第72話「美に打ち勝つ者」
―白玉楼―
白玉楼。異変の予兆が全土に迫るこの日も、この場の空気は静に包まれていた。理由は皆、異変の元凶捜索のための準備に追われていたからだ。ただ、主な準備は妖夢と幽々子の2人だけになってしまうのだが…
「幽々子様、こちらは準備が完了しました」
妖夢が幽々子に呼びかける。幽々子も準備を終え、外に出てきた。
「現在、外の様子は別段変わったことはない。ここに異変の予兆は届いていないというところか…」
「リュウさんを追いかけていたらこんな事になるなんて…まあ一度、こんな経験はしたからいいですけど」
キャミィとさくらが2人の準備が整うまでの間、白玉楼の警備をしてくれた。関係のないさくらに関しては巻き添えに近いことだったが、彼女は嫌な顔をしなかった。リュウの追っかけとして、ある程度の『慣れ』を彼女も持っているからだろう。
皆が白玉楼を出発しようとした、その時。風に乗って、どこからか声が聞こえた。
「残念だが、その旅路はここで終わりだ」
声の主は男性、腰には鋭い爪と仮面をぶら下げている。その2つの道具から、彼が殺人鬼に近い何かである事が容易に想像できた。
「バルログ…! やはり関わっていたか…!」
キャミィが身構えた。それを見て3人も身構えた。
「あいつはシャドルーの幹部だ。気をつけろ、あの顔の裏には、残忍な心が潜んでいる」
キャミィはバルログを憎むような目つきになった。これは何かの因縁があるわね、と幽々子はにらんだ。もちろん聞くことはしないが。
「残忍…ね。私と妖夢はそれ以上の行為を見ているから、慣れたもの…と言ってはダメかしらね」
幽々子はわずかに笑みを浮かべた。確かに2人は狂オシキ鬼の残忍さを言葉だけだが感じている。あれだけの残忍さを感じていれば、人が発する残忍な事は『慣れた』と言ってはならないが、言えてしまう。
「ほう、その女性はなかなかの美貌の持ち主」
バルログは不敵な笑みを浮かべる。その視線は幽々子に釘付けだ。まさかの一目惚れだろうか。幽々子は扇子で口元を隠す。
「知らない人からの第一声でそう言われるのは初めてだわ。最も、殺気を隠し持っているあなたから言われてもちっともうれしく思わないけど」
幽々子はそう言い『お断りするわ』と目で訴えた。
「おやおや、冷たい人だ。だがその冷たさも私の美の糧になる。その血はさらに美しいのだろうな」
バルログは爪と仮面を装着した。爪は1つの錆なく銀色に輝いている。幽々子が幽霊である事には気づいていないらしい。
「あなたの武器は爪(それ)ですか…さくらさん、キャミィさん、幽々子様。ここは私に」
妖夢が前に出る。さくらはゴクリとつばを飲み、後ろに下がった。今から始まるのは、最悪どちらかが死ぬ殺陣だ。
「さくらちゃん、視線をそらしなさい。いくら憧れの人を追いかけて戦いの場に身を投じているといっても、場合によっては見ない方が良い可能性があるわ、あなたはまだ若いのだから、心に傷を負う事があってはならないわ」
さくらは言われなくてもそうするつもりだった。キャミィが体でさくらを隠してくれた。
「妖夢、無茶だけはするなよ」
キャミィの言葉に、妖夢は振り向いてうなずいた。そのうなずきには、彼には絶対に負けないからという自信が現れていた。
「私の邪魔をする気か? 汚れた泥をすする半人前の剣士に美なぞない。早急に消えてもらおう」
バルログは今にも華麗に頭を下げるような仕草になった。これも油断を誘うためか。
「残念ですが、泥をすすらないとここまで生きてこれていないので。それは無理なお願いですね。あなたの方こそ、幽々子様をつけ狙うというのなら言語道断、斬らせていただきます!」
妖夢がそう言うと、バルログの態度が豹変した。
「ヒョーウ!」
バルログは謎の奇声(?)を発しながら飛び上がり、一度妖夢との距離を離した。刀と爪ではリーチの差がひどすぎる故だろう。だがそれをカバーする術がこちらにはある。それはこの素早い身のこなしだ。
「速い…!」
さくらがバルログの動きを目で追えない。今までストリートファイトしてきた者に、ここまで素早い身のこなしができる人はいなかった。強いて上げればブランカ程度か。
だが妖夢は、焦ることなく目だけでバルログの動きを追っていた。
(やはりあの爪と身軽そうな身体…素早い動きで私が対応できないうちに殺してしまおうという考え方か…)
妖夢がそう考えていると、バルログが爪を伸ばしてきた。妖夢は体を傾けてかわす。
「ほう、見切りをつけられるとはなかなかのもの」
バルログはそう言い、バク転で距離を離しまた跳ねるようにジャンプした。速くなっている。目でだんだんと動きを追えない。
