太陽の子 我が名はカルナ   作:トクサン

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失われた光

 

 

 何だ?

 

 弦がその声を聞いて疑問の声を上げる前に、ガツンと、いつか感じた衝撃を頭部に感じた。それは金属のハンマーで思い切り後頭部を叩かれた様な痛みと衝撃、弦は突然の事に視界が弾け、意識が一瞬暗転した。

 

 そして辛うじて意識を再び取り戻した時、弦は驚愕した。視界は数秒前とは異なり、自然豊かな森の中である事が分かる。カルナはその森の端にある滝で沐浴を行っていた、それらが一気に頭の中に雪崩れ込み、連続した記憶の流入を許した弦は頭が割れる様な痛みに襲われる。しかし体はカルナ、例え精神が軟弱であろうと耐えねば嘘だ。

 弦はカルナの中で踏ん張り、死ぬ気で痛みを堪えた。

 そして揺れる視界の中で水に浸かり、カルナとの同調を果たす。

 

 一体何が起こった。

 

 弦はカルナの肉体に宿りながら疑問に思った。

 場面が跳んだ――否、記憶が跳んだのか。クリシュナとクンティーがカルナを自陣に引き込もうと説得する記憶から、此処は……いつの記憶だろうか、弦には分からない。だがカルナの記憶の中にクンティーとクリシュナから受けた言葉を断り、ドゥルヨーダナの元に戻った記憶があったので今は先の出来事から未来の事だと分かった。

 

「……誰だ」

 

 カルナが水に浸かって滝の音に耳を涼ませていると、背後から誰かが近付いて来る気配を感じた。弦の困惑に構わず、記憶は続いている。

 気配は茂みを揺らしてカルナの前に姿を現すと、カルナの事を確りと見つめながら小さく頭を下げて見せた。

 

 バラモン僧――ゆったりと肌の見える白い法衣に首には祈輪が垂れ下がっている、髪は短く切られており旅の僧だとカルナは思った、彼も沐浴に来たのだろうか。カルナは徐に水面から立ち上がると彼に対して小さく目礼をした。

 

「これは、バラモン僧侶の方か、とんだ失礼を――」

「いえいえ、此方こそ、忍び寄る様な真似をして申し訳ない、何分人の来ない森なので、獣の類かと警戒してしまいました」

「それは当然の事、貴方も沐浴を?」

「えぇ、まぁ」

 

 カルナが警戒を解いて問いかければ、僧は緩慢な動作で頷いた。ならばこの場は譲るとしよう、男二人程度で手狭になる水辺ではないがカルナは一人での沐浴を好んでいた。

 畳んだ服の上に置いていた布、それを掴んで軽く顔と頭の水気を飛ばす。そして沐浴を終えようとしたところ、「もし」と僧が声を上げた。

 

「? 何か」

「実は私、この辺りを旅しておりまして――少々施しを頂けはしませんか」

 

 カルナが首を傾げると、僧はおずおずと手を差し出しカルナに施しを求めた。バラモン僧は神道を求め石を積み重ねる者、その道の一助となるならば施すのも吝かではない。そもそもカルナは太陽神スーリヤを礼拝する為に沐浴を行っていた、同じ神を拝する者同士、これまで何度か施しを求められた事はあったが、沐浴時だけは決して断らないとカルナは己自身に決めている。

 

 太陽神スーリヤに捧げる誓い――弦は思う、遥か古代の日本で言う『金打』の様だと。

 そして同時に思い出した。脳裏に文書の文字が浮かび上がる、カルナと沐浴、バラモン僧と施し。

 状況、台詞、人物。

 

 

 これは、カルナが黄金の鎧を喪失する場面だ。

 

 

 拙いと思った、同時に止めなければとも思った。

 カルナの拝礼に対する矜持、それは理解出来るが黄金の鎧を失う事だけは避けなければと。カルナは鎧さえあれば死なない、不死身の英雄である、ならばこの場面を乗り切ればカウラヴァの勝利さえ望める。記憶を改変する事は叶わない、そんなのは没入を始めた頃に導き出した結論だったが、その時の弦は動かなければならないと言う強迫観念にも似た感情に背中を蹴飛ばされた。兎に角、伝えねばならぬ、動かねばならぬと。

 

 弦は己の存在を燃やす様に内側から叫び、カルナに意思を伝えた。

 カルナの感情が弦へと伝わる様に、弦の感情もまたカルナに伝わる。カルナは内側から伝わる、『彼に施しを与えてはならない』という言葉に、僅かに、ほんの僅かに、表情を顰めた。

