あったのはただ、闇だった
何も見えない
何も分からない
どうして良いか知らない
ただ、ただ、苦しい。痛い。暗闇の中、あるかもわからない自分の体が、どこまでも悲鳴をあげる。だのに!
指先の一本、口の中の舌、そして瞼すらも、意のままにならない。あるとすらも、分からない
……そもそもだ、俺とは、何だっただろうか
そんな、何時終わるとも知れない、暗闇の微睡み
いっそ、このままこの僅かな意識も含めて
この……もやもやも、消えるのだろうか
ああ、消えてしまえたならば、どんなに救われるだろう
心の一部が、悲鳴をあげる。けれども、其が何を言っているのか、もう全くもって分からなくて。いや、そもそも……この苦しみから解放されるという救いに反対する心の動きがあることなんて信じられなくて
……突如、魂の暗闇を、より強い真紅の
「……漸く、届いた」
何処か懐かしく、何処までも違和感のある声が響く
ああ、これは……"俺"の声だ。幾度かカラオケで取って流してみた際なんかに聞いたことがある、俺の声
だが、可笑しい。自分の声は、誰よりも自分こそが一番聞く事がないはずだ。自分の声を、じぶんは聞くことが出来ない。耳に入ったと思う自分の声は、何処までも体の中の反響を加えた為か変わって聞こえるのだから。例え夢の中でも、それは変わらない
だというのに自分の声が聞こえるという事実が示すこと。つまりは……
「……
目の前に、自分でない自分が居ることの証左だった
ああ、俺は……俺の名は……そうだった
俺は、神巫雄輝。そうだった。どうして、こんな当たり前の事すらも思い出せなかったんだろう
ふと、視界が開けた
自分を取り戻せたから、だろうか。暗闇だった視界が、真紅の暗闇に覆われている世界で、それでも自分のからだと、声の主を認識する
「……化け物」
目の前に居たのは、そうとしか表現出来ない、文字通りの化け物だった
延びる影は、四本の腕を持つらしき異形のもの。縦に裂けた口らしき部分だけは、口が顔を貫通しているのかその背後の真紅の暗闇を見せている
だが、そんなものは単なる序の口。顔は……鏡で見た俺に似ている、はずだ
けれども、これを俺だと認識出来るはずもない。これは夢だから、俺しか居ないはずの夢である事だけが、彼が俺であると意識させてくれる
赤く輝く、左の瞳。文字通り赤く光輝いている、右の瞳。その周囲は醜く傷付き、白い傷痕を褐色に近くなった色合いの肌に残している
癖毛なので跳ねた髪は白、ブレードアンテナのように斜め上に跳ね上がる感じで、途中で枝分かれした二本の赤い角が存在感を示す
幾本か欠けたらしい歯は、牙のように尖端を尖らせ、頬にはやはり傷。背には、これでは飛べないだろうと言いたくなる、二次元のロボットにありそうな形状の翼
そして何より、赤い
確かに元の造形は俺かもしれない。だが、俺はこんな鋭い殺すような眼はしていない、こんなに肌も焼けていない、角なんて生えていない。何より、見ただけで破壊されると思わせるような、そんなオーラなんて持っているわけがない
俺を元にした悪魔、恐怖の大王として、彼は其処に在った
「君は……」
絞り出せたのは、そんな声だけ
「ザイフリート・ヴァルトシュタイン。貴方の代わりに、のうのうと生きる悪魔」
さも忌々しそうに、目の前の悪魔はそう名前を告げた
「君は、俺なのか?」
「……体は、貴方だ」
理解する。今の俺は、魂だけだという話なのだろう。そして、彼はそんな俺の体を乗っ取って使っている
ふと、指輪が瞬いた、気がした
唐突に、頭の中に情報が流れ込んでくる
……ファ……ル、それが、あの竜のような化け物の成れの果て。彼は……そう、彼は……
