射手の青年、鳥の娘   作:はたけのなすび

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では。


Act-20

 

 

 

 

 

時々、ふと考えることはあった。

もしも、自分がこう生まれなかったなら、一体どう生きたのだろうか、と。

だが、考えたことはあっても、悔いたことは無かった。

肩を並べて戦う者は終ぞおらず、最後まで一人だったが、それはそうした方が他の皆を守れると思ったからで、その選択に誤りはなかった。

ただ、自分と同じような子どもを一人残していくことを後悔したかと言えば―――――頷くしかなかった。

出会った場所は、人の手が届いていなかった山の中だった。

人の世で生きていた自分とは違って、たまたま人々の輪に組み込まれそこなった白髪の子どもであった。

出会いは偶然だった。

鳥を親にし人を遠く眺め、岩を枕に獣を狩る。

完結しているが故に厳しい生き方で、何よりその子どもだけは翼が無かったから、地を一人で駆け回っているしかなかった。己だけ決定的にきょうだいとは違うということが、寂しくないわけがない。

初めて出会ったときは、感情を表情に上手くのせるのにも苦労していた。

それでもその子どもは、人間を憎んではいなかった。

母親の腕の代わりに翼しか知らず、暖かい炉端の代わりに洞窟の焚火しか知らない。

知らないからこそ、憎しみも恨みも持ち合わせずにただただ生きていた。

確かに、その子は体が神代の先祖返りで頑丈だった。だが、それ以外は母親の膝に甘えている子どもとどこも違わなかったのだ。

人の世で生きている自分に触れ、少しずつ色々なことを吸収するたびに、その子どもは表情が豊かになっていった。

確かにそれは楽しかった。

自分のしていることは、人に戻るか否かという選択肢を突きつけているものだと知ってしまった後でも、楽しいという感情は本物だったのだ。

けれど最後にあった日に、もう二度と会えなくなると伝えた日に、すっかり身に付けていた豊かな表情で、行くな、と止められたときは、ああ、しまったな、とも思った。

教えるだけ教えて去っていては、最初にこの子どもを放り捨てた親と何も変わらないではないか。

それでも、と己は選択した。

渾身の一矢を放って、戦を止めると決めた。

神代の如き戦士は己が最後の一人となるように。

この大地の人々すべてが、戦の無い世で暮らせるように。

そして、自由な国の自由な空の下で、人々の輪の中に入った白髪の少女が笑顔を浮かべて居られるように。

それらを願って己は弓を弾いた。結末を見届けることは無かったが、その子どもは成長して、一端の口を利くようになって、今目の前にいる。

わずかに面影の残る色白の顔に浮かんでいるのは、不器用でどこか欠けたような微笑みではない。

心からの歓喜を素直に表し、相手に何の衒いもなくそれをぶつけていた。

 

―――――最初に踏み込んだのは、セイバーが先だった。

 

アーチャーに比べればかなり小柄な彼女は、前に飛び込むしかない。

地を這うようにして襲い掛かった。

見た目に反した豪力の剣士の突進をアーチャーは笑って受け止めた。

力はあってもセイバーは体重が軽いのだ。

腕を捕まれ受け止められて、セイバーは止まる。

だが固められた腕を基点に、セイバーの体がすっと沈んだ。

腕から嫌な音がするのも構わず、セイバーは蹴りをアーチャーの膝に叩き込んだ。

姿勢の崩れた彼の力が緩むと、セイバーは腕をもぎ離してアーチャーの胴に逆の拳を打ち込んだ。

肉と肉のぶつかる鈍い音がする。

だが、驚きの表情を浮かべたのはセイバーだった。

 

「その程度か?セイバー」

 

セイバーは猫のような俊敏さで後ろに跳ぶと、調子を確かめるように腕を振った。

 

「あ、そう言えば、頑健スキル持ちなんだったね、兄さんは」

「……お前、まさかそれを忘れてたのか?」

「うん」

 

けろりとセイバーは何でもないように頷いた。

本能任せも大概にしろと、アーチャーは呆れた。

とはいえあちらも、頑丈なのは変わらないらしい。

腕一本は取ったと思ったのに、セイバーの様子では大した損傷では無かったようだ。

汚れの一つもない雪のような白髪を手で払って、セイバーは再び構えを取った。

 

「仕方ないや。保有魔力が尽きるまでやろうか」

「お前……我儘な奴だなぁ。どうせマスターからの魔力ライン、自分で断ってんだろ?」

 

照れくさげにセイバーは頬をかいた。

 

「分かってるさ。これは我儘だよ。私はさ、できるだけ生きているときみたいに戦いたいんだ。……やり直しはできないってのは知ってるけど、どうしてもさ」

 

セイバーの顔に、ほんの一瞬錆びた笑みが過ぎって消えた。

まだ若い少女の外見に合わない乾いたその顔に、アーチャーはふいに隔たった年月を感じた。

 

