ウーイッグのカテジナ・ルース   作:Mariah_Bastet

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今回はカサレリアのお話です。
ウッソを心配するシャクティと、月が満ちたマーベットは……。


第4話 光は巡る

掃き掃除をしていたシャクティは、ウッソの顔を見るなり箒を放り出して駆けつけた。

 

 

「おかえりなさいウッソ……どうしたのその顔!?」

 

「顔?」

 

 

ウッソは鏡で自分の頬を見てみると、腫れが引いたかわりに内出血が拡がっていて、

痛々しい紫色になっていた。

 

 

「……ちょっと、ぶつけたんだ」

 

「どこにぶつけたっていうの?

 ちょっと何かにぶつかったくらいでそんなふうにはならないわ」

 

 

まさかカテジナに拳銃で撃たれたとは言えない。

 

 

「ウーイッグで、地雷の無害化の最終試験をやってたんだ。

 そのとき破片が飛んできてさ」

 

「だから危ないって言ったのよ」

 

 

シャクティは棚から救急箱を取ってきて、ウッソの頬の傷に消毒剤をつけた。

 

 

「いちちちちっ! でもさ、爆発させるのはこれで最後だから。

 あとはこの地図を拡げていくだけさ」

 

 

ウッソがテーブルに広げた地図には、安全地帯が緑のマーカーで塗りつぶされている。

 

シャクティは、その緑色の流れがルース商店にまっすぐ注ぎ込んでいるのを見て、

ピンセットを持つ手を止めた。

 

 

「どうしたの、シャクティ?」

 

「いたんでしょう?」

 

 

ピンセットを持つ手が再び動き始めた。頬の消毒を終えて手際よくスキンシールを貼ると、

後かたづけをして救急箱のフタを閉じた。

 

やることが終わってしまうと、シャクティは暗い顔で

救急箱の十字のマークをじっと見つめている。

 

 

「カテジナさんが、ウーイッグに……その、ごめんなさい」

 

「知ってたんだね」

 

 

ウッソはどんな顔をしていいか分からずに、

すべすべする頬のスキンシールを軽く爪で掻いた。

 

 

「戦争は終わったんだよシャクティ。いろんなことがあったけど、

 もうそんなふうに警戒しなくたっていいんだ。助け合わなきゃ」

 

「カテジナさんは、危険な人だったわ」

 

 

“だった”と言ってしまったところに本音が現れているのだと、

シャクティは気付いているだろうか。

 

 

「戦争だったら、おかしくならない方がおかしいんだ」

 

 

ウッソは自然とシャクティの視線の先を追い、

ふたりで救急箱の十字を見つめながら話を続けた。

 

 

「僕もモビルスーツに乗っていたから分かる。

 住む場所や立場で人格が変わっちゃうことって、あるんだよ。

 

 僕も戦争中はリガ・ミリティアのウッソだったじゃないか。

 ベスパやザンスカールがそれだけ異常だったってことさ」

 

 

「……そんなに肩を持つの?」

 

 

気が付くと、シャクティは救急箱の十字ではなくて、ウッソの目を見つめていた。

シャクティがこんなにまっすぐにウッソの目を見るのは、とても珍しいことだ。

 

ザンスカールの姫君をしていたときは、ときどきこうして大人の瞳を

射通したものだけれど、ウッソはそんなことは知らない。

 

見慣れたはずの大きなとび色の瞳に、妙にどぎまぎしてしまって、

ウッソは思わず窓の方へ目を逸らした。

 

 

「だって今は、ウーイッグのカテジナさんでしょ……」

 

 

そう言ってしまうと、ますます気まずくなってしまった。

 

 

「……あの、ウォレンどこに行ったか知らない?」

 

「コンピュータールームでお勉強しているわ」

 

「そう。あの、手当てしてくれたの、ありがとう」

 

 

ウッソは椅子から立ち上がると、そそくさと家を出て、地下室に降りた。

 

 

「まったく恋愛小説ってのはさ!」

 

 

コンピュータルームに入ると、ウォレンが画面に古い小説を表示させたまま、

頭の後ろに手を組んでコンソールに両足を上げていた。

 

 

