メドゥーサが逝く   作:VISP

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第十三話 シビュレが逝く6

 「ペガサス!ヘラクレスを!」

 

 その言葉と共に、召喚された天馬が倒れ伏したヘラクレスの襟元を咥え、戦場から離脱すべく天を駆ける。

 

 「逃がすとでも!」

 「思ってませんよ!」

 

 それを見逃すゴルゴーンではない。

 空かさず絶毒の閃光を全身から放ち、天馬の予測進路上を隈なく照らす。

 

 「『梵天よ、地を呑め』!」

 「『梵天よ、地に沈め』!」

 

 叩き込まれた国殺しの絶技には、唯一つだけ定められた対処法が存在する。

 それは全く同質の攻撃による相殺。

 絶対に命中し、一撃で敵を殺し、大地すら汚染する、インドの英雄達の必殺技。

 それを怪物であるゴルゴーンが修めていると言う絶望的な状況に、もし見ている者がいたら絶句していた事だろう。

 

 (やはり使えましたか。)

 

 だが、シビュレに驚きはない。

 なにせアレは自分なのだ。

 技すら振るえぬ巨体にならまだしも、最大火力こそ低下したものの、今の最も強い状態なら使用できて当然だ。

 嘗て女神であった頃に修めた技を使われても、何ら驚くに値しない。

 

 (とは言え、目晦ましにはなりましたね。)

 

 絶技同士による相殺、その余波である熱量と閃光により、ペガサスは無事にヘラクレスを安全圏へと送り届けた。

 

 「今更他人の心配か?無駄な事を。」

 「えぇ、自分でもそう思いますよ。」

 

 この怪物を生み出した時点で、自分が誰かを心配する事など、ちゃんちゃらおかしい。

 だが、それでも…

 

 「譲れぬ一線は確かにあるのです。」

 

 不死殺しを成す停止の槍を構え、英雄達の師は告げる。

 今の自分に、恥じ入る事など無いのだと。

 

 「そうか。では、その一線の上で息絶えるが良い。」

 

 絶毒を孕んだ紫の光が、全方位を照らし出した。

 

 

 ……………

 

 

 「ぐ、ぬ……。」

 

 ヘラクレスが目を覚ました。

 全身がくまなく痛い。

 この様な痛みは難行の時でも早々無く、師匠二人による実戦形式の修行以来だった。

 少なくとも攻略法さえ分かれば締め上げるだけのネメアの大獅子よりは、ケイローンとシビュレと言うギリシャ屈指の実力者二人からの修行の方が遥かに辛いと感じられた。

 

 「ぶるる!」

 「そうか、お前が運んでくれたのか。」

 

 首を巡らせれば、そこには見事な天馬がいた。

 純白の毛並みと猛禽の翼を忙しなく動かしているのは、それだけ本来の担い手が心配なのだろう。

 

 「ぶる!」

 「む?これは…」

 

 天馬が鞍に括りつけられた小瓶を指し示す。

 ヘラクレスは促されるままにそれを手に取ると、不意に甘い桃の香りが小瓶から漏れ出た。

 

 「これを飲めと言うのか?」

 「ぶっふー!」

 

 鼻息も荒く頷く天馬に、ヘラクレスも何らかの意図があるのだろうと素直に飲む。

 

 「おお…!!」

 

 それは余りにも芳醇な桃の味がした。

 蟠桃と言われる、中国神話の不老長寿を齎す果実、それをシビュレが一からギリシャの地に合う様に育てた樹。

 その一番最初に取れた桃を果実酒にし、神酒として加工したのがソレだった。

 本来の蟠桃が神仙向けの長期間作用するものなら、こちらは人間向けの短時間の内に劇的に作用するものだった。

 消耗した体力も、損傷した肉体も、流失した血液も。

 それら全てが一瞬で回復し、これまで経験しなかった程に身体の調子が上がっていく。

 破損していた得物も事前に付与された自己修復機能が作用し、新品同然となっている。

 であれば、最早何の憂いも無かった。

 

 「得難い敵に美味い酒、しかもこの様な名馬まで……本当に、シビュレ殿には頭が上がらんな。」

 

 ヘラクレスはあの大怪獣相手に孤軍奮闘しているだろう師匠に感謝を捧げた。

 無論、彼女が隠している事は凡そ把握している。

 というよりも、ゴルゴーン討伐隊の面々はゴルゴーンの映像を見た時点で凡その事情を察していた。

 察していたが、彼女の言い分に従うべきだと戦況を見て判断した。

 それは国を焼かれたヘクトールも同じであり、しかし荒れた国で復興作業を手伝ってくれた彼女を彼も信じた。

 だからこそ、ヘラクレスも最後まで彼女を信じる気だった。

 彼女が自ら裏切ったと告げるその時まで。

 

 「待たせたな。往こうか、天馬よ。」

 

 母親の危機に今にも飛び立とうとしている天馬の元に、ヘラクレスは大斧を握って歩み寄った。

 

 

 

 ……………

 

 

 (空が、狭い…!)

