仲間たちを見れば、「相変らず演技がうまい」と感心していた。僕は内心ホッとしつつ、至さん作のホットドリンクを啜る。ニュースキャスターの解説――国際クラッカー集団の名前――を聞いた面々は、渋い顔をして互いの顔を見合わせていた。

 

 

「インターネットを根城にする犯罪組織が相手か。顔が見えないってのは厄介だな」

 

「ターゲットの本名が分からなくちゃ、『改心』させることができねーもんな……。ネットって大概匿名だし」

 

「それに、“メジエド”はクラッキングを得意とする犯罪者よ。インターネットは奴らの庭みたいなものだから、ネットを使った戦いでは向うが圧倒的優位だわ」

 

 

 モルガナと竜司の言うとおりだ。ターゲットを『改心』させるためには、ターゲットの本名が必要である。

 インターネット関連の犯罪を立証するのが難しいのは、匿名性の高さとハッカー/クラッカーの技術力にあった。

 真が締めくくった通り、“メジエド”に電脳戦を仕掛けるには、僕らはただの素人である。太刀打ちできるとは思えない。

 

 すると、僕たちの話を耳にした至さんが口を挟んできた。

 

 

「パソコンやネットに詳しいの、“(かぜ)ちゃん”ならイケるんじゃないかな」

 

「“風ちゃん”?」

 

「……もしかして、風花さんのこと?」

 

 

 至さんは頷いた。“(かぜ)ちゃん”というのは、至さんが名付けた山岸風花さんの愛称である。当時は放課後特別活動部、現在はシャドウワーカー専属ナビゲーターだ。出会った頃は壊滅的なメシマズアレンジャー(本人無自覚)だった彼女だが、機械を扱う才能は最初の頃から有していたらしい。命さんが話していたことなので信憑性は確かである。

 最近は『ネットで知り合ったPCマニアとチャットで話し込みながら、凶悪な性能を誇るPCを一から組み立てている』そうだ。それをノートPCの外見で成そうとするあたり、機械いじりとハッキング関連は風花さんの天職だったと言えるだろう。蛇足だが、『事務職に就職した森山夏紀さんとは、今でもたまに連絡を取り合っている』とも聞いた。

 

 

「確かに、風花さんのPCスキルとアナライズ特化型ペルソナの力があれば、メジエドとも互角に戦えそうだけど……」

 

「やっぱりペルソナ使いなんだね、その人」

 

「むしろ、僕や至さんが頼るのはペルソナ使いの人だからね」

 

 

 杏の呟きに対し、僕は首を振って補足した。協力者がペルソナ使いだったのではなく、ペルソナ使い同士のコミュニティで協力要請ができたのだ。そこは間違ってはいけない。

 

 

「一応、ダメ元で協力要請はしてみる。でもあまり期待しないでほしい。最近、巌戸台近辺でも変な問題が発生してて忙しいみたいだから」

 

「件の女性は組織に所属する身なんだろう? 自身の所属組織が優先されるのは当然だ。実際、俺たちも怪盗団と“怪盗団と同盟関係にある組織”のどちらを優先するかと訊かれれば、躊躇いなく前者を選ぶからな」

 

「だよなあ」

 

 

 祐介と僕は頷き合いながらお好み焼きに箸を伸ばした。今回はコンマ数秒で僕の勝ち。僕が掻っ攫ったお好み焼きを、祐介は口惜しそうに見つめている。

 ふてくされるように眉を寄せた祐介であるが、至さんが「はいはーい」と言いながら新たなお好み焼きの生地を投入した。途端に祐介は目を輝かせる。現金なものだ。

 

 

「『現時点で手の出しようがなく、相手が自分たちに対して喧嘩を売っている』状態なんだろう? なら、何もしなくても向うから近づいてくるはずだ。突破口を開くためには、“相手の出方を待つ”という選択肢も必要だろう」

 

 