 それは初めてカルナと言う男が感じた弦の残滓、或は介入と言っても良い。

 

 カルナと弦は同じ肉体に精神を共にしている、その主導権はカルナと弦、両方にあった。しかし二人は極めて性格、趣味趣向、価値観間、行動倫理が似ていた為に行動に対する衝突などは生まれなかったのだ。だが、たった今、最初に没入を行った時の様な『ズレ』を感じる。

 双方の意見が合わない、食い違う、カルナは施しを許し、弦は駄目だと叫ぶ。

 初めて意識的に生まれた両者の違い、それはカルナに言いようのない不快感――或は【嫌な予感がする】という感覚で齎された。

 

「………申し訳ないが、この通り俺も大した物は持ち合わせていない、食糧ならば多少は融通できるが、それが望みか?」

 

 カルナは齎された予感を訝しみながら、目の前のバラモン僧の言葉に消極的な承諾を口にする。自身の第六感に確かな信頼を覚えながらも、己の父である太陽神スーリヤだけは裏切れないと思ったのだ。誓いとは戦士として遵守すべきものであり、また人生に於いての楔だと思っているからだ。

 

 カルナがそう言うと、バラモン僧はにっこりと笑みを浮かべ、凡そ僧侶が言い出す事とは思えない言葉を口にした。

 

「いえいえ、そんな、食料を分けて頂くつもりはありません、ただ貴方の持っている物を一つ、そう――その『黄金の鎧』を頂きたいのです」

 

 それは余りにも予想外な言葉であった。

 それはそうだろう、旅の僧が黄金の鎧を欲しがるなど、そんな事を誰が予想出来よう。カルナは驚きに僧侶を見て、困惑し、それ以上に疑問を抱いた。何故この僧が黄金の鎧を欲するのか分からなかったからだ、カルナは僧の言葉に不信感抱き、同時に先の勘が正しいものだったのだと認識する。

 

「旅の僧よ、申し訳ないが、この鎧は差し上げる事が出来ない、コレは生れ落ちた時より我が身と共にある腕や足の様なモノなのだ、仮に貴方がこの鎧を手にしても、千切った手や腕を体から生やす事が出来ない様に、手に入れる意味など無い、何か他の物なら何でもやろう、故にこの鎧は諦めてくれないか」

 

 カルナは懇切丁寧に僧へ黄金の鎧を欲す意味がない事を説いた、この鎧はカルナの身と共にあるからこそ効力を発揮するのであって、他の誰かの手――それこそカルナと太陽神スーリヤ以外の人物が持っていた所で意味など無い。

 

「いいえ、いいえ、私が求めるのはそれ一つのみ……どうか、どうか」

 

 しかし僧侶は頑なに黄金の鎧を求めた、その両手を差し出し施しをと迫る。それは施しを受けると言うよりも、半ば強請りに近かった。カルナは流石におかしいと訝しむ、バラモンの僧が何故――そう考えた瞬間、カルナは目の前の人物に僅かな神性を感じた。

 

 神性は神が持つ、独特な威圧感。

 カルナは驚き、同時に納得する。

 

 誰も扱えぬ黄金の鎧を欲する理由、己が使えないのに何故欲するか? 簡単な事だ、黄金の鎧がカルナと言う英雄の手元にさえなければ良い、そうすればカルナは不死性を失う。それで得をするのはカルナと敵対している者――つまり、パーンダヴァに他ならない。

 味方にならぬならとクリシュナが吹き込んだか、或は独自に動いたのか。

 どちらにせよ目の前のバラモン僧――それは僧侶に化けた神であった。

 

「………そうか」

 

 カルナは一人悟る。

 目の前の人物、彼が放つ神性をカルナは知っていた。

 大神インドラ――アルジュナを産み落とした神の一柱であり、『神々の中の帝王』、『英雄神』と呼ばれる存在、太陽神スーリヤに並ぶ神そのものである。

 カルナは両手を差し出すバラモン僧――インドラを前に小さく息を吐き出した。

 

「そこまでして勝利を欲するのか、大神インドラよ」

「!」

 

 己の正体を看破したカルナを前に、インドラはその場でカルナを見上げる。両手を差し出す姿勢のまま此方を射抜く視線は力強い、そこからは強い覚悟を感じた。

 

「これは我らが人の闘争、英雄神と呼ばれる御身が肩入れするべきではない、クリシュナに言い包められたか、もしくはアルジュナに泣きつかれたのか? 『あぁ、大神インドラ()よ、私はカルナに勝てません、どうか彼を弱らせては頂けませんか?』、と」

「………」

 

