太陽の子 我が名はカルナ   作:トクサン

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この日、この時の為に生き続けた

 

 カラカラと、車輪の音がした。それは意識せずとも自然に耳を打つ、周囲にそれ以外の音は無く、ただ引き寄せられるように振り向いた。

 そこには、蒼穹の弓を手にしたアルジュナが佇んでいる。カルナと同じ戦車に搭乗し、その瞳はカルナを射抜いていた。

 

 いつの間に、とは思わなかった。

 ある意味天命、或は必然。

 

 聳え立つ閃光を目印に駆けたのだろう、二人の邂逅は成るべくして成った。カルナと弦の精神が深く結びつく、アルジュナを討つという執念にも似た想いが二人を更に深く同調させ、やがて仕切りは取り払われてしまった。

 後悔は無かった。

 そうでなければ勝てないと思った。

 ギチリと、弓を握る手が軋む。

 

「もっと早く決着がつけられるとばかり思っていたが、存外、この世も儘ならん」

「私も同じように思うよ、カルナ、神々もそうだが、人というのも中々どうして業が深い」

 

 アルジュナはこれまで見た事もない防具を身に纏っていた、神々から授かった神性の鎧だろう。手に持つ弓からは膨大な力を感じた――弦から逆流入する知識にてカルナは知る、その銘は『パーシュパタアストラ』、またの銘をブラフマシラス。

 

 大神シヴァ・サハスラナーマの持つ最強の武具。

 

 アルジュナは世界を七度滅ぼすと呼ばれるそれを手に、ゆっくりと矢を番えた。腰には絶えず矢を生み出すと呼ばれる神具が巻き付けられている、どうやら準備は万全らしい。

 カルナはアルジュナの動作に応えるようにして、矢を生み出し、番えた。

 

 周囲に戦士の姿はない、既にヴァサヴィ・シャクティの被害を免れる為に退避している。それはカウラヴァもパーンダヴァも同じ、正真正銘此処に居るのはカルナとアルジュナ二人のみ。

 静謐が世界を包み込み、互いの呼吸だけが聞こえた。

 

「カルナ、これが最期になるだろう、何か言い残す事は無いか」

「――我々は戦士だ、アルジュナ、語るとすれば、それは矢を以て語る他ない」

「……それもそうだな、今更面と向かって語るなど」

 

 アルジュナは小さく笑った、カルナは能面を張り付ける。

 此処に来て、カルナはアルジュナを憎む感情が消え去った事に気付いた。感傷だろうか? 否、そんな軽いものではない。それは何か戦士として通じる者を見つけた、同志を見る様な感覚だった。

 

 兄弟だと知ったからか、血が繋がっていると明かされたからだろうか、いや、そうではない。目の前の男が、アルジュナという男が、根本的な部分は己と何ら変わらないと理解したのだ。戦士としての価値観や、同胞を見る瞳の色、矜持を何より尊守し、誰かを守り、信条に沿って生きる。

 その果てに相容れなくとも、その生き方は己と道を違えていなかった。

 或は――もし、母が己を捨てなければ。

 

 

 共に歩んだ道もあったのかもしれない。

 

 

 なんて、そんなあり得ない夢を抱いた。

 

 

「――ブラフマシラス(シヴァの一矢)

「――アストラ・スーリヤ(太陽の星よ)

 

 

 開戦の合図は無し、互いの必殺の一撃が飛来し宙で衝突、黄金と青い流星が散り夜が一瞬の内に昼へと変貌した。

 

 カルナは一射一射を渾身の力――即ちアストラ・スーリヤとして放ち、アルジュナはシヴァより授かった最強の弓を引き続ける。ただの一射がカルナの渾身に匹敵する、それだけ弓の性能が段違いであった。

 

 七つの黄金(太陽)が放たれれば、七つの流星がこれを堕とす。

 

 正に絶技と絶技、技量だけならば確かにカルナへと軍配が上がる、なれどアルジュナは神々に愛され、寵愛を受け続けた人間。その彼が持つ武具が強制的に立ち位置を押し上げ、カルナに匹敵、乃至凌駕する力を授けていた。

 

 卑怯とは思うまい、それもまた(アルジュナ)の持つ才ゆえに。

 

