それでも立ち上がる孤高の探求者。
そこにあるのは、まだ足りていなかった「意志」―――
第43話「越えるために」
「…!!」
一同はリュウの変わりように衝撃を受けた。膝から血が流れていながらも、立ち続けるその姿はまさに武蔵坊弁慶を彷彿とさせた。これから、数多くの傷を負うであろう覚悟ができているのだ。それを持っていながら、彼は狂オシキ鬼に屈服する気がない。
狂オシキ鬼はじっとリュウの肉体を見る。彼の体から吹き出る波動は、殺意の波動に飲まれていた時を彷彿とさせる。
「それが貴様の答えか…!」
狂オシキ鬼はさも人間だった頃を思い出すように言う。
「そうだ…これが俺の答え! 俺はお前のようにならない!!」
リュウの目は相も変わらず衰えない。狂オシキ鬼と相対するためだけに力が注がれているようだ。
「うおおっ!」
「ふんっ!!」
リュウは真正面から狂オシキ鬼に突っ込んでいった。小細工なしの、正面からの立ち会い。もう曲がったことを考える必要はない。体が勝手に動いているようだった。狂オシキ鬼はもちろん追い払おうと素早くパンチを繰り出す。
「リュウ! そんな真正面からでは勝ち目なんて…!」
華扇が声を上げるがもう手遅れ、狂オシキ鬼のパンチがリュウの顔面を捕らえる。手応えを感じた狂オシキ鬼は力をさらに加え、吹き飛ばそうとする。
しかし次の瞬間、リュウがカッと目を開き、狂オシキ鬼の顔に狙いを定めた。
ドゴン!!
何とリュウは狂オシキ鬼のパンチを顔面に喰らいながらも右フックを狂オシキ鬼に返したのだ。狂オシキ鬼の顔が後ろにのけぞり、足をわずかに後退させる。そこにリュウが狂オシキ鬼の左腕を掴み、狂オシキ鬼を背負ったのだ。
「とりゃあああ!!」
リュウのかけ声と共に狂オシキ鬼の体が宙に一回転する。リュウの一本背負い投げが決まった。狂オシキ鬼は背中全体を地面にたたきつけた。
「…!! どこからそんな力が…!」
聖が驚くのは、リュウの状態によるものだ。一本背負い投げを決めるには足の軸がぶれないようにしなくてはならない。膝を負傷している中それを行うのはかなりの難易度だ。
流石に倒れっぱなしの訳にいかない狂オシキ鬼は両足を上げ、勢いで立ち上がる。素早く裏拳を出してリュウに反撃を与えようとするが、リュウは既に真上にジャンプしており、むしろそこから跳び蹴りを喰らって追撃された。跳び蹴りの勢いが強く、さらに追撃されることはなかったが、狂オシキ鬼はわずかに体勢を縮こませた。
そこからリュウはさらに前に出る。狂オシキ鬼の反撃を受けながらも、的確に攻撃を加える。殴り合いとはまさにこのことだ。その展開はボクシングの熱い試合展開にそっくりだ。見ている者さえ臨場感に引き込む。
「なんであいつ、あんなに殴られていて反撃できるのよ!? ホントにあいつ、あの波動拳を喰らっていたの!?」
ぬえが痛みにあえぎながらそう言う。確かにあれだけ動けているのだから、冥恫豪波動を実は受けていないのではないかという疑惑が上がる。だがそれなら膝の負傷理由に説明がつかないので、冥恫豪波動を受けたのは紛れもなく事実。なら、あれだけの肉弾戦について行けるのか。
その理由は、二番目に攻撃を受けた萃香が気づいた。彼の足取りは、狂オシキ鬼の飛んでくる拳に自ら向かっていることに。
「あいつ…あのOniの腕が伸びきる前に近づいて威力を抑えているんだよ! 無茶苦茶だけど、それで反撃を与えるチャンスを手にしているんだ…!」
狂オシキ鬼の破壊力を恐れずに突っ込むなんて、まず危険すぎる。しかもそれを顔面で受けるのだからさらに危険だ。下手すれば頭蓋骨が粉々に砕けて終了、そんな事まであり得る中、リュウはその選択をし続けているのだ。
