アルザーノ帝国魔術学院の食堂は美味しい。
これは学院で食堂を利用したことがある者なら誰もが口を揃えて言うとこである。
その例に漏れず、信一もシスティーナとルミアと共に毎回ここで昼食に舌鼓を打っている。
目の前のトレーに乗せられた料理は、地鶏の香草焼きと羊の塩炒め、豚の生姜焼きにコーンポタージュ。申し訳程度に小鉢に入ったサラダとライ麦パンが5つ。
肉料理が半分を占めていた。
「今日もいっぱい食べるね?」
「この量の肉はここでしか食べられませんから。フィーベル邸での食事でこれだけの肉料理を出すのはお二人の体にも悪いですし」
「でも、それだけ食べたら午後の授業眠くなるわよ」
「なら寝ればいいんですよ」
まったく悪びれず、信一はサラッと言ってのけた。
『眠いなら寝ればいい。眠くなる授業をする講師に問題がある』と、平然と言っちゃう男、それが朝比奈信一なのだ。
「寝ることができるというのは平和な証拠です。平和万歳」
そう言って香草焼きをパクリと美味しそうに口に入れる。もぐもぐと笑顔で咀嚼する姿はどうにも2人の母性本能をくすぐるようで、普段なら小言の1つも言うシスティーナでさえ今の信一の姿に優しく目を細めていた。
「失礼、ここいいか?」
「えぇ、どうぞ」
美味しい肉料理に機嫌が良い信一は隣の席に着こうとする男の声の主をロクに確認もせず了承。
ゴクリと口の中のものを飲み込んでそちらを確認すると、おや?と首を傾げる。
「先生……生きてたんですか?」
「なんとかな」
隣に座った男———グレンは腫らした目元で遠くを見つめながらそう答えた。
その表情はさながら、地獄を見た後に今の平和がどれだけ尊いものか理解したようである。
「美味ぇ。なんつーか、この大雑把さが実に帝国式だよなぁ……」
グレンが自分の皿に乗っているキルア豆のトマトソース炒めを口に入れながらそう呟く。確かに、唐辛子とニンニクがトマトソースの香りとマッチしてとても美味しそうだ。
ルミアは美味しそうに食事をするグレンに話しかける。
「先生ってたくさん食べるんですね?食べるの好きなんですか?」
「ん?あぁ、食事は俺の数少ない娯楽の1つだからな」
「あ、それ分かる気がします。それはそうとグレン先生、その炒めもの一口くれませんか?」
その話題に便乗し、さりげなくグレンの料理を頂戴しようとする信一。わりといやしい。
「その生姜焼きと交換ならいいぞ」
「了解です」
豚の生姜焼きを一切れグレンの皿に乗せ、スプーンで一口キルア豆のトマトソース炒めをいただく。
思っていたよりずっといい香りがして美味しい。
その感想が表情に出ていたのか、グレンが得意げな表情を浮かべる。
「美味いだろ?ちょうどこの時期、学院に今年の新豆が入るんだよ。キルアの新豆は香りが良いんだ。これを食べるなら今が旬ってやつか」
「なるほど、詳しいですね」
と言いつつも、特に興味はなさそうに咀嚼する信一。
それを見て、ルミアは間を持たせるために口を開く。
「今度私もキルア豆の炒め物、食べてみようかな」
「おう、マジお勧め。なんなら今、一口食ってみるか?」
「え?いいんですか?私と間接キスになっちゃいますよ?」
ルミアがそう言った瞬間、信一の手にあったスプーンが面白いように曲がっていく。一応金属製なのだが、信一の握力でどんどん曲がっていき、終いにはポロっと折れて床に落ちて高い音を1つ鳴らした。
「……すみません。新しいスプーンもらってきます」
「……………………………」
グレン、絶句である。
信一は別にルミアに恋愛感情があるわけではない。ただ大切に思っているので、そのルミアが異性と間接キスをすることに動揺しているだけだ。
その動揺が少し恐ろしい形で出てくるだけで。
「そ、そっちのお前はそんなんで足りるのか?」
流石にこれ以上ルミアに何かすると今度は自分が床に落ちたスプーンと同じ末路を辿ると思ったのか、さきほどから刺々しい視線を向けているシスティーナに話しかける。
システィーナの本日の昼食はベリージャムの塗られたスコーンが2つだけ。というか、いつもそれだ。
