湿気と暑さで思ったより体力が削られ、書いては消してを繰り返していました。
復活しましたが。
では。
三騎士のうちの二騎。
アーチャーとセイバーが埠頭についたときには、そこにはランサーがいた。
銀髪の麗人は全速で東京の夜空を駆け、コンクリートの上へと着地した彼らを見ると、細く白い指を伸ばして海上の光り輝く大神殿を指し示した。
「ライダーは彼処です。私のマスターからはあなた方に協力しろ、との命令が出ていますのでライダー撃破までは戦いません」
「そりゃ良かった。ま、よろしくな、ランサー」
「同じく。戦乙女のあなたなら頼もしいし心強い。でも、少し話がある」
「?」
首を傾げるランサーの目の前に、セイバーは懐から取り出した透明な小瓶を取り出した。
その中には不吉に蠢く、黒い泥の欠片が入っていた。
「これは……?」
泥から放たれる禍々しい気配に、ランサーは眉をひそめる。
「……これは聖杯の中身さ。ランサーのマスター、俺たちはあんたにも話してる。結果だけ言うとだな、このまま聖杯戦争を続けて俺たちが命を落とし続けると、成長したこいつがこの国に解き放たれるんだ」
「……俄に、何を言い出すのですかアーチャー」
「すぐに信じてもらえるとは思っていないよ。でも、私のマスターが探して見つけた大聖杯の中にこれがあったのさ。ランサー、あなたなら私たちが嘘を付いているか否か、分かるだろ?」
瓶を振ってから、セイバーはそれをランサーに手渡す。
ランサーは受け取った瓶をためつすがめつしていたが、やがて顔が徐々に色を無くしていった。
「……これは酷い。ものです。この様なものが聖杯の中身だったと?」
「残念ながら、ね。ランサー、あなたのマスターだって見ているだろう?私たちがこのまま殺し合いを続けると、それが更に膨れ上がるんだ。脱落した私たちの魂は聖杯へと向かうけれど、それを食らってこいつは太っていくんだ」
「要は、無策で戦い続けていてはまずいって話なのさ」
「……ライダーはこのことを?」
「当然知らないだろうな」
だからそれを伝えに行かなきゃならない、とセイバーは言いながらランサーに手を差し出し、ランサーはその上に瓶を乗せた。
生きとし生けるものを喰らいたいという悪性の呪いが入った瓶を、セイバーは躊躇いなく己の懐に収めた。
愛歌が洞窟で攻撃されたときに手早く掠め取った泥の欠片を、直接見せねば話にならないからと無理を言い、分けて持って来たのだ。
あまり長い時間身に着け過ぎれば影響はあるだろうが、今の所セイバーに変化はなかった。あくまで今の所は、だったが。
「つまり、あなた方はただ討ち取るのではなく、あのライダーに鉾を収めろと言いに行くのですか?」
「無茶なのは分かってるさ。あんたにも某か願いはあるんだろ。無理に付き合えとは言わん。俺はこの街の人間を守りたいが、あんたにまでそれを押し付ける気はない」
あまりに英雄らしいアーチャーの真っ直ぐな物言いに、かつて戦乙女として勇者をヴァルハラへと運ぶ役目を負っていたランサーは口籠る。
白髪のセイバーの方を見れば、こちらは肩をすくめた。
「私はそこまで守りたいとは思えないんだが、マスターがなぁ……。なーんか、あの
だが、ランサーが答えるより早く、海上の大神殿から放たれた光により夜空が黄金に染め上げられ、街全体が揺れた。それが挨拶代わりに大神殿から放たれた単なる魔力砲だと三騎はほぼ同時に気付いた。
「昂ぶりすぎだろ、あのファラオ」
「時間無しかよ、仕方のない王様だ」
とセイバーが剣を手に、アーチャーが弓を握りながら言う。
ぼやきながらも、彼らに一歩も引く気は無かった。
彼らにそれぞれに守りたいものがある。セイバーにとっては唯一の主がそれであり、アーチャーにとっては無辜の民とマスターである。
彼らがこれから挑むのは、ただファラオを倒すのではなく、彼に戦いを諦めさせ、かつ自身たちも死なないでマスターの元へと帰還するという難題だった。加えて言うなら、ファラオにはキャスターがついている。
しかし、そうしなければ獣を更に肥え太らせる結果になるのだ。四の五の言わずにやるしかなかった。それが英霊にまでなった者の責だと彼らは自分たちに課していた。
ともかく行こう、とニ騎はまだ戸惑う槍の騎士と共に魔境へと足を進めたのだった。
#####
「―――ああ、セイバーたちが神殿に乗り込んだみたいよ。セイバーは、あの泥もちゃんと持って行っているみたい」
東京の夜の街を歩きながら、そう愛歌は言った。
傍らには巽を連れ、彼女が向かうの玲瓏館の屋敷だった。バーサーカー、アサシン、エルザは奥多摩へと向かい、伊勢三の一族との接触を図り、巽と愛歌とは玲瓏館の館へと向かい、聖杯の中身の何たるかを伝えに赴いている。
