部屋の扉が叩かれたのは、微睡みの中でかーくんの夢を見ている、その時だった
『ん?どうしたんだよ戒人?部屋は取れたんだろ?』
扉の前に居るアーチャーが対応してくれる。聞こえてくる言葉によると、扉を叩いたのは戒人さんみたいだ
けど、どうしたんだろう。わざわざこんな時間に部屋に来るなんて
ホテルの一室に備え付けられた電子式の時計を見ると、やはりというか、時間は真夜中、12時02分。もう眠る時間を過ぎている。最近聖杯戦争でばたばたして夜更かしし過ぎてたし、眠らないと……
『まあ、入れよ。マスターが嫌がったり、夜這いってなら忠実なおサル的には叩き出すけどさ』
扉を開け、アーチャーが戒人さんを部屋の中に招き入れる
その戒人さんは、着の身着のままで逃げてきたのだし無ければ流石に困るだろうとアーチャーに買ってきて貰った寝間着を身に付けていて、どうしてか手に枕を持っていた
「どうしたの、戒人さん?」
思わず微睡みから覚め、私はそんな事を聞いていた
「いや、実はさ……」
バツが悪そうに、戒人さんは頬を掻く。言いにくい時の特徴
ヒーローたろうとしている自分がこんな、情けない……と感じている時に、戒人さんはよくああいった表情をする
「どうかしたの?」
「いや、情けない事にさ……一人じゃ寝られないんだ」
ホント、情けないだろ?と自嘲しながら、戒人さんはそう告げた
「一人じゃ寝られない……どうして?」
『何時も誰かが居る場所で寝てたって訳でもないんだろ?』
「そりゃそうさ!俺だってこんなになるなんて思ってもみなかった」
ふと、視線が下がり、その表情が曇る。あまり見たことの無い、見たくもない、戒人さんの不安げな感じ
「けど、……けどさ。ダメなんだよ」
『何がさ』
「一人で暗い部屋に居る事が。もう、ダメなんだ」
ぽつり、と小さな声で戒人さんは呟き続ける
「明るいうちはまだ良いんだ。だけど、暗い部屋に一人ぼっちだと、思い出すんだ。あの悪夢を」
「……悪夢?」
「ヴァルトシュタイン、あの悪魔に囚われていた時の
何も、言えなかった。アーチャーも、下手に声をかけられず、続く言葉を待っている
……そう、彼は何日もの間、あそこに囚われていた。かーくんと同じようなものにしようという実験を続けられていた。人工的なセイバーの成功例?が
「疼くんだ、傷が」
戒人さんが袖を捲る
右腕に付けられた……16個の傷痕が露出する。7騎のサーヴァント、そして
アーチャー曰く……治らない、んだそうだ。傷が塞がるのは刻まれた令呪として使用した時だけ、そしてこの傷に令呪としての機能は無い。よって治る条件と完全に矛盾した呪い、高位魔術師でないアーチャーにはどうしようもない。無くなってしまった私の手を治したのは、自身に腕を生やし三面六臂となる変化の力を、マスターとサーヴァントというパスを通して強引に私に適用した……つまりは反則技。私相手にしか使えないから無理だ、加減ミスって令呪潰したのは申し訳ないって謝ってた
……謝るところ、そこなんだろうか、そこはアーチャーが分からなかった
「もう、彼処に居る訳じゃないって、頭では分かってるのにさ。どうしても、暗がりだと体が思い出して痛むんだ
……耐えられないんだ」
「……うん」
それは、私にも……近い事があったから。両親が水難事故で死んでしまって、子供で軽装で浮きやすかったからか私だけ生き残って。一人ぼっちの私は、暫く貯まった水を見るのも嫌だった。シャワーなら大丈夫、小さなコップでも問題ない。だけど、大きめの青いバケツいっぱいの水でもうダメ。お湯の貯まったお風呂なんて見るのも嫌、息苦しくなる。プールなんてもってのほか、プールサイドに立ってるだけで息苦しさと頭痛で倒れ、かーくんや先生に迷惑を掛けた事を覚えている。要するに、顔を
それと同じ。戒人さんは、闇と一人ぼっち、と囚われていた時の記憶を結びつけてしまうんだろう
『成程ね、分からんでもないわそりゃ』
アーチャーが、うんうんと頷く
『んで、固いけど人の居る部屋の床で寝ようって話か?歓迎するぜそりゃ』
「いや、そうじゃなくて……」
5分後
「……暖かい……
これなら、安心して寝られる。有り難う、紫乃ちゃん」
ベッドの上で私の手を握って柔らかな笑みを浮かべる戒人さんと
『あーはいはい。気持ちは分かるし、仕方ねえとは思うけどよ、マスター側から求めて無いのに手ぇ出そうとしてたらぶっ飛ばすんで、そこんところは覚えとけよ?』
私と戒人さんの間に距離を置かせるように棒を差し込むアーチャーの姿があった
戒人さんなら大丈夫、と思えたから。私は、戒人さんにベッドの半分を貸す事にしたのだ。押しきられたとも言う。だけど、きっと戒人さんならば、変なことはしてこないと思う
「案外あっさりしてるんだね、アーチャー」
『まあ、あんさんは兎も角よ、力を借りてる親友の方の御師匠様、つまりは三蔵法師ってのは色々と無防備でよ、こういった牽制も慣れた』
「……女の人だったの?」
法師とまで言うんだから、男の人だとばかり
『オレ側は知らなくてもよ、マスターも西遊記くらい読んだことあるだろ?
