「さて、今回の没入は『ジャラーサンダ王』との戦いを終えた後、クリシュナとクンティーがカルナの元に訪れた辺りからです、文書にも簡潔に記載されていたと思いますが、ジャラーサンダ王は五王子追放後、カルナがドゥルヨーダナを真の世界皇帝にする為に諸国を従えて回った時に出会った猛者、彼のビーマが三度引き裂いて殺したと言われる不死性を持つ王です、その彼を従えた事によりカルナはドゥルヨーダナとより強い信頼関係を結び、それを危惧したクリシュナが計略として接触した――という流れですね」
早朝。
前回の没入から三日ほど経過した日、流石に没入の緊急停止処置を受けた後は休養しろと言う事で、二日の休息期間が設けられた。そして二日の休息を太陽神スーリヤの神性操作に充て――黄金の鎧はそもそも攻撃されないと発動しないので、修練が出来ない――遂に四度目の没入を迎えた。
前回の反省を踏まえてカルナの人生の復習と没入地点の概要を説明される、どうやら大分時間が跳ぶようで追放期間が終了した時から開始らしい。
弦は差し出されたプリント紙に目を通し、何度か頷きながら内容を噛み砕いた。紙にはその時代のカルナの状態、粗筋が書かれている。
追放から十三年後、既にその時点でカルナは呪いを二つも受け、十三年の間に国を制覇して回っていたカルナは僅かばかり弱体化していた。
一つは奥義忘却の呪い。
カルナは嘗てアルジュナの師であるドローナという男に弟子入りしようとしたが、身分を理由に断られた。そこで彼の師匠であるパラシュラーマと呼ばれる武人に師事、しかし彼も身分を重視する人間だった為、バラモンと身分を偽って彼に教えを乞うた。このパラシュラーマは
しかし神様という奴は残酷で、ある日パラシュラーマに膝枕をして寝かせていた時にカルナは毒蛇に噛まれてしまう。しかしカルナは声を上げれば師を起こしてしまうと危惧し、その激痛に耐え忍び、ただ堪えていた。この時、不自然な事だが、黄金の鎧は力を発揮しなかったと言う。
しかしそれに気付いたパラシュラーマは、「その様な激痛に耐えられる者は貴族以外ない、貴様、身分を偽っていたな!」と激怒。
結果カルナの嘘が露呈し、パラシュラーマは彼に一つの呪いを押し付けた。
それが奥義忘却の呪い。
もし未来にカルナに匹敵する戦士、或は敵が現れた時、カルナはパラシュラーマから授かった奥義を忘却すると言う呪いだ。
彼のパラシュラーマは後に大神シヴァ・サハスラナーマより神の武具である斧、『パラシュ』を授かったとされる英雄で、ヴィシュヌの化身、カルナに武術を教える辺りアルジュナやカルナに匹敵する英雄だという事が分かるだろう。そんな彼から授かった奥義だ、カルナはさぞ重宝していた筈だ。
もう一つの呪いが戦車操作不能の呪い。
無論この時代の戦車とは現代の浮遊戦車とは異なり、複数の馬に台車を括りつけて走らせるものである。言うなれば馬車の様なモノか、当時の人々はそれを戦車と呼んでいた。
カルナはある時不注意から
この時代、弓使いにとって戦車とは足そのものである。
戦場を戦車で走り回りながら敵を射抜き、無双の働きをしていたカルナであるが、その活躍は戦車があってこそ、足が無ければカルナは満足に動けなくなる。まるで神が難癖つけてカルナを縛り上げている様だ、弦はコレもインドラがやっているんじゃないかと勘繰った。
そして最後の呪い――否、これは誓いか。
クンティー……カルナの実母、彼女との誓約。
これが後にカルナを追い詰め、ドゥルヨーダナの敗北を決定付けた誓いだ。
弦としては、呪いと言っても良いと思っている。
こんなものは唾棄すべき、それこそふざけるなと一蹴しても良い誓いだ。
「――概要は把握した、そろそろ潜ろう」
「準備は宜しいので?」
「あぁ」
弦は手にしていたプリントをミーシャに渡し、そのままシートに深く座った。ミーシャはプリントをファイルに閉じ、弦の頭にリングを被せる。そのまま指にバイタルを観測するパッチを張り付け、そのまま手元の端末を操作。タタッ、と画面を叩く音が耳に届き、それから数秒して声が聞こえた。
「では……没入を開始します」
「頼む」
ミーシャの真剣な声、それを耳にした瞬間――弦は強い酩酊感にも似た感覚を味わい、ゆっくりと意識が溶けて行った。
