予言の日、再びテッサリアに集ったアルゴノーツ達は、一年の間で以前よりも遥かに精強となっていた。
更に、嘗ての面々に加えて、イアソン率いるヘカテーのシビュレの弟子達も参加し、その陣容はギリシャ世界史上において、類を見ないものだった。
具体的にどの程度強化されたかと言うと…色々と酷かった。
先ず、全員に配られたのが腕輪型の補助礼装である。
真鍮製のそれは全身に小規模の対絶毒結界を展開し、直撃こそ防げないものの、空間に満ちる絶毒で死ぬ事は無くなる。
また、念話による素早い意思伝達を可能とし、指揮官や後方支援と前線の英雄達の相互の連携を可能としている。
他にもある程度サイズ変更が可能であり、メディアの様な少女やヘラクレスの様な大男でも装備可能である。
後に、アルゴノーツの腕輪と呼称される。
次に、アルゴー号である。
こちらは殆ど新造と言っても良い位に弄られているため、名称もアルゴー二世号と改められている。
先ず船体そのものを延長し、容量を確保した上で、船体表面を金剛鉄アダマンタイト製の板で覆い、内部は同様の補強材で構造を強化、更にヘカテーの加護によって空力制御を行い、飛行を可能とする(風力及び櫂による人力と魔力推進を採用)。
また、ヘカテーによる空力操作を応用する事で船体全体に大気の障壁を纏い、ラムアタックを可能にしているが、船体への負担が高いので余り推奨されない。
内部には食糧庫だけでなく、武器庫や魔術師達の共同工房、医療設備にキッチン・バス・トイレがあるため、アルゴー号以上に長期間の航海でも問題なく可能としている。
更に甲板には腕輪と同様の効果を持つ対絶毒結界展開装置とヘスティア神より無理を言って譲ってもらった「火の無い炉」が設置されている。
この火の無い炉は近くにある他の炉から火を奪う効果があり、射程内ならばプロメテウス炉心の出力を低下させる事も出来る。
こうした数重の防護手段を以て、対ゴルゴーン戦では前線指揮及び各種支援を行う事が想定されている。
そして、ヘラクレスである。
彼は修行には殆ど参加できなかった上、未だに12の難行を10までしか終えていないため、全盛期とは言えない。
つまり、11回目の難行である黄金の林檎を持っておらず、その神々の果実の力である驚異的な回復、それも命のストックすら回復してしまう程の代物を持っていないのだ。
幸いにして山脈ぶっ壊し済みなので、既に素で対国宝具なみの事は出来るのだが(白目)。
しかし、彼には是が非でも頑張ってもらうため、
その一つが対ゴルゴーン用の専用武装として作成した超高圧縮金剛鉄製の大斧だった。
大量の金剛鉄を局所的重力操作によって長時間に渡り圧縮して成形したもので、想定されるゴルゴーンの鱗の倍近い密度を持っている。
柄こそ槍の様に長く、実質的にはハルバートに近いものの、刃の部分のみ分子数個分程度の薄さになっており、振るえればゴルゴーンの鱗でも十分に切断する事が出来る。
ただし欠点として、圧縮しただけ重量が嵩んでしまい、2トン近い重量を持つ。
その余りの重量に振るえる者は極僅か、使いこなして技を放てるとしたら、それこそヘラクレスか彼に並ぶ大英雄級しかいない。
他にも、どうしても刃毀れしやすい欠点があるが、こちらは自動修復機能を付与する事で対処した。
結果、やたら切れ味良いのに刃毀れしやすく、しかし刃毀れしたと思ったら敵の体内に金剛鉄製の刃が残り、本体は直ぐに回復すると言う滅茶苦茶
まぁ、こんな効果が無くてもその重量と強度とヘラクレスの剛力でどうにでもなりそうではあるが。
もう一つは純粋に技量的なものだが…習得できるかはヘラクレス自身にかかっているので除外する。
