ようやく元通りの生活が戻ってきた幻想郷。
だがその元から、先へ進めなければ次はない―――
第48話「元へ、そして先へ」
―月の都―
一方の月の都―――故郷に戻ってこられた綿月姉妹、サグメ、レイセンはようやく月の都にたどり着いていた。
「はあはあ…こ、こんなに月の都って遠いところにありましたっけ…」
レイセンは息を切らしながら歩いていた。まだ包帯が体中に痛々しく巻かれている中、足を進めていた。
「私らが怪我をしているのもあるが…それでも遠く感じるな」
サグメが額に汗を感じながらそう言う。
「もうすぐのはずだが…確かに遠いな。着陸座標は間違ってはいないはず…」
依姫はわずかに足を引きずっている。普通なら全治まで1年以上かかるはずの全身骨折を薬の力を使って数日で直しているので、どこか後遺症が残ってもおかしくはない。それがどうも後遺症ではなく、疲労になって出たようだ。
「…あ! あれは…」
豊姫が行き先を見た。月の都の、狂オシキ鬼の蹴りでこじ開けられた門に人だかりがあった。
「綿月様―!! サグメ様―!!」
そこで住民や警備兵達が、4人を笑顔で迎え入れようとしていた。
「みんな…無事だったんだ…!」
レイセンが目に涙を浮かべている。生き残っていた玉兎達も手を振っている。レイセンは思わず手を振り返した。ここで、ようやく戻ってきたという実感が湧いてきた。
近づいてみると、後ろの光景は寂しいが完全に祝勝ムードだ。皆、それだけ4人の帰りを待っていたのだ。狂オシキ鬼の恐怖から解放され、ようやくつける安堵の息が久しぶりに感じているのだ。
「綿月様! お帰りなさいませ!!」
一番に声をかけたのは通信機の応答に答えた男の警備兵だった。
「報告お疲れ様。つらかったでしょう? 長らくみんなを心配させてごめんなさい」
豊姫が心配する目を男に向ける。
「いえ、私は綿月様とサグメ様が無事だと聞いただけでもう…」
男は涙を流しそうだった。それだけつらい出来事の連続が報われた、そう表現するかのようだった。
「レイセン~! 生きてたんだね、良かった!!」
仲間の玉兎がレイセンを抱きついて迎え入れる。
「ちょ…みんな、苦しいよ!」
一気に十数人に抱きつかれ、レイセンの呼吸が苦しくなる。だが十数人分のぬくもりが、暖かくレイセンを包む。それだけでレイセンは、ようやく終わったと安堵をついた。
「我ら警備隊、地上からの敵襲に何もできずに面目ない…」
警備隊全員が膝をつき、依姫に謝る。皆、暇を与えられる覚悟までしているようだ。
「もういい。その点だが、早速言いたいことがある。皆を静めてくれるか?」
依姫の要望に兵士長が顔を上げ、大声を上げた。
「静まれ、静まれ~! 綿月様とサグメ様のお言葉だ~!」
警備兵の号令に、人々の喜びの声は一気に静まりかえった。その視線が、綿月姉妹とサグメの3人に集中する。
「まず、一刻を争う事態の中、私達が直接指示に当たれず民の皆に不安を与えたこと、大変申し訳ない!」
依姫は頭を下げた。そして顔を上げて言葉を続けた。
「私らは、侵入者の情報も、素性も知らぬまま、力の差が既にある事に気づかず、ただ単に穢れを持つ者として戦ってしまった。本当なら地上のことをよく知った上で事前に対策を講じるべきだった。それを怠った不甲斐ない私らを許して欲しい!」
依姫はもう一度頭を下げた。その瞬間―――
「もちろん許しますよ!」
「当たり前だ! あのOniは見たことのない地上の奴なんだ、事前対策なんて無理がある!!」
人々から擁護の声が上がる。悪いのは自分たちだけじゃない。地上の者を考えずに生きてきた自分たちにも非がある、そう意見が一致しているのが目に見て取れた。
「そして…私達はこれから、地上に対する見方を変えていこうと考えている」
サグメの言葉に皆がざわついた。まさかという意見が頭の中に浮かんだのだろう。
「穢れを受け入れるという訳ではない。穢れを持つ者の『強み』に目を向けていこうということだ。今回はその『強み』に、私達は屈した。これからは、その『強み』に注目し、皆で対策を話し合っていくようにする! そして定期的に地上に使者を送り、地上の者との交流を深めるようにする!」