「余計なお世話です。私は午後の授業が眠くなるから、昼はそんなに食べないだけです。真面目ですから。まぁ、先生にはそんなこと関係なさそうですけど」
「……回りくどいな。言いたいことがあるならはっきり言ったらどうだ?」
システィーナの挑戦的な言葉に、グレンの声が少し低くなる。2人の間に流れる空気が重くなってきた。
「わかりました。この際だからはっきり言わせてもらいます」
だが、システィーナは臆することなく目つきを鋭くしてグレンを射抜く。
その様子に、代わりのスプーンを持って帰ってきた信一がハァとため息をついて口を挟む。
「グレン先生、いくらなんでも察しが悪いんじゃありませんか?」
「あ?どういう意味だよ」
「さきほどの自分の行動を顧みればわかるでしょう。お嬢様が何を言いたいか」
グレンはさっきまでの子どもらしく食事をしていた信一から一変した空気に、何かを察したらしい。
「……なるほどな」
「わかっていただけましたか?」
「あぁ、そうだな。確かにこれは俺が悪い」
申し訳なさそうにグレンは目を伏せ、自分のお皿からキルア豆を一粒掬ってシスティーナのお皿に載せた。
「『ルミアと信一ばかりずるい。私にも寄越しなさい!』お前はそう言いたいんだろ?この、いやしんぼめ」
「そういうことです、グレン先生」
「違うわよ!!」
「なるほど、生姜焼きも寄越せと。お嬢様が求めるなら俺はなんだって渡しますよ」
バンッ!とテーブルを強く叩いて立ち上がるシスティーナ。それを見た信一も、察して自分の生姜焼きのお皿を丸ごとシスティーナのトレーに載せる。
「だから違うって言ってるでしょ!!」
「そうですね。それを察して行動するのが従者である以前に男性である俺の務め。デリカシーのない自分をどうかお許しください」
「それより代わりにそっちも寄越せ」
恭しく頭を垂れる信一の横からグレンはフォークを伸ばし、システィーナのスコーンをかっさらって一口で食べる。
「あぁっ!?」
「うん……久しぶりに食べるとスコーンも美味いな」
「ちょっ!?グレン先生!」
グレンの傍若無人の行動に信一は慌てて声を荒らげる。今のはさすがにひどいと思ったのだ。
「システィーナお嬢様の年頃なら女性であっても健啖な時期です。そのお嬢様の主食を取るのはちょっとひどいのでは?」
「だが交換しないのは不公平だろ。お前だって生姜焼きと交換きたわけだし」
「俺はいいんですよ。でもお嬢様は違います。お嬢様は本来なら健啖な方です。しかし、こういう年頃にもなると自分の体型を気にするようになります」
「回りくどいのは嫌いだ。はっきり言えよ」
「わかりました……」
了承した信一は大きく息を吸い、食堂の隅から隅まで聞こえる声量で叫んだ。
「お嬢様はできることなら体型を気にせず食べたいんです!本当はお腹いっぱい食べたいんです!たくさん食べたいんです!お嬢様は本当は……食いしん坊なんです!!それがわからないなんて、先生にはデリカシーがないんですか!!」
「まずあんたにデリカシーはないのか!!」
「痛い!?」
従者の口から出たとっても恥ずかしいカミングアウトにより、顔を羞恥で真っ赤にさせたシスティーナは思いっきり信一の頭をぶん殴る。
それにより信一は頭を抱えてうずくまり、涙目で主を見上げて———縮み上がる。
システィーナ史上(信一作)類を見ないブチギレっぷりを整った顔に浮かび上がらせていたからだ。
グレン=レーダスが非常勤講師となって1週間。特に彼の授業は変わり映えもなく、本日は教科書を釘でガンガン打ちつけていた。
そんなある日の最後の授業。ついにシスティーナの怒りが頂点に達した。
「いい加減にしてくださいッ!」
「いや、見てわからないのか?ちゃんといい加減にやってるだろ?」
「子どもみたいな屁理屈こねないで!」
バンッ!と机を叩きつけ、立ち上がる。隣で気持ち良さそうにお昼寝していた信一はそれにビックリして起きてしまった。
「な、なんですか!?どうしたんですかお嬢様?」
「このバカ講師に我慢の限界がきたのよ!