聖杯の中身が中身である以上、最早戦争どころではないというのが大空洞へと赴いて生きて帰った彼らの結論だった。
愛歌のかすめ取った泥は三つに分けられ、一つはセイバー、一つはエルザたち、そして最後の一つは愛歌の手の中にあった。
平気な顔でそれを持ってライダーの元へ向かったセイバーとは逆に、愛歌はそれを嫌そうに指の間にぶら下げて持っている。
笑顔ばかりを浮かべていた愛歌には珍しく、はっきりと嫌悪の顔を浮かべていた。巽にはそれが以外で、しかしそれを指摘する気は起こらなかった。
「これ、嫌なものね。さっきからうるさいったらないわ。お腹が空いた、お腹が空いた、そればっかりよ」
街灯だけが照らす静かな住宅街を花道のように闊歩しながら、愛歌は言った、
「そいつ、喋れるのか?」
「一応ね。これは人を食らうために作られた呪いだから、食欲を感じるための自我はあるようね。たぶん、わたしくらいしか言葉を聞いてはあげられないけれど」
水槽越しに珍しい熱帯魚を観察するように、愛歌は瓶を眺める。その横顔の冷たさが巽には怖かった。
「お前って……魔術のことってホント何でもできるんだな」
「何でもじゃないわ。わたし、出力には一定の制限があってね。例えば、ヒトの歴史を遡って焼き尽くしちゃうようなことはできないわ」
「何だよ、それ……。魔術ってのはそんなこともできるのか?」
「そうね……。とてつもない力を持ち合わせて生まれたモノが千年単位で時間をかけて、いくつも手間を踏んで、絶対に諦めなければ恐らくできるわ。そんな面倒で退屈なこと、やる人がいるとは思わないけど」
巽には最早何が何やらさっぱり分からない。
分からないというなら、この人員の分け方も謎だ。俺にもできることをやる、と言ったのは巽だが、マスターとバーサーカーとを分けてそれぞれ別の場所へと向かうのは愛歌が言い出したことだ。
サーヴァント二騎を同じ場所に行かせてマスター二人だけで別の場所へ向かうという命知らずな布陣だったが、愛歌は譲らなかった。
キャスターのサーヴァントならば、自分には間違いなく倒せると愛歌は言い、セイバーがそれを事実だと認めたことでこうなったのだ。
「沙条、俺、ホント付いて来る意味あるのかな?」
「今更?わたしが来てと言ったからいいの」
そうは言うが、巽には自分に何かができるとは思えなかった。ここ数日で彼が学んだことは、自分の無力さだけだ。
「仕方ないと思うわよ。あなたは事故で巻き込まれたようなものだし」
自然に思考を読まれ、巽は押し黙った。行く手にはそろそろ、玲瓏館の館を取り巻く森が、ぼんやりと見えている。
何を見たのか、唐突に愛歌がまた喋りだした。
「わたしは、生まれたときからちょっと皆と見るものが違っていたの。何でも見えたし、何でもできた。でも、自分で言うのもあれだけれど、はっきりとした自我みたいなものを手に入れたのはセイバーと遊ぶようになってからこっちのことよ」
とんでもないことを言う愛歌を何故か巽は受け入れた。
「つまり……何でもできるけど、何にもやる気が起きなかったってことか?」
「そんな所。わたしの我は、自分でもはっきり分かるくらいに柔いの。今は、セイバーっていうお人好しとの関わりを基盤にして形成しているから善よりだけれど、彼女がいなくなったらまた揺らいでしまうかもね」
冷静に自分という個を突き放して物を語り、この世を見すえる少女は、黒い門の前まで来て止まる。
「この悪性の塊、正直うるさくって身近に置くのも嫌よ。あまり長い間触れていると、きっと白いキャンバスに黒い絵の具をぶちまけるみたいになってしまいそうだし」
白いキャンバスというのが、沙条愛歌のことなのだろう。
まだ何も書かれていない白い大地に悪性という泥をぶちまければ、確かに白い大地は容易く黒へと変わる。
「……お前、それってそんなに心配するようなことか?」
「なあに、どういう意味かしら?」
愛歌と同じ視点には決して立てない少年の顔には、さっきの鬱屈とした気弱な顔ではない、純粋な疑問の色があった。
「その歳になるまで自我が無かったなんて感覚、俺には分かんないけどさ、お前、その泥が嫌なんだろ?それ持っていたら、自分が自分じゃなくなる、って言ってる風に聞こえるぞ」
「……」
澄んだ碧の瞳に見られ、巽の頬が一瞬赤くなる。少年は早口に思いついたままを言った。
「今の自分を手放したくないって言うなら、沙条にはもう確かな自分ってのがあるんだろ。セイバーがいるいないは、きっと関係ないと思う。絶対悪に触れたくないなんてのは、普通の人間なら当たり前の感情だしな」
巽の前に現れる愛歌は大概セイバーを放ったらかして自由だった。
楽しそうに巽とバーサーカーに難題を押し付け、笑い、引っ張り回し、あそこまでしていて今更自我が希薄だとか、セイバーがいなくなった後の我が不安だとか言われても、巽には信じられなかった。