 お好み焼きパーティの会場で単身焼きうどん――勿論至さん作である。間違っても航さんが作ったわけではない。彼を台所に入れれば最後、台所が消し飛ぶからだ――を貪る航さんは、頬袋に餌を詰め込んだハムスターみたいな顔をしていた。

 至さんは新しいお好み焼きを焼く片手間に、焼きうどんを焼いては航さんの皿に盛っている。ついでに、自家製の梅シロップを氷と水で割った飲み物をグラスへと注いでいた。それを見た祐介が手で枠を作ろうとしたので、僕は自分のお好み焼きを小さく切って祐介の口の中へ突っ込む。

 同時並行で料理を作り続ける至さんの姿に感心していたメンバーは『“メジエド”への対応は要検討』という結論に落ち着いた。後は、僕が今日の出来事を――獅童の新たな『駒』、夜鷹(ナイトホーク)に関する話をするだけだ。

 

 けれども、至さんや航さんに、神取の話をするのは憚られる。何故ならこの2名は、神取鷹久と因縁があるためだ。

 

 彼らを再び神取に会わせて良いものだろうか。正直、僕は会わせてはいけないように思う。

 だからと言って、怪盗団の面々に隠そうとは思えない。隠すだけ僕らが不利になるためだ。

 

 

「……さっき、獅童の新しい『駒』の情報が手に入ったよ。奴は獅童の新しい私設秘書だ」

 

 

 僕は重々しく口を開いた。ちら、と、空本兄弟に視線を向ける。

 

 

「名前は?」

 

「偽名。でも、偽名も本名もこの場で言いたくないかな。至さんと航さんの地雷になりそうな案件だから」

 

 

 僕の表情を見て何かを察したのだろう。仲間たちは神妙な面持ちになって顔を寄せてきた。

 至さんは航さんの焼きうどんの追加とお好み焼きの焼き加減を確認するので忙しいし、航さんの視線はテレビに釘づけた。

 

 テレビ画面には上杉さんがMCを務めるバラエティ番組が映し出されている。今日のゲストで目を惹くのは久慈川りせさん、桐島英理子さんだ。

 MCとゲストが自分の良く知る人物であると気づいた至さんが声を上げた。彼の目線もまた、テレビに釘付け状態となる。

 嬉しそうな至さんの様子を察した航さんは、焼きうどんを貪りながらリモコンを手に取る。音量が更に上がった。

 

 テレビの音に紛れ込むようにして、真がひっそりとした声色で乞う。

 

 

「じゃあ、ヒント頂戴。自分で調べてみるから」

 

「――“セベク・スキャンダル”」

 

 

 僕の答えに、真は鳩が豆鉄砲食らったような顔をした。議員秘書のヒントを求めて12年前の事件を持ちだされれば誰だってそうなる。僕や黎の年代で事件と無関係だったなら、当時の事件を察せる者、あまり覚えてない者に分かれるはずだ。記憶喪失のモルガナは例外固定だが。

 

 真が前者、杏・竜司・祐介が後者だったらしい。前者は「どうして“セベク・スキャンダル”が出てきたのか」に対する疑問であり、後者は「そもそも“セベク・スキャンダル”とは何か」という疑問なのだろう。

 僕と黎で事件の概要を離した結果、全員が真と同じ「どうして“セベク・スキャンダル”が出てきたのか」という疑問に辿り着いた様子だった。僕が出したキーワードに何か気づいたのか、黎が僕にアイコンタクトを送る。僕は小さく頷いた。そうして仲間たちへ向き直る。

 

 

「獅童の新しい私設議員秘書は、『“セベク・スキャンダル”発生時に“セベクの社長だった男”』だ。……詳しいことは、調べればすぐ分かるはずだよ」

 

「……分かったわ。空本さんたちに知られないよう調べてみる」

 

「ありがとう。みんなもお願いできる?」

 

「「「了解」」」

 

「それじゃあ、会議終了。後はゆっくり楽しもうか」

 

「「「「「「賛成!」」」」」」

 

 

 僕たちはお好み焼きパーティに興じる。花火大会は中止になったけれど、俺の家にはみんなの笑顔があった。

 

 

 

 

 その後。

 

 

竜司:神取鷹久って、12年前に死んでるじゃねーか!!

