血色の閃光が闇に閃く
両首を断たれた双頭の獣の体が力を失い、大地に倒れ伏す
返す刀、横に切り払った勢いを殺さず体を捻り、背後から迫る牙を断つ
感触は無い。だが、
回転斬りで崩れる体勢のまま、強引に足の力だけで地を蹴り、上顎から上を失った
一連の対処を終え、俺は乱れた息を一瞬整える
整えきれない。そんな時間は無い。過呼吸や呼吸不足で倒れなければそれで良い
追っ手を一度
飛び退く直前まで俺が居た所に、数本の矢が突き刺さる
後方から飛来するそれは巻き込んだ
呼吸の合間、僅かな隙
木々の間を縫い、真横から飛来する矢が俺を襲う
大体の場合飛び退く事で距離を取る癖を理解した一撃。
気配は無い。油断を誘う為にキメラを置かず、予め仕掛けられていた罠の発射なのだろう
見切りを付ける、前への回避は無駄。飛び退く距離が分からない以上、矢は一定間隔を空けて数本飛んでくる、前へ動けば二本目の餌だ
迎撃は不能、呼吸の隙間にまともな動きは出来ない
血色の光が、体表を走る。光そのものの鎧が、飛来する矢を弾く
俺にも未だ良く分からない切り札を切った。魔力の消費は馬鹿にならない。連続する戦闘の中でついに底が見えてくる
手にした剣を振るう。無理矢理に血の光で強化した木の棒が強化に耐えきれずに折れるが問題はない
寧ろ好都合。核を残したままの光の剣は、集中しきれずとも霧散する事なく飛翔する……!
輝く刃が前方の射手の
魔力のコアを裂かれた同類が沈黙する横を駆け抜ける。十分に追っ手は削った。次なる一手を打たれるまでの戦略的撤退へと移行する
「待て、S346」
響いた声は、俺が待ち望んだものの一つだった
俺の勝利条件の片割れ。聖杯戦争の参加者の乱入では無い方
即ち、この事態を引き起こす元凶の登場
「シュタール・ヴァルトシュタイン!」
眼に映るのは、20m先に立つ
気にせず、斬りかかりに行く。それを止める為に放たれる全ては血光の鎧で弾く、止まる必要はない!
竜脈の走る森の大地を蹴る
竜脈に乗り、言葉通り空間を飛び越える
縮地……異形の我流歩法。成功率はあまり高くないそれは、今この時に本領を発揮した
一瞬の後に、少年の目の前へ踏み込む
既に大上段に構えた剣を、彼に止める手段は無い
「りゃぁぁっ!」
真っ向からの兜割り
だが、その一撃は、赤いマントによって阻まれていた
何時しか、彼の後ろに一人の男が立っている
バーサーカー。必勝を望むヴァルトシュタインが、最後の聖杯戦争まで温存した切り札。狂戦士化させてしまえば良い為、最もどのようなサーヴァントでも召喚出来るクラス。それが、そのマスターを守る形で立っている
勝てると思っていたわけではなかった。だが、アレの制御が出来ず、連れてきていない事を期待していなかったといえば嘘になる
右へと跳ぶ
追撃は無い。此方を今殺す気は無いようだ
「話をしよう、S346」
少年が口を開く
剣の光を収める。短刀程の長さへと変化させる
構えは解かず、武装解除もせず、だが、問答無用という態度は改める意思表示
「……何故、血の疑似令呪を解いた」
投げ掛けられたのは、そんな疑問
「この光の鎧の発現と共に勝手に解けただけだ」
そう、真実を吐き捨てる
「その鎧は……その力は何だ!」
「お前が望んだものだろう?人工サーヴァント計画実験体
かの竜殺しは、竜の血を浴びる事で不死身の体を得たという。ならば」
「その血光の鎧は、その再現だとでもいうのか!」
「だと、したら?」
本当の所は分からない。ヴァルトシュタインの手により、ライン川の底から唯一見つかったというニーベルング族の財宝、指輪を魔道具に入れて俺の体に埋め込む事で触媒にして、確かに俺の中に呼ばれた英霊は、だがしかし欠片の力を貸し、俺の奥底で眠りに就いている。この力が本当にそうなのか、そもそも本当にジークフリートなのかは、ほぼ間違いはないとはいえ、確証は無い
重要なのは、宝具を持たぬ
「……S346、正義に立ち返る機会をやろう。戻ってくるというならば、昨日命令を遅延した罪も、血の疑似令呪を勝手に破棄した事も赦そう」
その後の裏切り、一日の逃亡劇について赦すとは言われなかった。当然だ
判断力を残すという理由で自我を残しておいた
「そもそも、
呼吸を整えながら、その契約を切り捨てる
「惜しいのだ、その力。正義の為に使いさえすればと」
惜しいのはサーヴァントとある程度渡り合える力だけだ。人一人の心程度、正義が惜しく思う
未だこの身を
「
だから俺に、止まる選択肢は無い
目指すはこの場面の突破、そして生存、再起のみ
「フェイが悲しむぞ?」
「覚えてたら伝えろ、俺はお前を裏切ると」
フェイ……ヴァルトシュタインの家の中で、俺に個体としての自我があることを認めて接していた唯一の
「……この剣は正義の失墜」
だから、俺に残された最後の切り札を切る
「何?S346、貴様」
「世界は今、光無き夜闇へと堕ちる!」
疑似宝具、解放
「
空間に光剣の軌跡が産まれる。この世界に留められた、光の斬撃
その全てを束ね、縮地でもって、空間毎相手へと吹き飛ばす!
