ギリシャ世界にて、未曾有の大災害を前にして、多くの者が思った。
(どうしよう?)
理不尽がまかり通る神話の世界においても更に理不尽な事態にあって、主神含む神々すら頭を抱える事態に、誰もが同じ様な考えに至っていた。
ゴルゴーンは現在、形の無い島にて眠りに就いていた。
島の中央にある山のカルデラ湖、その水中で蜷局を巻いて活動を停止している姿は、絶毒の発生も止まり、随分と大人しいものだった。
これには関係者も胸を撫で下ろし、急いで対策に明け暮れた。
だがしかし、ゴルゴーンの元となったメドゥーサの魔術の師であるヘカテーから、一つの情報が寄せられた事で事態は急変した。
「あ奴、戦えば戦う程に強くなるぞ。やるなら乾坤一擲で一度で済ますのじゃな。」
これを聞かされた神々の阿鼻叫喚と来たら、凄まじいものがあったと言う。
オリュンポスの大神殿は崩れ去り、今も絶毒に汚染されて誰も立ち入れず、直撃を受けたアレスは今もなお毒の苦しみにのたうち回るのを何とか無理矢理仮死状態にする事で大人しくさせていた。
何とか弟子の研究資料からヘカテーが作った毒抜きの薬を投与しているが、それでも復帰にはまだまだ時間がかかる見通しだった。
「封印するしかあるまい。幸い、奴は形無き島から動いていない。」
島ごと封印する。
それは島の住人である二人の力無き女神も含まれていた。
非道ではあるが、これ以上の被害拡大を考えれば、致し方なかった。
が、ここで事態は予想外の方向へと動いていく。
……………
形の無い島にて
「随分と大きくなったものね。でしょう、私?」
「そうね、私。あのメドゥーサが随分と変わり果てたものね。」
その双子は、ただただ美しかった。
魔性の声、幼くも妖艶な美貌、神性故の魅了の力。
しかし、それしか持ち合わせていない。
男を魅了し、破滅させる。
そんな生き方しか出来ない筈の存在だった。
だが、殊家族に対してはそうではなかった。
姉に従うべき末妹の癖に、ぎゃんぎゃん言いたい事を言ってくるおバカを覚えている。
それに普段の静かな態度をかなぐり捨てて、大喧嘩した事を覚えている。
それでいて、料理の腕前だけは中々なのが癪に触って、いつも絶対に美味いとだけは言ってやらなかった事を覚えている。
双子の姉は何十年と経った今も覚えている。
妹との大事な日々を。
妹が島を去ってしまう、それまでの三人での日常を。
「さて、おバカな妹の尻拭いをしましょうか、私。」
「そうね、私。だって、私達は姉だから」
「「妹の面倒くらい、見てあげなくてはね。」」
それは、異なる世界線には無かった事だった。
二人には戦う力はない。
ただ見守り続けるだけだった。
メドゥーサがゆっくりとゴルゴーンとなっていく事を。
自分達二人が異物として認識され、喰われる事を。
ただ、諦観と共に見続けるだけだった。
だが、この世界では違う。
まるで人間の様に慌てん坊でせっかちな妹と過ごす内に、ほんの僅かだが自分で行動する事を覚えたのだ。
それは本来の神霊としての彼女達には在り得ない変化だった。
「さぁ、長い間お出かけしたおバカさんに、たっぷりと聴かせてあげましょう。」
「えぇ、私達が長い間、結構頑張ってきたと言う事を思い知らせてあげましょう。」
そして、歌声が島に満ちた。
……………
ゴルゴーンの活動停止の報を受け、オリュンポスの神々は驚いた。
次いで、その報告が間違いではないかと確認した後に、事態の解明を始め、その結果にまた驚いた。
ゴルゴーン、もといメドゥーサの姉である双子のステンノとエウリュアレの歌声によって眠りに就いたと言うのだ。
これに対し、一部の神々はチャンス到来と考えたが、主神は現状維持を選んだ。
もし、ここで撃滅を選んだ場合、既に大方の傷を癒し、アレスよりも強くなったゴルゴーンを相手にする事になり、そうなれば主神含むオリュンポスの神々の中でも戦闘に秀でた者達が最低でも3柱、出来れば6柱以上で挑む必要がある。無論、その中から半数は脱落する事は間違いないと読んでいた。
寝た子を起こす必要も無く、もっと言えばオリュンポスの神々が減ってしまえば、現在の秩序が崩壊しかねない。
故にこその静観だった。
