メドゥーサが逝く   作:VISP

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第二話 メドゥーサが逝く2

 メドゥーサと言う女神がいる。

 彼女はギリシャ神話において、ヘルメスに並ぶトリックスターで知られている。

 その名前は「支配する女」を意味する、ギリシャ以前の古い起源を持った神性だ。

 しかし、ギリシャ神話においては、彼女は料理を担当する神として知られる。

 姉妹達と別れ、旅をしながら知識と技術を磨き、女神ヘカテーに弟子入りしてからが、彼女の人生は本番となる。

 

 従姉妹であるヘカテーの下を訪れたアルテミスが、メドゥーサの料理を発見、余りの香りに誘われてつい盗み食いをしてしまう。

 その初めての美味さに驚いたアルテミスはその料理を盗み、これを感知したヘカテーが激怒してアルテミスを追いかけ、ついにはオリュンポスまで追い掛けたのだ。

 そして、その騒ぎを聞いた他のオリュンポスの神々でも特に権威のある三神、即ちゼウス・ポセイドン・ハデスらによって、アルテミスが代価を払う事で決着した。

 しかし、彼らは争いの種となったメドゥーサの料理に興味を持った。

 アルテミスが我を忘れる程の美味なる料理とは、一体如何なるものなのか?と。

 ヘカテーは渋ったが、仕方なくメドゥーサにオリュンポス12神と自分のための料理を作る事を命じた。

 驚いたメドゥーサは大慌てで準備し、熱した油に衣をつけた食材を泳がす料理、生の野菜を美味しく食べられるようにした料理、水よりも冷えた黄金色の麦酒、麦酒に合う塩茹でした鞘入りの豆を用意した。

 これが今日におけるギリシャの伝統的な宴会料理の基礎となっており、現在は世界中に広がっている。

 オリュンポスの神々は最初は驚き、手をつけなかったものの、平然と食べ、次第にドンドン料理を平らげていくヘカテーを見習い食べてみた。

 すると、その余りの美味さに全員が驚き、猛然と食べ始めた。

 結果、その場に用意されていた食事だけでなく、予備の食材全てを消費し尽くすまで、漸くオリュンポスの神々のおかわりは終わらなかった。

 これにより、ヘカテーとメドゥーサは改めて無罪を言い渡され、オリュンポスの神々の要請があった時、宴の料理を担当する事を全員から告げられた。

 流石にこれは断り切れず、渋面のヘカテーの許可の下、決定された。

 

 この件でオリュンポスの神々に広く知られてしまった後、何故かメドゥーサは遠方へと長旅に出掛ける事にした。

 ヘカテーに許可をもらった後、メドゥーサは自身の血から魔術で二体の使い魔を生み出したと言う。

 それは翼を持った馬、空を駆ける白馬ペガサス。

 それは黄金の剣を持った巨人、剛力無双のクリュサオル。

 ペガサスに跨り、クリュサオルと共に、彼女は何処かへと消え去ったと言う。

 

 さて、メドゥーサがトリックスターと言われるのは此処からだ。

 長い間旅に出ていたメドゥーサは聡明な美女の姿に成長して、ギリシャに帰ってきた。

 ギリシャへと帰還後、彼女は直ぐにヘカテーの下を訪れ、新しく発見・持ち帰った多くの食材で料理を作り、喜ばせた。

 これらの食材、稲やジャガイモ、トマトやトウモロコシ、カボチャに白菜などは、やはり本来ならギリシャどころかヨーロッパ世界には無い、遺伝子的にアメリカ大陸や東アジア方面に繁殖するものだと判明している。

 更に、彼女の帰還を聞きつけたオリュンポスの神々により宴に呼ばれ、多くの料理を作った。

 それは一部では現在でもレシピが伝わっており、世界中で食される程だ。

 その美味さに感激した神々、取り分け竈の女神で知られるヘスティアは、どうにかこれを持ち帰る事は出来ないか?とメドゥーサに尋ねた。

 これにメドゥーサは「それは出来ません。しかし作り方をお教えする事は出来ます。」と言い、快く彼女に作り方を伝授し、同時にヘスティアに求める者がいればこれを他の者へも伝えてほしいと頼んだ。

 ヘスティアはその言葉に疑問を抱いた。

 

 「これ程の知識と技術、秘密にすればずっと貴方の立場は安泰でしょう。どうして教えるの?」

 「周りを見て下さい。」

 

 見れば、オリュンポスの神々は普段以上に料理に夢中になりつつも、心底この宴を楽しんでいた。

 普段は何かと気難しく、誇りの高すぎる女神達でさえ、今は純粋に宴を楽しんでいた。

 

 「美味しい食事は一人で食べるよりも、皆で食べる方が良いという事かな?」

 「はい。一緒に美味しい食事を取り、美味しさを、楽しさを共有する事が大事だと私は思います。」

 

 無論、時には一人で気楽に、とも思いますけどね。

 そう言うメドゥーサに、ヘスティアは快諾した。

 以後、ヘスティアが見守る多くの孤児達が農民や料理人を目指し始め、時にはメドゥーサから直接教わる事で、ギリシャの食文化は一気に花開いていく事になる。

 