「……うん、だからあなたをここに連れて来て良かったのよ。一番意外なことを、わたしの中には無い言葉を、言ってくれるから」
最弱の少年の言葉を、全能の少女は馬鹿にしなかった。笑い飛ばしもせず、耳に届かせていた。
「ちょっと今から、わたしはわたしに課していた制限を少し外して、キャスターと渡り合おうと思うの。黒い泥の話をすんなり信じて引いてくれるならいいけれど、それが無理なら正面から魔術合戦をするつもり」
「制限?ちょっと待て、沙条にそんなものあったのか?」
「失礼ね、わたしが徹頭徹尾に傍若無人な天上天下唯我独尊人間みたいに言わないで」
頬を膨らませる愛歌に、それのどこが間違っているのだと巽は言いかけてやめた。
巽にすら分かるような密度の魔力が門の上へと収束し、巽の目の前で形を取ったからだ。姿を現したのは黒髪の、女性と見まごうような優男だった。
「キャスターのサーヴァント……!」
如何にも、と巽の呟きに青年が頷き、愛歌はそれに答えてなのかにこりと笑ったのだった。
######
一方の奥多摩山中。木々の間を歩く、三つの人影があった。
先頭を行くのはバーサーカー。その後に、エルザ、アサシンが続いている。彼らの行く先は伊勢三の居城である。黒い泥の入った瓶は、アサシンが所持していた。一応ここは伊勢三の領域であり、彼ら三人は敵に警戒しながら進んでいた。
「そう言えば、アーチャーとセイバーがドンパチやったんだけど、索敵とか大丈夫かしら?」
「こっちにはアサシンがいるから、いざとなれば気配遮断で中に忍び込んで中から開けてもらおう」
「……はい。城を中から攻めるのは経験したこともあります」
ぼそりと言うアサシンに、そうなんだ、とエルザは頷いた。
アサシンはエルザからもバーサーカーからも微妙に距離を開けている。総身が毒でできている彼女に触れれば、エルザは間違いなく命が危ない。平気な顔で触れている愛歌やセイバー、アーチャーが例外であり、だからこそアサシンは最初のマスターを殺害してしまった後に、愛歌に忠誠を捧げたのだ。
しかしそれを言うなら、この場にいる者たちは皆、本来のマスターやサーヴァントとは離れて行動している。殺し合いのはずの聖杯戦争の最中で、妙な展開もあったものだった。
「聖杯戦争がこの先あっても、こんなことは二度とないんでしょうね」
目の前に張り出していた小枝を押しのけながら、エルザは言った。
「そもそも聖杯戦争はこれ一度きりで終わってほしいよ、僕は。聖杯の中身が人殺しの悪性の呪い、黙示録の獣だなんて冗談じゃないよ」
バーサーカーは正義のため、という心を持って現界した。しかし何も知らないままだったら、彼は黙示録の獣を生み出す贄の一つになっていたのだ。その意味では聖杯戦争に最も裏切られ、かつ聖杯の中身を最も純粋に忌み嫌っているのは彼だった。
同じく聖杯戦争に裏切られた女魔術師は、乾いた笑顔を浮かべた。
「そうね。願いが何でも叶う、なんて今考えたら胡散臭いことこの上無いわ。そんな風に上手くいく話、あるわけなかったのにね」
「―――――それでも、あなたは夢を見ずにいられなかった。違いますか?アーチャーのマスター」
ぼそり、とアサシンが泥の小瓶を抱えたまま呟いた。エルザは赤毛に引っかかった木の葉を落としながら、意外そうにアサシンを見た。
「私は主に出会うことで救われました。セイバーもそう。でも、あなたは……」
「うん、あたしの願いは無理みたいね。こんな機会でもなきゃ、きっともうどうしようもないって思ったからここまで来たんだけど、やっぱりだめなのね」
寸の間エルザの目の奥に鈍い光が宿った。
聖杯の中身を見、そこからぎりぎりで撤退してすぐ、エルザは立ち直った。自分たちがただただ呪いをため込むために行動し、それを娘にも押し付けていたのだと知り、すぐには立ち上がれそうもない沙条家当主とは異なっている。
「でもいいの。今のあたしにできることをするわ。この街にも、何も知らないで平和に暮らしているお母さんと子どもたちはいる。世界すべての母と子を救うことはできなくっても、あたしの身の丈以上のことだったとしても、せめてその人たちは守りたいと思うわ。この街に戦いに来たあたしが言ったって欺瞞だろうし、すべて今更だけれどね。もう間に合わないとは思いたくないの」
闇の中でもなお明るい笑みをエルザは浮かべ、アサシンは目を伏せた。
「……あなたが、アーラシュ・カマンガーのマスターたる由縁が分かった気がします」
「何よ、それ」
エルザが肩を竦めたところで、バーサーカーが身振りで彼女たちに、静かに、と告げる。
「気配がある。この先は慎重に行こう」
頷き合って、彼らもまた魔窟へと向かうのだった。