では。
生きていた頃のセイバーは、名前をアフタルと言った。
山に捨てられ、たまたま霊鳥に拾われて、死なないから何となく生きていた子どもだった。
霊鳥でも、家族のことはもちろん大好きだった。けれど、成長するにつれてどこまで行っても自分は他の霊鳥たちとは姿形が違う、ということに気付いてしまった。
姿形が違う、どころの話ではないことは、後から教えられた。アフタルは、人間という鳥とはまるで別の生き物だったのだ。
かと言って、人里に降りたいとも思っていなかった。仲間である鳥の考えは分かっても、人が何を考えているかは分からない。
アフタルにとっては、ヒトとは自分を生まれてすぐに放り捨てた生き物でしかなかった。それも、高々髪の色が他と違った不吉な色だったからというだけで。
人の親にも事情はあったのだろうけれど、そう思ったところで自分は親にとってはいらないものだったのだ、という骨を噛む寂しさが消えるはずもなかった。
だから、人の親のことは忘れることにした。
恨むほどに思い出がないのだ。自分に命をくれたことだけ感謝して後はどうだっていい、と思いこむことにした。
なのにアフタルの姿形は何処までもヒトであって、翼は生えてこないし、空を飛べもしない。
心は鳥に近いのに、翼がなく。
姿は人なのに、心が伴わない。
何とも歪だと自分でも分かっていた。
しかしアフタルは、歪のままでも生きていける程度には体が強かったから、心が折れることもなかった。
そのまま生きていければ、アフタルはただ姿形が醜いだけの鳥として終わったのだろうけれど、そうもいかなくなった。
時代が流れて人が増え、霊鳥には住みにくい時が近付いていたからだ。
住処の無くなった幻獣たちは世界の裏側に行かなければならないが、ヒトのアフタルはついて行けない。
人としての肉体を捨てれば行くことができる、とは教えられたけれど、それはつまり肉の器が死ぬということだから即答は出来なかった。
髪の色で人の親から捨てられ、肉体がヒトであるせいで鳥の親には迷惑がかかる。
どちらも、アフタルが何かをしたせいでそうなった訳ではない。ただそう
―――――イヤだな。なにかしようとしたわけでもないのに、なんでわたしは生き方がうまくいかないんだろう。
アーラシュと会ったのは、ちょうどそんな風にアフタルが拗ねかけていた頃だった。
出会ったときに何となく、自分とこの人間は似ている、とアフタルは思った。その親近感は、今になって思えば、互いが持っていた神代の残滓が共鳴したのだろう。
アーラシュを通して人の世界を見て、アフタルは人間が自分を捨てたような人間ばかりでないことを知った。
霊鳥の親と同じように、子を慈しむ人の親も居るのだと理解した。
自分はたまたまそういう人たちに巡り合わなかっただけで、別に人間すべてが怖いわけではないのだと、分かった。
そしてアーラシュは、彼らを守るために戦っているのだと言った。
自分にとっては、配下の兵や、その家族や他の奴らは皆守るべき愛する達たちだ、と快活に笑ってアーラシュが言ったことがあった。
それを聞いて思った。
この人は、自分より余程寂しい生き方をしているのではないのだろうか、と。
他の人間よりは、幾らか彼に近い肉体を持っているのに、アフタルにはアーラシュが守りたいと願う者たちの価値は、分からない。
人間として暮らしたことが無かったから。暮らしたいと思ったことが無かったから。
己の悩みしか考えられない自分の卑小さを、アフタルは初めて理解した。
―――――お前はまだ子どもだからさ。これから学べば良い。
と、アーラシュはそんな風に言った。
けれど、アフタルが気付くのは遅すぎたのだ。彼女が人らしい生き方を学ぶ前に、アーラシュ・カマンガーに終わりの時が来たからだ。
―――――神より下されし救世の一矢を撃つ。そうすれば、戦いが終わる。
ただし引き換えに、アーラシュは死ぬ。
五体が珠の如くに砕け散る。
そういう運命が巡ってきたのだ。
―――――わたしは、たくさんの人たちが救われるより、あなた一人が死ぬことの方がいやだ。
掛け値なしに、それがアフタルの正直な心だった。でも、それだけは口に出せなかった。言った所で、アーラシュをひどく困らせるだけだと分かっていたから。
