超速い慇懃無礼な従者   作:技巧ナイフ。

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だいぶ暗い雰囲気のお話になってしまいました。


第41話 フィーベル家の昔日 前編

「私……レオスと結婚するわ」

 

 帰宅して第一声に、システィーナはそう告げた。

 出迎えた信一とルミアは、先ほどまでの和気藹々と料理していたことも忘れ、硬直するしかない。

 先に我に帰ったのは、ルミアであった。

 

「ちょ、ちょっと待ってよシスティ!」

 

 夕食を断り、自室へ帰ろうとするシスティーナの肩を掴んで、無理矢理こちらへと振り向かせた。普段の彼女からは想像もできない乱暴な動きに呆気に取られた信一だが、そんな事は構わずルミアはシスティーナへ問い質す。

 

 一体何があったのか。本気なのか。話が急すぎる。両親に黙って結婚を決めるのはおかしい。祖父との約束や、システィーナ自身の夢はどうなるのか。学院はどうする。

 何度も平行線の口論が夜中まで続く。だが、結局システィーナは最後までレオスとの結婚を覆すことはなかった。

 しかし、その口論の中で分かったこともある。まず先刻、確かにシスティーナはグレンと和解するために話し合ったこと。そこにレオスがやってきたこと。そして、その場で確かに何かがあったこと。

 

「うるさいわね! 私のことは放っておいて! 別にいいでしょ⁉︎私、レオスのことずっと昔からすきだったんだから! レオスのお嫁さんになるのが私の子どもの頃からの夢だったの!」

 

 バッ! と。システィーナは逃すまいと肩に置かれたルミアの腕を振り払い、ついに自室へと走り去ってしまった。

 

「システィ……」

 

 深い悲しみと涙を溜めた目でその後ろ姿を見送るルミア。たまらず、信一の胸にしがみつく。

 

「おかしいよ…絶対おかしいよ! システィがレオス先生と結婚を決めるはずない! だってシスティは———」

 

「———えぇ。俺の目から見ても、そうだと思います」

 

「どうしよう…このままだとシスティと離れ離れになっちゃうよ! そんなの嫌だよぉ……」

 

 レオスと結婚することで訪れるフィーベル邸の未来を想像して、ルミアは肩を震わせる。彼女が泣いていることは、胸元が濡れるよりも早く理解できた。

 ……不甲斐ない。信一はただその一言を心の中で自分に浴びせかけ、ルミアを抱き締める。もし許されるのなら、腹を切って死にたいくらいだ。

 

「……もう、先生に頼るしかない……!」

 

「ルミアさん!」

 

 ルミアが胸から離れ、フィーベル邸を飛び出していった。あまりに唐突な行動と、深淵よりも深い自己嫌悪に陥っていた信一は反応が遅れ、声を上げることしかできない。

 向かう先は、恐らくグレンの住むアルフォネア邸だろう。

 信一は自身の頭が急速に冷えていることに気付いていた。もはや、怒りなどとうに通り越している。

 

「貴方は…いや、アンタは変わったんだね」

 

 ルミアを泣かせた。システィーナに、絶対にありえない選択を無理強いした。

 ただただ、信一の胸の内にはドス黒い感情が溢れる。もはやこの家族愛という名の狂気を留める方法は1つしかない。

 

「レオス=クライトス……アンタは生きていちゃいけないよ」

 

 フィーベル邸のエントランスに、信一の静かな怨嗟が響き渡った。

 そして思い出す。5年前、どこまでも眩しい、自身の道標となったシスティーナの笑顔を。

 

 

 

 

 ここまでどうやって来たのか。10歳の信一にはうまく思い出せない。彼の頭にあるのは、母親を殺めた罪悪感と喪失感。

 あれから何日経ったのかわからないが、それでも手には母親の首を斬り飛ばした感触が鮮明に残っている。

 

「先生。受け入れてくださり、本当にありがとうございます」

 

 ふと、父親の声に顔を上げる。目の前には豪邸が佇ずみ、その玄関前に自分は父親と手を繋いで立っている。

 そして、自分達の前に4人の人物が並んでいた。父親と同年代か、少し年上の男性。おそらくその男性の妻である女性。車椅子に乗った老人。そして、その車椅子の老人にくっついている長い銀髪の少女。

 誰だろうか。どうやら父親の知り合いのようだが。

 

「いや、気にすることはない。卒業から何年経とうと、君は私の生徒だ。久しぶりに連絡を寄越してきた生徒の頼みを断るほど、薄情になったつもりはない。それに…事情が事情ではあるしな」

 

「そう言って貰えると助かります」

 

「でも零、貴方こそいいの? もう少し傍にいてあげた方がいいんじゃない?」

 

「すまない、フィリアナ。でも仕事が立て込んでてな……」

 

「……そう。なんとなく、貴方の気持ちは分かったわ。だけど、整理がついたら会いに来てあげてね。できるだけ早く」

 

