ウーイッグのカテジナ・ルース   作:Mariah_Bastet

6 / 12
舞台は再びウーイッグです。
カテジナの心は、未だ戦場に囚われています。


第5話 小さな決着

「おいでなさいな。もうピストルを向けたりしないわ」

 

 

カテジナは喫茶コーナーのテーブルに軽くお尻をかけて、

白濁したチョコレート色の目を細めて言った。

 

テーブルの上には逆さにした椅子がきちんと並んでいるが、

売り場の方はこの間の乱闘で荒れ果てたままだ。

 

マスの酢漬けの空き缶が少し増えているくらいのことだった。

 

 

――ひどい臭いだ。

 

 

いくら保存技術が進んだ時代とはいえ、開封された食品の腐敗は避けられない。

 

このまま暖かくなれば、蝿が飛び回ることになるだろう。

 

その死臭の中で、カテジナは微笑みを浮かべている。

 

 

「戦争は終わったんですよカテジナさん」

 

「そうよ」

 

「終わったんです」

 

「そうだと言っているじゃない」

 

 

陳列棚がなぎ倒され、食料品の転がる中を、ウッソはゆっくり進んでいく。

 

穀物バーの袋を踏んでしまって、ガサリと砕ける音がした。

 

 

「カテジナさ……」

 

 

カテジナはお尻の後ろに隠していた、ご丁寧にもあの日、

ウッソのわき腹を突き刺したものと同じベスパの軍用ナイフを、

逆手に握って襲いかかってきた。

 

ウッソは振り下ろされたカテジナの手首をとっさに両手で掴み、

勢いを殺しきれずに仰向けに倒れた。

 

 

「つッ……!」

 

 

うなじに痛みが走る。

 

転がっている缶詰の空き缶か何かで切ったらしい。

 

 

「そうやってずっと待っていたんですか!? まったく……ちっとも成長しない!」

 

 

カテジナは見えない目を見開いた。

 

 

「子供が大人に向かってそれを言うのか!」

 

「4つしか違わないでしょう!」

 

 

汚れたナイフの切っ先は、ウッソの喉の手前で震えている。

 

カテジナはナイフを両手で握り、その両手首をウッソが捕まえている。

 

それからはもみ合いになった。

 

ウッソは片足で床を思い切り蹴って体をねじり、カテジナの上を取る。

 

しかしナイフは上を向いていて、ウッソの眉間に狙いを定めていた。

 

 

「…………!」

 

 

ウッソはちょうど隣にあったテーブルの脚を、

ときどき上を振り返りながら何度も強く蹴った。

 

 

「悪あがきを……ッ!」

 

「あがきますよ!!」

 

 

その瞬間、ウッソは首をカテジナの肩口にぐうっと逸らした。

 

ナイフの向かう先に降ってきたのは、ウッソが蹴ったテーブルの、上に乗っていた椅子だ。

 

 

カンッ

 

 

背もたれの無い椅子の座面に、ナイフが突き刺さった。

 

ウッソはカテジナの上に乗ったまま、体をくの字に曲げて椅子を足に引っかけると、

バネのように体を伸ばし、ナイフの刺さった椅子を思い切り蹴り飛ばした。

 

カテジナの手からナイフの柄がすっぽ抜け、

その刺さった椅子ごと部屋の隅まで転がっていった。

 

 

「はあっ……はあっ……はあっ……」

 

「フーッ……フーッ……フーッ……」

 

 

ふたりの荒い息と心臓の鼓動が、折り重なった互いの胸に反響する。

 

身体が熱い。

 

すえたようなマスの酢漬けの臭いの中に、甘い肉体の匂いが混じった。

 

ウッソの目の前にはカテジナの白い首筋があって、

柔らかそうな耳たぶに、翡翠のピアスが静謐を湛えている。

 

薄暗い店内で、獣のように激しくもみ合っていたふたりとは、

あまりにも対照的な冷たい光だった。

 

 

「いつまでも……」

 

 

乾いた口を、最初に開いたのはカテジナだった。

 

 

「いつまでも……君が想う私であると思われているのは、

 とても気持ちが悪いのよ。それがどうして、分からないの?」

 

 

言葉を紡ぐたびに、白いのどが動いた。

 

カテジナのすらりと背の高い身体は、ウッソの下で人形のように弛緩している。

 

力の抜けた肢体から、ただ熱と心臓の鼓動だけが伝わってきた。

 

 

「僕だって……成長したんですよ」

 