 インドラは答えない、だが彼の纏う神性が僅かに勢いを増し、常人にも気付ける程度に跳ね上がった。機嫌を損ねたか、怒りを覚えたのかもしれない、だがカルナは一歩も引かずにインドラの行いを非難した。

 

「誉ある神が、あのインドラが、人に化けてまで片方に肩入れするか、数多の武具を与えるだけでは飽き足らず、更には敵対する将にこの様な仕打ちまで――大神インドラ、貴方には恥という概念がないのか?」

 

 あまりな言い方であった、しかしカルナは譲らない。この戦いは地上で行う以上、それは人間同士による争いである。本来ならば神々の介入すべき事柄ではない、あまつさえアルジュナは多くの神々から加護と天界の武具を授かったと聞く。

 

 それすら本来であるならば大きなアドバンテージとなるのだ、それに加えて相手の持つ唯一無二の武具を奪う? そんなのは武人の行いではない。太陽神スーリヤでさえ手を出さずに居るのだ、子どもの喧嘩に親が手出しをするとは。

 

「英雄神と呼ばれるのならば理解しているだろう、武人とは己の技量を競い、名誉ある戦いが望まれる、だが貴方がやっている事はソレを貶す行為、それでも尚、貴方は黄金の鎧を欲すると言うのか――もし、そうならば」

 

 カルナはインドラの横に置いてある服、その中に隠されていた小さなナイフを取り出した。戦では殆ど使わない、日常生活で多用する様な薄く短いナイフだ。それをカルナは己の胸に向けると、一息に突き立てた。

 

「ふんッ!」

 

 切っ先は凄まじい勢いで胸を貫き、グジュッ! と生々しい音が鳴る。刃の中ほどまで埋まり、カルナと弦は痛みに思わず呻いた。

 傷口から赤色が滴り、しかしそこから円を描く様にカルナは腕を動かす。まるで心臓そのものを抉り出すかのような所業、それをインドラは驚いた様な目で見ていた。

 

「黄金の鎧は――心の臓、その手前、そこに核が存在する」

 

 カルナはそう口にしながらナイフを抜き放ち、浅く切り抜いた己の胸だった部分、肉片を千切り取る。べりっ、という音と共に皮膚と肉が千切られ、血が噴出する。カルナはそれを物ともせずに肉片を握り締め、それから耳輪を千切り、練り込む。

 そうして肉片を一つの黄金の球体へと変質させた。

 それが他ならぬ黄金の鎧――その核である。

 

 球体の周囲には黄金の粒子が飛び交い、それが本物であると証明している。カルナは一度それを強く握り、瞳を閉じて何かを堪える様に震えると、惜しむことなくインドラへと放った。

 インドラは放られたそれを受け取り、じっと見つめる。カルナの手を離れた黄金の鎧は粒子を失い、色褪せ、その効力を失った。

 

「持っていけ、大神インドラ――卑怯で哀れ、戦士の名を捨てた神よ、その黄金の鎧が、お前の恥の象徴だと知れ」 

 

 カルナはそう吐き捨てると、タオルで胸元を抑えながら湖より上がった。そのまま服を掴んでインドラの横を通り過ぎる。黄金の鎧を失ったカルナは既に不死では無くなった、血は止まらないし痛みも酷い。内心で弦は歯噛みし、カルナが黄金の鎧を失った事を悔いていた。

 或は己にもっと強い意思があればと、それは懺悔にも近い感情だった。

 

「――待たれよ」

 

 水辺を後にするカルナの背に、インドラの声が掛かった。ピタリと進む足を止め、背中越しに彼を見るカルナ。インドラは立ち上がり、片手に黄金の鎧を握り締めながら、もう片方の手に神性を集めていた。

 

 流石に純粋な神、それも大神となると集まる神性は膨大だ。軈て光は収束し一気に弾け、彼の手に握られていたのは黄金に輝く一本の槍。矛先から持ち手、石打まで全て黄金に輝いている、その光は何とも形容し難い。太陽の様な温かさと相手を殺すと言う殺意に満ち、戦士の精神と闘争の心が合わさった様な武器。

 正に至高の一槍、カルナも一瞬その槍に見惚れてしまい、思わず頭を振った。

 まさか、その槍で俺を殺すか。

 カルナがそう言えばインドラは首を横に振り、そのまま告げた。

 

「……我は神である前に武人である、故に、カルナ、貴様に黄金の鎧に替わる武具を授ける」

 

 インドラはそう言うや否や、手に持った槍をカルナの足元に放った。

 槍は回転しながら宙を舞い、そのまま矛先から地面に突き刺さる。その黄金の槍をカルナは驚いた様に見つめ、それからふっと表情を崩した。

 

