太陽の子 我が名はカルナ   作:トクサン

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受け継がれる才能

 

「ッは!」

 

 水の中から飛び出した様な感覚、酸素を求めて大きく口を開く弦。しかし思考も視界もハッキリしていた、否、明瞭過ぎると言っても良い。何度か呼吸を繰り返し、慌てて周囲を見渡す。そこはもう競技場ではない、白い――白すぎる部屋だ。

 

「同調解除、記憶没入停止、弦様、お体の方は問題ありませんか?」

「はぁ、はぁ……あ、ぁ、大丈夫だ、俺は、戻って来たのか」

「はい、一時間の没入でした、お疲れ様です、今日はこれで終了とします」

 

 隣で携帯端末を叩き、拘束を外すミーシャ。弦は両手を突き出して眺め、それが己の手である事を確認した。視界と思考は澄んでいる、まるでカルナのままみたいだ。記憶はちゃんとある、自分が弦だとも理解している。人格の重複は無い、大丈夫だ。乱れた息を整え、大きく深呼吸を繰り返す弦、そうすると自分が自分であると実感できる。

 しかし、何か体の奥で燻る熱の様なモノがあった。それは体を突き動かす病、いや、衝動と称しても良い。

 弦は未だ力の入らない体で椅子から立ち上がり、そのまま二本の脚で自重を支える。

 しかしいざ歩き出そうとした瞬間、ガクンと膝が落ちた。

 

「ッ!」

「! 弦様っ」

 

 地面に倒れそうになった弦を、隣に居たミーシャが慌てて支えた。見れば弦の膝はカクカクと震えており、全く力が入らない。予想以上に体力が消耗している、まるでフルマラソンを完走し切ったばかりの様だ。

 

「……やはり、この適正値で連日の没入は危険です、まだ慣らしが必要でしょう、明日は休息日とします、こればかりは弦様の御要望でも変える訳にはいきません」

「……ぁ、あ、そう、だな、これは中々、キツイ」

 

 弦は薄ら笑いを浮かべながら呟く、ミーシャの肩を借りて部屋を後にするが彼女の柔らかさを堪能する余裕さえない。しかし弦にとっては何よりも優先する事があった。

 

「弓を――」

「? 何でしょう」

 

 弦に肩を貸して緩慢な足運びを続けるミーシャ、そんな彼女に弦は懇願した。

 

「弓を用意して欲しい」

 

 

 

 

 没入による記憶の逆行、それによって人格に影響があるならば、同じく肉体にも影響がある。没入を繰り返せば繰り返す程、その精神は英雄に近付き、肉体もまた英雄に近付くのだ。些細な癖や言動、動き、型、全てが。

 そしてソレは適正が高い程早く進行する、適正とは即ち英雄との親和性と言っても良い。つまり何代にも渡って薄まった血が濃いか否か、その祖先の英雄と馬が合うか否か。

 弦はその点、カルナという男と非常に性質が似通っていた。

 

「――やはり」

 

 弦が立っているのは自室にあるトレーニングルーム、広さは三十メートル四方で一人に用意される部屋としては十分過ぎる程に広い。そして部屋の壁には即席の的が立てられ、その中心に赤い円が描かれていた。

 弦の手には弓と矢、ミーシャが用意したものだ。

 残念ながらカルナの時代にあった木製のモノではなく、カーボンとプラスチックで作られた競技用の弓だが、弓の形をしていれば何でも良かった。

 

 あの後、部屋で一時間程休息を行った弦は渋るミーシャに要望を押し通し、ノアにある武器一式を揃えて貰った。無論現代のモノではなく、古代から続く原始的な物ばかりだ。そもそも近代武器を要請したところで、却下されるのがオチだろう。

 代価は明日の絶対休息だ。

 

「嫌にしっくりくる、手に馴染む」

 

 弓の持ち手を何度も握り直すが、まるで長年扱って来たかのように手に馴染む、違和感が無い。本能の赴くままに弓を構えれば、逆の手が勝手に矢を番える。それは流れる様な動作で、本人である弦が矢を番え、漸く己が成した事に気付く程だ。

 無論、弦が弓道、アーチェリーを修めているという事実はない、寧ろ弓矢等と言う前時代的な武器を扱うのはコレが初めてですらあった。だと言うのに弦の手は迷いなく弓を構え、流れる動作で射る準備を整えた。

 

「……物は試しだ」

 

 弦はそう呟くと、弓を構えたまま瞳を閉じる。己の体の権利を本能に明け渡し、ただ赴くままに、流される様に、両の腕を動かし矢を放った。

 放ち、シュ! と弦が擦れる。

 それから パンッ! と何かが穿たれる音。

 弦が矢を手放してから数瞬後、恐る恐る瞼を開けば、弦の放った矢は見事に的の中心を射ていた。的への距離は二十メートル程、自身の手からは矢が消えており、的に突き刺さっている矢は先程まで無かった。

