「……どう、なった……の?」
何も分からないまま、それでもこの中では答えてくれそうな銀翼の少年に向けて、私はそう問い掛けた
立っているのは二人。下半身が水晶に覆われて、半ば諦めたような表情をした銀髪の女性……セイバーと、そして怖くなったかーくん。いつの間にかミラちゃんがその腕に抱えられていて、けれども喉から生えた水晶が苦しそうで、彼女には聞けない
かーくん。神巫雄輝。ザイフリート・ヴァルトシュタイン。そのはずなのにその姿は……いや、その纏う空気はとてつもなく恐ろしいもので
あんな醒めきった感情の見えない瞳を、彼はしていただろうか。あんな姿を、彼は良しとしていただろうか
血色の魔力を噴出するロケットのような銀翼。枝分かれしたブレードアンテナのような二本の角。そして何より、縦に裂けた醒めた瞳
木々と共に乱立する無数の人間が中に封じられてしまった水晶を、容赦なく消し飛ばすような力も、覚悟も、彼ではない気がして
「知らないさ、己も』
微かに顔を崩し、微笑みを浮かべようとしながら、顔を落とし、抱えあげたミラちゃんに向けて、彼は問う。微笑みは浮かべられず、ひきつった舌なめずりみたいに歪んでいたけれども
「ミラ、何があった?』
『……フリットくん、相手が何をしたのかは、分かる?』
「ああ。プロジェクトPM。確実に勝つ為に、痩せ衰えた
『うん。そう、だね
って何か例えが可笑しいけど、それは良いよ』
抱えられて咳き込んだ金髪の少女の唇から、血の代わりとでも言うように、小さな水晶の欠片が溢れた
『水晶渓谷に、何の罪も無い人々を閉じ込め始めたんだ、彼
水晶に、自らの世界に閉じ込める。生きたまま、世界に取り込んで永遠に逃がさない。噂話を、伝承を……自らの中で完結させて、永遠にするために』
「だから、みんなこんな事に?」
『うん、逃がそうって、思ったんだけど……ね』
力なく、裁定者と呼ばれた少女は首を振る
『逃がせたのなんて、4割も居ないよ
後はみんな、
悔しそうに、少女は呟き
その体が、更なる水晶に覆われる。もう、水晶に取り込まれていないのは、片腕と顔くらい
「かーくん!何とか、ならないの?」
だから、私は……怖い彼にそう聞いた
だって、私の目の前で、完全に水晶内に閉ざされていたはずの彼は内部から水晶を砕いたから
「無理だ』
だが、無感情に最早水晶で出来ているのか否かすら分からない森を、其処に捕らわれた人々を眺め、かーくんは首を振った
「これが、蜘蛛の捕食行為。紛い物でも、それは変わらない
これは、蜘蛛の巣だ。絡め捕られた獲物は、既に蜘蛛の餌なんだよ。もう救えない、手遅れだ』
ああ、とふわふわ浮かぶ雲の上で、納得する
彼は、かーくんじゃないって事を
神巫雄輝は元より、ザイフリートと名乗っていたかーくんでも、そんな事は多分言わない
何となく、無理に全部を一人で背負おうとしている感じはあった。かーくんは、元々溜め込む人だったから。爆発しないように、全部全部一人で何とかしようと溜め込んで苦しんで、それでも最後になんとかしてしまう、大切な幼馴染。私が気が付けるのは何時も何時も、随分と溜め込んでしまってから。彼は水難事故で両親を喪った私を救ってくれたのに、一度も私はかーくんを救えなかった
変わってしまったかーくんの恐さが、きっと人を殺してしまった事を一人で抱え込んでたからなんだって、分かったはずなのに
だから、あんなに恐かった。だから、あんなに頑なだった。だから、だから、だから!かーくんはかーくんであることを否定した。
だから、あれはかーくんではない。そうで、あるはずが無い
かーくんならば、こんな風に水晶に閉じ込められちゃった人々を、あんなありふれた展示物でも見るような醒めた眼で見たりしない。絶対に、自分が引き金を引いた結果のものだからと。自分が殺したようなものだって、勝手に必要ないものまで背負い混んで、だから止まれない、止まれるものかって無理に自分を追い詰める
……だから、聞きたい。あなたは、誰なの?