☆
「―――」
覚醒。
白く濁った意識が一瞬にして冴えわたり、既に慣れた感覚に身を委ねる。僅かに霞む視界で周囲を見渡せば、そこは室内。四度目のお蔭か、精神に耐性でも出来たのか、没入後の意識変化は実にスムーズだった。場所はインドラプラスタの郊外、その空き家の一つ。
カルナの目には見た事のない内装に質素なテーブルと椅子、その向こう側には見慣れた顔が一つ。もう一つは記憶に無い――いや、正確に言うのであればカルナですら憶えていない知古の存在があった。
「我が名はクンティー……カルナ、貴方の母です」
「………」
カルナは顔を顰めた。
弦は、なんてタイミングに没入したんだと驚いた。
それは丁度、カルナ、クリシュナ、クンティーの三名でテーブルを囲み、パーンダヴァの二人が英雄であるカルナを自陣に引き込もうとしている場面であった。
クリシュナは五王子ではない、正確に言うのであればアルジュナの親友。カルナにとってのドゥルヨーダナの様な存在だ。そんな彼は策略を張り巡らせ、クンティーを連れカルナの説得を行っていた。
弦はカルナの中で小さく思考を回しながら、努めて冷静を装う。
「貴方のその燃える様な瞳、太陽を象った耳輪、守りの象徴である黄金の鎧、全て私がスーリヤ様に頼み授かったものです」
「……お前が、俺の母であると?」
「えぇ、えぇ」
目の前の女性、クンティーと名乗った彼女は目に僅かな涙を見せ、何度も頷いて見せた。隣のクリシュナは黙っているが、その表情は真剣そのものだ。その事からカルナは、これが冗談の類ではない事を悟る、それ程に空気は張り詰めていた。
クンティーは妙齢の女性で、老婆ではないが若くもない、白髪と黒髪の混じり出した褐色の女性だ。確かにカルナの年齢からすれば、母と言われても違和感がない。隣のクリシュナにそれとなく視線を移せば、彼は静かに一つだけ頷いた。
「……仮にそうだとして、一体何の用だクリシュナ、パーンダヴァのお前が、俺の母と名乗る人物を連れて来てどうする? この女性を人質に取って俺を脅すか?」
カルナはクリシュナを見ながらそう吐き捨てる、元よりカルナにとって母など遠い昔の記憶に置いて来た存在だ。カルナにはカルナの両親――例え血が繋がって無くとも、ドゥルヨーダナの統治する街で健やかに暮らす義父と義母が居る。
ならば十全、今更本当の親がどの面下げて逢いに来たのだと、そういう気持ちですらあった。
クリシュナはそんなカルナの言葉を聞きながらも、真剣な面持ちを崩さず、小さく、だがハッキリした声で告げた。
「彼女を人質になどしない、何故なら――彼女はアルジュナの母でもあるからな」
「……何だと?」
カルナはクリシュナの言葉に驚愕を露わにし、思わず体を硬くした。
その様子を見ていたクリシュナは身を乗り出し、突き出した指を一本一本折る。
「彼女、クンティーは五王子の母親だ、ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァ………そしてカルナ、お前の母親だ」
五王子の母親、そしてカルナ本人の母親でもある。
カルナはその事を、まさかと性質の悪い嘘を聞いたつもりで受け止めた。しかしクンティーは涙目で頷くばかりで、クリシュナも嘘を言っている様子は見えない。彼から感じるのは悪意では無く、ただ純粋な真実を述べたのみという感情だけ。カルナはその事に増々困惑し、「だとしたら……」と口を開いた。
「まさか、何だ、俺と、五王子が、仮に、仮にだが――お前が母親だと言うのなら、俺と五王子は兄弟だとでも言うのか?」
動揺を隠せぬまま、カルナはそう問いかけた。
クリシュナは無言で頷き、クンティーは「えぇ」と重々しく肯定する。それは今までの価値価値観をぶち壊す様な、正にカルナにとっては衝撃の真実であった。
「カルナ、今だからこそ言う――我らパーンダヴァと共に来い! 我々は同志なのだ! 五王子の長男はお前だ、カルナ、本来であれば五王子ではなく、六王子、カルナを入れた六人がパーンダヴァとして褒め称えられるべきだった!」
衝撃の抜けきらないカルナに対し、クリシュナは畳みかける様に叫ぶ。それは彼の心からの願いであった、クンティーも涙を零しながらカルナに懇願する。その泣き顔をカルナに晒し、何かに耐える様に握り締められていたカルナの手を取って、真摯に祈った。