「どうしてなんだ、ザイフリート!」
世界を滅ぼす、星の終焉。そして、
そう成りうる存在だと、理解した
「そうでなければ、貴方が救われない」
「そんな事はない!考え直せ!」
「……本当に?本当に、そう言えるのか」
ふと、彼の目が揺らぐ。行けるかもしれない
止めなければいけない。俺の体で暴走する悪魔を。彼が、紫乃を殺す前に。例え、それで俺が消えるとしても、きっと紫乃達が何とかしてくれる。聖杯に願いあれ、だ
「言えるに、決まっているだろうが!何で分からない、紫乃を、皆を巻き込むんだぞ!」
君にだって、俺の記憶があるならば分かるだろうに
「分からない」
たというのに、化け物は首を横に振った
悪魔右目のヒカリが煌めく
「何でだよ!どうして、……どうして紫乃を殺すなんて言え」
掴みかかるような勢いで叫んで。けれど、最後まで言い切る事は出来なかった
俺が
改めて自分の体を見下ろす。全身が見えない一人称の視点ですら良く分かる傷だらけ具合。胸には大きな血の華が咲き、腕は折れて飛び出した骨を抜かれて縫った跡があり、全身火傷と切り傷だらけ。体の各所に、小さな穴まで空いている
……寧ろ、ぼんやりと微睡みの中で俺を苛んでいた痛みが消えていたのが可笑しい事だったのだ
「ぐ、がぁぁぁぁぁっ!」
痛い、痛い痛い痛い熱い痛い熱い熱い熱い熱い熱い熱い痛い!
全身が火を吹いた様だった。全身を掻きむしりたくてしょうがない。痛みで転げ回りたい
「な、何だよ……何なんだよ、っがぁぁっ!」
「……思い出してくれ、この痛みを」
再度、悪魔の右目が煌めく
全身の痛みが、引いていく。掻きむしりたい。痛い
けれども、耐えられない程じゃない
「忘れるな、この嘆きを」
「何、を」
言ってるんだ?
「魂は、既に欠けている」
悪魔は、少し遠い目をした
「……解ったんだよ。
「だから、こんな事をして良いと言うのか!」
……良いんじゃないか?
「
けれども穏便な方法で足りないならば、やるしかないだろう?」
「そんなことは!」
否定、しきれない。それでも、それは悪魔の囁きだと否定する
「そもそもだ。こんな苦しみを抱えて、生きていけるのか」
悪魔が、左手を差し出した
思わず、それを取り……
「……死に晒せ」
思わず、そう呟いていた
「こんな憎悪の中、貴方に生きていけと言うのか
俺には、無理だ」
「それ、は……」
違う。そう言えたなら、どんなに楽だろう
けれど、だけれども、この身を焼く憎悪は言うのだ。それでヴァルトシュタインが滅びるならば、ざまあ見やがれ、と
ダメだ、どうしても……憎悪が抑えられない。ヴァルトシュタインが滅びるならば、なんて……
ふと、自分の体に付着した血が目に入った
「がっ……」
止めろ、止めてくれ。そんなものを見せないでくれ
俺に、あの日を思い出させないで
「……分かってくれ」
不意に、体を焼く憎悪も、全身を燻す痛みも綺麗さっぱり消え去る
「……時間切れか。ただ、貴方と話せて良かった」
軽く、悪魔は笑う
その笑顔は、何処か痛々しくて、けれども、ずっと俺の代わりにあの痛みと憎悪を受け持っていたなんて信じられないほどに穏やかで。そうして、やっぱり止まる気なんて欠片もない程に、真っ直ぐだった
「待ってくれ……それでも、俺は……」
言い切れ、それはいけないと。獣を止めるんだ
紫乃を、皆を……世界を、あの絶対的な終焉から守る為に
「そんな事、望んで……」
けれども、その言葉は僅かな迷いから紡ぎきれず
「だから、破壊する。理不尽の全てを、俺が終わらせる」
「待……」
神巫雄輝の意識は、再び闇に飲まれた