メドゥーサが逝く   作:VISP

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第五話 イアソンが苦労する

 アナ、と言う英霊がいる。

 彼女はイアソンを船長とした、ヘカテーのシビュレの弟子達とケイローンの弟子達を主とするアルゴノーツの一員だが、唯一来歴の不明な女魔術師だった。

 だが、彼女に対して船長であるイアソンは相当に気を遣っており、決して無下に扱う事はなかった。

 実際、彼女はとても優秀だった。

 黄金羊の皮を求めてコルキスへと出発したアルゴー号が出会う困難の多くで、彼女は大いに役立った。

 そして航海の終わりに、ある予言を行った事で有名となる。

 曰く、この船に集った英雄英傑はまた集う事になるだろう。

 そして、人の世の終わりまで語られる試練へと挑むだろう、と。

 

 その予言は正しく、全てのアルゴノーツは再び集い、ギリシャ世界最大の試練へと臨む事となる。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 “貴方こそテッサリアの正統なる王位継承者。ペリアスを除き、貴方が王位に就きなさい。”

 

 夢の中で女神達の女王であるヘラからの神託を受けたイアソンは、大いに困っていた。

 しかし、神託は神託である。

 もし間違っていても従わなければ破滅するのがギリシャの常識であり、それは自分だけではなく、周囲の者にも及ぶ。

 あの滅茶苦茶強い師匠なら如何様にも逃れるだろうが、自分の母はもうそこまで無茶が出来る歳でもない。

 先ず間違いなく犠牲になってしまうだろう。

 

 (かと言って、王様ってのもなぁ。)

 

 イアソンは自分の器量というものを自覚していた。

 自分は決して王位には向いていない。

 もし王位に就いたとしても、それは優秀な家臣団や宰相等の助けを得た上での統治こそが望ましい。

 簒奪したとは言え、既に十分に国を統治し、豊かにしているペリアスを排除してはそれも望めない。

 現在のテッサリアは豊かと聞くし、特にこれ以上何かをすべきではない、もし下手な事をすればそれこそ他国に攻め込まれる隙を作ってしまうと言うのがイアソンの意見だった。

 

 (先ずは一度テッサリアに戻ろう。母上は師匠かケイローン殿に頼んで守ってもらって、単身で乗り込むべきだな。)

 

 いざという時の犠牲と逃走時の足手纏いを減らすため、イアソンは一人で一度も踏み入った事のない故郷へと帰る事を決めた。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 「すごいな、こりゃ。」

 

 イアソンが見たテッサリアは噂以上に栄えていた。

 別に大都市に入るのは初めてではないが、それでも驚くべき事が多かった。

 暴君に虐げられる事も、他国の軍勢に蹂躙される事も、疫病で衰退する事もない。

 人と品物は多く、活気に溢れ、治安も良い。

 民衆にとっては理想的と言ってもよい国家だった。

 このギリシャにおいて、神々が強く守護している都市がある。

 有名な都市では女神アテナの守護するアテナイがそうだが、そういった特別に加護の強い都市でも、ここまで発展するには並大抵の努力では済まない。

 翻して、

 

 「複雑だなぁ。」

 

 別にイアソンの父であるアイソンが暗愚だった訳ではない。

 父は父なりに努力して善政を敷こうとしていたと母から聞いた。

 だが、王としての器量で言えば、間違いなく叔父であるペリアスが上だった。

 

 「…仕方ないなぁ、腹を括るか。」

 

 一瞬だけ、本当に嫌そうな顔をしながら、イアソンは覚悟を決めて王城へと歩み始めた。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 「どうしてこうなったかなぁ…。」

 

 三日後、死んだ目で徐々に作られていく大型船を眺めるイアソンの姿があった。

 

 

 

 

 事の始まりは三日前、彼が叔父であるペリアス王の下を訪れた事だった。

 ペリアス王は来るべき時が遂に来たかと思いながら、イアソンを謁見の間に招いた。

 その周囲には勿論ながら護衛がおり、彼が甥のイアソンをどう思っているのかがよく分かった。

 

 「してイアソンよ。如何なる用向きか。」

 「あぁそんな畏まらないで頂きたい、叔父上よ。少々宣言するだけですので。」

 

 宣言?

 その言葉にイアソン以外の全員が戸惑うが、それに構わずイアソンは前言通りに、城中に響くのではないかと言う程の大声で堂々と宣言してみせた。

 

 

 「私アイソンの子イアソンは!この時を以てテッサリアの王位継承権を永久に捨てる事をオリュンポスの神々に誓うッ!!」

 

 

 「なっ!?」

 

 ペリアスを始めテッサリアの者達は唖然とした。

 目の前の男がアイソンの子イアソンだとは先程名乗られ、てっきり王位を要求してくるのかとも思っていた。

 しかし、彼はその逆で、本来なら手にしていた王位の放棄を、よりにもよって神々に誓ってしまった。

 

 「どういうつもりだイアソン!?」

 「聞いた通りです。あぁ理由が聞きたいのなら勿論説明致します。」

 

 いっそ飄々とした様子で、イアソンは何でもない事の様に話を続ける。

 

 「叔父上が治めているテッサリアは豊かです。過去の記録を見返しても、ここまでこの国が豊かになった記録はありません。それは叔父上の王としての手腕の証明に他ならない。そして、私が王位に就いた所でこうも豊かには出来ないでしょう。」

 

 それは自身の治世に相応の自負を持つペリアスには納得できる事だった。

 少なくとも、名の知れた大国でもない限り、自身の育てたテッサリア以上に豊かな国はそうはない。

 

