超速い慇懃無礼な従者   作:技巧ナイフ。

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自粛が続くと焼き立てパンが食べたくなっちゃう今日この頃。パン屋さんの匂いは幸せの匂いですね。

今回は任務内容について。時間は前話から少し戻って朝になります。


行動を始める闇

「悪魔が出た?」

 

 零は宮廷魔導士団総本部、『業魔の塔』にある特務分室の室長室でソファに腰掛け朝食のパンを齧りながら告げられた言葉を繰り返した。

 

「えぇ、そうなの」

 

 相対するのは紅蓮の炎で染め上げたような髪が美しい、二十歳前の娘だ。常人離れした美貌を持ちながらもその目は硬質で冷たい。凜然とした声は彼女が職業軍人であることをこれでもかと知らしめていた。

 イヴ・イグナイト。帝国宮廷魔導士団特務分室、執行官ナンバー1《魔術師》を拝命する特務分室の室長だ。

 

「それならアルを現地に送ればいいんじゃないか?俺が悪魔退治なんてできないのは知ってるだろう。…あ、これ美味いな」

 

 本来零は今日久々の休暇であり、ならばと前々から気になっていた帝都オルランドで話題になっているパン屋に朝イチで繰り出していた。今1番勢いのあるパン屋として雑誌にも紹介されただけあり、早朝にも関わらず多くのマダムが長蛇の列を作っていた。そこは戦場であったと後に彼は語る。

 そこで孤軍奮闘し、なんとか手に入れた焼き立ての戦利品(生食パン)は頬が落ちそうなくらい美味だ。小麦の香りが食欲をそそり、齧ればジャムなど付けずとも素材そのものの甘さが口に広がる。バターを塗ってトーストにしようかと考えたが、気付けば半分以上を食べてしまっていた。正直、このまま完食したい気分だ。———閑話休題。

 

 悪魔とは人の様々な忌避や禁忌、恐怖が、宗教や信仰と結びついて擬人化したものである。『意識の帳』の向こう側にいる概念存在であり、それを受肉、具現化、降臨させる悪魔召喚師の手によって召喚されなければこの世界に存在することはできない。

 しかし、1度召喚されればその暴威は留まることを知らない。物理的な攻撃や魔術は概念存在たる『悪魔』にはほとんど通用しないのだ。それは律法(ルール)であり、どう頑張っても覆すことはできない。一刀一槍を扱い、攻撃方法のほぼ全てが物理に頼った零にはほとほと相性の悪い相手と言える。

 一応退治する方法があるにはあるが、それには複雑怪奇な魔術儀式、高レベルの悪魔学を修め、さらにそれを応用するだけの手腕が必要。例え特務分室と言えども、それをできるのは何故か司祭の資格を持っている執行官ナンバー17《星》のアルベルトくらいだ。

 

「まぁ、そうなんだけどね。実際のところわからないのよ」

 

「わからない?何がだ?」

 

「本当に悪魔なのかどうか、ということよ」

 

 ゴクリ。パンを嚥下し、首を傾げる。話の概要が見えない。

 

「あなた、湖水地方リリタリアの『聖女』については知ってる?」

 

「うん?あぁ、一般教養レベルだけど」

 

「1週間後、その聖女継承の儀式が行われるの。現聖女はもう高齢で、老衰による危篤状態と言っても過言じゃないくらい」

 

「つまり今の聖女が死ぬ前に聖女継承をしてしまおうってわけか。それで?その聖女と悪魔になんの関係があるんだ?」

 

「その地域では、聖女の存在を脅かす者を便宜上『悪魔』と呼ぶらしいのよ。今から5日前に1度現れた悪魔は聖女継承の儀式の日に現聖女を攫うと予告して帰っていったそうなの」

 

「なるほど……」

 