 

杏:嘘!? じゃあ、“死んだ人間が生き返ってる”ってことなの!?

 

吾郎:奴は悪神の『駒』であり『玩具』だからな。悪神が「おもしろそう」と思えば、引っ掻き回すためだけに復活させられることだってある。

 

黎:確か、9年前の珠閒瑠で須藤竜蔵の部下だった“神条久鷹”の正体が神取鷹久だったんだよね?

 

吾郎:ああ。奴は悪神によって生き返らされていたんだ。至さんや南条さんは御影町だけじゃなく、珠閒瑠でも、生き返った神取と戦っている。

 

真:なんてこと……。

 

祐介:死後さえも弄ばれる神の『駒』か。考えるだけで末恐ろしいな。

 

杏:その神様サイテー! 生きてる間も死んだ後もそんな風に使われるなんて、絶対嫌!

 

竜司:死んだ後に見捨ててくれる神様の方がまだマシだな……。

 

吾郎:しかも、“セベク・スキャンダル”に関して纏められた情報から、神取鷹久に関することが意図的に消されてた。悪神が何か手を回したんじゃないかな?

 

黎:モルガナの様子がおかしいんだ。「ニャラルトホテプ殴るべし」って息巻いてる。

 

祐介:どうしてクトゥルフ神話の神格が出てくるんだ?

 

吾郎:神取を弄んでる悪神の名前、ニャラルトホテプって言うんだ。

 

杏:完全にアウトじゃない!

 

竜司:前に吾郎が言ってた“ラスボス『神』説”が濃厚になってきた件。

 

真:……至さんが言っていたことの意味、今ようやく理解したわ。“頭が爆発する系の理不尽”って、こういうことを言うのね。

 

 

 チャットが燃え上がったのは言うまでもない。

 

 

◇◇◇

 

 

 今日は終業式。明日から夏休みが始まるため、多くの学生は嬉しくて仕方がない日のはずだ。だが、僕は他の学生のように喜べなかった。

 僕の体調は、花火大会雨天中止の翌日を境に悪化の一途を辿りつつある。恐らくこの症状は風邪、原因は“長い間雨に打たれていたため”だろう。

 

 花火大会の翌日から、ほんの少し肌寒いような気がした。僅かだが、身体の動きが鈍いとも思った。各種打ち合わせ中に空咳が出たり、喉が痛くなったりもした。

 典型的な風邪の初期症状だ。“病院にかかるまでもない”と判断した僕は、市販の風邪薬を飲み始めたのだが、効き目はあまり宜しくなかった。

 表面上は笑顔で乗り切ったけれど、身体が重い。僕を取り巻くように湧いて出た女子生徒をあしらいながら、ふらふらと歩みを進めた。

 

 

(クソ、なんでこんなときに限って……!)

 

 

 長雨に打たれたことは引き金でしかないとは理解している。多分、僕は僕が想定した以上に無理をしていたのだろう。自己管理には気をつけていたのだが、気づかぬうちに疲労がたまっていたのかもしれない。

 

 最近はテレビの取材で引っ張りだこだったし、智明に引き留められては精神をすり減らされるような光景――獅童と智明が楽しそうに団欒している姿――を見せつけられていたし、学校の勉強について行くのも大変だった。授業に出られない分をカバーしなくてはならないからだ。

 その上で怪盗団としても活動する――誰もが「お前はよくやっている」と言ってくれるが、僕個人としては全然足りない。「完璧じゃなくてもいい」と肯定してくれる人たちの優しさは嬉しいけれど、だからこそ、彼らの役に立ちたいと思うのだ。その度に、いつも自分の無力さを思い知る。

 

 怪盗団の面々は、今頃アリババと名乗る協力者――メジエドと同レベルの実力を持つハッカー/クラッカー――から入手した情報を頼りに、各々調べ回っているだろうか。アリババから齎された情報は『“佐倉双葉”なる人物を『改心』させれば、メジエドは止まる』とのことだ。