 カルナは持ち前の高速連射を行い、アルジュナも何とか追い縋ろうと弓を引き続ける。カルナの連射技量は驚嘆に値する、矢を番え、狙い、放つまでに一秒と掛からない。アルジュナも高い技量を誇るが、その域には達していなかった。

 

 なれど今は武器の質が違う、カルナが僅かに力を溜める動作を行わなければならない間、アルジュナは七割程の力で弦を引けば良かった。

 故に、何とかアルジュナはカルナに追い縋る。

 両者の矢は拮抗していた。

 

「アール・スト――ッ!?」 

 

 宙で弾ける互いの矢、その拮抗状態を脱す為にカルナは己の持つ奥義の一つを解放しようとした。しかし奥義の名を告げようとした口が止まる、次いで何かを拒む様に体から力が抜けた。

 何だとカルナが顔を顰めれば、中に潜む弦が叫ぶ。

 

 呪いだ、これは呪いだぞカルナ――これまでにカルナが受けた呪いが、この身を蝕んでいる。

 

 呪いは二つあったが、たった今その片方――カルナに匹敵する敵、英雄が現れた時、授かった奥義を忘却するという呪いが発動した。パラシューマの掛けた呪いだ、カルナがたった今使おうとした奥義がスルリと、自身の内側から抜け落ちた。

 忘却してしまったのだ。

 

「―――本当に、儘ならん」

 

 カルナは奥義を放てず、思わず苦笑を零す。

 不自然に硬直したカルナ、その隙を見逃すアルジュナではない。

 

 アルジュナは即座に三つの矢を放ち、カルナの戦車を撃ち抜いた。内二つはカルナの超絶技巧が撃ち落したが、残りの一射がカルナの戦車、その一頭を射抜いたのだ。

 三頭いる内の一頭の馬が射抜かれカルナは即座にその一頭を切り離す。そして再び駆け出すものの明らかに速度が落ちていた。

 

「高々一頭、まだ終わらん」

 

 カルナはそう呟き再度矢を番えた。

 奥義を使えぬのならば、使わずして勝つのみ。

 飛来する青い流星を打ち落とし、お返しとばかりに黄金の矢を放つ。アストラ・スーリヤ(太陽の星よ)を連射、己の神性を根こそぎ消費し次々と矢を放った。カルナとアルジュナの矢は大地を穿ち、空を裂き、正に神々の戦いと言っても良い惨状を巻き起こした。

 黄金と流星は覇を争う。

 

「正義の門よ!」

 

 アルジュナが叫ぶ、同時に彼の右腕から無数の槍が津波の如く射出された。

 天界から授かった武具だろう、それをまるで矢の様に降らせる。カルナはその大雑把とも豪胆とも言える攻撃方法に驚き、戦車を動かしながら被弾の軌跡を描く槍のみを打ち落とした。

 

 流石に天界の武具なだけあり、通常の一射では砕く事すら出来ない。

 強い、流石アルジュナだ――唯一無二の我が宿敵。

 

「だが負けんッ!」

 

 アルジュナが武具により天秤を傾けるのならば己の技巧で天秤を戻して見せよう。

 カルナは戦車の縁に足を乗せると、そのまま黄金の弓を限界まで引き絞った。生み出した矢はアストラ・スーリヤをも超える神性を湛え、形を保つ事すら難しい。

 

「彼のヴァサヴィ・シャクティから授かった知恵だ、食らうが良いアルジュナ!」

 

 衝撃と共に放たれる一矢、飛来するソレに対しアルジュナは普通の一射でない事を悟った。故にカルナに向けていた矛先を向け、先程放たれた矢を宙で迎撃する。

 瞬間、飛来した矢は宙で自壊し、凄まじい閃光を放った。

 

「何ッ!?」

 

 狙いをつけ、矢を直視していたアルジュナは思わず叫ぶ。

 矢はアルジュナを狙っていたが、本当の目的は殺傷ではない。アルジュナが迎撃すると踏んで目を向けた瞬間、自壊し閃光を放つように神性を操っていたのだ。

 敵に突き刺さった後に自壊、確殺を行うヴァサヴィ・シャクティを参考にして作った即興の太陽矢。正にスーリヤの名に相応しい一撃だろう、アルジュナは目を潰され数秒程硬直してしまった。

 ことカルナとアルジュナの戦いに於いては、その数秒が黄金に勝る価値を誇った。

 

アストラ・スーリヤ(太陽の星よ)!」

 

