アンリマユ。
ゾロアスター教に出てくる悪を司る側の最高神。
この世にある全ての悪と害毒を創造したとされるまさに『絶対悪そのもの』といった存在。それが悪神アンリマユ。
「アンリマユは神霊だ。聖杯ごときでどうにかできる訳ない……タマモと同じ分け御霊か?」
生前共に戦ったタマモは天照神が『人として生きてみたい』という思いから、自らの分け御霊を現世に降ろした事で誕生した存在であり、タマモはその霊核を英霊レベルまでスケールダウンさせる事でサーヴァントとして現界していた。他の神が似たような事をした可能性はある。
「いいえ私は英霊よ。あくまでもある一人の人間が『この世全ての悪であれ』と望まれた結果、悪神アンリマユと同種の力を得ただけの人間。だから本物のアンリマユの足元にも及ばない。むしろサーヴァントでは何も出来ない最弱なサーヴァントだと自負しているわ。なんせ元はただの一般人ですから。ああでも人間を殺すのだけは得意よ♪」
愉快そうに笑って答える目の前のアンリマユ。だが……もし彼女の言葉が本当なら、そんな笑って済ませていい事だろうか?
この世の全ての悪であれ。それは言ってしまえば『他者を善とするために悪を押し付けられた存在』ということだ。それもアンリマユなんて悪神レベルのだ。それはいったい、どんな壮絶な前世だったのだろう。
笑ってはいるが、目の前の相手は理不尽に多くの物を剥奪されて来たはずだ。
「あら、同情してくれるの? でも私のこの姿と性格は外にいるアイリスフィールのオリジナルであるユスティーツァという『大聖杯の核』であるホムンクルスのもの。元々の私には性格や容姿と呼ばれる物は無いのだから」
「……同情なんて出来ない。自分には想像できないから。でも……ただ悲しくて許せないだけだ」
どうして誰もこの人を助けなかったのだろう。
どうして誰もこの人を想わなかったのだろう。
くそ。英霊の話はいつだって……分かってる。彼等にとっては今話している事はもう過ぎていった出来事だ。
だから……彼等は笑って語るのだろう。そんな事もあったな、と。
ならせめて例え要らぬお節介だとしても、今こうして相手を想える自分が代わりに悲しもう。怒ろう。否定しよう。肯定しよう。
だってそうじゃないと……寂しいし、悔しいじゃないか。
「……あなたは本当に変な人ね。まったく調子が狂っちゃうわ」
そう呆れたような表情で溜息を吐いた彼女に自分は改めて状況の説明を求めた。
「そもそもここは何処なんだ?」
「ああ、まずはその辺りから説明しないとね。いいわ、私は全てを知っている。だから色々と教えてあげる」
そう告げてから、アンリマユは多くの事を教えてくれた。
まず冬木には二種類の聖杯が存在すること。
聖杯戦争の全ての術式を管理し、魔力を貯蔵する大聖杯。
その大聖杯の器であり核となっているのがアンリマユが自我と容姿として纏っている存在、ユスティーツァ・リズライヒ・フォン・アインツベルンというホムンクルス。
もっとも、アンリマユの話では外の彼女は既に精神は崩壊していて術式を起動し続けるだけの存在となっているらしい。
そしてもう一つがアイリスフィールが器となっていた小聖杯。最終的に大聖杯と繋がり、その魔力を持って願望機としての使命を果たす聖杯。
因みにだが大聖杯の機能によれば、サーヴァント七騎が一つの勢力に集まってしまった場合に備えてあと七騎呼ぶ事もできるらしい……どんだけの魔力量だ。
次に聖杯が汚染された理由。
元々聖杯は無色であった。しかし第三次聖杯戦争においてアインツベルンのサーヴァントとして呼ばれたアンリマユが負けて聖杯にくべられた時に全てが狂った。
この世の全ての悪であれ。という願いによって生まれたアンリマユを取り込んでしまった願望機である聖杯は、そのアンリマユに宿っている願いを『叶えてしまった』。
そう既に叶えてしまったと言う訳だ。
結果、大聖杯に宿る聖杯の意志は『この世の全ての悪』として顕現しようとしている。という訳だ。
「つまり、目の前のあなたが、英霊アンリマユが顕現するって事か?」
「あ~いえ、そこちょっと解釈が難しくてね。今の英霊アンリマユは『聖杯の意志』と『元の英霊である私』の二つの意志が存在してる。聖杯の意志はもちろん悪として現世に顕現しようとしているけど、私は別に世界や人間なんてどうでもいいと思ってるわ。だってどっちも勝手に滅ぶんだから」