(ギアを上げてきた…)
そう思った瞬間、バルログの爪が妖夢の右肩を掠った。そこから血がわずかにしたたり落ちる。
「妖夢!」
キャミィが思わず戦線に横入りしようとするが、幽々子が止める。
「見てみなさい。妖夢に動揺は全く走っていないわよ」
確かに妖夢は痛がることもなく落ち着いてバルログを見ている。多少の傷は我慢するという対応策を講じている。
「…次はその程度ではいかんぞ」
バルログは爪を一層鋭く見せようと先を妖夢に向ける。だが妖夢は平静を保ち続ける。
「…使うしかありませんね」
妖夢はそう言って目をつぶる。
「…?」
バルログがわずかに首をかしげる。まさかここから、心眼だけで戦おうというのか。
次の瞬間、妖夢が片手を楼観剣から離した。妖夢が目を開いた瞬間、その片手には蒼い炎がまとわりついていた。蒼い炎は少しずつ形を作り出し、刀を作り出す。
「…何だ、その武器は…」
バルログに言われた時、妖夢はリュウとの修業時の事を思い出していた。
「―――無理して学ばなくていい?」
ある修行を終えた後の夜のこと。この日、妖夢はリュウの元で泊まっていた。リュウが言ったのは、自分の拳を無理して妖夢が学ぶ必要はないという事だった。
「ああ。君は代々剣術を学んできた家系だろう? それを壊してまで、俺の拳を学ばなくていい」
妖夢は驚いていた。最悪、二本とも鞘に収めたまま、素手で戦う覚悟までしてきていたが、師であるリュウに直接言われてはその覚悟はいらない。
「しかしリュウさんの拳は私の剣術より遙かに…」
妖夢は武術としての高みを言おうとしたが、リュウは手を前に出して首を横に振った。
「それは思い違いかもしれないぞ? 俺は剣術に関しては名を知っている程度、本質なんてものは分からない上、俺に刀は似合わないから体得もできない」
リュウは目をつぶり、静かにそう言った。
「…学ぶのは、あくまで気の使い方とその精神ですか」
妖夢は刀に手をかけた。この刀とは縁を切ってはならない。せっかくここまで培ったこの剣術、捨てるのはもったいなさ過ぎる。リュウは妖夢の将来像を見抜いていた。
「そういうことさ。無理してその刀を捨ててまで、俺の暗殺拳を学ぶ必要はないんだ」
そして妖夢は、こなす修行をいつものメンバーとは変えて、気と精神を鍛える修行をメインにした。その結果、この技を体得した。
「これが波動の応用…『波動拳』ならぬ『波動剣』…!」
妖夢は楼観剣と波動剣をそれぞれ片手に持った。波動剣は蒼い炎がそのまま柄と刃になり刀の形を形成したものだ。
「…三刀流だと?」
バルログは仮面の下の目を見開いた。今は鞘に収められているが、白楼剣があるので妖夢は三刀流だ。
「ええ。確かに見た目だけならそうでしょうね。でも私は三刀を一度に扱える技量は持っていないので、二刀流です」
妖夢は真剣な目を崩さぬままだ。冗談でも何でもなく、今の自分ではこれが限度だ。
「貴様も育ち行く花という所か…正直見くびっていたぞ」
バルログは謝罪した。だがもちろん闘志は揺るがない。
「ならば試せばいいだけでしょう! 波動斬!」
妖夢は波動斬を波動剣から繰り出した。バルログは爪で払いのけようとするが、波動斬はバルログの爪の間をすり抜け、バルログの体に直撃した。
「ぐおっ!?」
バルログの体が一瞬動かなくなる。だが痛みはほとんどなく、すぐに体が動けるようになった。
(…何だ、一瞬力が入らなかった…)
それ以前におかしいのは、斬られたはずの体が斬られていない。その代わりか何かか、自分の気力が失せ始めているのが分かった。
「この刀は人の身ではなく、人の気力を斬るもの。つまりは戦う気力を衰えさせるのです」
妖夢の波動剣はバルログの気を奪って自分のものにしたように輝きをわずかに増している。蒼い炎の輝きは、バルログを不気味に見ているようだった。
(あの刀だけは食らってはならないな…どうする、二刀流は手数が多い…下手な接近だけはやってはならない…)
バルログの爪と妖夢の刀、リーチの差を考えれば圧倒的に妖夢が有利だ。だが手数でいえばバルログの爪が圧倒的、しかし妖夢が二刀流になれば手数は互角になる。ここから自分が勝つには、いかに動きを見破られないか、それだけだ、とバルログは考えを巡らせていた。
バルログは先ほどまでの動きを止め、じっとしゃがんでいる。気力が失せている以上、激しい動きは疲労がたまるだけだと判断したらしい。
対する妖夢も、波動剣の維持のためか動かない。
(どちらも攻撃を食らえない…次の攻撃が当たった方の勝ちだ…!)