 再び放つ渾身の矢、渦を巻き空間を裂いた太陽の矢はアルジュナ目掛けて突貫する。狙いはアルジュナの心臓、だが寸でカルナの射撃に気付いた彼は戦車を飛び降りた。

 例え目が見えずとも、殺気を感じ取ることは出来る。

 果たしてカルナの一射はアルジュナの戦車を粉々に破壊し、矢は三頭いた内の二頭を閃光に巻き込んだ。地面に転がったアルジュナは未だぼやける視界のまま矢を構える、だがぼやけた視界では碌な矢も放てまい。

 カルナは今こそ好機とばかりに戦車を走らせ、更に矢を番えた。

 

 次の一射で射殺す。

 

 しかし、再びカルナが矢を射る事は無かった。

 

 第二の呪い――戦車操作不能の呪いが発動した。

 

 カルナが矢を射る為に引き絞った瞬間、ガタン! と衝撃が走り、カルナは宙に投げ出された。地面に転がって受け身を取ったカルナは、一体何だと戦車を見て驚く。

 戦車の車輪が二つ、正面からパックリと割れてしまっていたのだ。

 足を奪われた、カルナはその事実に思わず顔を顰めてしまった。

 この場面で呪いに襲われるか、アルジュナを仕留める好機である、よりによって今――!

 

 アルジュナはいつまで経っても飛来しない矢に疑問を抱きながら目を擦って視界を確保する。十二分に明瞭な視界を手に入れたアルジュナは、地面に立つカルナを見て驚いた。

 そして横に転がる戦車を見て顔を顰める。

 

「何のつもりだ、カルナ、何故戦車が壊れている……!?」

「なに、少しばかり呪いを喰らってな、その代償だ――だが、戦車が無いのは同じ事」

 

 カルナは千載一遇のチャンスを逃した事に、内心で呪いを掛けたバラモンを罵りながら再度弓を構えた。互いに足は潰えた、ならば正面切って射合う他なし。

 カルナはアルジュナの正面で膝を着くと、限界まで弦を引き絞った。

 

「足を止めての射合いならば、負けんぞ、俺は」

 

 次の瞬間、カルナは四本の矢を殆ど同時に放つ。

 指に矢を挟み、それぞれ同じ方向に向けて射出したのだ。数ミリの狂いがあれば明後日の方向に消える矢、しかしカルナが放った矢はまるで生き物の様にアルジュナへと飛来する。

 アルジュナは素早く矢を番えて迎撃、内三本を打ち落とすと、残りの一本を地面に転がる事によって躱した。

 

「返礼だ、受け取れカルナ!」

「不要ッ!」

 

 地面を転がって、空かさずブラフマシラス(シヴァの一矢)を放つアルジュナ。

 対するカルナはアストラ・スーリヤ(太陽の星よ)を放ち、黄金と青に包まれた矢は互いに衝突、粒子を撒き散らしながら掻き消えた。

 戦車を失って尚、二人の技に陰りは見えない。

 

「我が父と大神シヴァよ、我に力を――正義(ダルマ)の鉄槌を!」

 

 アルジュナを中心に幾多もの武器が姿を現す、天界より授かった唯一無二の武具が唸りを上げてカルナに襲い掛かった。槍が投擲され、剣が払い、棍棒が振り下ろされる。その数、十、二十、三十――否、百を超える。

 どれ程の武具を与えたというのか、カルナはインドラに悪態を吐いた。全て彼が天界より引っ張り出して来たモノだろう、アルジュナはそれを己が使うのではなく神性を操り間接的に奮ったのだ。

 

 カルナはその一つ一つの軌道を読み、己に当たる物は切払い、そうでないものは体を傾けて躱した。使い手の無い武器など恐るるに足らず、故にカルナは一度大きく後退すると、矢を引き絞り叫んだ。

 

 武具と防具を揃えたアルジュナと射合うならば、時間を掛ける程カルナは不利となる。

 元より向こうは鉄壁の守りを持ち、既に此方は矛も盾も失っているのだ。黄金の鎧はインドラに奪われ、彼の神から授かったヴァサヴィ・シャクティはクリシュナの策略で失った。

 更には呪いにより奥義を忘却し、頼みの綱の戦車も無い。

 対してアルジュナはインドラとシヴァの加護に加え、彼の神から授かったパーシュパタアストラ、天界の武具と防具を豊富に持っている。ならばこそ、時は敵でありアルジュナの味方であった。