「・
光の剣の限界を越える一撃。限界ギリギリの一撃の重ね当てとなる、勝手に作った偽宝具。俺の出来る最大火力を叩き込む
これで倒せるならば苦労はしない。サーヴァント擬きでしかないこの身では、あのバーサーカーを倒せはしないだろう
だが、撤退の隙を産む程度ならば、出来なくは無い!
『この
刹那、対応の隙に下がろうという足が止まった
残りの魔力は振りきった、気力も使いきった、回避等望むべくも無い
錐のように貫くマントに撃たれ、地に転がる
死ねない。俺はまだ、死という解放は赦されていない
立ち上がる
立ち上がれない
地を掻き、顔だけを持ち上げる
バーサーカーの額から、数条の血が流れていた
それだけだ、外傷はその程度、マントには幾らか傷はあるが、いずれ修復される
確かに一撃は届いていた。だが、届きすぎたのだ。アレに傷を付けるべきでは無かった。アレを倒せない以上、マントで防がせる程度であるべきだった
僅かな強さは、相手の逆鱗へ触れる愚のみを犯し、一度の撤退の機を潰したのだ
マントに肩を貫かれ、持ち上げられる
身動きが取れない。いや、この現状の打開が可能な程には動けない。手の指が動こうが、腕が動かなければ剣は振れない
「バーサーカー、処刑は後だ」
今にも殺そうというバーサーカーを、少年は抑える
「死ぬ前に答えをもう一度聞く。S346、正義に立ち返る気は?」
痛みは引いてきた。もう、左腕は動く
死ぬ事は赦されない……赦さない
俺の体は俺のものではないのだから、勝手に無くす事は出来はしない
何とか動く左腕で、突き刺さったままのマントを掴む。血を掴む感触。血光で皮の剥けた手に、それなりに馴染む
光剣、展開。突き刺さったマントを剣に見立て、無理矢理に光の剣に変えて引き抜く
「無い!」
即座の投擲。全身の魔術回路への誤認も限界が近い体は、全盛期に比べて大きく弱体化しているものの、まだ相手に届かせる力はある
『
即座の反撃
逃げ切れないだろう。短い抵抗だったかもしれない。活路は見えない
だが、諦める事は赦されない
そして、有り得ない事に、奇跡は起こる
『私を呼んだのは、あの人なの?』
錐として俺を襲うマントがねじ曲げられる。魔力のドームが広がってゆく
『……違うのね、あの人に良く似ているけれど、あの人じゃない』
その中心に、一人の女性が居る。今の今まで居なかったはずの、
『それでも構わない。サーヴァント、セイバー。今度こそ彼女をこの手で殺すために現界したわ』
それは、俺にとっての福音であった
『貴方が、私の
降り立ったドレス姿の彼女は、そう言った
感覚の無い右手に灼熱が走る。……確認するまでも無い。このタイミングでならば、令呪に違いない
「ああ。多分そういう事だろう」
崩れ落ちそうになる体を気力だけで支える
有り得ないはずの援軍が来たとはいえ、相手のサーヴァント、バーサーカーは凶悪な存在だ。ゆっくりと倒れている暇は無い。今が夜である以上、勝てる気はしない
故に今考えることは一つ。此方にセイバーという俺を越える戦力が加わったとして、新品のサーヴァント1騎と出涸らしレベルに魔力を使いきったサーヴァント擬き1匹で、この戦場を切り抜ける方法だ
令呪の使用も辞さない。というか、本気で逃亡を計るならば、尽きかけの魔力を補うために使用は必須かもしれない
『それで、この状況は……』
「絶体絶命、が終わった所だ」
手を筒状に、剣を持っていると想像する。空気を媒介に光剣はまだ産まない。光剣の作成にタイムラグを擁するとしても、斬りかかった瞬間以外に魔力を浪費する事はもう出来ない。空気を媒介にする等というちょっとした無茶をするならば尚更だ
『そう。切り抜ければ良いのね?』
「違う、生還すれば勝ちだ」
『そう。そうなの。なら』
と、セイバーは剣を構える
不思議な構えだ。我流で斬り上げ主体の為、何時も剣先を下げている謎の構えを多用する俺が言うことでは無いが、素人臭い、或いは完全に我流の構えだ
「……本物の、セイバーだと?」
『そうらしいわね』
一歩下がった少年、シュタールへと向けて、事も無げにセイバーはそう言う
「この地で呼ばれるセイバー……まさか、貴様は!」
『さて、どうかしら』
「……帰るぞ、バーサーカー。アレが本当に予想通りのサーヴァントだとしたら、あまり戦いたくは無い」
あっさりと、あまりにあっさりと、セイバーを見て、少年は戦闘を中止した
