Life Will Change   作:白鷺 葵

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【諸注意】
・各シリーズの圧倒的なネタバレ注意。最低でも5のネタバレを把握していないと意味不明になる。次鋒で2罪罰と初代。
・ペルソナオールスターズ。メインは5、設定上の贔屓は初代&2罪罰、書き手の好みはP3P。年代考察はふわっふわのざっくばらん。
・ざっくばらんなダイジェスト形式。
・オリキャラも登場する。設定上、メアリー・スーを連想させるような立ち位置にあるため注意。
 名前:空本(そらもと) (いたる)⇒ピアスの双子の兄。武器はライフル、物理攻撃は銃身での殴打。詳しくは中で。
・歴代キャラクターの救済および魔改造あり。
・一部のキャラクターの扱いが可哀想なことになっている。特に、『普遍的無意識の権化』一同や『悪神』の扱いがどん底なので注意されたし。
・アンチやヘイトの趣旨はないものの、人によってはそれを彷彿とさせる表現になる可能性あり。他にも、胸糞悪い表現があるので注意してほしい。
・ハーメルンに掲載している『運命を切り開くだけの簡単なお仕事』および『ペルソナ3異聞録-.future-』、Pixivの『2周目明智吾郎の災難』および『【一発ネタ】有栖川黎の幼馴染』の設定を下地にし、別方向へ発展させた作品である。
・ジョーカーのみ先天性TS。但し、今回のお話では、「ジョーカーである」という明確な描写はなし。
・歴代主人公の名前と設定は以下の通り。達哉以外全員が親戚関係。
 ピアス:空本(そらもと) (わたる)⇒有栖川家とは親戚関係にある。南条コンツェルンにあるペルソナ研究部門の主任。
 罪:周防 達哉⇒珠閒瑠所の刑事。克哉とコンビを組んで活動中。ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件の調査と処理を行う。舞耶の夫。
 罰:周防 舞耶⇒10代後半~20代後半の若者向け雑誌社に勤める雑誌記者。本業の傍ら、ペルソナ、悪魔、シャドウ関連の事件を追うことも。旧姓:天野摩耶。
 ハム子:荒垣(あらがき) (みこと)⇒月光館学園高校の理事長であり、シャドウワーカーの非常任職員。旧姓:香月(こうづき)(みこと)で、旦那は同校の寮母。
 番長:出雲(いずも) 真実(まさざね)⇒現役大学生で特別調査隊リーダー。恋人は八十稲羽のお天気お姉さんで、ポエムが痛々しいと評判。


Bloody Destiny
神様なんて嫌いだ


『最期の相手が“人形だった俺自身”か。……悪くない――』

 

 

 

 

「――ッ!?」

 

 

 ――夢を見て、目が覚めた。

 

 内容は覚えていないが、妙に胸が苦しい。肺が痛くて息ができない。背中は汗でびっしょりだった。身体の震えを抑えるまで、数分の時間を要した。

 慌てて自分の掌を見る。何ともない、普通の手があるだけだ。……一瞬、血に汚れたように見えたのは気のせいだ。気のせいであってほしい。

 当たり前のことだが、俺の胸に風穴は空いていなかった。血が出ている様子もなかったし、痛みもない。……ない、はずだ。

 

 

(妙にリアルな夢だったな……)

 

 

 僅かに震える両手を抑えつけながら時計を見る。現在時刻は朝の6:30。本日華の大型連休・初日だ。俺は、自分が思った以上に早く目が覚めたらしい。

 ……まあ、浮足立って早起きしてしまいそうな理由がないわけじゃないのだが。カレンダーの印を見た俺は、ひっそり口元を抑えた。

 

 部屋の外からはじゅうじゅうと何かが焼ける音がする。それに紛れて聞こえるのは、何か――十中八九野菜だろう――を切るリズミカルな包丁の音。今日の食事は何だろうと思案しながら扉を開ければ、俺の保護者の片割れが、手慣れた手つきで朝食を作っているところだった。

 今日のメニューは洋食だ。こんがりと焼けたトーストに、半熟のスクランブルエッグ。ウィンナーソーセージには綺麗な焦げ目がついていて、湯気が漂っていた。レタスとトマトを中心にして使われたサラダに、数多の野菜と鶏肉を煮込んだスープが並ぶ。それを見た途端、反射的に喉が鳴った。

 口の中に唾が滲んできた。気のせいか、腹の虫が堪えきれぬと鳴いた音もする。蝶が花の蜜に誘われるが如く、俺はふらふらと階段を降りてキッチンへ足を踏み入れていた。保護者の片割れも、俺が降りてきたことに気づいたようだ。もうすぐ三十路のくせに、彼は子どもっぽい笑みを浮かべた。

 

 

「おう、おはよーさん。珍しく早いな。……ああ、今日が“あの子”とのデート日か?」

 

「……う、煩いな。俺が誰とどこで何をしようと勝手だろ」

 

 

 一発で地雷を踏みぬかれ、俺はしどろもどろに返事を返した。多分、この保護者には照れ隠しのごまかしなど通じないだろう。

 

 果たして俺の予想通りだった。保護者の片割れは、まるで自分のことのように上機嫌になる。でれっでれに笑ってた。

 “人の幸福も不幸も問わず、己のモノとして共有する”という点は、保護者の片割れにとっての美点であり弱点だ。

 

 

「そういや、航さん昨日も帰ってこなかったの?」

 

「本当は帰ってくるはずだったんだが、南条くんの紹介で顔を合わせた認知訶学の研究者と意気投合したらしくてな。話し込んでたら窓から朝日が差し込んでたんだと」

 

「本当に何してんだよ……」

 

 

 窓から差し込む朝日を見て首を傾げるもう1人の後見人――空本(そらもと)(わたる)の姿を思い描いて、俺は思わず天を仰いだ。あの人は熱中すると時間経過をすっかり忘れるタイプだったか。ダンジョン化した聖エルミン学園高校や御影町を全速力で駆け抜けていた航のことを思い出すと、あの人の体力や思考回路はあの頃とさほど変わっていないのだと思い知らされる。

 周りも周りだ。力を強くして、異変の犯人をぶっ潰そうと必死になっていた訳だから、立ち止まっている暇などなかったはず。それだけではない。熱中すればする程、熱中した度合いに比例したリターンが期待できた。ハイリスクハイリターンとも言う。良くも悪くも凄まじい光景が脳裏に浮かんで、俺はトーストを齧りながら天を仰いだ。

 保護者はエプロンを外して腰かけると、テレビのリモコンを手に取った。大型液晶テレビのランプがついて、朝のニュースを伝え始める。トップとして報道されていたのは自動車事故だ。現場は遮蔽物も対向車も何もない、直線状の道路。()()()()()()事故など発生しないはずである。なのに、普通乗用車は道路標識に激突していた。

 

 余程スピードを出して突っ込んだのだろう。白い普通乗用車のフロント部分がぺしゃんこに潰れている。硝子は粉々に粉砕され、道路標識は真っ二つに折れ曲がっていた。

 あの様子では、運転手も無事ではなかろう――俺の予想は正しかったようで、【死亡】と銘打たれたテロップと共に顔写真と名前が映し出される。

 

 死亡した運転手の勤め先を見て、俺は思わず目を瞬かせた。

 

 

「『▲▲商事』……確か、南条コンツェルンの傘下企業だっけ? しかも、役員か……」

 

「…………」

 

「至さん?」

 

「……あいつ、南条くんから“横領の疑いアリ”って言われてた奴だったなーって」

 

 

 「丁度、奴の金の行方を追っかけてるところだった」と、俺の保護者――空本(そらもと)(いたる)は、何かを探るように目を窄めた。本業は怪異関連の一件を調査する調査員だが、平時は南条コンツェルン関連企業を調査している。

 前者の事件がホイホイ起きるようなことは、()()()()()()()()()()()まずあり得ないだろう。「そんな事件など起きない方がいい」と本人は笑う。今回もそうやって笑い飛ばせればよかったのかもしれないが、彼の表情は晴れない。