 

 

 自らの悪への加担は天命である、なれどこれは他ならぬアルジュナと――己との戦いだ。

 

 

「是を以て彼の英雄、アルジュナを射殺す矢とする、我が父よ、我が神よ、我が大地よ――天命を覆す極光の矢、刮目せよ、此処を死地と定めたり!」

 

 カルナは己の内にある神性全てを振り絞り、これまでの中で最大の攻撃を仕掛けた。

 

 番える矢は四本、己の渾身を超える一射――『アストラ・スーリヤ(太陽の星よ)』の一斉射撃。

 

 構えたカルナの周囲に太陽と見間違う程の光が集まり、震える腕で矢を放った瞬間カルナの足元が陥没した。衝撃は風となって周囲を襲う、それはカルナの全神性を込めた射撃であった。

 閃光と爆音――回転と共に放たれた四本の矢は一点を穿つ光の様に、アルジュナの元へと飛来した。ヴァサヴィ・シャクティにも劣らぬ勢い、宛ら神の光。さしものアルジュナでさえ、その究極に迫る一射に見惚れた、洗礼され命を削る一撃はこれ程までに美麗なのかと。

 見事、流石、それでこそ我がカルナ(宿敵)、そういった尊敬にも似た感情を胸に抱き、同時にこれが彼の最大の攻撃だと理解する。

 ならばこそ、全力を以て凌がねばならない。

 アルジュナは大きく弦を引き絞りながら叫んだ。

 

「万物遮るは此の盾よ――パソパティス!」

 

 瞬間、アルジュナの前に展開されるのは無数の防具。天界より授かった九つの盾、それを惜しみなく張り出し壁とした。カルナの放った四つの矢、その内の二射が重なりあった九つの盾に衝突する。

 その熱量は膨大で、盾に守られている筈のアルジュナが頬を焼かれた。太陽の如き極光、正に太陽神スーリヤそのものと言っても良い神性。カルナの命を削った矢は九枚の盾を次々に貫通し、アルジュナは顔を顰める。

 

 何と言う熱! 何と言う神性! どれ程の才を持てばこれ程の一射を放てるのか!

 九枚の盾は徐々にその神性を薄くするが、元よりこの盾はインドラより授かった天界の防具。九枚重ねて矢を二本防げぬなど、あり得ない。

 故に、最後の一枚になって漸くカルナの放ったアストラ・スーリヤは勢いを失くし、やがて黄金の粒子となって消え去った。続く形で九枚の盾も粒子となって消え去り、その役割を終える。

 

「お前の全力、私の全力で応えよう……! 大神シヴァの世界を射抜く一射、此処に再現する――パーシュパタアストラ(大神の一矢)!」

 

 迫りくる二射、カルナは最初の二本を盾穿ちとして、そしてもう二本をアルジュナの命を射る矢として放っていた。既に盾は射抜かれた、ならばこそこの二射は己の技量で以て退ける他ない。

 

 アルジュナが放つは大神シヴァ・サハスラナーマの矢を再現した一射、世界を七度滅ぼすと言われる究極の射撃――無論、放つのはシヴァ自身ではない為、大幅に精度と威力は落ちる。なれどアルジュナもまた歴史に名を刻む大英雄の一人、ならばこそ放たれる矢は至高と言って相違ない。

 眩い光がアルジュナの手元から放たれ、ソレは青白い螺旋を描いて直進する。地面が抉られ、大地を裂きながら進む矢は大神の矢を模倣したもの。対するカルナの矢は太陽神スーリヤの神性を惜しみなく注ぎ込んだ矢。

 

 互いの矢が衝突し、夜空に青と黄金の華が咲いた。

 

 青は螺旋を描き、黄金は光を撒き散らす。

 大神と大神、僅かな差はあれど殆ど威力は互角と言って良い。武具の差は命を削る事によって埋め、アルジュナは此れを己の最大の射撃によって迎え撃った。

 

 

 果たして、打ち勝ったのは――カルナの『アストラ・スーリヤ』

 

 

 青の螺旋を正面から貫き、螺旋が黄金に埋没した、黄金の矢が一本、たった一本だけ残った。

 カルナは二本の内の一本を正面からパーシュパタアストラに突貫させ、破られる直前に自壊させたのだ。結果、内包した神性を外側に放出したアストラ・スーリヤは崩れ去り、対するパーシュパタアストラは大きく勢いを殺された。