「女の子を振り向かせるための手順がまるで書かれてないんだよ。

 気がつけばお互いに、とか、最初からずっと片思い、とか、そんなのばっかりでさ。

 結局学んだのは、マジになった女の子は心臓に悪いってことだけさ」

 

 

画面に表示されているのは“アンナ・カレーニナ”らしかった。

 

 

「シャクティを大事にしなよウッソ」

 

「なんでそこでシャクティが出てくるのさ!」

 

 

思ったよりずっと大きな声が出てしまって、

家まで聞こえやしなかったかと、ウッソはひやりとした。

 

 

「ウォレンこそ、マルチナさんを大事にしなきゃいけないんじゃないの?」

 

「その大事にする段階に至るまでの手順を、こうして探してるんじゃないか。

 わりとロマンチックな出会いをしたはずだったんだけどなあ」

 

「そうだっけ?」

 

「そうだよ。見知らぬ世界での新たな出会い。広大な宇宙に浮かぶ小さな島で……」

 

「マルチナさんにとっちゃ、住み慣れた家だよ。

 ウォレンにとってロマンチックだっただけじゃない」

 

「なら、そんな辺境にひとり現れた旅人ってセンは……」

 

 

「4人も5人もゾロゾロ入っていったでしょ。

 そういうおとぎ話みたいなことはあきらめなよ。

 

 マルチナさんはお話に出てくる女の子じゃなくて、

 ちゃんと生きてそこにいる人間なんだから」

 

 

「人間って難しいよ……」

 

「たぶん、だからそんなにたくさん小説が書かれたんじゃないの」

 

 

ウッソが画面端にずらりと並んだアーカイブリストを指さして言うと、

ウォレンは大きなため息をついた。

 

 

「そうか。僕も書いてみるかなあ」

 

 

疲れ目を両手で覆うその仕草がちょっと可哀想になって、

ウッソは元気づけてやりたくなった。

 

 

「オデロだってエリシャさんと好き同士になれたんだからさ、

 ウォレンだってマルチナさんと仲良くなれるよ」

 

 

我ながら無責任なことを言うなあ、とウッソは思った。

 

ウォレンは顔を覆っていた両手を膝に置いた。

 

 

「エリシャさんとマルチナさんは姉妹だけど別の人間だよ。僕とオデロはもっと別人さ。

 あの押して押して押しまくる積極性というか図太さは、僕にはないよ……」

 

 

ウッソの頭に浮かんだのは、最初に出会った日のことだ。

 

ずかずかと家に入ってきて、勝手に食べ物を漁る3人組のガキ大将。

 

 

――右手、ポケットから出しなよ。銃を出すならナイフを投げるぜ。

 

 

そんなオデロと比べると、ウォレンは同じ戦災孤児でもどこかお坊ちゃんっぽいというか

控えめな感じで、ホワイトアークでのサポートはしっかりやったけれども、

モビルスーツには乗らなかった。

 

だから今、こうして生きているのだとも言える。

 

 

「マルチナさんにとって何が幸せかを考えてあげれば、

 おのずと上手くいくんじゃないかな」

 

 

ウッソが気休めにそんなことを言うと、

ウォレンは頭の後ろに指を組み直して、チラリと睨んだ。

 

 

「オデロも言ってたけどさ、ウッソのそういうところ可愛くないよね」

 

「別に可愛くなくていいよ、男なんだから」

 

 

そう言いつつも、かつてカテジナに同じことを言われたのを思い出して、

チクリと胸が痛んだ。

 

 

 

………………。

 

…………。

 

……。

 

 

 

マーベットの子供が産まれたのは、その次の日のことだった。

 

ウッソとウォレンとスージィの3人でテレビを見ていると、

シャクティが家に飛び込んできた。

 

 

「陣痛……きたの……マーベットさん!」

 

 

それを聞いたウッソは、すぐワッパに飛び乗ってとなり村に向かった。

 

陣痛が来たら呼びに来るようにと、イエリネス姉妹の母から言い使っていたのだ。

 

彼女はかつてハイランドの船医であり、何度か出産に携わったこともあるらしい。

 

フットワークの軽いウッソに仕事を取られてしまったウォレンは、

 

 