 つまり他ならぬ、己が成した事。

 

「……ビギナーズラック」

 

 マグレの可能性もある。

 呟き、足元に束ねていた矢を矢筒から一本引き抜く。一度息を吐き出す、今度は一連の動作を素早く行った。切っ先を的に向け、矢を番え、引き絞り、狙い、放つ。

 全てを己の頭ではない、体に任せ、動作に掛かった時間は一秒足らず。

 そうして流れる様な動きで放たれた矢は、まるで吸い込まれる様に的へと突き進み、その中心に突き刺さった。

 ストン! と心地よい音が鳴り響く。

 今度は確かに見届けた、自身の放った矢が確りと的を射抜いた。今日この時まで弓矢など触った事も無いド素人が、こうも簡単に。

 

「―――」

 

 弦は頭の片隅に確信を持ちながら弓をその場に放ると、背後に立て掛けてあった槍を手に取った。持ち手は鉄で出来ているが、刃は全て模造のプラスチックの玩具である。しかし手に取ればズシリとした重さがあり、見てくれだけなら本物の槍と相違ない。粒子銃か光線銃、近接でも手甲装甲の殴り合いしか知らない弦からすれば、唯の長いだけの棒だ。無論扱い方など知らない。

 

 弦はその槍を手に取って、大きく頭上で一回転、そのまま脇に挟む様にして構え、何となしに虚空に向けて一撃を放った。

 ビュンッ! と模造刃が風切り音を鳴らし、鋭い一撃が虚空を突く。

 狙いは人であれば喉元、それから抜き放った後に鳩尾に追撃。更に槍を捩じり込んで横にズラす、傷口を大きくして出血させる為の小手先の技。弦はその一連の動きを行った後に、またしても槍を足元に放り捨てた。

 次に取ったのは剣、その次は鉈、棍棒からジャマダハル、見た事も無い様な武器まで。

 弦はミーシャに頼んで用意して貰った武器を一通り手に取った、そしてそれらを掴むとどう扱えば良いのか、どう振るえば最も理想的か、直ぐに分かった。

 全てを試し終えた弦の足元には幾つもの武器が転がり、その真ん中で弦は呟く。

 

「やはり、思った通りだ……この身はカルナ、あの男の技を覚えている」

 

 精神が変質するならば肉体もまた然り、彼の持つ武、その技が断片的に弦の肉体に宿っていた。

 無論完璧なものではない、そもそもの話カルナと弦ではその肉体的な性能に差があり過ぎる、それに体感したところカルナの技量に比べて弦のソレは明らかに劣っていた。

 良くてカルナの半分程度の技量、だがそれでも現代に於いては卓越した技を持つ事に他ならない。更に言えばこれから没入を繰り返せば繰り返す程、この身はカルナに近付き、その武を余す事なく吸収する事になる。

 まるで麻薬でもやっている気分だった。

 

 労せずして英雄に近しい力を手に入れる、それは弦の肉体を根本から変化させ、その英雄本人の位置まで登りつめる事すら可能に思えた。或は連中の言っていた『覚醒を促す』というのは、この事だったのかもしれない。

 例えば素晴らしい発明家や稀代の天才の子孫が居たとして、没入を繰り返せばその天才に思考は近付く。その才を受け継ぐことを可能にするならば、現代に再びその天才の因子を引き継ぐ人間が現れると言う事だ。

 弦の場合はそれが圧倒的な武を持つ英雄だったというだけ。

 弦は居ても立っても居られなくなり、トレーニングルームから飛び出すと部屋の片隅に身を寄せ、ごみ箱を両手で勢い良く退かした。そして布を捲るとその向こう側に声を掛ける。

 

「ウィリス、なぁウィリス、今大丈夫か?」

「? はい、弦さん、大丈夫です、何かありましたか?」

 

 弦の声が向こうの部屋に届き、とととっ、と誰かが駆け寄って来る音が聞こえる。ウィリスは壁に寄り添うと、「ダイブだったのですか?」と疑問の声を上げた。弦は肯定し、「あぁ、今回は少し疲れた」と頷く。

 実際自意識を保った今回は非常に疲労が残り、前回の比ではない。しかし得るものも大きい没入だったのだ、弦は這い蹲ったまま穴に向かって捲し立てた。

 

「今日は朝から没入だったんだ、本当は休めと言われていたのだけれど、どうにも、こう、胸にべっとりと張り付いた感覚が続いていて、まるで先祖に呼ばれているみたいだ……今回の没入で英雄の技というか、才能というか、そう言うのが、何か俺の身に写し取られたみたいなんだが、何か知らないか?」