狂オシキ鬼はリュウの行動に気づかぬまま、ひたすらリュウに攻撃を与え続ける。だがどの角度、どの部位を狙ってもリュウからはお釣りが返ってくる。手応えは少なからず感じている。なのに、なぜか倒れない。狂オシキ鬼の表情に、わずかな焦りの色が見える。
幻想郷の皆は、その戦いの様子を呆然とうつぶせのまま見ていた。もう私達が入る幕はない。最初からそんな予感はしていたが、ここまで差があるなんて。
何も発さず、ただ戦いを見続けていたのは霊夢もフランも同じだった。リュウと狂オシキ鬼の戦いは、全ての戦いの頂点に達しているような気がしてならなくなってきた。今まで自分たちが独自のルールで戦い続けていたのは、全て意味がないと宣言されているようだった。彼女たちは、あきらめがつき始めた。ここまで頑張ったが、これが限界だ、そう心に訴えかけられた。
霊夢はじっと戦い続けるリュウの顔を見た。波動と同じ目で狂オシキ鬼の顔を見続けている。一切の曇りがないその目は、遙か先の道を行く者に見えていた。そのまま、意識をゆっくりとなくそうとした、その時。リュウの顔が、わずかな笑みを浮かべた。霊夢はその瞬間、意識がいきなりはっきりとした。どうして…どうして、命を落とす可能性が高いのに笑えているの?
その顔を見たとき、霊夢の頭に思い起こされたのは―――
『ああ。必ず『勝つ』。『倒す』のでは駄目だ』
リュウの言葉だった。あの笑顔は、武者震いに近いものだ。『勝つ』。彼はそのために戦っていたことを思い出した。それに比べて私たちはどうだ。こんなところで這いつくばっているのは、まだその心構えが足りないからではないか。まだ『倒す』事にこだわっているのではないか。
(思い出したわよ、リュウ…あんたは…こいつを恨む気持ちで戦っていないんだって…言っていたのに…)
このままじゃ、地面に這いつくばるのは当然じゃないか。なら―――
(負けていた…あのOniどころか、リュウにも…負けていた…)
霊夢は悟った。リュウに、実力も、精神も、全て越されていると。ならば、ここで倒れたままではいられない。全身に残るありったけの力を立ち上がることに使う。だが思った以上に体が重く、持ち上がらない。必死に力を込めるが、重しを乗せられたように持ち上がらない。それでも、霊夢は立とうとするのをやめない。
(今立てないって…思い込んでいるじゃないの…私の体!!)
そう自分に言い聞かせた瞬間、体が持ち上がった。手が地面から離れ、上体が少しずつ地面と垂直になるように角度が上がる。そして、ついに立ち上がるまでに至った。土煙が背中からこぼれ落ちる。その様子は長い眠りから目覚めた獣のようだ。
「霊夢…! もう無茶よ! これ以上私達ができること何て…」
紫が止めようとするが、霊夢はリュウと狂オシキ鬼の殴り合いを見たままで紫に顔を向けようともしない。紫の言葉は遅れて耳に入ったように、少し間があってから答えが返ってきた。
「立ってなくちゃ…勝ちなんて…つかめるわけないわよ…」
霊夢はそう言って歩み出した。動ける者がいないのだから、その歩みは止まらない。その真っ直ぐに戦いの場に向ける目は、魔理沙からよく見えていた。
(霊夢の目の色が…変わった…)
魔理沙は察した。ここから先はおそらく―――いや、霊夢だけの道だ、と。
(リュウ…今なら理解できるわ。あんたの道を…)
霊夢は頭の中でリュウの立つところを考えていた。
(あんたはその道に居続けているからこそ、無謀とか、無茶とか言われても平気なのね。ただ1つだけに狙いを定めているから、他の事なんて気にならない…)
リュウの生き様は、ひたむきしかなかった。彼は、まさしく夢を叶えることができる人間の理想像。霊夢は、理解を越えてリュウに惹かれていた。
(なら、これから私はその道を共に歩むわ…あんたに追いすがるために…今度こそ…『勝つ』ために!!)
