ここでお断りさせて頂くと、このセイバーは実際の伝承や神話にはいません。モデルにした英雄はいますが、その英雄の女体化でもありません。
では。
「やぁっ!」
草木疎らな山の中、あどけない声を上げて身の丈以上の大剣を振るう白髪の子どもがいた。
「勢いは良い。だが足元、留守になってるぞ」
子どもの剣を受けるのは、褐色の肌の青年。
手には短い剣だけを持ち、風を切り裂いて振るわれる剣を軽快に弾き、避けていた。
大剣は地に叩きつけられる度、小さな半球状に地面を抉り取っている。
細腕から放たれるものとは思えない膂力で、子どもは剣を振るっていた。とはいえ威力はあっても技術は幼い。青年が剣の峰で子どもの手を抑えつつ、同時に足を払うことで打ち合いは終わった。
足を払われて、勢いの付いていた子どもは回転して背中から地面に叩き付けられる。
だがすぐに起き上がった。痛そうな素振りはまるでない。それでも悔しそうに目を細め髪から土を払い落として、子どもは青年を見上げた。
「……どうやったの?」
「簡単な話さ。お前は速いし力もあるが、動きが直線で読み易い。次に狙う場所が分かってれば、避けるも弾くも楽にできるだろ?アフタル」
うん、とアフタルと呼ばれた子どもは素直に頷いた。
アフタルにとって、この青年はしばらく前に会い、それ以来時々訪れては自分の知らないことを教えてくれる優しい人間だ。
だから懐いていた。
「お前は獣ばかり相手にしてきたんだろ?獣と人、狩人と戦士じゃ戦い方が違うのさ。分かるか?」
「……なん、となく」
言ってアフタルは青年に礼をした。
「きょうもありがとう。アーラシュの兄さん」
「良いさ。お前は今日も狩りをして帰るんだろ?」
「うん」
二人が今いるのは、山の中腹になる。
青年、アーラシュは山を下って人里へ、アフタルは山を登って鳥の巣へ。それぞれ別の所へ帰る。
本当なら、十になるやならずの子をこんな辺鄙な所へ残して行くのは有り得ない。連れて帰るべきなのだろう。
けれど、このままアフタルが人里へ降りても、それが本当に良いことなのかアーラシュにも分からない。
アフタルの考え方や在り方が、獣のそれに寄っていて人とは違いすぎると言うのもある。まともな人の、それも女の子どもの中に簡単に溶け込めはしないだろう。
しかし別の理由もある。麓に広がるペルシャの国は隣国トゥルクとの戦争に明け暮れている。何十年も続いていて、いつ終わるかも分からない。
そこにアフタルのような神代に先祖返りしたような子どもが混ざれば、間違いなく戦えと言われるだろう。
今はまだ幼い子どもでも、このまま戦いが終わらなければいつかそうなるだろう。
アーラシュとてアフタルと同じ神代に先祖返りした肉体の持ち主だから、そのことは実感を持って言えた。
アーラシュが矢面に立つことは誰より多いが、彼は当たり前だと思っている。自分が前に出て助かる者、守れる者がいるのなら何よりだ。
しかし、自分に関しては簡単に割り切れても、アーラシュは兵士ですらない子どもに関しては出来なかった。
守ってくれるはずの親の手で人の世界から切り離され、それでも命を拾われて生きてきた子を、幻獣とはいえ親から奪って人の世界の戦いに巻き込む。
できるわけが無かった。
喩え、それでより多くの兵が救われるのだとしても、あまりに惨い話だ。
戦のない時代に生まれたなら、戦がすぐにでも終わるのならば、また話は異なってくるのだろうに。
「アーラシュの兄さん?」
「ん、いや、何でもないさ。それより、お前今から狩りをするんだろ?あの技、また見せてくれないか?」
いいよとアフタルは頷き、アーラシュはその髪をくしゃりと撫でた。
アフタルの背丈はアーラシュの肘の辺りまでしかない。自分の身の丈もありそうな剣を振るう姿は、あまりにちぐはぐだった。
アフタルは背中の鞘から剣を引き抜く。遠くの斜面で常人には小さな点にしか見えない鹿が跳ねていた。
息を整え、アフタルは両手で剣を握る。
鹿が顔を上げた瞬間、アフタルが短く息を吐いて剣を横凪に振るった。鳥の鳴くような音がしたかと思うと、遠くの鹿が倒れる。
アフタルは剣を鞘へ収めると駆け出し、数分もしないうちに鹿を抱えて戻ってきた。
見れば、鹿の首の辺りの皮がぱくりと裂けて血が流れている。
どういう理屈なのか、斬撃を遠くの的に向けて飛ばすというアフタルの使う不思議な剣であった。
本人に聞いても、何となくできるだの、感覚でできただのとさっぱり要領を得ない。