かーくんの姿で、かーくんの声で、かーくんの体で。けれども、あんなの、人間じゃない
アーチャーが言っていた獣って、彼みたいなものなんだろうかって、そう思う
『たはは
御免ね、フリットくん。御免ね、みんな
クリスマスにはちょっと早すぎて、幸福な結末ってプレゼント、用意出来なかったよ』
「ああ、そうだな』
興味無さげに、彼の体がふわりと浮き上がる
背の翼から噴出する血色の魔力がゆっくりと強まって行き、それにあわせて高度が上がっていく
森全体を
その瞳には、かーくんらしさは無くて
「駄目!かーくん!」
手を伸ばすけれども、届くわけもなく
「破壊を。邪魔だ、出来損ないの蜘蛛の巣。滅び去れ』
翼が、実体を持っているのに変形する
肩を通して前を向くように、ミサイルポッドでも背負ったロボットみたいな姿に
そうして、その両の翼から星すら悲鳴をあげる紅の閃光が迸り……
一条、轍跡のように抉られていた水晶の森は文字通りの荒野と化した
木々も、木々を越える数生えていた水晶も、その中に閉じ込められていた
……いや、違う。セイバーだけは、その中でも立っている。残っている
かーくんが、その前に立ちはだかり、自分が起こした災厄を止めたから
「……エ……ス……」
彼の防御範囲に居たのか、溶け残った一人の男性が、虚ろな眼で手を伸ばす。虚空に向かって、震えながら
「あの人の所に向か」
ふわふわと浮かぶ雲に、私はそうお願いをしかけ
けれども、目の前に辿り着く前に、その男はかーくんの……紅の魔力が延びた剣そのものの手刀によって、この世界から消えた
「かーくん!何で……何で!」
思わず、かーくんに詰め寄る
「まだ生きてた!死ななきゃいけない理由なんて、あったの!ねえ、かーくん!」
「無いな。確かに』
悲しそうな表情は無く。無表情で、彼は答える
ミラちゃんは抱えたし、セイバーは護った。そんな風に、関わりのある人だけは特別視して、そうでない皆は、何も考えずに消し去る。そんなの、かーくんじゃない
「だが、手遅れだ、死ね
それだけの話だ』
「でもっ!」
「水晶は蜘蛛の巣であり、牢獄であり、そして揺りかごだ』
籠手に覆われた左手の親指と人差し指でもって、ミラちゃんの首筋に生えた水晶を事も無げに挟んで折り取り、手首だけ振る
「揺りかごから出され放置された赤子が生きてはいけないように、水晶から解き放たれた人間も既に生存の道は無い』
「だから、殺したの?」
「既に死んでいたも同じだ
あれは、放置すれば吸血鬼になり、近寄ったお前を襲っただろうな、紫乃』
縦に裂けた瞳孔が、静かに私を見詰める
多少は浮かんでいるはずの私に、目線を合わせて
「だからって!
かーくん!らしくないよ」
『……貴方は誰なの、契約上のマスター』
「ビーストⅡ-if、ザイフリート・ヴァルトシュタインだ
前にも言ったぞ?』
『……違うよ、フリットくん
今の君は紫乃ちゃんの言う通り、らしくないよ』
『俺は己だ。それ以外の何でもない
そんな、誰でもなかった俺にフェイがくれた名、それがザイフリート・ヴァルトシュタインだ
ジークフリートのように在れ、と。だから己はザイフリート・ヴァルトシュタインだ。例えビーストであっても、そうでなくとも』
『名前のことを聞いているんじゃないわよ』
「そうか、それでも答えは変わらない』
「かーくん!」
叫んでいた
怖くて。彼が、何処か遠くに行ってしまった気がして
「かーくんは、聖杯で……」
「世界を回帰する。あんな
それだけだ』
その言葉を吐く彼の、右目は酷く輝いていて。文字通りに蒼い光を放っていて
「だから、滅びろ駄犬』
実体を持った銀翼が伸ばされ、槍となる
その槍は、私の背後の何もないはずの空間を貫いた
一拍遅れて、私の首筋を狙い、爪が振り下ろされる。けれども、銀翼の槍によって空中に縫い止められ、その爪は空を切った
「あ……」
けほっ、と、込み上げる嘔吐感に負けて、何かを吐き出す
見えるのは紅
……血だ
「なん……で」
更なる息苦しさに耐えきれず、雲の中に倒れ込む
『……
『……然り』
ゆらりと、月を背に現れるのは狼男、バーサーカー。プライミッツなんとかというのは、良く分からないけど
「黙れ、獲物を取れず痩せ衰えた老犬』
『貴様は!』
「人類種、霊長に対する絶対殺戮権?
そんなものが、同族に効くとでも?
第一』
怒りも何もない。無表情のままに、かーくんの姿の彼は、翼を拡げた
ブースターの向く方向を拡げ、まるで普通の銀翼のように
「ミラを殺せない時点で、お前は権限すら持っていない
……雑種でない犬ならば、見ただけで殺せるぞ?俺なんぞに、防がれる事も無い』
瞳が、静かに私を見据える
苦しかったけれども、死ぬことなんて無く。気が付けば、息苦しさも消えていた
『……何?』
狼男の眉がつり上がる
「
関係あるものか、真実貴様が『比較』の獣であるならば……』
ゆっくりと、更地になった地面にミラちゃんを置く。壊さないように、壊れないように、無表情の中に、それでも私から見れば感じられる
だから、これ以上はおかしな事をして欲しくなくて。見ていたくなくて
それでも、止められる気も、止める気も起きなかったから
「かーくん!ここで!」
アーチャーから貸して貰った棒を、万感の思いを込めて放り投げる
くちゃり、と狼男がマッシュされる。かーくんの眼前に、直径にして300m、長さにして40kmといった程に巨大化した如意棒が大地に突き立つ
「……ああ、そうだな
決着は、空で着けよう、駄犬』
彗星のように、本来今日見える事は有り得ないのに、煌々と輝く満月と火星を背に、紅の尾を引いて、銀の流星は飛び立っていった