 

 至さんは“歩くトラブルサーチャー”と呼ばれている。彼が足を踏み入れた地では、必ずと言っていいほど怪異事件が発生するためだ。

 しかも、事件の首謀者および黒幕は善悪意問わず『神』と呼ばれる者たちの仕業か、悪意を持った人間たちに惹かれて顕現してしまった『破滅の権化』だった。

 至さんが怪異に首を突っ込んでいくのか、怪異が至さんを呼んでいるのか――答えはその両方である。彼の生まれからして、それは仕方がないことらしい。

 

 どうにもならない物事に対する諦め――もとい、開き直り半分と反骨精神が、空本至という人間の“(いのち)”を突き動かす理由だ。

 

 

(……もし、至さんの予感が的中したとしてだ。次はどんな『神』か『破滅の権化』が待ち構えてるんだろうな)

 

 

 俺は今までの出来事を思い出してみる。

 

 セベク・スキャンダルの首謀者神取鷹久を乗っ取ったペルソナにして、珠閒瑠市で発生したJOKER呪いの元凶であり破滅の化身ニャルラトホテプ。

 桐条グループの桐条鴻悦およびエルゴ研が行った負の実験によって顕現してしまった死と滅びの権化ニュクス。

 八十稲羽の土地神が持っていた「人間の望みを叶える」側面が暴走した結果、人間の「真実を見ようとしない」側面として顕現したイザナミノミコト。

 

 総じて碌なものではない。俺でさえ頭を抱えたくなる事件が大量発生したのだ。

 百発百中のトラブルサーチャーにとっては、頭が痛くなるほど狂っちまいそうだろう。

 

 

(これだから、『神』は好かないんだよ)

 

 

 俺がそんなことを考えながら朝食を平らげたときだった。スマホのランプがチカチカと点灯する。見れば、チャットに連絡が入っているところだった。

 差出人は、俺の待ち人。彼女は連休を利用し、東京へと遊びに来る。あと2時間後――予定時間通りに待ち合わせの場所につくという連絡だった。

 何を察知したのやら、至さんはニッコニコと笑っていた。俺に父親なんてものはいないが、多分、実在していたら彼のような奴なのかもしれない。

 

 いや、語弊がある。実父が誰なのか、俺は知っているのだ。……ただ、その本人とは、実際に接触したことがないだけで。

 

 

「俺は、お前と“あの子”のことを応援してるからな。……但し、勢い任せの無計画な――」

 

「――分かってるよ。俺が一番、そのことを分かってる」

 

 

 ……俺は、無計画で、自分の欲望しか考えなかった男の身勝手によって生まれ落ちた“望まれない子ども”だ。そんな子どもがどれ程惨めで辛い人生を歩むのか、俺はその一端に触れたから、“多少は”分かっている。

 俺は運が良かったのだ。本来なら、誰からも望まれなかった子どもとして扱われていたはずだ。世間からも疎まれていただろう。もしかしたら俺は、父や世界へ憎しみを抱いて暴走し、袋小路に迷い込んでいたかもしれない。

 

 

「俺は、俺と母さんを捨てたクソ親父とは違うんだ。彼女のことは絶対幸せにする」

 

「……だよなぁ。余計な心配だったな」

 

 

 俺の答えを聞いた至さんは満足そうに笑い、自分のコーヒーに角砂糖を投入した。

 4個入れても飽き足らなかったようで、牛乳をなみなみ注ぐ。最早カフェオレと化していた。

 

 俺を身ごもった母を手酷く捨てた実父のことを、俺は反面教師に思っている。俺や母を捨てたあんな奴と、俺は違うのだ。あいつが切り捨てたものすべてを手にした上で、あいつ以上に幸せになってみせよう――そう決意したのは、いつのことだったろうか。

 今ではそんな復讐は二の次三の次になっており、俺は俺の持つ小さな世界で満足していた。コミュニティ的に考えれば小さくはないのだろうけど、俺の手の中に納めておきたいと願う大切なものたちという意味では、小さな世界と言えるだろう。

 俺には信頼できる愉快な保護者がいて、正義を貫く格好いい大人たちがいて、心を許せる“あの子”もいる。特に、“あの子”は俺にとって“特別な相手”だ。運命なんて信じちゃいないが、彼女には酷く惹かれるものがある。奇妙な懐かしさと親しみを感じるのだ。

 

 ()()()()に、俺は“あの子”の手を取れなかった。取りたいと思いながらも、()()()()()()()()と――……?

 

 

(……え?)

 

 

 不意に、スマホを握っていた俺の手が二重にぶれる。べったりと付着したのは血飛沫だ。脳裏にフラッシュバックするのは老若男女の死体、死体、死体。そうして、見覚えのある人物の死体。男? 女? 判別はできなかったが――ああ、“あの子”だ。俺は本能で理解する。手に残るのは銃の引き金の感触。()()()()()――思わず息を飲んだ。

 次の瞬間、血まみれに汚れた手は幻のように消えてしまった。俺の手は綺麗なままである。“特別な相手”に会う前に見る光景にしては、あんまりにも悍ましく悪趣味なものではないか。『神』の嫌がらせでもあるまいし。俺は反射的にケトルを引っ掴んでコップに注ぐと、一気に飲み干した。心臓は早鐘の如く音を立てる。なんだか落ち着かない。

 

 何とも言えぬ感覚を持て余すのは、どうにも居心地が悪い。

 俺はさっさと立ち上がり、自室へ向かった。適当な私服(余所行き用)を適当に見繕う。

 洗面台で鏡と睨めっこしながら身支度を整えた。それでも時間は充分余っている。

 

 

「至さん、帰りは?」

 

「俺か? 俺は……そうさなァ。この大型連休は、所用で帰れなくなりそうだ」

 

「ふぅん……」

 

「だから、ゆっくりしていいぞ。――“あの子”、連休中はここに泊まるんだろ?」

 

「!!」

 

 

 至さんは、何かを察したような生温かい目を向けてきた。俺は反射的に言い返そうとしたのだが、彼が家を飛び出す方が一歩速かった。

 

 慌てて玄関の戸を開ければ、背中にクレー射撃用の銃が入ったケースを背負っている至さんの背中が目に入った。一応の護身武器を持ち歩く限り、所用とは本業絡みであろう。

 彼の趣味兼特技はクレー射撃である。聖エルミン学園在学時はクレー射撃部のエースとして活躍していた。類稀な狙撃能力故に、ついた仇名は“聖エルミンのシモ・ヘイヘ”。

 一時は射撃の日本代表候補まで上り詰めたのだが、同時期に発生した本業絡みの事件に集中するため辞退したという。勿体ない話だが、至さんらしい判断と言えば判断だろう。

 

 

「……さて、そろそろ行こうかな」

 

 

 俺は苦笑した後、出かける前の最終確認を行った。スマホとケータイ、財布、その他外出に必要なもの一式を鞄に詰め込んで出発する。目的地は渋谷駅前だ。

 指定された時間よりも随分早く待ち合わせ場所に辿り着く。スマホを取り出してグループチャットを開こうとしたとき、視界の端に見覚えのある少女の姿が映った。

 背中辺りまで伸びた癖のある黒髪、黒曜石を思わせるような静かな瞳、色白ではあるが瑞々しく健康的な肌。僕は反射的に顔を上げた。彼女も俺を見つけたらしく、破顔した。

 

 

「黎。随分と早かったね」

 

「吾郎の方こそ。こんなに早く来てるとは思わなかった」

 

 

 僕の元へ駆け寄って来た少女――有栖川(ありすがわ)(れい)は嬉しそうに頬を染めている。僕も自然と頬が緩んだ。

 

 黎と顔を合わせるのは本当に久しぶりである。彼女は御影町の旧家、有栖川家の1人娘だ。通っている高校は七姉妹学園高校ではあるが、自宅から通学するには充分な距離だった。