本気で興味ないって感じだ。
まぁ当然か。アンリマユは存在が悪なだけで自身が悪とか善とかはどうでもいいタイプなのだろう。というか、たぶんその辺の主観も剥奪されているから、その辺の価値観も殻の人格次第なのかもしれない。
で最後に自分がこんな所に呼ばれた理由だが、まぁ予想通り聖杯によって連れ去られたらしい。
なんでも自分がこの世界に生まれた時から聖杯は『新しい器』として目を付けていたらしく、早々に令呪を与えたんだとか。勝者として取り込むか、器として取り込むかは些細な事だったらしい。
今回はアイリスフィールが開放された為に、器として自分を早々に取り込もうとしたんだそうだ。
「もっとも、失敗したわけだけどね。肉体と魂はかなり侵食されたけど、あなたの精神と意志までは汚染できなかった。だから聖杯はあなたと完全には繋がる事が出来なかった。結果、私の領域までやって来た」
アンリマユ曰く、大聖杯はあくまで炉心であるため、『この世全ての悪』として覚醒するにはどうしても器が必要らしい。
話を頭の中で纏める。
「……つまり、現状では自分が聖杯の器にならなければ『この世全ての悪』は顕現しないという事か?」
「そう単純じゃないわ。見なさい」
そう言ってアンリマユが空を指差す。
……あれ?
「穴が……広がってる?」
見れば先程よりも穴が大きくなっている気がした。
「ええそうよ。さっきも言ったけど聖杯はあなたを逃がさない。私の領域に逃げたとは言え、ここは聖杯の腹の中であり私と聖杯の領域バランスなんてせいぜい九対一。聖杯がその気になればすぐに塗りつぶせるわ」
「ここが塗りつぶされるとどうなる?」
「どうもこうも、私はあくまで『英霊アンリマユの意志』でしかない。領域が塗りつぶされれば私も聖杯の意志に飲み込まれるだけよ」
なるほど。
つまりここが飲まれればまた何も考える事ができず、無為に動き回るだけの存在になってしまう訳か。なんとか考える知性がある内にこの状況を打開しないと。
魔術が使えないか試すがダメだった。なんというか、何かに拘束されて魔力その物が感じられないという感じだ。
魔術での脱出は不可能。物理、いや不可能だ。
「……外に出たいかしら?」
「え?」
考え込んでいるとアンリマユが笑みを浮かべてこちらを見詰めていた。
「私なら、あなたを外に出して上げられるわよ」
「本当か! でもどうやって?」
「簡単よ。私があなたの『外に出たい』という願いを叶えるだけ」
アンリマユの言葉に驚くと同時に、彼女の言葉の意味に気付く。
「……そうか、聖杯は君を取り込んで悪性を得た。対して君は聖杯と繋がって『願いを叶える』という権利を得たのか」
「正解。基本的に私と言う意思が在る事が前提な上に、興味を抱かないと叶えないんだけどね。今は久しぶりに誰かと話せて気分がいいから、願いを叶えてもいいわ。まぁ無事に出れるかどうかは分からないけどね」
だが他に方法は無い。
そう覚悟を決めようとして、ふとある事に気付く。
「どうしてアンリマユは自分の願いを叶えて外に出ないんだ? あれだけ外に興味を持っているのに」
アンリマユの話を聞いていると、彼女はだいぶ外の世界に興味津々の様子だった。
だからこそ、その願いを叶える力で自分の望みを叶えればいいはずなのに彼女はずっと、この聖杯の底にいる。
「……聖杯も私も、所詮は『願いを受け取る側』だもの。例え叶えたい願いがあっても、私達にはその権利が無い。だから聖杯も私も『他人』が必要なのよ」
……そうか。そういうことか。
ようやく理解した。
アンリマユは別に好きでここに居るわけではない。
この英霊は、不幸にも死して尚、他者の願いに縛られてしまったのだ。
こんな何も無い場所で、ただ悪として生まれるその時まで、ただただ……『英霊になった人物が残したこの領域』で。
――ふざけるな。
なんだこの理不尽は。こんな事が許されていいのか。
だってこの英霊は生前にすでにどんな存在よりも理不尽な扱いを受けたではないか。
それなのに英霊となってまでこんな理不尽を強いる。そんなのない。あっていいはずがない!