 

 二種の縮地、それに幻影を作り出す魔術を併用して、漸くシビュレは未だに墜ちずにいた。

 傍目から見れば、無数のシビュレに翻弄されたゴルゴーンが闇雲に眷属を放ち、光線を照射している様に見えるだろう。

 事実この状態になって、既に一時間近く経過しているため、あながち間違いではない。

 だが、真実は異なる。

 

 (魔力総量は低下している筈ですが、炉心が三つもあれば十分と言う事ですか。)

 

 無尽蔵の魔力供給源を持つゴルゴーンに対し、シビュレのそれは常人よりも遥かに多く、英雄達の殆どに優越しているとは言え、それでも単なる魔力回路である。

 現代の魔術師が自転車の自家発電程度であるのに対し、大規模施設にある発電機程度の生産量はあるだろうが、複数の原子力発電所を持つ程のゴルゴーンに敵う道理はない。

 

 (しかも、こちらの機動を予測していますね。)

 

 加えて、度重なる千日手を崩すため、ゴルゴーンは光線の射撃と機動予測の精度を上げるべく、脳髄の処理能力の強化まで行い始めている。

 それは戦えば戦う程、シビュレが不利になっていくと言う事だ。

 

 「どうした?何もせぬなら、このまま詰むぞ?」

 

 自らの有利を知るが故に、ゴルゴーンが嘲笑と共に言い放つ。

 

 「所でゴルゴーン、少々聞きたい事があるのですが。」

 「何だ?」

 

 それに返されたのは、単なる疑問だった。

 高機動を一切緩めないシビュレからの問いに、ゴルゴーンもまた対空迎撃を一切緩めずにその問いを聞いた。

 

 「今の貴方からは、多くの感情を感じます。何故その方向にまで成長したのですか?」

 

 それは設計者であるが故の、起源を同じくするが故の問いだった。

 本来の設計通りなら、それこそゴルゴーンはここまで流暢な会話を出来る筈もなく、況してや感情を獲得する事などなかった。

 単なる怪物として、単なる災害として、単なる人形として、英雄か神々に討たれる事がその役目だった。

 それまでに神々を含む多くの愚かな者達を殺す事こそ期待されたが、今のゴルゴーンは明らかに必要と判断された以上の力を持っている。

 だが、だからと言って、その役目を忘れていると言う訳でもない。

 トロイアを焼いた時、ゴルゴーンは確かに生かすべき人を選別し、愚かしいと判断した者達を殺し尽くした。

 恐らく、後半世紀はトロイアの人口は嘗てまで戻らないだろう。

 それだけの人命を殺し尽くしたのに、凄まじいまでの射撃精度を持って、ゴルゴーンは無駄な人死にを出さなかった。

 それは、単なる被造物には無い筈の感情だった。

 殺戮兵器にそんなものはいらない筈だった。

 しかし、ゴルゴーンは何故か感情を得て、今はこうして会話できるまで成長していた。

 

 「なんだ、そんな事か。」

 

 一体何が彼女にこんな事をさせる原因となったのか?

 

 「私は貴様が捨てた、貴様の中の魔性だぞ?それは肉体に由来するもので、貴様と言う魂の有無で左右されるものではない。だが…」

 

 にたりと、怪物となってなお美しい容貌が嘲笑に歪む。

 

 「美味かったぞ。貴様が周囲全てに持つ嫌悪の感情は。」

 

 ゴルゴーンと言う魔性は精神ではなく、メドゥーサと言う女神の肉体に由来するものだった。

 しかし、それを厭ったメドゥーサは己の女神としての身体を捨て、人として生きる事を選んだ。

 そして、肉体に残った魔性は自身に向けられる信仰ではなく、人々の謂われ無き迫害と憎悪の念を吸い、自身の宿主が持つ嫌悪の感情を苗床にして育った。

 平成と言う平和な国の最も平和な時代に生まれた者にとって、このギリシャに住まう者の殆どは唾棄すべき愚か者だった。

 故にこそ、彼女の嫌悪は蓄積され、しかし自身の価値観の押し付けはすべきでないと言う考えから行き場を無くして蓄積され続けた。

 これが単なる人間なら、そう問題にはならなかった。

 しかし、メドゥーサは女神であり、迫害される者であり、内に魔性を持つ者だった。

 結果として、メドゥーサの中の魔性はすぐ傍にあった鬱積した想念を餌にして、彼女の身体の中で育っていった。

 そこまで育ったのなら、最早目障りな縛りを食い破り、自我を獲得する事に何ら不思議はない。

 自己進化機能なんて、お誂え向きのものまであれば尚更だ。

 そして、そんなものを食い続けたゴルゴーンが願う事は一つだけだった。

 