 其処に最後の一本が飛来し、貫いたのだ。

 青色の粒子が渦を巻き、その中心を黄金の一矢が斬り裂く。

 

 アルジュナは撃ち破られたパーシュパタアストラに驚愕し、呆然と此方に迫る矢を見ていた。既に最大の攻撃を放った後、内にある神性は大きく損なわれ、少なくとも数呼吸の間が必要であった。

 しかし光の如く飛来する矢は一秒と要せず、アルジュナの心臓を穿つだろう。

 アルジュナは刻々と迫る矢を眺めながら、悔しさに顔を顰めた。

 己の着込んだ鎧では、このアストラ・スーリヤを防ぐ事は出来ないだろう、それは即ちアルジュナの死を意味する。

 

 だが後悔は無かった。

 全力で戦い、全力で射合った結果、己は敗北した。

 ならばこそ胸を張って死ぬべきであり、これ以上ない結末とも言えた。命を捨てるは今この時、己の死地は此処にある。

 アルジュナは顰めた表情の裏側で、僅かな、ほんの僅かな笑みを浮かべた。

 

「やはりお前は凄いな、私の負けだ――誇ってくれ、カルナ」

 

 アルジュナは最後にカルナへの称賛を口にした。

 純粋な射合いで敗北した事に、彼は心から満足していたのだ。

 そうして己の天命――受け入れたアルジュナは、その瞳を閉じようとして。

 

 

 

パソパティス(神の盾)!」

 

 

 

 アルジュナの前に躍り出たクリシュナによって、黄金の矢は辛くも退けられた。

 

「な……」

 

 それはアルジュナの声だったのか、或はカルナの声だったのか。漏れた声は驚愕の色を含んでおり、アルジュナの前に立ち塞がるクリシュナを二人は呆然と見ていた。

 黄金の矢は虚空に弾かれ消滅し、クリシュナの構えた盾は僅かに罅割れたものの貫通は許していない。

 神性を大きく失ったカルナはその場に膝を着き、大きく顔を歪めた。

 

「……クリシュナ?」

 

 アルジュナは己の親友の登場に大きく動揺し、そして次いで彼の為した事に怒りを露わにした。その表情は憤怒に歪み、アルジュナは声を荒げる。

 

「クリシュナ、何のつもりだ!? 何故此処に居る!」

「何故? ――愚問だろう、アルジュナ、友である君を救う為さ」

 

 クリシュナは激昂するアルジュナを前に、何の悪れもせず飄々と語って見せた。取り出した盾を消し去り、膝を着いたカルナを見下す。その背後からアルジュナは肩を掴み、クリシュナに詰め寄った。

 

「私は……私は言った筈だ! この戦いだけは、カルナとの決戦だけは邪魔をするなと、そう何度も願った筈だッ!」

「あぁ、勿論理解しているとも、だけれどソレ(その願い)で君が敗北するのなら、幾らでもそんな約束は破る、アルジュナ、君はね、勝たなくちゃならないんだ」

「ふざけるな!」

 

 アルジュナは弓を持たぬ手でクリシュナを殴り付けた。

 肉を打つ生々しい音にクリシュナは数歩よろめくが、彼は薄ら笑いを浮かべたままアルジュナを見ている。彼にとっては戦士の決着など道端の小石程の価値しかないのだろう、大切なのは勝つか負けるか――そんな彼の価値観が瞳から透けて見えるようだった。

 

「何十年も願った悲願だったのだ、カルナとの決着は! 先の一矢で私は死ぬべきだった! それが正しい結末であり、私達の終わりだったのだ! それを……それをお前はッ!」

 

 クリシュナの胸元を掴み、捩じり上げたアルジュナは殺意すら滲ませた声色で叫ぶ。それは友と家族を大切にするアルジュナにとってあり得ないとも言える暴挙、しかし今のアルジュナはこれが正しい事であると確信していた。

 しかしクリシュナはそんなアルジュナを前に、顔色一つ変えず淡々と語って見せた。

 