 概念存在である『悪魔』のほとんどは人間とコミュニケーションを取ることがない。稀に人語を解する『悪魔』も確認されているが、それも解する()()であり、わざわざここで語られる『悪魔』のように人間へ譲歩することはない。現聖女が欲しいのであれば、力尽くで奪うことなど造作もないだろう。わざわざ儀式の日を待つ理由がわからない。

 

「わかっていると思うけど、聖女継承の儀式には現聖女の存在が不可欠。もし奪われれば、聖女がいなくなるわ」

 

「いなくなる、ねぇ…」

 

 聖女には不思議な力があるとされている。魔導大国アルザーノ帝国で今さら不思議と言われても、どうせ魔術だろうの一言でカタがつくが、どうもそうではないらしい。

 どちらかと言えば精神に寄り添った事柄であり、精神に異常を来した者が聖女に手を握られると正気に戻るという言い伝えから始まり、不治の病が完治した、抜け落ちた髪が再び生えた、飢饉を祈りで退けたなど若干嘘くさいものも数多く混ざっている。一説には異能者の可能性も挙げられるが、実際のところよく分かっていないのが実情だ。

 分かっていることは、何故か湖水地方リリタリアにだけ聖女が存在しているということ。まぁ、湖の近くは精霊がよく湧くので魔術的根拠はないが『そういうもの』と一般的に認知されている。

 

「仮にその『悪魔』がただの誘拐犯だったとしよう。だったらそれは俺たちではなく、警備官の仕事じゃないのか?」

 

「わかりきった事を聞かないで頂戴!警備官じゃ対処できなかったからウチにこの仕事が回ってきたのよ」

 

「警備官じゃ対処できないレベルの武力を持っていたのか」

 

「そういうことよ。怪我人は出なかったけど、かなりの魔力を保有していることは現場の状況を読めばわかるわ」

 

 バサっと、イヴがこちらに束になった報告書を投げて寄越す。被害状況の欄だけ軽く読むと、なるほどこれは酷い。

 しかし、街自体の機能にはなんの影響も及ぼしていない。これだけ見ると、この『悪魔』が召喚されたものでない可能性のほうが濃厚だ。

 

「逆に本当の『悪魔』だった場合はどうする?俺じゃ対処できないぞ」

 

「対処はできなくても対応はできるでしょ?なんとかしなさい」

 

「横暴な……」

 

「いいじゃない。そうなった場合は流石に増援を寄越すわよ。それまで時間稼ぎしてちょうだい。あなたなら三日三晩飲まず食わずで戦うくらいできるでしょ」

 

「そりゃあできるけど…」

 

 湖水地方なら水分補給はできるだろう。衛生面が怖いけど、などと考え苦虫を噛み潰したような顔で頷く。

 特務分室は常に慢性的な人手不足だ。過酷な任務で死ぬ者もいれば、地獄すら生温いと思わせる悲惨な現場の状況に心を病む者もいる。結果として、こういった適性の低い任務に割り振られることもあるのだ。それは仕事なので仕方ない。

 だが、それ以上にイヴの人並外れた戦果への渇望がそのような状況を作っているのとも言える。

 

「一応聞いておくわね。過不足なく簡潔に私の質問に答えなさい」

 

「なんだよ」

 

「あなたの特務分室での主な仕事は何?」

 

「斥候、諜報、場合によっては暗殺」

 

「理解できてるじゃない。なら今回の任務、何故あなたに振るかわかるでしょう?」

 

「…………」

 

 零は黙考する。『悪魔』が街全体を破壊するほどの武力を持つというならば、普通は拠点防衛に適したクリストフが選ばれるはず。別の任務に就いているから無理ということも考えられるが、そうでないとすると———

 

「———天の智恵研究会の連中がこの件に噛んでいるのか?」

 

「あくまで可能性だけど」

 

 確かにそれならば自分が選ばれたことも納得できる。『悪魔』は囮であり、本命は聖女の奪取。何に使うかは流石にわからないが、少なくとも聖女が幸せになる未来でないことは想像に難くない。