霊夢は構えた。擦り傷が体のあちこちにある中、体を動かせば少なからず痛みが生じるはずだが、不思議と痛みを感じることはなかった。
(霊夢が動けるまで…やはりあいつは、そばにいる人たちに良い影響を与えることができる人間…!)
神子は霊夢の一連の動きに感動していた。リュウの精神に惹かれた者には、ここまで力を与えてくれるものなのかと。
霊夢はリュウと狂オシキ鬼の戦いを見て、自分が乱入する機会をじっと待つ。その時、霊夢の手に一瞬ビリッとしびれる感覚がした。何か、高圧の電流に感電したような感覚だ。
(…!?)
霊夢は慌てて自分の手の中を見る。何もない。だがさっきの感覚は嘘ではない。確かに感じたものだ。霊夢はそこから深く考えなかった。今考える暇があるなら、狂オシキ鬼に攻撃する方がずっといい。リュウに追いすがるためにも。そして、越えるためにも。
すると、リュウと狂オシキ鬼の距離に人1人がちょうど入りそうな間合いが生まれた。霊夢は狂オシキ鬼と自分の直線距離を測り、一気に踏み込んだ。
「!!」
狂オシキ鬼の反応は良く、今まで相手にしていたリュウの腹を蹴飛ばして後ろに退けた。狂オシキ鬼も霊夢めがけ踏み込み、腹めがけ鋭く右拳を出してきた。
(耐える…っ!!)
霊夢は腹に力を入れた。その刹那、狂オシキ鬼の腹をえぐり取ろうとするような拳の打ち込みが腹に突き刺さった。霊夢は息の一つも漏らさぬように、襲いかかる痛みに必死に耐える。そして、狂オシキ鬼の拳の動きが止まった。
(…今!)
霊夢は上体を横に倒して拳に全体重をかけた。その左拳が、狂オシキ鬼のちょうど左胸に突き刺さる。
「ぐおっ!?」
狂オシキ鬼の体が反射的に霊夢から離れた。普通密着の状態なら腕力の差から狂オシキ鬼に軍配が上がる。だか今回はそれを逃してまで狂オシキ鬼自ら離れたのだ。霊夢は逃がさなかった。右に上体を倒したまま左足を前に出し、今度は右拳に全体重をかけるように上体を思いっきり左に振った。
バキッ!!
霊夢の右が、狂オシキ鬼の顔面にクリーンヒットした。狂オシキ鬼は吹き飛んだ顔の重みでバランスを崩した。足が踏ん張ってくれたおかげでダウンはしなかったが、一瞬ヨタヨタした足取りになった。不意を突かれたようだ。
(効いているじゃないの…! 私でも、真正面から行けば勝ち目がある!!)
霊夢は確信した。今まで考えた『倒す』策略では回りくどくなって決定打にならない。『勝つ』事に執着した正面から立ち向かう事だけが、決定打を与える唯一無二の単純明快な戦略。これに賭けるしかない。
霊夢は狂オシキ鬼を見た。彼の吐息が白くなっているのが見える。先ほどまでのリュウとの殴り合いのおかげで、流石に疲労を隠し切れていないようだ。
バチバチッ!