「私は大切な子ども達が袂を分かち、互いに争う姿など見たくありません、ですからどうか、あぁ、カルナ、パーンダヴァに来て、共に歩みましょう、そう在るべきなのです、カウラヴァに付くのはお止めなさい、我が子らと共に戦って欲しい、どうか」
「………」
カルナは実母の懇願に思わず唇を噛み、視線を彷徨わせる。あのカルナを動揺させ、逡巡させるだけの破壊力がこの言葉にはあった。或はこれが天命、神が齎した正の道なのかもしれないと。
だが、カルナの脳裏に過ったのは。
「我が友、カルナよ、我は――お前に出会えて幸せであったぞ」
「お前の言う事が、或は俺にとっては
カルナはそう呟いて、ふっと目を優し気に細めた。
その事にクリシュナは、「おぉ!」と感嘆の声を上げ、目の前のクンティーはパッと表情を明るくした。あの大英雄カルナがパーンダヴァに与すると、そう信じて疑っていない顔だ。
カルナは優し気な表情のままクンティーの握っていた手を解くと、淡々と述べた。
「だが、クンティー――否、母よ、貴女は俺に対して許されざる行いをした……俺を捨てたのだ」
しかし、カルナの口から放たれた言葉は、クンティーを、実の母を責める罪の言葉。
「その罪は俺の名誉を奪い尽くすものであった、俺は王家として生まれたと言うのに、王家としての尊厳も、責務も、義務も、権利も、何もかも得られなかった、それは全て貴女のせいだ」
「そ……れは」
突如放たれた針の様な言葉に、クンティーは言葉を失くす。それは他ならぬ彼女の罪、そして真実であったからだ。カルナは片時も彼女から視線を逸らさず、父と同じ太陽を秘めた瞳で彼女を見つめる。
黄金の輝きを持つ瞳で射抜かれたクンティーは、その輝きの前に、何か自分が卑怯で陰湿な悪に成り下がった様な、そんな気持ちになった。
「そうだと言うのに、その貴女は――たった今、己の利益の為だけに俺の裏切りを望んでいる」
カルナはクリシュナとクンティーを一瞥し、質素な木の椅子から立ち上がった。そのまま天井を仰いで息を吐き出す、ソレは何か激情を堪えるような動作。カルナは立ち上がり、二人は未だ座している。
当然、二人を見下ろすような形になったカルナは、拳を握り、それから告げた。
「パーンダヴァと共に戦えだと?
握りしめた拳を激情と共に振り下ろす。
カルナの拳はいとも容易く木製のテーブルを叩き割り、半ば地面にめり込ませた。目前に座っていたクンティーが肩を大きく揺らし、クリシュナが表情を大きく歪めた。
「
最早獣の様な叫びであった、空気が大きく振動し、怒鳴り付けられた二人は肝を冷やす。カルナがやろうと思えば、例えクリシュナ――ヴィシュヌの化身であろうと敵わない。その驚異的な武を以て殺されるだろう。
カルナと渡り合えるのはアルジュナ一人、それを彼は良く理解していた。
カルナは叩きつけた拳を震わせながら、その黄金の瞳でクンティーを射抜く。カルナの怒りを正面からぶつけられたクンティーは見っとも無く震え、その涙は既に消え去っていた。
「こうして突然やって来て、自分勝手に母だと明かし、今更母親面されて、自分の利益の為に友を裏切れ何て言われて――ちっとも笑えねェし、感動も出来ねェンだよクソッたれがッ!」
それはカルナの腹の底から絞り出した言葉だった。
カルナという人格と、弦という人格が折り重なり、魂からの叫びと言っても過言ではない。
激情し、血走った目で二人を見るカルナは右手に黄金の弓を掴む。太陽神スーリヤの力で生み出した弓矢だ、それを見たクリシュナはあからさまに顔を蒼褪めさせ、椅子を蹴飛ばして立ち上がった。
しかし一手遅い。
瞬く間に矢を番え、引き絞ったカルナはクリシュナにその矛先を向ける。完全に狙われたクリシュナは動く事も出来ず、二人は対峙したまま沈黙を保った。
カルナの目は本気だ、もしクリシュナが此処で下手な事を言い出せば射殺してやると言う迫力があった。
「……母よ、我が実の母、クンティー、俺はお前を憎んでいる、蔑んでいる、お前の様には死んでも成らんと心に誓った――だが、一つだけ感謝している事もある、それは俺自身を産み落とした事だ」