 

「まぁ天の智恵研究会が関わってるにせよそうでないにしろ、この任務は長くても1週間後には終わるわ。2週間後の遠征学修における王女護衛には間に合うから、今日の夕方にでも発って現地調査でもしてなさい。話は以上よ」

 

「ハァ…。人遣いが荒いな」

 

「なんだかんだであなたには期待してるのよ。死ににくい上に死んでも生き返る。こんなに使い勝手の良い()はないわ」

 

 口の端を歪めて冷徹に言い放つイヴ。部下はあくまで駒。壊れれば替えればいい。言外にそう言っているのだ。

 彼女がこのような言動を取るようになった事情を知っている身としては、痛ましい限りである。

 

「あぁそうだ。これあげるよ」

 

 退室しようと席を立った零は思い出したようにパン屋の紙袋から包装された円盤型のパンを取り出し、イヴの前に置いた。

 

「リンゴのデニッシュ。奇跡的に二個買えたしリンゴ好きだろ?温かいうちに食べちまいな」

 

 薄くスライスされたシナモン香るリンゴが薔薇を象っている。その上から格子状に固まったシロップが今にもかぶりつきたくなる衝動を駆り立てていた。

 今までのやり取りで零が自分に好意的な印象を持つことは絶対無いと確信していたイヴは、彼のそんな行動に目をパチクリと瞬かせる。

 

「自分でも正しいと思ってない意地を張る必要はないんじゃないか、イヴ?」

 

 最後にそれだけ言い残し、零は室長室を出て行った。

 部屋に残されたイヴは目の前に置かれたリンゴのデニッシュを掴み、ゴミ箱に叩き込もうと振り上げ———

 

「———私が正しいと思うかなんて関係ないのよ…イグナイトには」

 

 これでは単なる八つ当たり。食べ物を粗末にするのは良くない。そんな言い訳を心の中で並べ、荒々しく包装を破って食べ始めるのだった。

 

 

 

 

 湖水地方リリタリア某所。夜闇に覆われた廃屋で2人の影が言葉を交わしている。

 

「経過は順調のようですわね」

 

「あぁ。邪魔者が出てくるようだけど、ボクの計画に支障はない。聖女は必ず手に入る。時間の問題だよ」

 

「うふふ…それはそれは。大導師様もきっとお喜びになるでしょう」

 

「それより———エレノアさん?貴女こそ、こんなところにいてもいいのかい?結構な大役をしくじったと風の噂で聞いたけど」

 

「あらあら、耳の早いこと。ですがご心配なく。所詮は女王暗殺。こちらもいつかは成すことであり、時間の問題ですわ。大導師様も寛大な御心でお許しくださいました」

 

「あっそ。流石は第二団《地位》。使い捨ての第一団《門》とは処罰規定すら違うわけだ」

 

「ふふ。聖女を回収した暁には、第二団《地位》にお迎えすることを大導師様はお約束してくださいましたよ?」

 

「へぇ。それは破格だね」

 

 エレノアと言葉を交わす者は深い闇色のローブを被り、男女の見分けすらつかない。しかし、廃屋の隙間から入った月明かりが一瞬だけ照らした首元には、短剣に絡みつく蛇の紋が刻まれていた。

 

「それでは、事が終わってからまたお会いしましょう。健闘を祈りますわ」

 

「あぁ。健闘の必要があるかはわからないけどね。天なる智慧に栄光あれ———」

 

 ———そして、闇は動き出す。




はい、いかがでしたか?この小説ではイヴ室長初登場になります。

まだツンツンしてた頃のイヴさん。しかし、宮廷魔導士勤続10年目のパパは彼女の事情をある程度は知っています。なので駒扱いされても、むしろ哀れみしか湧かず優しくしてしまうのです。
いつかこの2人が肩を並べて戦うシーンも書いてみたいと思っちゃいます。

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