「……大神インドラ、それは授けるとは言わぬ、交換と言うのだ」

 

 そう言って、その黄金の槍を確りと掴み、引き抜いた。手に取れば槍は良く馴染む、まるで長年使い込んだ様な感覚。その場で軽く振るってみれば、矛先が黄金の粒子を纏って宙に閃光を残した。

 

 黄金の鎧に近い性質を感じる、恐らくインドラが意図して寄せたのだろう。矛は厚くカルナがこれまで見て来たどんな槍よりも重厚で神々しい、槍はズッシリとした重量がありカルナが振り回せば馬の頭でさえ簡単に砕けるだろう、凡夫が簡単に振り回せるものではない。

 インドラは何度か槍を振るって具合を確かめるカルナを横目に、槍を指差して言った。

 

「銘は『ヴァサヴィ・シャクティ』、我インドラが神性より練り上げた神槍である、その槍は森羅万象、万物を問わず穿つだろう――ただし、内包する神性を解放すれば形は崩れる、全力での使用は一度限り、なれど一度ならば、我自身は勿論、この世のあらゆる存在を殺すに足る矛と成る」

 

 彼の英雄、アルジュナでさえ、その槍の前では一撃で命を奪われる。

 そう言ってインドラは黄金の鎧を懐に仕舞った、これで貸し借り無しだと言わんばかりに。カルナはその動作に若干の怒りを覚えたが、無言で奪われるよりはマシだと考えなおし、槍を脇に抱えた。

 

「許せとは言わん、だが理解せよ、天運とは時に平等を損なう」

「天運に平等もクソもあるか、運とは其れ即ち神の気分次第、明確に肩入れしておいて理解せよとは面白い、ならば元より介入などせねば良いものを」

 

 正直に言ったらどうだ? 

 己はパーンダヴァに味方していると。

 カルナが皮肉げに口元を歪めて告げるが、インドラは何も答えなかった。その事にカルナは肩を竦め、インドラに背を向ける。

 

「さらばだインドラ、もう二度と逢わない事を祈る」

「こちらもだ――我を罵った男は、貴様位なものよ」

「ふん、神々も存外、根性が無いと見える」

 

 カルナはそう言って再び視線を向けた時、既にインドラの姿は消えていた。

 人の姿を崩し天に戻ったのだろう、後に残るのは滝の音とカルナの息遣いのみ。頭上を見上げれば木々の隙間から蒼穹が見える、憎々しいインドラは仏頂面で此方を見下ろしているに違いない。あの青色でさえ今のカルナには憎悪の対象に映った、最早ここまで来ると神嫌いにも等しい。

 

「――人も神も、中身は大差ない、俗に塗れ、感情に生きる存在か」

 

 だからこそ神は人と同じ姿をしているのかもしれない、その違いなど、持ち得る力の大小のみで分けられる。即ち人とは持たぬ者であり、神は力を持つ者。

 馬鹿らしくも否定できない事に、カルナと、そして内に潜む弦は力なく笑った。

 

「あぁ、これでは……ドゥルヨーダナに怒られてしまうな」

 

 胸から流れ出る血は止まらず、黄金の鎧は奪われてしまった。手元に残ったのはインドラの黄金槍――ヴァサヴィ・シャクティと自身の矜持のみ。その槍も一度使えば壊れてしまう、脆い幻想に過ぎない。

 こんな時でも太陽神スーリヤは何も語らなかった。

 

 

 

 

 

 

 ――仮にインドラがアルジュナを救う為に立ち塞がっても、俺は必ずや彼を打ち倒し、アルジュナを射殺す、是が非でも成し遂げると君に約束しよう。

 ドゥルヨーダナ、安心して欲しい。

 パーンダヴァの五王子も、彼らを守護する神々も、軍勢すらも射殺す俺は君に約束する。

 五王子で最も難敵となるのはアルジュナだろう、俺はインドラの作った黄金の槍、ヴァサヴィ・シャクティを彼に放つ、パーンダヴァで最も力あるアルジュナが倒れれば残りの兄弟達と軍勢は君の元に帰すか森へと引き返す筈だ。

 誇りを与える人よ、我が王よ、俺が生きている間は決して嘆いてはならない。

 俺はパーンダヴァに必ず勝利する、あらゆる軍勢を蹴散らし、射抜き、君に大地を捧げるだろう。

 

 

 

 

 





 二話連続更新ですが分割しただけなので短いです。
 そろそろ終盤になってきました、十三万字程度での完結を目指したいです。

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