「すまん」
翌日、グレン=レーダスはシスティーナに頭を下げて謝った。
その様子に、クラスメイト達は目を丸くして驚いている。
「確かに俺は魔術が嫌いだが、昨日は言いすぎた。ええと……その……悪かったな」
それだけ言うと、照れくさそうに振り向き教壇の方に向かってしまう。
何か心境に変化でもあったのかと信一は思考を巡らすと、1つ、思い至った。
チラリ、とルミアを見る。
昨日の放課後、ルミアはグレンと話したと言っていた。もしかしたらその時に何かグレンに変化を与えることを言ったのかもしれない。
信一の視線に気付いたルミアは可愛らしくウインクを1つ。
惚れてしまうのでやめていただきたい。
ハァ……と、小さくため息が口から漏れた。やはり、ルミアという少女はどこか不思議な魅力があるようだ。
容姿はもちろん、話してみるとなんでも打ち明けたくなるような……なんでも受け止めてくれるようなそんな魅力。
その魅力がグレンの心も動かしたのだろう。
「それでは、授業を始める」
彼がここに来てから11日目になる今日。初めてグレンの口から講師らしい言葉が出た。
だが、
「えー……始める前に全員に言っとく事がある。お前らって———ホンットに馬鹿だよな」
同時に講師らしくない言葉もぶっ放した。
クラス中のこめかみに青筋が立つ。
信一のこめかみにも青筋が立つ。さすがに今のはイラっと来たので、少し発言することにした。
「グレン先生」
「なんだ、信一?」
珍しく反論する信一の姿に、クラスメイトは『おうおう、言ったれ言ったれ!!』という空気が蔓延し始める。
空気が自分のホームになったことを察し、少し胸を張って言い放つ。
「お言葉ですが、馬鹿って言ったほうが馬鹿なんですよ!」
「「「 ……………………………… 」」」
クラス中の空気が叫んでいる。『いや、そっちじゃねぇよ』、と。
だが、グレンは違った。
「その理屈で言ったら、お前も馬鹿ってことだろ?今俺のこと馬鹿って言ったし」
ある意味、この場の誰よりも信一の言葉を真摯に受け止めている。
「じゃあグレン先生も馬鹿じゃないですか。馬鹿」
「うっせぇ、講師に向かって馬鹿とはなんだ。馬鹿」
「非常勤でしょう?馬鹿馬鹿馬鹿」
「でも講師だろうが。馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿」
「やめなさい、馬鹿!」
「痛い!?」
馬鹿な2人がお互いを馬鹿と罵り合う馬鹿馬鹿しい光景を止めるためにシスティーナの鉄拳が信一の脳天を穿つ。
もはや見るに耐えなかった。子供の方がまだまともな言い合いをするだろう。
殴られた場所を両手で抑えて涙目になる信一の姿はなんとも情けない。昨夜の優しくも凛々しい姿は一体どこにいったのか。
「先生も!生徒の中でも特に知能が低い信一にムキにならないでください!!」
「お嬢様は俺を泣かして楽しいのですか?」
もしかしたらこの主は自分のことが嫌いなんじゃないだろうか?一筋の不安で信一はさらに涙目になる。
「はっ、俺大人だからムキになんてなってねぇし」
「今までで大人っぽいところを見たことがないんですけど……」
強いて挙げればさきほど自分の非を素直に認めて謝罪したくらいだ。
グレンはゴホンと咳払いをして、クラス中の生徒たちを見回す。
「さて、そんな馬鹿なお前らに言えることが1つだけある。お前らは魔術のことをなぁーんも分かっちゃいない」
グレンの言葉に、ルミアに頭を撫でられて慰めてもらっていた信一が顔を上げる。
自分はともかく、ここにいるシスティーナや他のクラスメイトはそれなりに魔術への造詣は深いはずだ。
その彼女たちに対して『魔術を分かってない』という発言はどういう意味なのだろうか?