 

ウッソは息を整えながら、カテジナの言葉に答えた。

 

 

「僕が僕のあこがれをぶつけたって、

 カテジナさんは自然なカテジナさんにはなれないってことは、分かってます」

 

 

ウッソは片方の手首を掴んで、組み敷いているようでいて、実際はただ小さな身体で、

背の高いカテジナに乗っかっているだけの格好だった。

 

何かの弾みでカテジナの殺意が再び目覚めれば、

フォークでも空き缶でも拾って襲いかかって来るだろう。

 

何か言わなければならない。

 

そう思うと、ずっと考えていたことが口をついで出てきた。

 

カサレリアの暮らしの中で、そしてマーベットの赤ちゃんを見て。

 

ずっと考えてきたことだ。

 

 

「でも本当のところ、自然な自分なんてものは無いんです。

 

 特に僕たちのように生き方を何度も変えた人間は、

 自分の意志で自分の在り方を探さなければいけない。

 

 それが環境を著しく変えず、適合するものであるのなら、

 それがきっと、本当のニュータイプというものなんです」

 

 

「よしてよ、今更ニュータイプ論なんて」

 

 

ふたりの荒い息は、徐々に治まってきた。

 

心臓はまだ熱い。

 

握った手首に、そして胸の向こうでトクトクと脈打っている。

 

 

「今だから言うんです……今こうしているときに、

 大地に根を張って生きていけないのなら、

 それはカガチのやり方を認めることになりますから」

 

「もうカガチは死んだし、エンジェル・ハイロゥも無いのよ」

 

「必要を感じれば、きっとまた誰かが同じことをします。

 だから、そんなものは必要ないってことを、

 僕たちは生き方で示していかなければならないんです」

 

「……それこそ子供の理屈ね。子供が大人の手本になる気でいるなんておかしいわ」

 

「子供、子供って……僕だって4年経てばカテジナさんと同い年なんですからね……」

 

 

ウッソの腰の下で、カテジナの細いお腹が膨らんだ。

 

それから、ふーっとため息をついた。

 

ウッソの腰が、カテジナのお腹に沈んだ。

 

 

「あなたね、オデロ君のことも、シュラク隊の人たちのことも、何とも思わないの?」

 

 

これを聞いてウッソは驚いた。

 

カテジナがクロノクルに拉致されたのは、シュラク隊と合流する前だったからだ。

 

 

「カテジナさん、シュラク隊を知っているんですか?」

 

「知っているわよ。あなたがイエロージャケットを知っているようにね。

 こっちでも有名な部隊だったわ。そしてその中の4人を

 私がこの手で殺したことも知っている……あなたは、今、仇の上に乗っているのよ」

 

「フラニーさんと、ミリエラさん……ユカさんと、コニーさんです」

 

 

4人の顔が心に浮かんだ。

 

 

いつも明るくて、ウッソを全身でめいっぱい可愛がってくれたフラニー。

 

そんなフラニーやウッソをからかいながら、誰にも負けない優しさをもっていたミリエラ。

 

微笑んで見せるときにも、どこか暗い影を背負っていたユカ。

 

子供の目にも健気に見えた、ジュンコに代わってシュラク隊を引っ張ってきたコニー。

 

 

「………………」

 

 

そして彼女たちの顔を思い浮かべたとき、そこに重なるのは、

オリフィアの健やかな笑顔、そして小さな手のひらが、ウッソの指を握る感触なのだ。

 

 

「彼らを殺したのは……ベスパのカテジナ・ルースです……」

 

 

何度も、何度も考えたことだった。

 

そうして、こうでなければならない事実なのだと何度も反芻した。

 

ウッソとカテジナが同じ世界で再び生きることを認めるには、

そうでなくてはならなかった。

 

 

「詭弁もいいところよ……」

 

 

カテジナは鼻で笑おうとしたが、胸が震えてうまくいかないようだった。

 

 

「そんなのはよして。そんなのは嘘だわ。どこにいようと、私は私じゃない」

 

「……違います!」

 

 

カテジナの細い手首を掴む手に力が入った。

 

親指に、固い筋が感じられた。

 

 

「今ここにいる、僕がこうして触れている、

 このカテジナさんだけがカテジナさんなんです! だから……」

 

 

あの戦場で、耳に響いた言葉がこだまする。

 

愛する人たちの言葉が。

 

 

「だから……」

 

 

その言葉を、ウッソは振り切った。

 

 

「もう倒すべき相手はいないんです……」

 

