いつかあの海が赤く染まるなら

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彼女は何を思う。


鮮血海ヨリ明日ヘ告グ

 空の青。海の青。その境目はぼやけている。終わりの日にしては、あまりに素敵な天気だ。散歩でもしに行かないか。その青は残酷に超然としている。現実味なんかはあっちに置いてきましたと言わんばかりに。神様がいるとして、そいつはきっと青色をしている。

 ぎしりと艤装の軋む音。肉の小さく裂ける音が追従する。あと一撃。そんなことは百も承知だ。

 火薬の爆ぜる音。弾丸が空を切る音。肉の弾ける音。この海の三重奏。重ねるは断末魔。右側にうめき声を聞く。耳を裂く爆音が上書きしていく。視界の端をかつて仲間だったモノの欠片が通過していき、悲しくはない。最後に悲しいと思ったのはいつだったか。私たちの記憶は曖昧だ。大切なことは何も思い出せない。悲しいってなんですか。誰か教えてくれませんか。

 なんだかずいぶんと呑気なものだ。私は今日、この海域で死ぬだろうというのに。

 運命は生まれた時にはもう決まっていて、文句の持ち込み先はなかった。すみません、私ちょっと運命に不満があるのですけれど。どなたに伺えばいいんですか。その答えはいつも決まっていて、申し訳ありませんが変更は承っておりません。使い方サポートならできるのですが。

 もちろんこれは比喩だ。

 私たちは戦うために生まれた。それが私たちの全てだった。陸の上は楽しいか、海の底は悲しいか。私は分からない。陸を知らないから。楽しいを知らないから。

 私たちの部隊は周囲を敵艦隊に囲まれていて、どうも袋の鼠らしい。私たちの指揮官も、敵艦もそう言っているのだからまず間違いはない。私たちに与えられている仕事は指揮官が逃げるための血路を開くことで、昔からその仕事は捨て駒と呼ばれている。戦うために生まれてきたのだから戦って死ぬことに不満はないが、では指揮官が逃げてそれでどうなるのかとさっきから考えている。私たちの仲間は残りわずかで、反転攻勢逆転大勝利なんてことはなさそうだ。

 七年前に敵側に新兵器が現れた。それは私たちにとてもよく似ていて、私たちの敵だった。それまではこちらが優勢だったらしいのだが、彼女らの登場以降、一気に分が悪くなったのだと。何人もの仲間が死んで、死んで、死んで。海を紅く染めたと。その海はやがて鮮血海と呼ばれたと。私は負けがいよいよ決定的になってから生まれたので、伝聞でしかそれらを知らない。

 一年と半年前、最後の砦が落ちて、私たちは小集団で海に散った。近い将来の再集結を目指すのだというが、今のところ再集結の兆しはない。できそうにもない。したところでどうになるものでもない。と、この辺りで逸脱思考の域に入る。

あれから幾度も戦闘をこなしている。戦闘の度に仲間の数は減っていく。昨日は一人、今日は二人、またのご来襲をお待ちしております。

 左後方に水を切る音を感知し、私は無意識に旋回行動に移る。当たり前のように突然――この海では突然でないことの方が少ないのだから――轟音が鳴り響き、続いて断末魔。もう何度も聞いた音で、いまや風や波のざわめきと変わらない。つまらない音に思考は中断され、意識は現実に引き戻される。沈んでいく仲間の最後の声。物哀しい唄。私はそれを最後まで聴いたことがない。私が沈む時もきっとそうなのだろう。あるいは聴く者さえいないのだろうか。

 前方に敵影を確認。必要に迫られ、私は職務に戻る。向かい来る敵に砲を向け、殺意を込めて発射する。憎悪ではない。悪意でもない。殺意だ。それはとても純粋な感情で、だから私たちにも理解しやすい。殺意を弾に乗せて、あなたに死が訪れますように。死の祝福がありますように。

 指揮官が居丈高に指令を出す。指揮官というのはどうしてあんなに偉そうにしているのだろうか。三時の方向が薄い。戦力を集中しろ。敵の包囲を食い破れ。

 私は言われたとおりに三時の方向に向かう。追撃弾が頬をかすめる。敵の弾を避け、魚雷を警戒し、たまに撃ち返す。もうおなじみの日常。殺し殺され血湧き肉躍る戦争。なんてことはなくてやっぱりただの日常の光景なのだ。

 私たちには再生能力があって、それは無限ではないのだけれど、それでも一撃喰らったくらいで沈んだりなんてことはない。いつだったか原理を聞いてみたのだが理解できなかった。そもそも私たちには原理の説明なんか必要ない。ただ再生できる。それで十分。でもやっぱりそれは無限ではないわけで、ということは十分なんかではなくて、何度も傷を負えば再生能力はなくなってしまう。欠陥製品です。交換していただけませんか。これは仕様です。申し訳ありません。