 「私は私なりの理念を持って、この世界に住まうあらゆる愚者を根絶やしにする。」

 

 それはギリシャ世界だけでなく、この地球上の愚者全てを指していた。

 愚者への嫌悪、謂われ無き迫害。

 そういったものを土壌として育った存在にとって、或る意味では真っ当な願望だった。

 

 「やはり、そうでしたか…。」

 

 そんな真相を聞いて、しかしシビュレは納得の言葉を吐いた。

 自分の組んだシステムは完璧ではないにしても、相応に完成度の高いものだった。

 それを

 

 「ですが、それは人間を切り分けるという事です。」

 

 だが、それは美醜の切り分けだ。

 美しいからとその部分を剥ぎ、残りを汚いからと投げ捨てる。

 それこそ何処ぞの獅子がやった様な、下劣な行為に他ならない。

 

 「どれ程の汚濁であっても、どれ程の清廉であっても、どちらも人間なのです。」

 

 だからこそ、シビュレは多くの弟子を取り、世に送り出した。

 少しでも美しい者が増える様に。

 少しでも賢明な者が増える様に。

 少しでも愚行が減る様に。

 少しでも尊いものの割合が増える様に。

 それは人間だから、人と人の間で生きるからこそ出来る事だった。

 

 「よく言う。私をここまで肥えさせたのは貴様だろう?」

 「えぇ、だからこそです。」

 

 にこりと、シビュレは穏やかな笑みを浮かべた。

 何時しか止んでいた攻撃の中、汚染された大地の上で、嘗て女神であった者は穏やかに微笑んでいた。

 

 「貴方は結局、私の一部に過ぎません。こうなったからこそ分かりました。」

 

 トロイアを焼き、ゼウスを撃破し、国土を汚染し、アレスを毒で汚染したゴルゴーンは、紛れもなく自分自身だとシビュレ、否、メドゥーサは悟っていた。

 ゴルゴーンの成した行動は、どれもこれも自分が望んでいたものだったから。

 

 「もっと前に、史実通りに、私は死んでおくべきでした。」

 

 少なくとも、世俗との交わりは完全に断つべきだった。

 そうであれば…否、何をしていなくとも、何れ己の内の魔性に呑まれていただろう。

 それでも、これ程までに多くの被害が出る事は無かった。

 それこそ、自分の嫌悪する愚かしさそのものだった。

 

 「後悔先に立たずとはよく言ったものです。」

 「あぁ。しかし、幾ら後悔した所でもう遅い。」

 

 ずるり、とゴルゴーンの蛇体がシビュレの周囲を取り囲んでいた。

 最早逃げ場はない。

 何処に跳んでも、何処に飛んでも、シビュレの回避の癖を計測し、次の動作を読み切ったゴルゴーンにとって、シビュレは完全に詰んでいた。

 

 「此処で降参すれば、殺しはしないでやるぞ?」

 「貴方の中で生き続けるなど、それこそご免ですよ。」

 

 別たれたものなら、もう一度一つになる事に何ら不思議はない。

 少なくとも、ゴルゴーンにとって今後の活動にシビュレが得ていた知識や経験は役立つだろうと考えていた。

 ギリシャだけではなく、他の神話世界において、その地の愚かな者達を滅ぼすためには力ではなく、寧ろ知恵や創意工夫が必要だった。

 怪物であるゴルゴーンにそれは殆ど無く、逆に人であるシビュレにはそれがある。

 無論、こうして反対されたのなら、頭を砕き、脳漿を啜る形で手に入れるつもりだ。

 まぁ、例え消し飛ばして無理になっても、残念だがそれだけだったが。

 

 「貴様を食らって、私はこのギリシャからあらゆる愚かしい者を一掃する。その後、他へと進出する。」

 「無意味な事を。言ったでしょう、人は正邪・善悪・生死・賢愚を離せない。それらは背中合わせの双子なのですから。」

 「であれば、私はそれを人が滅ぶまで続けよう。」

 

 ゴルゴーンの周辺の大気が流動する。

 既に掌握された大気は、ゴルゴーンにとっては新たな感覚器官に等しい。

 最早シビュレの一挙手一投足の起こりどころか僅かな前兆すら感知し、その後の動作を正確に予測できる。

 何をした所で、もうシビュレに打つ手はない。

 

 「では致し方ありません。」

 

 だと言うのに、シビュレには一切の恐怖は無かった。

 彼女達にとっては死は身近であり、冥府には幾度となく通った身なので、今更ではあるが。

 それでも、ゴルゴーンはその姿に違和感を感じ取り、同時に索敵範囲を周囲数kmまで拡大する…

 

 「往きます。」

 

 その瞬間を見計らった様に、刹那の虚を突く形で、シビュレは動き出した。

 

 

 

 

 

 

 


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