「さいですか……」
どうも1週間前からシスティーナの怒る頻度が上がっているような気がする。血圧が上がるのはあまりよくないので、なんとかどうどうと落ち着かせようと宥めるが効果は薄いようだ。
あまり機嫌の悪い主ばかり相手にしているとこちらにも火の粉が飛んできそうなので、信一はグレンに矛先を向ける。
「グレン先生、とにかく謝ったほうがいいですよ。マジで」
「う〜ん……イヤだ」
「そうですか」
俺は何も悪い事してないもん、と子どものようにそっぽを向くグレンに信一は首を縦に振る。
よし、自分は不干渉を決め込もう。
そう心に決め、寝直す気にもなれないので本を開く。
いつもならここでシスティーナが本を取り上げて小言の1つでも言うのだが、今はグレンへの怒りが優ってしまっているらしく特に何も言ってこない。
「……私はこの学院にそれなりの影響力を持つ魔術の名門、フィーベル家の娘です。私がお父様に進言すれば、貴方の進退を決することもできるでしょう」
教壇の前まで迫り、最後通告のようにシスティーナは言い放つ。
だが、
「お父様に期待してますと、よろしくお伝えください!」
「なっ!?」
グレンはそんなシスティーナの神経を逆撫でするように嬉しそうに手を握った。
さすがの彼女もこれには絶句だ。
「いやーよかったよかった!これで辞められる!」
「貴方っていう人は———ッ!」
システィーナが左手に嵌めている手袋を外し始める。
もはやこの男の素行は看過できない。この学院に通う者として、魔術に誇りと敬意を持つ者として、そして魔術の名門フィーベル家として。
魔道を汚す者を許すことはできない。
外した手袋をグレンの顔面に叩きつける。
「貴方にそれが受けられますか?」
その光景を見たクラスにどよめきが渦巻き始める。
今システィーナが起こした行動は“魔術決闘”を挑む儀礼だからだ。
魔術師は呪文を唱えるだけで火球を放ち、山を吹き飛ばし、大地を割ることができる者たち。そんな魔術師が好き勝手に暴れ回れば、好き勝手に争えば国なんて簡単に滅ぶ。
そうならない為に昔、魔術師同士が争うためのルールが設けられた。それがこの“魔術決闘”の儀礼だ。
この“魔術決闘”では勝者が敗者になんでも1つ要求ができるという破格の報酬があるが、ルールは受け手側が決められる。
簡単に言ってしまえば、客観的に見て公平なルールならなんでもいいのだ。自分が絶対的に自信のある魔術以外の使用をお互いに禁止すれば、どう考えても受け手側が有利になる。
だからこそ、強力な魔術師達の決闘が乱発しない為の抑止的な意味を持つのだ。
「この決闘は【ショック・ボルト】の呪文のみで決着をつけるものとする。それで、お前の要求はなんなんだ?」
「その野放図な態度を改め、真面目に授業を行ってください」
「……辞表を書け、じゃないのか?」
「もし貴方が本当に講師を辞めたいなら、そんな要求に意味はありません」
「あっそ、そりゃ残念」
グレンは本当に残念そうに肩をすくめた。
「忘れてねぇよな?俺も勝ったらお前に好きな要求ができること」
「もちろんです」
システィーナの意思の強い眼差しに見られ、グレンは生理的嫌悪感が浮かび上がるような笑みを浮かべる。そして、システィーナの体を値踏みするように見回す。
「じゃあお前、俺の女になれ。生意気だが、かなりの上玉だし……———ッ!?」
「……笑えない冗談だ。それとも本気なのかな?非常勤講師」
グレンが要求を口にした瞬間、この教室全体が底冷えするような錯覚をこの場にいる全員が感じた。
それは今までのほほんと本を読んでいた信一から発せられた殺気と殺意。机の下に置いてある布袋から刀を二本とも取り出し、グレンになんの価値も見出していないような冷たい眼差しを向けていた。
「悪いけど、お嬢様が泣くような要求をするなら俺はお前を殺すよ?」
なんの気負いもなく放たれる信一の言葉はハッタリでも脅しでもない。そのことが何も言われずとも伝わってくる。
場合によっては、本当にグレンを殺しにかかる。それが理解できたルミアは急いで信一の腕に組みついて2人に叫んだ。
「手袋を拾って、システィ!グレン先生も今の要求を取り消してください!」
必死な形相で叫ばれれば、いくら野放図なグレンでも要求を変えざるを得ない。
そうでなくとも、元よりそんな要求をするつもりはなかった。ただ、ほんの少しこの生意気な娘を怖がらせてやろうという軽い気持ちだっただけで。
「じょ、冗談だよ。俺が勝ったらお前は俺に説教禁止な」
そんな軽い気持ちで命の危機に瀕するなんてバカらしい。一応自分は魔術に対して絶対的な防御力を誇るが、物理攻撃には身1つで対処しなければならないのだ。
グレンの要求がソフトなものに変わったことを確認した信一は刀を布袋にしまい、いつもの優しげな笑みを浮かべた顔に戻る。
一同はそんな信一の様子に恐怖を上回る狂気を感じながら、決闘が行われる中庭にぞろぞろと移動した。
今回のルールで使用する【ショック・ボルト】。これは学院に入学した生徒が1番最初に習う初等の汎用魔術だ。