 

そう言ってしまうと、ウッソの身体からはすっかり力が抜けてしまった。

 

気がつけば涙を流していた。

 

知らず知らずのうちに、ウッソの頬はカテジナの肩口に寄せられていた。

 

カテジナの落ち葉色のコートが、熱い涙を吸っている。

 

 

――最近、なんだか、泣いてばかりだ。

  戦争は終わったってのに……。

 

 

「………………」

 

 

気が付けばカテジナも、空いた方の手のひらをウッソの背中に当てていた。

 

抱きもせず、撫でることもせず――ただ力の抜けた手のひらを、

物みたいに小さな背中に乗せていた。

 

 

「僕だって山ほど人殺しをしたんです」

 

 

身体の震えと、ウッソの声が、カテジナの手のひらに響いた。

 

 

「僕たちは、僕たちの名前は、住む土地に戻らなきゃいけないんです。

 そうじゃないと、戦争なんて永久に終わりませんよ。

 絶対終わらせなきゃいけないんです、死んでいった人たちのためにも」

 

 

――なんて小さいんだろう。

 

 

カテジナは思った。

 

自分の上に乗っているこの身体は。

 

自分の手首を掴む手のひらは。

 

あの日、クロノクルがカテジナの上に乗ったとき、カテジナは大きく背を反らして、

仰ぐようにキスをしたのだ。

 

大きな手のひらが、手首を包んだのだ。

 

 

――ウッソ・エヴィンは、どうして、こんなに悲しいほどに、小さいのだろう。

 

 

モビルスーツは身体を覆い隠してしまう。

 

男も、女も、子供も、関係ない。

 

それでも――。

 

戦場で何度も何度もぶつかったウッソという少年の、

この身体のちっぽけなボリュームが、

カテジナが駆け抜けたあの戦場に比して、ひどく不釣り合いなものに感じた。

 

 

「いつまで上に乗っているつもりなの……手首が痛いわ」

 

 

そう言われてウッソは、あらためて互いに反響する胸の鼓動と、首筋の甘い匂いと、

前の開いたコートの中に、自分の肩が深く食い込んだカテジナの乳房を感じた。

 

首を上げれば、何もかもをあきらめたような、カテジナの茫洋とした瞳があって、

少しこけた頬には、激しくもみ合ったために赤みが差していた。

 

乾いたくちびるは力が抜けたように小さく開かれて、濡れた赤い中身を暗く覗かせている。

 

ウッソは弾かれたように跳ね起きた。

 

 

「ご、ごめんなさいっ! 僕、そういうつもりじゃ……!」

 

 

真っ赤になって後ずさりして、テーブルに背中をぶつけると、

椅子が落ちてきて頭を打った。

 

 

「いっつぅ……!」

 

「なら、どういうつもりだというのよ」

 

 

カテジナはゆっくりと上体を起こして、手探りで分かる限りに、襟元の乱れを直した。

 

 

――なんだか、しらけちゃった。

 

 

カテジナは部屋の明るい方に目をやった。

 

そこには窓があるはずで、向かいの建物のガラスが夕陽を反射している。

 

その下の影にウッソ・エヴィンがいる。

 

 

「………………」

 

 

しらけるということは、情念から解き放たれることでもある。

 

静かな現実に、身を晒すことでもあるのだ。

 

帰り際に、ウッソは言った。

 

 

「……負けませんからね」

 

 

そう言われて、カテジナには特別、何の感情も湧かなかった。

 

 

「私を殺そうというのなら、早くしてちょうだいな」

 

「違います……死んだ人にですよ!」

 

 

それだけ言うと、ウッソは走って行った。

 

土を蹴る音がやむと、ワッパの音がして、やがてそれも遠くなって、消えた。

 

 

――そういうところが、本当に気持ち悪いのよ。

 

 

外で風が吹くと、ドアがバタバタと変な音を立てた。

 

先日カテジナが角のベルを拳銃で撃ったために、建て付けが悪くなったらしい。

 

すきま風が入ってくる。

 

それに、

 

 

――ひどい臭いだわ。

 

 

カテジナは、部屋に散らばったマスの酢漬けの、腐った臭いに初めて気がついた。




マーベットの子供の誕生が、思考の呼び水となったように、
ウッソの執着は、カテジナの澱んだ精神にわずかな風を吹き込みました。

次回は、ハイランド組とカサレリア組の交流のお話です。
開拓によって作られた新しい村の名は――。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。