「僕はどうしたら……!」

 

「お湯を沸かしてちょうだい!」

 

「りょ、了解!」

 

「スージィは一緒に来て!」

 

「分かった!」

 

 

ウッソがイエリネス夫人を乗せてカサレリアに戻ったときには、

ウォレンがお湯を張ったタライを持って、家から出てきた所だった。

 

 

「お湯! お湯です! 僕が沸かした! あっち!」

 

「子供を茹でダコにする気なの? 水でうめてきなさい!」

 

 

夫人にどやされて、ウォレンは慌てて井戸へと走っていった。

 

 

「遅いよウッソ! マーベットさんハスイしたってシャクティが!

 ハスイって何か知らないけど……」

 

 

スージィはカルルの面倒を任されているらしかったが、自分の役目に甘んじて、

落ち着いているわけにもいかないという様子だ。

 

 

「スージィ、あなたは入って来なさい! ウッソはカルルを見てて!」

 

「はいよ!」

 

 

イエリネス夫人とスージィは、嵐が吸い込まれるみたいにシャクティの家に入っていった。

 

中から聞こえる、あれこれと指示をとばす声。

 

シャクティとスージィのはきはきした返事。

 

忙しない足音。

 

マーベットさんの、苦しそうにいきむ声。

 

ウッソはカルルの小さな手に親指を握らせて、

あんよをさせながらも、気もそぞろで落ち着かない。

 

 

「お湯持ってきましたーっ!」

 

 

ウォレンが叫びながら戻ってくると、腕まくりをしたシャクティが飛んで出てきた。

 

普段のおっとりした様子からは想像できないほどの素早い動きで、

ウォレンからタライをもぎとって、家に走り戻っていく。

 

ウォレンはタライを持ったときの格好のまま、ぽかんとしていた。

 

 

「……男って無力だね」

 

「今が出番じゃないだけさ」

 

 

ふたりでカルルをあやしながら、じっと時が来るのを待っていた。

 

 

そうして、その時がきたとき――ウッソにはシャクティの家が、

一瞬うわっと膨らんだような感覚を肌に感じた。

 

熱い鼓動が鼻先から背中へと抜けて、世界に拡がっていくような。

 

カルルがあんよをやめて、ぺたんと地面にお尻をついた。

 

風が止まったような気がした。

 

 

――赤ちゃんの泣き声!

 

 

カサレリアの空気を呼吸する最初の声だ。

 

それを聞いて、ウッソの胸がきゅうっと熱くなった。

 

脳裏に去来するのは、なぜかあの戦争のひとつひとつの瞬間だ。

 

 

オデロ、シュラク隊の面々、リガ・ミリティアの大人たち、

オリファーの、母の、父の、ひとりひとりの顔だった。

 

 

人間の命が炸裂する瞬間、それぞれの想いが宇宙に放射して、消えてゆく瞬間。

 

ウッソが手を下した命も数え切れないほどにある。

 

 

ウッソの幼さに涙を流し、手榴弾で自決した禿頭の男。

 

自分の死をもって、戦場を教えたゴッドワルド。

 

カサレリアに眠る、良き父マチス・ワーカー。

 

ウッソに執着し、己が母性に絶望を見出したルペ・シノ。

 

ギロチンの運命と狂気に囚われたファラ・グリフォン。

 

悲しい優しさでカテジナと自身を縛り、

そこから最期まで抜け出せなかったクロノクル・アシャー。

 

カイラスギリーの怪光に呑まれた艦隊。

 

数多の、名もなきモビルスーツ・パイロットたち――。

 

 

宇宙に咲いた、ひとつひとつの光だった。

 

 

「ほら、赤ちゃん産まれたよ、ウッソ! なんで泣いてるのさ」

 

「なんでって、ウォレンも泣いてるじゃないか……」

 

「あれ?」

 

 

ウォレンは自分の頬に手を当てて、濡れていることに驚いた様子だった。

 

ウッソは胸の熱さと同じものが、下まぶたから溢れてくるのを感じている。

 

カルルはきゃいきゃいと嬉しそうに立ち上がって、

シャクティの家に入ろうと歩き出した。

 

 