また、もしもゴルゴーンが動き出した場合、戦力を動員できる時間を稼ぐため、形の無い島を囲む形での防壁の作成をヘファイストスに命じ、ヘカテーに命じてゴルゴーンの力を減衰させる結界を敷設させ、更にプロメテウスが盗んだと言う原初の火を主な動力源としている事から、炉・竈を司るヘスティアの権能により炉心の出力を大幅に低下させる様に命じた。
こうして、何とかオリュンポスの神々はゴルゴーンを抑え込み、封印に成功した。
しかし、それは完全なものではなかった。
ゴルゴーンの髪が変じた蛇達。
彼らは本体であるゴルゴーンがほぼ完全にその活動を停止したと同時に行動を開始した。
なんと、本体から分裂し、独自の個体となって島から抜け出していたのだ。
これらの蛇達は形の無い島から周囲の島々や陸地へと泳ぎ、その地を拠点として生活を始めた。
とは言え、低出力ながらプロメテウスの火を用いた動力炉(便宜上「プロメテウス炉心」と呼称)を持つ彼らは通常の怪物ではありえない程の力を持ち、後にギリシャ中に繁殖していき、多くの怪物達となってギリシャの英雄達と戦う事となる。
その中には、正史におけるゴルゴーン討伐の勇者にして型月産成功したワカメことペルセウスも含まれており、抑止力の努力もあり、このシン・ゴルゴーンの存在を除けば、凡その流れを外れない形で神話は推移していった。
……………
「さて、どうにかなりましたね。」
はふぅ…とため息をつくのは戦犯こと元メドゥーサ、現在はアナと名乗っている女性だった。
既に少女の姿を脱し、美しい黒髪の女性となった彼女は現在はのんびりとギリシャを旅していた。
「これであの姉達にも最終就職先が出来ましたし、零落したとは言え迫害される事はないでしょう。」
無論、自爆装置も緊急停止機能もあった。
だが、アレスとの戦闘の結果、予想以上に強化されてしまったゴルゴーンはそれでは止まらない可能性が出てきた。
ほぼ自動機械に近いとは言え、それでも人格のベースは自分だ。
ならば、あの姉達の美貌に並ぶ唯一の取柄である歌ならば、静かに聞いてくれるだろう。
戦闘に関しては元々自衛目的なので、刺激さえされなければ本格的に動く事はない。
師匠であるヘカテー様を通じて、オリュンポスの神々にも周知させたので、今後も早々手出しされる事は無い。
取り敢えずは安心だった。
「とは言え、完全に安心できる訳ではなかろう?」
「勿論です。」
月と言うよりも夜の様な雰囲気を纏う美しい女神、メドゥーサにとっては魔術の師匠であるヘカテーの言葉にアナは即答した。
「触らぬ神に祟り無し。しかし、何時か必ずアレが解き放たれる日が来ると思います。」
テュポーンが結局主神をして封印するしかなかった様に、あのシン・ゴルゴーンもまた封印するしかなかった。
ならば、アレらが復活する可能性は常に存在する。
「プランは幾つか考えています。取り敢えず、これからのんびり実行していこうかと。」
「ふん、ここで未来の者達に託す、等と言っておったら首を刎ねたものを。」
ジロリ、とヘカテーが剣呑な視線を向ける。
まぁ例え死んだ所で彼女の領域へと送られ、今度こそ永久に料理長を務めるだけの話なのだが。
「ではお師匠様、これにて失礼を。何れ冥府のお世話になった時にまたお会いしましょう。」
「…まぁ良い。その時まで達者に暮らすように。」
そう言って、女神は霞となって消えていった。
さぁ、後は一人の人間として歩いていこう。
「とは言え、先ずは除染作業ですね。オリュンポスは兎も角、被害にあった地域はどうにかしないと…。」
一先ずの方針を定めると、アナは目的地へと歩んでいった。
メドゥーサが逝く 完
……………
「お願いします!どうかこの子だけでも…!」
「」
10年以上かかって何とか除染作業を終え、さぁ冒険の旅に出よう!と思っていた矢先、雨に降られたので仕方なく女神ヘラの神殿で夜を明かそうとしていた時の事だった。
唐突に赤子を抱えた何処か良い所の出だろう女性が血相を変えて飛び込んできたのだ。
「追われてるんですね?」
「は、はい!」
「今から姿隠しの魔術を使います。決して物音を立てない様に。」
取り敢えず、神殿で流血沙汰とか末代まで呪われるフラグなので、何とか凌ごうと思います。
これが後にアルゴノーツの長にして英雄船長イアソンの最初の物語になる事を、アナはまだ知らなかった。