 僕が東京の進学校に通っているのは、自分なりに将来設計を考えた結果だ。保護者達には失礼だけれど、血筋や後ろ盾が殆どない僕が使えるのは頭脳くらいなものである。

 

 

(いくら本家の方針が一般家庭と大差ないとしても、周りの連中がそうとは限らないからな)

 

 

 有栖川家のネームバリューを求めて押し掛ける面子を思い浮かべて、僕は内心舌打ちしていた。黎を娶ることで跡取りになろうと企む連中はごまんといる。この前だって、40代過ぎの中年オヤジが黎にちょっかいを出してきた。

 その前は見るからにヤバイ――目の焦点が合わず、涎を垂らし、呻くだけで言葉を発さず、常に股間を触っているような巨体の男が黎に手を出そうとしていたこともある。異変に気づいた僕たちが法的および物理的手段を講じたおかげで黎の貞操は守られたが、もっと早く助けられたのではないかと僕は思っている。

 有栖川家当主曰く、「前者は警察、後者は座敷牢へと送られた」らしい。以来、件の2名に関する話は一切耳に入ってこない。そのことは「しきたり」だの「跡取り」だのと騒いでいた外様の親戚どもにも伝わったらしく、一応奴らは大人しくしていてくれた。閑話休題。

 

 僕と黎は暫し談笑を楽しみながら移動する。学校のこと、友達のこと、東京と御影町の様子――どの話題も楽しくて仕方がない。

 僕たちがそうやって談笑していたとき、不意に男の声が響き渡った。思わず声の方を見れば、選挙カーが道路の脇に停まっている。

 

 

「どうか、清き一票を!」

 

(……そういえば、そろそろ都議会議員の選挙だったっけ)

 

 

 誰が演説をしているのだろう。僕は何の気なしに視線を動かす。

 

 そこにいたのは、頭をスキンヘッドにして眼鏡をかけた男だった。鋭く冷徹な瞳は刃物を連想させる。得体の知れぬ寒気を感じたのは気のせいではない。

 選挙カーの上部には、件の議員の名前が書かれていた。獅童正義――その名前に、その顔に、僕は覚えがあった。あいつは、あいつが、あいつこそが、俺の――!!

 

 

「――吾郎……?」

 

 

 不安そうな声に気づいて振り返れば、黎がじっと僕を見上げていた。黒曜石の瞳は僕を案じている。彼女の表情を曇らせるような要素(モノ)は見過ごせないし、許すことができない。たとえそれが僕自身であってもだ。

 

 

「……いや、なんでもない。気にしないで」

 

 

 僕は獅童に背を向けつつ、黎と手を繋ぎ直す。俗にいう「恋人繋ぎ」に、黎は一瞬目を丸くした。恥ずかしそうに視線を彷徨わせたのち、幸せそうに頬を緩ませる。

 彼女の頬はほんのりと薔薇色に染まっていた。それを見ている僕の方まで照れくさくなり、緩み切った口元を抑える。暫く歩けば、獅童の演説はフェードアウトしていった。

 

 大丈夫。彼女がいてくれるならば、僕は平気だ。

 何も怖いことなんてないし、苦しいことなんてない。

 あるとするならそれは、幸せすぎることくらいだろうか。

 

 そんなことを考えていたとき、僕のスマホのランプがチカチカと輝いた。誰かからのメールらしい。黎に断りを入れて、僕はメッセージを確認した。

 

 

“我が手から離れたとしても、貴様が『駒』であることには変わりない”

 

“更生は不要。償いも不要。ただ粛々と、『罪』を犯した『罰』を受けよ”

 

“それこそが、『白い烏』たる貴様に相応しい『破滅』だ”

 

“――逃れられると思うなよ”

 

 

(……物騒な文面だな。脅迫文かよ)

 

 

 発信者も不明、意味はもっと不明なメールだ。そのくせ、妙に僕の琴線に引っかかる単語がちりばめられているように感じる。送り主からの悪意が滲み出ているようだ。

 ニャルラトホテプとよく似た気配を感じ取ったのは、奴のせいで何度か煮え湯を飲まされた経験があったためだ。奴本人か、もしくは奴の関係者だろうか?

 

 元から怪しいものに手を付けるつもりがなかった。『神』が関わっているなら尚更である。件のアプリを削除しようとした次の瞬間、スマホが勝手に動作した。得体の知れぬアプリがダウンロードされる。

 

 

「なんだこれ? ……“イセカイナビ”に、“メメントス”?」

 

『――では、案内を開始します』

 

 

 僕が首を傾げた途端、突如アプリが起動した。僕は反射的に黎を庇う。人がごった返す渋谷のセンター街はあっという間に塗り替えられていった。

 人々の姿はどこかへと消えて、真っ青な空は赤く染まる。代わりに現れたのは、形を取り切れない異形の群れ。悪魔やシャドウを連想させるようなバケモノだ。

 

 揺蕩う黒霧はタルタロスやマヨナカテレビで目の当たりにしたシャドウとよく似ているが、姿形を視認できる奴らの格好は聖エルミン学園や珠閒瑠市で見た悪魔たちと似ている。

 基本、人間のシャドウ以外とは話ができないはずだ。人間とコンタクトを取れるのは悪魔たちだけである。この異界に跋扈している異形どもは、双方の特性を持っているのだろう。

 奴らは僕たちの存在に気づいていない。僕と黎はこれ幸いと距離を取り、角に身を潜めた。戦うための力を持たない自分たちは、こうして奴らを巻くことしかできない。

 

 

「なんだコイツら……!?」

 

「一体、何が……!?」

 

 

 僕と黎は背中合わせになりながら、現状を確認する。一般人のレベルでは「意味不明な出来事」に巻き込まれたからこそ成せる警戒態勢。

 今すぐ、訳の分からぬここ――異形が跋扈する空間から脱出する方法を探さなくてはならない。最低でも、黎だけは無事に脱出させてやらなくては。

 原因はおそらく、先程勝手に起動したアプリのせいだろう。確か、アプリの名前はイセカイナビと言ったか。僕はスマホを開きつつ、必死になって算段を立てた。

 

 “運命なんて、ふとしたきっかけで劇的に切り替わる”。

 

 僕/俺――明智吾郎は、それを嫌という程噛みしめながら生きてきた。生きてきたはずだった。

 そのことを改めて思い出す羽目になろうとは、このときの僕/俺は一切考えが及ばなかったのである。

 

 

◇◇◇

 

 

 ――唐突だが、昔の話をしよう。

 

 

 母が死んだ。それをきっかけに見ず知らずの親戚どもの前に引きずり出された俺は、汚い大人たちの汚い罵り合いを嫌という程聞かされた。望まれない子ども、いらない子――耳を塞いでも、その言葉は飛び込んでくる。

 自分で言うのもなんだが、当時から俺は賢い子どもだった。腸を煮え繰り返しながらも、俺は“か弱いけれど賢い子ども”を演じて大人しくしていた。容赦なく降り注ぐ罵倒、嫌悪、押し付け合いの言葉を必死になって聞き流していた。そうでなければ、生き残れないから。

 

 

『あんたたち、何なんだよ。さっきから好き放題に言ってるけど、その子は何も悪くないじゃないか』

 

 

 不毛な罵り合いを引き裂くように声を上げたのは、親戚たちの中でも一番若い青年だった。聖エルミン学園の学ランを着ており、左耳のイヤリングが小さく揺れる。

 彼の隣には、彼と瓜二つの顔をした青年がいた。文字通りの鏡合わせ。2人を見分けるのは、左耳のイヤリングと右耳のピアスだった。彼も不快そうに大人を睨みつける。

 いきなりの言葉に、親戚連中が水を打ったように静まり返った。俺も目を丸くして2人を見つめた。……そこからは、双子――空本兄弟の独壇場である。

 

 嘗て、この双子も、今の俺と同じような状態に陥ったらしい。親戚たちの罵詈雑言を嫌でも聞かされ、引き取られた先でも虐待を受け、ほとほと弱っていたそうだ。一時は自殺も視野に入れていたという。