家族の皆のように空を飛べないのが悔しくて、同じように狩りができないかと頑張っているうちにできるようになったらしいが説明が全く分からなかった。
言ってみれば鎌鼬のようなものだろう、とアーラシュは自分を納得させていた。
こういうことができること一つ取っても、アフタルはやはり山にいた方がいいのだろうか。
「兄さん、またなやんでる」
鹿を捌きながらアフタルがぼそりと言った。
「悩んでるように見えるか?」
「みえた」
鋭く尖らせた石の小刀を器用に使って、アフタルは鹿の皮を剥ぐ。上手なことに血の一滴も大地にこぼしていなかった。
「母さんや鳥の兄さんもさいきん、そういう顔をする。わたしのことでなやんでるみたい」
「お前の?」
「うん。あのね、さいきんはヒトの増え方がとってもはやいんだって。ヒトがうんとふえたら、母さんたちはもうここには住めなくなるから、せかいの裏がわに行かなくちゃならなくなるんだって」
でもわたしは行けないから、だからみんなわたしのせいで困ってるんだ、とアフタルは言った。
「世界の裏側……ってのぁ、初めて聞いたな。そこ、お前さんは絶対に行けないのか?」
「魂だけになるなら、いけるかもしれないけど体があるうちはむりなんだって。だってわたしは飛べないし、かたちもみんなとは違うからね」
えい、という小さな掛け声と共に、アフタルは鹿の角をもぎ取った。
アーラシュは、何も言えなかった。
知ってか知らずか、アフタルは舌足らずに続けた。
「アーラシュの兄さんにあうことをね、母さんはよろこんでる。ヒトの世界をちゃんと学びなさいって。ひつようなことだからって。わたしも兄さんに会うのも、いろいろ教わるのも、どっちもすきだから嬉しい」
人の世に行きたいならそうすればいい、裏側について来たいなら、お前の望むようにしてあげる。
どちらでも良い。しかし最後はお前が選べ、と霊鳥は愛しい養い子を突き放したのだ。
「厳しいな、お前の母さんは」
「ちがうよ。母さんは優しいの、おとなになるまえまでに、ちゃんとわたしがかんがえてえらびなさいって言ってくれるから。一度決めたなら、もうとりかえしはつかなくなるからだって」
でもむずかしいよ、とアフタルは切り分けた肉を背嚢に入れて立ち上がる。
肉の重みで革紐が食い込んでいる肩は、折れてしまいそうなほど細かった。
家族から離れて人として生きるか、この世を離れて人ならざる者として生きるか。
まだ母の膝の上にいていい歳だろうに、どうしようもない問いと向き合おうとしている子は、あまりに幼かった。
同時にアーラシュは思った。
自分と会うことが無かったなら、人の世に触れなかったなら、この子はこんな風に悩むこともなかったのではないだろうか。傲慢かもしれないが、そう考えずにいられなかった。
(何のために、俺はこいつと会ったんだろうな)
山に白髪を振り乱す鬼が出ると言われ、正体を見極めようと向かった先で出会っただけの子。
恐らくは、不吉な白髪を持って生まれたために捨てられてしまった子。そして天性の肉体のために、生き延びることができた子。
それがアフタルだ。
自分と同じ神代の人間のような、桁外れの力を秘めた体の持ち主は、アーラシュ本人を除けば今彼が仕える王しかいないはずだった。
己の生まれに不満を抱いたことはない。周りの人間すべてを寄り添って共に歩む仲間ではなく、自分が守るべき者としか見られない運命を、呪ったこともない。
だがだからこそ、自分と同じ所のあるこの子どもを見れば何くれと構ってしまう。
たまたま生まれる場所が異なっただけで、この子どもは自分だったかもしれないのだ。
険しい山を強く無邪気に駆け回る子どもの中に、アーラシュは自分の別の形を見ていた。
(戦さえ、無かったら)
少し力が強い変わった子ども、と言い張れるかもしれないのに。
戦の無い時代なんてものは、アーラシュにとっても夢物語だ。生まれたときから、ペルシャの国は隣国のトゥランと戦っている。
殺し殺され、憎しみはもつれ合った糸玉のようになって、もう何十年も過ぎてしまった。
誰かが血に染まったその糸玉を切り裂くでもしない限り、戦は終わらない。
「兄さん、かえらなくていいの?」
くい、とアーラシュの服の裾をアフタルが引っ張っていた。
アーラシュが呆としているうちに、さっさとアフタルは鹿を解体し終わっていた。毛皮を差し出そうとしてきた小さな手を、やんわり退ける。寒い山には毛皮は貴重だろう。
「じゃ、またね。さよなら」
「ああ」
たん、と斜面を蹴ってアフタルは尾根を走り出した。鹿より速く強い健脚で走る小さな姿は、あっという間に山の間に消える。それを見送り、アーラシュも地面に置いていた弓矢を担ぎ直した。