「そうだな……例えば【ショック・ボルト】。今日はそれについて教えてやる」
そう言ってグレンは左手を伸ばして呪文を唱えた。
「《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》」
すると、宣言通り【ショック・ボルト】が発動。バチッと音がして紫電が左手から放たれる。
「ま、これが【ショック・ボルト】の基本的な呪文だ」
だが、特にクラスメイトは驚いた様子はない。こんなのは当たり前のことだ。
「やっぱり三節詠唱……」
「とっくに究めたっての、【ショック・ボルト】なんて」
むしろ、グレンが三節詠唱をしたことに嘲笑すら上がる始末。
しかしそんなことは気にせず、グレンはチョークで黒板に【ショック・ボルト】の呪文を書き記した。
「アホ……いや、馬鹿なお前らはこれを省略する事ばっか考えてるみてーだが……じゃあ問題だ」
アホをわざわざ馬鹿と言い直した真意がとても気になった信一だが、あえてそこは聞き流す。
グレンは黒板に書かれた呪文、
《雷精よ・紫電の衝撃以て・撃ち倒せ》を
《雷精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》と四節に区切った。
「さて、これを唱えるとどうなる?」
「その呪文はまともに起動しません。必ず何らかの形で失敗しますよ」
メガネを掛けた少年———ギイブルが即座に答える。
このギイブル、クラスではシスティーナに次ぐ成績の持ち主で言うまでもなく優秀な生徒だ。
しかし、こんなことはギイブルやシスティーナじゃなくても分かる。クラスメイトの全員がギイブルの言葉に頷いているのが良い証拠だろう。
「んな事分かったんだよバカ。その失敗がどういう形で現れるのか聞いてんだ」
「何が起こるかなんて分かる訳ありませんわ!!結果はランダムです!!」
「ブフーッ!?ランダム!?マジで言ってんの!?お前らこの呪文究めたんだろ?」
ウェンディの反論にグレンは教壇の上だと言うのに腹を抱えて大笑いしている。その様子は、そういえば俺の国には抱腹絶倒って言葉があったなぁ……と信一に思い出させるほどすごい笑いっぷりだ。
だが、グレンの笑いっぷりに苛立つクラスメイトたちはそれ以後の反論ができないでいる。
「「「 ……………………………… 」」」
「なんだぁ?全滅かぁ〜?【ショック・ボルト】を究めた若人諸君?」
どこまでも挑発的な態度に、プライドの高い成績上位者は青筋を立てている。それはシスティーナも例外ではなく、口の端がひくひくと引きつっているのが見て取れた。
これでまた八つ当たりなんてされてはかなわないので、信一が立つ。
「確かぁ……右か左、とにかく横方向に曲がったと思います」
「お、大体正解だ。答えは“右に曲がる”」
クラスメイトがギョッとした表情で信一を見つめた。
基本親切だが、魔術に関しては間違いなく落ちこぼれの信一が自分たちの知らない魔術の知識を披露したからだ。
「《雷精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》」
グレンが呪文を唱え【ショック・ボルト】が起動するが、それは確かに右に曲がった。信一の言ったことが本当のことだと証明されたのだ。
「じゃあ次な。《雷・精よ・紫電の・衝撃以て・撃ち倒せ》と五節にしたらどうなる?」
「右に曲がりながら…えっと……短くなったかなぁ…?」
「正解」
またもや信一の答えはグレンの実践で証明された。クラスの数人が信一に尊敬の目を向け始める。
「次はそうだなぁ……。こうしたら?」
黒板に書いてある【ショック・ボルト】の呪文をグレンは、
《雷精よ・紫電 以て・撃ち倒せ》と一部を消してしまう。
「出力がぁ……落ちた気が…したんですけどぉ……?」
「ん、正解。やるな信一」
おぉ!とクラスの歓声と共に全員が尊敬の眼差しを信一に送った。
今まで信一が落ちこぼれだったのは、自分たちとは違う観点から魔術を見ていたからに過ぎなかったのだ。
「合ってるんだから自信持てよ。なんでさっきから若干フワッフワな答え方なんだ?」
「いやぁ……結構前に実際にやったことがあったんですけどね。本当に小さい頃だからうろ覚えで」
「だとしてもすげぇぞ。正直、お前らのこと困らせるつもりでこの問題出したのに」
珍しく手放しに褒めるグレンに対し、信一は遠くを見ながらこう答えた。
「昔から【ショック・ボルト】くらいしかまともに出来なくてですね……友達もいなかったから色々いじって遊んでたんですよ」
クラスの尊敬の眼差しが一気に憐憫に変わった。
地味に寂しい過去をお持ちだった信一の発言に、教室が変な空気になる。
「えっと……信一、俺はお前の友達だぞ」
「わたくしも…その……貴方のことは良い友人だと思っていますわ…」
カッシュとウェンディが信一を慰めるように言うと、クラス中から俺も私もと賛同する声が上がる。