「お前は、長いこと生きたんだな」

「そうだよ。兄さんの歳は越えた」

「一人で、か?」

「一人のときも、そうじゃないときもあったよ」

 

何故そのようなことを聞く、と言いたげにセイバーは眉をひそめた。

まあ聞け、アーチャーは右手を広げた。

 

「アフタル、お前の世界は、広かったか?」

 

聞かれた途端、セイバーはにやりと子どものように笑って、目の前の風景をすべて受け入れるように両腕を一杯に広げた。

 

「うん!世界は広かった。私はそれを知ってるし、覚えてる。今でもずっと、これからもずっとさ」

「……じゃあ、お前さんがマスターに肩入れするのもそれが原因か?あのお嬢さんがただのマスターなら、ファラオに喧嘩なんぞ売らんだろう」

 

セイバーの目が少し泳いで、ぼそりと一言った。

 

「子ども捕まえて、立派な王様が怪物王女(ポトニア・テローン)は無いだろって、そう思っただけだよ」

「……そりゃ何ともな。まあ、あのマスターが只者じゃないってのは、お前だって分かってるだろう」

「何度も聞かれてるけど分かってる。その度に何度だってこう答える。――――あの子が何をして何になるかはあの子が決める。私はその選択を信じる。そして第一に、あの子は怪物にはならないって言ったもの」

 

むん、とセイバーは胸を張った。

はは、とアーチャーは顔を片手で覆って笑い声を上げた。

笑い声は次第に大きくなり、やがて呵々とアーチャーは笑った。セイバーはそれをしばらく見守り、彼の笑いが収まってから再び拳を構えた。

 

「話は終わりだな。戦おうか。尋常な勝負ってやつだ」

「最初っからそう言ってるじゃないか!」

 

剣士と弓兵は、再び踏み込む。

一足が大地を蹴るたび、地面は割れ木が吹き飛ぶ。

使い慣れた武器もとっくに手から離れているのだ。殴り合い、蹴り合い、培ってきた技もどこかに打ち捨ててしまうまで彼らは戦った。

次なる朝日を浴びて、同時に大地に倒れ込み、ほとんど同時に意識を手放すまでの戦いだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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「本当におばかさん。何やっているのよ、セイバー」

 

岩が露出している大地に、仰向けで白髪の剣士は倒れていた。その主である少女は、すたすたと近づいてかがみ込む。

閉じていた瞼が名を呼ばれた途端に開かれ、黒い瞳が逆さまの沙条愛歌の姿を映しだした。

 

「あ、おはよう。愛歌」

「おはよう。寝坊助剣士さん。最高クラスの頑健持ちに正面から殴り合いだなんて、呆れてものも言えないわ」

「……」

 

冷めた愛歌の視線を直視できずよいしょ、と掛け声だけをかけて、セイバーは半身を起こした。

ふと見ると、数メートル離れたところにはアーチャーが倒れていて、その横には愛歌のようにエルザがいた。

あちらはまだ回復しきれていないのか、倒れたまま片手だけをひらひら振っている。

それに手を振り返して、セイバーは自分の体の調子を確かめた。痺れや痛みが残っているが、数時間で回復するだろうと思われる程度だった。

 

「あなたの回復力が高いというより、わたしとエルザの供給魔力の差よ」

 

与えられている魔力がアーチャーのものより多いため、セイバーの方が先に回復した、ということを愛歌は言っていた。

 

「決着は……どうなったんだ?」

「覚えていないの?」

「数時間分は覚えているんだけど、最後がどうも曖昧だ。根競べになって殴り合ったと思うけど」

 

セイバーは地面に手足を投げ出したまま、聞いた。

愛歌は呆れたように肩を竦めると、その横に膝を揃え、コートの裾が地面に触れるのも構わずに腰かけた。

 

「わたしたちから見ていた分には、相討ちよ。ほとんど同時に意識が飛んだみたい。尤も、あなたたちはサーヴァントだから気絶も一瞬だったようだけど」

「……そっか」

 

セイバーは空を見上げた。

朝焼けの空を、鳥が一羽円を描いて飛んでいた。甲高い鳴き声が荒れた山に木霊していく。

 

「悔しい?」

 

何気ない一言に、セイバーは愛歌の方を見た。

 

「そりゃそうだよ。ああ、また勝てなかったって気持ちで一杯さ」

「その割には落ち込んでいないのね」

「きみにはそう見えるのかい?結構落ち込んでるんだよ、これでも。……でも確かにさ……悔しいけど、これが結末だよな、って受け入れる気持ちもあるんだよ」

 

愛歌が首を傾げる。

セイバーはゆっくりと、小さな子どもに物の道理を説くように言葉を編んだ。

 