 そんな空本兄弟を救ったのは、親戚の中でも地元の名士と呼ばれた有栖川の本家だった。2人が生きていけるようサポートしてくれたらしい。当時の心境を余すことなく吐き捨てた至さんと航さんは、親戚一同を睨みつけながら言い切った。

 

 

『嘗て俺たちは、そうやって本家の御当主さまに助けられた。そうして言われたよ。『私たちに感謝しているのなら、私たちにその恩を返すのではなく、キミたちと同じ立場の人を助けるために力を尽くしなさい。そういうことができる人間になりなさい』って。……だから今度は、俺たちが、そういう理不尽に晒されている人間を守る番だ』

 

『明智吾郎くんは、今日から俺たちの家族だ。異論は認めない』

 

 

 高校生からの突然の宣言/申し出に、俺は目を丸くした。先程俺を押し付け合っていた親戚どもと全然違う。打算も裏もない、真っ直ぐで澄み切った瞳。あるのは善意と決意だけだ。理不尽そのものへ挑みかからんとする“反逆の徒”。俺が憧れていた、正義を貫く格好いいヒーローだった。

 

 それを見た親戚たちは2つに分かれた。1つはこのまま俺を空本兄弟に押し付けようとする者、もう1つは俺を引き取ることで発生する公共的な手当金を狙うが故に反対する者。また泥沼になるかと思われたやり取りは、彼らの後見人である有栖川家当主の一喝によって終結した。

 有栖川家の面々は空本兄弟の成長をたいそう喜び、俺を引き取るための手続きをサポートしてくれた。生活に関する方面も同様である。地元の名士という肩書は伊達ではなく、大騒ぎしていた親戚どもを黙らせる力を有していた。おかげで、俺は空本兄弟に引き取られることとなったのだ。

 

 黎と顔を合わせたのも、丁度その頃だったと思う。

 

 俺が正式に空本兄弟の被保護者となったことを報告するため、空本兄弟は俺を伴って有栖川家に赴いた。その日は飲めや歌えやの大騒ぎで、多分、俺よりも空本兄弟や有栖川家の大人たちが盛り上がっていたように思う。

 当時の俺はまだガキだったし、「いい子でいなければいけない」という脅迫概念の下彼らの様子を伺っていたというのもあって、そんな大人たちの空気に馴染めなかった。居心地が悪くて抜け出した本家の庭で、彼女は1人で佇んでいた。

 

 

『――…………』

 

 

 有栖川黎を一目見たとき、何故だか分からないが、俺はボロボロと泣いていた。いきなり泣いたら迷惑だと分かっていたのに、どうしてか涙が止まらなかった。

 苦しくて、哀しくて、辛くて――けれどそれ以上に嬉しかった。俺は()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()と思ったのだ。

 それは彼女も同じだったらしい。黎は俺を見るなり、無言のままボロボロと泣き出した。嬉しそうに目を細めて、花が咲くような笑みを浮かべて、俺の手を取ってくれた。

 

 

()()()()()()()()()()()()()

 

『……()()()()()()()()()()()

 

 

 どうしてそんな言葉が出たのか、俺も黎も分からない。けど、当時の気持ちを言い表すにはこれしかなかったのだ。この言葉が、当時の俺たちにとっての()()()だった。

 

 この言葉を皮切りにして、俺と黎は交流を重ねるようになった。彼女だけでなく、至さんや航さんの同級生との交流も始まった。南条コンツェルンの御曹司、母子家庭で手品が得意な聖エルミンの裸グローブ番長、ダンスグループのリーダー、元不良のスケバン姉御、外国語を日常会話に織り込む帰国子女……かなり濃い面子だった。

 双子に引き取られて半年が経過した頃、空本兄弟が聖エルミン学園の文化祭に関する話を持ちかけてきた。御影町でも由緒正しい歴史を持つ私立聖エルミン学園高校は、町内の祭り並みに派手な文化祭を行うことで有名だった。催し物も、そんじょそこらの学園祭など足元にも及ばない賑わいを見せる。

 

 

『折角だから、吾郎も聖エルミンの文化祭に遊びに来たらどうだ?』

 

『黎ちゃんにも声かけてみたらいいんじゃないか? 『一緒に文化祭を見て回りませんか』って』

 

 

 航さんが善意、至さんはお節介でそう提案してきた。飲んでいた麦茶を盛大に噴出した俺は、2人の前では無言を貫いた。それで手一杯だったのだ。

 ……その後、黎に声をかけたのかって? そんなの、かけたに決まってる。至さんの誘い文句を丸々借りて、俺は黎を聖エルミンの文化祭に誘った。

 楽しみにしすぎて、文化祭前日に『聖エルミン学園高校の下見に行こう』と黎を誘ってしまった程だ。それにホイホイついてくる黎も黎だったけれども。

 

 ――それが、とんでもない怪異事件の幕開けだった。

 

 

***

 

 

『な、なんだよこれ……!?』

 

 

 セベクの本社ビルから凄まじい光が発生し、御影町がおかしくなった。ひっそりと探索していた教室が突如凍った。

 学校中が凍り付いて、町中に得体の知れぬ異業が跋扈し始めた。文字通りのダンジョンと化したのだ。

 

 ヤバかった。正直死ぬかと思った。悪魔と名乗る異形どもは俺や黎に攻撃を仕掛けてくる。俺たちは手をつないだまま、必死になって聖エルミン学園を逃げ惑った。

 そんなとき、白い雪ダルマみたいな悪魔が他の悪魔たちに虐められている現場に遭遇した。どうやらその雪だるまは、「人間とお友達になりたい」という変わり者だったらしい。

 黎はその雪だるまを助けようとして、そんな黎を見捨てることができなくて、俺も一緒に駆け出した。悪魔に物をぶつけて怯ませた隙に、雪だるまの手を引いて教室へと逃げ込んだ。

 

 

『ヒホー。助けてくれたお礼だホー! オイラたち、ずっと友達だホー!』

 

 

 雪だるま――もといヒーホーくんは俺たちの行動に感謝して、鏡の破片を手渡してくれた。何かの役に立つかもしれないと語っていたが、あのときの俺は鏡の破片が何の役に立つか分からなかったので、適当に鞄へ放り込んだのを覚えている。

 

 直後、俺たちは至さんと航さんたちと合流した。彼らと彼らの同級生は、至さんが上杉さんに勧めた“ペルソナさま遊び”によって異形を撃ち払う力を手にしたらしい。至さんの表情がやや暗かったのは、聖エルミン学園が凍り付く原因を作ってしまったことに対する罪悪感があったためだ。

 倉庫に眠っていた“雪の女王”のマスクを至さんが担任教師である冴子先生に手渡した途端、学校は氷に閉ざされたダンジョンと化したらしい。“雪の女王”のマスクによって乗っ取られた担任教師を助けるため、航さんをリーダーに据えて学校中を駆け回っていたという。その手筈が整ったらしく、面々は俺たちを教室に残して決戦へと赴くつもりだった。

 

 

『待って、航さん! 俺と黎も連れて行って!!』

 

 

 このとき俺は――どうしてかは分からないが――彼らについて行かなければならないと思った。そうしなければならないという感覚に突き動かされた。

 それをうまく説明できなかった俺は“悪魔から逃げ回るのはもう嫌だ。見知った人と一緒にいたい”という主張をして、どうにか同行の許可を勝ち取ったのだ。

 

 結果的に言うと、俺の判断は上手い具合に作用した。

 

 航さんたちは鏡を使って冴子先生からスノーマスクを引き剥がそうとしていたらしい。鏡の破片の数が足りなくて、航さんたちは冴子先生を乗っ取ったスノーマスクと戦う羽目になった。スノーマスクは『もし冴子先生を倒せば、自分は“夜の女王”として完全復活し、御影町を氷漬けにする』と言い放ち、冴子先生の身体を使って襲い掛かって来たのである。