「君の戦士としての矜持は理解しよう、しかしアルジュナ、君は君自身の義務と正義(ダルマ)を果たすべきだ、多くの友、家族、知人の死に苦しむのも分かる、だがカルナと彼らは悪に加担する存在だ、死後彼らは純粋で平和な世界に導かれるだろう、躊躇ってはならない、そして正義(ダルマ)の為にこのような手段を用いる事はアルジュナ、君が偉大なる平和と邪悪、正義と不誠実、堕落を神に捧げる為に必要な事、この勝利は君の使命を果たす為に必要不可欠なのだ――君は宿敵との心地よい決着の為に、パーンダヴァの戦士と兄弟を危険に晒すつもりか」

「ッ………」

 

 クリシュナの言葉にアルジュナは歯噛みした、確かに、と心の中で思ってしまったのだ。けれどソレを認めてしまえばアルジュナの中にある戦士の心、矜持(プライド)信条(クリード)を投げ捨てる行為であった。

 王としての判断ならば分かる、だがアルジュナは武人として今まで生きて来た人間だった。仲間の為に矜持を、信条を、今すぐ投げ捨てろと言われてもアルジュナは簡単に頷く事が出来ない。それをしてしまえば最後、アルジュナはこれから純粋な武人として生きていけなくなってしまう。

 

 それは己の恥だけではない、これ程美麗で偉大な射手である宿敵、カルナをも貶める行為だと思った。

 アルジュナはカルナを素晴らしい射手だと認めている、憎しみの感情も確かにあるが、それ以上に尊敬の念を抱きはじめていたのだ。

 

 カルナは今、大きく神性を損なって戦闘不能に陥っている。その額には大きく汗を掻き、最早一本の矢を射る力さえ残っていないのだろう、弓に土をつけてクリシュナを睨めつけていた。

 正しく先の攻撃はカルナにとって最大の攻撃であり、最後の攻撃。

 黄金の鎧があればまた違ったのだろう、しかしヴァサヴィ・シャクティと引き換えに万能の鎧を失ったカルナは、既にこれ以上戦える状態にない。最早怨敵を睨めつけ、崩れ落ちる体を支える他無かった。

 

 クリシュナはアルジュナの腕を掴むと、強引に引っ張ってその指先をカルナに向けさせる。

 

「さぁ、アルジュナ、彼を射殺すんだ――カウラヴァの大英雄を打ち倒せば、彼らの戦力ではパーンダヴァに敵わない、彼は唯一無二の将であり、カウラヴァの柱なんだ」

「だが……そんな、そんな事は!」

「アルジュナ」

 

 クリシュナの手を振り払おうとしたアルジュナを、しかしクリシュナは己の全力を以て押し留めた。

 

「君の正義を果たせ、義務を果たせ! 戦士の矜持では無く、友と仲間を率いる王としての判断を下せ、そうでなければ我々は此処で死に絶えるだろう!」

 

 此処でカルナを討たなければ、彼はその絶大な武を以てパーンダヴァを滅ぼすだろう。ドゥルヨーダナに宣言した様に、この大地を彼のクル王に捧げる為に、カルナはその弓を引き絞る筈だ。

 悪が勝利した世はどうなるのか、君はそんな世を、武人としての矜持を理由に見過ごすのか。

 

 アルジュナは正義の英雄であった、そして義務を尊ぶ男であった。クリシュナの激言に顔を歪ませて、俯いてしまった。彼の中では武人としての矜持と信条、そして仲間を想う気持ちが鬩ぎ合っている。こんな乱入を許す形で、本来ならばこの命を絶たれるという結末で終える筈の決闘が――第三者の妨害であっさり、こんな容易にも立場が逆転してしまうとは。

 

 アルジュナが死に、カルナが勝者となる。

 カルナが死に、アルジュナが勝者となる。

 

 死者と勝者が入れ替わる、それはアルジュナの矜持を大きく傷つけた。

 

 苦悩に次ぐ苦悩、これで本当に良いのかと言う疑問。

 苦り切った表情でぎゅっと目を瞑って何かを堪える、それは熱い鉄を飲み下した様な表情で、アルジュナは力なく弓を垂れた。

 

 神か人か、武人か王か、友か宿敵か、正道か邪道か、誠実か卑怯か――既にそれを悩む段階になく、アルジュナは邪道を成してしまった。

 勝てば全てが許されるのか? 正義を盾に卑劣な手段を行うのは武人としては最悪の部類だろうに、なれど友の為には邪道に堕ちねばならない。それは単にカルナの武が、アルジュナを凌駕している故に。