「何度こうして召喚されても、何度めぐり合って戦えても、結局私は満たされないんだろうさ。だって、本来の私たちはもうこの世のどこにもいない。どれだけ生前と同じ人格があったって、サーヴァントは影法師みたいなものだもの。同じ道行をなぞるだけさ」

「何度呼ばれても、あなたたちは満たされないの?」

「うん。満たされないさ。でも仕方ないやね。この渇きを癒せたのは、生者だったときの私だったんだよ。こうやって戦っても、やり直しにはならない。過ぎたことはもう戻せやしないからね」

 

それでもいいんだけど、とセイバーは笑ってふらつきながらも立ち上がって、エルザとアーチャーの方へ手を振った。

 

「乾いたまま、死んだままでもあなたは良いって言うのかしら?そんなの、虚しいんじゃない?」

 

愛歌は、頬杖をついて問いかける。どこか物憂げな主の手を取って、セイバーは彼女を立たせた。

朝日に染まる少女の前にセイバーは屈んで、彼女と視線の高さをしっかりと合わせた。

 

「虚しくない……って言えば嘘だよ。虚しい時もある、渇きが収まらない時もある。でもそれはそれで良いのさ。今このときが楽しかったのは、本当だから」

 

元々、すべてのものは虚も実も入り混じった混沌―――――根源の渦から分かたれているのだから。

英霊になっても、セイバーは虚しさと手ごたえの間を行ったり来たりだが、それも己の在り方だと思っている。

半端な己が関わって守れた者があるならば、少しでも物事を良い方へと転がす手助けができたというなら、また先へ行こうと思えるのだ。

言うまでもなく、死者(サーヴァント)に先はない。繰り返し、焼き直しの機会しか与えられることは無いし、それも稀だ。

だから、己は存在自体が欺瞞かもしれない。

それでも、戦うときの兄の笑いは一度見たら心が暖かくなった。

数日だけの仮初の生でも、あれが見られたなら意味はある。あちらもそうだったなら良い。

 

それに目の前の少女が浮かべている考え深げな静かな表情は本物だと、セイバーは思った。

思うことにして、信じたのだ。

どこかが凍り付いて止まってしまっている、根源に繋がった少女、沙条愛歌。

彼女の中の歯車の一つが動いて、彼女の世界がわずかでも鮮やかに回り始めたというのなら、この仮初の影法師のような生にも、自分の我儘を通した以上の意味もある気がした。

 

手足を伸ばして朝日を浴びる。

泣いても笑っても、己のすべきことは最後に戦うことだけだ。

 

「次の相手は黙示録の獣……の卵か」

「卵のうちにきちんと壊してね。わたし、あれ嫌いだから」

 

あなたのお願いを聞いたのだから次はわたしのお願いを聞いてよね、と愛歌は言い、セイバーは苦笑した。

 

「壊すのは私じゃなくてファラオだよ」

「知ってるわよ。もう、そういう意味じゃないわ。頑張りなさいってことよ」

 

たはは、と気の抜けたような笑いを漏らして、セイバーはアーチャーたちの方へ歩いて行った。

 

アーチャーはアーチャーで、エルザに色々と言われていた。

幾ら何でも、妹分を容赦なく蹴り飛ばすわ殴り倒すわ大暴れするのはどうなのだろうか、と。

アーチャーは若干決まり悪げに頬をかきながら聞いていた。

自分のようなサーヴァント相手に、そういう所を気にかけてくれる人もいるのだ、とセイバーは意外に思い、へどもどするアーチャーとエルザのやり取りが愉快で何も言わなかった。

宥めてほしそうなアーチャーの視線を、頭の後ろで手を組んで観察しながらセイバーは普通に受け流した。

 

「ねぇ、エルザ。そのくらいにしないかしら?早く退散しないと、教会か協会にばれてしまうもの」

 

セイバーに全く仲介する気がないと悟ったのか、愛歌の方がエルザの肩を軽く叩いた。

 

「……分かったわ。言いたいことはあるけど、この国の協会に追っかけられたくないもの」

「うん。それじゃあ、帰りましょう」

 

獣の卵が、足の下で胎動し続けている都まで。

そう愛歌が付け加えると、セイバーは組んでいた腕を解き、エルザとアーチャーの表情も引き締まった。

 

「じゃあ、戻るわね」

 

行きと同じに愛歌が指をくるりと振ると、二人のマスターと二騎のサーヴァントは、あっという間に消え失せた。

土が露わになった大地の上を、冷たい風が吹きすぎ砂が僅かに巻き上がる。

風が収まったあとの戦いの場には、荒れた山以外何も残っていなかった。

 

 

 

 

 

 





決着は仮初め、記憶も感情も記録にしかならない。
それでも何も得られなかったわけではない。
残るは卵を潰すだけ、という話。


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