「あぁ……そのつもりだよ」

 

 なにやら難しい話をしているようだ。子どもの自分にはよく分からない。別にどうでもいいことだ。

 また俯くと、父親の手が離される。まるで父親まで居なくなってしまうのではないかと恐怖が鎌首をもたげ、思わず腰にしがみついた。

 

「……信一、ごめんな。もう父さんは行かないといけないんだ」

 

「イヤだ! 行かないで!」

 

「大丈夫だ。今日からは、この人達がお前の家族になってくれる。お前は1人じゃないし、信夏(しんか)ももうこの屋敷に来てる」

 

 妹の名前が出て、屋敷に目を向ける。あの日、妹は母親が首を撥ねられた瞬間悲鳴を上げて気絶してしまった。それからどこかの病院に運ばれたと聞いていたが、既にここに来ていたのか。

 すると、屋敷を見ていた信一の目線に合わせるように、父親がフィリアナと呼んでいた女性がしゃがみ込む。そして、おもむろに抱き締められた。

 

「辛い想いをたくさんしたのね。大丈夫。私達は、決して貴方と貴方の妹を傷つけるようなことはしないわ」

 

 そのまま数回頭を撫でられる。敵意は一切感じられないが、だからと言ってどう反応すればいいのかわからなかった。

 

「すみません。息子と娘を、どうかお願いします」

 

 横で父親が頭を下げる気配を感じ取り、振り向く。既に父親はこの屋敷の門へと向かって歩いていた。

 

「イヤだ! 父さん! 父さん!!」

 

 走り寄ろうとするが、女性に抱き締められて手を伸ばすことしかできない。それでも必死に声を上げるが、ついに父親は1度も振り向かずに行ってしまった。

 

「父さん……父さん…イヤだよぉ……」

 

 涙を止め処なく流して、信一はその場にへたれ込む。自分を抱き留めていた女性の悲痛な表情が一瞬だけ視界に映ったが、そんなものを気にしている余裕はなかった。

 

 ……捨てられた。その最悪とも言える想像が、不思議と信一の胸には落ち着いた。普通に考えれば当たり前だ。自分は母親を殺したのだから。

 

 嗚咽を漏らし続ける信一の前に、今度は『先生』と呼ばれていた男性がしゃがみ込んで目線を合わせてきた。

 

「信一くん、まずは中に入ろうか。少しお話しをしよう」

 

「…………」

 

 もう、全てがどうでもいい。母親を殺し、父親には捨てられた。先に屋敷に着いているという妹にも、どうせ嫌われている。

 父親はこの人達が家族になってくれると言ったが、自分の本当の家族はいなくなってしまった。もう1人ぼっちだ。

 

「システィ、彼と手を繋いであげなさい」

 

「うん、お祖父様!」

 

 突如、車椅子の老人が銀髪の少女へと声をかけた。どうやら少女は老人の事が大好きらしく、素直に自分の手を取ってくる。

 もはや振り払う気も起きず、おとなしく少女に手を取られて信一は屋敷へと入っていく。

 

「今から君の妹さんの部屋に行く。おそらく君にとって辛い現実を見ることになるだろうが、どうか落ち着いて受け入れてほしい」

 

「…………」

 

「ねぇ、お父様がお話してるのよ? 返事くらいしたらどうなの?」

 

「いいんだ、システィ」

 

 少女だけは事情を聞かされていないらしい。見たところ、同年代のようだ。

 そのまま廊下を歩き、ある個室の前へと辿り着く。

 

「父上。少しだけシスティの相手を頼めますか?」

 

「あぁ。おいで、システィ」

 

「はい!」

 

 少女はあっさりと手を離し、老人の車椅子を押す位置へと駆けて行く。そして明らかに身長が足りないにも関わらず、四苦八苦しつつも楽しそうに老人と会話しながら廊下の先へと消えていった。

 それを確認した男性は、個室の扉へと手を掛けた。

 

「しつこいようだが、どうか取り乱さないでほしい」

 

 扉が開かれ、まず目に入ったのは御伽話に出てくるような天蓋付きのベッドであった。

 そこに、あの日以来離れ離れとなっていた妹が寝かされている。

 

「信夏……っ!」

 

 妹の顔を見た信一は、弾かれるように駆け寄った。質の良い布団が載せられた胸は、規則正しく上下している。彼女の口からは、心地良さそうな寝息が聞こえている。

 1週間は経っていないだろうが、それでも信一は妹の無事が確認できたことに安堵の涙を流していた。

 

「良かった…。信夏、起きて。お兄ちゃんだよ」

 

 正直眠っているところを無理やり起こすのは気が引けたが、それよりもなにより声が聞きたかった。あの田舎町で聞いていた、信一の日常の象徴とも言える妹の声が。

 逸る気持ちもそのままに、何度も妹の体を揺するが、何故か起きる気配が無い。いつもならすぐに飛び起きるというのに。

 徐々に揺する手に力が入る。ギシギシと、ベッドの脚が軋む音だけが空々しく個室に響く。

 