しかし、このクラスメイト達は知らない。
時に優しい言葉は、どんな罵詈雑言よりも人を傷つけることを。
優しい言葉を投げかけられている信一の姿が心なしかモノクロに見え始めたので、これはまずいと結構マジで思ったグレンは講義の続きを話し出す。
「と、とにかくだ!魔術ってのは要は高度な自己暗示なんだ。呪文を唱える時に使うルーン語ってのはその自己暗示を最も効率よく行える言語だ。人の深層意識を変革させ世界の法則に結果として介入する。魔術は世界の真理を求める物じゃねぇんだよ。魔術はな、人の心を突き詰めるもんなんだ」
ルミアに撫でてもらい、なんとか元通り着色された信一はグレンの話がいかに的を得ているか理解できた。
そして、この講師が凄腕であることも。
なにせ、自分が
今まで色々な講師に物を教わったが、ここまで分かりやすい話をした講師は1人もいなかった。
魔術が何故起動するか、という疑問を抱かなかった自分にも責任はあるだろう。それは一般人からすれば、何故腕が動くのかと聞くようなものだ。
その当たり前を当たり前として片付けない。グレンの授業は正に“本物”の授業だと言える。
「ま、口だけの説明で言葉ごときが世界に介入するなんて分かりにくいか。じゃあそうだな……おい、白猫」
「んなッ!?」
グレンはシスティーナに近付きながら変なあだ名を付けて近づいていく。
「白猫って私のこと!?私にはシスティーナにっていうちゃんとした名前が……」
「愛してる。一目見た時から———お前に惚れていた」
「ふえっ!?」
まさかのカミングアウトにシスティーナの顔が真っ赤に染まった。
しかし、
「はい注目ー。白猫の顔が真っ赤になりましたね。見事言葉ごときがこいつの意識に影響を与えたワケだ」
件のグレンはしれっとした顔で講義の続きを行う。残ったのは哀れにも騙されて照れたシスティーナだけ。
「言葉で世界に影響を与える。これが魔術の……うがっ!?」
直後、グレンを教科書の雨が襲った。もちろん犯人はシスティーナ。
「おい馬鹿!教科書投げんな!」
「馬鹿はあんたよ!馬鹿馬鹿馬鹿ー!!」
「あ、お嬢様馬鹿って言った。じゃあお嬢様も馬鹿ですね?」
「うるさい!!」
「おっと危ない」
一冊だけ手元に残った教科書の角で信一を殴ろうとするが、読んでいた信一は上体を反らすだけ回避する。
余裕がない彼女をさらにからかうのは本当に気分が良い。いつもなら殴られているシチュエーションなのでなおさら。
「いてて……。まぁ、魔術にも文法と公式みたいなもんがあんだよ。深層意識を自分が望む形に変革させるためのな。それが分かりゃあ例えば……」
再度グレンは左手を伸ばし、右手の指で何かを考えるように頭をトントンする。そして、まとまったように右手を降ろすと唱えた。
「《まぁ・とにかく・痺れろ》」
その瞬間、左手から紫電が放たれる。それは間違いなく【ショック・ボルト】だ。
ザワザワと教室にざわめきが広がりだした。今までの自分たちの常識では、決められた呪文を唱えなければ魔術は起動しないとされていたのだから当然だ。しかし、グレンが唱えたのは誰がどう聞いてもテキトーな呪文。
この非常勤講師は自分たちの常識を真っ向から覆してみせた。
「簡単に言っちまえば、魔術なんて連想ゲームと一緒なんだ。【ショック・ボルト】なら相手を痺れさせる。だからそれが連想できるキーワードを言えば、それが呪文になる。だが、そのド基礎をすっ飛ばしてこのクソ教科書で『とにかく覚えろ』と言わんばかりに呪文を書き取りま翻訳だの……」
グレンは自分の教科書をみんなに見えるよう掲げ、
「はっ!アホかと」
ゴミのようにポイと投げ捨てた。
「今のお前らは単に魔術を上手く使えるだけの『魔術使い』に過ぎん。『魔術師』を名乗りたいなら自分に足りん物は何かよく考えとけ」
もはや、グレン=レーダスに対するクラスの眼差しに侮蔑はない。11日間のグレンに対するイメージは、この短時間でほとんど払拭されていた。
この非常勤講師は何者なのか。この非常勤講師が教えてくれる『本物』の魔術とは何か。それを知るため、全員がグレンの言葉に耳を傾ける。
「じゃあ今からド基礎を教えてやるよ。興味ない奴は寝てな」
無論興味のない者など、いるはずはなかった。
「そういえばグレン先生、聞きたいことがあるんですけどいいですか?」
「信一か。なんだ?」
「さきほどのお嬢様に一目惚れしたというお話。できるだけ詳しくお聞かせください」
「…………………………………………」
刀を二本とも取り出して優しく威圧的な笑顔を浮かべる信一が印象的だった、そんな一幕があったことは……きっと明日にはみんな忘れていることだろう。
はい、いかがでしたか?
ルミアちゃんしゃべってないやんけ!?って思った方、すみません。
本っっっ当にすみません!!
次回あたりから戦闘に入れるの……かな?たぶん…きっと……頑張れば………