サグメの口からは数十年に一度位珍しい大声が出た。これが揺らいだら、もう私達に未来はない、そう決めつけているようだった。
「もちろん皆さんの中には反対する者もいるかと思います。でも今変わらなかったら、永遠に私達は変われない、そう思っています。どうか、ご理解を」
豊姫が手を合わせてお願いする。批判が来るのは避けたいとはいえ、いきなり地上との交流を図るなんて訳でもなければ批判が飛んでくるのは目に見えている。が、意外なことに人々は黙ったまま、何も声は上がらない。
豊姫はそれを見て、これからの決意を表明した。
「私達は…一から出直しになります。ですが…」
豊姫は胸に手を当て、声が震えぬよう強く言い切った。
「もう何者にも負けぬようにしましょう…! 必ず!!」
豊姫が握り拳を右手で作る。
「それです! それでこそ綿月姉妹です!!」
「サグメ様もお願いします! 一生あなたについていきます!!」
歓声が次々に上がるのを目の前で見た4人は少し笑顔になった。ここにいる皆なら必ず作り直せると。月の都も、心の持ちようも―――
一方、地上はリュウが目覚めてから、3日後―――
―博麗神社―
博麗神社。霊夢の留守中にも関わらず何も被害なしの神社の庭で、霊夢は腕を組み、目をつぶって立っていた。血に染まった赤い袖は脱ぎ捨て、リボンを外したままじっと石像のように動かない。ただじっと、リュウの回復を待っていた。
「れ~い~む~さ~ん!!」
そこに大声が聞こえてきた。空を見ると、文が手を振っている。霊夢は自ら空に飛んで文を迎えた。
「…無事だったのね」
霊夢は少し安心したように言う。
「ええ。あの攻撃が骨の損傷まで至っていなくて助かりました」
文は殺意リュウの昇龍拳を顔面に受けた。血を吐いたが、どうにか大事には至らず天狗の回復力で復活したようだ。
「あまり気を落としていないわね。せっかくのスクープだったのに」
霊夢は文の笑顔を見てか、気を落としたようには見えていないようだ。文はうなずいてから言葉を返した。
「はたてにスクープを奪われたのは残念ですが…それは私の力量不足ですから」
あの時、文は殺意リュウに負けた。これからの取材、自分が命を狙われる事を考えたら、あの敗北は致し方ないとあきらめがついたようだ。文も、己を問う事で過去を引きずらない覚悟を決めたのだ。
「リュウさんが退院できるまで回復したみたいですよ。明日から本格的に修行に入るので、人里の仮治療室として使っていたあの家を宿にすると」
文はメモを見ながらそう言った。
「なら、早速行きましょうか。結構待ちくたびれていたからね」
霊夢はそのまま、人里へ飛び立った。文も、それ以上何も言わず黙って後を追いかけた。
―人里・仮治療室のあった家前―
「待っていたぜ、霊夢!」
人里につくと、すぐに魔理沙が迎え入れてくれた。もちろん、この異変で行動を共にした仲間も全員いる。
「ってか、あの時いなかったあんた達が、なんでいるのよ?」
霊夢の目の前には永遠亭でリュウに弟子入り要求した仲間の他に、その時に場にいなかったアリスや神奈子、諏訪子、さらには幽香の姿まであった。
「正直、修行には私の体がついて行けないと思っていたけどね…魔理沙から修行のことを言われて、数日ずっと悶々となって、思い切って受けることにしたの」
アリスもこのままでいいのかと思えば思うほど、皆から置いて行かれる気がしてならなかった。だから修行の話を聞いて、動かずにいられなかった。
「最初は見守ろうと考えていたけど、後から考えたら私達はリュウに負けて面目がないことに気がついてな。面目躍如の下準備のため、参加を決めたのさ」
殺意の波動に飲まれていたとはいえ、リュウには傷一つつけられず敗北を喫した2人には、神社の復興よりもプライドにヒビが入っていることが気にかかっていた。
「神社の復興もあるけど、それ以上に強くならないとまた倒壊しかねないからね。自分の祀られている所ぐらい自分で守らなくちゃ」
諏訪子は神社の保守を考えた行動だった。だがその行動には神奈子と同じプライドを保つことも含まれていた。