 ……佐倉といえば、ルブランのマスターの名字も佐倉さんだった。双葉といえば、一色若葉さんの娘さんの名前も双葉だった。ろくに回らない頭はそこで打ち止めとなり、僕はそのままベンチスペースに雪崩れ込むようにして座る。息をすることすら辛かった。

 体は燃えるように熱いのに、背筋を悪寒が駆け抜ける。僕は鞄から市販薬を取り出し、持っていた水で流し込んだ。本来は食後に飲むものだが、正直、何かを食べる気力すら残っていない。それがまずかったのだろう。胸やけのような感覚に見舞われる羽目になった。

 

 

(休んでる暇なんてないってのに……)

 

 

 市販薬を指示通りに服用しなかった弊害と戦いながら、僕は大きく息を吐いた。

 背中を丸めて不快感をやり過ごす。幾何かして、少しだけ体が楽になった。

 

 僕はふらふらと歩き出す。脳裏に浮かんだのは、柔らかに笑う少女――黎の姿だ。

 

 何故だか今、酷く彼女に会いたかった。顔が見たくて、声が聞きたくて堪らなかった。気づけば僕は四軒茶屋に足を運んでいた。普段より緩慢な動作で、ルブランの扉をくぐる。

 店の中は閑古鳥が鳴いていた。佐倉さんは僕を見るとあからさまにため息をつく。僕の来訪は“黎に会うため”だと認識したためだ。もしくは、客じゃなかったことへの落胆か。

 

 

「アイツならまだ帰ってこないぞ」

 

「……みたい、ですね。じゃあ、それまで待っていても構いませんか?」

 

「…………構わんよ」

 

 

 「そんな顔をしたお前さんを追い返したとなったら、アイツに泣かれそうだ」と言って、佐倉さんは苦笑した。はて、僕は今、一体どんな顔をしているのだろうか。

 店主の許可は取ったので、僕はカウンター席に腰かける。コーヒーを注文した僕は、ぼんやりと店内を眺めていた。サイフォンから香るコーヒーの匂いに、僕は黎を思い出す。

 佐倉さんの手ほどきを受けてコーヒーを淹れる彼女からも、この香りが漂ってくるようになった。……そう考えると、どうしてか、安心できるような気がした。

 

 体がだるい。自然と背中を丸める。うとうとと微睡み始めた意識に抵抗するため、僕は頬杖をつく。――けれど、漂うコーヒーの香りは不思議と眠りを誘発してきた。

 

 

「お前さん、疲れてるんだろ? アイツが帰って来たら起こしてやるから」

 

 

 ぼんやりと霞む意識の中、佐倉さんの声が聞こえた。

 ……ありがとうございます、と、僕はきちんと佐倉さんに礼を言えただろうか。

 

 それを確認する間もなく、僕の意識は睡魔によって刈り取られた。

 

 




今回のお話は『金城パレス編終了、双葉パレス編への導入準備回』です。魔改造明智、黒幕の関係者からニャラルトホテプの影を感じ取るの巻。女神異聞録ペルソナ、およびペルソナ2罰から神取鷹久が登場しました。彼もP5のお話に関わっていくことになります。この部分もP5黒幕と普遍的無意識一同の間にあるねつ造設定が影響していますね。
花火大会中止および神取と邂逅した際、雨に当たったことが原因で体調を崩した魔改造明智。双葉パレス開始編では、体調を崩した彼のその後からスタートすることになります。……さて、ルブランに盗聴器を仕掛けた張本人は、魔改造明智と黎の砂糖マシマシなやり取りに耐えられるでしょうか?
嫌なフラグと急転直下で彩られた金城パレス編はこれで完結。次回からは、プロローグの時点から伏線が張られていた双葉パレス編へと移行します。“一色若葉と絡みがある”という事実がどんな影響を与えるのか、生温かく見守って頂ければ幸いです。

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