どうしよう、どうすれば良いんだろう。何もかも分からなくなって、手足を投げ出してふかふかのベットに沈む
ベットを通して鈍く響いてくる微かな振動と鳴り続ける線路と車輪の軋みが凄く心地よくて、気が付くとついウトウトしてしまいそうにもなるけど
それでも、悩まずにはいられなかった
外を見ると、綺麗な夕焼けが水平線に沈もうとしているけれども、心は晴れない。晴れるわけ無い。例え此処が、寝台急行なんて今ではあんまり本数が無くなってしまった貴重なもので。その中でも割と良い部屋なんだとしても、悩みは解決しない
お爺ちゃん……いや、お爺ちゃんのようにも見えたアサシンちゃんによって寝台急行に連れ込まれてから、二時間以上が既に経過していた
その間に止まった駅はたった一つだけ。けれども、その駅を出発するまで、ずっとアサシンちゃんは私の手首を抑えていてとても逃げ出せるような状況じゃなかった
そうして今、かつて国が運営していた民営会社の幾つもの線を跨いで、この電車は北の大地を目指してひた走っている。次の駅で今更降りたところで、どうやってあの街まで戻れば良いのかなんて、私に分かる訳がない。だって、次の駅がなんて路線のどういう名前の駅なのかすら分からないんだから、乗り換えアプリだって上手く使えないし。降りてからならきっと使えるけど、乗り継ぎにつぐ乗り継ぎで、もう今日中には戻れないなんて事も十分に有り得る
その点、北の大地……終点札幌まで一度行ってしまえば、まだ分かりやすい。アサシンちゃんとかーくんに持たされた手荷物の中には、北の大地で過ごすために暖かい着替えを買って余裕を持って家まで帰れるだけのお金は入っていたから。寝台急行には食堂車があって、しっかりと晩御飯の券も付いていたから今夜の心配だって無い
だからもう、このままで良いんじゃないか、なんて思ってしまって、枕に顔を埋めて足だけをバタバタさせる。スカートはめくれちゃうけど、見る人も居ないから抑えない
でも、それは。アーチャーはああ言ってくれてたのに、逃げてる気がして
「うう、かーくん、アーチャー……」
なのに、話したいのに、もう居ない
かーくんは、私に危害が及ばないようにってこうして私を隔離した。アーチャーは、私に御守りを残して消えてしまった
きゅっと、手の中にアーチャーが置いていった小さな棒を握り締める。大河鎮定神珍鐵、アーチャーが振るっていた宝具。けれども今は、私の掌に乗るくらいに小さく、軽くて、頼り無い
「ねぇ、アーチャー」
掌を唇に寄せて、棒に囁く
答えなんて、返ってくるわけがないんだけど、それでも言葉にしないともやもやは残る
「私、どうすれば良いのかな?」
正直な所、ほっとしてる
戦えない理由を貰えたから。やっぱり痛いのは嫌だし、戦うのは怖いし、死ぬのは考えたくもない。アーチャーがあまりにも特別で、考えなくて佳かった恐怖が、私の手を止めさせる。足を萎えさせる。そして、電車に乗せられて隔離されてしまったからって逃げ出して良い大義名分は此処にある
だけど
「何にも出来ないなんて、それも……やだよ」
その小さな引っ掛かりが、私を唸らせていて……
ふと、耳に扉を叩くような音が聞こえ、眼をあげた
「……ふえっ?」
眼を擦る。しばたかせる
有り得ないものを、幻影を振り払うように
けれども、それは確かに其所に居た。いや、あった
人一人が十分に余裕をもって乗れるくらいの黄金の雲が、窓の外に浮かんでいた
……違う。浮かんでる訳じゃない。寝台急行は今も北を目指して走っている。つまりは、浮かんでいるように見える雲は、電車と
「
私でも知っている、雲の乗り物。孫悟空のもの。名前だけ孫悟空な人も昔は乗ってたんだっけ?
どうして?アーチャーが残していてくれたの?