 アルジュナは垂れた腕に力を籠め、しかし悲痛に歪んだ顔を隠そうともせず、呟いた。

 

 

「……許してくれとは言わない――すまない、カルナ……私の宿敵」

 

 

 カルナはそんな呟きを最後に聞いた気がした。

 

 ストン、と。

 軽い音が体に響く。

 

 カルナが霞む視界で見たのは、己の首を射抜いた一本の矢。

 それはアルジュナが放った矢であり、神性が込められた矢は容易くカルナの肉体を貫いた。黄金の鎧を持たないカルナはソレを防ぐ手立てを持たず、また治癒する事すら出来ない。

 パーシュパタアストラ(蒼穹の弓)によって放たれた矢。

 カルナはせり上がった血を吐き出した。

 

「ヵ……ァ、ル、ジュ……」

「……恨み言も罵倒も、あの世で甘んじて受けよう、カルナ、故に一足先に待っていてくれ、直に私も其処に堕ちるだろう」

 

 カルナはアルジュナに向かって手を伸ばし、しかし既に気道を射抜かれたカルナは何かを発する事が出来なかった。伸ばした手はアルジュナに届く筈もなく、ゆっくりと仰向けに倒れるカルナ。

 アルジュナは悲痛に歪んだ表情のまま、倒れ逝く宿敵を眺め。

 カルナは己の死を悟り――天命には抗えなかったのかと、失意の中に沈んだ。

 彼の中にあったのは、アルジュナに対する悲しみと、クリシュナに対する憎しみ、そしてドゥルヨーダナに対する後悔であった。

 

 あぁ、クリシュナ、お前は唯一願ったアルジュナとの決闘さえ汚すのか。

 アルジュナ、お前との決着、こんな形で終わるとは、無念という他ない。

 ドゥルヨーダナ、すまない、せめて最期に一言、君に――。

 

 カルナの精神は敗北を認め、ゆっくりとその生涯を終えた。例え邪道、卑怯の類によって敗北しようと、死と言う結果は結果。既にカルナは敗れ、その生を終えようとしていた。それが武人の矜持であったからだ。

 

 

 

 

 あくまで【カルナの精神】は――だが。

 

 

 

 

「あぁ――ァあぁアァあぁアアッ!」

 

 雄叫びが上がった、首を射抜かれたカルナ自身から。それは獣の咆哮に似ていて、凡そカルナが発したとは思えない程のもの。理性など欠片も感じさせないソレにクリシュナとアルジュナは身を竦ませる。

 

 カルナの精神が死んだ時、その肉体はどうなるのか。

 本来であれば肉体に宿る人格は一つのみ、唯一の精神が枯れれば肉体もまた死を迎える。だが今この時、この瞬間だけは異なる。

 このカルナの人格が消えればどうなるのか?

 

 

 即ち――(もう一人のカルナ)が主導権を得る。

 

 

「グリジュナァアアアアァアッ!」

 

 血の泡を噴きながらカルナは激昂する、それは先程の穏やかな表情からは想像する事も出来ず、正に豹変と言って良かった。カルナ――否、弦は思うがままに叫ぶ、叫び、同時になけなしの神性を右手に宿した。

 黄金の弓は既に消失している、カルナの肉体とは言え現在操っているのは弦。

 

 故に、彼はこの時代に成し得ない一つの奇跡を体現する。

 

メラーガルム・シャクティ(私の熱き力よ)

 

 叫び、黄金の粒子によって構成されたソレを見たクリシュナは驚愕した。

 

「馬鹿なッ――!?」

 

 カルナの手に掴まれたのはビーマの息子、ガトートカチャを屠ったインドラの槍――銘を『ヴァサヴィ・シャクティ』

 使えば必中、当たれば確殺、その凶悪極まる槍をカルナは己の手で作り出して見せた。記憶の逆流入、カルナの記憶が弦の肉体に影響を及ぼす様に、弦の記憶がカルナの肉体に影響を及ぼすのも又必然。

 本来ならばあり得ないヴァサヴィ・シャクティの模倣、弦はソレをクリシュナとアルジュナの前で成し遂げて見せた。そこから感じられる神性は弱弱しい、アストラ・スーリヤと同程度の神性しか込められていない。

 高々一矢と同じ密度、しかし侮る事無かれ。

 

 

 この槍は、彼のインドラの槍を模倣しているのだから。

 

 

「殺すッ、殺ジてやるッ、お前ェだけはァ、絶対にィッ!」

 

 カルナの決闘を汚しやがった。

 何度その矜持に土を掛ければ気が済むのだ。

 策略に次ぐ策略、唯一望んだアルジュナとの決戦でさえ、お前は――!