霊夢の手から、今度は大きな音が聞こえた。だが霊夢の耳には届いていないらしく、手を確認しようともしない。狂オシキ鬼から勝利を掴むことに集中を使い続けているためだろうか。
その音が耳に届いたのは、倒れている幻想郷の有力者達だった。
「!? 何だ? 今霊夢から、変な音が…」
先に気づいたのは魔理沙だった。霊夢の様子が、何かおかしい。音が鳴ったのは霊夢の手の中だ。そこに一瞬の明かりを見た魔理沙は、まさかと思った。だが気のせいでも何でもない。霊夢の両手の中で、電気がはじける音がしている。しかもだんだんと激しく、頻繁に起こるようになっていく。
「あれは…電気?」
早苗が自分の目が信じられなかった。霊夢には電気を操るような能力はなかったはず。普通人間が電気を操るものならば、能力がなければまず感電するのがオチである。しかもどうやって電気を起こしているのか。
「あれは…まさか、殺意の波動!?」
美鈴が気づいた。霊夢の手には、殺意の波動らしき赤い波動がわずかに燃え上がっている。それに混じって、リュウが今体に纏う波動と同じ色の炎が手の中に燃えている。殺意の波動と霊夢の元の波動が、層を作り出しているようだ。
「そうか…! 『摩擦』だよ! 今霊夢は、自分の中にある気と殺意の波動を手の中で層にさせて摩擦で電気を起こしているんだ!」
ナズーリンが原理に気づく。それでも摩擦による静電気で音が出るほどの電気量を出すのはいきなりではできない事だ。だが霊夢は今さっき覚醒したかのようにその技術を手に入れた。覚醒の要因はやはり―――リュウの存在だ。
(霊夢の心の持ちようを変えるだけで、新たな力を引き出させた…! リュウ…何という奴だ…)
神子は感動を越えて、感服の気持ちが芽生えていた。
その分析中でも、霊夢と狂オシキ鬼の戦闘は続く。狂オシキ鬼と霊夢の距離は中距離、どちらの腕も足も差し込める距離ではない。霊夢が詰めるが、狂オシキ鬼の低空波動吹きだしでさらに距離を引き離す。狂オシキ鬼はここに来てかなり消極的行動に出ている。ここで狂オシキ鬼は接近をあきらめ、轟雷波動拳の構えをとった。この距離からなら、強烈な一撃を受けることはない。そう確信しての行為だった。霊夢めがけ狂オシキ鬼は轟雷波動拳を3連発で放つ。
しかし霊夢の頭の中には、この状況を覆すあるイメージが浮かんでいた。自分を取り戻してくれた、昔からずっとそばにいてくれた相棒のあの技のイメージが。
「電刃………」
霊夢は3発の轟雷波動拳と狂オシキ鬼いっぺんに狙いを定めていた。そして大きく波動の力を両手の中に込めて―――
「波動砲!!!」
両手を前に突き出した。その波動は魔理沙の「恋符『マスタースパーク』」を模したような太いビーム状の波動だ。波動が3発の轟雷波動拳ごと狂オシキ鬼をすっぽりと覆った。霊夢は一切勢いを弱めず波動に力を込め続けた。波動は十数秒にわたって残り続け、終わった後にいたのは―――
「ぬ…お…」
狂オシキ鬼は仁王立ちしていたが、耐えきれなかったかよろめいた。効いている。深紫色の胴着らしきズボンの膝部分が破けている。霊夢は疲労して膝を地面についている。だがその目は鋭く狂オシキ鬼を見ている。またすぐ立ち上がる気だ。彼に『勝った』と納得するまで。
狂オシキ鬼はまずは落ち着こうと体を動かさず待ちの戦法に切り替えた。霊夢はあと一歩が出せない。それを見たリュウが突撃しようとした、次の瞬間。狂オシキ鬼に飛びかかる一つの影があった。またもや不意を突かれた狂オシキ鬼は顔にひっかき攻撃を喰らった。すぐに追い払おうと右腕を振るが、影は素早く狂オシキ鬼から離れて避ける。その影の正体が分かった瞬間、この場にいた皆が衝撃を受けた。
「……!!!」
その衝撃が最も大きかったのはレミリアだった。なぜなら―――
飛びかかったのはフラン。しかもフランの目が、再び殺意の波動に目覚めた時の目になっていたのだ―――