 大好きな担任教師を攻撃することができず、彼女を倒したら御影町全土が氷漬けになる“滅び”を受け入れることもできず、航さんたちは一方的に嬲られる。スノーマスクは高笑いしながら『鏡を完成させれば完璧だったのに』と叫んだ。それを聞いた俺と黎はピンときて、鞄から鏡の破片を取り出した。それを、未完成の鏡にはめ込む。

 予想通り、完成した鏡は本来の力を発揮した。冴子先生を乗っ取ったスノーマスクは悲鳴を上げて、彼女から分離する。それを見た至さんの号令に従い、聖エルミン学園の面々はスノーマスクに猛攻を仕掛けた。冴子先生を助け出すことはできたが、学校は全然元に戻らない。それどころかもっと寒くなってきた。

 

 どうやら、冴子先生に取りつく前に夜の女王の呪いに侵された人物のペルソナが暴走を始めているらしい。奴を斃さねば、御影町は元に戻らない――それを知らされた航さんたちは、夜の女王との最終決戦へと赴いた。俺と黎も無理矢理ついて行った。

 俺と黎は何もできなかったけれど、航さんたちの戦いをきちんと見届けた。アシュラ女王はペルソナ使いたちに倒され、呪いは断ち切られた。『希望を失い絶望へと変われば永遠の夜がやって来る』と奴は言っていたが、逆転の発想にすれば『希望を失わなければ奴は二度と現れない』ことになる。

 

 

『異変はまだ終わってない、ってことだね』

 

『よし、じゃあ行こうぜ!』

 

 

 しかし、学園の異変が終わっても、御影町全土の異変はまだ終わらない。俺と黎も無理矢理同行する形で、事態の中心にあるセベクへと向かったのだ。

 

 

『ウッヂュー!!』

 

『うわああああああああああああああああああ!!!』

 

 

 その後も大変だった。むしろその後が酷かった。何が楽しくて、俺は同年代の子どもに虐待されねばならなかったのだろう。機関銃を背負ったネズミはもう二度と見たくない。真面目な話、暫くトラウマになった。

 年食った大人からはマシンガンを連射されて死ぬかと思った。至さんと航さんが守ってくれなければ、多分俺と黎は生きていなかったはずだ。武田って奴は本当に大人げない。ドチクショウめ。

 首謀者だと思っていたはずの神取鷹久は自分のペルソナに体を乗っ取られて、暴走した状態で襲い掛かって来た。ペルソナの暴走は異形と化すことと同義らしい。あれは本当に酷いデザインだった。ゴッド神取は問答無用のパワーワードとして俺の中に残っている。

 

 

『……キミたちは、何のために生きている?』

 

『倒せるか? 私を。守れるか? 大切なものとやらを』

 

 

 ――神取は悪ではなかった。悪とは言えなかった。そんな奴の存在は後にも関わってくるのだが、それについては後述しようと思う。

 

 道中だって大変だった。口裂け女が徒党を組んで出現し、マハムド連射してくるのだ。南条さんが皮肉を言い、玲司さんが手品を披露して窮地を脱していた。何を言っているのかだって? 俺だってよく分からない。皮肉と手品で納得する悪魔の感性なんて理解不能だ。

 至さんと航さんはノリノリになってサトミタダシ薬局店の歌を歌って、悪魔と南条さんから顰蹙を買っていた。どうしてあの2人は狂ったように歌い続けていたのだろう。本人たちに問いかけたが、『歌いたいから』で返された。それでいいのか保護者。

 

 サトミタダシ薬局店の歌に洗脳されかかった南条さんを落ち着かせたり、俺や黎と同年代の子どもの問いに『生きる意味を探すために生きている』と答えた航さんの背中を見たり、至さんがフィレモンという普遍的無意識の権化から生み出された化身(しかも失敗作呼ばわりされていた)だったり超絶怒涛の展開だった。

 

 

『なあ。俺が人間じゃなくても、お前らを厄介事に巻き込むような存在でも、友達でいてくれるか? ……仲間で、いさせてくれるか?』

 

『――馬鹿だな。お前は俺の、双子の兄だろうが』

 

 

 不安そうな顔をして問いかけてきた至さんの問いに、航さんは鼻で笑いながら言い切った。聖エルミン学園の面々も、迷うこと無く頷き返した。

 勿論、俺にとっての至さんも“頼れる兄貴分”一択である。例え、彼の正体が異形関連だとしても、俺にとってはそんなことどうだってよかったのだ。

 今まで一緒に生活してきて、積み重ねてきた日々がすべてだった。人一倍子どもっぽくて、人一倍責任感が強くて、人の心に寄り添える、自慢の保護者なのだから。

 

 最後は絶望や不安によって生み出されたパンドラを打ち倒し、ようやく御影町は平穏を取り戻したのである。俺たちが駆け回っていた間、日付は止まったままだったらしい。翌日、何事もなかったかのように文化祭は滞りなく行われた。

 

 え? 文化祭デート? したよ。

 当時はデートだなんて微塵も意識してなかったがな!!

 

 

『そこの少年たちの答えを聞いていない。キミたちは何のために生きるんだ?』

 

『その理由を探すためだ。答えを見つけるためにも、俺たちは生きなくてはならない』

 

『宝物を見つけるためだと俺は思うな。出会いと別れを繰り返して、人生を生きて、振り返ったときに満足できるように』

 

 

 ……事件が完全解決して暫くの間、俺は自分の中に何かが引っかかっていた。神取の問いに対する答えが、何かをフラッシュバックさせる。

 

 

『――では、キミはどうだ? 少女よ』

 

『……うまく言えないけど、私の好きな人たちと、一緒にいたいから。時々泣いたり喧嘩したりするかもしれないけど、でも、一緒に笑いあえたらいいと思う。そういうことができるのは、生きているからでしょう?』

 

『成程な。では、少年。キミは?』

 

『僕は……ッ、……俺も、黎と同じだ。黎と一緒にいたい。黎だけじゃなく、至さんや航さんたちとも一緒にいたい。俺は、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()人間になりたいんだ。だから――』

 

『――そうか。キミたちの答えは、よく分かった』

 

 

 神取は、俺を見て、安心したように笑っていた。その笑みの理由を考える度、俺の脳裏によぎるものがあった。

 

 コーヒーの香り、店内で談笑する2人の人影。クリームたっぷりのクレープ、ふわふわのパンケーキ。何度も交わされた『おかえり』と『ただいま』。異形が跋扈するカジノを駆け抜ける白と黒。2人の口元には、いつも笑みが浮かんでいた。

 伸ばされた手があった。憎しみも恨みも怒りも超越して、8つの人影は誰かに言う。『一緒に行こう』――彼/彼女らは共に駆け抜けた頃と同じ、綺麗な目をしていた。一緒に過ごした日々を信じていると、訴えていた。

 

 嘘まみれの中にあった本当を拾い集める。もしかしたら、もしかしたら――。

 でも、誰かはそれを形にすることを選ばなかった。選べなかった。

 だから最期に、悪態の中にすべてを込めた。それだけが、破滅するだけの誰かに許されたことだった。

 

 ――()()()()()()()()()()()()()()()

 

 『……キミたちは、何のために生きている?』――セベクで神取が投げかけた問いが何度もリフレインする。誰かは何のために生きたのか、誰かは大切なものを守れたのか。

 俺が――いや、俺の保護者や黎でも――誰かに問いかけても、そいつは鼻で笑うだけのような気がした。憑き物が落ちたような、安らかな瞳を湛えて。

 

 

***

 

 

 聖エルミン学園の一件を皮切りに、俺は至さんが巻き込まれる事件に同行するようになった。……意図したわけじゃない、偶然の産物でだ。

 

 

『うーん……』

 

『どうした? 吾郎』

 

『いや、変な夢を見るんだ。あんたが俺を庇って死ぬ夢』

 

『そうなのか。いや、実は俺もなんだ。お前を守って死ぬ夢』

 

 

 当時俺は珠閒瑠市の大学に通う至さんと一緒に暮らしていた。航さんは東京の有名大学へ進学し、寮生活を送っていた。いずれ南条さんが立ち上げるペルソナ関連部門で働くための下準備である。俺と至さんは御影町にちょくちょく帰省していた。