必ずやり遂げる、と決めた男の決断を無知な子どもがどうやって覆せるというのだろう。
戦いを終わらせるには、神に作られた弓で矢を撃ち、国境を分かつしかないという理屈は理解出来た。
長く続く戦いで、どちらの国々の人々も疲れ切って、涙も乾き切って、もうどうしようもなくなっていた。神の定めた国境、という切っ掛けを皆が欲していて、それさえあれば戦いは収まるのだ。
理屈は理解出来た。それが祝福されるべきことだということも。
ただ、納得だけが出来ないだけ。
どうしてあなたが死なないといけないのか、と思わずにいられなかったのだ。
それだけ子どもだった。
山を壊すほど争って、アーラシュに負かされたのも、子どもが大人に突っかかっただけだ。
アフタルにとってはそれまでの人生、だだ一度だけの我儘だった。
結局、彼女にはダマーヴァンドの山から放たれた光の一矢を、眺めるしか出来なかった。
矢が大地を切り裂き砕く様を見て、静かに一人で泣いた。
山の中、傷ついた体を引きずって歩きながら、その日の朝、ふいにアフタルは朝日と共に喜ぶ人々に混ざろうと思った。
鳥の親には別れを告げた。寂しくはあったが、これでいい、という気もした。
山から離れて、人々と交わり、出会いと別れを繰り返し、そうしてアフタルは死んで英霊になった。
後悔もしたし、泣きもした。強くなりたくて、無謀なことも馬鹿なことも数多やった。
けれどそれなりに幸せだったと思う。一つ所に留まらない、根無し草のような生き方が長かった人生も、最後の方には人の営みと共に生きることもできた。
故に、穏やかな心でこの世を去って、セイバーとなったアフタルは、聖杯戦争の最中でも案外気楽なのだ。彼女は、自分の人生を完全に終わったものとして認識している。
自分は人生を歩き切った者だから、生きているマスターに使い潰されても別に構わないのだ。無論いい気分はしないが、仕方ないかとため息と苦笑で済ませられる程度である。
求められたなら応じるし、その過程で自分の願いが叶うならば万々歳。全力で努力はするがそれでも願いが叶わなかったならば仕方ないと納得し、また次の機会を待つ、というのが根本にあるスタンスなのだ。
底抜けに享楽的になっている愛歌と上手くやれているのも、セイバーのそういう気楽さがあるからだ。
根源接続者故の愛歌の人への無理解さも、人と違う心の形を持っていた者だからか、まるで共感できない訳ではない。
成り立ちも理由もまるで違うが、セイバーは愛歌が人に対してそういう見方しかできないことは、悪ではないと認識している。
だから遊んでいるなこのマスター、とため息を付きながらも付き合うし、積極的に守りもするのだ。
―――――しかし、今度ばかりはマスターは遊びすぎだった。
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月の照らす奥多摩の山の中、大剣を振り下ろした白髪の少女と、大弓で大剣を受け止めた青年とが向き合っていた。
しかし、剣と弓の競り合いは一瞬であった。
少女の方が風を操って後ろに飛び、宙で一回転して山の斜面に着地したからだ。
距離を取って少女は青年を見上げ、青年はやれやれと肩を竦めた。
「ったく、セイバーってのはお前か。第一位の剣の英霊、竜殺しのアフタル」
「真名を即効でばらすな、兄さん。いや、アーチャーのサーヴァント、アーラシュ・カマンガーと言った方が良かったかな?」
剣を下ろさず、セイバーは何処か愉快そうに言い、アーチャーは苦笑した。
「聖杯戦争の定石は、戦いの中での真名の探り合いらしいけど……」
「生前の知り合いならば、そんなことは関係ないってワケだ。お互い、運があるんだか無いんだか分からんな」
違いない、とセイバーは同じく苦笑して、剣を無造作に肩に担いだ。
「ん?戦わないのか?」
「そんな訳ない。戦うに決まってるだろ。ただまあ、折角願いが叶ったワケだし、即効戦うのも芸が無いってだけだ」
色々言いたいことがあるけれど、今はこれだけ言っておく、とセイバーは言葉を続けた。
「こんばんは、兄さん、あなたにまた会えて、本当に良かった」
飾り気なく、剣の英霊はそう言って笑った。
弓の英霊は気まずげに頬をかいた。