 「もし私が無理にでも王位に就いてしまえば、国は間違いなく乱れるでしょう。貴方は少なくとも民にとっては確かに尊敬する名君なのだから。」

 

 イアソンが王位に就くには、ペリアスを排除するしかない。

 しかし、それをすれば多くの家臣や国民から反感を買うし、下手すれば内戦が起きる。

 それだけで済めば良いが、それが原因で外患を誘致してしまう可能性もあり、そうなってしまってはもう目も当てられない。

 そんな苦労を買ってまでしたくはないし、王位にも興味はないイアソンにとって、王位簒奪は余りにも損ばかりだった。

 

 「ですが、宣言ついでに少しだけ忠告を。女神ヘラ様が神殿を荒らされたとお怒りです。故に何らかの生贄を捧げるべきでしょう。」

 「何だと!?」

 

 先程の宣言にも度肝を抜かれたが、それ以上の事態に今度こそペリアス王と臣下達は青くなる。

 オリュンポスの神々、取り分け最高位の権威を持った女神達の女王であるヘラの怒り。

 それは国を滅ぼして余りあるものだった。

 

 「あの方は私に王位を取れとお告げしたが、今の宣言通りに私は既に放棄しました。だが、ヘラ様はそれでは納得すまい。」

 

 故にこそ、女神が怒気を収めるに足る生贄を。

 それはペリアスだけでなく、イアソンにも言える事だった

 

 「…イアソンよ。参考までに聞くが、其方なら何を女神に捧げる?」

 「ふむ…神々への贄は贄そのものだけではなく、真剣な祈りとそれを捧げる者の苦痛が肝要と聞きます。となれば、ただ単に価値あるものではなく、苦労して手に入れる必要もあると思います。」

 

 その言葉に、ペリアスはイアソンへの疑念を本当に消し去った。

 少なくとも、王位に興味がないというのは信じる事にした。

 でなければ、ここまでスラスラと助言は出てくるまい。

 もしペリアスを破滅させたければ、それこそ嘘の情報でも教えれば良い。

 だが、先程の宣言から続く一連の言葉に嘘は感じられなかった。

 イアソンからすれば、師から習った知識の一つに過ぎないのだが、それはさて置き。

 

 「では、それらの条件を満たす贄とは何だ?」

 「女神ヘラ様が満足するようなものとなると……そうですね、コルキスにあると言う金羊毛皮はどうでしょうか?入手のための難易度と宝そのものの価値を考えれば、これ以上は早々無いかと。」

 

 コルキスの金羊毛皮と言えば、黒海の果てにあるコルキスにある伝説の至宝である。

 その名の通り黄金の毛を持つ羊の毛皮であり、持つ者に富を齎すと言う。

 要は持ち主に高ランクの黄金律を付与する宝具。

 英雄の持つ個人のための武具ではなく、王や権力者が持つに相応しいものだった。

 

 「よろしい。ではイアソンよ、テッサリア王として命ずる。コルキスまで赴き、金羊毛皮を持ち帰れ。その後、女神ヘラ様へとそれを捧げよ。成功すれば、テッサリアで要職に任じよう。」

 

 イアソンはそれを聞いて愕然とした。 

 

 

 

 

 無論、断る事は出来た。

 出来たが、そうなった場合にヘラから被害を受けるのは当事者だけでなく、罪無き民であり、自分の母である可能性が高い。

 それだけは避けたかった故に、こうして今イアソンは無茶な試練に挑む事となった。

 

 「はぁ~………。」

 

 取り敢えず、可能な限りの準備はした。

 知り合いの英雄やそれに準ずる者達に、各地で名の知れた英雄へと手紙を出し、コルキスまでの案内兼現地でのガイドとしてアルゴスを雇った。

 更に黒海を超えるため、アルゴスの意見を最大限取り入れ、自ら設計した大型帆船アルゴー号の作成を開始した。

 ただ、必要な予算や資材なんかはペリオス王が国庫から出してくれるが、船員に関してはこちらで都合しなければならない。

 と言うか、そんな大冒険に普通の兵士や船員では不可能なのが目に見えていた。

 

 「師匠やケイローン殿、アルケイデスが来てくれれば大抵の事は一安心なんだけどなぁ…。」

 

 師匠二人は知識・人格・実力と言う点で申し分ない。

 とは言っても、師であるシビュレに関しては人格面ではギリシャ的な傲慢や強欲ではなく、別方面で怖いのだが…。

 アルケイデス、今はヘラクレスと言われる彼は言わずもがな、若くして既にギリシャ最大の英雄であり、彼がいるだけで道中の安全はほぼ確実に確保できる。

 

 「ま、10人も集まれば良い方だろう。」

 

 一応、手紙に関しては名誉欲や冒険心を煽りつつ、成功報酬に限るがペリアス王からの褒美も約束されている事が書いてあり、多少質は低くても危険な冒険に参加してくれる者は出てくるだろうとイアソンは考えていた。

 しかし、長い事理知的な(に見せている)師匠の下で育った彼は、ギリシャの人間や神々の愚かさと言うものを甘く見ていた。

 具体的には、成功報酬なのに極めて危険な航海への誘いに対し、ギリシャ中の英雄級の人材が50人も集まり、和気藹々と冒険への期待に胸を膨らませるという事態に対して頭を悩ませる事になる未来を、未だイアソンは知らなかった。

 

 

 

 

 

 


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