 

 弦は興奮冷めぬ様子で言葉を次々に紡ぐ、単純にどんな分野であれ、己が英雄と呼ばれた存在に近付く事が嬉しかった。

 弦はカルナという男を好いている、人間として限りなく近い感性を持っている者同士、血が繋がっているのならば当然だろうか? だとしたら弦はその血筋に感謝すらした。弦の問いにウィリスは何度か「えっと」と口にし、それから思い出したように言った。

 

「確か担当の人は『記憶の読み込み(リード・メモリー)』 と言っていました、私達のご先祖様の人生を追体験する事によって、その技能が私達に引き継がれると……随分早いのですね、私も一応幾つかは引き継げたのですが、その、余り多くは無いので」

 

 返って来た言葉は弦の知らないもの、精神が重なるとは聞いていたが肉体もそうだとは教えられていなかった。或は段階的に情報を与えているのかもしれない、そう思った。

 

「ウィリスも? なら、やっぱりこれは連中の言っていた覚醒って奴なのか?」

「恐らく、そうだと思います、先人の才を引き継がせて益とする、ただ人によって引き継げる才能も違うので――私の才能も、その、現代には少々そぐわないと言いますか、何と言いますか」

 

 歯切れ悪くそう言うウィリス、今の世に歓迎される英雄の才と言えば、数学者や科学者と言った人類の栄達に大きく貢献できる類の才能だろう。弦はカルナのその弓技、槍や剣と言った武器の技を引き継いだとしても大した貢献にはならないと理解していた。しかし本命は其処ではない、カルナの誇る本当の才は太陽神スーリヤの血を引いている点だ。

 つまり黄金の鎧、その一点に尽きる。

 或はウィリスも今の弦の様に、武の才能を引き継いだのかもしれない。

 

「――ウィリスのご先祖様がどんな英雄だったのかは分からないけれど、歴史に名を遺した人達なんだ、どんな才能であれ必ず意味がある、俺はそう思うよ」

 

 例え武の才能であろうと、それが卓越したものである事には変わりない。そして英雄の真価は才もそうだが、最も重要なのはその精神だ。英雄の器たる心の在り方、弦はカルナという男を通して見た英雄像、その中心に鋼の様な精神を見た。

 

「ははは……そう言って頂けると救われます、実は私も今日が没入日でして、午後からの予定なんです、そこでまた上手く同調出来れば良いのですが……」

「――これからどうなるにしろ、英雄と呼ばれた人たちの才を貰えるのは有り難い、出来れば深く潜り込んで一つでも多く才能を引き出せると良いのだけれど」

「はい、そうですね…………そうだ、弦さん、今日の夜って空いていますか?」

「夜?」

「えぇ」

 

 突然話題を変えられ、弦は少々面食らう。今日の夜は何かあっただろうかと考えるが、そもそもこの施設に入れられてからは没入時以外殆ど自由だ。予定も何も人と逢う事が出来ないので生まれようがない。

 

「没入も今日は終わったし、大丈夫だ、何か用事か?」

「はい、少しご相談したい事が」

 

 相談、そう言われて思い当たる事など弦には一つか二つ位しかない。弦は少しばかり声の音量を下げ、囁く様に問う。

 

「……その、今後について?」

「それも一つ」

「……分かった」

 

 弦は頷き、夜の予定が決まった。

 一応健康診断は定期的に行われているが、就寝時間が決められている訳でもない。ウィリスは喜色を滲ませた声で「ありがとうございます」と言い、丁度彼女の没入時間が迫っているという事で解散の流れになった。

 壁に空いた穴を布で隠し、その上にゴミ箱を寄せる。弦は一度部屋を見渡した後、暫くその場に立ち尽くし、それから再びトレーニングルームに籠った。

 

 

 

 ☆

 

 

 

 その日、弦は一日中弓を引き絞り、槍を振るっていた。まるで己の肉体を少しでもカルナに近付ける様に、一心不乱に体を動かす、一つの動作からカルナと異なる点を見つけ出し僅かなズレを修正する。

 頭に思い浮かべるのは己の遥か上を行くカルナの動き、大胆な様で精密、水の様で火の如く。宛ら関係は師匠と弟子か、しかしその力量の差は歴然で一を射る事で十のズレを見つける始末。

 

「……凄まじいな、英雄と言うのは」

 

 卑怯な手段で破格の才能を得た弦は、未だ武と言うものを理解していない。その入口に立ったばかりとでも言おうか、その動きだけで見れば妙手使いと言っても過言ではないが、その本質はまるで理解していない。体で理解しているのと頭で理解しているのとでは全く異なるのだ、本来であればそれらどちらかが欠けていれば十全に力は発揮できない。