「そう素直に言われたら戦りづらくなる。……お前、良い顔で笑えるようになったんだな」
セイバーは、今度は種類の違う笑みを浮かべた。悪戯好きの子どものような顔だった。
「まあそれはね、色々あったからだよ」
「色々、か」
「うん。色々さ。結構長く生きたからね、私は」
そうか、とアーチャーは一つ頷いた。頬を一瞬緩めた後、彼は弓を構え直す。セイバーも剣を肩から下ろして、切っ先を持ち上げた。
黒い剣と赤い弓に、銀の月が光を投げかける。
「俺もお前も、今は互いにサーヴァント。ならやることは一つだろう」
「あなたに言われなくたって分かっているよ。―――――戦おうか、アーチャー。本当はもっと言いたいことがあるんだけど……
向き合う二人の間に風が吹く。
巻き上げられた落ち葉がかさりと鳴った、その瞬間、セイバーは地を蹴って弾丸のように飛び出した。
アーチャーは後ろに飛び、空中から生み出した矢を無数に放つ。
その弾幕にも、セイバーは臆さなかった。
大剣で斬り払い、体捌きで躱し、身を低くすると下から横薙に斬撃を飛ばす。
鎌鼬の刃がアーチャーへと向かい、彼は木を盾にしてそれを避けた。鎌鼬がぶち当たった木は、めりめりと悲鳴のような音を立てて倒れる。
恐ろしいなとアーチャーは笑いながら言い、姿勢を低くしたままのセイバーへと今度は山をも抉る威力の矢を続けざまに放った。
セイバーも、今度は先程までのように軽い矢ではないと察知。
くるりと回転し、魔力放出で勢いを上乗せして、矢を叩き落とす。
しかし地面に突き刺さった矢が地を抉り、セイバーの足場が崩れた。倒れてくる大木が、セイバーの視界には邪魔だった。
体勢を崩したたらを踏んだ剣士に向けて、追撃の矢が放たれる。
容赦なしかとセイバーは笑い、何本かが鎧に刺さるのには構わずに矢を斬り払うと大剣から手を離す。そしてそれを、アーチャーへ向けて全力で投擲した。
「ッ!?」
投げ槍のように大気を切り裂いて飛んでくる大剣で、一瞬アーチャーの視界が塞がれる。逆手に持った短剣に持ち換えたセイバーは、地を這う蛇のように体を落としてアーチャーに迫る。
アーチャーが召喚した矢も斬り、セイバーは剣を振りかぶってアーチャーの腕に斬りつけた。
「って、硬ッ!」
しかし、驚きの声を上げたのはセイバーの方だった。アーチャーの腕に剣を弾かれ、彼女の動きが止まる。
機を逃さずアーチャーの足が蹴りのために後ろに引かれた瞬間、セイバーは風を巻き起こして跳びあがり、生い茂る高木の枝の中に身を隠した。
同時にセイバーは隠行し、アーチャーも気配を見逃す。地に突き刺さっていた剣も魔力へと変わり、形が大気に溶けた。
硬すぎる、とセイバーは樹上から見下ろして呟いた。鎧も付けていない腕に剣で斬りかかったのに何故、刃の方が弾かれるのだ。おかしいだろう。
自分の筋力ランクから生み出された攻撃を上回られるのは、予想外だった。
一方のアーチャーは速い、と感心していた。セイバーは無軌道に、獣のように動き回る。人が練り上げた武術に見られる『芯』が無いものの、身体能力頼みの荒武者ではない。どうすれば相手を殺せるかを考えている上、何をしてくるか分からないという意味では厄介であった。
当たり前だが、あのセイバーは姿形に子どもの頃の面影が残っていても、中身は全く違うのだ。強くなったと、アーチャーは思った。
―――――まあ、竜を殺して英霊何ぞになったんだから、当たり前か。
―――――そう言えば、生きていた頃から負傷とは無縁のひとだったっけ。
互いにそう納得する。
同時に、お前の本気はこんなものでは無いだろうと言うことも見切っていた。
しかし、剣と弓を二人がきつく握り直した瞬間、また別の殺気が瀑布のように押し寄せた。
雷鳴が轟いて光が走り、木が焼き焦がされる。無差別に木が薙ぎ倒され、セイバーはアーチャーの背後に飛び降りざるを得なくなった。
「何だこれ?お前ンとこのマスターの仕業か?」
炎に顔を照らされたアーチャーに向けてセイバーは首を振った。
「違う!―――――それよりアーチャー、来るよ」
月を背にし、一際高い木の上に四本足の獣が姿を現す。
人の貌と獅子の体持つ熱砂の獣は、英霊二体を見つけると聞く者を恐慌させる魔性の吠え声を上げた。
顔色を変えることなくセイバーは剣を、アーチャーは弓を獣へ向けた。