 

 弦はこれ以上ない程に激怒した、その怒りは最早カルナの精神が役割を果たさなくなっても、十全に肉体を動かせるほどの激情。弦はメラーガルム・シャクティを掴んだまま上体を逸らし、もう片方の手で喉に突き刺さった矢を引き抜いた。

 ブシュッ、と鮮血が飛び散り、喉に血が詰まる。

 だが、それをものともせず弦は吠えた。

 

「穿て、殺せ、ぶち抜け、何が何でもッ、アイツを殺せぇェッ! ――【メラーガルム・シャクティ】!」

 

 そうして放たれたのは執念の一撃――或は憎悪と言い換えても良い。

 黄金の槍は弦の手を離れ、空気の壁を撃ち抜き、ボンッ! という衝撃音と共にクリシュナ目掛けて放たれた。奇妙な唸りを上げて迫る黄金の槍に、クリシュナは顔を青くする。だが腐っても英雄、ヴィシュヌの化身、咄嗟に腕を突き出して叫んだ。

 

パソパティス(神の盾)!」

 

 それは先のアストラ・スーリヤを防いだ天界の盾。

 神性を纏う盾が黄金の槍を防ぎ、その表面に切っ先が衝突する。火花と黄金の粒子を散らして回転する槍に盾はピシピシと罅を大きくした。元より矢が入れていた罅、それがどんどん大きくなる。

 

「馬鹿なッ、死に体で、何故これ程のッ――!」

 

 クリシュナの言葉は最後まで続かない。

 弦の放った黄金槍はパソパティスを穿ち、その奥に居てクリシュナに直撃する。だが盾によって僅かに軌道の逸れた槍は、クリシュナの頭部ではなく右腕を捉えた。

 鋭い切っ先は容易くクリシュナの腕を斬り裂き、自壊を恐れたクリシュナは自ら右腕を千切り捨てる。一拍遅れて黄金槍は神性を外部に放出し、アルジュナとクリシュナの至近距離で閃光が巻き起こった。

 

「ッぐあッ!」

「っ、クリシュナ!?」

 

 アルジュナは咄嗟に残ったパソパティスの一枚で閃光を防ぐが、クリシュナはモロに閃光を受けて地面を転がる。その表情は血に塗れ、青く血の気が引いていた。

 殺せる――もう一発で、殺せる。

 

「これでぇ……!」

 

 弦は首から流れ出る血も厭わずに第二の黄金槍を生み出す。

 最早模倣も出来ない、ただ空洞だけがある黄金槍、所々パーツが足りずに透けて見える、外面だけを取り繕った粗悪品だ。

 だが他ならぬスーリヤの神性で構成されたソレは神をも殺し得る矛を持つ。これで十分だ、手負いのクリシュナを仕留めるには。

 

「死ね、惨たらしく死ね、後悔して死ね、己の抱えた業を知り、炎に焼かれて死に絶えろッ!」

 

 生み出した黄金槍を構え、再び弦は投擲態勢に入る。黄金槍を確りと掴み指先で一回転、その矛先をクリシュナに向け限界まで背を逸らした。ギチリと背筋が悲鳴を上げ、腕に青筋が浮かび上がる。

 例え槍が粗悪品だろうが問題無し、ソレを投擲するのはカウラヴァの大英雄カルナ、であるならばクリシュナが再び神の盾を持ち出そうが問題無い、防ぐ盾諸共沈めてやる。

 

 地面に転がったクリシュナは再度槍を構えたカルナを見て恐怖に顔を歪ませる。

 弦は万感の思いを込めて叫んだ。

 

 

 

「メラーガルム・シャク――!」

 

 

 

 

 

 《同調値危険域突破、没入者の人格重複確認――強制引き揚げ(サルベージ)を実行します》

 

 

 

 

 





 遅くなってすみません。
 その分文字数を上乗せしたので許して下さい。
 いやぁ、ようやくここまで書けました。
 次回か、もしくは次々回位で完結です。

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