 更にこの後、メドゥーサは魔術だけではなく、高名な戦士や兵士、英雄に狩人の下を訪れ、教えを乞うた。

 そうした人々には自慢の美食での持て成しを対価とし、彼女は多くの武術と狩猟術を身に着けたと言う。

 彼女の美食を目当てに、或はその美貌を我が物にせんと企んだ者も多くいたが、護衛のクリュサオルと彼女自身に撃退され、一人として成功する事は無かった。

 ギリシャ中を旅し、人々に美食を振る舞い、自身もまた見返りに人々から多くを得ていたメドゥーサの、この時期までが絶頂期だった。

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 望むままに魔術を、料理を、更に護身のため武術と狩猟術を鍛えながら、メドゥーサにはある悩みがあった。

 それは自分の中の古い女神としての部分の事だった。

 信仰を失い、オリュンポスの神々を信じる人々に迫害される部分のそれは、変質し、魔性のソレとなってしまった。

 そして、今か今かと憎悪を晴らす瞬間を待ち侘びていた。

 それがこのまま成長してしまえば、何れメドゥーサは消えてしまうだろう。

 ある程度は自身の使い魔と言う形で外に出す事に成功したが、それでも大本まで消えはしない。

 それがペガサスであり、クリュサオルだった。

 だが、それでは到底足りなかった。

 精々が時間稼ぎが良い所だった。

 なので、思い切って神霊としての肉体を捨てる事を決意した。

 適性のある人間に適当に恩を売り、返礼にその血液をサンプルとして採取し、それを元に自身の器を培養する。

 人造、否、神造のデミゴットとも言える者。

 これにより、自身は神霊としての性質の多くを捨てる事になるが、半神半人ならば鍛えれば十分にスペックの差を埋める事が出来る。

 凡そ5年の歳月を経て、メドゥーサは神霊から一人の人間へと転生した。

 しかし、それは神々からの干渉を産む結果となってしまった。

 人間になったのなら、何をしても良い。

 辛うじてあった傲慢な神々の自制心はこの時に消え、メドゥーサの料理の腕に些かの衰えも無い事が事態に拍車をかけた。

 神々の随獣や信徒達、命令を下された人々が彼女を追いかけた。

 無論、魔術だけでなく、人体を得てからは武術の鍛錬も行っていた彼女はその様な人々に捕えられる事は無く、ギリシャ中を放浪していた。

 既に当初の目的すら忘れて、彼女は嘗ての少女の姿のままに逃げ回った。

 それは彼女の魔術の、武術の腕前、そして二体の使い魔のお蔭だったが、ちっとも心身が休まる事はなく、鬱憤は溜まる一方だった。

 しかし、逃げ回る内に、ある策を思いついた。

 嘗て自身が捨て、しかし壊さずにとっておいた肉体。

 それには未だに保存してあるのだ。その中にある魔性と共に。

 メドゥーサはそれを利用する事で、自身の死を偽装する事を考えた。

 自身の嘗ての肉体を、魔性を助長し、更に強化するための改造を施し、英雄と言われる者達ですら手を焼く程の力を付けさせた上で、演出を行った。

 自身を追いかける者達の中でも特に質の悪い者達、トロイア王ラオメドンの部下達だ。

 彼らは自分の追跡を理由にあちこちに軍を進めては略奪や暴行を繰り返していた。

 そして、「恨むならメドゥーサを恨むんだな」とか言い捨てているのだ!

 これはもう報復されても仕方がなかった。

 改造を終えたメドゥーサは、使い魔を参考に簡単なプログラムを組み込んで、ある刺激を受ける事で発動する様にセットした。

 後は、自分の髪を黒く染め、服装も神霊だった頃に着ていた上質なものではなく、一般的なギリシャの人間の服装に変えた。

 これで準備は完了した。

 後は馬鹿共の進路に作成した人型ブービートラップを設置して終わりだ。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 追い立てられ、弱り果てた女神の成れの果てが兵士達に捕えられた。

 その成果にある者は喜び、またある者は嘆き、更に怒る者もいた。

 そして、捕えたトロイアの兵士達にとって、疲弊し、最早抵抗も出来ない嘗ての女神と言う存在は初めて見る程の極上の「女」であり、「獲物」だった。

 その兵士達の隊長は任務のためなら何でもし、更にその過程で自分の利益を何をしてでも出す様な、いわば卑劣漢だった。

 余りに目に余る蛮行を重ねようと、トロイア王ラオメドンにとっては分かり易く仕事は何でもこなす便利な部下であり、彼を止める者はいなかった。

 そんな男だから、目の前の美女に手を出そうとするのは自然な事だった。

 女の汚れた衣を破り捨て、弱弱しい抵抗を拳で黙らせ、さぁ事に至ろうとした時、

 

 女の眼が光ったような気がした。

 

 それが男の最後の記憶だった。

 

 

 

 

 ……………

 

 

 

 

 それは巨大だった。

 それは凶悪だった。

 それは強大だった。

 それは、美しかった。

 それが周囲を睥睨すれば、その視界に入っただけであらゆる生命が命を奪われ、石となった。

 それがゆっくりと移動するだけで、川が堰き止められ、岩が砕け、木々は倒れ、山が揺れた。

 それは黄金の翼を羽ばたかせ、神々の用いる金剛鉄であるアダマンタイトの鱗を全身に備え、小山を三度巻く程の長さの蛇体を持ち、猛毒の蛇となった髪を持ち、全身から猛毒の霧を放ち、口からは猛毒の吐息を放つ。

 それは怪物でありながら、それでもなお絶世の美女の姿をしていた。

 それの名は、大魔獣ゴルゴーン。

 後にギリシャ神話において、テュポーンと並ぶ神々の脅威とされた怪物の中の怪物だった。

 

 

 


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