 それでも妙手と言えるだけの力が残るのが英雄というモノか。

 

 入口に至ったからこそ分かる、己とカルナの技量の差。

 身体中から汗を流し、上半身裸で弓を構える弦は思う。

 理の天才もまた凄まじい存在だが、武の天才もまた、尊敬に値する存在だと。

 

「腕を止めるな、静止は一瞬、視界は的のみ、理解するな感覚のみで良い、流れる様に構え、流れる様に放つ、無駄な力を抜いて自信持つ、己なら穿てると」

 

 ブツブツと呟きながら弦は矢を番え、弓を突き出し、引き絞り、放つ。

 既に何千回と繰り返された動作だ、針鼠の様になった的から矢を回収して何度目か、既にその表面は穴だらけで時折刺さらずに落下する始末。それでも弦にとっては問題なく、的の中央を射る事は既に息を吐く様にこなしていた。

 問題は動作だ、無駄な部分に力が入る、不自然に停止する、思考が乱雑になる、足の位置が違う、言い出せばキリが無い。弦が目指しているのはカルナが、あのアルジュナを負かした瞬間の一射。

 

 ――アストラ・スーリヤ(太陽の星よ)

 

 あの一撃の再現だった。

 しかし射てども射てども、放たれるのは平凡な一撃。否、本来であれば賞賛されるべき鋭い一射だ、驚異的な速度と鋭さで放たれる矢は綺麗な音を立てて的を射抜く。だがそれでは駄目なのだ、それだけでは英雄足り得ないのだ。

 

 原因は分かっている。

 己にはカルナが持つ神性とでも言うのか、神から齎される祝福が余りにも少なかった。要するに太陽神スーリヤの血が薄すぎるのだ、何代と繋がったカルナの血筋、元よりその血は半分が神の血。それが等分、等分、等分と薄まり続けた結果、彼の神の血は殆ど無いに等しい状態となった。

 

 アストラ・スーリヤを放つ際、弦は血が沸騰する様な熱を覚えた。恐らくあれが神性を得る瞬間だったのだ、太陽神の血が矢に炎を纏わせ、万物を砕く神の一射と成す。アレがもし天界の武具であったら、或はある程度の強度を持つ鉄の矢であったら。

 恐らく天井をも穿ち、遥か天空へと矢は伸びただろう、その確信があった。

 

「――カルナ、俺に力を貸してくれ」

 

 既にカルナという男を弦は、己の友の様に、或は家族の様に感じていた。本来ならばあり得ない、弦は元来もっと冷徹な人間だ。友と呼べる人間は少なく、なまじ顔が良いからクールと称される事もあるが、その性根は自信とプライドで凝り固まった酷く歪な人間だ。

 だがそんな弦でさえカルナと同調し、その人生、過去をまるで己の事の様に理解し、体感し、現在進行形でその一生をなぞって行く事になり、奇妙な友情、一体感を覚えていた。カルナという男はもう一人自分である、そう言っても過言ではない。

 尤も己自身は唯の観客であり、主役はカルナである。

 だが手に汗握って、カルナが喜べば喜び、カルナが悲しめば悲しむ、そういう事に何ら疑問を覚えなくなっていた。これが連中の言っていた精神重複という奴なのかもしれない、だが弦はそれに抗おうとは思わなかった。元より価値観や性格が限りなく近い位置にある二人、反発するどころか互いに上手く混じり合っている。

 

「……ふッ」

 

 小さく息を吐いて再び矢を射る、今度は先程よりも更に速度が上がり、スパンッ! と鋭い音を鳴らした。しかし炎を帯びる事も無く、閃光となって万物を貫く訳ではない。最高の一撃ではあるが、至高には届かず、それが何とも歯痒かった。

 生涯、これ程ものごとに打ち込んだ事は嘗て無かっただろう、一射一射、一つ射るごとに僅かだが精度と速度が上がる。薄皮一枚を重ねる様に、ただ繰り返す、何度も何度も。

 気付けば弦は次の没入を心待ちにしていた、この環境を手に入れる為に交わした休息さえも煩わしく思ってしまう。数日前まで思っていた、英雄など馬鹿らしい、理を紐解かない人間が讃えられる理由が無いと、そう信じていた自分など綺麗サッパリ消えてしまっていた。

 

 それ程までに眩く、光に満ちた存在なのだ――英雄というのは。

 

 





 物凄い中途半端な所で切って申し訳ない。 
 ただ今回の話を一話に纏めると16000字になってしまったので、大体二分割にしました。こっちは7000字足らずです。
 一話の目安は10000字なので、大体前後2000位を目指していきたいです。
 分割した後半は近い内に投稿します。

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