ここまで準備して、しかしアルゴノーツ達には、ゴルゴーン討伐隊には一切の慢心も油断も無かった。
と言うのも、彼らは見ていたからだ。
アナもといメドゥーサの放った監視用の使い魔からの映像によって、主神の雷霆を受けながらもなお反撃し、撃退してみせた大魔獣の姿を。
多くの者が呆気に取られ、次いで絶望に心折られそうになる中、あっけらかんとした声が響いた。
「成程。主神の雷霆となれば、まだ防がなければ耐えられないんだな。」
イアソン、この場の多くの英雄達の指揮官である彼の言葉に、全員がハッと気づいた。
もしゴルゴーンが主神よりも圧倒的に強ければ、ゴルゴーンは雷霆を防ぐ事すらせずに反撃した筈だ。
なのに、防いでから反撃したと言う事は…。
「つまり、奴は決して不死でも不滅でもない。殺す事は可能だ。」
それなら勝算はある、と豪語するのはギリシャ随一の大英雄ヘラクレスだ。
彼の場合、一般的に不死や無敵と言っても良い怪物であろうと、その生命力や再生能力、不死性や無敵性の限界や隙を剛力と技と知恵で突いて倒しているので、余計に説得力があった。
「えぇ、その通りです。」
そう言って現れたのはアナである。
嘗て別れた時の様な、白いローブに身を包んだ少女は一同の考えを肯定した。
「ゴルゴーンは決して不死身でも無敵でもありません。そのための変化であり、進化なのですから。」
元々、ゴルゴーンの元となった女神メドゥーサは偶像として完成していた二人の姉と違い、成長する性質を持っていた。
偶像、美の極致であるべき身からの変化、或は劣化を産まれた時から定められていたのだ。
そして、神話の中で幾度も変化し、同時に周囲にも変化を齎した。
単なる地母神の身でありながらヘカテーに弟子入りし、魔術と料理を修め、神々すら虜にした。
また、天馬に乗って世界中を飛び回り、多くの作物や料理、知恵や文化、技術を広めた。
同時に、多くの兵士や戦士、職人や魔術師に料理人から教えを乞い、決して鍛錬を怠らなかった。
遂には停滞する神としての生き方を嫌い、人となって生きようとした。
けれど、その美貌と料理の腕前故に多くの神々と権力者から追われ、最後には愚かな者達への怒りから怪物となり果てた。
それがメドゥーサと言う女神の現在知られている結末だった。
「さて、そろそろ私もこの未熟な姿ではいられませんね。」
「あ、漸く戻るんですね。」
アナとイアソンの言葉に、ケイローンやシビュレの弟子達の中でも一部の察した者達を除いて、多くの者達が疑問符を上げる。
そんな中で、不意にアナの姿がブレた。
同時、その姿が早送りの様に急速に成長していき、ものの一分程で絶世と言っても過言ではない程の美女の姿となった。
そして、その美女の姿にはこの場の全員が見覚えがあった。
「ヘカテーのシビュレ様!?」
「その通り。さて、私の弟子でありながら見抜けなかった者は後で補習ですよ。」
黒髪を風に棚引かせ、メリハリの効いた肢体を白いローブで隠しながら、多くの職人や英雄達の師匠である女傑はそう言ってにっこりと威圧感と共に笑ってみせた。
なお、該当した弟子達は「変身と変装は違う」と言って補習を逃れようとしたが、「本来の姿と気づかれない様に変化する事は共通しているので却下です」と返されたと言う。
……………
トロイアにて
「あー…こりゃ絶望的だねぇ…。」
トロイア王族の一人、ヘクトールは空を見上げながら呟いた。
後に輝く兜と言われるこの英雄も、今は単なる青年であり、一王族に過ぎない。
しかし、王族の務めとして、父であるポダルケースらと共に民衆の避難の指揮を行っていた。
無論、ゴルゴーン相手に時間稼ぎも考えられたが…誰もがその異形を見て、挑む事を止めた。