「久しぶりに暴れたい…というのは冗談で、真面目に自分を鍛え直したくなってね」
幽香は笑顔で言った。だがその笑顔が、聞いている他の者に対しては恐怖でしかなかった。
「その笑顔でその言い方はやめてくれ、マジで洒落にならん」
魔理沙は頬に流れる冷や汗を感じながら言った。幽香の腕力で修行なんてしたら、少なからず色々(物理的なものだけでなく精神的な面も含め)と壊れそうだからだ。
「大丈夫よ、手加減するから」
その手加減もないもんなんだよ、そう言いたかった魔理沙だが、それ以上言えば確実に自分が殺されるのが想像できたのでやめた。
「ああ、そういえばここに来る前、こーりんの所に行ったんだが、こーりんがこれを霊夢に渡してくれって」
魔理沙は霊夢に少し大きめの箱を渡す。こーりん、とは魔法の森近くで香霖堂を営む森近霖之助の事、どうも霊夢はいつの間にか霖之助に会い、何か注文をしていたようだ。
「中身は私も開けてないから知らないぜ。早く開けてみてくれよ」
魔理沙も箱の中身は見ていない。持ったときの重さからしてそれほど重いものではないようだが、中身が想像できなかった。
霊夢はパカッと箱を開ける。その中は―――
「! その袖は…」
中にあったのは縫い合わせの糸まで全て赤に染まった袖。見た瞬間に霊夢の意志が宿っているのが分かった。その色から分かる事はただ1つ。己の業を忘れないためだ。霊夢はすぐ袖に通した。真っ赤な袖は、真っ赤な巫女服と合わさりまさしくあの時の姿を彷彿とさせる。
「…そういやこーりん、『こんなのを頼むなんて、霊夢も変わろうとしているんだなあ…』なんてこの箱を渡した後にぼやいていたな」
魔理沙が静かな口調になった。それだけ霊夢は殺意の波動に目覚めた時に殺した妖精、妖怪の血に染まった赤い袖で自ら起こした過ちを忘れたくない、その想いを込めてこーりんに頼んだのだろう、魔理沙はそう推測し、笑って過ごせない目を霊夢の赤い袖に向けた。
「それを着ていると見事に真っ赤ですね…また殺意の波動に飲まれたかと思いますよ」
早苗が守矢神社の出来事を思い出す。殺意霊夢の時体に纏っていた殺意の波動も赤色、今全身を赤に染めたその姿は殺意の波動に目覚めた時に近い姿だ。今にも体から殺意の波動が吹き出そうだ。だが強い意志が、そうはさせない。矛盾する2つの意識の中に、霊夢はもまれながらも進むという意志を感じ取れた。
「もう来てくれたのか」
そこにリュウが永遠亭のメンバーと共にやってきた。体中の包帯はなくなり、上半身真っ裸になったリュウの筋肉が浮き彫りになっている。
「おお…あの穴が空いていたときはよく分かりませんでしたが、すごい体つきですね…」
文がリュウにカメラを向ける。
「それを貫く気を作り出すあのOniも異常だけどね」
ぬえがじっくりとリュウの筋肉を見る。触らなくても分かる、この壁は並大抵の攻撃は通さないだろう。
「強さを求め続けた結果、必然的についたものでもあるかもしれぬが…それでもこのような肉体を持つ者は初めてだ。しかも精神まで高みにいるのだから、戦士としてこれ以上の者は早々にいないだろう」
神子は変わらずリュウを絶賛する。彼なら、誰が弟子になろうといい者になる、そんな予感までしていた。
「いよいよ明日からか…」
妹紅が腕を組んだ。
「どんな修行になるのやら…」
美鈴が見たこともない修行の中身を想像する。
「あの戦い以上に地獄を見るような修行ではない気がするけどね。と言っていたら、この修行がもっと地獄だったりするかもだけど…」
ナズーリンが狂オシキ鬼の戦いを思い返す。あれ以上の苦しい事はもうないように思えたが、リュウという一度狂オシキ鬼に挑んだ存在が師となる以上、それ以上の壁がありそうで怖かった。
「みんな気合い十分ですね。ところで、修行というのは…」
聖がリュウから聞こうとしたのは時間、リュウはそれを察してすぐに答えた。
「朝からやるぞ。どんな内容かは言わないがな」
朝から、となると翌日起きた時から修行は始まる。今はもう夕焼けが空を染めている。時間は刻一刻と迫りつつある。
「早めに床についた方が良いようじゃな」
マミゾウが空を気にする。果たして、リュウの修行とはいかなるものなのか―――