「S346、正義に目覚める事があれば来い」
それだけを言い残し、ヴァルトシュタインの現当主は己のサーヴァントを連れ、去っていく
場には、偽宝具に巻き込まれて散った、ヴァルトシュタインの合成獣と人工サーヴァントの失敗作の死骸が醸し出す死の香りと、静寂だけが残った
『……あら、終わってしまったわよ、
全てが終わったことを確認して、セイバーがそう言った
「ああ、そのようだな」
気を少しだけ抜き、木にもたれ掛かる
大地に倒れたら、立ち上がれない気がした
『絶体絶命を終えた所なんて嘘じゃない』
「正義の化身サマが、その正しい知識故に節穴だっただけだろう」
恐らく、彼が想像したセイバーの真名は
アーサー・ペンドラゴン
いや、本当は女性だったらしいから、アーサーではなく……アルトリア・ペンドラゴンとかそういった名前だろうか。そういえばそんな名前だと読んだ気がする
それは兎も角、アーサー王だ
この場、ヴァルトシュタインの森で召喚される女性のセイバーといえば、きっと彼女だ。ヴァルトシュタインの森を知るが故に、彼はそう思ったに違いない
だからこそ、退いたのだ
だが、このセイバーの真名は違う。アーサー王である筈がない。そもそもかの騎士王をこの聖杯戦争で呼べるはずがない、という原則は反則もののアーチャーが呼ばれた以上此処に例外がある、で済ませられるかもしれないが、それ以上にだ。剣を握った事がないから彼は気づかれなかったのかもしれないが、セイバーの構えは騎士のような正道のものではない。騎士王等では有り得ない。正道の剣は、きっと使えない
『そう』
あまり気になっていないかのように、それでセイバーは話を切り上げた
一瞬の休憩を終え、歩き出す。足は一日の酷使でボロボロだが、森を出る程度までは持つだろう
目指すは森の外。ヴァルトシュタインの領域外であり、この一日幾度も目指そうと思い、ミラやアルベール神父に余計な迷惑をかけるわけには行かないとその足を止めた場所だ
そして、俺の
『何も聞かないのね』
暫く歩くと、セイバーがそんな事を言ってきた
「聞く?何をだ」
『私が何者か』
「聞く意味があるのか?」
聞かずとも、予想は付く
いや、予想どころではない。俺の中の何者かが、既に答えを告げている。彼女であって欲しくないと。だが、彼女に違いないと
ならば、何処か素人な構えにも説明が付く
ドレス姿という、セイバーとしては何処か似つかわしくない姿にも理解が行く
間違いは無いだろう
彼女の正体。俺のサーヴァント、セイバーの真名は……
『……あの人に近い気配がするのだから、分かるというの?』
「分かるさ。セイバー……いや、クリームヒルト」
セイバーは、何も言わない
それが答えだった
クリームヒルト。ニーベルンゲンの歌に出てくるブルグント王の妹であり、同物語前半のヒロイン、後半の主人公であり、夫を奪われた復讐者であり、そして
俺の中に眠っている英雄の妻である
『……流石、あの人に近い雰囲気なだけのことはあるわね』
「まあ、ジークフリートを目指して作られたからな」
人工サーヴァントの成功例ではある。俺を越える性能のものは、結局俺の素を実験体にしてから一年近い時をかけても、ヴァルトシュタインには結局作れなかった。だが、ジークフリートとしては失敗作、それが俺だ
劣化ジークフリート。多分俺の中にジークフリートが眠っているだろうに、その大英雄の1割の力も使えているか怪しい
あの人に……ジークフリートに似てるだけと言われるのも仕方はないだろう。少し見下されている気はするが、それも当然の事だ
彼女はジークフリートの妻で、俺はその紛い物。サーヴァントとして力は貸してくれるだろうが、従順に従ってくれという方が無茶だ
『そう、だからなのねS346』
「……その呼び方は止めろ、セイバー」
それは、ヴァルトシュタインでの識別名だ。個人としての名前ではない
『なら、神巫雄輝?』
「俺は彼じゃない」
『なら、何なのよ』
問われて、ほんの少しだけ言いよどむ
すぐに、答えは出た
フェイが、ならばこういうのはと出してきた呼び方。ミラが、カッコいいねと言っていた、俺を現すには、少し誇大広告な、その呼び方
だが、ヴァルトシュタインに挑むならば、その正義を終わらせる悪だと名乗るならば……それくらいのハッタリは寧ろあった方が良い
「俺の名はザイフリート。ザイフリート・ヴァルトシュタインだ」