カルナはクンティーに視線も寄越さぬまま、淡々とそう口にした。椅子に座し、俯いたまま震えるクンティーは何も反応を返さない。元より返事など期待していないと、カルナは矢を引き絞る手に力を込めながら告げる。
「お前は俺を捨てた、王家としてではなく、ただの捨て子としての生を押し付けた、その事を俺は許さない……しかしこの身があるのはお前のお蔭でもある、故に俺は誓おう」
そう言って、カルナは引き絞った弓をゆっくりと下ろし、その矛先を地面に向ける。
そしてクリシュナに顔を向けたまま、その黄金の弓を消し去った。その事にクリシュナは驚き、同時に安堵する。カルナと言う男が残忍で、しかし同時に正道を好む男である事を知っているからだ。
「――アルジュナ以外の五王子、ユディシュティラ、ビーマ、ナクラ、サハデーヴァ、これらを俺は見逃そう、仮に戦場で出会っても、打ち倒しても、その命は奪わないと誓おう」
「!」
クンティーはその言葉を聞き、俯いていた顔を上げた。
カルナは彼女の顔を一切見る事無く、クリシュナに告げる。
「だがアルジュナは駄目だ、アイツは俺が射殺す、俺に匹敵する英雄を、俺は見逃す事は出来ない」
カルナはそう言うや否や、話しは終わりだと言わんばかりにクンティーの傍を早足で通り抜け、そのまま外へと通じる扉を荒々しく押し開けた。その背にクリシュナが、「待ってくれ、カルナ!」と叫ぶが、カルナは止まらない。無言で扉を潜ると、室内にいる二人に向けて吐き捨てた。
「俺は誓いを守る、だがそれはお前達に情があるからではない――お前達の生き様が、余りにも見るに堪えないからだ」
人生とは、誰に語っても胸を張れるように生きるべきだ。
自ら恥じ入って生きるなど、そんなのは本当ではない。
それはカルナの
己の出生は恥か?
否、例え御者の息子だろうと、大英雄に匹敵する武を持てると証明してみせた。
出生でしか物事を判断できない奴らを見返した。
真に語り合える友にも出会えた。
更に言えば、己は王家の出だと知った。
カルナは己の人生で恥じ入る点など何一つなかった、成すべき事を成し、己の出来得る限りを尽くして来た。信賞必罰、何か嘘を吐けば罰を受け、成した事に褒美を貰った。呪いも受けたし、同時に山ほどの財も築いた。その事に対してカルナは微塵も後悔をしていない。
恥など無い、己にあるのは絶対の自信と無冠の技――そして莫逆の友である。
「元より運命程度で挫ける心ならば、疾うの昔にカウラヴァを離反しているだろう、だが己は未だドゥルヨーダナと共にある――ならばこそ、この命尽きるまで隣を歩むのが俺の
カルナはクリシュナとクンティーに対してそう言い放ち、扉を叩きつけるように閉めた。最早振り返る事は無かった。
砂利道を駆け、遠くに停めた戦車の元に戻る。
インドラプラスタを後にするカルナの足取りは軽やかであった。
まるで足が羽の様に軽く、心の負担は最小限、まるで何か鎖から解き放たれた様な気持ち。弦はこのカウラヴァの敗因とも言える誓いをさせまいと、あれこれ考えていた事が馬鹿らしくなった。
寧ろここまで言い切ったカルナに対して、素晴らしいぞと、良く言ってやったと、手放しで褒め称えたい気持ちで一杯だった。それはそうだろう、カルナと繋がった弦は彼と同じ感情を共有している。
即ち、ドゥルヨーダナに対する恩義と友情、クリシュナに対する敵対心、クンティーに対する蔑みの感情、それらがまるで己の事の様に思え、弦は先の言葉を撤回させようなどとは微塵も考えなかった。
これで良い、否、これが良い。
そうだ、誰が今更あんな母親面して、その実自分の事しか考えていない様な奴の言う事等聞くものか。そもそも五王子はその出生を貶し、蔑み、馬鹿にした連中である、そんな奴らと肩を並べて友を討つなど――そんなのはカルナの矜持が決して許さない。
弦はカルナの中で一人、この判断は決して間違いなどではないと理解していた。
惨めな奴だ、そうやって一生、他人を理解しない甘えた生を送るが良い。
そうだ、カルナならばきっと運命を凌駕する。
天命を退け、己の約束を果たす。
カルナなら、きっと――
――同調指数上昇、退避処理、
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