―――――そこで、急激に景色に霞がかかる。
岩肌の目立つ山も薄雲のかかる空の青さも、たちまち遠くなって消えた。
「……あれが夢、なのね」
東京は秋葉原。
ホテルの一室で、エルザ・西条は翠の目を開けて呟いた。
つい仮眠を取るつもりでソファの上に寝転がっただけだったのに思ったよりも長く寝入ってしまったらしい。それでもニ、三時間程度だろうが。
起き上がりながら、エルザ・西条は夢の名残りを振り払った。サーヴァントと契約したマスターは、相手の記憶を夢に見るというが今のがそうなのだろう。
聖杯戦争とは関係ないただの夢とは、エルザには切り捨てられなかった。夢に出てきた幼い子どもの、舌足らずな高い声がまだ耳の奥に残っている。
「アーチャー、いる?」
「おう」
隣の部屋の壁を突き抜けるように、実体化するのはエルザのサーヴァント、アーチャー。真名、アーラシュ・カマンガーである。
「ごめんね、思ってたより眠っちゃったみたい」
「何。休めるときに休んでおけばいいさ」
アーチャーはからりと笑う。
エルザの思っていたより英霊というのは人らしい。生きていた頃の全くの再現に見えた。
「よほど変わった夢でも見たか?気になるのならば問えばいいさ。聞かれりゃ答えるぞ、俺は」
今もエルザの思考を先読みするかのようにアーチャーは言う。
出過ぎているかもしれないが、エルザは知りたい気持ちを抑えられなかった。
「小さい子どもがいたわ。アフタルってアーチャーは呼んでいたけど」
「……ああ、あいつか」
ふむ、とアーチャーは思い出すように目を閉じた。
「俺にとっちゃ妹みたいなヤツさ。ただあいつ、弓は下手だったが」
石や剣を投擲させれば上手いのになんでだろうな、と心底アーチャーは不思議がる口調で言った。
夢の中でのアフタルは随分幼かったが、結局、あの師匠と弟子とも言うには親しく、本当の兄妹というには少し遠いような馴れ合い染みた関係は数年続いたそうだ。
そしてアーラシュ・カマンガーが国を割って引き換えに死ぬ、数年前の出来事があれだと、アーチャーはあっさり語った。
「で、最後に会ったときには喧嘩だ」
「喧嘩?」
「そうさ。あいつ、鳥と話が出来たからなぁ。鳥の誰かに、俺がしようとしていたこととそれで俺がどうなるかってことを教えられたんだと。そんで、国を割りに行くのならわたしを倒してからにして、となった訳だ」
「……」
何を言っても兄さんは止まらない、そんなこと分かってるし、わたしには止める
そうして、死ぬの生きるのと、青年と少女の二人は地を抉り穴を穿ち、山に生きるすべての獣を目覚めさせる勢いで争って。
「まあ、俺が勝ったさ。当然だ」
力をすべて使い果たして、動けなくなったアフタルを山に残し、アーラシュは国を割って平和を築き、引き換えに命を失い英霊となった。
アフタルはその後山を降り、竜殺しをして今も人々に語り継がれる英霊になったという。サーヴァントとして与えられた知識から、アーラシュはそれを知った。
「そんだけさ。まあ、俺としちゃ結局あいつは戦いの中で生きたのかと思うと……ちょっと複雑だがな。あの歳ですでに結構ぶっ飛んでたから無理なかった気がしてるぞ」
「……分かったわ。じゃああの子、人の世に帰ったってわけね」
「ああ。何せ、人の側の英霊になってるからなぁ」
少しの間、アーチャーは窓の外を見た。
立ち並ぶ黒いビルで四角く切り取られた空は狭い。その狭い蒼穹を、数羽の小鳥たちが飛び去って行った。
窓から目を逸らし、アーチャーは肩をすくめる。
「ま、昔の話さ。……それでエルザ、これからどうするのかってのは決めたのか?」
黒い目が細められる。
心の奥まで見透かせる目を正面から見て、エルザは子どもの声を耳の奥から消した。
忘れなければならない。でなければ、エルザは自分が戦いを続けられなくなってしまうという確信があった。
「そうね……。セイバーとランサーが戦ったのは分かってる。でも今は儀式も初戦だから、まだどこも探り合いよね」
偵察、及び各個撃破。
そのためにまず街へ出ようとエルザは言い、アーチャーは頷いた。
スィームルグについて。
イラン神話の霊鳥です。
羽には癒やしの力があり、自分が育てた英雄に帝王切開を教えに来たり、敵を倒すための矢を届けに来たりする鳥さんです。
表記や見た目に関して色々あるのですがここでは表記はスィームルグに統一、見た目はササン朝の頃のものを参考にしています。
ご了承ください。