「……随分憤っているけど、あまり意味無いわよ? 世の中にはどうにもならない事もあるわ。それはあなたも理解しているでしょ?」
ああもちろん。だだそれは『やれる事』を全てやってから『ああ仕方ない』と納得する為のものだ。
考えろ。どうすれば『自分とアンリマユの両方』を助けられる。
考えろ。考えろ。思考を全力で回せ。最適が無いなら最良を、最良がダメなら最善を、お前はいつだってそうやって考える事だけは続けてきたはずだ。
気付けば穴はさらに広がり空を覆う。大地が侵食を始める。
「時間が無いわ。急がないと『私』も完全に同化して覚醒する」
同化……同化?
不意に、脳裏に浮かんだ一人の少女と一人の魔人。
自然と、口元に笑みが浮かんだ。
「……あった」
「え?」
「あったぞ。自分も生還し、アンリマユを『外に出す』方法が」
時間が無い。アンリマユへと振り返り、彼女の手を取る。
「アンリマユ、願いが決まった。叶えてくれ」
「え、ええいいけど。何を願うつもり?」
驚き戸惑う彼女に、自分ははっきりと告げた。
「大聖杯及び小聖杯、つまり聖杯の術式、魔力その全てをよこせだ」
「―――正気?」
アンリマユが頬を引きつらせる。
「ああ、ここには大聖杯も小聖杯もある。それら全部自分が器として同化して貰い受ける。身体も魂も、それを納められるように改造する。人間は、やめる事になるが死ぬよりましだ」
「いやいや待って冗談よね? だって存在を創りかえるのよ? それがどれだけの苦痛を伴うか、殺生院キアラとBBを知るあなたなら解るはずよ」
ああそういえばアンリマユは聖杯を通してこっちの記憶の全てを把握しているんだったか。
だったら話は早い。そうだ、二人がやったアレをやる。
具体的にはキアラの方だが……一秒毎に殺されて蘇生されてを繰り返すんだったか……まあ、なんとかするさ。
「自分が聖杯を掌握すれば、アンリマユを外に出せる。というより聖杯の悪性を完全に浄化するなら、その原因であるアンリマユは外に出さないといけないし、大聖杯の核のユスティーツァも核では無くす必要がある……アンリマユと言う精神とユスティーツァの肉体と魂、これだけあれば人間として受肉させる事も可能なはずだ。その上自分が聖杯を掌握してしまえば、もう聖杯戦争も起きない。まさに一石二鳥な作戦だ。それに――」
「それに?」
思い出す。ここまで自分に攻撃してきた悪意を。
あれは確かに強力だ。まさに世界や人類が定めた絶対悪だろう。
でも、あれは『外側から与えられる』ものばかりだ。
「聖杯に、負ける気がしないんだ」
視線を大地に向ける。
迫る黒い泥。それらを一度受けた身だが……全然恐ろしくない。
「あれにはヒトが持つもっとも強力な悪を知らない」
「ヒトが持つ悪? 何かしら」
「決まってる。愛だよ」
そう。愛だ。
それは感情を持つ者だけが許された矛盾の武器だ。
愛を奪われたヒトはその絶望を矛に善を穿つ。
愛を得たヒトはその奇跡を盾に悪を挫く。
その『内側から湧き出る』感情の強さを、岸波白野は誰よりも知っている。
だから、負けない。
あんな与えられただけ、定められただけの悪になんて屈しないし染まらない。
そんな簡単にどうにか出来るほど……ヒトの感情は容易くなんてないのだから。
「………言ってて恥ずかしくない?」
「ない。で、どう? できる?」
自分の言葉に、アンリマユはふう。と大きく溜息を吐くと苦笑を浮かべた。
「ええもちろん。それじゃあ……行くわよ」
アンリマユの繋いだ手からこちらに向かって何かが流れ込む。
同時に、精神は黒い奔流に飲まれた。
聖杯の中のアンリマユに意志が二つある設定は、ステイナイトとホロウをやた上での独自設定です。
最終的にはサーヴァントの魂がくべられる度に強くなるのは聖杯側で、その内にアンリの意思は完全に聖杯側に飲み込まれて同化し、英霊アンリマユとして覚醒を果たす。というイメージですね。
まぁ五次以降の彼は完全に士郎の殻を被って過ごしちゃっていますが。よほど相性が良かったんでしょうね(笑)