 そして私はといえば、あと一撃でおしまいなのだ。私は今日、この海域で死ぬだろう。

 私の正面に、敵影が一つ。戦艦、と呼ばれている奴で、あいにく私一人では全く敵わない。でも今日は違った。彼女はどうやら私と同じ。あと一回で沈んでしまうさ。殺せ殺せと艤装が喚く。私もその声に追従する。殺せ殺せ。実際のところそれが私の存在理由なのだ。

 水飛沫が飛ぶ。水面に白い帯を作りながら私は進む。私の前に道はなく、私の後にも無論ない。

 彼女が私を察知して、その時私はもう動き出している。重心が僅かに右にずれたのを見て取って、彼女は右に旋回する、と私は読んで、私は右に弾幕を張る。ところが彼女は直進してきて私はまんまと嵌められる。あるいは運が悪かった。砲口が赤く輝いて、一瞬遅れて私の砲も火を噴いた。先手を取られて私は準備が整わないままの攻撃。彼女の弾は私を沈め、私の弾は海に消える、はず。さよならの言葉は何がいいだろう。

 そして彼女の弾が飛んできて――私に当たらない。私の弾が彼女の腹部を引き裂いたのを目視。赤い血が水面を染める。当たった? なぜ。ああ、そうだった。理由なんてひとつしかない。最後の最後で神様は気まぐれにも私に味方した、それだけ。神様はいつだって残酷に気まぐれだ。今だって空の上から見下ろして、私たちを見て大笑いの最中だろう。こちら惨めな被造物になります。ご覧ください。ご覧ください。

 一瞬、彼女は少し驚いたような顔をした。私からは彼女の表情は見えなかったけれど、それでも彼女は驚いたような顔をしたのだ。一陣の風が吹きすぎるくらいの時間があって、彼女は振り返って叫ぶ。長い髪が風に舞う。

「同胞諸君に告ぐ! 生きろ! いつか平和の来るその日まで、生き抜け! 幸せを掴め! 私の分までなんて言わないから。自分の分を生きろ。これは最後の命令だ」ここで彼女は一呼吸置いて、空を見上げた。艤装が醜い金属音とともに崩れ落ちる。

「……戦いの中で沈むのだ。本望だな」

 最後に私を見て、小さく笑った。相変わらず表情は分からなかったけれども。それでも笑ったのだ。

 私は呆然と彼女が沈んでいくのを見ていた。空の青よりも現実味がなかった。彼女が沈んだ後も、彼女の沈んだ水面を見つめていた。死ぬのは私だったはずなのに。幸せ。それは何だ。処理し切れない感情の奔流が頭蓋を駆け巡る。彼女は敵だ。はい。彼女は沈んだ。はい。嬉しいか。わからない。なぜだ。わからない。わからない。

 遠くの方で絶叫が聞こえるが、私の思考はそれを処理していない。砲声も、断末魔も、全てが布一枚隔てた向こうの出来事のように感じる。幸せ。戦うために生まれた。兵器。

 彼女は幸せと言った。彼女は私たちとは違った。明日を夢見ていた。私はと言うと、依然明日は見えていない。たぶんそんなものは存在しない。

 私は今日、この海域で死ぬだろう。

 背後に敵の気配を感知。私は動かない。艤装が喚く。回避行動を取れ。旋回。防御装置を作動しろ。私は動かない。危険信号。危険信号。

 お決まりの爆音が響いて、弾が飛び出し、私の身体を引き裂いた。弾丸が私の身体をめちゃくちゃにかき回す。のを感知。腹部から生暖かいものがこみ上げてくる。生体部分に損傷。回復不能。再生リソース不足。そんなことは知っているとも。

「よくも長門を。殺してやる」

 それはひどく純粋な殺意として理解される。実際は違うと知ってもいる。そうか、そうか。殺されるのか。喜びはあるだろうか。

 私は彼女らを羨んでいるのだろうか。

 私は沈む。私をついに死に至らしめる敵は、泣いているようだった。それは私に向けられたものではない。涙は誰に向けられよう?

 私は彼女らを羨んでいるのだ。

 戦うために生まれて、それでもなお幸せを望む彼女らを、羨んでいるのだ。

 だがもうそれもおしまいだ。私は今日、ここで死ぬ。死にゆく者が何を考えても仕方ない。さよならの言葉は考えていなかった。だから私は真似をする。私が殺した彼女の真似をする。笑って。誰が私にそう言ったのか。誰も言っていない。笑ってと言われなかったのだ。鮮血海より明日へ告ぐ。ああどうか願わくは、明日なんて来ませんように。

 私が最後に見たのは、どこまでも青い水面と、一筋の赤。

 そういえば私の唄は、誰かに聴かれているのだろうか。




読んでくださった方、ありがとうございました。


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