窓があるのに、それを忘れて手を伸ばす。冬の冷気で冷めたガラスが触れた指先を冷やす
「あ、待って」
けれど、その雲はすぐに飛び去ってしまう
何で、と思う暇もなく、電車が寝台急行にしては大きく揺れた。減速の始まり。つまりは、次の駅が近いのだ
荷物を纏めて、何かに急かされるように知らない駅のホームに降り立つ。私以外に、降りる人は居なくて、待つ人も居なくて、電車がすぐに行ってしまうと、ホームは静まり返る。その端っこ、柵を越えた場所で静かに彼は待っていた
「ねぇ、どうして……」
迷いもなく、左手を伸ばして……雲に、触れる
その瞬間
『良い子のマスター集まりな
サルでも分からない魔術講座、始まるぜ』
有り得ない、でも聞きたかった……昨日聞いたはずなのに懐かしい声が、私の耳に響いた
「アーチャー!?」
雲は消え、其所に立つのは2mほどの身長を持つ、大柄な赤髪の男
『今回はわたくし、斉天大聖の残留魔力が代行しておおくりするぜ。悪いなマスター、これはあくまでも使用書が無いと面倒だろ?ってあらかじめ用意しておいた謂わば映像記録、マスターとのお喋りは機能外なんで注意だ』
「あ、うん……」
捲し立てられて、何も反応出来ない
『ん?何でオレの姿をしてるんだ?って顔をたぶんしてるな、マスター。ってことで軽く言っておくと、風……つまりは空気の屈折よ。姿を隠せるなら、逆に別のものに見せ掛けられない道理なんて無いだろ?』
「いや、回りと同化するより全くの別物に見せかけるのって相当技術力違うんじゃ……」
『系統は同じ、オレレベルになりゃ技術力の差なんてあってないようなモンさ。ってことで納得してくれや』
にっ、とアーチャー……のホログラムは快活に笑う。良く見ると、見せかけと言うだけあってアーチャーの姿は端がブレていた。まるで、テレビのノイズが走るみたいに
『っと、こいつ収録時間が実は3000時間しかねぇし、あんまり他の事言っててもマスターが筋斗雲を必要とする程の理由に間に合わなくなっちまうな。そろそろ解説を始めよう』
寧ろ3000時間もあるんだ……って言葉は心に留めておく。それが、とてもアーチャーらしかったから
『ってことで、マスターがなんとなーく速くて便利な足を求めてたんで、ちょちょいと此処に用意しましたのは筋斗雲
まっ、有名なんで由来とかは省くわ』
ひょいと、アーチャーのホログラムは右手を掲げ、人差し指と中指の二本指だけをつきだして、軽く曲げる。その指先に、小さな金雲……筋斗雲の模型が現れた
『まっ、安心安全な乗り物なら使用書なんていらねぇんだけどよ。これが割と難儀なものでな……。ぶっちゃけ欠陥宝具なんだわこいつ』
「欠陥宝具?」
『正直な所、自前で空飛んだ方がよっぽど役に立つレベルよ、こんなん。なんでオレ自身は使わなかった訳』
抗議するように、小さ雲がアーチャーの頬を叩いた
ちょっとそれが小動物……小鳥みたいで、くすりときてしまう
『ん、まあマスターが恐らく笑うように便利に見えて不便でなこいつ。筋斗雲、
アーチャーがその右手の人差し指でくるくると小さな円を描くと、それに合わせるように雲は縦に円を描く。確かにそれは、後ろ宙返りにも見えた
「それで、欠陥って?」
『こっからが欠陥だ、マスター』
ひょい、とあまりにも軽く、それが当然であるかのように、アーチャーが地を蹴った。溜めすら無く足先の力だけでの半回転、更にそれに体の捻りを加えての横半回転。一瞬の後に、私は上下左右が逆転したアーチャーの顔の目の前に呆けた顔を晒す
『よっと
基本的に上に乗るモンなんで、これくらい出来なきゃそもそも雲から落ちるんだ、これがな
マスターが乗れても、それはそれでスカート捲れるし下着見放題って問題があるんだが、それ以前のレベルだな』
「それって……」
『少なくとも凍ってない湖でフィギアスケートが出来りゃ問題ないぜ?』
「無理だよ、そんなの」
『更には乗れてない奴にゃ防護も何も働かないってサボり効果まで付いててな、下手にオレがマスター抱えて飛ぶと、マスターだけ衝撃波でズタズタになる、下手すりゃ死ぬな』
それさえなきゃ無理矢理御師匠を天竺まで抱えて持ってくって手があったのによ、とアーチャーは苦笑いして誤魔化す
『ということでだ、マスター
こんな使えねぇ雲何とかしようってんで考えたのさ』
「アーチャー、それはどんな?」
『っと、登録完了っと』
その唯一言と共に、アーチャーの姿がブレる。ホログラムが消えて行き、後にはただふわふわと浮く黄金の雲だけが残される
『中に完全に埋もれてしまえば良いんじゃね?ってな
ちょっくら調整に時間はかかっちまったが、これで完了。完全に雲の中なら衝撃波も何もないし、しっかりとした部屋作れば落ちることも無い
そりゃ改造で数回の宙返りでもって唐から天竺までひとっ飛びってレベルの速度は出せなくなるが、何で思い付かなかったんだろうなこれ』
けれども、アーチャーの自称録音した声は響き続ける
それに合わせて、黄金の雲は少しだけ此方へ寄ってきて
触れてみる。押し返されず、ふわふわとした感触のまま触れた指は手首まであっさりと雲の中へと入り込む
『ってことで、筋斗雲も貸しとくぜ、マスター
期限は聖杯戦争が終わるまで、お代は出世払いで』
「出世払いって」
意を決して、雲の中へと飛び込む
不思議と、さっきまで転がっていたふかふかのベッドのような床が私を受け止めてくれた
黄金の雲の中。確かに回りなんて雲の壁で見えなくて、どうなっているかは分からなくて。けれどとどこか安心感のある空間が其処にあった
『支払いは人生一括、充分に充実したって人生話でも、生ききった後に語ってくれや』
「アーチャー、私は」
『行きたいならば伊渡間へ、生きたいならばあの電車を追うように。今からなら、次の停車駅に間に合うぜ?』
「それで……良いの?」
『マスターが、今日までの日々を胸に生きていくってなら、それはそれで良いさ。聖杯戦争の日々は、マスターの心にとって決して無駄じゃ無かったんだろ?』
「でも」
アーチャーの声は、録音したものだと言っているのに、どこまでも私に寄り添うように、優しく響いた
『サーヴァントってのはマスターに聖杯をもたらす為の存在。契約のその時に、自分の願いと共にマスターの願いも背負うものさ
マスターの心のままに』
それきり、アーチャーの言葉は消える
けれども、迷いはもう無かった
「筋斗雲」
軽く呼び掛ける。それだけで、軽く壁に震えが走る
「お願い、連れていって。かーくん達が戦ってる場所へ
何も出来ないなんて、嫌だから!」