「ただの幻獣じゃなさそう。まさか、神獣?」
「ああ、そうらしいな。……そら、避けろ!」
跳躍してきた獅子の一撃を、英霊たちは左右に避けて回避する。
砕かれた木々が飛び散り、砂塵が舞う。セイバーは鬱陶し気に鼻を鳴らした。
折角戦っていたのに、強くなった所を見てもらいたくて戦っていたのに、何処の誰の横槍なのだろう。腹が立つことこの上なかった。
かの有名な砂漠の神獣を召喚するとなれば、相当強力な英霊である。セイバーは不機嫌を消し、気を抜かずに獣を見据えた。
獣の名はスフィンクス。其れはエジプトの天空神ホルスの地上での化身。ただで済む相手ではない。
「竜よりはマシ……か」
やけくそ気味に、セイバーはしかめ面でスフィンクスの吐き出した業火を鎌鼬で斬る。真空の刃で斬られた炎は霧散し、そこにアーチャーの矢が飛来して、スフィンクスの目に突き刺さった。
視界を奪われた獣は吠え狂うが、とどめを刺そうとするセイバーの気配を感じ取り、スフィンクスは盲滅法首を振り回して、炎を吐き出した。
たちまち山が火炎地獄に変わる。アーチャーにもセイバーにも火を消しとめる術がない。虚空から矢や剣を作り出せても、水は出せないのだ。
「アーチャー、先にあの獣を倒す!異論は?」
「ない!前は任せたぞ!」
叫び、アーチャーは跳躍して距離を取る。弓兵は本領を発揮して超遠距離から狙い射ち、剣士はただ前線に出る。
そしてセイバーは、矢の突き刺さったスフィンクスの目が修復される様を見た。
「高速再生か。……何処の英霊の眷族だ、あれ」
舌打ちしかけるセイバーの頭に、聞き慣れた声が届いたのはその瞬間だった。
『もしもし、セイバー?回線、繋がってる?』
「今立て込んでるから後にしてくれ!」
セイバーの動揺に合わせて突っ込んで来たスフィンクスを躱しながら、剣士は怒鳴った。
『どれどれ……。あら、相手は砂漠の神獣なの』
視界を共有しているらしく、愛歌は冷静な声で続ける。
『高速再生に、かなりの知能もあるみたいね。セイバー、一人で大丈夫なの?』
「アーチャーと共闘中だよ!」
スフィンクスの鋼鉄をも引き裂く爪を、セイバーは剣で受け止める。ぎちぎちと火花を散らして獣と剣士は真っ向からぶつかり、セイバーの白い髪が生臭い息で揺れた。
セイバーの足が押されて一歩後ろに下がった瞬間、鈍い音がして、神獣の額に矢が突き刺さる。
堪らず仰け反る神獣の喉元が晒された。セイバーは前へと踏み込み、剛毛の生えた喉元に深々と大剣を埋めた。
それでもスフィンクスの目から命の光は消えない。
「―――――そうだと思った。神獣だもんな、オマエは」
セイバーは呟き、突き刺した剣を両手で握りながら、神獣の頭を抉り取るようにして上へ振り抜いた。
血が吹き出し、スフィンクスの頭のあった場所は消し飛ぶ。
だが、獣はそれでも死ななかった。まだ動こうとする足に矢が立て続けに突き刺さり、獣が地面に縫い止められる。
「黄泉へ、帰れェッ!」
叫び声と共にセイバーが獣よりも高く跳び上がり、胴体を両断した。
その勢いを殺しきれずに、セイバーは山の斜面を転がった。手足を踏ん張ってセイバーは止まり、真っ二つになった獣が徐々に魔力へ還っていく様を見届けた。
『やった?セイバー』
「……まあ、ね」
はあ、とセイバーは血が飛んだ頬を拭う。
辺り一面は炎である。誰がどうやって鎮火するのか、考えたくなかった。
伊勢三の偵察も何もない。
この神獣は恐らく、伊勢三一族のサーヴァントの手駒だ。あれだけアーチャーとやりあえば、ばれるのも当たり前だった。
「……やり過ぎたな」
頭に血が上りすぎたと、セイバーはため息をついた。そのまま鞘へと剣を戻しかけた手が、止まる。
スフィンクスとは比べ物にならない、何か莫大なオーラを持った者が、新たに降臨しようとしていた。
そうして地に立つ剣士を見下ろす位置に、黄金の光が顕現した。
逆立つ黒髪に、黄金の瞳を持つ丈高い男である。
金の瞳を開き、男はセイバーを見下ろすと獰猛な笑みを浮かべた。
―――――これ、勝てそうにないな。
とセイバーは嘆息し、男の瞳を静かに見返したのだった。
ジキル博士よりバーサーカーしているセイバーでありました。
私事につき、6/10くらいまで更新が止まります。
度々ですみません。