 そんなある日、俺と至さんは変なデジャビュに悩まされるようになる。丁度その頃、珠閒瑠市では『JOKER呪い』が流行っていた。嘗て聖エルミンの教頭だった反谷氏が不審死したことがきっかけで、俺たちは有栖川の親戚、天野舞耶さんと一緒に『JOKER呪い』を追いかけることになる。

 

 共に事件を追いかけた面々も濃かった。猫大好きだけど猫アレルギーなパティシエ志望の警察官、元珠閒瑠検事の盗聴バスター兼情報屋な人探しのプロ、舞耶さんのルームシェア相手で結婚詐欺の被害者、エルミンやセベクの件でも共闘した南条さんや英理子さん、人間音響の名を欲しいままにした“滅びの世界からの来訪者”……。

 

 結果、俺は『神』が大嫌いになった。何の役にも立ちゃしねえ。至さんがフィレモンをぶん殴るのは当然だし、ニャルラトホテプは全身全霊を賭けてブッ血KILLべき悪神だ。

 滅びを迎えるしかない世界からやって来た達哉さんの姿を、俺は一生忘れられないだろう。彼の在り方と辿ったやるせない結末は、酷く既視感を覚えた。

 こちらの世界の舞耶さんと心を通わせ、想い合っていたというのに、悪神の齎した理不尽によって引き裂かれなくてはならなかったのだから。

 

 『顕現さえしていれば、神様は殴れる』――それは、俺と至さんの共通する格言となった。

 

 ……他にも、俺の琴線に触れた出来事は沢山ある。

 

 

『父は正しいことをした。間違っていなかった。……この事実を誰も知らなかったとしても、僕が知っている。それでいいんだ』

 

 

 周防兄弟の父親は刑事だった。その人は組織の腐敗を止めようとして、仲間の裏切りにあい汚名を着せられた。それだけでなく、家族にも危害を加えると脅された。だから、件の刑事は黙って罪を受け入れたらしい。

 彼の無実は、彼の息子たちによって晴らされた。けれども、それは決して公になることはない。……では、その調査は無駄だったのか。答えはNoだと――無意味ではないのだと周防刑事は力強く笑っていた。

 

 彼はもう、自分や自分の尊敬する人に張られたレッテルに振り回されることはない。正しいものを見極め、正しいことを成すために力を振るうのだ。何にも縛られず自由に振る舞える。……そんな周防刑事を羨ましがるのと同時に――何故かは分からないが――、俺は黎のことを考えた。

 

 

『俺は見極めなけれなならない。正しいことを成すためにも』

 

『南条くん……』

 

 

 敵である須藤竜蔵――当時の外務大臣に政治献金をしている父親と対立することを覚悟してでも、舞耶さんたちに手を貸した南条さんは格好良かった。

 ……でも。どうして俺は、竜蔵に対して『貴様に日本の未来を語る資格はない!』と啖呵を切る南条さんの姿に対して強い羨望と嫉妬を抱いたのだろう。

 無性に『()()()()()()()()()()』と叫びたくなった理由を、俺は未だに説明できそうにない。

 

 

『神取! アンタはあのとき、自分の弱さを認めたはずだろ!?』

 

『狂言回しの真似事など止めろ。そんな落ちぶれた姿は、見たくない……』

 

『またもキミたちに同情されようとはな……。光には光の、影には影の役割がある。……そういうことだ』

 

 

 ニャルラトホテプの手駒として復活させられた神取鷹久の姿を見たときは、どうしてか他人事のように思えなかった。嘗てニャルラトホテプに体を乗っ取られて朽ちていった男は、今回もまた、悪神の人形として道化を演じながら死んでいった。

 

 

『見事だ……。だが、影に魅入られた者がその触手から逃れることは容易ではないぞ。……()()()()()()()()()、諸君には、運命の鎖……断ち切ることができるかな?』

 

 

 ――あのとき、何故、神取は俺を見たのだろう。

 

 賛美するように、祝福するように、羨望するように、期待するように――俺という存在に感謝するように。

 サングラスの奥に眼球が存在していたら、彼の瞳は優しく細められていたのだろうか。

 

 

『神取! お前、本当にこれでいいのかよ!?』

 

『空本の言う通りだ! 一緒に来い……!』

 

『――これ以上、生き恥を晒さしてくれるな……』

 

 

 南条さんから差し出された手を、神取は銃を発砲することで振り払った。誰もが悔しそうに、やりきれなさそうに脱出していく中、俺、至さん、南条さんがその最後尾だった。言いたいことを飲み込んで駆け出す至さんと南条さんの背中は、今でも忘れられない。

 どうしてか俺は、神取が破滅を選んだ理由に納得がいった。()()()()()()()()()()()()()理解できた。彼がどんな顔をして終わりを迎えたのか予想できるくらいには、寄り添えていたように思う。……ただ、唯一寄り添えなかった部分があるとするなら、()()()()()()()()()()神取が羨ましいと思ったくらいか。

 

 崩れていく洞窟から逃げる中で、豪華客船と化した国会議事堂の光景を幻視したのは何故だったのか。何もない人生を嗤ったのは誰だったのか。

 機関室で銃を構えていたのは、一体誰と誰だったのだろうか。彼らの様子がまるで合わせ鏡のように思えたのは何故か。

 最期の最期で人形から脱却し、信頼できる相手にすべてを託して目を閉じたのは、一体誰だったのか。――俺は未だに、わからないままだ。

 

 

***

 

 

 そうして、更に数年後の2009年。俺と至さんは、南条家の分家筋である桐条グループの本拠地である巌戸台に足を踏み入れていた。

 

 

『桐条グループに共同研究を持ちかけた際、関連資料の一部が行方不明になった。同時に、関連資料を悪用し、非人道的な実験を行っているという噂が絶えない』

 

『……了解。共同研究案の言い出しっぺとして、責任もって調査してくる』

 

『じゃあ、俺もその手伝いがしたい』

 

『『!!?』』

 

 

 当時、俺は南条コンツェルンのペルソナ研究部門に所属する調査員見習いだった。福利厚生が破格なアルバイトだと言ってもいい。アルバイト扱いなのは、異形と戦う力がないためだ。それでも充分危ないことは理解している。けれど、どうしても俺は、調査員見習いとして同行したかったのだ。

 

 巌戸台に越してきてすぐ、俺と至さんは“影時間”を体験する羽目になった。そうして、次世代のペルソナ使いたちと接触し、彼らと共同戦線を張ることになった。彼らを率いていたリーダーが、有栖川の親戚である香月(こうづき)(みこと)さんだと知ったときは驚いたのだが。

 今回の世代は、影時間内で拳銃型の召喚機を使うことでペルソナを顕現することができるらしい。『神』から覚醒を促される方法とは違い、現実世界にペルソナ能力を発現することは不可能な様子だった。しかも、複数のペルソナを付け変えれるのは稀有な存在だという。

 

 

『珠閒瑠の一件で、フィレモンは弱体化しちまったからな。ペルソナ能力も、その関係で変質したのかもしれん』

 

『やっぱりフィレモンは役立たずだったのか……』

 

 

 フィレモンの株がダダ下がりする程度で終われば、今回の一件は幸せだっただろう。けれどもそれ以上に辛いことが発生した。ダメな大人ども――桐条鴻悦(すべての元凶)幾月修司(裏切り者)のせいで、世界滅亡の片棒を担がされたためだ。

 人間の傲慢は世界を滅ぼすのだと言うことを、俺は嫌というほど学んだ。けじめはきっちり付けたけれど、課題もたくさん残っている。誰かが犠牲にならないと救えない世界を変えるため、特別課外活動部はシャドウワーカーへと名前を変えて存在していた。

 命さんたちは今でも活動していることだろう。テレビの世界で特別捜査隊と共同戦線を張って以後はそれぞれ別の道を歩いているが、またいつか同じ戦場で戦う日が来そうで仕方がない。至さんも何となくその気配を察知しているようで、憂鬱そうにスマホをいじることが増えた。