あんな迷惑引き付ける御師匠のお守り、御師匠が男だったら流石にやってられないっての。いや、何だかんだ愚痴りつつもやり遂げたかもしれないけどよ』
「そうだったんだ」
衝撃の事実……って程じゃない気がする。女の人の三蔵法師って、私が見たことがある映画でもそうだったし
『んで、興味あるなら暫く寝物語としてこのおサルの武勇伝でも語ろうか?別に、ラーマのあんさんの話でも良いぜ?』
アーチャーがそんな事を言ってくる
「俺は、ヒーローの武勇伝が聞きたい……かな」
わずかに微睡みつつ、戒人さんがアーチャーにリクエストする。私の手を握る、少し冷たい手が僅かに力を強める。握り返すと、その手の震えは止まった
「私も、今聞くなら孫悟空と実は女の人だった法師様の話かな。知らないお話だと、寝られないかも」
『んじゃあ、話しますかね。そうだな、今日は飲むだけで男でも女でも子供が出来るって河の話と、男しか居ない国の話でもするかね』
そう言って、アーチャーは話しはじめた
『西梁女人国、女しか居ない国。まあ、編纂された西遊記じゃあ流石に衆道の国って訳にゃあ行かないんでそう穏当なものにされた国がある訳だけどよ。現実にゃあ西梁男人国っていう男しか産まれない、地獄みたいな国がありました。そんな地獄の国には、当然旅人なんてそうそう近付きません、特に女は。なんで、そこの国の人々は、
ん?それでどうして国が存続してたかって?国の近くには子母河って言う、飲むだけで男でも子供が出来るっておっそろしい河があってよ、そこの水を飲んで、男が子を産むって寸法さ。妖怪だ何だで不思議な事は良くある道中、されども人間がそんななのは流石におったまげた』
あまり大きくない声で、アーチャーは朗々と吟い続ける
重低音が、何処か耳に心地良い
「……凄い国だね、アーチャー」
『だろう?全員女なら救いがあるのによ、ってオレも思ってんだが、本気で編纂された際に女の園にされてた位には凄い国さ
はてさて、天竺へ向かう道中そんな男人国へと訪れた三蔵一行。それはもう熱烈歓迎雨あられ。わざわざ国王まで出てくる始末
更に凄いのが、国王始め高官が皆してタイプの違うイケてる面してるってんだから、女性向け作品かよって話になる訳よ
あっと言う間に三蔵一行、王城まで通されて歓迎の宴にほいほいと
けれども其処で問題発生、御師匠が座らされた椅子、大体女不在で空席な王妃の椅子だったんだからさあ大変』
「結婚?」
『そうそう、歓迎の宴兼披露宴みたいな感じでよ、そのまま御師匠を自分の嫁にしようって話
まっ、考えてみりゃ御師匠って顔は良い訳よ。更に声も良い。基本ポジティブなのに変な所で悲観的になるわ、変に頑固で分からず屋だわ、悪人凝らしめた孫様を大怪我させる事は無かったって叱るわ、泣き言多いわと問題も多いけど、人に優しく、折れてもきっと立ち上がるしって、決して悪い人じゃない、寧ろ孫様の扱い以外は性格も良いと三冠。おまけに旅してるから無駄な脂肪の無いおっぱいでかいねーちゃんと体まで良い。更に不味い事に……』
「……不味いこと?」
それ以上があるんだろうか。性格、外見以上のもの?不思議な力は無いからお供連れてるはずだし
『大帝国、唐の皇帝サマと出発時に義兄妹の契りなんぞ結んでるワケよ、あの御師匠。皇帝の義妹って形で大帝国とのパイプにまでなる
ここまでのモンがあって、国王がそんな優良物件逃がす訳あるかって話。実質披露宴は必然の罠だった。更には御師匠が結婚しないと天竺への通行証に判押さないとまで権力振りかざす』
うわぁ……と、声を出したいけれども、眠い
アーチャーの声が、ゆっくりと私の意識を眠りへと誘っていく。戒人さんは、既に目を閉じている
『困るは三蔵一行。女人国なら、「多種多様な美女美少女に囲まれてハーレムじゃないか御師匠、経典はこの孫様がとっとと取ってくるんで楽しんで、ハーレムに骨を埋めるのも良いんじゃないか?」なんて茶化せるんだが、相手は女に飢えた多種多様なイケメンって狼共、そんな訳にもいきゃしない
そこで孫様考え言った。「結婚、受け入れるんですよ御師匠」と。当然御師匠は否定する。そこでちょいと辺りを探り、聞き耳立ててた奴らが喜び勇んで去ってったのを確認し、孫様種明かし
七十二変化の術で孫様が御師匠に化け結婚を受ける。当然残りの付き人はそのまま通行証に判を受けて旅立てる
でもよ、あいつら女しか見ちゃいない、お付きなんぞ真面目に見てない訳よ。なんで悟浄が孫様に変装し、
けれども善良な御師匠、それは人を騙すことと難色を示す
孫様が折角全員ぶちのめすって最善策を捨ててまで考えた次善の策まで否定され、果たして一行はどうなってしまうのやら
今日はここまで』
心地良い微睡みの中私は、時折震える少し冷たい手の感覚と、アーチャーの結ぶ声だけを感じていた