「まーえっと、あかちゃ! あかちゃ!」

 

「だめだよ、いいよって言われるまで、男は待ってなきゃいけないんだ」

 

 

シャクティの家のドアが開いて、顔を真っ赤にした汗だくのイエリネス夫人が出てきた。

 

畑の傍らにある岩に腰を下ろし、タオルでこめかみの汗を拭いながら、ふーっと息を吐いた。

 

 

「重力下でのお産は初めてなの。こんなに大変だとは思わなかったわ。

 設備も無いし、まるで石器時代。でも大丈夫、何もかもうまくいったわ」

 

「もう、赤ちゃん見てもいいんですか?」

 

「いいわよ、あんまり騒がないようにね」

 

「はい! よし、行こうウッソ、カルル」

 

「だぁ!」

 

 

ドアを開くと、赤ん坊はガーゼのおくるみに包まれて、シャクティに抱かれていた。

 

ウッソは声も出せなかった。

 

しわくちゃの赤い顔に、生きていること、生きてゆくことそのものの、

かたまりみたいな赤ん坊に圧倒された。

 

宇宙に散った無数の光。

 

死んでいったみんなの命が凝結した、あの子はひとつの心臓なのだとウッソは感じた。

 

スージィに汗を拭かれながら、マーベットはベッドで憔悴しきった様子で、

それでもひとつの命を産み落とした充足感に、おだやかに浸っているように見えた。

 

 

「抱かせてちょうだい……」

 

 

シャクティは頷くと、赤ん坊をマーベットにそうっと渡した。

 

マーベットの背中には畳んだ毛布が敷かれていて、少し上体を持ち上げた格好だ。

 

すらりと長い腕が、赤ん坊を包んだ。

 

ムクムクした小さな手が、マーベットの褐色の頬に触れた。

 

 

「女の子なのよ」

 

 

なぜか得意げなスージィ。

 

シャクティはベッドの傍らに静かに立って、

ひと働きしたあとの暖かな空間にまどろんでいるようだった。

 

 

「名前は、もう決めたんですか?」

 

 

ウッソが尋ねると、マーベットは微笑んだ。

 

 

「オリフィア……」

 

 

そう呼んで、我が子を見つめるマーベットの姿は、

この世の何よりも美しいとウッソは思った。

 

 

「この子はオリフィア・イノエ……安直でしょう?」

 

「そんなこと……ありませんよ」

 

 

ウッソは半ば呆然としていて、しばらく考えてから言った。

 

 

「この子の名前通りに、平和な世界を作っていかないといけませんね」

 

 

シャクティが目を上げた。ウッソは続ける。

 

 

「オリファーもオリフィアも、語原はオリーブですよね………旧約聖書のノアの箱舟の。

 世界を飲み込んだ嵐の後に、海の向こうの土地から鳩が持ち帰った」

 

 

すらすらとは言えない。ウッソの声は震えていた。

 

 

「その平和の象徴ですよ。嵐の後の、平和の子なんです。

 だから、守っていかないといけないって……そう思うんです」

 

「そうね。あの人が導いた、平和だものね」

 

 

オリフィアの頭の和毛(にこげ)を撫でながら、マーベットが言った。

 

 

「……はい」

 

 

みんな、いろんなふうに死んでいった。

 

それぞれの、死にゆく形で死んでいった。

 

そのすべてに意味があったのかと問われれば、ウッソは答えられない。

 

そのひとつひとつを、今この瞬間に結びつけることは、とても難しいことだ。

 

それでも、それを結びつけなければ――人の死を今につなげて、

胸の灯火としなければ、生き残った者は前に進めない。

 

 

「…………ッ」

 

 

高い鼻をオリフィアの頬に寄せて、マーベットが涙を流している。

 

ウッソもシャクティもウォレンもスージィも、みんな体を震わせて、

小さな嗚咽を漏らしていた。

 

この場で笑顔を浮かべているのは、オリフィアとカルルのふたりだけだ。




マーベットの出産は、彼らのその後を追うためには、
どうしても書かなければならない話でした。
命の誕生は、多くの死を見つめてきたウッソに変化をもたらすでしょう。

次回の舞台は、再び死の街ウーイッグです。

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