 

 桐条鴻悦の業が、偶然その場に居合わせただけの命さんに降り注ぐなんて誰が予想できただろう。そうして、鴻悦が暴走するきっかけとなった研究資料を提供したのは南条コンツェルンであり、南条さんに『桐条と共同研究をすべき』と意見したのは至さんである。酷い玉突き事故を見た。

 

 玉突き事故はそれだけでは終わらない。特別課外活動部の人間関係もとんでもなかった。桐条グループの1人娘、事故死に伴い汚名を着せられた研究者の娘、ペルソナ能力の暴走によって過失致死事件を起こしてしまった青年、化け物に母親を殺され復讐を誓った少年……。

 前者は雨降って地固まった。特別課外活動部を揺らがしたのは後者である。加害者だった荒垣さんは、被害者の息子である天田さんに殺されるためだけに部に復帰した。チームの和を重視した命さんの尽力により、荒垣さんに強い殺意を抱いていた天田さんの態度もやや軟化したように感じる。けど、天田さんの憎しみは別方面で開花した。

 

 

『つか、なんで俺なんだよ……。いいだろ、もう』

 

『決まってるじゃないですか。先輩が好きだからです!』

 

『……はぁ!?』

 

『――ッ……!!!』

 

 

 ――寮のラウンジのど真ん中で繰り広げられた珍事を、俺たちは茫然と見つめていた。天田さんだけは、殺意を滲ませながら荒垣さんを睨みつけていた。

 

 後に“ラウンジの攻防”、もしくは“ノンストップ命”と呼ばれる珍事件をきっかけに、命さんと荒垣さんは名実ともに恋人同士になったようだ。楽しそうに、幸せそうにしている姿を見かけた。……同時に、そんな荒垣さんを射殺さんばかりに睨みつける天田さんの姿も。

 “自分が復讐しようとしている男に、自分の初恋の人を奪われた”――強い憎しみに駆られる天田さんにシンパシーを抱いたのは――ベクトルが違えども――俺と似たような憎しみを背負っていると感じたからだ。そうして、大事な人をすべて取られてしまった天田さんは、踏み出した。()()()()()()()()()

 

 

『やだ……! やだ、やだッ! 荒垣先輩、死なないで!!』

 

『……泣くな、命……。――……これで、いい……――』

 

 

 荒垣さんは、天田さんを守って瀕死の重傷を負った。一命をとりとめたのは奇跡だと言われた。意識を取り戻す可能性は低いだろう、とも。

 天田さんは自身を責めて責めて責め続けて、寮を飛び出した。真田さんや命さんの説得を受けて、天田さんは戦線に復帰することを選ぶ。

 すべては、荒垣さんの想いを受け継ぐために。彼に救われた命を用いて、大事な人々を守り抜くために。

 

 その後、荒垣さんは翌年の3月初旬――月光館学園高校の卒業式3日前に意識を取り戻し、卒業式当日に病院を飛び出して命さんの元へ馳せ参じた。

 

 彼だけではない。生徒会長であるはずの桐条さんは卒業生答辞をすっぽかし、真田さんが後に続き、更に在校生である順平さん、風香さん、ゆかりさんが体育館から飛び出したそうだ。因みに俺も、天田さんと一緒に学校をサボって約束を果たしに行ったクチなので人のことは言えない。

 至さんはアイギスさんや命さんと一緒に、屋上でみんなを待っていたそうだ。『生命を対価にした封印を行えなかった。死ぬのが嫌だった。みんなと一緒にいたかった』と泣き叫ぶ命さんを抱きしめながら、『お前がいない世界なんかいらない』と言い切った荒垣さんは格好良かったと俺は思う。密かに、あの人の在り方には憧れていた。

 

 

『命ちゃんにそんな対価を払わせるわけないだろ。()()()()()()()()()()()()。……だから、安心して生きなさい。幸せになりなさい。な?』

 

 

 満面の笑顔でそう語った俺の保護者は、慈しみに満ちていた。同時に、何かを覚悟したように思える。

 結局、至さんは何を対価にしたのかは教えてくれなかった。凪いだ湖面のような目を細めるだけだった。

 

 その日から、至さんの周りで金色の蝶をよく見かけるようになった。虫取り網を片手に金色の蝶を追いかけ回す至さんの姿が、どこか寂しそうに見えたのも、この頃からだった。

 

 俺はどうしてか、沈んだ東京の街を悠々と進む豪華客船、国会議事堂を思い浮かべることが増えた。

 機関室、怪盗、探偵、鏡合わせの様に向かい合って銃を構える2人。銃口が捕らえたのは、人形と隔壁スイッチ。

 

 分厚いシャッターの向こう側からは、人の声がひっきりなしに聞こえていた。一緒に行こうと、シャッターを開けろと、必死になって呼びかける声が聞こえていた。それら一切を無視し、誰かは取引を持ち掛ける。

 『あいつを■■させろ』と誰かは叫んだ。『罪を終わりにしてくれ』と誰かは乞うた。シャッターの向こう側にいる、自分が信じることができた大切な人々に。己にその決断をさせるに至った、奇跡のような相手に。

 果たして、誰かの望み通り、シャッターの向こうから『是』の声が聞こえた。『わかった』と――『後は任せろ』と力強く返答した相手の声は、酷く震えている。その返事を聞いて安堵した誰かは、ついぞそれに気づかなかった。

 

 シャッターの向こうにいた相手は、どんな気持ちで返事を返したのだろう。どんな顔をしてシャッターを見つめていたのだろう。どんな気持ちで、誰かを置いて行ったのだろう。

 誰かが投げ捨てた願いと同じものを、願っていてくれたのだろうか。一緒にいたかったと、本当の仲間/相棒になりたかったと、願っていてくれたのだろうか。それを知る術はない。

 

 ……そういえば、誰かに『わかった』――あるいは『後は任せろ』と返した声の主は、男だったのだろうか? 女だったのだろうか? 酷く聞き覚えのある声だったような、気がする。

 

 

***

 

 

『こんにちわー! いつもニコニコ貴方の背後に這いよる混沌、ニャルラトホテプでっす!!』

 

『止めろ気持ち悪い! 今更そんなキャラにしても遅――おわあああああああああああああああああああああッ!?』

 

『嘘だろ!? なんてテレビの中に入って――うわああああああああああああああああああッ!?』

 

 

 イラッとするレベルの笑顔を浮かべたニャルラトホテプ(外見:七姉妹学園高校の制服を身に纏った達哉さん)によって、俺と至さんはテレビの中にブチ込まれた。2011年のことだった。

 

 何を言っているか分からないと思うが、初めてテレビの中に落とされたときの俺だって、自分が置かれている状態がよく分からなかった。文字通り意味不明だった。

 巌戸台のシャドウによく似た連中が湧く異世界から脱出したら、見知らぬ大型スーパーのテレビ売り場だったときは血の気が引いた。どうして自宅じゃないのかと焦った。

 それなりの都会からド田舎に転移したときの恐怖を味わったのは、後にも先にもこれっきりである。以降もこれっきりであってほしいと俺は願っていた。閑話休題。

 

 訳が分からず呆然としながら、俺と至さんはド田舎を散策していた。住民への聞き込みによって、このド田舎が八十稲羽という名前だと知ったとき、俺たちは何の気なしにふと家の屋根へ目を向けた。――それがいけなかった。

 テレビのアンテナに、死体がぶら下がっている。悪魔に嬲り殺された人間の死体は何度か見たことがあったが、あの死体にはそれと似たような気配があった。結果、俺たちは死体発見の第1人者ということで、警察から取り調べを受ける羽目になった。

 

 証拠不十分と南条さんのアシストのおかげで無罪放免となった俺と至さんだが、この一件で、テレビの世界と現実の連続殺人事件にニャルラトホテプの影を察知した。俺たちは八十稲羽の天城旅館に拠点を移すことにした。実際はニャルラトホテプの影なんてどこにも存在しなかったのだが、奴のおかげで異変を察知できたから良いとする。