微弱な電気の力線を飛ばして相手を打ち、電気ショックで行動不能にさせる、魔術師なら誰もが使える基礎中の基礎。
システィーナや信一など、魔術の手解きを受けた者なら学院入学前から使える簡単なものだ。現にこの2人は使えた。
そのせいで上級生に目の敵にされ、ルミアを人質に取られて私刑にされかけだがそこは紆余曲折あって切り抜けることができた。主に信一の物理技で。
閑話休題
つまり誰もが使えるこの呪文を決闘で用いるということは、どれだけ相手より早く詠唱ができるかが鍵になってくる。
呪文は三節。《雷精よ・紫電の衝撃以て・打ち倒せ》。
だが二年次生ともなれば略式の一節詠唱、《雷精の紫電よ》で発動することもできる。
「ねぇ、カッシュ。君はどっちが勝つと思う?」
「心情的にはシスティーナなんだけど……でも相手はあのアルフォネア教授イチ押しの奴だからな……信一はどう思う?」
女顔のセシルが大柄なカッシュに問いかけ、カッシュはシスティーナに近しい信一の推測を聞く。
「俺もカッシュと同じかな。でも、ちょっとお嬢様の勝ち目は薄いと思う」
「へぇ、珍しいね。信一がシスティーナの肩を持たないなんて」
「一応勝負だからね。セシルだって生徒が講師に魔術で勝るのは難しいと思うでしょ?」
「まぁ……そりゃあね」
あのグレン=レーダスという男。信一が見た感じでは、研究よりも実践———もしくは実戦向きの魔術師だ。
もしそうだとしたらシスティーナの勝ち目はかなり薄い。実戦というのはどれだけ早く相手を無力化するかがミソなのだから、一節詠唱よりも呪文を切り詰めている可能性はかなり高い。
「おいおい、そんなに気負うなよ。いつでもかかってきな」
なによりこの余裕。実戦向きの魔術師は相手を侮るようなことはしない。侮った結果足をすくわれて死ぬのは自分なのだから、一見どんなに相手が格下であっても迅速に無力化することを是としている。
つまりこの余裕は挑発。相手よりも早く呪文の詠唱を始めたのに相手が自分よりも早く魔術を発動させて打ち倒されれば、2度と逆らおうとは思わなくなる。
特にプライドの高いシスティーナには効果的な手だろう。
「システィ……大丈夫かなぁ」
「最悪俺が【迅雷】で助け出します。そうなればさすがのお嬢様も負けを認めるでしょう」
心配そうに呟くルミアを安心させる為に手を握りながら微笑みかける。
きっとその後、システィーナは勝負に横槍を入れたことを咎めてくるだろうが、信一にとってはシスティーナが怪我をするよりずっといい。
「始まるみたいですわよ」
ツインテールの女生徒———ウェンディが向かい合う2人を見て教えてくれる。
システィーナの表情からは強い意志を感じる。
いくら自分より腕が上でも、無様に地を舐めることになっても、魔術に対する誇りにかけて打ち倒しにいく。
「頑張れ……お嬢様」
信一もその表情を見て応援の言葉を呟いた。
そして、システィーナがグレンに向けて指先を向ける。
「《雷精の紫電よ》———ッ!」
システィーナから放たれる紫電は寸分違わずグレンに向かっていき……それをグレンは得意気な顔で眺め……
「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁッ!?」
バチバチバチチチチチッ!!
悲鳴を上げた。一瞬びくんと跳ねて、バタリと倒れてしまった。
「「「 えぇ…… 」」」
「あ、あれ?」
クラスメイトが全員呆気に取られる中、システィーナはバツが悪そうに大きな目をパチクリさせている。
「わ、私……なんかルール間違えた?」
助けを求めるように居候2人を振り返るが、信一とルミアは自信なさげに首を振る。2人ともこの事態を上手く理解できてないようだ。
「……卑怯な…………」
よろよろと立ち上がりながら恨めしそうにシスティーナを睨むグレン。経緯的に本当に自分は卑怯なことをしたのかもと不安になってきてしまう。
「まだ準備ができてない内に不意打ちとは……お前、それでも誇り高き魔術師か!?」
「いや、いつでもかかってこいって……」
「まぁいい。この決闘は三本勝負だからね!一本くらいくれてやるよ!」
いきなり出てくる後付けルールにポカーンと開いた口が塞がらない。
その後五本勝負、十本勝負、五十本勝負とどんどん増えていき、最終的には勝ち逃げならぬ負け逃げをかまして逃亡を図った。
もちろん負け犬の遠吠えも忘れない。
グレン=レーダスの評価が落ちるところまで落ちたのは言うまでもない。
はい、どうでしたか?
信一はキレると相手を固有名詞ではなく代名詞で呼びます。今回の場合だと“グレン先生”ではなく“非常勤講師”と呼びましたね。
あと入学当初にシスティちゃんが私刑になりかけたという下りは一応原作順守です。アニメが始まる前に秋葉原で配られていたものを兄から借りて読みました。ぶっちゃけ、システィちゃんがルミアちゃんの為に頑張る姿はかっこいい……と感動してしまいますね。