「信一くん」

 

「……ん…っ」

 

 揺する手に、女性が手を重ねて強制的に止められた。そしてまたもや抱き締められる。

 

「単刀直入に言う———君の妹は昏睡状態だ。ここに来て1度も目を覚ましていない」

 

「……へ……?」

 

「医者が言うには、どうやら心因性のショックが引き金とのことらしい。いつ目が覚めるかもわからないとも言われたよ」

 

 まるで足元から床が崩れたかのようだった。

 ベッドに寝かされている妹以外の全てが暗闇に覆われる錯覚に陥る。

 それでも頭だけはしっかり機能していて、男性の言葉がどうしようもなく理解できてしまう。

 

「あぁ…、ああぁぁぁ……っ!!」

 

 もはやただ叫ぶことしか出来ない。

 

「なんでよ…っ! 何も悪い事なんてしてないじゃないか…ただ…普通に暮らしてただけなのに……なんで…なんでよぉ……」

 

 口から吐き出される慟哭。喉がはち切れそうなくらい痛い。それでも叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。このどうしようもない理不尽に、論理など一切通じない不条理に、そして変えようもない現実に、意味も無く抵抗していた。

 共にいた2人は耳を塞ぐことなく、悲痛な面持ちで信一から目を逸らす。娘と同い年のこの少年が晒されている現状は、あまりにも残酷だ。女性は抱き締める手に力を込め、男性も挟み込むように腕を背中へ回す。

 

「フィーベル家が責任を持って君の妹の面倒を見る。外科的にも魔術的にも、万全で最上のケアをすると約束する」

 

「私達が守るわ。もう、貴方にこんな想いをさせない」

 

 しかし2人のそんな優しい言葉は、信一の心に響くことなく残響となるだけであった。

 

 

 

 

 扉をノックする音に、蹲って床に向けていた目をほんの少し上げる。

 

「ねぇ、入るよ。……あっ、やっぱりまた食べてない」

 

 こちらの返事を待たず、銀髪の少女が扉を開けて無遠慮に入ってきて顔を顰めていた。

 

 信一がフィーベル家に来て3日が経過した。

 その間ずっと、与えられた部屋か妹の寝室で食事もしないで蹲っているばかりだ。自己嫌悪、喪失感、罪悪感。その他多くのマイナス感情が頭の中で渦を巻き、とても何か行動を起こす気になれない。

 一応最初に出された食事は口にしたが、それが苺のジャムを塗った丸いスコーンだったのが悪かった。床を転がる母親の生首が脳裏を過り、戻してしまったのだ。それ以降、食事にすら忌避感が湧くようになった。

 

「う〜ん…1つくらい食べたら? お母様のお料理、とっても美味しいのよ」

 

「…………」

 

「ちゃんと食べないと大きくなれないって、お祖父様も言ってたもの」

 

「…………」

 

「ほら。プディング美味しいよ?」

 

 出された物の中で、これなら食べやすいだろうと選んだプディングをスプーンで一口掬い、口元に持ってこられた。

 どうも、この銀髪の少女はお節介な性格らしい。毎回無視をしているのにも関わらず、自分の所に訪れる度話しかけてくる。

 冷めてもなお香ばしいミルクとバターの香りが鼻腔を満たす。少女の言葉通りならば、これは自分がこの屋敷に来てから2度も抱き締めてきた女性の手作りらしい。食べても良いが、恐らく自分はまた戻してしまうだろう。

 食べ物を無駄にするな、とはよく母親に言われていた。自分が口を付けていなければ誰か別の人が食べてくれるに違いない。少なくとも、吐瀉物に変えるよりずっと良い。

 

「…………」

 

 そう結論づけ、信一はまた無視をする。

 どうせこの少女も、自身の屋敷に来た異国の少年が珍しくて構っているだけだ。無視し続ければそのうち飽きるだろう。

 

「むぅ……。いらないならそう言えばいいのに」

 

 1分ほど待っても食べる気配を見せない信一に少女はため息を吐き、お盆を持って部屋を出て行ってくれた。

 少し悪い気はしたが、今はそれよりも自分を許せない気持ちに押し潰されている。母親を殺し、妹を昏睡状態に追い込み、父親に捨てられた。

 それは全て自分が原因だ。自分が1人ぼっちになったのは、あの時何も行動を起こさずもたついていたからだ。もっと別の良いやり方があったはずだ。

 

(ハァ……このまま死ねたら良いのに)

 

 3日間、水しか飲んでいない。確か水すら飲まなければ人は3日で死ぬのだったか。

 それを思い出し、信一は水を飲むことすらやめた。








はい、いかがでしたか?シリアス全開のお話ですが、5巻は色々な意味で1つの区切りなので入れました。
信一がシスティーナ大好きな理由が次の話で明かされます。まぁ、大体予想はつくと思いますが(苦笑)

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