 

 

『あれ? どうして至さんたちがここにいるんですか?』

 

真実(まさざね)さん!?』

 

『なんで真実がここに!?』

 

『俺の両親が海外赴任になったのは知ってますよね? 俺は日本に残って叔父さんのお世話になることになったんですけど、住んでいる場所がここなんですよ』

 

 

 そこで出会ったのは、有栖川の親戚である出雲(いずも)真実(まさざね)さんだった。しかも、彼は成り行きと好奇心から八十稲羽連続殺人事件を追いかけた挙句、ペルソナ使いとして覚醒していた。世の中は本当に何が起こるのか分かったもんじゃない。

 次世代のペルソナ使いたちは、先代である巌戸台のペルソナ使いたちとは違って召喚機を必要としなかった。自分の前に顕現したカードを叩き壊すことによって、ペルソナの力を発現させるのだという。至さんはその力を見て、しきりに首をかしげていた。

 

 今思えば、至さんが違和感を訴えていたのは、真実さんたちの力はフィレモンが与えたものではなかったためだろう。真実さんたちに力を与えたのは、全く別人の同業者だった。しかも土地神さまである。規模がいきなり限定的になって驚いた。

 

 霧に覆われた田舎町で真実を探していたのは、やはり個性の強い面々出会った。つい最近田舎町に進出してきた大型スーパー店長の息子、肉が大好きな武術少女、天城旅館の次期女将、田舎にある豆腐店へ帰還した大都会のアイドル、厳つい顔とは裏腹に手先が器用な染物屋の息子、男装の麗人である探偵王子……。

 特に、探偵王子はメディアに取りざたされていた。白鐘直斗さんは真っ当な実力一本でここまで成り上がってきたのだろう。彼女を見ていると、なんだか言葉にならない罪悪感が胸を刺してきた。打算も何もなく、己の正義のために真実を追いかける背中に、針の筵になってしまったような気がしたのだ。今でも俺は、その理由が分からない。

 

 結論から言うと、空回りした善意と力を得たことによる欲望が真実を覆い隠していた。本人がいくら善意のつもりで行動したのだとしても、人に害をなしてしまうことがあることを知った。それは最早善意ではないのだと、嫌でも思い知ってしまったのだ。

 だって、真実さんたちに力と試練を与えた『神』も善意からの行動だったし、テレビに人を突き落としていた張本人は『テレビの中に人を突き落とせば助かる』と認識したが故の行動――つまり善意――だったし、真実さんを愛した女性は世界と愛する人を守るため――つまり善意で――自分自身に関する記憶を消して消滅しようとしていた。

 結局のところ、真実さんたちは『神』から与えられた試練を乗り越えた。そして、真実さんは自分が愛した女性を救ってみせた。八十稲羽の土地神だった彼女は事件解決と共に姿を消したはずなのだけれど、黎を八十稲羽に案内したとき、お天気お姉さんとして活躍する彼女を見かけて飲み物を噴き出したのは記憶に新しい。

 

 彼女に直接話を聞いてみたら、超チートなお天気お姉さんは首を傾げながら教えてくれた。

 

 

『蝶の仮面を被ったオジサンが、私がここにいられるように手を貸してくれたの』

 

『……何か、対価とか請求されなかった?』

 

『ううん。“我が化身が支払ってくれたから、キミは気にしなくていい”ってオジサン言ってた』

 

 

 十中八九フィレモンと至さん絡みである。言われてみれば、事件を解決した後、至さんの周囲に飛び回る金色の蝶の数が増えたように感じた。

 その後自宅へ戻った俺は、航さんを嗾けて至さんを問い詰めた。……だけれど、至さんは相変らず、静かに微笑んでいるだけだった。

 

 

『世の中クソだな!』

 

 

 因みに、今回の事件の首謀者として捕まったのは、『神』に力を与えられた現職警察官だった。犯行動機はこの一言に尽きる。

 

 世界を嘲り、力に溺れて驕り高ぶった男の辿った道は破滅。待っていたのは社会的な制裁だった。それでも彼が命を絶とうとしなかったのは、八十稲羽で過ごした堂島家での日々に拠り所を見出していたためだろう。

 取り返しのつかない過ちを犯しても、自分には何も残らないのだと分かっていても、彼は大人しく真実さんに従った。そういう約束で戦っていたのだから当然だと言えば当然だけど、彼なら約束を反故にするくらいできたはずだ。

 俺は、彼のことが羨ましかった。何も残らなくても、罪と罰だけが残っても、生きることに縋りつける強欲さが羨ましかったのだ。それは、彼にとっての強さだった。同時に、彼にとっての弱さだった。彼という人間性を構築する柱であり、プライドだった。

 

 手放すこと、切り捨てること、利用すること、嘘をつくこと――それを支えにしていた誰かが最期に選択したのは、友を手放し、己を切り捨て、友の力を信用し、乱暴な口調で本心を隠すことだった。大切なものを守るために人形を辞めた誰かの、命懸けのプライド。

 図らずもそれは、俺の実父である獅童正義のやり方とよく似ている。それが自分の欲望のためか、他者への献身のためかという違いはあるが、根底にあるモノは似通っていると感じた。……正直、俺にもそのケがあるので注意はしている。閑話休題。

 

 

『今回の件も、結局は『神』絡みだったか。普遍的無意識の集合体から土地神様にスケールダウンしたのには逆にびっくりしたけど』

 

『お節介も程々にしてほしいな。俺たちはもう、『神』の手を離れたんだから』

 

『しかも、まごうことなき善意からってのが厄介だよね。貰いモノも使い方次第ってのがよく分かったし』

 

 

 事件解決後――帰りの電車の中、至さんや真実さんと話しながら窓の景色を見つめる。八十稲羽の街並みはどんどん遠くなり、見慣れた都会の街並みが広がり始めた。

 『神』から与えられた力で真実を勝ち取った真実さんと、社会的な破滅に至った件の警官。この対比に、俺は酷く既視感を覚えた。

 

 誰かの為に力を振るい、居場所と仲間を得た仮面の怪盗――『切り札(ジョーカー)』。自分のために力を使い、最期は自らの意志で『誰かを守るための破滅』を選択した偽りの探偵――『白い烏(クロウ)』。

 鏡合わせのように引き合わさった2人の運命は、まるで真実さんと件の警官のように真っ二つに分かれていた。片方には成功と祝福を、片方には破滅と長い刑期が与えられた。真実さんと警官の運命は、『神』によって翻弄されたものだ。

 彼らだけじゃない。神取や達哉さんと摩耶さんだって、至さんだって、ニャルラトホテプやフィレモン――『神』による作為のせいで様々なものを背負わされた。……だとしたら、『切り札(ジョーカー)』と『白い烏(クロウ)』も――?

 

 ――俺の視界の端に、毒々しく輝く黄金の杯がちらついたように見えたのは、果たして気のせいだったのだろうか。

 

 




クソみたいな大人しかいなかった周りの環境、『神』の人形として弄ばれた『駒』。彼の運命を定めたのがこの2つなら、それらを取っ払えばいいのかなと思った次第です。但し順風満帆とは言っていません。ええ。
立派な大人というワードで思い至ったのが歴代シリーズ関係者――特に南条くんでした。ですが、書き始めてみると神取が出張る出張る。こんなはずじゃなかったと首を傾げるレベルでした。私は神取に対して夢でも見ているのでしょうか。
結果、爆誕したのが今回の魔改造明智吾郎。一見平和な世界で青春を謳歌している様子ですが、歴代ペルソナシリーズの事件にどっぷり漬かっているため、『神』と名のつくものに対して複雑な感情を抱いています。経歴上仕方ないですね!
不可思議なデジャウを体験する明智、明智に対してやけに優しい神取、罰以降は事あるごとに何かの対価を支払う彼の保護者……何となく察して頂けたら幸いです。

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