キャミィはそう分析していた。妖夢の波動剣は集中を途切らせる事があれば消えてしまうだろうし、バルログは気力が失せかけて素早い動きに陰りが見え始めている。一瞬の隙、それをどちらかが見せたときが、勝負が決まるときだ。
待っていられなかったのは―――バルログの方。思い切って前転し、立ち上がった瞬間に爪を装着した左手をグンと伸ばした。
「!?」
だが、妖夢が一枚上だった。妖夢は前転に入る前からバックステップ、前転の距離とほぼ同じぐらい下がり、待っていた。そして一歩踏み込み、楼観剣を振り抜いた。
ギン!!
バルログの爪が、グサッと地面に突き刺さる。だがバルログの左手は傷一つない。楼観剣が当たったのは、バルログの爪だけだったのだ。
「…なぜ爪だけを狙った?」
バルログは仮面をかぶっているためその表情は分からないが、少なくとも動揺は走っていたようだった。
確かに妖夢の刀の間合いを考えればバルログの体に刀の刃は届く距離だ。楼観剣も波動剣も並みの刀より刀身は長いので、身体1つ離れた程度なら先端がきっちりヒットする距離だ。だが妖夢は爪を狙っていた。
「あなたを殺すわけにはいきません。こっちには情報が足りないのです。あなたに勝ち、情報を聞き出すことが目的なのです。さらに、人を殺せば、私は私自身を見失う…それが嫌だから殺さないのです」
妖夢は楼観剣を鞘に収め、波動剣を消した。ようやく集中を終えることができたせいか、わずかに息が荒れているのにキャミィは気づいた。もしバルログがもっと待つことができていたなら、結果は逆だったかもしれない。
「負けを認めたらどうかしら? 妖夢はわざとあなたの爪に攻撃した。ということは、狙おうと思えばあなたの体を狙えていた。そうなったとき、あなたはもう立ってはいられないはずよ」
幽々子がこれでもかと目を鋭くする。これ以上情をかける事はあなたにとっても相応しくないでしょうと言いたげだ。
バルログはしばらく4人を見た後、黙って地面に刺さった爪を抜き、腰につけた。
「…山に行け」
バルログは後ろに振り向きながらそう告げた。
「あら、話しちゃっていいの? てっきりあなたは、この件と関わっているのかと私は思ったのだけれど」
幽々子は扇子で口元を隠しつつ、鋭い目線をバルログの背中に突き刺す。
「この件に私は関わっていない。こちらの世界の者2人と、この世界の者2人が関わっている。この世界の者2人…それはお前と同じ、少女だ」
あっさりとバルログは異変の元凶の詳細まで述べてしまった。これだけ言えるのは、裏切りか、あるいは本当に関わっていないかだけだろう。だが油断はならない。
「…! それを信じろというのですか?」
妖夢はまだ疑いを晴らそうとしない。
「信じるか信じないかはお前達の自由。とにかく私はこの件に関わりはない。むしろ嫌悪に思っているほどだ。美に金欲なんてものは不要だからな」
そう捨て台詞のように吐き、バルログは白玉楼の階段を飛び降りていった。その潔さに、キャミィは思わず階段までかけだしていた。そして階段を見下ろしたが、もうバルログの姿は見当たらなかった。
「大丈夫そうよ。もう彼は、私達の邪魔をする気はないようだし」
いつの間にかそばに立っていた幽々子が告げる。彼の言葉に偽りがない事を信じていた。
「山…考える限りは妖怪の山ですね。もしかしたら、天狗の皆さんの様子がおかしい事があり得るかも…」
妖夢が考え込む。妖怪の山の天狗が一斉に敵対する、そう考えれば、幻想郷の掌握はかなり進んでしまうだろう。
「いくらガイルやアベルがいても、数の暴力には勝てない。急ごう、その妖怪の山に!」
キャミィはバルログの事をすっぱりと忘れ、かけだした。すぐ3人も後に続く、その時幽々子は心なしか、1つの曇りが晴れたキャミィの顔がさらに真剣になっていたように見えた―――
これにて年内の投稿は終了です。
残り話数は少ないですが、来年もよろしくお願いします。