「おらぁ足を止めるな!一人でも多く、少しでも遠くに逃がすんだよ!」
空を飛ぶ山脈並の巨体に、人々は呆然として動かない。
しかし、彼らに檄を飛ばす事で無理矢理にでも人の列を動かし、避難を続けさせる。
だが、それがあの化け物に意味があるとは、彼自身も思っていなかった。
(だが、やらないよりゃマシだ。全方位にばらければ、少しは生き残ってくれるかもしれん。)
そんな希望的観測の下、ヘクトールと指揮下の兵士達は職務を果たし続ける。
しかし、頭上でゴルゴーンが全身から紫色の光を放ち始めた時は、流石の彼らも動きを止めた。
「やべ、死んだかな?」
そして、光が放たれた。
……………
「急げ!急がんか!馬など使い潰して構わん!」
トロイア王ラオメドン。
老いてなお息子に王位を譲らず、神々すら敵に回してまで放蕩の限りを尽くすと言う、ギリシャの王達の中でも特に暗君と言われる男だ。
「しかし王よ!余りにも荷物が多すぎます!このままでは山を越える事は…」
「五月蠅い!ならば貴様らも押せ!少しでも急ぐのだ!」
だが、今彼は普段汚れ仕事ばかりさせる駒達と共に、国庫から搔き集めた財を馬車に載せるだけ載せ、自分の治める国から必死に逃げ出していた。
元より、彼の頭にあるのは自分の栄誉と富だけであり、そのために肉親すら神々の生贄と捧げた事もあった。
『■■■■……。』
だが、彼の存在を確かに視認する者が空にいた。
雲と同じ高さで空を悠然と飛ぶゴルゴーン。
自分を作り出したオリジナルを追い回した上に、自身の栄誉・権力・富のためだけに多くの人々を苦しませ、それを恥とも思わぬ愚物たるラオメドン。
その瞳は明確な怒りと共に、彼女が最も嫌う典型的なギリシャ的人間へと向けられていた。
『■■…。』
魂魄すら残す事を許さぬと、ゴルゴーンは絶毒を孕んだ光を放つ準備を始める。
全身に11あるプロメテウス炉心の内、1基のみを稼働させながら、絶滅の意思と共に口内に光を収束させる。
地表に対して使用するため、先程主神に放った出力の十分の一以下だが、それでも十二分に愚か者達を魂魄ごと消滅させる事は出来る。
更に、その女神としての名残である人々の心の内を覗く機能を持って、トロイアの民を選定し、残すべき者達をリストアップしていく。
やがて全ての準備が終わると、ゴルゴーンは再び口を裂ける程に開き、真名を解放した。
『自己崩壊・終末神殿。』
そして、光が降ってきた。
「ぬ?何g」
それが老王ラオメドンの最後の思考だった。
放たれた閃光はそのまま都市国家たるトロイアの外周を覆う様に照射され、一足先になりふり構わず逃げ出そうとしていた有力者らを焼き尽くしていった。
次いで、一旦照射が止まると、今度はゴルゴーンの全身から無数の光が放たれていく。
これは先程の口内からのものとは格段に威力が低いものの、圧倒的な数で以て、建物の屋根等を貫きながら、トロイア市民らを明確に焼いていく。
しかし、子供や妊婦は狙われず、ゴルゴーンの価値観で悪、或は愚かと看做された者だけが焼かれていく。
それはラオメドン程の速さではないが、それでも国と民に見切りをつけて、財貨を有りっ丈持ちながら逃げようとしている王族らにも向けられた。
ゴルゴーンはそれら全てを容赦なく光線で切断、或は貫通していった。
その時間は5分にも満たなかった。
満たなかったが、終わった時、トロイア市民の数は4割にまで減っていた。
その程度で済んだ事を喜ぶべきか、失われた命の多さを嘆くべきか。
どの道、生き残ってしまった数少ない王族として、ボダルケースとヘクトールを始めとした子供らは、荒廃した国の舵取りをする羽目になった事だけは確かだった。